あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    古代ローマ

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    2025ねん 12がつ 9にち(かよーび、晴れ)

    死んでた!胃が痛い!( ・Д・)

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    ↑明らかに悲惨な感じがする!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは貞子にはならんのね?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    灰に埋もれた時間、忘れ去られた街――だがそれは消えてはいなかった。2025年、クロアチア東部、現代のOsijek(オシエク)大学構内。そこにかつてあった古代ローマの都市Mursaの井戸が掘り返されたとき、底から姿を現したのは――なんと、7体の人骨だった。そして最新の分析で、それらが“ローマ帝国の兵士たちの死体”である可能性が高いと判明。安穏な現代の町の地下に、1700年前の帝国の荒廃と混乱が、ひっそりと横たわっていたのだ。この記事では、その発見の背景、分析結果、そしてこの「井戸の墓」が示す古代の闇と現代への問いを、「あるけまや」的ロマンとともに描いてみたい。




    🕳️ 井戸の底から ― 発見の舞台と静かな発掘

    オシエク大学の敷地内で2011年に行われた建設前の試掘調査。そのとき、古代ローマ時代に使われていた井戸が見つかり、中から異様な光景が現れた──7体の完全に保存された人骨が、無造作に詰め込まれていたのだ。年月を経て水没し、しかし骨格は崩れず、「頭から井戸に投げ込まれた」「重ねるように入れられた」「遺物や装備は一切なく、裸のまま」――こうした状況から、研究者らは「単なる墓」ではなく「即席の大量処分の場」であったとみている。


    最新の放射性炭素年代測定と、井戸から見つかったローマ銅貨(紀元251年コイン)の年代から、この事件は 紀元260年ごろ、ローマ帝国混迷の時代にさかのぼる可能性が高い。つまり、この井戸の底は、かつての平穏な都市ムルサの “暗部” —– その痕跡を閉じ込めた “歴史の檻” だったのだ。





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    ↑井戸の位置!( ・Д・)




    ⚔️ 彼らは誰だったのか ― 骨が語るローマ帝国の兵士たち


    専門家による骨の分析とDNA解析から、興味深い事実が浮かび上がった。

    • 7体はいずれも成人男性。年齢構成は「18–25歳が4人」「36–50歳が3人」で、ちょうど“兵士の典型的な年齢層”にあたる。

    • 身体は当時としては背が高めで、筋骨隆々。歯の摩耗や骨の損傷から、長年の重労働や戦闘、厳しい環境での食生活がうかがわれる。

    • 傷の状況は尋常ではない。槍、矢、打撃など複数の武器による外傷があり、中には致命傷も。しかも、死体が投げ込まれた時点で防具や武器、装備はすべて奪われていた可能性が高い。

    • DNAやアイソトープ分析からは、多様な出身地 — 北ヨーロッパ、東欧、東地中海圏など――と異なる地域背景を持つ男性たちが混在していたことが分かり、当時のローマ帝国軍が多民族で構成されていた実態が裏付けられた。

    研究チームはこの墓を、紀元260年のBattle of Mursa(ムルサの戦い)で敗れた兵士たちのもの――多分、反乱分子または敗残兵のものと推定している。勝者側が遺体を丁寧に埋葬するのではなく、井戸という “使い古された穴” に投げ込んだ背景からは、戦争の残酷さと、敗者への侮蔑、帝国の崩壊の断片が見えてくる。――この井戸は、ただの “水を湛える穴” ではなかった。帝国の断末魔が凝縮された、暗い歴史の墓場だったのだ。




    🌪️ ムルサ、そして帝国の崩壊 ― 3世紀の混乱がここに残したもの


    当時のムルサは、ローマ帝国の中で重要な都市のひとつだった。交易と職人の街として栄え、ドナウ川の防衛線にも近く、多民族・多文化が混在する境界地であった。 だが、3世紀に入り帝国は内乱、混乱、交易路・防衛線の崩壊、略奪と疫病に襲われ、不安定化した。ムルサはその激動のさなかにあった都市であり、260年の戦いはその象徴だった。


    今回の遺体の放置=投棄は、単なる戦没者の処理ではない。敗北者への侮蔑、処刑後の棄て置き、あるいは見せしめ――そうした“暴力と恥辱の儀式”の一端だった可能性がある。ローマ帝国の栄華と秩序、そしてその崩壊の現実。その狭間で刺さった “人間の身体” の記録。それがこの井戸の持つ強烈な重みだ。

    またこの発見は、「ローマ帝国=秩序と平和の象徴」というステレオタイプを揺るがす。帝国は、時に苛烈で、残酷で――人を “物” のように扱った。その痕跡が、今も静かに、井戸の底で語りかけているのだ。




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    ↑戦闘の痕跡①!( ・Д・)


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    ↑戦闘の痕跡②!( ・Д・)




    🔬 歴史の墓として ― 今後の研究と問い

    発見は2011年、報告と調査は2025年――長い時間を経て明らかになったこの事件。だが、まだ分からないことも多い。

    • なぜ7人だけなのか。集団の末端か、精鋭か、それともただの敗残か。

    • 他にも同様の井戸や大量墓があるか。ムルサ周辺、あるいはかつてローマ軍が駐屯した地域、帝国の他の都市で同様の痕跡がある可能性。

    • 社会構造、軍隊構成、人種の混ざり具合、死後処理の慣習――当時の社会のありようを、遺体だけでなく地形・遺構・文献など多角的に復元する試み。

    この井戸の人骨は、もはや “歴史の教科書の一行” ではない。帝国の影、戦争の後、そして無名の兵士たちの声を、私たちが聞き取るための “時空を超えた通路” なのだ。この記事を通じて感じてほしいのは――歴史は勝者の記録だけではない、敗者の骨の声も刻まれているということ。そして、私たちの足元に広がる “現代” の街の地下には、数千年の悲しみが眠っているのかもしれない、ということ。





    おわりに

    私はホラーだめなのです。ハリウッド的なスプラッタものも好きくないけど、まだマシ。日本の幽霊・呪い系はほんとダメ、見てられない。幽霊って死後にめちゃくちゃ強いよね、許せん。『そんなに力あるなら生きてる内に強くあれよ!』て思う。そして死後に関係ないやつに八つ当たりするな~!て思う。だから幽霊嫌い。

    その点、スプラッタ系はね、まだいいよね。結局大体人間だから。何故かラストシーンまで不死身レベルに強いやつもいるけれど、B級パニック映画みたいにさ、結局なんだかんだ爆発物で殺せるじゃん。でも幽霊死なんもん!まぁ日本映画だと銃も爆弾もそもそも出てこない設定だし!素手で闘うのに、相手物理無効で、さらに意味不明な力で何でかこっちは死んじゃうってもう詰んでるしょ!



