あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    動物系

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2026ねん 4がつ9にち(もくよーび、くもりで風強し)
    なんか朝からお腹壊れておる!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y574
    ↑Youtubeのサムネっぽいのはそのまま流用できそうなんだけど時間なくて動画作成が無理なんだよな~( ・Д・)



    今回の考古学・歴史ニュースは5000年ぶん早くなった“最古の犬”の発見で、人と犬の関係のはじまりがかなり書き換わったかも?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰 はじめに

    犬って、いまではあまりにも人間社会に馴染みすぎていて、逆に「いつからいたの?」って感覚が薄いんだよね。


    でも今回の研究、かなり強いです。


    というのも、これまで確実な「遺伝学的に確認された最古の犬」は、ロシア北西部の約1万900年前の個体が基準だった。ところが今回、トルコのPınarbaşı遺跡の約1万5800年前の個体が、古代DNAでちゃんと「犬」だと確認された。しかもイギリスのGough’s Caveの約1万4300年前の個体なども含めて見ると、氷河期の終わりごろには、すでに犬が西ユーラシアにかなり広くいたことになってくる。つまり今回の話は、「古い犬が出ました」ではなくて、「人と犬の歴史の確実な起点が、一気に5000年ぶんさかのぼった」という話なんだ。


    🧬 「5000年早くなった」って、どういうこと?

    ここ、かなり大事。

    考古学の世界では、昔から「これは犬っぽい」「いやオオカミでは?」みたいな資料はあった。問題は、犬と初期のオオカミは骨の形がかなり似ていて、形だけでは決めきれないことが多かったんだよね。今回の研究が強いのは、そこを全ゲノムに近い古代DNAで押さえたこと。約1万5800年前のPınarbaşıの個体、約1万4300年前のGough’s Caveの個体について、「これは遺伝的に犬です」と言えるところまで行った。だから更新されたのは「犬らしい候補」の話ではなく、「遺伝学的に確認された最古の犬」の記録なんだ。 


    これ、地味に見えてかなりでかい。


    なぜなら今回の研究で見えてきたのは、犬の起源そのものを一発で断定したというより、「少なくともこの時代には、もう犬は犬としてかなりはっきり分かれていた」という点だからだ。自然史博物館の解説でも、犬はオオカミ集団から最終氷期のどこかで分岐したと考えられていて、その時期は2万〜4万年前くらいの範囲で見積もられている。つまり今回の発見は、家畜化の開始点をそのまま示すわけではないけれど、「その結果が、1万5800年前にはもう確実に存在していた」と示したわけだね。


    arukemaya_y576



    🦴 見つかったのはどこ? しかも一か所じゃない

    最古の個体が出たのは、現在のトルコ中部にあるPınarbaşı遺跡。ここでは約1万5800年前の犬が確認された。さらに、イギリス・サマセットのGough’s Caveでは約1万4300年前の犬が確認され、追加でドイツ、イタリア、スイスの資料も犬として拾い直された。研究チームは、これによって犬が少なくとも1万4000年前までにはヨーロッパとアナトリアに広く分布していたと見ている。 


    しかも面白いのは、遠く離れたPınarbaşıとGough’s Caveの犬が、遺伝的にはかなり近かったことなんだよね。Nature論文では、この二つの個体は西ユーラシアの旧石器時代犬の同じ系統に属し、その広がりは約1万8500年前から1万4000年前のあいだに西ユーラシアへ拡散した集団と解釈されている。ロンドン自然史博物館の解説でも、何千キロも離れているのに、これらの犬は驚くほど似ていたと強調されている。


    🍖 ただ“いた”だけじゃない。かなり人間に近い

    ここが今回のニュースのいちばん好きなところ。

    Pınarbaşıでは、犬の骨の同位体分析から、水辺の魚が食事に入っていた可能性が高いとされている。しかも遺跡の状況から、犬は意図的に埋葬されていたらしい。研究機関の発表では、人びとが自分たちと同じような食物を犬に与えていて、しかも丁寧に埋葬していたことから、人と犬のかなり近い関係が示唆されるとしている。 


    Gough’s Caveのほうも負けていない。こちらでは、犬の骨に人骨と似た死後処理の痕跡があり、UCLの解説では下顎骨に意図的な穿孔まで見られるという。つまり、犬は生きているあいだの相棒だっただけじゃなく、死後にも何らかの象徴的意味を持っていた可能性があるんだよね。単なる“便利な動物”より、もう少し深い位置にいた感じがある。


    arukemaya_y577
    ↑確かにいろんなところで見つかっている!( ・Д・)(Marsh et al.2026; FIg.2より転載)


