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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:古代ローマ

2020ねん 10がつ 23にち(きんよーび、晴れ)

10日サボった後、10日くらい毎日更新中、えらいっ(・∀・)つ


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今回の考古学・歴史ニュースは「イタリア南部、古代ローマの遺跡が沈むバイア海底遺跡がかっちょいいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はイタリア南部、カンパニア州の町、バイアにある海底遺跡です。

正式名称は「バイア海底考古学公園」となっています。

 


上に挙げた写真は1956年にバイア上空からイタリア軍のパイロットが撮影したもので、それを機に発見されたのだそうです。



海外からかなり近いですし、浅い部分にあることが分かります。




グーグルマップの解像度って場所によってはかなり高いので、もしかしたら見えるかも~

って探してみましたけどダメでした( -д-)ノ


さて、このバイア海底遺跡は、ポンペイのような悲劇の都市とは性格が異なります。

この辺りは、少なくとも古代ローマ期から現在に至るまで、地殻変動の影響により地盤が浮き沈みしている地域なのです。

この地盤の上下運動はとても緩やかなものなので、古代ローマ人は水没の危険を察知して海沿いの邸宅を意図的に放棄したそうです。

さて、では海底遺跡の様子を見ていきましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





深度は浅いのでスキューバダイビングとして難易度は高くないそうです。

また船底から海底を覗けるようになっている遊覧船もあるので、ライセンスなくても楽しめるようです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


上の写真には破損した壺が映っていましたが、少なくとも中心部における大体の遺物の引き上げは終わってるようです。

特に彫像は全て引き上げられ、博物館にてオリジナルを見ることができます。

海底に設置してあるのはダイバー用のレプリカなのです(・∀・)つ



↑おわりに、で使用している「ポンペイ前提」について触れてます(難易度:高)


おわりに

地上の発掘調査ですら大変なのに、

海の中だと調査も記録も本当に大変だろうなと思います( ・Д・)

知人が海で調査したことあるのですが、聞いたところ、潮の満ち引きの影響で時間の勝負の側面が大きく、せっかく掘って露出させたそばから砂を被って嫌になると言ってました( -д-)ノ


考古学の基本理論である「ポンペイ前提」も使えなさそうだし、水中考古学は新しい分野ではありますが考古学界内でも課題が山積みな気がしますね。

海外ではもうけっこう盛んですが、日本ではまだまだ認められていない部分も少なくないと思うのです( -д-)ノ



このバイア海底遺跡周辺は現在でも地殻変動で浮き沈みしているようですから、私が死ぬまでにもし浮いてきていい感じに露出したら行きたいなと思います( -д-)ノ

そんなこと言ってないで、スキューバのライセンスを取るべきか……


マヤでも水中考古学やりたいね!( ・Д・)

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2020ねん 6がつ 8にち(げつよーび、曇り)

調査地のコロナ問題より、人種差別問題の方がやっかいだ( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「ノルウェーで古代のゲームが発見されたよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


今回発見されたのは古代ローマ時代(CE100-400)に帰属するゲームの一部です。

上に挙げた4本の棒は、サイコロだそうです。

記述を確かめていないので不確かですが、恐らくこの写真は『展開図』として加工された画像です。

なので、実際に出土したのはサイコロ1個(1本?)で、4面あるということだと思います。

(写真をよく見ると形態や損傷部から同一資料の別の面のように思えます……違ったら申し訳ないっ( -д-)ノ)

素材に関する記述もありませんが、遺物として残ったという事実と色調や表面の状態から恐らく動物骨や鹿角等を用いて作られたものでしょう。

私たちが一般的に使うサイコロって六面体のダイスですからね。

4面の棒状ダイスってだけで「レア感や古さ」を感じます(*・ω・)ノ



ちなみに各面には「0、3、4、6」って刻まれています。

刻線による円形(〇)とその中心に刺突/穿孔(・)があって、1つの単位を示しているのが写真から読み取れると思います(*・ω・)ノ

4面なので当然ですが、数字が現代の一般的なサイコロとは異なるというのが面白いですよねヾ(´ω`=´ω`)ノ





上に挙げたような駒も共に出土したそうです。

これもサイコロと同様に動物骨等で出来ているようですね。

この写真も「展開図」になっていますので、左側が表面、右側が裏面になります。

裏面には刺突(やや穿孔)が見られます。

全部で18個の駒が出土したそうですが、いずれも2点の刺突があるのでしょうか?

であれば、単に表裏を示すためのマークでしょうね(*・ω・)ノ




この発見はベルゲン大学博物館の考古学者モーテン・ラムスタッド博士らによってルウェー西部のイトレフォッセ村近くの墓地遺跡で行われた調査でなされました。


彼らによるとこのゲームのプレイ方法は古代ローマの戦略ボードゲーム「Ludus latrunculorum」に基づいている可能性があるそうです。

「Ludus latrunculorum」は上に挙げたようなチェスやチェッカー(ドラフツ)と似た盤と駒を使ったボードゲームだと考えられています。


チェスは、インドのチャトランガを発祥としているのは有名ですね。


前にも触れたでしょうか……


世界史でも有名な東インド会社の植民地期にチャトランガがイギリスに持ち込まれ、「女王陛下」が強くあらねばならぬイギリス社会の影響で、本来最弱の駒であった「宰相」が最強の「クイーン」になったという歴史があります。


私もチェスやりますけど、クイーンの動きは将棋の飛車+角行です。


どこまでも全方向に飛んでけます(ば、化け物かっ!( ・Д・))。




まぁチャトランガ、チェス、将棋のような戦略ゲームは世界中に類似ゲームがあります。


歴史書に残らないレベルの古代ではその発生については不明ですが、交易等を通じて伝播したのかも知れません。


あるいは古代社会において「ゲームは貴族の遊び」です。


こうした世界各地に見られるボードゲームの基本が「戦略ゲーム」だというのも、いざとなれば戦わねばならぬ貴族の軍事教育目的に由来して、後世に影響し合ったとは言え、本来的には各地でその必要性から自然発生したのやも知れません。