    何はともあれ・・・

    日本の幽霊、ずるいんだよ!( ・Д・)







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    2025ねん 12がつ 5にち(きんよーび、晴れ)

    絶好調だぜ!( ・Д・)

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    ↑現場写真が古く見えるのは私の眼が加工された写真を見慣れ過ぎたせいかも知れない、現代病!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースはグアテマラにも温泉あるんだぜ?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    古代ローマの港町――そこに、別の民族の祈りと生活の痕跡が静かに眠っていた。2025年、古代都市 Ostia Antica の発掘で見つかったのは、ユダヤ教徒が使っていたとみられる “儀式用沐浴場(ミクワー)”。これまで“聖地以外”でほとんど確認されなかったミクワーが、地中海の心臓部にあったこと――それは、ローマ帝国期の多文化共存と、ユダヤ人コミュニティの存在感を再考させる衝撃だった。



    🏛️ 発見の舞台 ― なぜ今、オスティアの地下から?

    • 舞台はローマから約 25 km、かつての帝国の港町・オスティア。2024年夏から再開された発掘調査の中で、倉庫や倉庫街として知られながら未発掘だった地域を掘り進めたところ、なんと “地下に階段があり、水で満たされた小さな浴槽” が出現。これが今回、「ミクワー」の可能性をもつ構造として注目を浴びた。

    • 浴槽は石造りで壁に漆喰または防水ライニングが施されており、地下水や湧水を引き込む水路の痕跡も確認。単なる公共風呂ではなく、宗教儀式用の「清めの水」にふさわしい構造だったとされる。

    • 発掘とともに見つかった遺物にも注目。浴槽の底からは、ユダヤの伝統的儀礼用のランプ(燭台とヤシの枝模様=メノーラとルラヴのレリーフ)が刻まれていたオイルランプが発見されたのだ。これが、この施設がユダヤ教徒によるものであるという最も強い“文書化されない証拠”となった。

    この発見によって、この地域で “宗教/民族の多様性と共存” があったことは、もはや仮説ではなく、実証可能な事実となった。



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    ↑ドローン写真!( ・Д・)



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    ↑全く現場に来る恰好じゃない紳士淑女の皆さん!( ・Д・)




    ✡️ なぜ “ユダヤ人の沐浴場” なのか ― ミクワーとは何だったか

    • ミクワーは、ユダヤ教における清め(儀礼的純潔)を目的とした儀式用浴槽。伝統的には聖地であるユダヤ地域(現在のイスラエルなど)に多く見られるが、これまで地中海域で、しかもローマ領域での確実な発見はなかった。今回のものは、 “ユダヤ人離散後の地域で見つかった最古級” の例とされる。

    • 構造の特徴も典型的。狭い長方形の部屋、底に向かって降りる階段、水を通す導水路、防水仕上げされた浴槽――こうした特徴は、紀元4〜6世紀ごろに設計されたユダヤの典型的なミクワーと一致する。

    • ローマ帝国内でユダヤ人社会が“文化的アイデンティティ”を維持しつつ暮らしていた証拠として、この浴場は非常に象徴的。つまり、彼らは公共浴場でもなく、ローマの浴場文化に安易に同化したのではなく、自らの宗教・文化基準に沿った“特別な空間”を確保していたのだ。

    この意味で、このミクワーの発見は、古代ユダヤ人の移動と適応、共存という複雑な歴史の断片を、はっきりと光に当てた「考古学の一大証拠」だ。




    🌍 多民族のるつぼ ― オスティアにあった共同生活のリアル

    オスティアは、古代ローマにおける地中海交易の玄関口。港にはさまざまな民族、商人、移民が集まり、多様な文化が混じり合う “人の流動” が常態だった。今回のミクワー発見は、その多様性の “確かな証拠” となる。

    • すでにこの港町には古くからユダヤ人共同体があった証拠として、シナゴーグの存在や墓碑、ユダヤ人名の刻まれた碑文などが確認されていた。新たに見つかった浴場は、それを “生活・宗教の日常と文化の実体” として裏付けるもの。

    • つまりここでは、ローマ帝国の支配文化と、ユダヤ教の伝統が “共存” していた。浴場、台所、居住区、宗教施設――異なる文化背景をもつ人々が同じ都市で暮らし、互いに近接していた可能性が強まったのだ。

    この発見は、古代地中海世界のリアルな社会構造を、私たちに再認識させる。都市は単なる “支配+属州” ではなく、“多民族・多宗教・多文化の交差点” だった──。




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    ↑沐浴場の外観!( ・Д・)



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    ↑これが沐浴場!( ・Д・)





    🔬 これから待たれる研究と論争 ― “確定”にはまだ慎重な視線

    ただし、すべての研究者が「確実にミクワー」と断定しているわけではない。伝統的な浴槽やプールとの区別、あるいは後世改変の可能性など、慎重な検証を求める声もある。例えば、別の浴槽用途(公共風呂、浴場、貯水槽など)だった可能性を指摘する学者もおり、追加の考古学的証拠――周辺遺構、関連遺物、文書的裏付け――が必要だ、という意見もある。 


    それでもオイルランプのユダヤ儀礼刻印、設計の典型性、水路・導水の構造など、今回の浴場がミクワーであるとみなす根拠はかなり揃っている。今後の発掘と研究によって、さらに確固たる証拠が出ることを期待したい。




    🕊️ 過去と今をつなぐ湧き水の階段 ― 私たちが得たもの

    このミクワーの発見は、古代のユダヤ人がローマ帝国の釜の中でただ溶け込んだわけではなく、自らの信仰と文化を持ち込み、守り、暮らしていた――という事実を浮かび上がらせた。それは、民族や宗教が違っても、人は “信仰と生活の両立” を模索し、“異文化との共存” を選んできた――という人類史の普遍的なドラマのひとつ。地中に埋もれていたその浴槽の階段は、ただの石段ではない。過去と現在をつなぐ、湿った “時間の繋ぎ目” なのだ。



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    ↑他の出土遺物たち。ミニチュアだね、柱とか可愛い!( ・Д・)




