急遽転勤することになりました、たぶん( ・Д・)
やぱ死ぬまでに一度はエジプト行きたい!( ・Д・)
「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙
やぱ死ぬまでに一度はエジプト行きたい!( ・Д・)
少なくとも私は観に行きたい!( ・Д・)
おわりに
簡易の考古学調査や踏査が進行するにしたがって、タイロナ文化はCE200年頃から発達し、エル・ドラドの伝説の基となったムイスカ文化と交易関係にあることが分かりました。
そのためムイスカの民と同じように、タイロナの民は金や銅を始めとする貴金属細工技術に優れていることが分かりました。
また16世紀半ばのフアン・デ・カステリャノスを始めとして多くの年代記によれば、タイロナの民は贅沢な服飾をしており、皆が模様入りのケープ、羽根の頭飾り、ビーズの首飾り、大ぶりの真珠、カーネリアン(紅玉髄)、そして黄金を身につけていると報告しています。
こうした年代記や考古学的な発見によって、エル・ドラド伝説は再び日の目を見ることになり、つまり盗掘者に狙われることになりました。
中南米のジャングル地帯は「インフィエルノ・ベルデ(緑の地獄)」と呼ばれることもあり、現在でも考古学者の侵入を阻んでいます。
一方で盗掘者たちはお構いなしなのでジャングル地帯は「盗掘天国」と揶揄されることもあります。
翡翠しか出ないマヤ地域でも被害は甚大なのに、黄金という分かり易い「財宝」があると南米での遺跡保護は非常に難しい問題だと思います(TДT)
20世紀終わりから現在まで、遺跡を保護すべく数々の大規模なプロジェクトも実施されてきました。
結果、上に挙げた写真に見られるテユナ遺跡が整備されたのです。
この遺跡では円形の家々、舗装された道、階段、テラス、広場、儀式の場、運河、倉庫など、200基余りに及ぶ各種の構造物が復元されており、現在公開されています。
しかしこの都市は険しい山の尾根に沿って作られているので、観光と言えど到達はかなり大変なようです( ・Д・)
このテユナの建設は9世紀と考えられおり、マヤ研究をしてる立場としては新しいなと感じます。
しかしそのテユナという名前は当時のチブチャ語で「地上の人々の起源」を意味するそうです。
テユナの最盛期の人口は2000~8000人と推定されており、タイロナ文化の中心地として機能しました。
またタイロナ文化は文字を持たず、車輪も、動物に荷を引かせる技術もありませんでしたが、十分な余剰農産物を何世紀にも渡って生産できていました。
そのため金細工を始めとする高度な文化を築くことが出来たわけです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
・・・・・・ところで、私達日本の食料自給率は僅か37%です。
まぁ科学技術が発達していようとも特殊な自然環境を整えるより、海外から買った方が早いかつ安い、日本では通常獲れない野菜や肉類もあるでしょう。
かく言う私も世界中の食べ物を国内で食べられる日本が大好きです(*^・ェ・)ノ
それにしても37%は酷過ぎます。
地震大国日本とか頻繁に目にするけど、いざという時どうするの?
同盟国、親日国に頼るの?
政治家よ、大臣よ、人々よ、文系大学要らね~とか言ってる場合ではなく、、、
国とは何か、良き政治とは何か、滅びを避けるために我々は何をすべきか、
そろそろ古きに、歴史に学ぶべき時かも知れませんね( ・Д・)
↑お座りしたネコの像(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)
↑気になるお顔のネコの像(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)
↑大小様々なネコの像(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)
↑ネコ科動物のミイラ(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)
↑ネコのミイラ①(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)
↑ネコのミイラ②(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)
写真を見てて、どれがライオンの赤ちゃんのミイラなのか分からないんですけども……
恐らく「ネコのミイラ」と同定できているものは「ネコ」なのでしょう。
で、「ネコ科動物」と同定しているものが恐らく「ライオンの赤ちゃんのミイラ」なのだと思います。
なので展示ケースに8体横たわっている写真の中にライオンの赤ちゃんのミイラがあるはずですが、どの個体がそうなのかは分かりません。
8体中、4体ですし、恐らく小さい個体がそれに相当するのかなと思います( -д-)ノ
↑ネコ科の動物のミイラらしい(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)
↑ライオンの赤ちゃんのミイラの全体像(「Yahoo Japanニュース」の記事内画像より転載;credit: エジプト考古省)
で、ライオンの赤ちゃんのミイラは全5体なのですが、残りの1体がこれ!