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今回発見されたゲームのルールについては不明です。

というのも古代のゲームの一端を発見するのは考古学者ですが、ルールについて議論するのは文献史学者(所謂、歴史学者)であることが多いのです。



今回の発見は貴族層の墓の副葬品として出土していますから、保存状態は良好のはずです。

だとすれば18個の駒は全て揃っているはず。

ならば二人でプレイするならば、1プレイヤーは9駒を扱うことになります。



盤面は残っていませんから、木製でしょう。

正方形ならば、横方向に9マス×縦方向にも9マスでしょうか。

……このようにして考古学ではプレイ方法を推測していきます。

あくまでモノから推測していきますから(*・ω・)ノ



さて、今回の発見のポイントは鉄器時代であったノルウェーにも古代ローマ文化が届いていたということですね。

ということは出土品の真のプレイ方法の秘密は、本家ローマの出土品や歴史書、今後の発掘調査成果の中に隠れているのかも知れませんねヾ(´ω`=´ω`)ノ




arukemaya863
↑以前にも載せたティカルのボードゲーム、欲しい!( ・Д・)(確か、「Amazon」の商品ページからの転載だった気がする……毎度のことながら回し者ではありません( -д-)ノ)



おわりに


なかなかこういった遺物の出土は「レア」なので、久々の『ゲームの考古学/趣味の歴史』となります。

以下に、これまでに取り上げた『ゲーム』に関する記事を載せておきますね。


↓『ゲームの考古学』シリーズです(*・ω・)ノ







↓その他の、ゲームに関連した記事です(*^・ェ・)ノ









無料なのでライブドアブログ利用させて頂いてますけど、

けっこう検索が使いにくいなって思ってます。

変に広告が反応するし(ノ`Д´)ノ


なので、関連記事がある場合はこうしてリンクを貼るようにしますので、良ければ是非読んでみてください(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


『発見至上主義』な考古学者は好きではありませんが、レアな発見にはワクワクしてしまうというのもヒトの性でしょうね。


……古代マヤ文明、あるいはメソアメリカ文化領域には「パトリ」というゲームがあります。

これまでに建造物の床面・壁面に刻まれた盤面だけが見つかっています。


王族・貴族が遊んだ石製 / 土製駒付きのパトリを見つけたいよっ!( ・Д・)


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2020ねん 5がつ 4にち(げつよーび、曇り時々雨)

昨日から米津玄師の「灰色と青」をエンドレスリピートしつつ作業している。

……悲しい気持ちになったヽ(TдT)ノ


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今日の考古学・歴史ニュースは、「2000年前のレアな日時計が見つかったし、日時計に刻まれた碑文も解読されたよ!」ってお話です(*・ω・)ノ


人類が農耕を開始して以降、どの地域でも暦の役割は大きくなっていきました。

正確な暦を作るには正確な天文観測が重要であり、太陽の観察による『時間の流れに対する意識』の目覚めはかなり古いものになります。

地域差もありますが、農耕開始直後の紀元前7000年以降には簡単な日時計(木の枝を地面に突き立てたようなもの)もあったと推測されます。

時代は下って、古代シュメール文明や古代バビロニアでも天文観測が盛んでしたのであったと思われますが、さくっと調べたところ遺構はなさそうでした。

遺構として確認できているのは紀元前3000年の古代エジプトの事例のようです。

往々にして非常に古い日時計は、『ほんとに日時計か?』って怪しいものですが、古代エジプトでは少なくとも紀元前1500年までには確定的な遺構として確認できています。



今回紹介するのは約2000年前ですからおよそ紀元前後の遺構であり、古代ローマに帰属するものになります。

さすがにこの時期のものは、熟練した石工によって製作された非常に精巧なものになります。

そして古代の初期国家に見られるような王族や神官によって独占された秘儀としての天文学が重用された時期とは異なり、個人で発注して製作・設置可能であった時代のものです(*^・ェ・)ノ




トルコで見つかったアウグストゥス帝時代の日時計

発見があったのはトルコの西部に位置する古代都市ラオディケアです。

世界遺産にも登録されている観光地となっている遺跡です。

2020年、当該遺跡の調査中に、アウグストゥス帝時代(ヘレニズム時代)に相当する約2000年前の日時計が発見されました。

ちなみにこの日時計、大理石で出来ているそうですΣ(・ω・ノ)ノ



上に挙げた写真でも僅かに読み取れますが、半球状の盤面に文字(ギリシャ語のアルファベット)が刻まれています。

この文字は、季節と月を示しています。



現代の腕時計でも季節や月、曜日、昼夜などを省略記号で示したものが不随している品がありますが、その古代バージョンですね(*・ω・)ノ

現代でもそうした時計は高級で品数は少ない傾向にありますが、当時でもこういった『時間について詳細に示した日時計』は非常に稀な事例です。

また半球状の盤面の縁には葉っぱのモチーフが連続して帯状に展開していますが、このような種のモチーフが日時計に用いられる事例もとても稀なんだそうです(*^・ェ・)ノ



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ローマの南方で見つかった日時計と碑文の意味

こちらの発見はイタリア、ローマの南方80km地点のリーリ渓谷にあるインテラムナ・リレナスという町の遺跡で発見されました。

このインテラムナ・リレナスは中規模の町で、巨大な古代ローマにおいてはありふれた町のひとつでした。

この町は紀元前300年以降に建設され、紀元後600年までには放棄されました。

今回紹介する日時計は今から約2000年前の紀元前後の遺物ですので、町の歴史としては中間期くらいに相当するのでしょう。

上に挙げた写真に見られるように、日時計の半球状の盤面には時刻を表す11本の線と、これらと交差する3本の曲線(夏至、冬至、春分および秋分との近さを表す)が刻まれています。

先に紹介したトルコの事例とは異なり、盤面に影を落とす役割を担った鉄製の棒は失われています。


この日時計はかつて、町の広場に堂々と設置されていたと推測されていますが、下部の図で示すように発見されたのは町の劇場の入り口付近でした。

西暦600年までに廃墟となってしまったこの町では、放棄前後に建築材として石材の持ち出しがありました。

その際にこの日時計も運ばれて、でも「やっぱやーめた!」と放置されてしまったようです( -д-)ノ

こうした後世の人による破壊・移動もあって、指針たる鉄の棒が欠損したのかも知れません。


さて、この日時計の重要性はその碑文にあります。

解読の結果、ローマ市民であったマルクス・ノウィウス・トゥブラという人物が護民官に当選した記念に、故郷の小さな町に日時計を自腹で購入し、寄贈したとあるそうです。


先のトルコの日時計は立派な大理石製でしたが、小さな故郷のために自腹で寄贈した日時計が石灰岩製というのも趣きを感じます(*^・ェ・)ノ


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↑町の劇場址と日時計の位置関係(「Nacional Geographic」の記事内画像より転載)