    🌍 農業より前に、犬はもう広がっていた

    今回の話が強いのは、これが農業社会の話じゃないところでもある。

    研究対象になった犬たちは、だいたい1万4000〜1万6000年前、つまりまだ人びとが狩猟採集民だった時代のものだ。Pınarbaşıの人びとは移動性の高い集団で、死者を埋葬し、そこに犬も埋めていたとされる。つまり犬との関係は、定住農耕が始まって家畜管理が本格化してから生まれたのではなく、その前の狩猟採集世界ですでにかなり出来上がっていたことになる。 


    そしてもう一つ重要なのは、犬が文化の違う人間集団のあいだにも広がっていたことだ。Nature論文では、これらの犬はマグダレニアン、エピグラヴェット文化、アナトリアの狩猟採集民といった、遺伝的にも文化的にも異なる人間集団に結びついていた。それでも犬の側はかなり似ていた。つまり犬は、人類集団の境界をまたいで動いていた可能性が高い。研究者たちも、こうした広がりは人の移動や相互作用、さらには犬そのものの交換と関わっていたのではないかと見ている。


    🏺 あるけまや的に、ここがいちばん面白い

    これ、犬の起源の話に見えて、じつは人間社会の話なんだよね。

    犬がこれだけ早い段階で、しかも広い範囲に広がっていたということは、人間たちが「ただ同じ場所で生きていた」だけではなく、かなり濃い交流をしていたことになる。道具や石材だけじゃなくて、生きた動物まで人間集団のあいだを動いていたかもしれない。しかもそれが、狩りの補助だったのか、警戒だったのか、仲間だったのか、儀礼的な意味を持っていたのか、全部少しずつ重なっていた可能性がある。今回の研究チームも、犬は初期人間社会にとって「ゲームチェンジャー」だった可能性があると述べている。


    つまり今回更新されたのは、「犬の年齢」だけじゃない。

    人類がどの段階で、他の動物とここまで深い関係を作り始めたのか。
    どの段階で、生活技術だけじゃなく“相棒”そのものを持ち歩くようになったのか。
    そこが一気に古くなった。

    これ、かなりロマンあるんだよね( ・Д・)


    ✍️ あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    トルコのPınarbaşı遺跡で見つかった約1万5800年前の個体が、古代DNAでちゃんと「犬」だと確認された。これで、これまで約1万900年前だった「遺伝学的に確認された最古の犬」の記録が、5000年ほど一気に古くなった。さらにイギリスのGough’s Caveやスイスなどの資料も合わせると、犬は氷河期の終わりごろにはすでに西ユーラシアに広く分布していて、人間とかなり近い関係にあったらしい。魚を食べ、埋葬され、ときには人間に近い死後処理まで受けていた可能性がある。


    だから今回の発見は、

    「最古の犬が見つかった」
    だけじゃなく、

    「人と犬の関係は、農業より前の狩猟採集世界で、すでにかなり深く始まっていた」

    というところまで見せてくる。

    犬って、かわいいだけじゃなくて、ほんと歴史をでかく動かしてる存在なのかもしれないね。



    なにはともあれ・・・・・・


    1万5000年前の犬、ちゃんと名前あったのかな?( ・Д・)







    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2026ねん 4がつ5にち(にちよーび、くもり)
    今日は休みだぜ!久々にのんびりしておる!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya_y570
    ↑Youtubeのサムネ画みたいになってしまった!( ・Д・)



    今回の考古学・歴史ニュースは群馬の山あいでも、古墳時代に馬を育てていたのかも( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰 はじめに

    古墳時代の馬っていうと、どうしてもヤマト政権とか大きな古墳とか、そういう“中心地の話”に見えがちだよね。

    でも今回の舞台は、群馬県の東吾妻。
    上信自動車道吾妻東バイパス事業に伴う発掘調査で、東吾妻町金井の 金井水頭山B遺跡 から、古墳時代の 馬の歯 が見つかった。しかも群馬県は、この発見を 吾妻地域で初めて確認された古墳時代の埋葬馬 であり、地域での 馬の飼育・生産 を示す重要資料だとしている。 


    これ、地味に見えるけどかなり強い。

    なぜなら今回見つかったのは、
    金ぴかの馬具じゃなくて、
    もっと直接的に「この地域に馬そのものがいた」ことを示す資料だからだ。 


    🪦 見つかった場所は、ただの集落じゃない

    今回の馬の歯が出たのは、1号古墳の周堀の縁に掘り込まれた14号土坑 からだった。群馬県によると、遺跡では 2基の円墳 が確認されていて、墳丘は 6世紀初頭の榛名山二ツ岳噴火の火山灰の上 に築かれ、周堀付近には埴輪も伴っていたことなどから、古墳は 6世紀前半ごろ の築造と考えられている。