何かこういう「人面獣」的なマンガを読んだことがあります……
写真の撮り方にしてもなかなかインパクトあるなぁと思いますΣ(・ω・ノ)ノ
さて、これが古代エジプト神話に登場するネコの女神、バステト神です。
昔から、ライオンはデカいネコ!ライオンの赤ちゃんはもはやネコ!って思ってたのかなと、私はふと思ったわけですが、どうやら違うようですね。
バステト神は上に示したようにネコの頭部を有する女神ですが、本来はライオンの頭を有していたそうです。
そこから他のライオンの頭部を有する神と区別化されて、ネコの頭部を有する穏やかな性格の神様となったという経緯があるそうです。
なのでこのバステト神の神殿で、ネコだけではなく、ライオンの赤ちゃんのミイラが出土するのは不思議なことではないようです。
↑可愛い画像でPV数を稼ぐ作戦(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!(「SEKAI NO NEWS」の記事内画像より転載;credit: African Saffari Japan)
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普通は古代の儀礼行為等に関して「可哀相」とか、私は思いません。
やはり中立的な立場で過去を見るからでしょう。
ただ、直前に可愛いライオンの赤ちゃんを見たせいか、一瞬ミイラ見た時に可哀相って感覚に襲われてしまいました。
そういう意味ではあまり良い構成の記事ではなかったかなと反省しております。
でもせっかくなので、皆さんもそういう感情に襲われてみて、「何故、自分は可哀相と思うのだろう」、「何故、古代の人々はこういうことをしたのだろう」と考えてみるのも良いのかなと思います。
歴史を学ぶ意義は色々あると思いますが、その内の一つが「他者の理解」ではないでしょうか。
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……久々に記事を書いた気がします。
実際に久々だったわけですが、この調子で今月、残り3本書いていきたいなと思います。
けっこう動物のミイラ関連ネタがあるので、ミイラ特集でいこうかな!(・∀・)つ
ぼちぼちと更新していきますので今後ともよろしくお願いいたします( -д-)ノ
↓実は色が綺麗だなって思いでこの順で配置しています( -д-)ノ↓
墓職人と言っても、「王墓造営の職人」なので、比較的高い身分だったようです。
さて、今回の発見の舞台は現在のエジプトの中部にあるミニヤ(Minya)県に所在する遺跡、トゥーナ・エル・ガバル(Tunah Al-Gabal)です。
遺跡はエジプトの首都カイロの南方およそ260kmに位置しています。
この遺跡は墓地遺跡で、所謂「ネクロポリス」です。
エジプト考古省の発掘調査によって同遺跡の地下に墳墓があることが確認されました。
地下墳墓は、地下およそ9mの位置に造られており、墓室はこれまでに6つ確認されています。
発見されたミイラは全部で40体以上にのぼり、内22体が成人、12体が子供、6体が動物でした(他に保存状態が良好ではないミイラが発見されている)。
これらの大量のミイラはその多くが墓室床面に設置されており、一部の限られたミイラだけが最初に挙げた写真のように棺に納められていました。
この棺は石棺ではなく、粘土由来の陶製棺であり、蓋がないのが特徴です。
陶製棺に納められた人々は、より高い社会階層に属した人々であったと考えられています。
↑たくさんのミイラが安置されていた(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;)
古代エジプトにおけるミイラ作りの歴史は長いですが、共伴して出土したパピルスの分析から、地下墳墓とこれらのミイラは古代エジプトのプトレマイオス朝(紀元前323~30年)の時期にに帰属すると推定されています。
今回発見された6体の動物のミイラのほとんどが「イヌ」であると同定されており、ヒトのミイラと共に安置されていました。
発見された船の墓は古代エジプト第12王朝のセンウセレト3世(Senusret III)の王墓のすぐ隣に位置しています。
このセンウセレト3世は中王国の最盛期のファラオであり、船の墓は紀元前1840年頃に彼のために建造のものだと推測されています。
「ギザの三大ピラミッド」で有名なピラミッドの建造はちょうどセンウセレト3世の頃までの風習で、その後は新王国時代のツタンカーメン王墓に代表されるような「王家の墓」にひっそりと隠されるように埋葬される習慣になります。