あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    古墳時代

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 10がつ 6にち(げつよーび、晴れ)

    月初めだけどなんかもう疲れてる!( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは「弥生時代末から古墳時代初頭だからちょうど面白い時期の古墳が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    ✨ 導入 — 水田の合間から立ち上る、千年の記憶

    滋賀県・守山市の田園風景。その広がる水田の片隅に、深く潜っていた歴史の断片がひっそりと姿を現した。笠原南(かさはらみなみ)遺跡。近年の発掘調査で、弥生時代末~古墳時代初頭の墓、建物、溝、井戸などが次々と検出され、その発掘成果は考古学界だけでなく地域の人々の胸にも波紋を広げている。


    畦道を歩くような足取りで過ぎてきた風景が、かつては人びとの祈りと営みを育んでいた時間とつながっていたのだと気づかされる。この記事では笠原南遺跡から浮かび上がる古の暮らしと墓制の様相を「あるけまや」風に丁寧に紡いでみたいと思う。






    🏺 墓制の発見:前方後方形周溝墓、2基の列挙

    発掘調査によれば、笠原南遺跡内から 2基の前方後方形周溝墓 が、弥生時代末から古墳時代初頭の墳墓として確認された。


    この形式の古墳(前方後方形)は、近畿地方では比較的希少であり、通常知られる前方後円墳とは少し異なる構造をもつ。二基が直列に並んでいる点も興味深く、古い墓制の転換期を映す姿と見る研究者もいる。


    この並列配列が意味するものは何か――祭祀・祖先拝礼・統治層の関係性など、さまざまな仮説が考えられるだろう。




    arukemaya_y207
    ↑現地説明会っていいよね!( ・Д・)(「滋賀県文化財保護協会」のページ内画像より転載)


    🛖 住居・建物・井戸:生活の痕跡と構造

    墓だけでなく、笠原南遺跡からは 掘立柱建物址井戸・溝遺構、さらには奈良〜平安時代の川跡なども検出されていることが、地域の文化財協会による説明会で報じられている。


    これらの建物址は、単なる屋敷ではなく、あるいは共同体の集会場や儀礼場を兼ねたものだった可能性もある。井戸は水源として日常生活の要をなしただろうし、溝や溝道は土地の排水・水管理と密接に繋がっていたと考えられる。


    発掘報告書「笠原南遺跡発掘調査報告書」にも、これらの構成と所在・層位関係が詳細に記されており、古代集落の構造を読み解く鍵となっている。


    建物址と墓地空間の位置関係、重複関係、年代の重なり合い……それらをひとつに統合することが、遺跡理解の肝と言えるだろう。






    🛡 出土遺物:土師器・須恵器・灰釉・木製品など

    遺物として 土師器・須恵器・灰釉陶器・黒色土器・木製品 が出土した。


    これらの器種の組み合わせは、時代転換期の遺物構成を映す典型的なパターンであり、瀬戸地域・近江地域の陶器系譜との比較検討が進められるべきだ。たとえば、須恵器の出現は古墳時代の始まりと密接な関連を持つため、須恵器の質・形・焼成技術などが重要な手がかりとなる。


    また木製品の出土は保存条件が厳しい中での発見であり、遺構と器物との関係を結びつける証拠になりうる。たとえば木棺、木片副葬品、建物材料などの可能性も含まれ、検体保存と分析が期待される。





    arukemaya_y208
    ↑なまら暑そう!( ・Д・)(「滋賀県文化財保護協会」のページ内画像より転載)


    🌀 時代の重なり・変換:境界域としての笠原南

    笠原南遺跡は「弥生時代末 → 古墳時代初頭」の変換期を捉える好例と言える。この時期は、稲作社会の成熟、首長制の隆起、墓制変化(円墳・方墳などの成立)、そして政治・祭祀構造の再編という動きが全国各地で観察される。


    笠原南においては、特に前方後方形周溝墓という形式が選ばれた点、住居と墓地の配置関係、そして多様な器物群の出土が、変換期社会の“試行”を映す可能性を持つ。


    また、奈良・平安期の川跡検出も報じられており、遺跡はその後世まで土地利用が継続された場所であった様子が窺える。こうした継続性の側面も、地域史を読み込むうえで無視できない。