    つまりこれは、
    「どこかで馬の歯が出ました」
    ではない。

    古墳のすぐそばに、意図をもって埋められた馬らしい

    という話なんだよね。


    🦷 歯だけなのに、むしろ話が濃い

    ここが今回の面白いところ。

    出土したのは、上下がそろった状態の馬の歯。
    歯以外の骨は残っていなかったけれど、群馬県は 土坑の大きさから、本来は全身を埋めていたと思われる と説明している。さらに専門家の観察では、この馬は 5〜6歳程度、最大でも8歳くらいまで の若い個体らしい。


    これ、かなり重要なんだよね。

    ただの自然死した動物の残りなら、こういう文脈にはなりにくい。
    でも古墳の縁に掘った土坑に若い馬が埋められていたとなると、
    そこにはかなりはっきりした社会的意味が出てくる。 


    arukemaya_y569
    ↑歯だけしっかり残ってるね!( ・Д・)(「群馬県」のサイトより転載)


    年代もちゃんと古墳時代に合っている

    今回の発見が強いのは、年代が感覚ではなく測られているところだ。

    群馬県によると、出土した歯の放射性炭素年代は、較正年代で 西暦535〜605年 の範囲に入り、確率的にも 古墳時代後期 の埋葬とみてよい。だからこの馬は、古墳の築造と ほぼ同時か、少し後 に埋葬されたと考えて矛盾がないという。


    つまり今回は、

    • 古墳の近くから出た
    • たまたま近くにあっただけではない
    • 年代もちゃんと合う

    という三拍子がそろっている。


    🐴 なぜ「飼育や生産を示すか」になるのか

    ここがタイトルの核心。

    群馬県の説明では、古墳時代に朝鮮半島からもたらされた馬は、軍事や農耕などさまざまな面で活躍した一方、飼育や生産には先進的な技術が必要 で、誰でもできるものではなかったという。だからこの時期、馬は 飼育・生産に関わった集落や首長の古墳周辺に埋葬される のが特徴であり、今回それが吾妻地域で確認されたことは、この地域でも馬の飼育・生産が行われていたことを示す とされている。


    つまり今回の歯は、
    馬の存在証明であると同時に、

    馬を扱える社会組織が、この地域にあった

    ことをにおわせる資料なんだよね。


    🗺️ 群馬の中でも、吾妻では初めて

    群馬県内では、古墳時代の馬の埋葬例自体はまったく初めてではない。
    県の発表では、高崎市の 剣崎長瀞西遺跡 で5世紀の古墳近くや竪穴建物から馬骨と馬具が出ているし、渋川市の 金井東裏遺跡 などでは榛名山噴火に巻き込まれた馬の歯や骨も知られている。


    でも、吾妻地域で古墳時代に埋葬された馬が確認されたのは今回が初めて
    そこが今回のニュースのいちばん大きなところだ。毎日新聞なども、この点を「吾妻地域で初」として報じている。


    🌄 山あいの地域史が、少し変わる

    あるけまや的に今回おもしろいのは、
    この発見が「群馬に馬がいた」というだけで終わらないところ。

    吾妻って、どうしても“中心から少し離れた山あいの地域”みたいに見られやすい。
    でも今回の発見は、その見方に少し揺さぶりをかける。

    馬の飼育や生産って、かなり高度な技術と組織力が必要だった。

    だとすると吾妻地域は、ただ中央の影響を受けるだけの場所ではなく、
    6世紀の馬文化ネットワークの中にちゃんと組み込まれていた地域 と見た方がよくなる。群馬県は、群馬への馬飼育文化は 長野県から伝わった可能性 にも言及している。

    つまり今回の歯は、
    単なる動物骨じゃなくて、
    地域がどこにつながっていたかを示す“交通路の化石”みたいなものでもあるんだよね。


    ✍️ あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    群馬県東吾妻町の 金井水頭山B遺跡 で見つかった馬の歯は、
    古墳の周堀の近くに掘られた土坑から出て、年代も 6世紀後半ではなく、6世紀前半〜7世紀初頭の古墳時代後期 にしっかり合っていた。しかも土坑の大きさからは、本来 全身埋葬 だった可能性まである。


    だから今回の発見は、

    「吾妻でも古墳時代に馬がいた」
    だけじゃなく、

    「吾妻でも馬を飼い、扱い、生産に関わるような社会が動いていたかもしれない」

    というところまで見せてくる。


    歯だけなのに、話がでかい。
    いや、歯だからこそでかいのかもしれない。

    馬具より先に、まず馬そのものがいた。
    それが古墳のそばで静かに見つかる。


    こういう発見、かなり好きなんだよね( ・Д・)

