2018ねん 4がつ 25にち(すいよーび、曇り)

日記を始めました。

今日やるべき仕事を書いて、達成したものにマーク付けて、

一日の終わりに一言コメントを書く。

しばらくこれで頑張ってみたい(毎日「明日も頑張ろう」になる予感…)。

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↑基準値以上の有害ガスが検出された、国宝資料の展示ケース(毎日新聞、該当記事より)

【目次】
  1. 有害ガスが検出されて、有名博物館が二年の休館へ
  2. ツタンカーメンの呪いについて
  3. マヤ版、王家の呪いについて
  4. おわりに ー海外における遺物の保管の難しさー

1.有害ガスが検出されて、有名博物館が二年の休館へ
奈良県にある橿原考古学研究所付属の博物館にある、国宝資料を収めた展示ケースから基準値を超えた有害ガスが検出されたとのこと。

ちなみに橿原考古学研究所は通称「橿考研(かしこうけん)」として、日本考古学の世界では特に有名な研究所です。

上に挙げた写真は奈良県斑鳩町にある藤ノ木古墳から出土した金銅製の副葬品とその展示ケースです。この展示ケースから基準値を超えた有害ガスが検出されたとのこと。

この検出された有害ガスは高濃度の有機酸ガスで、金属の錆を促してしまいます。原因は明らかになっていませんが、恐らく展示ケースに使用された接着剤が原因と推測されています。

またこの有害ガス対策に伴って、2年の休館が発表されました。1980年に開館した際の空調設備のままであることから、貴重な文化遺産である全ての資料の保管や展示といった適切な管理のためには不十分であり、空調設備の見直しが検討されています。

また国宝等の金属資料は、表面をアクリル樹脂でコーティング処理をされており、有害ガスが直接触れないように管理してあるので、現状では検出された有害ガスによる影響は確認されていません。


2.ツタンカーメンの呪いについて
この記事を見て、私は「有害ガス」が脳内で「有毒ガス」に変換されたのです。それでふと「王家の呪い」を連想してしまったのですね。

「王家の呪い」とか「ツタンカーメンの呪い」、「ファラオの呪い」って皆さん、ご存知でしょうか?アガサ・クリスティーの短編小説にも出ていたりします。

エジプトにて1922年にかの有名なハワード・カーターがいわゆる20世紀最大の発見を成し遂げます。王家の谷」にて古代エジプト18代王朝のツタンカーメンの墓が発見されるのです。

この発掘調査に携わった関係者がバタバタと急死したために、「王家の呪い」だと流布されることになります。

実際この都市伝説(?)を流布したのはマスコミですね。当時の新聞社がこぞって報道したわけです。

実際に、掘り手などの発掘関係者をはじめとして、カーターの飼っていたカナリアまで死んでしまったそうですが、王家の呪いではなかったようです。また墓荒らし対策として墓にかけられた有毒ガスや致死性のカビ・細菌といった古代の叡智によるトラップでもなかったようです。

というのも実際に墓を開けた際に立ち会った人間で急死したのはカーナヴォン卿だけであったからです。彼はツタンカーメン王墓の調査資金の提供者であり、貴族・考古学者・政治家であります。

死因は熱病と肺炎の併発なのでトラップではないですが、呪いの可能性はあるのでしょうか。

まぁ資金提供という意味で親玉だとするなら、王家の呪いでも間違いなさそうですね。呪いならハワード・カーターが死なないのも変な話ですが、カーターによる名誉総取りですし、それも踏まえてのカーナヴォン卿への呪い(ある意味での罰)なのでしょうかね。

そう考えると古代王家の呪い、侮れません!


3.マヤ版、王家の呪いについて
さて、「王家の呪いのマヤバージョン」をご存知でしょうか? ちょっと調べてみたのですが、これに関する情報は見当たりませんでした。

ある意味、本邦初公開!ある意味、信用ならない!(笑)というのも、私自身、何かの本で読んだのと現地にて聞いた話がごちゃ混ぜになっていて、原典に当たろうにも見つからなかったのです。もし今後見つけたら追記しますね!

ということで、マヤ版王家の呪いでは、マヤ考古学者のデニス・プルーストンが主人公となります。ミネソタ大学の准教授であった彼は、グアテマラにあるマヤの主要都市遺跡であるティカル遺跡にてセトルメントパターン調査を実施したことで有名です。

この時に防御壁や防御壕を発見しており、古代マヤ人の世界が決して「戦争のない平和な世界」ではなかったことを考古学的証拠に基づいて証明しました。またこのセトルメントパターン調査によって、それまでティカル遺跡の中心部の神殿などが調査対象とされてきた中で、周縁の一般層の人々の住居も調査対象となりました。

そのため当時の一般層の人々の暮らしに関するデータが取得され、またティカル遺跡における人口を推定する研究を行いました。また彼は、当時のマヤ考古学界の権威たちの意見に対抗する形で、古代マヤ人は遺跡周辺部に多く自生するラモンの木(パンの木)を食用として用いており、現在の植生は当時の選択栽培の結果を反映しているとしました。