    🔍 謎と展望:何がまだ見えていないか

    1. 墳墓の構造と副葬の実態
       発表されているのは周溝墓という枠組みだが、内部構造、副葬品分布、被葬者の社会的地位を示す物的証拠はまだ詳細には公開されていない。

    2. 祭祀と日常の境界
       建物址・溝・井戸と墓地空間がどのように関係し、共存したのか。儀礼空間と居住空間の分離・重複構造を解く鍵が欲しい。

    3. 最初期の方墳・方形墳墓の系譜との比較
       近隣地域(近江、山城、瀬戸内など)での墳墓形式との比較によって、笠原南の位置づけが明らかになる可能性がある。

    4. 木製品の種類と保存状態
       木製遺物が何であったのか(棺・建材・器物など)、どこに使われたのかを特定できれば、墓葬制度・建築技術の理解が深まる。

    5. 時代差異と重層性
       発掘層・年代層が重なり合っている可能性が高い。弥生末・古墳初・奈良以降、複数期の重なりをどう読み解くかが課題である。





    🧭 次へ向けて:新たな問いを胸に

    笠原南遺跡は、まだまだ解き明かされる余地を多く残す“水田の中の古代舞台”だ。前方後方形周溝墓、住居址、溝・井戸・木製遺物と、出土対象は多岐にわたり、ひとつの遺跡で複数時代の営みが折り重なっている可能性を示している。


    今後の発掘報告、分析成果、公表資料に注目したい。新しい技術(非破壊撮影、3次元モデル化、古代DNA・木材分析など)が加われば、笠原南は全国的な変換期遺跡のモデルにもなりうる。







    おわりに

    格差研究、マヤ文明で理論化を進めているけれど、古代ローマと古代エジプトにも拡張したいなとも思ってるんだけれども、古墳時代もいいんだよね~。

    でもなかなか一般層のデータが取れなさそうだなと、いつも挫折してしまうんだけれど、、、

    ポンペイ的に火山噴出物に覆われた遺跡だけをピックアップしてやってみようかな~と、、、



    問題は、、、どのタイミングでやろうかな!!!( -д-)ノ



    何はともあれ、

    やぱ格差研究いいな!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 9がつ 26にち(きんよーび、晴れ)

    今日は発掘現場で送別会あるんだけどお金ないから出費つらいぜ!( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





    今回の考古学・歴史ニュースは「埴輪に鳥のアップリケが付いてるぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    🔍発見の構図:松江・八幡鹿島山古墳で“鳥が舞う”朝顔形埴輪

    松江市の 八幡鹿島山古墳 で、古墳時代中期(5世紀前半あたりとされる)に作られた 朝顔形埴輪 に、翼を大きく広げて滑空する鳥の装飾が付いたものが発見されたと市が発表した。これは 国内初 の事例とされている。


    この鳥形装飾、口縁部(朝顔の「縁」のところ)に取り付けられていたもので、ほぼ完全な状態で、縦 14.3 センチ・横 13.9 センチ・高さ 5 センチ、尾部の造形などから「タカ」可能性が高いとされている。また、線刻で複雑な文様も刻まれていたとのこと。


    この発見は「これまで知られていない装飾的な意匠」が埴輪に付加されうるという点で、古墳時代の埴輪研究にとって画期の一歩になりそうだ。






    🧱朝顔形埴輪とは何?── 伝統と変化のフォルム

    朝顔形埴輪は、円筒埴輪が上部で口縁を広げ、朝顔のようなシルエットを持つ形態を指す。その起源・発展には次のような論点がある:


