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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:古代エジプト

2021ねん 4がつ 12にち(かよーび、くもり)

最近、考古学ネタに尽きないなぁと思う、記事書く時間は限られているが(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「パン屋も土器屋もガラス屋も残っている3400年前の都市が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はエジプト、ルクソールです。

ルクソールはエジプト南部に位置していて、古代エジプトの都であるテーベがあった場所です。

なのでルクソールには観光スポットとしても名高い多くの遺跡が残っています。

例えばツタンカーメンの墓で知られる王家の谷とか、カルナック神殿、ルクソール神殿などです(*・ω・)ノ

そんなルクソールで、またもや大発見がありました。

約3400年前の都市の跡が新たに見つかったのですΣ(・ω・ノ)ノ


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上に挙げた写真が今回、新たに見つかった都市遺構です。

砂によって綺麗に埋もれていたようで、保存状態が非常に良好です。

住居等の建造物の壁面がしっかり残っていますし、右手に蛇行する壁が特に綺麗に残っていますね(*・ω・)ノ

この写真ではあまり広く見えないかもしれませんが、発掘調査自体がまだまだ始まったばかりなので、試掘の段階で都市遺構の広がりがこれまでの古代エジプトの都市遺構の中で最大級であると予測されています。

調査が済めば古代エジプトにおける「最大規模」の都市遺構としてまたニュースになりそうな予感です(*・ω・)ノ


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先ほどの上方から撮った写真だと遺跡の広がりは分かるものの、壁の残り具合が判然としません。

一方でこのアングルの写真だと、建造物の壁がしっかりと残っていることが確認できます。

一部、3mにも及ぶ高い壁が残っているそうですΣ(・ω・ノ)ノ

これだけしっかり残っていると、レンガの組み方も分かりますし、接着に使っている材料も特定できてしまいますね(*^・ェ・)ノ

このレンガは泥煉瓦と記述されていて、恐らくは日干し煉瓦のようで、私たちのよく知っている焼成煉瓦ではないようです(ちなみに現代の焼成煉瓦は粘土に30%の砂を混和した後に高温焼成して作っています)。

砂に埋もれている間はそのまま保存されますが、このように露出してしまうと、砂嵐でなくとも日常の風と砂埃で十分に風化してしまいます。

なのでいかに保存するかが重要になります。

また観光客のいたずら書き、といっても『壁面を削って書く行為』は残念ながら世界的によく見られます( ・Д・)

そういった問題もカバーできるならば、近い将来、この都市遺構は新たな一大観光スポットとなるでしょう!(*^・ェ・)ノ


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上に挙げた写真に見られるようなヒエログリフ(神聖文字;古代エジプトの象形文字)の解読結果によって時期が特定されています。

今から約3400年前なので、古代エジプト新王国の最盛期頃、有名なアメンホテプ3世やツタンカーメンが統治していた頃の都市遺構なのです。

この都市遺構からは、パン作りの工房や、ガラス製品の工房、陶器作りの工房が発見されています。

それらの写真は残念ながらありませんが、恐らく上に挙げた写真のような良好な保存状態の遺物と遺構によって特定できたのでしょう。

あるいはヒエログリフが決め手かも知れませんね。

これについては続報を待ちたいところです( -д-)ノ




おわりに ~日本の文化財活用の課題~

やはりエジプトはモノが残っていいな~って思いますね。

古代マヤ文明も何でもかんでも無くなってしまいがちですが、少なくとも石造建築文化なので、ピラミッドとか目を見張るモノが残っています。

一方で日本は酸性土壌なので、やはり骨やらなにやら無くなりがちですし、木造建築文化なので現存しているものを除けば、考古学的発見として目立つものが少ないな~と感じてしまいます。

しかしながら日本は河川が多いので、木製品などのレアな貴重な遺物もけっこうあるのです。

古代人の脳みそとか、古代のクワガタとか色々と当サイトの記事でも紹介しましたよね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

なので、日本における文化財保護と活用は、エジプトのそれとは全く違う方向で考えていかねばなりません。

・・・かと言って具体案があるわけではないのですが、、、

例えば、普段は厳重な補完体制にある日本の各所のレアな遺物を一堂に会した特別展なんてどうですか?ヾ(´ω`=´ω`)ノ

日本の科学力のひとつとして、保存科学の到達点を広く知らしめる機会にもなりますし、話題性も強い!

少なくとも私は観に行きたい!( ・Д・)



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2020ねん 10がつ 27にち(かよーび、晴れ)

「昨日」って打ったら「帰納」と出てきた、、、働き過ぎか( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「またエジプトか!?最古のチーズと最古の感染症が発見されたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



さて、舞台はエジプト、古代都市メンフィスです。

ここで紀元前13世紀のお墓が見つかりました。

被葬者はプタメス(Ptahmes)という名の高官です。


彼の墓は最初1885年に見つかっていたのですが、その後、砂嵐によって砂に埋もれて行方が分からなくなってしまい、2010年に再発見されたのだそうですΣ(・ω・ノ)ノ

砂に埋まるなんて映画「ハムナプトラ」みたいな話ですね( ・Д・)




さて、彼は高官ですから墓には副葬品があったわけですが、その内の一つに上に挙げたような土器が見つかりました。

中には何やら「白っぽい塊」が詰まっています。

副葬品であること、そしてその配置から、考古学者らによって発見当初より「食べ物」の可能性があると指摘されていました。

この謎の白い物体を理化学分析によって成分を判定したところ、チーズであることが分かったのです。

しかもどうやら現代の「シェーブルチーズ」に似ているそうです(*・ω・)ノ



シェーブルとはフランス語で「山羊(ヤギ)」を意味します。

こうした山羊乳を用いたチーズ作りは、私たちにとってより一般的な牛乳を用いたチーズより古いものです。

どうやら山羊乳特有の癖のある風味を有しているようです( ・Д・)