おわりに


どちらの発見も重要なものです。

特に後者については、古代ローマ社会において、周辺の中小都市からも出世可能であったということの発見に繋がり、歴史的にも考古学的にも重要です。

インテラムナ・リレナスという片田舎の町から、ローマの栄職に就くような人物が出たことは町の誇りであったでしょう。

護民官という役職は紀元前27年には権限のほとんどを失った名誉職となり、かの人物の就任はその前後となります。

なので彼が裕福だったようには思えません。



マルクス・ノウィウス・トゥブラという人物の出世、町の人たちの想い、故郷に寄贈した記念碑としての石灰岩製の日時計、、、

彼はどんな想いで、どんな状況で日時計を発注したのでしょう

英傑や勇敢な王、策略を駆使した戦とその勝敗などの際立った人物や事柄、歴史の動く瞬間に目を奪われがちな歴史ではありますが、

こういった小さな町の、小さなストーリーに思いをはせるのも歴史の面白さであると、少しでも感じて頂ければ幸いです(ノд・。) グスン

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2020ねん 2がつ 29にち(きんよーび、曇り)

昨日、めちゃくちゃ寒かった。

そして今日、曇り続けてやや肌寒い感じ。

異常だ、これは一月初めの気温だよ!Σ(・ω・ノ)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「黄金都市エル・ドラド伝説に影響を与えた失われた古代都市が南米のジャングルに眠ってるよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

今回の話題は南米コロンビアでのお話です。

中米のマヤ地域でもそうですが、南米のコロンビアやブラジルには鬱蒼としたジャングルがたくさん残っています。

あるいは今回のケースのように国立公園として保護されています。

航空レーザー測量も導入開始された現代考古学ですが、そういったジャングルの中にはまだまだたくさんの古代都市遺跡が残されているものなのです(*・ω・)ノ




エル・ドラドとは?

さて、最初に挙げた絵画に見られるように、南米地域には「黄金都市伝説」があります。

大航海時代、多くの人々が冒険を求めて旅に出ました。

ドラゴンが守る塔にはお姫様が捕まっていて騎士が彼女を救うといった「騎士道物語」が本気で信じられていた時代です。

この手の小説の中にはディズニーで有名な「生命の泉」の話もあります。

こういった当時の伝説の一つが「黄金都市、エル・ドラドの伝説」です。

多くの人々が夢物語として未知の島や大陸には金銀財宝が眠っていると信じていたわけですが、ただエル・ドラドの伝説は噂に基づくもので小説等の作り話ではありません。

エル・ドラードとはスペイン語で「金箔をかぶせた」、または「黄金の人」を意味し、ムイスカ文化の儀式が基になっています。

ムスイカ文化では金の採掘が行われており、また加工技術が発達していました。

そして首長が全身に金粉を塗り儀式を行う風習をもっていました。

この話をスペインのコンキスタドール達がを聞き、南米アマゾンには黄金郷があるという伝説が生まれたのです。

特に、上に挙げた写真は 『ムイスカ人の黄金の筏(La Balsa Misca)』と呼ばれる資料で、これがヨーロッパ人に対してエルドラード伝説(黄金郷伝説)を生み出す大きなインパクトとなったのです。


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コロンビアに眠る「失われた都市」

さて、今回の話題はコロンビア北部が舞台となります。

3枚の地図画像の内、1枚目が最寄りの大都市サンタ・マルタの位置です。

マニアックな切り取り方をして、マヤ地域である中米のユカタン半島を敢えて画像内に収めてみましたが、有名なキューバも入ってますので何となく位置が分かるでしょうか?( -д-)ノ

2枚目の地図画像の位置がシエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ国立公園で、深い森に覆われた丘陵地帯です。

この国立公園内にはシウダー・ペルディーダ(失われた都市)の名を冠する土地があり、実際に古代都市遺跡があります。

3枚目はタイロナ国立公園の位置で、先コロンブス期のタイロナ文化が栄えた場所になります。

タイロナ文化の人々は大きな領域を有しており、シエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ国立公園の方まで広がっていました。

彼らは16世紀にスペイン人のコンキスタドールの侵入に対して抵抗し続けますが、17世紀後半まで都市を放棄します。

この放棄の理由はスペイン人が持ち込んだ疫病のためと考えられています。

先に述べたように「失われた都市」の地名を有する土地もあるのですが、実際にこの周辺域に残るタイロナ文化の都市遺跡が全て「失われた都市」として呼ばれているのです。




この地域に考古学者の手が伸びたのは1976年のことでした。

中南米あるあるなのですが、密林の中の行軍は有毒の植物や昆虫、蛇、ジャガーと脅威で一杯なため遺跡への到達はかなり最近の話ばかりなのです。

道が開けた現在でも到達するのが困難な遺跡がたくさん存在しています( -д-)ノ

当時は道なき道を、感覚便りの現地ガイドに従ってナタで切り開いての強行軍ですからとてつもない辛さだったでしょうねヽ(TдT)ノ

簡易の考古学調査や踏査が進行するにしたがって、タイロナ文化はCE200年頃から発達し、エル・ドラドの伝説の基となったムイスカ文化と交易関係にあることが分かりました。


そのためムイスカの民と同じように、タイロナの民は金や銅を始めとする貴金属細工技術に優れていることが分かりました。


また16世紀半ばのフアン・デ・カステリャノスを始めとして多くの年代記によれば、タイロナの民は贅沢な服飾をしており、皆が模様入りのケープ、羽根の頭飾り、ビーズの首飾り、大ぶりの真珠、カーネリアン(紅玉髄)、そして黄金を身につけていると報告しています。


こうした年代記や考古学的な発見によって、エル・ドラド伝説は再び日の目を見ることになり、つまり盗掘者に狙われることになりました。


中南米のジャングル地帯は「インフィエルノ・ベルデ(緑の地獄)」と呼ばれることもあり、現在でも考古学者の侵入を阻んでいます。


一方で盗掘者たちはお構いなしなのでジャングル地帯は「盗掘天国」と揶揄されることもあります。


翡翠しか出ないマヤ地域でも被害は甚大なのに、黄金という分かり易い「財宝」があると南米での遺跡保護は非常に難しい問題だと思います(TДT)



arukemaya779
↑テユナ遺跡の景観(「viator」の記事内画像より転載)