     


    なにはともあれ・・・・・・

    馬肉食べるのっていつからなんだろうね?( ・Д・)






    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 10がつ 14にち(かよーび、くもり)

    また一週間が始まるぜ~!( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは「ワシが巣作りのためにサンダル持ち去ったみたい!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    ──自然と時を超える鳥の“タイムカプセル”──


    スペイン南部の断崖にある洞窟、そこには“巣”をめぐる常識を一変させる発見が隠されていました。ヒゲワシ(bearded vulture, 学名 Gypaetus barbatus)の古い巣から、なんと中世(13世紀~14世紀)と見られる草製のサンダルや革片、道具片などが多数見つかったというのです。


    自然の湿度・温度条件がこの遺物たちを何世紀にもわたって保護していた可能性があり、鳥の営みが “人間文化の記録庫” として機能していたことを示唆する驚きの研究成果となりました。


    以下では、発見の概要、意味、今後の展望をじっくり紐解いていきます。






    🪺 発見の舞台:ヒゲワシの巣とその場所

    スペイン南部、アンダルシア地方の山岳地帯には、断崖に刻まれた洞窟が点在しています。ここは、かつてヒゲワシが営巣場所として使っていたとされる場所。


    研究者たちは、2008〜2014年の期間に12個のこうした古巣を調査。これらの巣は、複数世代にわたって使い回されてきた可能性があり、岩場や洞窟内部の温度・湿度が比較的安定していたため、通常なら朽ちてしまう有機素材が良好な状態で残されていたのです。


    巣は主に骨片、獣の骨・蹄、卵殻、羽毛、枝、草などから構成されており、その混合物の中に“人為的なもの”が紛れ込んでいました。


    ヒゲワシがすでにこの地域から絶滅している(もしくは大幅に個体数が減少している)状況下で、これらの巣はまさに“遺された記録”となっていました。




    arukemaya_y242
    ↑巣のイメージ!( ・Д・)(「GOOD NEWS NETWORK」の記事内画像より転載;Credit: Lucía Agudo Pérez, CC By 4.0)



    👣 見つかったもの:サンダルからクロスボウの矢まで

    調査の結果、発見された遺物は200点を超えると言われています。中でも注目されたのが、草(エスパルト / esparto)で編まれたサンダル、革片、衣料片、道具片、武器片といった人為的遺物でした。

    • 草製サンダル(“agobía” とも呼称される)
      放射性炭素年代測定により、推定で750年ほど前のものと判定され、その同じ巣から羊革の断片(おそらく赤色顔料が描かれていた)も見つかりました。

    • 革素材(羊皮など)
      いくつかの革片が発見され、そのうちの一部には顔料(赤・赭色)が塗られていた痕跡も報じられています。

    • 衣料片・布片
      布地と思われる繊維小片が129点ほど見つかり、時代も中世から近世にわたるとされています。

    • 武器・道具片
      クロスボウの矢(bolt)やスリング(投石器)、草のロープ、編んだ籠片、馬具などの構成要素と見られる木・金属・繊維素材も報告されています。

    特筆すべき点は、これら遺物の保存状態が、普通の考古現場では期待しにくいほど良好だったということ。洞窟中の乾燥と遮蔽、安定した気候変化の少なさが、有機素材を腐敗から守ったと考えられています。






    ⏳ 年代と意味:13世紀以前? 中世?

    発見されたサンダルはおよそ13世紀と見られており 、約750年前”のエスパルト靴が報告されています。
    またこの遺物の同定から推測される年代を基礎に研究者たちが科学的手法で年代測定を続けています。


    この発見が与えるインパクトは大きく、もしより古い層や未分析の層が見つかれば、時代をさかのぼる証拠が将来的に出てくる可能性は否定できません。


    発見の意味を以下で整理してみましょう。


    arukemaya_y243
    ↑これヒゲワシ?( ・Д・)(「VOI」の記事内画像より転載)

    🔍 これが意味すること:鳥・自然・人間の接点

    🦴 自然が「歴史記録庫」として機能する可能性

    ヒゲワシの営巣行為は、骨や枝だけでなく、偶発的に人為物を取り込むことがあることが見えてきました。このため、こうした巣は「生きたタイムカプセル」になっている可能性があります。研究者たちはこの観点から、“自然史と人文史の交差点” として巣構造を分析する価値を強調しています。