    おわりに

    古代マヤには蒸し風呂があったとされています。まぁサウナですね。大衆化していたかは分からないですけど、少なくとも王族・貴族たちが身を清める意味で儀礼的な利用はされていたようです。スペイン宣教師の記録読んだの遥か昔だからよく覚えてませんが、そんなこんなでマヤ人は綺麗好きだったと言われてます。だからたぶん記録があるはず。

    で、現代のマヤ人というかグアテマラ人自体が綺麗好きです。体臭がひどい欧米人とは全然違う生き物です。まぁマヤ人は日本人と同じモンゴロイド系だしね。メスティーソとして混血しているとはいえ、臭くない! ってかグアテマラ人は頻繁にシャワー浴びてるイメージ。スペイン人は暑くて水貴重だからシャワー浴びないよね。やっぱ

    ででで、そんな綺麗好きな人ばかりなグアテマラでは温泉あるんですよね。まぁ日本とは違って水着で入るし、代替は生暖かいくらいだけど気持ちいい。日本みたいに地下から頑張って出しているわけじゃなく、自然なものなので、河の中にあったりもするんです。温泉に行くまでの河を渡る間が冷たいし、帰りもキツイ(笑) あと山の斜面にあったりもするからやはり帰りは汚れる(笑) あとは源泉がぶくぶく目の前出てて安全管理ゼロだからめちゃ熱いとか、天然ものはまぁ色々です( -д-)ノ 日本的?な個室の石造りの浴場(家族風呂)もあって、そこは日本人感覚で利用できて良かったな。



    何はともあれ・・・

    じゃぱにーずとしてやぱたまには温泉に入りたいぜ!( ・Д・)







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    2025ねん 10がつ 7にち(かよーび、くもり)

    ダイエット効果を実感できて嬉しい気持ちになた!(・∀・)つ

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    今回の考古学・歴史ニュースは霊廟なの?商店街なの?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    ✨ 序章 — 歴史の陰に眠る権力と商業の結び目

    ローヌ川のほとり、かつてガリアの中心地だった土地に、意外な形でその“過去”が姿を現した。円形の霊廟(マウソレウム)が、皇帝アウグストゥスになぞらえて造られた可能性を帯び、しかもその近くに古代ローマ時代の店舗群──商いと日常の軌跡──が発掘されていたのだ。


    この発見は、ただ古代建築の壮大さを見せつけるだけではない。死者を弔う場所と、日々の活気が混ざり合った公共空間、そして権力の象徴としての建築。それらが交錯する場所が存在したという仮定――もし証明されれば、ローマ・ガリア地方の社会構造や政治的象徴、経済生活の織りなすネットワークに新たな光をあてるだろう。


    以降は、サン=ロマン=アン=ガルの発掘成果から「霊廟モデル+商業施設併設」という仮説を追いながら、わかっていること・謎・展望を「あるけまや」風に丁寧に紡ぐ。




    🏛 サン=ロマン=アン=ガルで発見された霊廟と商店区

    サン=ロマン=アン=ガルはリヨン近郊、ローヌ川沿いにある古代ローマの遺跡地。2025年夏の調査で、以下のような発見が報じられている:

    • 円形の霊廟(mausoleum)が発見され、アウグストゥス帝の霊廟をモデルにして造られた可能性があると考えられている。構造は内径約 15 メートル、当時の高さは 6 メートルほどあった可能性。

    • 建設年代はおよそ紀元50年頃、皇帝クラウディウスの治世下と見られている。

    • また霊廟の「西側地域(northern baths の近く)」には、1~2世紀A.D. の商店群(タベルナ;飲食店/ショップ)や工房が確認されており、かつポルティコ(列柱付き通路)を伴っていた可能性が報じられている。

    • その商業施設には、羊毛布地の洗浄・加工(fullones)、ガラスまたは焼き物の窯作業といったアトリエ機能を持つものも含まれていたとされ、日常・経済活動の痕跡が鮮明。

    これらは、「霊廟」という葬送・記念の構造と、「商業施設(店舗群・工房)」という生活・経済の場が地理的・機能的に近接して存在していたことを示しており、「霊廟を模した巨大建築+商業施設併設」の仮説に十分近い状況といえる。




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    ↑やぱドローンいいわ!( ・Д・)(「Ancintist」の記事内画像より転載; credit: Julien Bourreau / Musée Gallo-Romain of Saint-Romain-en-Gal)



    🧐 既存の報道と仮説のギャップ:何が“模した”と言えるか

    ただし、現時点では次のような未確定要素も多く、完全に「皇帝霊廟モデルに基づいた商業施設併設遺構」だと断定するには慎重を要する。

    • 模型としての参照:アウグストゥスの霊廟と「似ている」という報告はあるが、装飾・内部構造・象徴性(彫刻・碑文など)が完全に一致するわけではない。

    • 商業施設との連続性と機能:店舗・工房が“霊廟の附属施設”であったのか、それとも独立したコミュニティ生活圏の一部であったのか。ポルティコや通路の配置など、どこまで建物同士が意図的に結び付けられていたかが未だ完全には明らかでない。

    • 被葬者の身分・動機:この巨大霊廟が誰のために建てられたのか。皇帝のような“超越的地位”を持つ者か、あるいはローマ属州ガリアにおける地方のエリートか。政治的・社会的文脈の解明が鍵。

    • 保存状態・発掘時の被災(火災など):一部商店群が火災で焼けた痕跡があり、それが構造保存の一因ともされている。火災により木材など有機物が炭化または堆積物に封じられたケースがあると報告されている。これが発掘資料の偏りを生む可能性。



    🌍 仮説が正しいとしたら、見えてくる社会の輪郭

    もしこの遺構が「皇帝霊廟をモデルとし、商業施設を併設していた」ことが立証されれば、古代ローマの属州における以下のような社会構造・文化的意義が浮かび上がる。

    1. エリートの象徴性と公共性の融合
       霊廟というのは本来、死者を弔うと同時に、記憶を後世に伝えるための建築。もしそれが商店街や工房に隣接し、見える場所に置かれていたとすれば、「死者を祀る者」の社会的地位を日常空間で喧伝する意図があったと考えられる。

    2. 商業インフラと儀礼空間の近接
       商店・工房と霊廟との近さは、通過する人々(旅行者・巡礼者など)への見せ場、あるいは旅路の中での経済活動との接点を意図していた可能性がある。ローヌ川を行き交う人や都市 Vienne へ入る人々がこの霊廟商業複合体を視認できたという報告もある。