20世紀終わりから現在まで、遺跡を保護すべく数々の大規模なプロジェクトも実施されてきました。


結果、上に挙げた写真に見られるテユナ遺跡が整備されたのです。


この遺跡では円形の家々、舗装された道、階段、テラス、広場、儀式の場、運河、倉庫など、200基余りに及ぶ各種の構造物が復元されており、現在公開されています。


しかしこの都市は険しい山の尾根に沿って作られているので、観光と言えど到達はかなり大変なようです( ・Д・)


このテユナの建設は9世紀と考えられおり、マヤ研究をしてる立場としては新しいなと感じます。


しかしそのテユナという名前は当時のチブチャ語で「地上の人々の起源」を意味するそうです。


テユナの最盛期の人口は2000~8000人と推定されており、タイロナ文化の中心地として機能しました。


またタイロナ文化は文字を持たず、車輪も、動物に荷を引かせる技術もありませんでしたが、十分な余剰農産物を何世紀にも渡って生産できていました。


そのため金細工を始めとする高度な文化を築くことが出来たわけです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


・・・・・・ところで、私達日本の食料自給率は僅か37%です。


まぁ科学技術が発達していようとも特殊な自然環境を整えるより、海外から買った方が早いかつ安い、日本では通常獲れない野菜や肉類もあるでしょう。


かく言う私も世界中の食べ物を国内で食べられる日本が大好きです(*^・ェ・)ノ


それにしても37%は酷過ぎます。


地震大国日本とか頻繁に目にするけど、いざという時どうするの?


同盟国、親日国に頼るの?


政治家よ、大臣よ、人々よ、文系大学要らね~とか言ってる場合ではなく、、、


国とは何か、良き政治とは何か、滅びを避けるために我々は何をすべきか、


そろそろ古きに、歴史に学ぶべき時かも知れませんね( ・Д・)


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2020ねん 2がつ 24にち(にちよーび、晴れ)

忙しい時に限って、仕事が次から次へと舞い込んでくる(ρ゚∩゚) グスン


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arukemaya776


今回の考古学・歴史ニュースは「古代王政ローマ、建国神話に出てくるロムルス王のものと思しきお墓が公開されたよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

ローマの歴史は、王制ローマ、共和政ローマ、帝政ローマと大きく分けられます。

この内の最初の王政ローマは約250年間続いたことになっていますが、歴史書に現れるのは王制ローマが終わってから500年も後のことなのです。

なので恐らくは王制ローマに関する歴史書の内容の多くは神話であると考えられます。

しかしながら現在のローマ市では神話時代の最初期に関する記述通り、上に挙げた「狼に育てられたロムルスとレムス」の像が飾られており、また4月21日は建国記念日として盛大に祝われているのです。




建国神話における最初の王、ロムルス

ローマの建国神話はロムルスとレムスの誕生から始まります。

軍神マルスと古代イタリアの都市国家の王女、レア・シルウィアの間に生まれた双子は、王女の叔父によってすぐに捨てられてしまいます。

しかし最初に挙げた写真や上のコインのように、狼に育てられ生き延びます。

後に祖父に出会い、孫であることが判明し、自分たちが捨てられた土地に都市を建設することにします。

この都市がローマなのです。

都市の境界を決める際に兄弟は揉め、兄のロムルスは弟レムスを殺してしまいます(後半部で関係してきます(*^・ェ・)ノ)

兄の名前ロムルス(Romulus)はロームルスとも発音します。

つまりローマの語源は初代王ロムルスに由来するのです(*・ω・)ノ

ロムルス王はその後およそ40年の間、ローマを統治し、その後消えてしまいます。

後の歴史家たちは元老院議員らによってロムルス王が暗殺されたと考えており、中心となった人物はユリウス・プロクルスと推定されています。

彼は後のユリウス氏族の祖先と考えられています。

ユリウス……カエサル?

政治家は親も子も、昔からロクでもないのか( ・Д・)


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本当にロムルス王の石棺?

上に挙げた写真がイタリア、ローマ市のフォロ・ロマーノにある元老院議事堂跡です。

ちょうど地下への入り口に人が立ってます。

この地下から100年以上前に祭壇と共に石棺が発見されました。

調査者はロムルス王の石棺であると解釈しましたが、学会全体の合意には至りませんでした。

1980年代後半にはこの議事堂跡の近くから巨大な石を特徴とした長く深い溝が発見されました。


調査者はロムルスが都市の境界として掘った「聖域の溝」だと主張しました。


でもやはり合意には至っていません( -д-)ノ 





上に挙げた写真が問題の石棺ですが、かなり質素ですね( -д-)ノ

まぁ暗殺されてぶち込まれたのだから、墓があるだけマシなのか( ・Д・)

これらの遺構に関連して出土した遺物から石棺の帰属時期はBCE6世紀と考えられています。

伝説ではローマの建国はBCE753年だから統治期間を考えてぎりぎり同時期と言えるかなって感じですねヽ(TдT)ノ

現在も地元の考古学者らが、ロムルス王の石棺であると証明すべく精力的に調査を行っているそうです。

是非、証拠をどんどん集めて、「伝説の王様のお墓!」を証明して欲しいですね!

こういう地元密着型の調査は周辺地域の人々の活力にも繋がりますし、考古学の果たせる重要な仕事のひとつだと思います。

いや、ほんとにすごい夢のある、浪漫溢れるテーマだなと思います……

ローマンだけに( ・Д・)

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2020ねん 2がつ 23にち(にちよーび、晴れ)

けっこう働いてる方だと思うんだけどな~(´・ω・`)


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今回の考古学・歴史ニュースは「あの有名なクレオパトラとマルクスの墓は水中にあるらしいよ!」ってお話です(*・ω・)ノ


フランスの哲学者、パスカルはその著名な「パンセ」の中で後世に残る名言を残しています。

『人間は考える葦(あし)である。』

聞いたことありませんか?