古代のチーズは地位の高い裕福な人物が食していたようです。

シェーブルチーズは水分を多く含んでいるために、日持ちせずすぐ腐ってしまうそうですが、これまでにも貴人の墓の副葬品として何例か確認されているそうです。

今回のこの事例では約3200年前の事例なので最古級のチーズの事例となります。






実は複数ある古代のチーズっぽい事例で、紀元前7000年、つまり今から9000年も前のものが確認されているそうです。

紀元前7000年というと古代エジプトで定住が開始された頃でしょうか……

ただしこの事例では土器内面の残滓から脂質残滓、脂肪残滓を抽出できたことに由来する発見であり、チーズなのかヨーグルトなのかよく分からないそうです。

また実際にその二つの区別はかなり難しいようですね( -д-)ノ


他にも紀元前3200年、今から5200年も遡る、古代のチーズではないかと疑われる物質が古代エジプトの瓶から発見された事例もあるそうです。

こちらも本当にチーズかどうかは不明ですが(*^・ェ・)ノ



さて、今回紹介している3200年前の古代チーズは、これまでに発見された中で最も古いものではない可能性もあるのですが、実は別の理由で際立っています。

成分分析の中で、何百ものペプチド、つまりアミノ酸の鎖が発見されたのです。

そのほとんどは人間の皮膚や唾液に由来する一種の汚染であしたが、少なくとも9つのペプチドは牛や卵の乳に関連していることが分かりました。

その分析の結果、ブルセラ症の原因となる細菌の証拠を発見したのです。



これは現在でも存在する発熱、頭痛、筋肉痛などの症状が再発したり、その症状が全く治まらなかったりする人獣共通感染症です。

別名は「マルタ熱」で、1887年のクリミア戦争時にイギリス軍の軍医・デイビッド・ブルース (Sir David Bruce) に発見されました。


このブルセラ属菌は敵国の兵士や住民に罹患させて能力を低下させる生物兵器としても研究・培養された歴史を有しており、アメリカは1942年、ソ連は1978年に兵器化を実現したのです。

ちなみに日本では1970年代までにほぼ撲滅されました。


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↑エジプトっぽい画像を貼ってみた、特に意味はない(・∀・)つ


おわりに

コロナウィルスの登場により、感染症と聞くと思わず反応してしまいますよね。

コロナウィルスも中国が手を加えた生物兵器ではないか、なんて噂もチラホラと聞きましたが、どうなんでしょうね( -д-)ノ


生物兵器の開発・使用は国際法で禁止されています。

でもそれくらい非人道的であり、大量の死を招くものなのです。

コロナウィルスやインフルエンザですら多数亡くなってますからねヽ(TдT)ノ


核兵器より恐ろしいかもね!( ・Д・)


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2020ねん 5がつ 8にち(きんよーび、晴れ)

毎日チンチロ500回振るのに小一時間使うのはけっこう辛い!( ・Д・)


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今日の考古学・歴史ニュースは、「コロナの影響もあって、考古学のデジタルによる普及・広報活動が活発化してるよ(素敵な博物館編)」ってお話です(*・ω・)ノ


前回はコロナウィルスの蔓延に伴う自粛・休館措置に対する、日本国内における地方博物館の努力について紹介しました。



今回は海外の、しかも超有名組織における活動の紹介です!(*・ω・)ノ



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ルーブル美術館によるバーチャルツアー



フランス、パリにある、あの有名なルーブル美術館もコロナウィルス蔓延の影響を受けて、休館措置を講じているそうです。

海外の場合は日本と異なり、都市のロックダウンもしますし、政府の権限が強い印象です。

ルーブル美術館は国立美術館であり、政府からの通達があるまで無期限休館だそうです( -д-)ノ

そのような折り、同博物館が公式ホームページ上で『ヴァーチャルツアー』を公開しました。

公開されたのは「古代エジプト美術」、「ルーブル濠の跡」、「アポロンのギャラリー」の三つです。

上のリンクからヴァーチャルツアーのページに飛べますので、是非お試しあれ(*・ω・)ノ

試しにアポロンのギャラリーに入ってみたところ、ヴァーチャルツアー自体はフランス語と英語表記しかありませんでした。

そしてあまりヴァーチャルツアーっぽくない( ・Д・)

でも見出しに挙げたような画像を4種類ダウンロードすることができます。

今流行のネット会議の壁紙にいいかも知れませんね(*^・ェ・)ノ


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↑古代エジプト美術のヴァーチャルツアー(「古代エジプト美術」のページより転載)


上に挙げましたように、「古代エジプト美術」のヴァーチャルツアーもやってみたところ、こっちの方はちょっとヴァーチャルツアーっぽかったです!

ちゃんと博物館内を歩けるし、展示品データも見れるし(説明は英語)!

ちなみに「ルーブル濠の跡」も古代エジプト美術と同様のコンテンツでした。

天下のルーブルの仕事としては正直物足りないですが、ルーブルに行ったことの無い私にとっては「あ~、こんなとこなんだな~」って十分楽しめましたよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ




エジプト観光考古省のヴァーチャルツアーが凄い!

さて、次はエジプト観光考古省が公開しているヴァーチャルツアーです。

前の記事でも書いたように、現在エジプトの観光は大きな制限を受けています。




一番上に挙げた画像や、この見出し画像が、そのヴァーチャルツアーの写真なのですが、とても綺麗!!!