    • 円筒埴輪が器台の役割を兼ねた形(壺や器を載せるなど)から発展 → 朝顔形の拡がり部分が装飾性を帯びていったという流れが指摘される。

    • 多くは無装飾で、文様や穿孔(透孔)を施す例はあるが、鳥の装飾という具象モチーフを加える例は極めて稀。

    • 出土例:例えば埼玉・さきたまの朝顔形埴輪など、典型的な形状例はある。

    今回の発見は、朝顔形埴輪という枠を越えて「装飾付き具象モチーフ併設型埴輪」の可能性を示唆するものになる。




    arukemaya_y185

    arukemaya_y187
    ↑朝顔形埴輪ってこんな感じ!( ・Д・)(「明治大学博物館」「本庄早稲田の杜ミュージアム」の画像を転載)





    🔄近似事例・比較視点:鳥形埴輪との接点

    装飾付き朝顔形埴輪という具体例が極めて少ない中、以下の類例情報を押さえておくと文脈が見えてくる:

    • 鳥形埴輪そのもの:日本各地で鳥をモチーフにした埴輪(飛翔・止まる鳥など)が出土している例もある。MIHO MUSEUM の「埴輪 鳥」もその一例。

    • 翼を広げた鳥形装飾の報道:松江市の出土例が「国内初・翼を広げ滑空する鳥の装飾付き埴輪」としてニュースになっている。

    • 埴輪列や形態変化:朝顔形埴輪は多くの場合無装飾型が中心。よって装飾付き形態の発現時期・地域差を探ることが重要。

    • 他地域の象徴動物モチーフ:古墳時代には馬や鹿、鳥などがしばしば陪葬品や埴輪モチーフに使われており、鳥形モチーフには象徴性(霊的・導き手・守護など)があった可能性。

    比較を通じて、「この松江例が孤立例か、ある系譜の一端か」を議論できる土壌が出てくる。






    🧪発掘・解析の視点:どこに注目してるか

    この発見で注目されている研究・検証視点を整理しておこう:

    • 装飾部材の接合痕・継ぎ目観察
       鳥装飾が本体にどう取り付けられていたか(接合部分、接合粘土痕、接着土痕など)が鍵。

    • 線刻文様・彫り込み手法分析
       装飾の線刻の深さ、彫法、文様パターンから製作者の技術・流派を推測できる。

    • 粘土組成・土質分析
       朝顔形部分と鳥装飾部分で粘土の性質(含水率・粒度・成分など)が一致するか、別素材併用かを化学的に見る。

    • 層位・出土状況の関係
       発見された層位と周囲の出土物(副葬品・器物破片など)を総合して、制作時期や使用時期を絞り込む。

    • 類例比較・地域的分布調査
       他の古墳で未記録の装飾付き埴輪がないか、古報・未発表遺構報告を洗い直す。

    • 象徴解釈との結びつけ
       鳥モチーフが持つ意味(霊鳥・守護・来訪者象徴など)を、出土古墳の傾向や被葬者推定と絡めて議論。



    arukemaya_y188
    ↑これ見つかったこ!( ・Д・)(「山陰中央新報」の記事内画像を一部雑に加工)


    💬意味と波紋:古墳文化・王権との関係を問う

    この発見にはさまざまな含意がある。いくつか考えられる論点を並べてみる:

    1. ヤマト王権との結びつき
       松江市という位置から、当地豪族が大和政権と関係を持っていた可能性が、こうした先進的・装飾的埴輪制作を通じて浮かぶという論点。報道ではこの点も注目されてる。

    2. 地方独自性 vs 形式継承
       装飾付き形態の出現は、地方の工房が意欲的に造形を試みた可能性を示唆する。中央の形式に従うだけでなく、地域性を発揮する方向性を見る手がかりになる。

    3. 守護象徴としての鳥モチーフ
       翼を広げて滑空する鳥=空を制する存在、霊界と現世を媒介する象徴とした意味づけは古代世界でよく見られるテーマ。そうした象徴性を埴輪という静物に込めた試みと解釈できる。

    4. 意匠進化のタイミング
       無装飾型朝顔形から装飾付き型への変遷タイミングを把握することは、埴輪文化進化の年次軸を補強する可能性がある。

    5. 普及と希少性のはざま
       この例が“記念碑的例外”なのか、他にも潜在例があるかを探すことによって、装飾付き埴輪の普及度・方向性を議論できる。






    おわりに

    今回の鳥も可愛いよね。

    てか動物系は大体可愛い!