そしてもうひとつが、

『クレオパトラの鼻がもう少し低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。』

です(*・ω・)ノ(訳し方は色々とあると思います( -д-)ノ)

このパスカルの記述によってクレオパトラは絶世の美女としての地位を確たるものにしたと思います。




古代のロミオとジュリエット

表題に『古代のロミ&ジュリ』と書きましたが、二人の最期について簡単に説明しますね。

BCE44年、「ブルートゥス、お前もか!?( ・Д・)」と言い放って、23カ所も滅多刺しにされて独裁で有名なカエサルが暗殺されます。

「お前もか!?」のセリフはシェークスピアの戯曲中のセリフで、自身の言葉としては「賽は投げられた」が最も有名かと思います( -д-)ノ

カエサル暗殺の後に成立する第二回三頭政治の支配者の一人が、マルクス・アントニウスです。

1人目の妻を亡くした後に、オクタヴィアヌスの姉、オクタヴィアを後妻として迎えますが、クレオパトラと出逢い恋に落ちます。

映画では絨毯にくるまれたクレオパトラが登場するシーンが印象的ですね(*・ω・)ノ

結果、マルクス・アントニウスは一方的にオクタヴィアと離縁し、クレオパトラや親族に支配領域を分割することで、「エジプト女王に骨抜きにされ、ローマ人の自覚を失った男」としてローマ市民に評価されることになります。

これを機にオクタヴィアヌスとの激しい対立が生じ、BCE31年にオクタヴィアヌスはプトレマイオス朝エジプトに対して宣戦布告します。

当然、エジプト側に付いたマルクス・アントニウスでしたが敗走することになります。

その最中、クレオパトラの自害を知ってマルクス・アントニウスは自刃します。

しかしこれは誤報であり、最後はクレオパトラの腕の中で死んだとされます。

その後すぐにクレオパトラは毒蛇に自らを噛ませて自殺します。

プトレマイオス朝エジプトを滅ぼした後、オクタヴィアヌスが認めたため、マルクスの遺言に従ってマルクスはクレオパトラと共に埋葬されました。





2人の墓はどこ?

こうしてローマ人であるマルクス・アントニウスとプトレマイオス朝エジプト最後のファラオ、クレオパトラ7世の墓が出来上がったわけです(*・ω・)ノ

BCE30年に自殺した2人の埋葬についてはローマ帝国五賢帝時代の歴史家であるスエトニウスと、帝政ローマ期のプルタルコスによって記述されていますが、その場所が不明でした。

上の写真の色んな意味で著名なエジプト考古学者、ザヒ・ハワス博士は、美人考古学者としても有名なキャサリン・マルティネス博士の指揮の下、二人の墓を探しました。

結果、エジプトの西方、アレクサンドリア近郊のオシリスを祭る神殿であるタップ・オシリス・マグナ神殿跡でプトレマイオス朝時代の墓を発見しました。

そこでは27体のミイラや貴族の墓、クレオパトラの横顔が刻印されたコインが多数発見されました。

しかしこの神殿を12年間もの間発掘し続けた結果、どうやらそこには二人の墓はないようなのです( -д-)ノ

これを受けて、つい先日(2020年2月)マルティネス博士を熱烈に支持していたハワス博士が「マルティネス博士の理論は間違っていた」とインタビューで述べました。

そして「クレオパトラはマルコ・アントニオと共にアレクサンドリア沖の水中の墓に埋葬されている」と述べています。

現在は世界中で水中考古学が盛んになってきており、水中考古学に助成金を出す団体も増えています。

今後、アレクサンドリア沖が集中的に調査される可能性がありますね!(・∀・)つ


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著名考古学者の闇
 
ザヒ・ハワス博士と言えば、ピラミッドを建設した人々の墓をピラミッドの傍から発見し、彼らは奴隷ではなかったとの説を唱えたことで有名です。

優秀な考古学でもあるとは思いますが、考古最高評議会事務総長としてムバラク政権下では実質的にエジプト考古学を支配していたような状態だったようです。

外国人研究者や自説とは異なる研究者に発掘許可を出さなかったようですね。

中米ホンジュラスでは僅かしかいない現地考古学者同士が対立し、負けた方は国外退去になった事例もあります。

グアテマラでも政権ごとに対立が存在し、4年ごとに配置が大きく入れ替わります。

アメリカでもハーバード大学やペンシルヴァニア大学等の著名な大学出身者による学閥形成の話を少し聞いたことがありますし、どこにでもグループ構図はあるようですね。

かく言う日本でも「旧石器時代ねつ造」の事件では、現在の著名考古学者の数名に関してかなり深い闇があるようですしねヽ(TдT)ノ

怖い怖い、触れてはいけません(/TДT)/

・・・・・・ところで美人考古学者のマルティネス博士は弁護士らしいんですけど、考古学者でもある?

幼少期からクレオパトラに関心があり、資金提供をして発掘調査指揮を執ったのは間違いないのですけど、考古学者なのか?博士なのか?微妙ですね。

ドミニカ共和国出身の所謂エリート層出身のようですけど、さくっと調べた程度では出てきませんでした(TДT)(スペル間違ったかな?)

考古学者の世界も資本主義ですから、お金ないと発掘できないですし、超高価な分析機材も買えないのです。

ナショナルジオグラフィックとかまさにいくつか王墓当てて、テレビ露出増やして有名になっていかないとお金くれないので(しかし一度OK出れば大量にくれる(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)、そういった助成金をくれる団体の性格も関係しているのでしょう。

ま、何はともあれ、皆さんが覚えておくべきはひとつ!

テレビに露出の多過ぎる研究者にロクな奴はいない!( ・Д・)

↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!現在15人!↓
↓1名増えたよ!ありがたい!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2019ねん 7がつ 13にち(どよーび、曇り)

本を買いたい欲が凄い。

自分が本当にやりたい研究のために、様々な勉強が必要だと実感した今日この頃。

今年は有意義な一年になりそうだ( -д-)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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さて、今回の考古学・歴史ニュースは『古代ローマ、ポンペイで出土した「最後の晩餐」はまだ食べれますよ?』ってお話です(*・ω・)ノ

【目次】
  1. 世界最古の博物館と、イベントの紹介
  2. 驚きの保存状態の食べ物を見よ!
  3. おわりに

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↑ハリー・ポッターでお馴染みのグレートホール(「Google」の画像検索結果より;*元ページが存在しないようです)


1.世界最古の博物館と、イベントの紹介

ということで、まず上に挙げた画像たちはイギリスにある超名門大学、「オックスフォード大学」の様子です。

オックスフォード大学は英語圏で最古の大学であり、記録では11世紀の終わりには講義を行っていたそうです。

当時の学生は弓矢等の武器類を携えて受講したのだとかΣ(・ω・ノ)ノ

そんな世界一の大学が有する博物館はぱっと数えたところ、5つもあるようです。

特に考古学博物館を二つも有しており、その所蔵数も莫大な量を誇ります。

今回紹介するアシュモレアン博物館(Ashmolean Museum of Art and Archeology)はその内のひとつなのです。

今回新たに開催される特別展、「Last Supper in Ponpeii(ポンペイにおける最後の晩餐)」は、2019年7月25日より2020年1月12日までの日程で行われます。

イギリスなので気軽に行けるわけではありませんが、よろしければどうぞ!