その割にサクサク動くんですよ。

遺物・遺構の紹介は英文や3D画像で行われおり、見やすいですよ。

英語が苦手でもてくてくと歩き回るだけで楽しいです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

さて、このページは「エジプト観光考古省のFacebookの公式ページ」から飛ぶことができて、かつこのページで新しく公開されるデータについての情報が得られるのですが、、、

言語の違いもあり、如何せん、探しづらいし飛びづらい!!!( ・Д・)

なので以下にリンクを貼っておきますねヾ(´ω`=´ω`)ノ













どれも面白いので是非、おうちで遺跡・博物館散策してみてくださいね!

マニア・専門家向けですけど、このヴァーチャルツアーの最も凄いところは……

距離が測れるってこと!( ・Д・)

さっき表示した石造彫刻の身長だって測れちゃいます!

あとはこれは一般向けに凄いところなんですけど、、、

VR表示に対応していること!( ・Д・)

これ凄いですよ、建造物の構造の違いはあれど、マヤ遺跡でも本気でやりたい!ヽ(TдT)ノ




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おわりに


私の所属する大学研究室でもヴァーチャルツアーやヴァーチャルミュージアム構想がありましたが、なかなかいいものが作れず困っていました。

そもそも機材やソフトはもちろんなのですが、事前に「どのように見せたいか?」を十分に考えなければいけないのです。

当たり前だろうと思うかも知れませんが、発掘調査のデジタル報告の一種として構想していたものなので、従来通りの発掘調査と上手くマッチアップしなかったのです。



で、結局、調査成果を優先して、なんだかんだいつも通りの発掘調査に・・・・・・てな感じでしたね。

今回私の現場では調査記録を動画にしてYoutubeにアップしてみるという試みを開始しました。

また下に挙げるような360度動画も撮りました(カメラ壊れて、これしか撮れなかったけど(TДT))。





考古学現場では、発掘調査が終わると埋め戻し作業を行います。

私のフィールドでは、掘り上げた土を使って直接埋めてしまいます。

穴開けたままだと落とし穴になってしまいますからねヽ(TдT)ノ

なのでこういった掘っている最中や掘りきった後の撮影って貴重なものなのです。

もちろん調査の性格上、写真撮影はしっかりと行います。

でも動画って撮らないんですよ、通常。



今回エジプト観光考古省で用いたのは「Matterport」という会社の製品のようですが、いいですね……

元々、考古学成果の普及をいかに行うべきか、デジタルデータといかに付き合っていくべきかが考古学における一つの課題であったと私は思っていますが、、、

コロナウィルスの影響でネット上における様々な活動が急加速していますよね。

研究予算の都合がありますが、私もエジプト観光考古省を見習って、

『新しい考古学の発掘現場作りと成果の公表』を行っていきたいと考えておりますヾ(´ω`=´ω`)ノ

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2020ねん 2がつ 29にち(きんよーび、曇り)

昨日、めちゃくちゃ寒かった。

そして今日、曇り続けてやや肌寒い感じ。

異常だ、これは一月初めの気温だよ!Σ(・ω・ノ)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「黄金都市エル・ドラド伝説に影響を与えた失われた古代都市が南米のジャングルに眠ってるよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

今回の話題は南米コロンビアでのお話です。

中米のマヤ地域でもそうですが、南米のコロンビアやブラジルには鬱蒼としたジャングルがたくさん残っています。

あるいは今回のケースのように国立公園として保護されています。

航空レーザー測量も導入開始された現代考古学ですが、そういったジャングルの中にはまだまだたくさんの古代都市遺跡が残されているものなのです(*・ω・)ノ




エル・ドラドとは?

さて、最初に挙げた絵画に見られるように、南米地域には「黄金都市伝説」があります。

大航海時代、多くの人々が冒険を求めて旅に出ました。

ドラゴンが守る塔にはお姫様が捕まっていて騎士が彼女を救うといった「騎士道物語」が本気で信じられていた時代です。

この手の小説の中にはディズニーで有名な「生命の泉」の話もあります。

こういった当時の伝説の一つが「黄金都市、エル・ドラドの伝説」です。

多くの人々が夢物語として未知の島や大陸には金銀財宝が眠っていると信じていたわけですが、ただエル・ドラドの伝説は噂に基づくもので小説等の作り話ではありません。

エル・ドラードとはスペイン語で「金箔をかぶせた」、または「黄金の人」を意味し、ムイスカ文化の儀式が基になっています。

ムスイカ文化では金の採掘が行われており、また加工技術が発達していました。

そして首長が全身に金粉を塗り儀式を行う風習をもっていました。

この話をスペインのコンキスタドール達がを聞き、南米アマゾンには黄金郷があるという伝説が生まれたのです。

特に、上に挙げた写真は 『ムイスカ人の黄金の筏(La Balsa Misca)』と呼ばれる資料で、これがヨーロッパ人に対してエルドラード伝説(黄金郷伝説)を生み出す大きなインパクトとなったのです。


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コロンビアに眠る「失われた都市」

さて、今回の話題はコロンビア北部が舞台となります。

3枚の地図画像の内、1枚目が最寄りの大都市サンタ・マルタの位置です。

マニアックな切り取り方をして、マヤ地域である中米のユカタン半島を敢えて画像内に収めてみましたが、有名なキューバも入ってますので何となく位置が分かるでしょうか?( -д-)ノ

2枚目の地図画像の位置がシエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ国立公園で、深い森に覆われた丘陵地帯です。

この国立公園内にはシウダー・ペルディーダ(失われた都市)の名を冠する土地があり、実際に古代都市遺跡があります。

3枚目はタイロナ国立公園の位置で、先コロンブス期のタイロナ文化が栄えた場所になります。

タイロナ文化の人々は大きな領域を有しており、シエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ国立公園の方まで広がっていました。