    でもできればまんまるにデフォルメされていると尚良い!

    が、今回は復元図がめちゃ可愛いので良き!



    動物系遺物ばっか集めた「動物の考古学」もいいね~ヾ(´ω`=´ω`)ノ





    何はともあれ、

    やぱ鳥はまんまるおでぶがいいな!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2025ねん 7がつ 17にち(もくよーび、晴れ)

    7月の残り全力で走る他ない!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





    今回の考古学・歴史ニュースは未だに新たな古墳見つかるのね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    まぁ新たな技術が導入されて、お金も莫大にかかるし、日本全国で調査終えたわけでもないし、当たり前っちゃ当たり前だけれども、、、

    まぁ見つかるのはいいことです!

    使えるデータ増えるので!( ・Д・)


    ってことで、、、



    🌿 古代の道沿いに眠っていた円墳、佐紀古墳群で2基を新発見!

    奈良市の北、平城宮跡のすぐ近くに広がる佐紀古墳群。その東側グループで、航空レーザー測量の最新調査によって新たに円墳が2基見つかりました。過去に飛び越えていた「街道の傍ら」が、実は古代の墓所でもあったという発見に、ワクワクが止まりません!





    🗺 どんな場所?街道沿いに築かれた古代のミニ墳墓

    佐紀古墳群は、4世紀から5世紀にかけて大中型前方後円墳が造られた歴史的密集地で、これまでに70基以上が確認されています。今回見つかった円墳2基は、当時の街道に面して立地しており、通行者にその存在を示すように造られていた可能性が高いんだとか。竪穴式石室が残っているかどうかは、今後の掘削調査次第…とのことで、これからが楽しみです!




    arukemaya_y036

    ↑航空レーザー測量のイメージ!( ・Д・)(「奈良新聞」の記事内画像より転載)



    🕰 古墳が教えてくれる、あの時代の生活と価値観

    円墳は比較的簡素ですが、小型の墳丘にも意味がありました。大きな前方後円墳が王や豪族の墓なら、小ぶりな円墳は身分の異なる地域社会の人々のものかもしれません。つまり、「この道を行き交う人々の記憶」も古代には埋もれず一緒に刻まれていたのかも……なんてロマンを感じちゃいます。





    🔍 発見の意味は?歴史の地層に新たなページを追加

    • 発掘ではなく“空の目(航空レーザー)”から発見されたこと自体が、現代の技術が歴史を再照射している証拠。小さくても新たなページ。

    • 街道沿いというロケーションは、ここで人びとの営みと旅の記憶が交錯していた可能性を示す。

    • 今後の地上調査で、埴輪や副葬品が出てくれば、誰がどんな気持ちでこの2基を“並べた”のか…そんなストーリーが見えてくるかも?





    arukemaya_y037







    おわりに

    わ〜、1基だけでもドキドキするのに、その2つが仲良く街道沿いに並んでいたなんて!空から見つかった“古代のミニお墓”が、実は「歩く人みんなの記憶を担っていたかも」なんて思うと、もう胸がいっぱいです。


    歴史って、大きな“王様の物語”だけじゃなくて、小さくても丁寧に並んだ石の上に、普通の人の声や日々の営みが載ってる。それを現代が見つけて、また語り継いでいくって、すごく素敵で壮大な物語だなぁと感じます。


    まだ埋葬施設の確認はこれから。掘ってみたら、土器や埴輪、副葬品が出てくるかも…今後の調査にもワクワクですね。調査は秋以降? 最新情報が出てきたら、また一緒に旅しましょうね〜🌿✨





    何はともあれ、

    やぱ世の中格差社会だぜ!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2024ねん 8がつ 13にち(げつよーび、晴れ)

    良く寝ると仕事がよく進む、今年も躍進の年かなヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは埴輪ってカラフルだったらしいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    上に挙げた図は「挂甲の武人(けいこうのぶじん)」という名の付いた埴輪で、有名な埴輪です。