今回の記事では日本在住の方はなかなか気軽には行けないので、特別展と展示物の一部を紹介したいと思います。





2.驚きの保存状態の食べ物を見よ!





先にも述べたように、この特別展のタイトルは「Last Supper in Ponpeii」です。

レオナルド・ダ・ヴィンチの名画で有名な「最後の晩餐」にかけて訳してみましたが、実際に「Supper」は「晩餐」という意味の他に、「軽食」の意味があるそうです。

昼に正餐(しっかりとした夕食)を取った場合に軽く夕食を取ることをサパーというようです。

昼に夕食というのは何だか妙な感じがしますが、中世ヨーロッパではそれが普通だったようです。

当時は一日2食が一般的で昼と夜に食べていました。

(朝ごはん抜きの文化は古いんですね( -д-)ノ)

そして一番エネルギーの必要な昼に正餐を取り、夕食はサパーで軽く済ましていたようです。

なんだか健康的な食習慣ですよね?Σ(・ω・ノ)ノ

ということで、ポンペイから出土した今でも食べれそうな遺物はこちらです!


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一気に紹介しましたがいかがでしたでしょうか?

パンはたくさん出土しています。

丁度、サパーを取る時間帯に噴火したのでしょうね(/TДT)/

一番最初に挙げたパンが本当に、その辺で売ってそうなパンですよね。

実際に古代ローマのフレスコ画に残るパンも形状が一致していますし、驚きの保存状態です。

色調だけは変わってしまっていると思いますが、チョコレートパンにしか見えませんね。

触れることのできる展示なら、私は間違えて食べます( ・Д・)

たくさんパンが出土する中で、やはりヒビが入っていたり、押しつぶされているものも実際には多数ありました。

そのような中で、半分に切ってある状態のパンは上に挙げた写真しかありませんでした。

まさに夕食を取っていた際に起こった悲劇なんだなと痛感させられますヽ(TдT)ノ





3.おわりに

まぁ今回、勝手に「まだ食べれるよ?( ・Д・)シリーズ」と題しましたけど、以前にもまだ食べれそうな遺物の話があったと思います。


↓【「ラーメンの考古学」番外編】人類史上最古の麺が今でも食べれそうな件について。4000年前の麺はお湯かけて3~5分でイケそうである( ・Д・)【むしろこっちが正当な考古学】



上のこれがライブドアブログの新機能である「リッチリンク」なんですけど、当サイトのタイトルは基本的にバカ長いので内容分かりませんね( ・Д・)

しかも書き出しが「幼稚園児の日記風」にしてあるので猶更中身が分からんという事態になってますヽ(TдT)ノ

しょーがないので、上の例みたいにタイトルを併記したいと思います( -д-)ノ


他にも食べれそうな保存状態いいやつと言えば、こんなのもありましたね。


↓【中国の奇跡】2500年前の古代中国にも『超卵好き』がいた!?墓から大量の卵が無傷で見つかったよ!( ・Д・)【考古学】


↓お酒の考古学~フィンランド編~】最古のビールシリーズ④!古代人も現代人も世界中みんなビールが大好き過ぎる!【お酒の歴史】
 


他にも「弥生人の脳みそ」とかポンペイネタでも色々ありましたけど、今後このシリーズではあくまで食べれる系を紹介することにします。

まぁ滅多にないでしょうけどね!( ・Д・)

↓食べれそうだと思ったらぽちっとな!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2018ねん 7がつ 17にち(かよーび、曇り)

暑い!

天気はよろしくないが、蒸し暑い!

全国各地で猛暑のようだ……

ここは気温的にはマシだが、

暑い!ビアガーデン行きたいな~( -д-)ノ

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【目次】
  1. イギリスでは猛暑で農場から遺跡が見つかるのだそうだ
  2. 日本の踏査方法との比較
  3. 古代ローマ時代の最大規模の邸宅がイギリスの農場で見つかる
  4. おわりに

1.イギリスでは猛暑で農場から遺跡が見つかるそうだ
イギリスと言えば、特にロンドンは雨のイメージ!年間を通じて肌寒いイメージもありますよね。しかしながら2018年は最高気温が30℃を超える日も多く、雨不足の天気が続いているそうです。この熱波がもたらす干ばつのおかげで、イギリス南西部のウェールズ地方では古代の城壁や要塞などの遺跡が次々に見つかっているそうです!Σ(・ω・ノ)ノ


ちなみにウェールズは、ジブリの『天空の城ラピュタ』のモデルとなった地だそうです(私はラピュタが大好きです(。・ω・)ノ゙)。ウェールズの民は独自の民族文化を築いたようで、イングランドからの度重なる侵略に抵抗する公国がかつて存在したそうです。

 

そのため鉄器時代の集落跡やローマ時代の城塞や城壁など、多くの歴史的建造物の埋蔵地なのです。しかし通常は植物が生い茂っているため、遺構がどこにあるかはよく分からないとのこと。

 

ところが熱波によって干ばつが進み、多くの草木が枯死したために地表面が露わになり、結果として遺跡が上空からはっきりわかるようになったのだそうです。

 

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↑古代の生活と現在の農場の利用状況「CBHC / RCAHMW」の記事より画像を転載)

2.日本の踏査方法との比較
なんかミステリーサークルみたいな痕跡がたくさん見つかったんだな~って感想ですね。せっかくの機会なので飛行機で一気に遺跡の分布を調べてしまおう!ということのようですね。

アメリカではLiDARというレーダーによる光学走査技術が用いられて、古代マヤ都市のティカル遺跡を始めとして多くの発見がさなれています。この技術だとマヤ地域の鬱蒼としたジャングルも関係なく地表面の測量ができてしまうんですね。

まぁ植物が枯死したくらいで分かる痕跡であるなら、LiDAR使えばいつでも分かるのではないだろうかとも思うんですけどね。まぁきっと予算の問題でしょう!( ・Д・)

さて、日本でも踏査は行います。たくさん歩いて遺物を拾って、地点を記録して、遺跡のある場所の検討をつけるのです。

まぁ日本は大規模工事に伴う緊急調査が考古学調査の大部分を占めますので、マヤ地域のようなジャングル探検や、今回のイギリスのような広大な農場を練り歩くことはあまりしない傾向にはあります(広域地形測量に伴う踏査は除く)。

私の経験では、考古学専攻生が学習の一環あるいは趣味として、踏査を実施したことがありますね。先輩に教えられて行うわけですが、いつがタイミング的に良いのかというと、雨上がり!