    🧩 新たな研究対象:未利用の考古資源

    通常の遺跡発掘では、洞窟住居跡や墳墓、街道沿い集落などが対象になりますが、鳥の巣という視点はあまり使われてきませんでした。この発見により、動物の営巣場所という“非意図的な収蔵空間”が、新たな考古学調査対象になる可能性が開かれたのです。

    🧬 生態・環境変化の解析

    巣から取り出された骨片、卵殻、羽根、植物片などは、過去の生態系や気候変動、食物連鎖の変遷を読み解く手がかりになります。特に、鳥の餌動物構成や植生の変化、環境ストレス(農薬成分などの痕跡)を年代別に追えば、現代との比較も可能になるでしょう。


    🐦 鳥類保全にもつながる知見

    ヒゲワシは環境変化や人間活動の影響を強く受けやすい鳥です。こうした巣の遺物分析を通じ、過去の環境ストレスや餌資源変動、毒性物質の浸透の履歴を知ることは、将来の保全戦略にとって貴重な資料になり得ます。






    🔮 今後の展望と課題

    この発見は“始まり”にすぎません。研究者たちは以下のような課題と展望を見据えています:

    1. 層位別分析(ストラティグラフィー)
       各巣層を年代別に分け、いつどの時代の素材が混入したかを明らかにする手法が鍵となります。

    2. さらなる年代測定と比較研究
       既存の遺物以外にも、多くの未分析素材が残されています。また、他地域・他種鳥の巣でも同様の調査を行うことで、発見の“普遍性”を問いたいという意図があります。

    3. 有機素材・顔料分析
       革素材、布、植物繊維、顔料などの化学分析(たとえば同位体分析、顔料分析、生体分子残存解析など)によって、素材の原産地や加工法、時代背景が浮かび上がる可能性があります。

    4. 生態・環境データとの融合
       骨片データや植物片データを気候変動史、生態系変動データと組み合わせて、過去〜現代の山岳生態系変遷を描く研究へと発展させたい動きがあります。

    5. 保存・公開の課題
       洞窟環境変化や観光開発、気候変動リスクなど、巣そのものが損なわれる可能性もあり、現場保存とデータ公開のバランスをどう取るかが課題となるでしょう。






    おわりに

    アメリカでゴミの埋め立て地も考古学調査の対象になってる話を聞いたけれど、今後は鳥の巣も対象になるかも知れないんだね。

    鳥にはいい迷惑か( ・Д・)



    まぁ元々は鳥の動物保護のために調査してたら考古遺物を発見したって経緯のようだから、生物学者と共に上手いことやってくんだろうなって思います。

    日本でもカラスって光るもの持ってっちゃうけれど、放棄されたカラスの巣を調査したら面白いかもね。



    私の考古学調査の対象も現代社会にまで広がっているわけだから、やはり考古学の対象は物質文化全体だな~って気がします。

    まぁ理論系じゃなければ、、、特に日本考古学者は狭い専門範囲を頑張って守ってるか( ・Д・)



    何はともあれ、

    やぱ鳥も可愛いな!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 10がつ 12にち(にちよーび、くもり)

    新生活、慣れるまでが大変だぜ!( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは「人類、昔からひつじと一緒!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    風にさらわれた砂埃のように、過去はいくつもの痕跡を残す。その中に小さな角の変形があったとしたら?


    紀元前3700年ごろ、エジプト・ヒエラコンポリス(Hierakonpolis)の墓地から、人工的に変形された羊の角 が発見され、考古学界はざわめいた。この発見は、「安全対策」や「共生の知恵」が人間と動物の関係において、思いのほか早く昇華されていた可能性を示している。

    この記事では、発見の詳細、技術と目的の仮説、そして「安全と共生」が古代から続くテーマであったという視点を、あるけまや風にじっくり読ませるように描いていきたい。






    🏺 発掘された角たち:ヒエラコンポリスでの角変形事例

    考古学者たちは、エジプト・上エジプトの古都ヒエラコンポリスにある墓地(墳墓 54など)から、少なくとも6頭のオス羊 の頭骨を回収した。


    そのうち複数は、自然に成長すれば横へ広がるはずのらせん状(コークスクリュー型)の角を、真っ直ぐ上に向けたり、または根元で完全に除去されたりしている形跡を示していた。これはこれまで羊では記録されたことのない、人工的な角変形の最古例とされている。


    角の根元部分には、骨に亀裂の痕や穴(穿孔)が確認され、結びつけた痕跡も観察されている。つまり、生来の角成長を曲げる、または位置を固定するような操作がなされていたと考えられている。これら羊は普通の「食用」用羊よりも年齢が高く、大きさも優れていた可能性が指摘されており、去勢(キャストレーション)された個体である可能性も高い。