    今回修復に際してルーペ等で詳細に観察したところ、上に挙げた図で示されたように、『白色・灰色・赤色』の3色の塗布がなされていたことが確認できたそうです。



    マヤ文明だと彩文土器が当たり前ですが、日本だと沈文や浮文が主流です。

    なので古代の日本の土器は彩文がないと言われます。



    他方で、世界的にみて、赤色だけはどこでも使われます。

    やはり血の色ですから「力の象徴」のように感じるのか、ほんとにどこでも現れます。

    水銀朱やベンガラが普遍的ですが、日本だと漆も古くから伝統的に使用されています。




    どうやら関東圏の埴輪が着色されているケースが多いようです。

    他方で鳥取県では緑色や黒色を使用した事例もあるそうです。

    意外と埴輪ってカラフルだったのかも知れませんね。





    さて、今回の発見で面白いのは赤色だけではなく、「灰色と白色」も使用されていたという点です。

    これってマヤ考古学者からすると、3色以上の色彩を使っているので「多彩色(ポリクローム)」に分類されるのです。

    マヤの事例では顔料自体が貴重な物なので、単色や2色の土器・土製品は多彩色のそれよりも価値が下がります。



    それでは古代日本の埴輪ではどうだったんでしょうね?( ・Д・)



    おわりに


    まぁ今回の事例は、展示資料の修復時の発見なのでいいんですけれど、、、

    最近、理論系やってるせいか、重箱の隅をつつくような ”細かい” 研究にあまり興味を持てなくて( ・Д・)



    でも上に書いたように、埴輪の着色の有無と彩色数、色の種別は埴輪の社会的価値を考える上で面白いかなと思います。

    こうした研究に繋がるという意味で、今回の発見は素晴らしいものかと思います(*・ω・)ノ




    まぁマヤと違って、埴輪って古墳の上に放置されているものだから、風化による褪色どころから失われるケースも多いでしょうね。

    出土数が多いのも分析する側としては嬉しい悲鳴の原因ですが、、、

    (数量が多いことは最終的に分析しやすいが、そもそもデータ化するのが地獄という意味ヽ(TдT)ノ)

    うまいこと、埴輪に施された着色数に関する数量データを得られると面白そうですね。




    何はともあれ、

    やぱ考古学は面白いが金と時間がかかる!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2024ねん 6がつ 29にち(どよーび、晴れ)

    全然寝てないのに仕事頑張れてる( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは「古墳時代の埴輪・土器の製作址が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    これ、私の専門でもあるっていうか、

    実は、私がグアテマラ、ティカル遺跡で行っているプロジェクトの本来の目的は「古典期ティカルにおける土器生産体制の解明」なのです( ・Д・)


    ……今遠回り中なので全然違ったことやってるように見えるでしょうけど、本来そうだし、諦めてないのですヽ(TдT)ノ   
     
    まぁそんなこんなで今回の発見は個人的にとっても興味深いものなのです。



    さて、今回の舞台は群馬県、伊勢崎市の石山南遺跡・石山南古墳群です。


    上に挙げた写真見てみると、土の感じが違いますね。
     
    表面がなめらかな感じがします。

    これが雨が降った後の清掃じゃないのなら、たぶんシルト系の土壌なのかな~と思います。     



    シルトは砂と粘土の中間サイズの粒径できめ細かい質感です。

    なのでぱっと見で この周辺で粘土も採掘できそうな雰囲気ですね(*・ω・)ノ 





    そして上に挙げた写真が窯(かま)の痕跡です。


    この工房では埴輪の他に土器も作っていたようです。

    ニュース上では情報がないけれど、たぶん灰原(はいばら;窯の焚き口の前面に広がる、窯の中から排出された灰や焼き損じ品を捨てた場所)が検出されていて、その中に埴輪や土器の破片が入っていたのでしょう。



    ちょっとこれだけの写真だとよく分からないけど、炭化物たっぷりの層が見えるでしょう。

    それが恐らくは燃焼部(燃料あるところ)や焼成部(土器焼くところ)の天井部なのかなって感じですけれど、そうだとすると下方にもっと押してもいい(もう少し掘るの意)気がしますが、、、