彼らは16世紀にスペイン人のコンキスタドールの侵入に対して抵抗し続けますが、17世紀後半まで都市を放棄します。

この放棄の理由はスペイン人が持ち込んだ疫病のためと考えられています。

先に述べたように「失われた都市」の地名を有する土地もあるのですが、実際にこの周辺域に残るタイロナ文化の都市遺跡が全て「失われた都市」として呼ばれているのです。




この地域に考古学者の手が伸びたのは1976年のことでした。

中南米あるあるなのですが、密林の中の行軍は有毒の植物や昆虫、蛇、ジャガーと脅威で一杯なため遺跡への到達はかなり最近の話ばかりなのです。

道が開けた現在でも到達するのが困難な遺跡がたくさん存在しています( -д-)ノ

当時は道なき道を、感覚便りの現地ガイドに従ってナタで切り開いての強行軍ですからとてつもない辛さだったでしょうねヽ(TдT)ノ

簡易の考古学調査や踏査が進行するにしたがって、タイロナ文化はCE200年頃から発達し、エル・ドラドの伝説の基となったムイスカ文化と交易関係にあることが分かりました。


そのためムイスカの民と同じように、タイロナの民は金や銅を始めとする貴金属細工技術に優れていることが分かりました。


また16世紀半ばのフアン・デ・カステリャノスを始めとして多くの年代記によれば、タイロナの民は贅沢な服飾をしており、皆が模様入りのケープ、羽根の頭飾り、ビーズの首飾り、大ぶりの真珠、カーネリアン(紅玉髄)、そして黄金を身につけていると報告しています。


こうした年代記や考古学的な発見によって、エル・ドラド伝説は再び日の目を見ることになり、つまり盗掘者に狙われることになりました。


中南米のジャングル地帯は「インフィエルノ・ベルデ(緑の地獄)」と呼ばれることもあり、現在でも考古学者の侵入を阻んでいます。


一方で盗掘者たちはお構いなしなのでジャングル地帯は「盗掘天国」と揶揄されることもあります。


翡翠しか出ないマヤ地域でも被害は甚大なのに、黄金という分かり易い「財宝」があると南米での遺跡保護は非常に難しい問題だと思います(TДT)



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↑テユナ遺跡の景観(「viator」の記事内画像より転載)



20世紀終わりから現在まで、遺跡を保護すべく数々の大規模なプロジェクトも実施されてきました。


結果、上に挙げた写真に見られるテユナ遺跡が整備されたのです。


この遺跡では円形の家々、舗装された道、階段、テラス、広場、儀式の場、運河、倉庫など、200基余りに及ぶ各種の構造物が復元されており、現在公開されています。


しかしこの都市は険しい山の尾根に沿って作られているので、観光と言えど到達はかなり大変なようです( ・Д・)


このテユナの建設は9世紀と考えられおり、マヤ研究をしてる立場としては新しいなと感じます。


しかしそのテユナという名前は当時のチブチャ語で「地上の人々の起源」を意味するそうです。


テユナの最盛期の人口は2000~8000人と推定されており、タイロナ文化の中心地として機能しました。


またタイロナ文化は文字を持たず、車輪も、動物に荷を引かせる技術もありませんでしたが、十分な余剰農産物を何世紀にも渡って生産できていました。


そのため金細工を始めとする高度な文化を築くことが出来たわけです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


・・・・・・ところで、私達日本の食料自給率は僅か37%です。


まぁ科学技術が発達していようとも特殊な自然環境を整えるより、海外から買った方が早いかつ安い、日本では通常獲れない野菜や肉類もあるでしょう。


かく言う私も世界中の食べ物を国内で食べられる日本が大好きです(*^・ェ・)ノ


それにしても37%は酷過ぎます。


地震大国日本とか頻繁に目にするけど、いざという時どうするの?


同盟国、親日国に頼るの?


政治家よ、大臣よ、人々よ、文系大学要らね~とか言ってる場合ではなく、、、


国とは何か、良き政治とは何か、滅びを避けるために我々は何をすべきか、


そろそろ古きに、歴史に学ぶべき時かも知れませんね( ・Д・)


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2020ねん 2がつ 23にち(にちよーび、晴れ)

けっこう働いてる方だと思うんだけどな~(´・ω・`)


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今回の考古学・歴史ニュースは「あの有名なクレオパトラとマルクスの墓は水中にあるらしいよ!」ってお話です(*・ω・)ノ


フランスの哲学者、パスカルはその著名な「パンセ」の中で後世に残る名言を残しています。

『人間は考える葦(あし)である。』

聞いたことありませんか?

そしてもうひとつが、

『クレオパトラの鼻がもう少し低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。』

です(*・ω・)ノ(訳し方は色々とあると思います( -д-)ノ)

このパスカルの記述によってクレオパトラは絶世の美女としての地位を確たるものにしたと思います。




古代のロミオとジュリエット

表題に『古代のロミ&ジュリ』と書きましたが、二人の最期について簡単に説明しますね。

BCE44年、「ブルートゥス、お前もか!?( ・Д・)」と言い放って、23カ所も滅多刺しにされて独裁で有名なカエサルが暗殺されます。

「お前もか!?」のセリフはシェークスピアの戯曲中のセリフで、自身の言葉としては「賽は投げられた」が最も有名かと思います( -д-)ノ

カエサル暗殺の後に成立する第二回三頭政治の支配者の一人が、マルクス・アントニウスです。

1人目の妻を亡くした後に、オクタヴィアヌスの姉、オクタヴィアを後妻として迎えますが、クレオパトラと出逢い恋に落ちます。

映画では絨毯にくるまれたクレオパトラが登場するシーンが印象的ですね(*・ω・)ノ

結果、マルクス・アントニウスは一方的にオクタヴィアと離縁し、クレオパトラや親族に支配領域を分割することで、「エジプト女王に骨抜きにされ、ローマ人の自覚を失った男」としてローマ市民に評価されることになります。

これを機にオクタヴィアヌスとの激しい対立が生じ、BCE31年にオクタヴィアヌスはプトレマイオス朝エジプトに対して宣戦布告します。

当然、エジプト側に付いたマルクス・アントニウスでしたが敗走することになります。

その最中、クレオパトラの自害を知ってマルクス・アントニウスは自刃します。

しかしこれは誤報であり、最後はクレオパトラの腕の中で死んだとされます。

その後すぐにクレオパトラは毒蛇に自らを噛ませて自殺します。

プトレマイオス朝エジプトを滅ぼした後、オクタヴィアヌスが認めたため、マルクスの遺言に従ってマルクスはクレオパトラと共に埋葬されました。





2人の墓はどこ?

