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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:古代ローマ

2025ねん 6がつ 1にち(にちよーび、晴れ)

最近漫画読むのが趣味!?( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは掘ってみたら最大級の邸宅だったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


🌿 川沿いに眠る4,000m²超の「ローマ貴族の館」、ついにベールを脱ぐ

ブルゴーニュ地方、現在のオセールから南へ約3km。19世紀からその存在は知られていたものの本格調査されなかった、ローマ時代の大邸宅「サント=ニタス(Sainte‑Nitasse)」が、ついに完整に姿を現しました。INRAPによる最新発掘で判明した敷地面積はなんと4,000m²以上、パルス・ウルバナ(居住区)と農業区(パルス・ルスティカ)を備えた大規模存在です。




🏛 庭園に噴水、床暖房、モザイク…ローマの贅沢が詰まってる!

この「館」の中心には450m²規模の中庭があり、その北端には水盤、南側には装飾用噴水が配されていたとか。周囲には回廊が巡り、迎賓室やワークスペース、厨房、そして東側には温浴施設が。床下暖房システム(ハイポコースト)やモザイク片、アプス(ドーム窪み)も確認され、まるで南イタリアの邸宅のような豪奢さだったんです 。





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🕰 築かれた時代と進化のプロセス

発掘で浮かび上がったのは、1~4世紀にかけての連続使用の軌跡。古くは外壁に営まれた小規模施設から、都市オセール(古名 Autessiodorum)が地方行政の中心へと進展するのに伴い、徐々に拡張されていったと見られています。おそらく2期、3期に分かれた建築フェーズが確認されています。





🌍 古代ガリア最大級?「貴族の農園」だった可能性も

INRAPはこれを“ガリア最大級のローマ大邸宅”の一つと評価。農業区を併設しながらプライベート浴場や庭園、暖房設備が整っていたことから、政治的・社会的に地位の高い富裕層の所有で、実務も行われる“都市エリートの農園”だったと考えられています。




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おわりに


これぞ“古代ローマのペントハウス”とも言えそうな邸宅…川沿いの静かな砂利畑に、こんな豪奢な居住空間が隠れていたなんて、ロマンが止まりません!450平方メートル級の中庭に噴水、回廊、床暖房にモザイク…住むだけじゃなくて、権威と快適さを兼ね備えたステータスの象徴だったんでしょうね。

しかも政治的な野心と結びついたエリートの“農園”だった。つまり、ここで食べて、会って、政治を語って、眠って…と、生活のすべてが一体化されていたんじゃないかなって思わず想像してしまいます。なんだか発掘自体が1500年以上前の人々の「生活デザイン」をたどるみたいですね。



何はともあれ、

やぱ世の中、金だな!( ・Д・)



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2024ねん 5がつ 31にち(きんよーび、くもり後台風)

やや寝不足だが研究が進んだ1日であったヾ(´ω`=´ω`)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはベスビオ火山の噴火の被害範囲は広かったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


これまでポンペイについては色々取り上げてきて、そしてヘルクラネウムについても何回か取り上げてきました。


↓一番新しい記事(*・ω・)ノ

↑ポンペイは検索してちょーだい!(*^・ェ・)ノ



なので皆さんもベスビオ火山の噴火でやられたのがポンペイだけじゃないことは既にご存じかと思います。

タイトルにポンペイだけじゃなかったって書いたのはインパクトのためなので悪しからず( -д-)ノ



ということで今回は東京大学の調査成果に関してですが、私自身、東大がイタリアを掘ってるのを知りませんでした。




上にに挙げた写真は発掘区のものですが、さすがに潤沢な研究資金で調査してるんだろうなって思うような大きな調査区です。


広い範囲を深く掘る時は写真にあるように階段のように落としていく(掘っていくの意)のですが、この現場はかなりの土量を上げてると思います。

重機使うのかな?

どれくらい時間かかるものなのか、興味は尽きないですね(*・ω・)ノ




さて、東京大学のチームは古代ローマ時代の別荘を掘っていて、初代皇帝の別荘である可能性が浮上していました。


それだけでも大きな発見ですが、この区域から軽石などの火山噴出物が多量に見つかったのです。

上の写真を見ても確かに上から三段目の壁がやけに灰色がかっていて、堆積した降灰の層なのかなって気がします。

炭素年代測定法で年代測定をしてみたところ、どうやら見つかった火山噴出物はCE79年のベスビオ火山の噴火時のものらしいということが分かりました。




何が新発見かというと、これまでベスビオ火山の噴火は南部地域に甚大な被害が出て、特にポンペイやヘルクラネウムが大変なことになったと考えられてきました。

ところが東大の調査した別荘はベスビオ火山の北側に位置しているのです。

どうやら北側にも十分な被害が出ていたようなのです( -д-)ノ




なんだ、そんな発見かと思うかもしれませんが、大事な発見なのです。

調査が広範に及べば、ハザードマップというか被害マップを作れるかも知れませんね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↑個人的には面白いと思う( ・Д・)