    なんか全体的に厚みがないというか空間が狭いように感じます。

    土圧でつぶれるとこんな感じなのでしょうか……

    調べてみないと分からんのですが、まぁこの時代を専門に取り扱うプロが掘ってるんだからこれでいいに違いない!( ・Д・)


    今回の発見のすごいところは、

    ①古墳から10m程度の距離に工房があった

    ②埴輪だけではなく、土器も作ってた

    ③材料となる粘土の採掘坑も見つかった


    工房跡と採掘跡がセット関係で見つかるのが本当にレアな発見なのです。


    いやぁ今後の情報開示に期待ですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    ……そして日本の窯跡の勉強しなきゃな~って思う今日この頃です( -д-)ノ








    おわりに

    最後に挙げた写真は埴輪の頭部です。

    シカだそうです。

    こんなんだけど、鹿です。

     (しかのこのこのここしたんたんのアレです)



     確か東京国立博物館とかにシカの埴輪の立体パズルがあったような……



    何はともあれ、

    私にはナイトメアビフォアクリスマスの犬にしか見えない!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓祝!登録者数1000人突破!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓


      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2024ねん 5がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

    数学とダーツやりたい欲がすごい今日この頃( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya1788

    ↑土まっくろくろすけ!( ・Д・)(「南日本新聞」の記事内画像より転載;credit: 鹿児島県立埋蔵文化財センター)


    今回の考古学・歴史ニュースは「南九州で最古級の古墳が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台は鹿児島県鹿屋市、名主原(みょうずばる)遺跡です。

    古墳は全国で約16万基も見つかっています。

    1位は兵庫県の約1万9000基ですし、数だけで見るとバラつきがあるのですが、やはり数だけではなく、規模・大きさを考慮すると機内が中心地だなという印象があります。



    今回は鹿児島県、ということで南九州なのですが、畿内からはとっても離れているわけです。

    実際に鹿児島県における古墳の数は約500基で37位です。

    北海道、青森県、秋田県など0基の県もあるので、(北海道式古墳は別物です( -д-)ノ)、鹿児島県の古墳数は下位と言えます。



    弥生時代から社会の複雑化、階層化が進行して、階層化社会のひとつの指標とも言える巨大なモニュメント、つまり日本では古墳が造られるようになるわけですが、

    古墳の形状とか造り方なんかは恐らく畿内(中心地)から外側に広がっていったはずです。

    なので南九州への到達はかなり遅かったと考えられるわけですが、、、

    今回は古墳時代前期の古墳が見つかったということで、どうやら南九州地域での階層化社会の成立と古墳建造文化への参入は物理的距離の問題を切り抜けてどうやら思ったより早かったようだということが分かったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ




    上の写真を見て分かるようにかなり大規模な調査です。

    つまり今回の調査は道路工事に伴う緊急調査なのです。



    記事内の1枚目の写真で確認できるように周りが畑ですよね。

    なのでこの地点も元々畑だったと思われます。

    だから土がまっくろくろすけ(腐植土/黒色土)なのです。



    見つかったのは直径およそ20mの半円形の溝です。

    その内側の高まりが古墳の墳丘部だったのですが、後世の人間活動、つまりは畑を作る際の土木工事などで削平されて残っていません。

    お墓の部分も削られて失われているので、人骨も副葬品も見つかっていません。

    しかしながらこの遺構や周辺部からの出土品によって古墳時代前期に築造された古墳であると推定されています。



    古墳は群集墳になっていることが多いですが、この古墳は単独で存在し、サイズも大きなものです。

    大隅半島の塚崎古墳群も古墳時代前期に帰属しますが、この古墳から出土した土器の様相から同時期かやや古い可能性があります。

    総合して考えると今回の名主原遺跡の古墳は南九州最古の古墳である蓋然性が高いと言えます。



    今回の発見は、古墳の広がり、社会の複雑化の進展、大和王権の成立を考える上で重要な発見です。

    特に大和王権の影響が北九州までではなく、南九州までこれまでの想定よりも古くから強くあったと考えられる点で大きな発見と言えるでしょう。





    おわりに

    先ほどの上空からの美しい写真見るとやっぱドローンいいな~って思います。

    やっぱ調査やってると真上から撮りたいもんね!