こうしてローマ人であるマルクス・アントニウスとプトレマイオス朝エジプト最後のファラオ、クレオパトラ7世の墓が出来上がったわけです(*・ω・)ノ

BCE30年に自殺した2人の埋葬についてはローマ帝国五賢帝時代の歴史家であるスエトニウスと、帝政ローマ期のプルタルコスによって記述されていますが、その場所が不明でした。

上の写真の色んな意味で著名なエジプト考古学者、ザヒ・ハワス博士は、美人考古学者としても有名なキャサリン・マルティネス博士の指揮の下、二人の墓を探しました。

結果、エジプトの西方、アレクサンドリア近郊のオシリスを祭る神殿であるタップ・オシリス・マグナ神殿跡でプトレマイオス朝時代の墓を発見しました。

そこでは27体のミイラや貴族の墓、クレオパトラの横顔が刻印されたコインが多数発見されました。

しかしこの神殿を12年間もの間発掘し続けた結果、どうやらそこには二人の墓はないようなのです( -д-)ノ

これを受けて、つい先日(2020年2月)マルティネス博士を熱烈に支持していたハワス博士が「マルティネス博士の理論は間違っていた」とインタビューで述べました。

そして「クレオパトラはマルコ・アントニオと共にアレクサンドリア沖の水中の墓に埋葬されている」と述べています。

現在は世界中で水中考古学が盛んになってきており、水中考古学に助成金を出す団体も増えています。

今後、アレクサンドリア沖が集中的に調査される可能性がありますね!(・∀・)つ


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著名考古学者の闇
 
ザヒ・ハワス博士と言えば、ピラミッドを建設した人々の墓をピラミッドの傍から発見し、彼らは奴隷ではなかったとの説を唱えたことで有名です。

優秀な考古学でもあるとは思いますが、考古最高評議会事務総長としてムバラク政権下では実質的にエジプト考古学を支配していたような状態だったようです。

外国人研究者や自説とは異なる研究者に発掘許可を出さなかったようですね。

中米ホンジュラスでは僅かしかいない現地考古学者同士が対立し、負けた方は国外退去になった事例もあります。

グアテマラでも政権ごとに対立が存在し、4年ごとに配置が大きく入れ替わります。

アメリカでもハーバード大学やペンシルヴァニア大学等の著名な大学出身者による学閥形成の話を少し聞いたことがありますし、どこにでもグループ構図はあるようですね。

かく言う日本でも「旧石器時代ねつ造」の事件では、現在の著名考古学者の数名に関してかなり深い闇があるようですしねヽ(TдT)ノ

怖い怖い、触れてはいけません(/TДT)/

・・・・・・ところで美人考古学者のマルティネス博士は弁護士らしいんですけど、考古学者でもある?

幼少期からクレオパトラに関心があり、資金提供をして発掘調査指揮を執ったのは間違いないのですけど、考古学者なのか?博士なのか?微妙ですね。

ドミニカ共和国出身の所謂エリート層出身のようですけど、さくっと調べた程度では出てきませんでした(TДT)(スペル間違ったかな?)

考古学者の世界も資本主義ですから、お金ないと発掘できないですし、超高価な分析機材も買えないのです。

ナショナルジオグラフィックとかまさにいくつか王墓当てて、テレビ露出増やして有名になっていかないとお金くれないので(しかし一度OK出れば大量にくれる(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)、そういった助成金をくれる団体の性格も関係しているのでしょう。

ま、何はともあれ、皆さんが覚えておくべきはひとつ!

テレビに露出の多過ぎる研究者にロクな奴はいない!( ・Д・)

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2019ねん 11がつ 25にち(げつよーび、雨)

今月あと5日さえ頑張れば、楽になるんだ~!!!

しかし宣言したあと4記事書くことも達成したい(*・ω・)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは、『古代エジプトのネコの女神の神殿からライオンの赤ちゃんのミイラが出土したよ!』ってお話です(。・ω・)ノ゙

ライオンはネコ科なわけですが、ライオンの赤ちゃん見てると、「あ~これはネコだわ!カワ(・∀・)イイ!!」ってなるじゃないですか?

まぁそもそも古代エジプト神の中に「ネコの女神」がいることを初めて知りましたが、その神殿でネコの赤ちゃんのミイラが出土するってことは、、、

やはり古代エジプトでも「ライオンの赤ちゃん=ねこ!」って感覚があったのだと思います(・∀・)つ

ということで、とりあえずぬいぐるみのようなライオンの赤ちゃんの動画をどうぞ(*^・ェ・)ノ



↑もふもふ感が良き!カワ(・∀・)イイ!!(先ほど紹介した朝日新聞の動画です)




さて、本題に入りますと、エジプト考古省は首都カイロ南郊の古代都市サッカラ(Saqqara)で、新たに発見された遺物群の公開がなされました。

上に挙げた写真で分かるように、サッカラ遺跡公園の中で特別展として公開されています。

展示された遺物群は、古代エジプト人が崇拝していた猫の女神バステト(Bastet)を祭る神殿の下から出土したものだそうです。

帰属時期は紀元前7世紀頃の古代エジプト第26王朝時代と推測されています。

展示の目玉は、上に挙げたような猫の像75体と、象形文字による装飾が施されたライオンの赤ちゃんのミイラ5体です。


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↑お座りしたネコの像(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