農地は耕作によって下部の土が掘り返されている状況なのですが、その結果地表面近くに遺物が上がってきているのです。雨で遺物に付着した土が流れることで発見率が上がるんですね。

もちろん農作物が生い茂っている時は、見つかりません。というかそのような状況で農地に入ることがそもそも許されません。なので休耕地を狙うわけですね。

イギリスの場合は熱波で植物が大量に枯死した時ということで、日本とは大きく違うなぁと思いました。普段から雨の多い地域ですし、植生も違うでしょうからね、日本の感覚で英国で踏査を行ったら何も見つけられないのかも知れませんね!( ̄▽ ̄;)!!ガーン


3.古代ローマ時代の最大規模の邸宅がイギリスの農場で見つかる

さて、英国の農場では遺跡発見ラッシュが続いているようです。ロンドンの農場で納屋の配線工事中に偶然、1500年以上前にさかのぼる古代ローマ時代の邸宅の遺跡が出土しました。


邸宅は保存状態が極めて良好で、特徴的なモザイク模様が残っていました。この発見は地表面から僅か45センチほど掘ったところで起きたとのことで、よく近現代の攪乱を生き延びたと言えるでしょう。


この農場は古代ローマ時代の温泉地だった都市バースから約32キロ南東のブリクストン・デベリルにあり、古代ローマの邸宅としては同国最大級の遺跡であることが分かりました。


邸宅は紀元175~220年の間に建設され、4世紀半ばまでに改築されたものと推定されています。3階建てで縦横50メートル以上の大きさがあり、当時強い勢力を持っていた裕福な一家の所有だったようです。

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↑実際の調査の様子(「CNNnews」の動画より画像を一部加工)


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↑1500年前の巨大邸宅の復元予想図(「CNNnews」の動画より画像を一部加工)


付近からは浴室棟や井戸、陶器、硬貨などが見つかったほか、住人が食べていたと思われるカキの殻も出土した。この農家の台所付近にあってゼラニウムの栽培に使われていた石造りのプランターは、ローマ時代の子どもの棺だったことも分かったそうです(棺で何してんねん( ・Д・))。


古代ローマにおける最大規模の邸宅であるため、歴史的価値は非常に高く、今後の調査の進展が期待されます。完全に復元されて観光地になっちゃうかも知れませんね。

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↑カキの殻!いいもの食べてるね~!(「CNNnews」の動画より画像を一部加工)


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↑問題のプランター、実際は古代ローマの子供の石棺(「CNNnews」の動画より画像を一部加工)



4.おわりに
日本でも最近は30度越えの酷暑が続き、熱中症で搬送される、亡くなる方も多数との報道がなされています。普段肌寒い気候である英国で30度越えの熱波が続くってどのような被害になるのでしょうかね?

この記事に関連する研究をしている英国人考古学者は、この機会に一気にデータを取りたい!なんて仰っているようですけども、農場の植物が熱波で枯れるレベルって経済的打撃もすごいだろうに、けっこうな吞気さんなんだな~って思いました……いや、それでこそ研究者なのか!?

『紳士』として周りに気を遣って、ひっそりと成果を挙げて欲しかったなとも思ったり、思わなかったり( -д-)ノ

↓ま、押してみなよ。いいことあるかもよ?( ・Д・)ホゲー↓

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2018ねん 6がつ 9にち(どよーび、曇り)

ひとつ仕事が片付いた。

今晩中にもうひとつを片付けたい。

ストレス過多だととりあえずたくさん食べる

せっかくのダイエット効果があっという間に失われていく( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・
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今回紹介するのは、セルビアでの発見です。セルビアはヨーロッパの南西部、バルカン半島の内陸側に位置する国です。旧ユーゴスラビアの中心地ですね。

さて、このセルビアに所在する古代ローマの都市であるヴィミナキウム遺跡で、上に挙げた写真のような大きなひとつの石棺が発見されました。

見ての通り上部の蓋は半壊していますが、他の部分はおおよそ無傷の状態で発見されました。この石棺の内部には金銀のアクセサリーを身に着けた2体の遺体が納められていたそうです。


2つの人骨の内、ひとつは骨格がしっかりとした背の高い中年の男性で、もう一方はスリムな若い女性だそうです。

石棺の中に副葬された品は豪勢なものでした。男性には繊細なガラスの香水ボトルが3本、黄金製のベルトバックル、そして靴(一部が残存)が捧げられていました。他方で女性にはゴールドのイヤリングとネックレス、シルバーの鏡、そしていくつかの高価なヘアピンが捧げられていました。

この重要な副葬品から、この二人が非常に高い社会階級に属していたと推測されています。

上の写真が石棺内に納められていた貴重な副葬品になります。記事を書いた人が撮影したのでしょうか。明らかに背景をぼかしたりして、考古学的な写真じゃないところが面白い……いや、ちゃんと撮れよ!( ・Д・) しかも色々と出土してるはずなのに、これだけだとあまり豪勢な感じとか高い社会階層な感じがしないじゃない!( ・Д・)( ・Д・)( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・

さて、ベオグラードから東へ約70kmのところにあるコスタラクの町の近くに、今回の発見の舞台であるヴィミナキウム遺跡があります。この遺跡での居住は西暦1年頃にまでさかのぼることができるようです。それは古代ローマの軍事拠点の役割を果たしており、遺跡内には要塞、宮殿、集会所、寺院、円形劇場、水道、浴場と作業場が確認されています。

歴史家によると、人口は約4万人であった可能性があるそうです。この巨大な都市遺跡の内、現時点では約4%のみが調査されているそうです。

ちなみに現在のロンドン、ミラノ、ブダペスト、ベオグラードといった近現代都市に埋もれていない古代ローマ人の居留地は稀であるそうで、このヴィミナキウム遺跡は重要な遺跡なのです!