おわりに

上の写真、スケールちっちゃいし、方位は手書き?っぽうやつだし、何だか可愛らしさを感じます。

天下の東大の調査チームとは言え、多額の研究費つぎ込んでるわけじゃないのかも知れませんね。


何はともあれ、

海外調査は金がかかる!( ・Д・)



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2024ねん 5がつ 27にち(げつよーび、くもり)

明日はほぼほぼ寝ないで研究だな(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「古代ローマの立派な浴場に水入れて文化遺産活用してみたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はイタリア、ローマ市のカラカラ浴場です。

古代ローマの浴場跡はけっこう残っていて、遺跡公園化・観光地化されている場所も多いです。

そのような中でも規模の大きな遺跡がカラカラ浴場です。




イタリアの文化省は同遺跡の活用を目的に、遺跡内のロ・スペッキオ(鏡の意)と呼ばれる巨大なプールに水を入れました。




こんな感じにプールに大量の水を入れたわけです。

「鏡」って意味だけあって、水面に遺跡が映って美しさが増してる気がしますね(*・ω・)ノ




水って汚れるし、管理が大変そうだけれどそこは言わない約束です。

まぁ観光地として収益が増えれば維持費の問題は解決するのでしょう!





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おわりに

上に挙げた写真は水面に霧のようなモヤがかかった状態で更に幻想的な様子が伺えます。

ただ単に水を入れたわけではなく、ジェット水流とスポットライトを配備することで幻想的な様相を意図的に作り上げているそうです。

イメージとしては当時の浴場の湯煙を再現しようとしたとのことです。



その他にもプールの周りには緑の芝生が茂っていて、遺跡の茶色、芝生の緑、プールの青と色彩も考慮に入れられています。

また噴水の設備も設けています。



更には水面に舞台を設けて、演劇やダンス、音楽コンサートを開催する試みがあるとのこと。

さすがヨーロッパは文化財の活用方法が素敵ですね。



日本はとことんお金出さないから遺跡公園は基本的に放置状態ですよね(おかげで緑は豊か)。

活用せよ!と口は出すがお金は出さない、日本が誇る「文句あるか省」も少しは見習った方がいいと思います( ・Д・)




何はともあれ、

国よ、税金取ることばかり考えんな!( ・Д・)



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2023ねん 2がつ 5にち(にちよーび、晴れ)

春よ、来い!( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは考古学ではお宝発見してもお金にならんよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ




まぁそう書いちゃうと夢もないのですが、、、今回はイギリスの話だからちょっと夢あります!

ってことで、今回の舞台はイギリス北西部、カンブリア州のカーライルにある遺跡です。

遺跡名がちょっとよく分からないのですが、ハドリアヌスの長城の傍でカーライルの中にあるようです。




今回のお話は、古代ローマの浴場を発掘調査していたところ、排水溝から宝石が30個近く見つかった!ってことなんです。






宝石といっても半貴石です。

一般的に宝石というと貴石を指しますが、アメジストとかトルコ石などは希少性がさほど高くない、つまりたくさん量が取れるものなので宝石としての価値が低くなってしまい、こうしたレア度の低い宝石類を半貴石と呼んでいます。




今回見つかった物はこの半貴石なのですが、インタリオといって沈み彫りの装飾を伴うものなのです。

ちなみに浮彫だとカメオと呼ばれます。

古代のインタリオを有した品は半貴石であっても価値は高いのです。




アンティーク好きはどこにもいるもので、このインタリオはオークションでは100万円~500万円の値が付くそうです。

今回は30個くらい見つかっているので、3000万円~1.5億円くらいの価値があるって概算できるのです。

ただ今回の発見者は考古学者だから売れないでしょうね( ・Д・)




↑イギリスはトレジャーハンターの国!他にも記事あるから「お宝」で検索してね!



上の記事に書いたようにイギリスでは見つかったお宝を博物館が買い取るシステムがあります。

基本的には金銀で出来たものですが、夢はありますよね。

このシステムは貴重な文化財が闇市に流れないようにするためのものなので、歴史的に貴重なものであれば金銀でなくとも買い取りはあり得ます。





この半貴石のインタリオは本来指輪に付いていたものです。

粘土板などにグイッと押し当てて使用していました。

世界的にはインダス文明の印章のイメージで合ってますが、我々日本人にとってはハンコ文化が現在でも根強いのでスッと理解できますね。



指輪の金属部分と嵌め込む石部分(インタリオ部分)は植物由来の接着剤でくっつけていました。

しかし指輪を付けたまま浴場に入るせいで、蒸気にやられて石の部分が台座から離れてしまうことが多かったようです。

結果として浴場のお湯・水に押し流され、排水溝に溜まってしまったのです。




当時の浴場の清掃とかはどうなっていたのか気になりますが、、、

・・・古代ローマの浴場見つけて、排水溝で宝石探しするのイイかもね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!