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↑気になるお顔のネコの像(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



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↑大小様々なネコの像(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



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↑ネコ科動物のミイラ(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



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↑ネコのミイラ①(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



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↑ネコのミイラ②(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



写真を見てて、どれがライオンの赤ちゃんのミイラなのか分からないんですけども……


恐らく「ネコのミイラ」と同定できているものは「ネコ」なのでしょう。


で、「ネコ科動物」と同定しているものが恐らく「ライオンの赤ちゃんのミイラ」なのだと思います。


なので展示ケースに8体横たわっている写真の中にライオンの赤ちゃんのミイラがあるはずですが、どの個体がそうなのかは分かりません。


8体中、4体ですし、恐らく小さい個体がそれに相当するのかなと思います( -д-)ノ



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↑ネコ科の動物のミイラらしい(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;credit by Khaled DESOUKI / AFP)



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↑ライオンの赤ちゃんのミイラの全体像(「Yahoo Japanニュース」の記事内画像より転載;credit: エジプト考古省)



で、ライオンの赤ちゃんのミイラは全5体なのですが、残りの1体がこれ!


何かこういう「人面獣」的なマンガを読んだことがあります……


写真の撮り方にしてもなかなかインパクトあるなぁと思いますΣ(・ω・ノ)ノ



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↑バステトの姿(「wikipedia」より画像を転載)



さて、これが古代エジプト神話に登場するネコの女神、バステト神です。


昔から、ライオンはデカいネコ!ライオンの赤ちゃんはもはやネコ!って思ってたのかなと、私はふと思ったわけですが、どうやら違うようですね。


バステト神は上に示したようにネコの頭部を有する女神ですが、本来はライオンの頭を有していたそうです。


そこから他のライオンの頭部を有する神と区別化されて、ネコの頭部を有する穏やかな性格の神様となったという経緯があるそうです。


なのでこのバステト神の神殿で、ネコだけではなく、ライオンの赤ちゃんのミイラが出土するのは不思議なことではないようです。



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↑可愛い画像でPV数を稼ぐ作戦(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!(「SEKAI NO NEWS」の記事内画像より転載;credit: African Saffari Japan)



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普通は古代の儀礼行為等に関して「可哀相」とか、私は思いません。


やはり中立的な立場で過去を見るからでしょう。


ただ、直前に可愛いライオンの赤ちゃんを見たせいか、一瞬ミイラ見た時に可哀相って感覚に襲われてしまいました。


そういう意味ではあまり良い構成の記事ではなかったかなと反省しております。


でもせっかくなので、皆さんもそういう感情に襲われてみて、「何故、自分は可哀相と思うのだろう」、「何故、古代の人々はこういうことをしたのだろう」と考えてみるのも良いのかなと思います。


歴史を学ぶ意義は色々あると思いますが、その内の一つが「他者の理解」ではないでしょうか。



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……久々に記事を書いた気がします。


実際に久々だったわけですが、この調子で今月、残り3本書いていきたいなと思います。


けっこう動物のミイラ関連ネタがあるので、ミイラ特集でいこうかな!(・∀・)つ


ぼちぼちと更新していきますので今後ともよろしくお願いいたします( -д-)ノ



↓実は色が綺麗だなって思いでこの順で配置しています( -д-)ノ↓


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2019ねん 9がつ 24にち(かよーび、晴れ)

仕事のペースを上げようと思う今日この頃。

新しいモチベーション上げる方法を考案して実践開始してみたよ( -д-)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは、「古代エジプトのミイラが消毒作業の前に一般公開されたよ!」ってお話です(。・ω・)ノ゙

上に挙げた写真&サムネの画像は同じものですが、これは「宇宙人の解剖」の写真です。

フェイクだと思いますけど、おふざけで載せてみました。

インパクトあるかな~って( -д-)ノ

本記事とは無関係なのであしからず!(*_ _)ペコリ

ではでは、公開されたミイラの様子を見ていきましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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さて、このミイラが公開されたのはエジプトの首都カイロにある国立エジプト文明博物館National Museum of Egyptian Civilization)です。

このミイラは墓職人であるセンネジェム(Sennedjem)という名の男性のものだそうです。

セティ1世(Seti I)とラムセス2世(Ramesses II)の治世下に使えた人物で、古代エジプト第19王朝(紀元前13~12世紀)の時期のミイラだそうです。

墓職人と言っても、「王墓造営の職人」なので、比較的高い身分だったようです。


そのため下に挙げる画像のような非常に美しい墓に埋葬されました。

住んでいた職人の村の名前も「真理の場」という名称で、彼自身も「真理の場の下僕」という称号を得ていました。

彼の埋葬遺構の発見は1886年なので、詳細は不明ですが、今回行われる消毒作業とは保存処理の一環として定期的に行われるものなのかも知れませんね。

・・・・・・私としては、海外ドラマに出てくる急患の人みたいに、フツーにベッドで運ばれていくミイラの姿が何ともシュールな気がするのですが、私だけでしょうか?( ・Д・)




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最後にまたおふざけ画像を載せておきました。

こういうの考える人いるんだな~と感心してしまいます(*・ω・)ノ

個人的にはふざけてても全然構わないので、考古学系(各種遺物とか神様とかミイラ、土偶とか?)で色々と量産して広く一般の人を惹き付けるような新たな考古学ブームを巻き起こして欲しいなと思いますねヾ(´ω`=´ω`)ノ


↓ダイエットしてるせいか、ミイラってスマートだなとふと感じてしまった( ・Д・)↓

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2019ねん 6がつ 3にち(げつよーび、晴れ)

今日は暑い!