    研究報告では、この一連の変形作業は「骨を折って角基部を操作し、縄で固定して治癒させる」ような技術であった可能性が高いとされている。なお、この技術は後世の牛などで見られる角変形技術と似ている点もあり、アフリカおよび中東地域の牧畜文化の連続性を示唆するものと見られている。




    arukemaya_y235
    ↑立派な角だぜ!( ・Д・)(「Archaeology Magazine」の記事内画像より転載; credit: Bea De Cupere)

    arukemaya_y236
    ↑この辺が変形痕らしい!( ・Д・)(「Independent」の記事内画像より転載;Wim Van Neer et al. 2024



    🛡️ なぜ角を変形させたのか?安全管理と象徴性

    羊の角を人工的に変形させる──その動機にはいくつもの仮説が立つ。以下、主なものを整理してみよう。

    🔒 互いの傷害防止と人–動物関係の安全性

    最も現実的な仮説は、羊同士、また人と羊との間で角がぶつかることによる怪我を防ぐという機能的な狙いである。角が横に広がっていると、激突や絡みが起きやすいため、それを縦方向・近接方向に変形させることで、損傷リスクを減らすという考えだ。実際、発掘報道でもこの点が指摘されており、変形は利便性・安全性をある程度伴った技術であった可能性が高いと報じられている。

    🎖 権威・ステータスの誇示

    羊を所有すること自体がステータスだった時代、このように手の込んだ変形操作を加えることで「特別な羊」「異彩を放つ羊」として目立たせる意図があった可能性も強い。特にこの発掘が“エリート墓”からなされたことは、所有者が象徴性を重視していたと考えられる要素である。角変形が一種の装飾・記号として機能した可能性だ。

    🌀 儀礼・宗教的な意味合い

    ある研究者らは、このような変形羊が、儀式や祭祀目的で飼育された可能性を指摘している。羊は古代エジプト文化で供犠・神聖動物としてしばしば扱われたため、角を操作することにより“神的”象徴性を付与する意図があったかもしれない。変形行為自体が神と人との媒介、または自然界を制御する人間の意志表現と見る向きもある。






    🔍 技術と保存の解読:変形の痕跡を読む

    この発見を「ただの奇妙な角」では終わらせず学術価値とするには、技術的・分析的な裏付けが鍵だ。以下は注目すべき点だ。

    • 骨構造の解析:角基部骨(角芯骨/角核部位)に見られる亀裂・穿孔・骨融解などの変形痕のパターンは、変形操作を行った時期や方法の手掛かりとなる。研究報告でもこれらが重要な証拠として挙げられている。

    • 結束痕跡:角近傍に対するくさびや溝、縄による縛り痕などの痕跡や構造的締結痕を探ること。報道では角の縛り跡として“ノッチ(刻み)”の存在が指摘されている。

    • 動物比較と系統比較:同時代または近接地域で見られた牛やヤギの角変形技術と比較し、変形技術が羊独自なのか、ある伝統の変形文化の一環なのかを検討する。

    • 年齢・去勢の関係:変形羊が去勢されていた可能性や年齢が高かった点は報告されており、それが変形耐性や成長特性に影響した可能性を探ることが重要。去勢動物は骨格成長がずっとゆるやかになりうるからだ。

    • 保存環境の影響:骨質の劣化や風化が変形痕を消磨してしまう可能性も高いため、保存条件や土壌成分なども併せて慎重に評価すべきだ。



    arukemaya_y237
    ↑全然わからん!( ・Д・)(「Independent」の記事内画像より転載;Wim Van Neer et al. 2024


    🐏 古代から今へ続く“安全と共生”のライン

    この発見は、ただ古代の“奇習”を語るだけではない。むしろ、人類が動物と共生する過程で、「安全性」「制御」「象徴化」の技術を古くから育んできたことを示唆する。以下は未来への視点だ。

    • 現代の畜産では、角を切除(ホーンカット)、角を包帯で巻く、ホーンブレイキングなどの方法が行われることがある。今回の発見は、こうした行為が何千年もの歴史を持つ可能性を示す。