おわりに

上の画像は今回のポイントとは異なるものですが、古代ローマの遺跡の発見記事って大体こんな写真です。

綺麗に残ってるな~って印象のモザイクが特徴です。




まぁ上の写真だと、よくこんな狭いトレンチ切ってるなぁと思いますけども。

たぶん文献史料を駆使してピンポイントで古代ローマ期の遺構を狙ってるんでしょうね。




古代ローマ人は碌に清掃してなかったみたいなのに、上の写真の人のように現代人がピカピカにしているのは感慨深い・・・

分かった、見つけた遺物を買い取ってくれとは言わない!


せめて清掃費くれ!( ・Д・)



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2021ねん 8がつ 18にち(すいよーび、晴れ)

さて、頑張りますかーいヾ(´ω`=´ω`)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはハドリアヌスの長城の一部が工事中にすごく浅いところから出てきたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイングランドの北東部に所在するニューカッスルです。

ニューカッスル市街地中心部から僅かに離れた地点において水道管の工事中にハドリアヌスの長城の一部が見つかりました。



ハドリアヌスの長城はCE122年に第14第ローマ帝国皇帝ハドリアヌスによって建設が開始された城壁でCE132年頃に最初の完成が見られました。

当時ローマ帝国が領土拡大を続ける中、ケルト人の侵入を防ぐために建設された城壁です。

そのためローマ帝国最北端の国境線でもあります。

高さは4~5m、厚みは3m、長さは118kmに及びます。

また6kmごとに見張り場としての要塞が建設されており、古代ローマ帝国が当時、ケルト人対策のために膨大な労力・費用を費やしたことが分かります。

このハドリアヌスの長城は、中央からみて遠隔地での長期化するケルト人との争いためローマ帝国が領土拡張政策を断念した象徴として重要視されており、1987年に世界遺産に登録されています。

サムネイル画像や最初に挙げた写真のように、ハドリアヌスの長城はかなり良好な状態で残っている遺構で、現在は観光名所になっています。




今回の発見は、そんなハドリアヌスの長城の一部が市街地から見つかったという点で興味深い事例です。

上に挙げた写真で分かるように非常に浅い地点から検出されています。

これだけ浅いのに現在までの人類活動による破壊から逃れています。

この地点は市街地中心部からやや離れているとは言え、十分に交通量が多く、また過去の水道管工事でも壊れていない点で奇跡的な残存と言えるでしょう。

上の写真ではスケールとして、恐らくトータルステーション(光波測量機器)のプリズム用と思われるピンポールの先端が置かれています。

この紅白ラインは通常10cm間隔です。

縦に置かれていないため正確には分かりませんが、現地表面であるアスファルト上面から20cmもないような深さからハドリアヌスの長城の一部である石列が見つかっていることが分かりますΣ(・ω・ノ)ノ





おわりに

ハドリアヌスの長城はローマ帝国の支配が及ばなくなった以降も使用され続けます。

上に挙げた写真のようにハドリアヌスの長城は残りが良いのですが、それもそのはず、ハドリアヌスの長城は17世紀まで使用され続けたのです。

もちろん長い期間の中で幾度も増築や修繕は行われています。

かつてはケルト人対策として建設された長城でしたが、後世ではハドリアヌスの長城はスコットランド対策として使用され、現在のイングランドとスコットランドの国境線にも強い影響を与えている巨大建造物として重要なものです。

それが現在のイングランドに帰属する市街地のど真ん中から出てきたというのは面白いなと思います。


・・・最初に造られたのがおよそ1900年前、なのに地表下20cm程度で検出されるものなのですねΣ(・ω・ノ)ノ

やはり人類活動の活発な地点は、、、

土壌の堆積が全然ないね!( ・Д・)



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2020ねん 10がつ 23にち(きんよーび、晴れ)

10日サボった後、10日くらい毎日更新中、えらいっ(・∀・)つ


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今回の考古学・歴史ニュースは「イタリア南部、古代ローマの遺跡が沈むバイア海底遺跡がかっちょいいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はイタリア南部、カンパニア州の町、バイアにある海底遺跡です。

正式名称は「バイア海底考古学公園」となっています。

 