そーめんが美味しい季節になってきた~

ここ最近はつけ麺ばかりだけども、そうめん、ひやむぎの出番かな~( ・Д・)


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さて、今回の考古学・歴史ニュースは、「2000年前の古代エジプトで犬もペットとして手厚く葬られていたよ!」ってお話です。

ペットの歴史とか、日本の縄文時代における犬の手厚い埋葬例の話も過去にありましたね。

確か渡来人が犬を食べる風習があったけど、縄文系の人々にその風習は根付かず狩りのパートナーであり家族でもあった犬を手厚く葬っていた事例が考古学的に確認されたという紹介だったような。

……うむ、過去の記事が見当たらない!( ・Д・)

ライブドアブログの記事検索は使いにくいからと人のせいにしておきます( -д-)ノ


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さて、今回の発見の舞台は現在のエジプトの中部にあるミニヤ(Minya)県に所在する遺跡、トゥーナ・エル・ガバル(Tunah Al-Gabalです。


遺跡はエジプトの首都カイロの南方およそ260kmに位置しています。


この遺跡は墓地遺跡で、所謂「ネクロポリス」です。


エジプト考古省の発掘調査によって同遺跡の地下に墳墓があることが確認されました。


地下墳墓は、地下およそ9mの位置に造られており、墓室はこれまでに6つ確認されています。


発見されたミイラは全部で40体以上にのぼり、内22体が成人、12体が子供、6体が動物でした(他に保存状態が良好ではないミイラが発見されている)。


これらの大量のミイラはその多くが墓室床面に設置されており、一部の限られたミイラだけが最初に挙げた写真のように棺に納められていました。


この棺は石棺ではなく、粘土由来の陶製棺であり、蓋がないのが特徴です。


陶製棺に納められた人々は、より高い社会階層に属した人々であったと考えられています。



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↑たくさんのミイラが安置されていた(「AFP BB NEWS」の記事内画像を一部加工;Credit: MOHAMED EL-SHAHED / AFP



古代エジプトにおけるミイラ作りの歴史は長いですが、共伴して出土したパピルスの分析から、地下墳墓とこれらのミイラは古代エジプトのプトレマイオス朝(紀元前323~30年)の時期にに帰属すると推定されています。

 

今回発見された6体の動物のミイラのほとんどが「イヌ」であると同定されており、ヒトのミイラと共に安置されていました。


イヌは1万5000年前頃にオオカミと分化し、当時の人々の狩猟生活を支える上で実用面で非常に重要でした。

1万2000年前までには人間には欠かせないパートナーとなっていたと考えられています。

今回の発見からは、2000年前の古代エジプトの人々にとって犬が実用面だけではなくペットとして家族として非常に大切な存在だったことを示しています。

現在の私達のペットを想う気持ちと関係が、既にこの頃には誕生しており、ミイラとして共に埋葬するという形に現れているわけですね(*・ω・)ノ。


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ミイラと言えばやはりエジプトを思い浮かべますが、ミイラは歴史的に世界各地で見られる風習です。

また自然環境の影響を受けて自然にミイラができる地域もありますね。

以前、世界のミイラについてまとめて書いたような気がしますが見つかりませんでした( ・Д・)

何の考古学・歴史ニュースに併せて書いたのだったか……ヽ(TдT)ノ

探しておきますが、ひとまずミイラ関係の記事を紹介しておきます。


↓「ミイラ」関係のバックナンバー
↑良かったら併せてどうぞ!(。・ω・)ノ゙

↓あ、縄文のイヌに関する記事が見つかりました~!
↑こちらも良かったらど~ぞ~ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓SEO対策として「歴史」って無駄に書いてみるぞ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2019ねん 4がつ 18にち(もくよーび、晴れ)

最近、一週間が早い。

片っ端から書類を書き上げないとあっという間に締切が来るヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは『3800年前の古代エジプトでは船もお墓に埋葬したよ!』ってお話です(*・ω・)ノ

遺構の発見自体は1901年のことで、今から100年以上も前になります。

しかし発見当時の調査の際に、お墓の天井が崩れてしまったために発掘調査を中断したという経緯があります。

そして100年以上経った現在、高い技術と慎重な調査によって3800年前の船の墓が露わとなったわけです(・∀・)つ


↓船と言えば、こんな話題もありましたね(*・ω・)ノ
↑併せてどうぞ!(*^・ェ・)ノ


発見の場所はナイル川西岸に位置する古代エジプトの聖地アビドスです。

発見された「船の墓」は日干し煉瓦(アドベ)で造られていました。

この日干し煉瓦製の壁を白色塗料でコーティングし、その上から刻線によって、最初に挙げた写真に見られるような船の絵を描いています。

墓の規模は長軸20m、短軸4mと大きなものです。

その長大な壁面に描かれた船の数は120隻以上ということで、「大船団」を描いているようです。




発見された船の墓は古代エジプト第12王朝のセンウセレト3世(Senusret III)の王墓のすぐ隣に位置しています。


このセンウセレト3世は中王国の最盛期のファラオであり、船の墓は紀元前1840年頃に彼のために建造のものだと推測されています。


これまでにアドビス遺跡では5000年前に造られた14隻の木造船が発見されています。

どれも古王国時代、第1王朝時代の葬祭殿の外側に並んだ日干し煉瓦製の遺構で見つかっていることから、今回の発見は古代エジプトの最古の王朝まで遡る伝統であると考えられます。

 

