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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:南米

2021ねん 4がつ 22にち(もくよーび、晴れ)

今月はけっこう頑張ってます(・∀・)つ

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今回の考古学・歴史ニュースはオウムやインコのミイラが見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は南米、チリ、アタカマ砂漠です。

上に挙げた地図で見と取れるようにチリの北部のほとんどを広大な砂漠が占めています。

これがアタカマ砂漠で、「世界で最も乾燥した砂漠」としても知られています。

一方で星がとても綺麗に見えるため、観測拠点として多くの天文学者が訪れる地域でもあります。


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上に挙げた写真の中に花が咲いているものがありましたが、このアタカマ砂漠にも他の砂漠と同様にオアシスがあります。

どこの砂漠でもそうですが、オアシスに人が集まり交易の要所として機能します。

今回の記事はそうしたチリの古代文明が利用したオアシス遺跡での発見のお話です(。・ω・)ノ゙




さて、当然ですがアタカマ砂漠にはインコやオウムは生息していません。

コンゴウインコなど色鮮やかな鳥たちは熱帯のジャングルに住んでるイメージです。

今回のケースでは直線距離でおよそ500kmも離れたアマゾン地方に生息しているオウムやインコを、アンデス山脈を越えて遥々このアタカマ砂漠まで連れてきたことが分かりました。

時期はCE1100-1450頃で、オウムやインコはオアシス遺跡の有力者の権力の象徴として機能しました。

遠隔地由来の簡単に手に入らないオウムやインコはペットとして飼育された他、権威を示す頭飾りの材料としてその綺麗な羽が用いられました。

この鳥のミイラの調査に当たったのはペンシルベニア州立大学の研究チームですが、オウムやインコが死後にミイラにされていることを明らかにしました。

また口を大きく開けていたり、飛んでいるかのように翼を広げた状態のミイラが見つかっています。

そのことから研究チームは、オウムが人の言葉を真似る能力に関係した儀礼の一部だった可能性があると解釈しています。



・・・このアタカマ砂漠のオアシス遺跡における文化(11~14世紀)がどのようなものだったのか知らないので何とも言えませんが、、、

素人質問で大変恐縮ではございますが、、、


そんな儀礼あるんですかね?( ・Д・)


剥製の起源って古代エジプトとかで2000BCEとかだから古いですけど、そちらもミイラです。

剥製標本の技術が高くなるのは日本だと明治期です。

江戸時代でもミイラ状にする技術はありました。

なのでアタカマ砂漠におけるこの時期のミイラ作りって、乾燥気候と夜の寒さを利用した所謂フリーズドライ(冷凍乾燥)法で剥製標本を作っているような感覚なのじゃないかなと思いますけどね。

希少なオウムやインコだからこそ、死後も剥製として飾っておくことに価値があったので、まるで生きているかのように口を大きく開けた状態にしたり、翼を広げた状態にしたのではないでしょうか?


↓動物のミイラ関係の記事を挙げてみた(*・ω・)ノ




↑最後のだけ動物と関係ない!みんな好きかと思って・・・( ・Д・)





おわりに

上に挙げた写真はコンゴウインコの一種です。

とても綺麗ですよね。

確かにこれで羽飾り作ったら映えますねΣ(・ω・ノ)ノ

古代マヤ文明でもコンゴウインコやケツァル鳥の羽が奢侈品あるいは威信財として重要視され、頭飾りなどの装飾品を製作する上で重宝されていました。

元記事に「定期的に羽を毟り取っていた」と書かれていて、一瞬可哀想だなと思ってしまいましたが、、、

この可哀想という感覚は倫理的に間違っていないかもしれませんが、声を大にして言うには難し過ぎる問題だと思います。

現代社会でも有力者・お金持ちは高価な物や所謂贅沢品を消費し誇示することが一種のステータスとして機能しています。

そう、モノは変わったかもしれないけど、本質的に私たち人類社会の在り方は遥か昔から全然変わっていないのです( -д-)ノ

ブランド物の代表格はバッグとか財布とかでその多くは皮革製ですし、原材料を得るために動物を殺してるわけですからね。


そう、我々は何も変わってないよ!( ・Д・)



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2021ねん 2がつ 11にち(もくよーび、晴れ)

さて、1日2本書かなきゃ遅れを取り戻せないね(´・ω・`)