    • 角という「武器性」を抑制しつつ利用する発想は、動物福祉と共生の知恵の原点かもしれない。

    • また、羊は日常生活に根差した動物であったが、その存在に調整と象徴を重ねてきた人間の創造性と制御意志の一端を、この角変形は語っている。

    • さらなる調査で、他地域の同時代動物変形例(牛・ヤギ・山羊など)との比較を進め、牧畜文化史のネクサスを紐解く鍵になるだろう。

    角を変えるという小さな操作には、人–動物–権威–儀礼という多層的な物語が込められている。古代にも、私たちのように「よりよく共に生きる工夫」があったのだろう。







    おわりに

    変形箇所を図示されてもよくわからんですね。

    きっと野生の羊の頭蓋骨と並べても素人にはたぶんよく分からない( -д-)ノ



    まぁでもエリートが象徴として羊を所有してたってのは面白いなって思う。

    エジプトだからラクダかと思った。



    でもサムネ画像やトップ画像で挙げたような可愛い羊じゃないんだよね。

    今なら可愛い子羊飼ってSNSで投稿したらある種のステータス?になるかもだけれど、

    当時の羊は権力や富の象徴だから(今でもそうか( ・Д・))、角なまらでかいよね。

    羊もでっかくて勇ましい感じのやつだと思う。

    トロフィーになりそうなやつ!




    何はともあれ、

    やぱ子ひつじ可愛いな!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 10がつ 11にち(きんよーび、晴れ)

    今日からやや無謀な挑戦をしようかと思う(*^・ェ・)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





    今回の考古学・歴史ニュースはでかいぜ、らくださん🐫!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    砂漠に消えた文明の息吹を、私たちは本当に想像できるのだろうか?


    夜明け前の冷たい空気と、どこまでも続く地平線の中で、ふと目を凝らすと、岩肌の陰影が人の目に映る――いや、ラクダの姿だ。これはただの偶然の模様か、それとも遥か昔からのメッセージか。


    最近、サウジアラビア北部のヌフド砂漠近傍にある幾つかの岩地で、『高さ2メートルを超える生命大サイズのラクダ彫刻(岩絵)』が発見されたというニュースが、考古学界と世界中を駆け巡った。


    しかもその年代はなんと 約11,400年〜12,800年前 と推定され、人類がこの地を再び利用し始めた時期を 2,000年以上も遡らせる可能性を示している。


    この偉大な発見の意味を、あるけまや流の語りで、時間と空間を揺らしながら追ってみよう。






    🏜️ 発見の現場とその広がり

    今年発表された研究によれば、発見は Jebel Arnaan、Jebel Mleiha、Jebel Misma の三つの未踏岩場で行われ、60 を超える岩絵パネルに、合計 176 点近い彫刻が確認されたという。内 130 点ほどが、ラクダやイベックス(アイベックス)、ガゼル、野生ロバ、さらには絶滅種オウロクス(ウールド牛)まで含む「動物画」である。


    これらの彫刻は、11,400~12,800 年前(つまり後期更新世〜完新世転換期)に属すると分析されており、これまで「人が砂漠中央部に住み始めたのは約1万年前以降」という定説を揺るがす可能性を持つ。


    彫刻はくさび(wedge)型の石で刻まれており、アーティストは狭い足場で作業していた可能性がある。そうして描かれたラクダ、ガゼル、他の動物を含む生命大の岩絵が発見された。


    さらに、研究者らはこれら岩絵が 砂漠中の季節性水源を示す“道しるべ” 的な役割を果たした可能性を指摘しており、彫刻と沈殿分析から、彫刻周辺には湿期にしか現れないような淡水湖が存在していた形跡も確認されたという。




    arukemaya_y229
    ↑思ったよりはっきりしてる!( ・Д・)(「SCI AM」の記事内画像より転載;credit: Sahout Rock Art and Archaeology Project)



    🎨 岩絵の表現と技巧:なぜこの彫刻群が特別か

    この岩絵群が従来のアラビア岩絵とは異なる点は、まずその 大きさと写実性。中にはラクダが 3m に近づくものもあり、岩面に深く掘られている彫刻も存在するという。


    また、あるパネルは 高さ 39 メートルにも達する崖面 に描かれており、アーティストは極端に狭い足場から刻んだ可能性がある。足場が不安定な場所で、後ろに下がって全体像を見ることもできない環境で、正確なプロポーションを保って刻む技術は、相当な熟練を要したはずだと報告されている。


    さらに、彫刻の重なり層(複数の時期に刻まれて重ねられているようなライン)が見られるパネルもあり、長期間にわたってこの岩場が「重要な場所」であり続けたことがうかがえる。


    彫刻手法については、くさび状の石を使って鋭い線を刻む「ペッキング(pecking)」技法が主に使われたとされるが、直接的な顔料や色彩の痕跡は確認されていない。時間の風化で失われた可能性もある。






    🧭 人びとの足跡:彫刻と共に見つかった遺物たち

    岩絵そのものだけでなく、それらの下層・隣接層からは、多数の石器、骨片、炉址、矢じり、貝殻ビーズなども出土している。特に注目すべきは、岩絵直下から発掘されたペッキング用の石器 で、これが彫刻年代推定の裏付け材料の一つとされている。