「ギザの三大ピラミッド」で有名なピラミッドの建造はちょうどセンウセレト3世の頃までの風習で、その後は新王国時代のツタンカーメン王墓に代表されるような「王家の墓」にひっそりと隠されるように埋葬される習慣になります。 





ピラミッドも造り、自分の墓も造り、エジプトでは貴重な木材を多量に使って建造された船を殉葬させる辺りがセンウセレト3世の中王国の最盛期のファラオとしての権威の強さを象徴しています。

上に挙げた写真は新王国時代の王墓から出土した船の模型です。

センウセレト3世の王墓に伴う船のお墓には船の実物が埋葬されていましたが、盗掘にあって船が残っていないようです。

貴重な木材ですから盗掘に合うのも仕方ないのかも知れません。

だからひっそりと隠すように王墓を造るようになったのでしょうね。

安らかに眠っていたいですからねヽ(TдT)ノ


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古代の船って木製だし、普通はなかなか残らない遺物の部類に入ると思っています。

でもバイキングが船を棺にした話やら、水中考古学で発見された船の話やら、けっこう船に関係する話が世界的には見られるんだな~と最近分かってきました。

考古学の中には比較考古学という手法(研究法あるいは分野)もあります。

船に限った話ではありませんが、やはり色々な事例を知っておくことは調査や解釈などの際にいつか役に立つような気がしますね(*・ω・)ノ

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2019ねん 3がつ 19にち(かよーび、晴れ)

今日の夕方頃、何故かクラクラするくらいに眠かった。

たくさん寝たつもりなのに、眠りが浅いのだろうか。

今晩から、快眠BGMを流して寝ることにする!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『古代エジプトにも恋の呪文があったよ!』ってお話です。

あとおまけで「メジェド様」について( -д-)ノ


さて、上に挙げた写真が、オーストリアの最大の都市、シドニーにあるマッコーリー大学に所蔵されているパピルスです。

マッコーリー大学には約900点のパピルスが所蔵されているそうですが、このパピルスについてはいつどこから入手したものなのか、その経緯が分かっていないそうです。

しかしながら今からおよそ1300年前に書かれたパピルスであると推定されています。

写真からは「2羽の鳥のような図象」と、「コプト語の文章」が読み取れます。

この文章の解読の結果、内容が「恋のおまじない」であることが分かりました。


しかしながら文章の大部分が失われているため、どのようなおまじないだったかは不明だそうです。

類似の内容のパピルスはこれまでにも発見されていて、それらは女性の心を射止めるための呪文ではなく、周囲の障害の中で男性が意中の女性に会うための方法や、意中の人が既婚であるといった問題を解決するためのものだそうです。

そのためこの2羽の鳥のパピルスに記載されているおまじないも、三角関係の解消といった複雑な恋愛問題を解決するためのものだったようです。


さて、2羽の鳥のような図像モチーフについては、左側の羽のある生物がクチバシで右側の生物のクチバシの中をつついているかのように見えます。

またつがいの生物の周囲は人間の手らしきもので囲まれています。

解読者によると、生物の下部で2羽をつないでいるものは、鎖や縄、あるいは男性器などが考えられるそうです。

体の前は羽毛かウロコらしきもので覆われていて、右側の生物には2つの耳(あるいはツノ)があり、
こうした小さな違いは性別の違いを表しているそうです(右側がメスで、左側がオス)。

・・・・・・私には鳥に見えないんですけどね(ちょうどこの下に挙げた画像に写実的な鳥が描かれています)。

私には「蝶々」に見えます( ・Д・)

まぁ数多くの史料に当たると、この時期の図像モチーフとしてはこういった鳥が描かれることが一般的なのかも知れませんね。

(・・・・・・やはり羽化したケムンパスに見える( ・Д・))

↑コメントやTwitterで皆さんの意見をお待ちしておりますヾ(´ω`=´ω`)ノ




最初に紹介した恋の呪文のパピルスもそうですが、本当にエジプトのパピルスは残りが良い!

本当に羨ましいです。

情報量が違いますよ、やっぱり。

上の写真にいる不思議な存在が「メジェド様」です。

古代エジプトの神々の1柱です。

まぁ見た目は「銀魂」に出てくるエリザベスの仲間ですね(。・ω・)ノ゙




古代エジプトの神々を可愛らしくデフォルメ化して作られたアニメがこれです。

その名も『神々の記』

知ってます?

古代マヤの神々でもアニメとか作って欲しいんですけどね( -д-)ノ

……やんわりとパクって、古代マヤ文明の神々でアニメ作って普及活動したいわ~!( ・Д・)


こういった作品が作り易いのは情報量の差だけではなく、古代エジプトの神々は動物が多いのも理由でしょう。

だから可愛くもしやすいです。

一方でマヤの神々は「ヒト型」が多いです。

しかも見た目が怖い!( ・Д・)

古代マヤ神話に出てきて、可愛くできそうなのは・・・やはり動物!

ジャガー、亀、ワニ、ウサギ、鳥類(コンゴウインコ、ケツァール……ヴクブ・カキシュもいけるか)、羽毛の生えた蛇(ククルカン/ケツァル・コアトル)等。

あ、けっこういるぞ、古代マヤ神話・物語に登場する動物類!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


↑「神々の記」の第1話(公式より)


暇みて、もし可愛く古代マヤの神々を描けたら紹介しますね~ヽ(TдT)ノ

それはともかく、古代エジプトがテーマのアニメ「神々の紀」(1話~4話+特別編)を良かったらお楽しみください。

*いつもながら回し者ではありません( -д-)ノ

ちなみに、本場(?)エジプトでは「日本人は(たぶんいい意味で)クレイジー」と思われているようです。

私もそう思う時がままありますが、そんな日本も日本人も大好きです(・∀・)つ

↓アニメのタイトルは「マヤマヤの樹」……かな?( ・Д・)↓

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