    3. 地方ローマ時代の政治的競争と展示
       属州ガリアのエリートたちは、ローマ本国との繋がりや彼らの地位を繰り返し示そうとしていた。建築様式や目立つ構造を模倣することは、自己主張の一形態だったとみなすことができる。

    4. 経済の多様性・職人技術の可視化
       羊毛の加工 (fullones)、窯作業、店舗群など、さまざまな職能が共存していたことにより、ローマ都市生活の複合性がよく見える。これらが商品流通・日常生活・儀礼とどのように絡んでいたかを考えることで、ローマ帝国の属州における経済のグラニュール(粒子)に迫れる。



    🔍 現状の認識とこれから調査すべき点

    • 現在の発見は、「霊廟+商業施設併設」の仮説を支持するものが非常に強くなってきているが、まだ「皇帝霊廟を完全に模倣したもの」であることの証明は不十分。

    • 工房・店舗群の発掘は進んでおり、用途や所有者階層を推定するための器物・建材・装飾の分析がこれから重要になる。

    • 被葬者の特定はまだで、碑文・墓誌・装飾彫刻などの発見が待たれている。

    • 公共への展示、保存状態の維持、発掘現場の保護も重要な課題。火災による保存という意外な条件も遺構の質を左右している。






    おわりに

    そういえば、最近書いた記事の中でも「タベルナ」出てきたんだよね。

    ポンペイの事例だった気がするからイタリアか。

    今回フランスでの発見だけれど、、、

    どれもラテン語系だからスペイン語に似てるんだと思う!



    実はフランス語もイタリア語もやってるんだけれど普段使わんので覚えていない( -д-)ノ

    ま、でもスペイン語なら分かる!

    中米ではタベルナって使うことないんだけど、スペインでは居酒屋とかを指すみたい。

    考古学では広く飲食店をタベルナと表現してるみたい。



    何が言いたいかって、「飲食店なのに食べるなとはこれいかに!( ・Д・)」

    皆さんもこれで単語ひとつを絶対に覚えることができたでしょう!




    格差研究始めて、アッパークラスのデータは考古学的には分かり易いけれど、一般層の暮らしって分かりにくい。

    今回みたいに火災が起きてそのまま放棄されたような事例だと貴重なデータが取れていいなと思う。

    考古学者は墓が好きだというけれど、まぁ間違いないけど、




    私は、

    やぱ事故現場いいな!?( ・Д・)



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    2025ねん 9がつ 24にち(すいよーび、晴れ)

    これ昨日の分!( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは古代ローマ期の屋台って何売ってたんだろうね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

    🧭はじめに

    想像してみて。


    石畳の路地、空腹な商人、あるいは塩漬けガルムの香りに誘われて串を頬張る市井の人々。安価で素早く腹を満たす――それが古代にもあった。


    現代のファストフードと同じく、ここには経済、流通、習慣、味覚の交差点がある。遺物は静かだけど、街の喧噪と人の胃袋の物語を語り続けているのだ。




    🕳️発見の舞台 — セスポット(廃棄穴)って何者?

    ローマ都市の地下にはごみや排水をためる「セスポット(cesspit)」があり、そこは古代の日常ゴミ箱そのもの。


    今回注目されたのは、スペイン・マヨルカ島(Pollentia)の都市遺構に接続された深いセスポットの発掘で、ここから多数の動物骨が出土しました。


    考古学者はこのセスポットが付随する建物を「タベルナ(taberna)」=飲食店/屋台に結びつけて解析しています。




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    ↑屋台は残らんので古代ローマの飲食店をば!( ・Д・)(「My Modern Met」の記事内画像より転載)


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    ↑凛々しいつぐみ!( ・Д・)(「暦生活」の画像より転載)


    🍗何が見つかったの?―― 小鳥(ツグミ類)が大量に

    このゴミ穴からは魚貝や豚・羊などの動物骨に混じって、特に“ツグミ類(thrush)”と見られる小型の鳥の骨が多く出てきました。


    年代は紀元前10年〜紀元30年頃と推定され、ローマ世界の一都市の日常食が映し出されています。


    かつて“高級食材”と考えられていた小さな野鳥が、実は街の屋台で手軽に食べられていたことを示す可能性が出てきました。






    🔥調理法と「ファストフード」像―― 揚げる、串に刺す、ガルムで味付け?

    骨の配置や出土品(破片陶器など)から、研究者たちはこれらの鳥が揚げたり、串焼きにされたり、あるいは簡易な皿や串で提供された可能性を示唆しています。


    油でさっと揚げる・平たく潰して短時間で火を通すなど“即食”を想像させる調理法の痕跡が指摘されており、これはまさに現代でいうところの「ファストフード」の祖型と言えるでしょう。




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    ↑今でもそのまま使えるよね!( ・Д・)(「Archeo Travelers」の記事内画像より転載)


    🏺出土と文脈の力学―― なぜゴミ穴が優れた証拠なのか

    家庭ごみや食べ残しが集まるセスポットは、単なる「混ぜこぜ堆積」ではなく、日常の消費行動を写し取る生きたサンプルです。


    屋台やタベルナ周辺で出た食べ残しが集中することで、当時の街角で何が安価に出回っていたか、どの部位が使われていたか、食材の比率がどうだったかが分かる――つまり、エリートの食卓ではなく「路地の味」こそ、ここで甦ります。 


    Pollentia の例は、都市層の食習慣を直截に反映している点で貴重です。






    🥖他の現場と合わせて見る:ポンペイの“スナックバー(thermopolium)”

    同様に、ポンペイの“thermopolium”――壁画に彩られた古代の軽飲食店/屋台の遺構――もここ数年で注目の発掘が続き、調理器具、供食用の土器、さらには食品残滓から当時のメニューが鮮明に分かるようになっています。


    絵に描かれたメニュー、カウンター内部の土器口、さらには動物の骨や貝殻が、その場で温めて売られていた“屋台飯”の実像を補強します。


    Pollentia のセスポット発見は、こうした屋台文化を廃棄物という側面から補完する重要なピースです。




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    ↑綺麗なもんだ!( ・Д・)(「Archeo Travelers」の記事内画像より転載)