    これら遺物にはレバント地域でよく見られる El Khiam 型や Helwan 型の矢じり樣式も含まれており、当時の集団が長距離交流網を持っていた可能性を示唆しているという報告もある。


    また、淡水湖の痕跡を示す堆積物分析から、彫刻が刻まれた時期には季節的に水が湛えられた水たまり・湖沼が存在していた可能性が強く示されており、彫刻が「道しるべ」「水場の指標」「儀礼」が交錯した場所だった可能性が議論されている。




    arukemaya_y230
    ↑らくださんたくさん!( ・Д・)(「SCI AM」の記事内画像より転載;credit: Sahout Rock Art and Archaeology Project)


    🌍 歴史観へのインパクト:人間、砂漠、文明の再構図

    この発見が学界にもたらす波は大きい。まず第1に、これにより「アラビア中央部における最初期の人間の定住・通過」が少なくとも 1~2千年ほど前倒し できる可能性が出てきた。従来は、砂漠縁辺部やオアシス周辺から中心部へ人が入り始めたと考えられていたが、この岩絵はより過酷な環境での人間活動の証左となるかもしれない。


    第2に、彫刻が示す「ラクダ」「野生動物」「繁殖期の表現」などの構図は、この地域での生態理解、気候変動、資源配分、狩猟・移動戦略などを再構成するツールとなる。特にラクダ表現が頻出する点については、ラクダが当時すでに砂漠適応動物として重要な意味を持っていた可能性が指摘されている。


    第3に、彫刻の位置・規模・アクセス困難性を考えると、これら岩場が単なる日常描写の場ではなく、人びとの「ランドマーク」「儀礼空間」「記憶地」として組織的に使われていたことを示唆する。彫刻を作るためのエネルギーとリスクを考えれば、それは「意味を共有する共同体」の所在を仮定させる。


    最後に、この岩絵発見は、アラビア半島を「ただの砂漠地域」から、「古代人が挑み、記した記憶の舞台」へと再び位置づけ直す契機となるだろう。







    🎯 課題と今後への問い

    この岩絵群にはまだ未解明の謎も多い。いくつか重要な課題と問いを挙げておこう。

    • 直接的岩絵年代の確定:現在の年代は岩絵周辺堆積物や石器分析による間接推定であり、岩そのものに対する年代測定や他種年代測定法が適用できるかどうかが鍵となる。

    • 顔料や色彩痕の検出:時代経過で流失した可能性もあるが、かつて彩色があった痕跡の有無が確認できれば、むしろ『岩絵+彩色』という表現の複合様式を示せるかもしれない。

    • 彫刻制作者集団の文化的系譜:レバントとの矢じり・装飾品類の共通性は注目すべきだが、それら集団がどのように関わっていたのか、移動ルート・交流圏をどう設定すべきか。

    • 彫刻の機能論的理解:この巨大ラクダ岩絵が本当に「水源マーカー」だったのか、または境界標・儀礼的象徴なのか。多層的な役割を見出すには、景観分析、地形モデル、古気候データとの統合が必須。

    • 周辺岩絵・追加彫刻の探索:現在確認されていない未発見岩場の探索、ドローンやリモートセンシングを使った空間的拡張調査。


    砂漠の岩壁に浮かぶラクダの横顔は、まるで風に吹かれた記憶の残像だ。1万年を超えた時間を隔てても、それは何かを語ろうとしている。だが語るべき言葉は風景と言葉の重なりの中にしかない。私たちはその断片を拾い、読み解き、未来へ繋げる作業をやめてはならない。




    arukemaya_y231a
    ↑確かに色んな動物がいるね!( ・Д・)(「SCI AM」の記事内画像より転載;credit: Sahout Rock Art and Archaeology Project)




    おわりに

    むちゃくちゃ古い時期のモノって大体石材になっちゃうけれど、、、

    年代測定が難しいのよね~。



    まぁどんな時期でも難しいには難しいんだけれど、

    環境条件次第でほんと難しくなるんだけれど、

    (逆に簡単になる場合もある!)



    やぱ石材は難易度激高だよね~( ・Д・)

    これも石材種によるんだけれど、基本的に全て難しいと思っていい。



    今は間接的証拠を集める他ないけれど、

    超他力本願的には、誰か新しく優秀な年代測定法を開発してくれんかね?

    ノーベル賞で沸いてる日本よ、巨大な研究費くださいな!( ・Д・)




    何はともあれ、

    やぱ動物可愛いな!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

    このページのトップヘ