上に挙げた写真は1956年にバイア上空からイタリア軍のパイロットが撮影したもので、それを機に発見されたのだそうです。



海外からかなり近いですし、浅い部分にあることが分かります。




グーグルマップの解像度って場所によってはかなり高いので、もしかしたら見えるかも~

って探してみましたけどダメでした( -д-)ノ


さて、このバイア海底遺跡は、ポンペイのような悲劇の都市とは性格が異なります。

この辺りは、少なくとも古代ローマ期から現在に至るまで、地殻変動の影響により地盤が浮き沈みしている地域なのです。

この地盤の上下運動はとても緩やかなものなので、古代ローマ人は水没の危険を察知して海沿いの邸宅を意図的に放棄したそうです。

さて、では海底遺跡の様子を見ていきましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





深度は浅いのでスキューバダイビングとして難易度は高くないそうです。

また船底から海底を覗けるようになっている遊覧船もあるので、ライセンスなくても楽しめるようです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


上の写真には破損した壺が映っていましたが、少なくとも中心部における大体の遺物の引き上げは終わってるようです。

特に彫像は全て引き上げられ、博物館にてオリジナルを見ることができます。

海底に設置してあるのはダイバー用のレプリカなのです(・∀・)つ



↑おわりに、で使用している「ポンペイ前提」について触れてます(難易度:高)


おわりに

地上の発掘調査ですら大変なのに、

海の中だと調査も記録も本当に大変だろうなと思います( ・Д・)

知人が海で調査したことあるのですが、聞いたところ、潮の満ち引きの影響で時間の勝負の側面が大きく、せっかく掘って露出させたそばから砂を被って嫌になると言ってました( -д-)ノ


考古学の基本理論である「ポンペイ前提」も使えなさそうだし、水中考古学は新しい分野ではありますが考古学界内でも課題が山積みな気がしますね。

海外ではもうけっこう盛んですが、日本ではまだまだ認められていない部分も少なくないと思うのです( -д-)ノ



このバイア海底遺跡周辺は現在でも地殻変動で浮き沈みしているようですから、私が死ぬまでにもし浮いてきていい感じに露出したら行きたいなと思います( -д-)ノ

そんなこと言ってないで、スキューバのライセンスを取るべきか……


マヤでも水中考古学やりたいね!( ・Д・)

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2020ねん 6がつ 8にち(げつよーび、曇り)

調査地のコロナ問題より、人種差別問題の方がやっかいだ( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「ノルウェーで古代のゲームが発見されたよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


今回発見されたのは古代ローマ時代(CE100-400)に帰属するゲームの一部です。

上に挙げた4本の棒は、サイコロだそうです。

記述を確かめていないので不確かですが、恐らくこの写真は『展開図』として加工された画像です。

なので、実際に出土したのはサイコロ1個(1本?)で、4面あるということだと思います。

(写真をよく見ると形態や損傷部から同一資料の別の面のように思えます……違ったら申し訳ないっ( -д-)ノ)

素材に関する記述もありませんが、遺物として残ったという事実と色調や表面の状態から恐らく動物骨や鹿角等を用いて作られたものでしょう。

私たちが一般的に使うサイコロって六面体のダイスですからね。

4面の棒状ダイスってだけで「レア感や古さ」を感じます(*・ω・)ノ



ちなみに各面には「0、3、4、6」って刻まれています。

刻線による円形(〇)とその中心に刺突/穿孔(・)があって、1つの単位を示しているのが写真から読み取れると思います(*・ω・)ノ

4面なので当然ですが、数字が現代の一般的なサイコロとは異なるというのが面白いですよねヾ(´ω`=´ω`)ノ





上に挙げたような駒も共に出土したそうです。

これもサイコロと同様に動物骨等で出来ているようですね。

この写真も「展開図」になっていますので、左側が表面、右側が裏面になります。

裏面には刺突(やや穿孔)が見られます。

全部で18個の駒が出土したそうですが、いずれも2点の刺突があるのでしょうか?

であれば、単に表裏を示すためのマークでしょうね(*・ω・)ノ




この発見はベルゲン大学博物館の考古学者モーテン・ラムスタッド博士らによってルウェー西部のイトレフォッセ村近くの墓地遺跡で行われた調査でなされました。


彼らによるとこのゲームのプレイ方法は古代ローマの戦略ボードゲーム「Ludus latrunculorum」に基づいている可能性があるそうです。

「Ludus latrunculorum」は上に挙げたようなチェスやチェッカー(ドラフツ)と似た盤と駒を使ったボードゲームだと考えられています。


チェスは、インドのチャトランガを発祥としているのは有名ですね。


前にも触れたでしょうか……


世界史でも有名な東インド会社の植民地期にチャトランガがイギリスに持ち込まれ、「女王陛下」が強くあらねばならぬイギリス社会の影響で、本来最弱の駒であった「宰相」が最強の「クイーン」になったという歴史があります。