    🧾「贅沢品」だったはずの食材が庶民飯に?―― 社会経済の読み取り

    ツグミなど一部の鳥は、保存状態の良い古典資料からは「贅沢な一品」として語られることがありました。


    しかし、遺存データが示すのは異なる日常性。養殖か狩猟か、小鳥の流通経路や保存・加工法(塩漬け、ガルム味付け、油での処理など)を考えると、一定のコストで大量に供給され、庶民にも手が届いた可能性が浮上します。


    つまり「紙の上の高級」と「路地の現実」は違う――考古学はその落差を埋める役割を担います。






    🧪考古学的手法メモ(ちょっとだけ専門的)

    • 出土骨の種判定(鳥類種の同定)は形態学的比較と古DNA/同位体分析が補助します。

    • セスポット内の上下層序と器物配置から、廃棄がいつ・どのくらいの頻度で行われたかを推定します。

    • 調理痕(焼成・焦げ・切断面)と器片は調理法と提供形態の手がかりになります。


      これらの方法で複数のラインから日常消費を再構築するのが今回の研究の肝です。



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    ↑グアテマラの今のキッチンも場所によってはこんな感じ!( ・Д・)(「My Modern Met」の記事内画像より転載)

    🤔でも、どこまで断言できるの?

    考古学はしばしば断片から大きな物語を紡ぎますが、注意も必要です。

    たとえば、出土の集中は一時的なイベント(お祭り、商人の廃棄)に由来することもあり得ますし、食材の「大衆化」は地域差・時期差も大きいです。

    Pollentia の事例は強力な証拠ですが、ローマ帝国全域で即座に「ツグミが庶民のファストフードになっていた」と断言するには、さらに比較データが必要でしょう。






    おわりに

    面白そうな記事を貯め込んでいたけれど、やっぱりその時その時でデータ集めて、記事しないと駄目ですね~。

    というのも普通のニュースの記事だと、総情報量が膨大なせいか、記事がなくなっちゃうんですよね。

    今のネット公開用の論文や報告書でなければ、基本的には白黒の写真を用いるので、記事にしても映えないんですよね( -д-)ノ

    今後は頑張ります(*^・ェ・)ノ



    ……さて、今回の記事も私的には興味深い!

    文献資料データにおける財の価格や社会分布が、実際の価格や社会分布と異なる・・・

    まぁ新しい時代というか、文献が使える時期の研究は文献に頼ろうと思ってましたけれど、、、

    やっぱり現実社会は複雑で、社会現象の理解はイージーゲームではないですね。

    が、難しい方が面白い!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    何はともあれ、

    やぱまんまるのとり可愛いな!( ・Д・)



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    2025ねん 9がつ 18にち(もくよーび、晴れ)

    8時間睡眠、12時間拘束、1日の自由時間4時間程度、研究しよ( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースはその『せいどうのかぶと』、まだ使えるよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ




    🔎 発見の要点:何が見つかったのか

    • 回収されたのは「Montefortino(モンテフォルティーノ)型」とされる青銅製のローマ式ヘルメット。本体に頬当て(cheekpieces)がほぼ完璧な形で残っているという点が特筆されます。

    • 出土場所はシチリア西岸のエガディ諸島周辺の海底で、これまでに約30点ほどの金属製遺物(剣、槍、矢じりなど)とともに見つかっています。

    • 発掘回収はSociety for the Documentation of Submerged Sites(海底遺跡記録協会)とシチリア州の海洋監督当局による潜水調査の結果です。





    🧭 年代と歴史的文脈:なぜ「ポエニ戦争の戦士」と結びつくのか

    発見物は、時期・場所・周辺出土物の組合せから、紀元前241年のエガディ諸島海戦(Battle of the Aegates / Aegates Islands)に結び付けられる可能性が高いと報告されています。


    この海戦は第一回ポエニ戦争を終結させ、ローマがシチリアを掌握する転換点となった歴史的事件です。海底に残された軍装は、当時の戦闘で船から落ちたり回収されずに沈んだ軍具である可能性が高いと考えられます。



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    ↑この子も防御力高いぜ!( ・Д・)(「Greek Reporter」の記事内画像より転載)



    🛡️ ヘルメットの特徴:モンテフォルティーノ型とは何か

    「モンテフォルティーノ型」ヘルメットは、鉄器時代からローマ期にかけて広く流通した様式で、ケルト系影響を受けた単一の鋳造あるいは打製の碗状クラウン、中央のつまみ(boss)、広がる縁、そして頬当てを持つのが典型です。


    今回の標本は頬当てが完全に残っている点が稀で、研究的価値が非常に高いとされています。保存状態が良いことから、材質や製作技術、装飾の痕跡、修理の跡などを詳細に調べることで、兵士の装備や兵站、さらには職人技術の地域差まで読み取れる可能性があります。






    🔬 保存と解析:何ができるのか(考古学的意義)

    保存状態が良い遺物は、表面の微細な摩耗パターン、つなぎ目、金属組成、付着物(海洋付着物や有機残留物)を調べることで、次のような問いに答えられます。


    このヘルメットは軍の正規装備か私物か?

    どの地域の鋳造技術か?

    使われた青銅はどの産地由来か?

    海中長期埋没に伴う腐食過程は?


    研究チームはCTスキャンやX線、同位体分析、金属組成分析などを進めると報じられています。



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    ↑一緒に出たやつ!( ・Д・)(「II Vomere」の記事内画像より転載)


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    ↑この子が今回のやつ!( ・Д・)(「II Vomere」の記事内画像より転載)



    🌊 海底が語る“戦争の現場”――なぜ単体で落ちていたのか

    海戦では、衝突や火災、船体損壊で軍具が海中に散乱します。あるいは獲得物が海上で没収され、その後に放棄されたりといった経緯も考えられます。


    今回の遺物群は、船舶が沈没した現場か、海上での混乱時に投棄された場所に集中しているとみられ、戦闘のダイナミクスや船上での装備の扱われ方(たとえば、戦闘直後に何が残されたか)を実証的に示す重要な手がかりを提供します。






    🧾 公的コメントと発掘体制

    シチリア州の文化財担当者や海底監督部門は、今回の発見が地域の文化遺産価値を高めると強調しており、遺物は保全措置の後、適切な研究機関で管理・解析される予定だと発表しています。


    発掘は海中考古学の専門家と協働で行われ、既に回収された遺物のCT撮影や掃除・保存処置が進んでいると報じられています。



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    ↑やぱもうそのまま装備できるよ!( ・Д・)(「Live Science」「MACM」の記事内画像より転載)



    おわりに

    Youtubeやらにゃやらにゃと思ってはいるのだが!