最初期の考古学調査は1882年に開始され、これまでの発掘によって、古代ローマの魔法のシンボル、翡翠と大理石の彫刻、陶器、モザイク、フレスコ画が刻まれた黄金のタイルや、14,000の墓を含む数万点の遺物が発見されているそうです。

まぁ所謂「いい所」から調査が行われるのが世の常ですが、残り96%もあるのであれば、今後の調査でもっともっと色々なものが見つかり、様々なことが分かりそうですね!

最後に、このヴィミナキウムという都市は、5世紀のフン族によって一度荒廃し、後にユスティヌス帝によって再建されました。そして6世紀のスラブによって再度破壊されました。以来、何世紀にもわたって、石棺は、略奪者、耕作、近くの炭鉱の機械による破壊を生き延びた結果として、現在私たちの前に姿を現したのです。

……そう考えると少し感慨深く感じませんか?


【おまけ】
考古学調査において使用する道具のひとつに「エンピ」があります。まぁ簡単に言うと「スコップ」です。上の写真の手前の男性が手に持ってるソレです。

「エンピ投げ」とは効率的(?)に調査を進める上で、遠くに土をぶん投げるのです。正直言って疲れるので全然効率的ではありません……が、考古学者には必携のスキルと(一部の考古学者には)言われております。

ただ土をぶん投げると、土をばら撒いてしまうのでダメです。エンピに載った土を、そのままエンピの形を保った状態で目的地点まで飛ばす必要があります。

「どうだ?すごいだろ?」と声を大きくする教授やら先輩やらは少なくないはずですが、こうして写真に撮るとその技術がよく分かりますね。

セルビア人、上手に飛ばしておる!そして受け手がネコ(一輪車)をやや斜めにして受け止めようとしてるところがニクイですね.。゚+.(・∀・)゚+.゚

こんな写真を撮って掲載してしまうあたり、やっぱり撮影者は考古学者じゃないのか、あるいはよっぽど遊び心のある人だと思います。記事は記事として割り切っているのかも知れません。

日本では最近、やたらに批判して、炎上して、謝罪して、取り下げる的な風潮が目立ちますけど、遊び心って大事じゃないのでしょうかね。万人に批判されない作品なんて、もしあり得るならば、きっと陳腐なものでしょうね。

私は遊び心を大事にします、例え炎上しても取り下げたりしない!(きっと)まぁ批判が適切ならば謝罪はしますけどね( -д-)ノ

↓ここを押すとどんな炎も鎮火するそうです(。・ω・)ノ゙↓
↓って隣のちっちゃなおじさんが言ってました!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2018ねん 5がつ 23にち(すいよーび、曇り)

思うに、頑張って記事を「考古学」っぽく、

本格的にな感じにすればするほど、

みんな興味ない!( -д-)ノ

トップ画像とインパクトあるタイトルが大事なのね!ヽ(TдT)ノ

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↑ 3世紀の古代ローマのお墓、発掘直後の様子(Archaeology in Bulgariaの記事より画像を転載)

今回、紹介するのはおよそ3世紀頃の古代ローマのお墓の話です。これはブルガリア南部で発見されました。しかも場所はというと、プロフディフ医科大学のキャンパス内だそうです!

どうやらこの大学のキャンパス内にある大統領府の建設工事中に発見されて、考古学者らによって調査されたようですね。大統領府がキャンパス内にあるってどういうことなのだろう……Σ(・ω・ノ)ノ

さて、上の発掘直後の様子の写真どうでしょう?考古学の調査の写真ってこういう感じなんですよ。スケールとして三本のポールが配置されていて、内部には方角を示す矢印が置かれています。分かりますかね?真ん中にごちゃごちゃしてるのは人骨ですよ!


古代ローマ時代には、プロフディフには4つのネクロポリス(「死者の都」、巨大な墓地ですね)があったことが知られています。プロフディフ医科大学のキャンパスは4つの内の西側のネクロポリスの上に立地しており、今回のような考古学的発見が頻繁に起こるそうです。

古代のネクロポリスの上にある医科大学ってだけで、肝試しには最高の舞台ですね!

さて、上の写真は発掘の最中のものです。掘ってる人の右手側にまぁるい何かが見えますか?これがカメの甲羅なのです。今回のこのお墓、何が不思議かというと、カメの甲羅が2個体分も出てきたことなんです。

実はこれ、ブルガリアでの最初の事例として、珍しい考古学的な発見なのです。

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2つの甲羅の内、1つは小さくて保存状態が良くないようです。写真の物は埋葬されたヒトの頭の横に副葬されていて、大きく、保存状態も良いのです。

では何故カメの甲羅が副葬されたかというと、調査者の仮説によれば、古代の人々がカメはエルメス(ヘルメス;ギリシア神話のオリュンポス12神の1人)の象徴であると考えたそうです。つまりカメは死者の人間とは異なり、死後の世界につながった生き物であると考えていたそうです。

カメは死んだのではなく、死後の世界に移行しただけということで、魂の不滅の象徴として捧げられたようですね。

この古代ローマの墓に副葬されるカメの発見はブルガリアでは最初ですが、他にトルコ南東部のディヤルバキール州にある古代アッシリアの集落の墓地に21頭のカメ類の化石が発見されたケースがあるそうです。

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↑ 供伴して出土した古代ローマのコイン(Archaeology in Bulgariaの記事より画像を転載)

考古学者らは、この古代ローマ時代の墓の中に合計3人の骨を発見しました。大人2人と子供、おそらく家族だそうです。また上に挙げたような3世紀のコインが見つかりました。

研究者たちは、墓に隣接して古代フィリポポリスの西側墓地から4つの墓地を発見したほか、大学の児童診療所の下において、大きな石積みの壁を発見しています。

他の墓の事例からしても、ネクロポリスで見つかる墓って集団埋葬施設のようですね。今回の事例のように一つの墓に複数の人が埋葬されることが珍しくないみたいです。

ま、ということで、今日は「世界亀の日」!カメさんに優しくある一日になりますように(。・ω・)ノ゙

↓押してくれるとカメさんも喜びます、きっと(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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