私もチェスやりますけど、クイーンの動きは将棋の飛車+角行です。


どこまでも全方向に飛んでけます(ば、化け物かっ!( ・Д・))。




まぁチャトランガ、チェス、将棋のような戦略ゲームは世界中に類似ゲームがあります。


歴史書に残らないレベルの古代ではその発生については不明ですが、交易等を通じて伝播したのかも知れません。


あるいは古代社会において「ゲームは貴族の遊び」です。


こうした世界各地に見られるボードゲームの基本が「戦略ゲーム」だというのも、いざとなれば戦わねばならぬ貴族の軍事教育目的に由来して、後世に影響し合ったとは言え、本来的には各地でその必要性から自然発生したのやも知れません。




・・・・・・・・・・・・・


今回発見されたゲームのルールについては不明です。

というのも古代のゲームの一端を発見するのは考古学者ですが、ルールについて議論するのは文献史学者(所謂、歴史学者)であることが多いのです。



今回の発見は貴族層の墓の副葬品として出土していますから、保存状態は良好のはずです。

だとすれば18個の駒は全て揃っているはず。

ならば二人でプレイするならば、1プレイヤーは9駒を扱うことになります。



盤面は残っていませんから、木製でしょう。

正方形ならば、横方向に9マス×縦方向にも9マスでしょうか。

……このようにして考古学ではプレイ方法を推測していきます。

あくまでモノから推測していきますから(*・ω・)ノ



さて、今回の発見のポイントは鉄器時代であったノルウェーにも古代ローマ文化が届いていたということですね。

ということは出土品の真のプレイ方法の秘密は、本家ローマの出土品や歴史書、今後の発掘調査成果の中に隠れているのかも知れませんねヾ(´ω`=´ω`)ノ




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↑以前にも載せたティカルのボードゲーム、欲しい!( ・Д・)(確か、「Amazon」の商品ページからの転載だった気がする……毎度のことながら回し者ではありません( -д-)ノ)



おわりに


なかなかこういった遺物の出土は「レア」なので、久々の『ゲームの考古学/趣味の歴史』となります。

以下に、これまでに取り上げた『ゲーム』に関する記事を載せておきますね。


↓『ゲームの考古学』シリーズです(*・ω・)ノ







↓その他の、ゲームに関連した記事です(*^・ェ・)ノ









無料なのでライブドアブログ利用させて頂いてますけど、

けっこう検索が使いにくいなって思ってます。

変に広告が反応するし(ノ`Д´)ノ


なので、関連記事がある場合はこうしてリンクを貼るようにしますので、良ければ是非読んでみてください(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


『発見至上主義』な考古学者は好きではありませんが、レアな発見にはワクワクしてしまうというのもヒトの性でしょうね。


……古代マヤ文明、あるいはメソアメリカ文化領域には「パトリ」というゲームがあります。

これまでに建造物の床面・壁面に刻まれた盤面だけが見つかっています。


王族・貴族が遊んだ石製 / 土製駒付きのパトリを見つけたいよっ!( ・Д・)


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2020ねん 5がつ 4にち(げつよーび、曇り時々雨)

昨日から米津玄師の「灰色と青」をエンドレスリピートしつつ作業している。

……悲しい気持ちになったヽ(TдT)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・



今日の考古学・歴史ニュースは、「2000年前のレアな日時計が見つかったし、日時計に刻まれた碑文も解読されたよ!」ってお話です(*・ω・)ノ


人類が農耕を開始して以降、どの地域でも暦の役割は大きくなっていきました。

正確な暦を作るには正確な天文観測が重要であり、太陽の観察による『時間の流れに対する意識』の目覚めはかなり古いものになります。

地域差もありますが、農耕開始直後の紀元前7000年以降には簡単な日時計(木の枝を地面に突き立てたようなもの)もあったと推測されます。

時代は下って、古代シュメール文明や古代バビロニアでも天文観測が盛んでしたのであったと思われますが、さくっと調べたところ遺構はなさそうでした。

遺構として確認できているのは紀元前3000年の古代エジプトの事例のようです。

往々にして非常に古い日時計は、『ほんとに日時計か?』って怪しいものですが、古代エジプトでは少なくとも紀元前1500年までには確定的な遺構として確認できています。



今回紹介するのは約2000年前ですからおよそ紀元前後の遺構であり、古代ローマに帰属するものになります。

さすがにこの時期のものは、熟練した石工によって製作された非常に精巧なものになります。

そして古代の初期国家に見られるような王族や神官によって独占された秘儀としての天文学が重用された時期とは異なり、個人で発注して製作・設置可能であった時代のものです(*^・ェ・)ノ