    今週末絶対やる!

    で、「文明の方程式」関係の数理考古学関係はぼちぼちやっていくとして、メインはブログやってて個人的に大好きな「それまだ食べれるよ?シリーズ」をやっていこうと思ってたんですよね。

    でもそんなに数もないし、今回のような「まだ使えるよ?シリーズ」もいいかもな~て思いました。

    RPG好きなんですけど、木の盾の他、革の兜は完形であるはずなんですよね。

    勝手に防御力・攻撃力を付加していくとドラクエ的で個人的には面白いなと思うんですけどね~。

    あと私が好きなのは「ミニチュア遺物」と「可愛い系遺物」かな。

    とりあえずなんかやる!!!( ・Д・)





    何はともあれ、

    やぱRPGいいな!( ・Д・)



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    2025ねん 9がつ 16にち(かよーび、晴れ)

    さて、連休明けなので今週は4日だ!がんばりますかーい!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは🏛️✨皇帝おもてなし説、再燃 — ソンマ・ヴェスヴィアーナで見つかった“巨大浴場”のかま群をめぐる話!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ




    📰 冒頭


    ソンマ・ヴェスヴィアーナの土を掘れば、またしても古代のゴシップと権力の匂いがしてくる――。東京大学の調査チームが「かま」(ボイラーや炉を想起させる大型の加熱施設)をまとまって発見したと報じられ、ある説がネットで駆け巡っています。「ここは、初代皇帝アウグストゥスが招いた客人をもてなすための巨大浴場跡ではないか?」。現場写真をめくると、確かに“豪華なおもてなし設備”の片鱗が見えます。






    🔎 発見の中身:かまが五つ、炉跡が連なった異例の列

    発掘チームが掘り出したのは、浴場に熱を供給するための「かま」に相当すると考えられる大型の炉跡が複数並んだエリア。床下加熱(ハイポコースト)や熱気の導線を想定させる構造が確認されています。こうした連続した加熱設備がまとまって出る例は珍しく、機能的にも規模的にも「ただの民家の浴室」を超えた性格を示唆します。東京大チームはこれを、近隣で論じられてきた「アウグストゥスの別荘(Villa Augustea)」の一部である可能性のある遺構と関連づけていると報じられました。






    🧪 年代と火山の痕跡:放射性炭素と火山灰分析が後押し

    遺構を覆っていた軽石や火山灰の化学組成と、炉内の炭化物の放射性炭素年代測定が示すところでは、この層は紀元1世紀前後、それ以前の層を含んでいる可能性があるとのこと。すなわち、ヴェスヴィオ火山が活動した時期と照合すると、発掘された設備はアウグストゥス期(紀元前後)に遡る可能性を排除できないという研究報告が出ています。ただし確定はまだ先( -д-)ノ



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    ↑完形の壺がいっぱい!( ・Д・)(「Anatolian Archaeology」の記事内画像より転載)



    🏛️ なぜ「皇帝の浴場」説が浮上するのか?

    歴史家がアウグストゥスの別荘をこの地域に想定してきた背景、そして発見された遺構の規模と機能(大規模な加熱設備、豪華な床材や大容量の貯水槽の痕跡など)が組み合わさると、ロマンティックな解釈が生まれます。古代ローマの有力者は“見せる装置”として浴場を使い、来客もてなし・権威の演出に活用しました。だからこそ「皇帝レベルの施設だったのでは?」という推測が読まれるわけです。ただし「アウグストゥスの私邸」と断定するには、文献的照合や出土遺物の紐付け、より精密な年代決定が必要です。






    🌍 世界の似た発見と比較してわかること

    近年、スペインやトルコ、イタリア国内(ポンペイなど)でも、保存状態の良い浴場や私人用のスパ施設が立て続けに見つかっています。たとえばスペインの大規模浴場群の発掘や、海中に眠るバイエ(Baiae)の浴場発見など、王侯・富裕層の「浴場文化」は各地で検証されています。今回のソンマ・ヴェスヴィアーナ発見は、そうした“帝政ローマ期のレジャー文化と権力の結節点”を補強する重要なピースになり得ます。



    🧰 発掘現場から見える“技術”――かまの配置と熱の回し方

    考古学的に面白いのは、かまが単独ではなく列として配され、複数の炉が協調して稼働する設計に見える点です。これは大人数をさばくための効率設計と見なせます。加えて、かまの近くから出土した土器類や排水溝の痕跡は、給水・排水系統が高度に整備されていたことを示唆します。こうしたインフラは公共浴場や上流階級の別荘に典型的です。






    🤔 ここまでの“疑問”と今後の検証ポイント

    • 発掘層の確定年代:放射性炭素や層序学で時期を厳密化する必要あり。

    • 文献・出土資料との結びつけ:碑文や所有者を示す痕跡が出るかどうか。

    • 施設の用途特定:公衆浴場なのか、私人用の迎賓施設か。規模や付帯施設で区別可能。

    • 保存処理と公開:発掘物の保存・修復計画と、地域住民への情報共有も焦点。



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    ↑こんなに犬走り要る?( ・Д・)(「Anatolian Archaeology」の記事内画像より転載)


    ✍️ あるけまや流・現場に寄せる雑感

    想像してみてください。アウグストゥスの時代、ヴェスヴィオの麓に小高い別荘があり、屋敷の主人は豪華な浴場で客をもてなす――そこに並ぶのは、火を入れられた巨大なかまの列。暖かい蒸気、湯気に包まれた談笑、政治と饗応が混ざり合う空間。こうした情景が現実味を帯びてくる瞬間が、発掘の面白さです。もちろんロマンだけで決めつけるのは学問ではありませんが、「可能性」を追うことが発掘報道の醍醐味でもあります。






    ……古代ローマ社会における個人浴場のサイズ分布って感じでも研究できるじゃん!(*^・ェ・)ノ

    あ~でもローマは後回しにしてとりあえず古代エジプトからやるって決めたんですよね~。

    正直マヤはもうそんなにやることない!(笑)

    *データ得るには自分でのんびり掘るのみ!って意味です( ・Д・)




    何はともあれ、

    やぱ温泉いいな!( ・Д・)



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    2025ねん 9がつ 13にち(どよーび、晴れ)

    なんだかんだまだ暑いなぁ!( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは🏺 モンテネグロで出土した1600年前の輝き 、ローマ帝国の豪華ガラス坏が語る物語!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    ✨ 女神の杯か、それとも権力者の象徴か?