    でも問題が4点あるのです・・・



    ①高い

    ②海外に持っていけるか謎だし、運搬機材が増えてやだ

    ③ジャングルの中だと枝葉にぶつかって壊れそうw

    ④そもそも今のダブルワークじゃ現地に私が行けないヽ(TдT)ノ



    まぁその内、アカデミアに戻ったら、許可関連確認してから研究費ゲットして購入するかな~

    ってことで、


    何はともあれ、

    まずは前回の調査で壊れた一眼レフ修理しなきゃ!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓登録者数、1000人突破!収益化達成!つまんないのに見てくれてありがとう!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2024ねん 4がつ 21にち(にちよーび、晴れ)

    やっぱ健康第一だね(定期)(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya065
    ↑こー見るとよく分らんが、、、目を凝らすと?( ・Д・)(「PBS」の記事内画像より転載)


    今回の考古学・歴史ニュースは「川から古墳!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台は滋賀県、近江八幡市江頭町です。

    ここに日野川という川が流れていて、上に挙げた地点で円筒埴輪が6点1列に並んだ状態で見つかりました。




    上の写真だとパッと見は分かりにくいのですが、、、右手に白色や黒色の土のう袋(?)の列が見えると思いますがその辺りが発掘現場となります。

    よく見ると調査地点の真ん中ぐらいになにやら細かな『破片群が縦一列』になっているのですがわかりますか???( -д-)ノ




    arukemaya067
    ↑これならより分かり易い!(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


    上に挙げた写真が、最初の写真の右手側から撮影したものです。

    なので奥に少し川が見えている状態です。



    これだと真ん中に破片群が「横一列(やや左肩上がり)」になっている状態が分かり易いかなと思います。

    ちなみにその破片群の下側には青みがかった灰色っぽい地面が見えていますね。

    これは『グライ土(無機質水成土壌)』です。

    川の傍ではけっこう見られます。

    というのも水分が絶えず供給されることで酸素不足になって(この現象はレアな遺物が残る理由としてもこれまでに何度も紹介しました)、その状態で土壌や粘土中の鉄分が還元すると青灰色や緑灰色になるのです。

    土壌や粘土のグライ化なんて風にも表現します。


    arukemaya068
    ↑たくさんの土器片(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


    さて、もっと寄って撮影したものがこれです。

    先ほどの写真の左側から撮ったものですね。



    なので、左手に乾燥した地表面が見えていて、右手にぐちゃぐちゃな地面(グライ土側)が見えています。


    破片群も奥側のものはかなり形が残っているようです。

    これで円筒埴輪6個体分……?

    もっと多い気がするけれど、まぁいいでしょう( ・Д・)



    arukemaya069
    ↑これ見つかったやつ(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


    見つかった破片試料群を接合するとこのような感じになります。

    博物館の古墳時代のコーナーでは、特に右側のものは見たことがあるのではないでしょうか?




    さて、タイトルは「川から古墳!?」ですが、これだと河岸から埴輪が見つかっただけの話になってしまいます(´・ω・`)


    arukemaya066
    ↑これ分かり易い!(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


    この写真には補助線が入っています。

    埴輪は古墳の上に列を成して並べていることが通例です。

    下側の黄色のラインが先ほどまで見てきたものです。

    なのでやや左肩上がりのラインでしたね。



    ってことは対になる埴輪のラインがあるはずで、それが上側の黄色のラインになります。

    つまりこの地点にかつて前方後円墳があって、埴輪はその上に並んでいたのです。

    長い時間経過や造成工事によって河川の経路が変わったため、古墳は削れてしまい、水没することになったようですね( ・Д・)