このラモンの木の説はたまたま自生しているだけで、僅かに食用としていた可能性はあるが、主要なエネルギー源ではなかっただろうと否定されています。しかしながら現在のグアテマラなどの一部の地域では、「古代マヤ人の食べたパン」としてお土産的な名産品なのでしょうか、観光資源として活用されています。

さて!申し訳ないことに、めちゃくちゃ長くなりましたが、デニス・プルーストンはティカル遺跡での調査後に、メキシコのチチェン・イツァ遺跡で調査を行ったそうです(この辺りから怪しくなりますのでご注意を)。

彼は1978年、38歳の若さで亡くなるのですが、その原因が「落雷」。チチェン・イツァ遺跡の有名ピラミッドであるエル・カスティーヨの上で雷に打たれて亡くなったとか…これが古代マヤ王家の呪いです!(ちなみに現在は登ることが禁止されています。呪われますので!)

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↑「歩け、マヤ」のトップ画でも使ってるコレがエル・カスティーヨです!

まぁほんとに呪いかどうかはさておき、マヤ地域って雨が凄いんですよ。いわゆるスコールというやつでバケツの水ひっくり返しまくってますね。

メキシコのチチェン・イツァ遺跡はユカタン半島の北部にありますので降水量は少ないのですが、雨季にはそれなりに降るのだと思います。

それなりに雨が降っている。雷が鳴っている。それなのにピラミッドの上にいるってどういうことなのでしょうか?

写真で見てわかるようにマヤの神殿というのは大きいんですよ。マトリョーシカ人形みたいに入れ子状になっていて、古い神殿基壇を利用して一回り大きく増改築していくので、最終段階の建造物はどれも大きいのです。木より背が高いのです。

マヤの神聖な樹であるセイバは60mにも達しますけど、そのような樹は特別なのです。セイバも生える熱帯雨林の中にあるティカルの4号神殿は72mあります。エル・カスティーヨは24mですけど、北部地域は低木林域なのでやっぱり周辺の木々より背が高いのです。

実際にティカルなどの事例では、木より背の高い神殿ピラミッドが落雷を受けて損壊する事件が何度か起きています。雷鳴ってたら、木の下とか背の高いものの傍にいたらダメじゃないですか。貴金属は外しなさいって言うじゃないですか。

なのにあなたはどうして、雷雨の中で木より高く、周辺の木々から孤立した平地にそびえ立つ神殿ピラミッドに登ったりしたのですか!? もうそれほぼほぼ古代の避雷針ですよ!?(やばい、これ新説!)

私からすると、呪いかどうかより、(この話が真実ならば)彼の行動の方がよっぽど謎です。まぁ彼も考古学者ですし、若いですし、調査中ですし、、、きっと酔っていたんでしょうね!


4.おわりに -海外における遺物の保管の難しさ-
さて、呪いの話で盛り上がっていましたが、最後に遺物の保管や文化遺産の保護について一言述べて終わりにしたいと思います。

日本のレベルでも展示ケースから有害ガスが出てしまうなどといった展示上の、あるいは保管上の難しさが常にあります。でも日本の凄いところは、有害ガスを検出したってことなんですよね。この手のニュースだと、「大事な国宝が~!」ってなりますが、むしろよくぞ検知したなと、そしてよくぞ速攻2年もの休館を決定して対策に講じたなと思います。

世界遺産は世界中色々な場所にありますけど、超有名な場所の多くはいわゆる「発展途上国」に位置しています。保管なんてずさんなものですし、仮に有害物質が出てても誰も気付きません。気付く手段がありません。

仮に気付いても設備を再び整えるお金がありません。外貨獲得の手段として観光資源に頼っていますから、2年の休館なんてそもそも国が許しません。

高温多湿なマヤ地域では、日常的な環境変化も著しいですし、漆喰や彩文の塗料も大きな影響を受けます。日差しもとても強いです。資料もどこにあるのか分からなかったり、保管タグが虫に食われて情報が失われたりと研究者としては困った地域です。

そのような現状を打破すべくデジタルアーカイブによる遺跡・遺物の恒久的な保存や、保存科学の進展が昨今見受けられる一方で、日本における海外支援の一環として文化遺産保護を唱える研究の内、結局神殿とか目立ったものの発掘を行うものが散見されます。

インパクトがないとお金を取れないのかも知れませんが、私たちはトレジャーハンターではないのです。いつまでも発見至上主義に捕らわれていてはいけないでしょう。新しく調査して文化遺産の活用を考えるのではなく、今ある膨大な資料を基にした計画があっても良いのではないでしょうか。

近年の流行りでしょうか、文化遺産の保護とか文化資源の活用とか言葉は綺麗ですけど、本当はそれは一体誰のためのプロジェクトなのでしょうか?

…なんて重い話になってしまうのは、一体誰の呪いのせいにすれば良いですか?