    バルカン半島の小国モンテネグロから、考古学の世界を揺さぶる大発見が伝えられました。首都ポドゴリツァ近郊に広がる古代都市ドクレア(Doclea)の墓地で、約1600年前のローマ帝国期のガラス坏(diatreta=ケージカップ)が副葬品として発見されたのです。


    この坏は単なる飲用器ではなく、外側に細かな網目状の装飾が施され、さらに剣闘士や動物狩りを描いた場面が浮かび上がるという特異な意匠を持っていました。まるで光を透かす舞台芸術のように、杯そのものが物語を語っているのです。






    🏛 副葬品に見る女性の地位

    発見された墓には、このガラス坏のほか、金の耳飾り、宝石、精巧な骨製品など、豊かな副葬品が納められていました。研究者たちは墓の主を「高位の女性」であると推定しています。


    古代ローマにおけるガラス器は、単なる容器を超えて地位や文化的洗練の象徴でした。特に diatreta のようなケージカップは製作が困難で、現存例もわずか数十点しか確認されていません。それが辺境とみなされがちなモンテネグロで見つかったという事実は、ローマ帝国の交易網がどれほど広く、また地方都市の上層エリートがどれほど帝国文化を享受していたかを物語っています。




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    ↑副葬品多いな~!( ・Д・)(「Arukeonews」の記事内画像より転載)



    🌍 バルカン半島に広がるローマ文化の痕跡

    今回の発見は、地中海世界の文化がいかにバルカン半島へ浸透していたかを示す重要な証拠です。

    • ドクレアはローマ時代において交通・軍事・行政の要衝であり、周辺の鉱山資源も経済的価値を持っていました。

    • ローマの工房で製作されたとみられる diatreta がここに副葬されたということは、帝国中心部と地方との「文化の距離」が意外と短かったことを示しています。

    考古学者にとって、これは単なる発見物以上の意味を持ちます。それは「ローマ世界の周縁に住んだ人々の生活や精神世界がどのように帝国文化に結び付けられていたのか」を考える手がかりとなるのです。






    🔎 世界的に珍しい遺物としての価値

    ケージカップは非常に壊れやすいため、完全な形で出土すること自体が稀です。今回の出土は国際的にも大きく取り上げられ、モンテネグロ国内では「世界遺産級の文化財」として保護・展示体制を整える必要性が訴えられています。




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    おわりに

    当時、この坏は「飲むための器」という実用的役割を超え、帝国文化の象徴、そして死者を来世へ導く聖なる道具としての役割を帯びていたと十分に考えられます。


    それどころか現在においてもモンテネグロの新たな象徴となるかも知れません。




    私は常々、トレジャーハンターのような考古学者を卑下していますが、こうして現代の多くの人々の心に突き刺さるレベルであれば、お宝も悪くないですね( -д-)ノ





    何はともあれ、

    やぱ古代マヤの図書館見つけたい!( ・Д・)



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    2025ねん 9がつ 12にち(きんよーび、くもり)

    豆腐ダイエット翌日がきついな……( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    ↑記事補足動画だよ!( ・Д・)(「The Gardian」「Independent」の記事内動画より転載)


    今回の考古学・歴史ニュースは🕊️ 石に刻まれた勝利 — ヴィンドランダで発見された二千年前の女神図像!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ





    🧭 発見の一報 — 「長年のボランティア夫婦が瓦礫の山から見つけた」

    ヴィンドランダ(Vindolanda)遺跡の発掘現場で、長年ボランティアを続けているジム&ディリス・クインラン夫妻が、瓦礫の寄せ集めの中から翼を持つ女神(Victoria=勝利の女神)とされる砂岩レリーフを掘り出しました。出土物は幅約47cmで、保存状態も良好とされ、石の一部に彫り込まれた像の半身が明瞭に残っていました。今回の発見は、遺跡の発掘責任者や研究者からも「非常に特別な瞬間」として賞賛されています。






    🔎 何が出たのか — 形・素材・推定年代のメモ

    出土したのは砂岩(sandstone)製のレリーフで、女神は翼を広げ片手に何かを持つ姿が示唆され、軍隊に関連する文脈(勝利の象徴)で用いられた可能性があります。専門家の初期鑑定では、様式や出土層位から紀元2世紀前後(報道では約AD 213前後の可能性)とみられ、セウェルス朝期の軍事的出来事(戦勝)と結びつく可能性が指摘されています




    🏺 出土の文脈 — なぜ瓦礫の山に埋もれていたのか?

    出土地点はヴィンドランダの歩兵兵舎(infantry barracks)上の瓦礫層で、石材の再利用(リユース)が当時から行われていた痕跡があり、今回の石彫も別の建築か彫像群の一部として取り外され、瓦礫中に混ざったものと見られます。こうした「リサイクル」の状況は、戦後の再建や敷地整理、放棄時の処理など、何段階もの歴史的プロセスを反映していることが多いです。




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    ↑発見したご夫婦!(*・ω・)ノ(「Vindolanda Charitable Trust」の記事内画像より転載)


    👩‍🌾 ボランティア発見の意味 — アマチュアの“目”と考古学コミュニティ

    今回の発見は、“アマチュア(ボランティア)”が専門的発掘の現場でいかに重要な役割を果たすかを示す実例でもあります。ジム&ディリス夫妻はヴィンドランダのボランティア歴が長く、発掘現場に通って得た経験で瓦礫の中の微妙な違いを見抜きました。考古学者らは、こうした“継続参加型”の発掘が研究と教育を兼ねる重要な仕組みだと述べています。






    🧭 歴史的含意 — 軍隊・戦勝の記憶と現地社会

    ヴィクトリア像はローマ軍にとって戦勝の象徴であり、軍営や公的建築で掲げられることが多いモチーフです。今回の像が兵舎上の瓦礫から出たことは、ローマ軍の戦勝儀礼や記念性の痕跡がこの要塞(Vindolanda)にあったことを裏付ける一手がかりになります。考古学者たちは、この像が「戦後の平和」や「軍隊の誇り」を示した可能性を示唆しています。






    🧪 今後の作業 — 保存・復元・学術公開へ

    出土したレリーフはまず現場で記録・写真撮影され、必要な保存処理の後にヴィンドランダ博物館で研究・展示の準備が進められます。今後は陶器・コイン等の伴出資料と層位を合わせた総合分析、岩石学的な材質分析、場合によっては残存顔料の痕跡調査などが行われ、像のオリジナルの配置や色彩、意味がさらに解き明かされる予定です。