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今回の考古学・歴史ニュースはもっぱらサメ獲って生きてた先住民文化がブラジルに存在したよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はブラジル、リオ・ド・メイオ遺跡です。

この遺跡はブラジルの南海沖にあるサンタ・カタリーナ島にある遺跡です。

リオ・ド・メイオ遺跡では大きな「貝塚」が見られます。

日本でもよく見られるあの「貝塚」です。

日本の貝塚からは、様々な種類の魚骨、ウニトゲ、フジツボ、カキなどの貝殻、イルカやオットセイの海獣類の骨がよく出ます。

貝塚やその付近からは人骨も出ます。

ちなみに日本近代考古学の父であるエドワード・モースが大森貝塚を調査した結果、「古代日本人は人喰い人種だった」と述べた有名なエピソードがあります。

貝塚は多量の貝類などがあるのでアルカリ性の小山になっており、日本の酸性土壌ではなくなってしまうような人骨も残りやすいというのが理由のひとつです。

また単純に「貝塚=ゴミ捨て場」ではなく、貝塚が儀礼の場であったというのが大きな理由になります。

本当に「食人」があった場合、骨にその痕跡が残るものなのです( -д-)ノ

ちなみに今回紹介するブラジルの海岸に見られる貝塚はサンバキと呼ばれており、大きなものでは7階建てのビルの高さがあるとか(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

このサイズからしてサンバキは明らかに儀礼的な目的で積まれた遺構のようですね。

さて、そんな特徴・性格を有する貝塚ですが、リオ・ド・メイオ遺跡の貝塚では変わった物が出土するのです。




それは「サメの歯」です(。・ω・)ノ゙

上に挙げた写真は標本なので顎付きの状態です。

話はややそれますが、古代のメガロドンは現代でもとても人気でパニック映画にもよく登場しますが、メガロドンの体長は歯の化石からおおよその推定をしたものであることもよく知られています。

これはメガロドンやサメが「軟骨魚類」なのでほとんど歯しか残らないからなのです。

なのでこのリオ・ド・メイオ遺跡の貝塚でも歯ばかり出てきます。

本当にたくさん出てくるので、個体数を推定してみたところ、どうやらこのリオ・ド・メイオ遺跡に住んでいた人々はサメの肉を主に食べていて、それは全体の食事量の半分以上を占めていた可能性があると考えられています。

分析では食べていた肉の54~75%がサメであったと推定しています。

彼らが獲っていたサメの種類も豊富で、ハンマーヘッド、タイガー、ホオジロザメなど、体長10フィート以上、体重1000ポンド以上のサメを含む15種のサメ、そして小型のサメを47種を同定できました。


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そしてリオ・ド・メイオ遺跡の人々は上に挙げた写真がのようサメの歯を加工して道具として使っていました。

ちなみにこの写真は展開図状になっているので、左右は同一の資料であり、左が表面、右が裏面になっています。

このサメの歯の下部には2つの穿孔痕があります。

この穴に紐を通して木製のシャフトに縛り付けて固定した上で、切削工具として使用したと推定されています。

こうしてサメを獲り、その歯を加工して利用するという風習は約8000年前から1500年代まで続いていました。




おわりに ー武器としてのサメの歯ー

実験考古学では黒曜石製の石槍や細石刃を用いた槍を作成して、海獣などの動物に対して実際に使用してみるというものがあります。

今回の発見を受けて、実験考古学の一環としてサメの歯を実際に鏃として使用し、ブタに向けて弓をを射てみたそうです。

するとサメの歯の矢はブタの厚い肉に十分に突き刺さり、鏃である歯が破損することはありませんでした。

肋骨などの骨に当たった際にのみ破損しました。

ちなみに黒曜石の石槍だと肉にしっかり刺さりますが当たった衝撃で先端が折れてしまいます。

なので再使用するために再度加工が必要なのです。

ちなみにギザギザなサメの歯は、魚の鱗取りにも有用だっただけではなく、のこぎりとして木材を切断するためにも有用でした。

サメの歯、万能!( ・Д・)



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2019ねん 4がつ 3にち(すいよーび、晴れ)

「考古学者は女性にとって最良の夫である。

妻が年を取れば取るほど妻に関心を持つようになるからだ。」

by アガサ・クリスティ

……なんというプレッシャーだ!( ・Д・)