トルコで見つかったアウグストゥス帝時代の日時計

発見があったのはトルコの西部に位置する古代都市ラオディケアです。

世界遺産にも登録されている観光地となっている遺跡です。

2020年、当該遺跡の調査中に、アウグストゥス帝時代(ヘレニズム時代)に相当する約2000年前の日時計が発見されました。

ちなみにこの日時計、大理石で出来ているそうですΣ(・ω・ノ)ノ



上に挙げた写真でも僅かに読み取れますが、半球状の盤面に文字(ギリシャ語のアルファベット)が刻まれています。

この文字は、季節と月を示しています。



現代の腕時計でも季節や月、曜日、昼夜などを省略記号で示したものが不随している品がありますが、その古代バージョンですね(*・ω・)ノ

現代でもそうした時計は高級で品数は少ない傾向にありますが、当時でもこういった『時間について詳細に示した日時計』は非常に稀な事例です。

また半球状の盤面の縁には葉っぱのモチーフが連続して帯状に展開していますが、このような種のモチーフが日時計に用いられる事例もとても稀なんだそうです(*^・ェ・)ノ



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ローマの南方で見つかった日時計と碑文の意味

こちらの発見はイタリア、ローマの南方80km地点のリーリ渓谷にあるインテラムナ・リレナスという町の遺跡で発見されました。

このインテラムナ・リレナスは中規模の町で、巨大な古代ローマにおいてはありふれた町のひとつでした。

この町は紀元前300年以降に建設され、紀元後600年までには放棄されました。

今回紹介する日時計は今から約2000年前の紀元前後の遺物ですので、町の歴史としては中間期くらいに相当するのでしょう。

上に挙げた写真に見られるように、日時計の半球状の盤面には時刻を表す11本の線と、これらと交差する3本の曲線(夏至、冬至、春分および秋分との近さを表す)が刻まれています。

先に紹介したトルコの事例とは異なり、盤面に影を落とす役割を担った鉄製の棒は失われています。


この日時計はかつて、町の広場に堂々と設置されていたと推測されていますが、下部の図で示すように発見されたのは町の劇場の入り口付近でした。

西暦600年までに廃墟となってしまったこの町では、放棄前後に建築材として石材の持ち出しがありました。

その際にこの日時計も運ばれて、でも「やっぱやーめた!」と放置されてしまったようです( -д-)ノ

こうした後世の人による破壊・移動もあって、指針たる鉄の棒が欠損したのかも知れません。


さて、この日時計の重要性はその碑文にあります。

解読の結果、ローマ市民であったマルクス・ノウィウス・トゥブラという人物が護民官に当選した記念に、故郷の小さな町に日時計を自腹で購入し、寄贈したとあるそうです。


先のトルコの日時計は立派な大理石製でしたが、小さな故郷のために自腹で寄贈した日時計が石灰岩製というのも趣きを感じます(*^・ェ・)ノ


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↑町の劇場址と日時計の位置関係(「Nacional Geographic」の記事内画像より転載)



おわりに


どちらの発見も重要なものです。

特に後者については、古代ローマ社会において、周辺の中小都市からも出世可能であったということの発見に繋がり、歴史的にも考古学的にも重要です。

インテラムナ・リレナスという片田舎の町から、ローマの栄職に就くような人物が出たことは町の誇りであったでしょう。

護民官という役職は紀元前27年には権限のほとんどを失った名誉職となり、かの人物の就任はその前後となります。

なので彼が裕福だったようには思えません。



マルクス・ノウィウス・トゥブラという人物の出世、町の人たちの想い、故郷に寄贈した記念碑としての石灰岩製の日時計、、、

彼はどんな想いで、どんな状況で日時計を発注したのでしょう

英傑や勇敢な王、策略を駆使した戦とその勝敗などの際立った人物や事柄、歴史の動く瞬間に目を奪われがちな歴史ではありますが、

こういった小さな町の、小さなストーリーに思いをはせるのも歴史の面白さであると、少しでも感じて頂ければ幸いです(ノд・。) グスン

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2020ねん 2がつ 29にち(きんよーび、曇り)

昨日、めちゃくちゃ寒かった。

そして今日、曇り続けてやや肌寒い感じ。

異常だ、これは一月初めの気温だよ!Σ(・ω・ノ)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「黄金都市エル・ドラド伝説に影響を与えた失われた古代都市が南米のジャングルに眠ってるよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

今回の話題は南米コロンビアでのお話です。

中米のマヤ地域でもそうですが、南米のコロンビアやブラジルには鬱蒼としたジャングルがたくさん残っています。

あるいは今回のケースのように国立公園として保護されています。

航空レーザー測量も導入開始された現代考古学ですが、そういったジャングルの中にはまだまだたくさんの古代都市遺跡が残されているものなのです(*・ω・)ノ




エル・ドラドとは?