    おわりに

    海外の記事だからか、「アマチュア考古学者」って表記されているんだけれど、、、

    あとボランティアとも書かれているけれど、ボランティアが無償労働なのは日本だけだから、

    このご夫婦は調査に参加してお金もらってると思うんだよね。

    ボランティア経験が21年とか書かれているからね( -д-)ノ



    ってことはこのご夫婦はきっと日本で言うところの「ベテラン作業員さん」ではないかなと思います。

    もちろん彼らは行政発掘とか緊急発掘ではなくて、アカデミア関連の研究発掘に参加しているようなので少し違いはありますけどね。



    ちなみにこれだけ長く働いていると、グアテマラでは「エキスパート発掘作業員」となります。

    グアテマラでは掘り手(掘る人 / excavador)と補助員(土出し・篩などを行う人 / ayudante)に分かれていて、さらにプロフェッショナル(大学教養あり)とエキスパート(実践経験のみ・且つ多くの経験)に分かれています。

    だからグアテマラ感覚では彼らは「Excavadores expertos」ですね~(*・ω・)ノ




    ってことで何はともあれ、

    やぱずっと仲良い夫婦っていいな!( ・Д・)



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    最近漫画読むのが趣味!?( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは掘ってみたら最大級の邸宅だったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    🌿 川沿いに眠る4,000m²超の「ローマ貴族の館」、ついにベールを脱ぐ

    ブルゴーニュ地方、現在のオセールから南へ約3km。19世紀からその存在は知られていたものの本格調査されなかった、ローマ時代の大邸宅「サント=ニタス(Sainte‑Nitasse)」が、ついに完整に姿を現しました。INRAPによる最新発掘で判明した敷地面積はなんと4,000m²以上、パルス・ウルバナ(居住区)と農業区(パルス・ルスティカ)を備えた大規模存在です。




    🏛 庭園に噴水、床暖房、モザイク…ローマの贅沢が詰まってる!

    この「館」の中心には450m²規模の中庭があり、その北端には水盤、南側には装飾用噴水が配されていたとか。周囲には回廊が巡り、迎賓室やワークスペース、厨房、そして東側には温浴施設が。床下暖房システム(ハイポコースト)やモザイク片、アプス(ドーム窪み)も確認され、まるで南イタリアの邸宅のような豪奢さだったんです 。





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    🕰 築かれた時代と進化のプロセス

    発掘で浮かび上がったのは、1~4世紀にかけての連続使用の軌跡。古くは外壁に営まれた小規模施設から、都市オセール(古名 Autessiodorum)が地方行政の中心へと進展するのに伴い、徐々に拡張されていったと見られています。おそらく2期、3期に分かれた建築フェーズが確認されています。





    🌍 古代ガリア最大級?「貴族の農園」だった可能性も

    INRAPはこれを“ガリア最大級のローマ大邸宅”の一つと評価。農業区を併設しながらプライベート浴場や庭園、暖房設備が整っていたことから、政治的・社会的に地位の高い富裕層の所有で、実務も行われる“都市エリートの農園”だったと考えられています。




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    おわりに


    これぞ“古代ローマのペントハウス”とも言えそうな邸宅…川沿いの静かな砂利畑に、こんな豪奢な居住空間が隠れていたなんて、ロマンが止まりません!450平方メートル級の中庭に噴水、回廊、床暖房にモザイク…住むだけじゃなくて、権威と快適さを兼ね備えたステータスの象徴だったんでしょうね。

    しかも政治的な野心と結びついたエリートの“農園”だった。つまり、ここで食べて、会って、政治を語って、眠って…と、生活のすべてが一体化されていたんじゃないかなって思わず想像してしまいます。なんだか発掘自体が1500年以上前の人々の「生活デザイン」をたどるみたいですね。



    何はともあれ、

    やぱ世の中、金だな!( ・Д・)



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    やや寝不足だが研究が進んだ1日であったヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースはベスビオ火山の噴火の被害範囲は広かったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    これまでポンペイについては色々取り上げてきて、そしてヘルクラネウムについても何回か取り上げてきました。


    ↓一番新しい記事(*・ω・)ノ

    ↑ポンペイは検索してちょーだい!(*^・ェ・)ノ



    なので皆さんもベスビオ火山の噴火でやられたのがポンペイだけじゃないことは既にご存じかと思います。

    タイトルにポンペイだけじゃなかったって書いたのはインパクトのためなので悪しからず( -д-)ノ



    ということで今回は東京大学の調査成果に関してですが、私自身、東大がイタリアを掘ってるのを知りませんでした。




    上にに挙げた写真は発掘区のものですが、さすがに潤沢な研究資金で調査してるんだろうなって思うような大きな調査区です。


    広い範囲を深く掘る時は写真にあるように階段のように落としていく(掘っていくの意)のですが、この現場はかなりの土量を上げてると思います。

    重機使うのかな?

    どれくらい時間かかるものなのか、興味は尽きないですね(*・ω・)ノ




    さて、東京大学のチームは古代ローマ時代の別荘を掘っていて、初代皇帝の別荘である可能性が浮上していました。


    それだけでも大きな発見ですが、この区域から軽石などの火山噴出物が多量に見つかったのです。

    上の写真を見ても確かに上から三段目の壁がやけに灰色がかっていて、堆積した降灰の層なのかなって気がします。

    炭素年代測定法で年代測定をしてみたところ、どうやら見つかった火山噴出物はCE79年のベスビオ火山の噴火時のものらしいということが分かりました。




    何が新発見かというと、これまでベスビオ火山の噴火は南部地域に甚大な被害が出て、特にポンペイやヘルクラネウムが大変なことになったと考えられてきました。

    ところが東大の調査した別荘はベスビオ火山の北側に位置しているのです。

    どうやら北側にも十分な被害が出ていたようなのです( -д-)ノ




    なんだ、そんな発見かと思うかもしれませんが、大事な発見なのです。

    調査が広範に及べば、ハザードマップというか被害マップを作れるかも知れませんね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ↑個人的には面白いと思う( ・Д・)




    おわりに

    上の写真、スケールちっちゃいし、方位は手書き?っぽうやつだし、何だか可愛らしさを感じます。

    天下の東大の調査チームとは言え、多額の研究費つぎ込んでるわけじゃないのかも知れませんね。


    何はともあれ、

    海外調査は金がかかる!( ・Д・)



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