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↑発見された遺跡周辺のチチカカ湖の様子と地元の方々(「The Guardian」の記事内画像より転載;credit: Teddy Seguin )


今回の考古学・歴史ニュースは『南米のチチカカ湖の湖底から、1000年前の遠隔地産の黄金製品や宝石を伴う祭祀遺跡が見つかったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

今回の発見の地は南米のボリビアとペルーにまたがって存在するチチカカ湖です。

今から1000年前、このチチカカ湖の一帯はティワナク文化の領域でした。

ちなみにティワナク文化はヒストリー・チャンネルの「古代の宇宙人」シリーズでよく出てきます。

中心地であるティワナク遺跡は、この動画でよく取り上げられる「太陽の門」や「半地下式方形広場」、精巧な石彫で有名な「プマ・プンク」で有名です。

ティワナク文化はチチカカ湖流域においてBCE100~200年に始まり、その最盛期はCE800~1100年と推定されています。

今回発見されたのは1000年前の遺物ですから、ティワナク文化の最盛期の頃のものですね


 
(↑私が眠る時によくお世話になっている動画です。回し者ではございません( -д-)ノ)




さて、今回はチチカカ湖の真ん中辺り、イスラ・デ・ソル(「太陽の島」)の北西方向にある岩礁から、儀式の供物として屠殺された動物の遺体や黄金製品を回収したことから、同地点が祭祀遺跡であると推測されています。

古代アンデス文明においてこのような儀礼的遺物の水中からの発見は前例がないそうで、特別な遺跡であることが分かります。

発見地点はチチカカ湖の「太陽の島」の北西端から約10kmの平面的位置における水面下5m以上の深さの場所です。

発見の経緯として最初はアマチュアダイバーが岩礁の広がるこの地点でいくつかの古代の遺物を見つけました。

その後、報告を受けた海洋考古学者はこの岩礁の一帯を探索し、ラピスラズリ製のピューマの置物やその他の動物を模した石製のミニチュア、土製品であるピューマの香炉、プーマとコンドルのシルエットのマークを有するL字型の造形物が見つかりました。

これらの遺物は全て奢侈性の非常に高い品々であり、儀礼を執行したティワナク文化の人々は、古代アンデス帝国で入手できた中でも最も貴重なこれらの品々を儀礼行為として湖底に沈めたことになります。

出土した黄金製品や磨かれた宝石の他に、およそ2,000km離れたエクアドルの海岸沖の暖かい海で獲れるとげのある貝殻が見つかりました。

こういった長距離交易でのみ得られる希少品も彼らは儀礼に用いたわけです。


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↑海底から見つかった遺物群(「The Guardian」の記事内画像より転載;credit: Teddy Seguin )


これらの貴重な品々と共に見つかったのは、焼けた魚とラマの骨の残骸です。

焼けた魚の残骸は儀礼の際に食べられたものであると考えられています。

遺跡に残る炭化物と骨片を基にした炭素年代測定の結果からは、CE8世紀~10世紀を通してこのような儀礼が行われていた可能性を示しています。

一方でラマの骨は、儀礼に際して生贄に捧げられたものであると推定されています。


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↑出土した黄金製品(「The Guardian」の記事内画像より転載;credit: C.Delaere/ULB )


この発見地点の傍に位置する「太陽の島」では10基以上のティワナク文化に関する遺構が発見されています。

その内の1つは、今回の発見地点である北西海岸近くに位置するもので、当該地域で最強の肉食動物であるピューマを象徴した儀式用複合施設です。

ティワナク文化の人々にとって儀式と宗教は古代国家おけるで非常に重要な関心ごとであったと考えられます。

恐らくはティワナク文化の貴族層の人物が、遠隔地の希少品や黄金製品、宝石で美しく飾られた若いラマをこの岩礁で儀礼的に屠殺するといった、国家の繁栄を願い続けた古代の儀礼行為の痕跡が今回発見された遺跡なのでしょう。

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条件にもよるようだけれども、水中でもこれほど動物骨や炭化物が保存されるとは……

やはり保存状態のいい遺物がたくさん出るのは嬉しいことです。

それにしても今回の発見は大発見です!

今回の儀礼に関する多量の遺物だけでも、博物館の特別展を開けそうですね!(。・ω・)ノ゙

↓やぱスキューバのライセンスが欲しい!( ・Д・)↓

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