さて、最初に挙げた絵画に見られるように、南米地域には「黄金都市伝説」があります。

大航海時代、多くの人々が冒険を求めて旅に出ました。

ドラゴンが守る塔にはお姫様が捕まっていて騎士が彼女を救うといった「騎士道物語」が本気で信じられていた時代です。

この手の小説の中にはディズニーで有名な「生命の泉」の話もあります。

こういった当時の伝説の一つが「黄金都市、エル・ドラドの伝説」です。

多くの人々が夢物語として未知の島や大陸には金銀財宝が眠っていると信じていたわけですが、ただエル・ドラドの伝説は噂に基づくもので小説等の作り話ではありません。

エル・ドラードとはスペイン語で「金箔をかぶせた」、または「黄金の人」を意味し、ムイスカ文化の儀式が基になっています。

ムスイカ文化では金の採掘が行われており、また加工技術が発達していました。

そして首長が全身に金粉を塗り儀式を行う風習をもっていました。

この話をスペインのコンキスタドール達がを聞き、南米アマゾンには黄金郷があるという伝説が生まれたのです。

特に、上に挙げた写真は 『ムイスカ人の黄金の筏(La Balsa Misca)』と呼ばれる資料で、これがヨーロッパ人に対してエルドラード伝説(黄金郷伝説)を生み出す大きなインパクトとなったのです。


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コロンビアに眠る「失われた都市」

さて、今回の話題はコロンビア北部が舞台となります。

3枚の地図画像の内、1枚目が最寄りの大都市サンタ・マルタの位置です。

マニアックな切り取り方をして、マヤ地域である中米のユカタン半島を敢えて画像内に収めてみましたが、有名なキューバも入ってますので何となく位置が分かるでしょうか?( -д-)ノ

2枚目の地図画像の位置がシエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ国立公園で、深い森に覆われた丘陵地帯です。

この国立公園内にはシウダー・ペルディーダ(失われた都市)の名を冠する土地があり、実際に古代都市遺跡があります。

3枚目はタイロナ国立公園の位置で、先コロンブス期のタイロナ文化が栄えた場所になります。

タイロナ文化の人々は大きな領域を有しており、シエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ国立公園の方まで広がっていました。

彼らは16世紀にスペイン人のコンキスタドールの侵入に対して抵抗し続けますが、17世紀後半まで都市を放棄します。

この放棄の理由はスペイン人が持ち込んだ疫病のためと考えられています。

先に述べたように「失われた都市」の地名を有する土地もあるのですが、実際にこの周辺域に残るタイロナ文化の都市遺跡が全て「失われた都市」として呼ばれているのです。




この地域に考古学者の手が伸びたのは1976年のことでした。

中南米あるあるなのですが、密林の中の行軍は有毒の植物や昆虫、蛇、ジャガーと脅威で一杯なため遺跡への到達はかなり最近の話ばかりなのです。

道が開けた現在でも到達するのが困難な遺跡がたくさん存在しています( -д-)ノ

当時は道なき道を、感覚便りの現地ガイドに従ってナタで切り開いての強行軍ですからとてつもない辛さだったでしょうねヽ(TдT)ノ

簡易の考古学調査や踏査が進行するにしたがって、タイロナ文化はCE200年頃から発達し、エル・ドラドの伝説の基となったムイスカ文化と交易関係にあることが分かりました。


そのためムイスカの民と同じように、タイロナの民は金や銅を始めとする貴金属細工技術に優れていることが分かりました。


また16世紀半ばのフアン・デ・カステリャノスを始めとして多くの年代記によれば、タイロナの民は贅沢な服飾をしており、皆が模様入りのケープ、羽根の頭飾り、ビーズの首飾り、大ぶりの真珠、カーネリアン(紅玉髄)、そして黄金を身につけていると報告しています。


こうした年代記や考古学的な発見によって、エル・ドラド伝説は再び日の目を見ることになり、つまり盗掘者に狙われることになりました。


中南米のジャングル地帯は「インフィエルノ・ベルデ(緑の地獄)」と呼ばれることもあり、現在でも考古学者の侵入を阻んでいます。


一方で盗掘者たちはお構いなしなのでジャングル地帯は「盗掘天国」と揶揄されることもあります。


翡翠しか出ないマヤ地域でも被害は甚大なのに、黄金という分かり易い「財宝」があると南米での遺跡保護は非常に難しい問題だと思います(TДT)



arukemaya779
↑テユナ遺跡の景観(「viator」の記事内画像より転載)



20世紀終わりから現在まで、遺跡を保護すべく数々の大規模なプロジェクトも実施されてきました。


結果、上に挙げた写真に見られるテユナ遺跡が整備されたのです。


この遺跡では円形の家々、舗装された道、階段、テラス、広場、儀式の場、運河、倉庫など、200基余りに及ぶ各種の構造物が復元されており、現在公開されています。


しかしこの都市は険しい山の尾根に沿って作られているので、観光と言えど到達はかなり大変なようです( ・Д・)


このテユナの建設は9世紀と考えられおり、マヤ研究をしてる立場としては新しいなと感じます。


しかしそのテユナという名前は当時のチブチャ語で「地上の人々の起源」を意味するそうです。


テユナの最盛期の人口は2000~8000人と推定されており、タイロナ文化の中心地として機能しました。


またタイロナ文化は文字を持たず、車輪も、動物に荷を引かせる技術もありませんでしたが、十分な余剰農産物を何世紀にも渡って生産できていました。


そのため金細工を始めとする高度な文化を築くことが出来たわけです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


・・・・・・ところで、私達日本の食料自給率は僅か37%です。


まぁ科学技術が発達していようとも特殊な自然環境を整えるより、海外から買った方が早いかつ安い、日本では通常獲れない野菜や肉類もあるでしょう。


かく言う私も世界中の食べ物を国内で食べられる日本が大好きです(*^・ェ・)ノ


それにしても37%は酷過ぎます。


地震大国日本とか頻繁に目にするけど、いざという時どうするの?


同盟国、親日国に頼るの?


政治家よ、大臣よ、人々よ、文系大学要らね~とか言ってる場合ではなく、、、


国とは何か、良き政治とは何か、滅びを避けるために我々は何をすべきか、


そろそろ古きに、歴史に学ぶべき時かも知れませんね( ・Д・)


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2020ねん 2がつ 24にち(にちよーび、晴れ)

忙しい時に限って、仕事が次から次へと舞い込んでくる(ρ゚∩゚) グスン


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya776


今回の考古学・歴史ニュースは「古代王政ローマ、建国神話に出てくるロムルス王のものと思しきお墓が公開されたよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

ローマの歴史は、王制ローマ、共和政ローマ、帝政ローマと大きく分けられます。

この内の最初の王政ローマは約250年間続いたことになっていますが、歴史書に現れるのは王制ローマが終わってから500年も後のことなのです。

なので恐らくは王制ローマに関する歴史書の内容の多くは神話であると考えられます。

しかしながら現在のローマ市では神話時代の最初期に関する記述通り、上に挙げた「狼に育てられたロムルスとレムス」の像が飾られており、また4月21日は建国記念日として盛大に祝われているのです。




建国神話における最初の王、ロムルス

ローマの建国神話はロムルスとレムスの誕生から始まります。

軍神マルスと古代イタリアの都市国家の王女、レア・シルウィアの間に生まれた双子は、王女の叔父によってすぐに捨てられてしまいます。

しかし最初に挙げた写真や上のコインのように、狼に育てられ生き延びます。

後に祖父に出会い、孫であることが判明し、自分たちが捨てられた土地に都市を建設することにします。

この都市がローマなのです。

都市の境界を決める際に兄弟は揉め、兄のロムルスは弟レムスを殺してしまいます(後半部で関係してきます(*^・ェ・)ノ)

兄の名前ロムルス(Romulus)はロームルスとも発音します。

つまりローマの語源は初代王ロムルスに由来するのです(*・ω・)ノ

ロムルス王はその後およそ40年の間、ローマを統治し、その後消えてしまいます。

後の歴史家たちは元老院議員らによってロムルス王が暗殺されたと考えており、中心となった人物はユリウス・プロクルスと推定されています。

彼は後のユリウス氏族の祖先と考えられています。

ユリウス……カエサル?

政治家は親も子も、昔からロクでもないのか( ・Д・)


arukemaya778


本当にロムルス王の石棺?

上に挙げた写真がイタリア、ローマ市のフォロ・ロマーノにある元老院議事堂跡です。

ちょうど地下への入り口に人が立ってます。

この地下から100年以上前に祭壇と共に石棺が発見されました。

調査者はロムルス王の石棺であると解釈しましたが、学会全体の合意には至りませんでした。

1980年代後半にはこの議事堂跡の近くから巨大な石を特徴とした長く深い溝が発見されました。


調査者はロムルスが都市の境界として掘った「聖域の溝」だと主張しました。


でもやはり合意には至っていません( -д-)ノ 





上に挙げた写真が問題の石棺ですが、かなり質素ですね( -д-)ノ

まぁ暗殺されてぶち込まれたのだから、墓があるだけマシなのか( ・Д・)

これらの遺構に関連して出土した遺物から石棺の帰属時期はBCE6世紀と考えられています。

伝説ではローマの建国はBCE753年だから統治期間を考えてぎりぎり同時期と言えるかなって感じですねヽ(TдT)ノ

現在も地元の考古学者らが、ロムルス王の石棺であると証明すべく精力的に調査を行っているそうです。

是非、証拠をどんどん集めて、「伝説の王様のお墓!」を証明して欲しいですね!

こういう地元密着型の調査は周辺地域の人々の活力にも繋がりますし、考古学の果たせる重要な仕事のひとつだと思います。

いや、ほんとにすごい夢のある、浪漫溢れるテーマだなと思います……

ローマンだけに( ・Д・)

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