    ほんとレアな発見だと思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



    おわりに

    今回、渡航中に書いていたものを時間が経過してから書き終えたため、写真のリンク情報を失念してしまいました( -д-)ノ

    まぁ主に「滋賀News」のはずです……

    これを機に、『書く時は一気に仕上げる』ように致します。

    そして……時間ある時にリンク調べて追記しますね(*^・ェ・)ノ




    何はともあれ、

    レアな発見っていいな!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓登録者数、目指せ1000人!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2022ねん 12がつ 31にち(どよーび、晴れ)

    もう今年最後だね!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは「木製の埴輪ってあるんだね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今の所属の関係もあり、元々国家形成研究の一環としてマヤ文明社会と古墳時代社会の比較をやってみたかったということもあり、ちょちょちょっと古墳の勉強してましたけど、、、

    木製の埴輪ってあるんですね!?




    知りませんでした( -д-)ノ


    まぁ木製品にあまり興味ないもので、、、マヤってほぼ木製品出ないしね( ・Д・)




    ……話を戻すと、やはり埴輪って土製のイメージですよね。

    古墳時代には石製品で様々なものの模造品とか作ってるから、木製で埴輪作っててもおかしくはないとは思うのだけれども、

    埴輪って古墳の上に並べて使用するイメージもありますよね。




    だとすると、これまでの記事でも紹介してきたようにレアな遺物が残存する条件はかなり狭くて、日本の木製品の事例だと大体が水分が供給され続けて酸素の供給が滞ってる場所なんですけど、

    古墳のような墳丘上の所で絶えず水分が供給されるところなんてイメージ湧かないじゃないですか。

    もし古墳が滝に打たれてたら別だけど!( ・Д・)




    だから木製の埴輪があっても残存しないだろうな〜って思ってたら、あるんですね!Σ(・ω・ノ)ノ

    世の中知らないことで一杯ですわ(*^・ェ・)ノ



    arukemaya1732





    ってことで、今回の舞台は大阪府、羽曳野(はびきの)市にある峯ケ塚古墳です。



    近年、世界遺産に登録されたことで有名な百舌鳥・古市古墳群はご存知の方も多いかと思います思います。

    2019年の登録ですから本当に最近の話です。

    今回紹介する峯ケ塚古墳はこの百舌鳥・古市古墳群を構成する古墳の一つなのです。

    見つかったのは木製埴輪で長さは352cmと日本最大の記録をおよそ90cmも更新しました。



    さて、最初に挙げた写真は真上から撮影したもので、考古学的にはそのような写真がベストですね。

    さすがは市教委が撮影したものです。

    一般的にはサイズ感が分かりにくいですが、専門としては周りに開いているサブトレンチの形状から大体の予想がつきます。

    恐らくは別撮りでスケール入りのバージョンも撮影しているはずです。



    続く2枚目の写真では人間がスケールの代わりを果たしているのですが、斜めから撮影しているのでせっかくの日本最大サイズの遺物が小さく見えますよね。

    まぁこれも遺物の隣にスタッフ(長い定規みたいなもの)が置いてあるので3mちょいの長さがあることは確認できます。


    3番目の写真は人間がイイ感じのスケール感を出しているのでデカいってことを知る上で一般的にはこれが一番良いのかなと思います。


    こう見てみると、現場写真って先入観に囚われず色々撮った方が良いようですね(*^・ェ・)ノ









    さて、今回のレアな遺物の出土地点は周濠です。

    先に述べたように木製品の残存には水分が必要なことが多いですが、これで納得です。

    完全に濠(ほり)の存在を忘れていました( -д-)ノ



    出てきた木製埴輪の形状はやや分かりにくいのですが、上に挙げたような石見型木製品(いわみがた)です。

    2枚目のものは類似形状の土製埴輪の事例です。




    記事を見つけた時は本当に木製埴輪ってなんぞ?って思いましたが、写真探してて、ふと、あ、これ見たことあるやつだ!ってなりました。

    皆さんも知ってたやつでした?



    この「石見型」の資料は権力者の玉杖を模したものとか、儀礼の際に使う杖や武器、旗を模したものと色々な解釈がなされています。

    また神聖な場を区切るための結界の意味があったとも言われています。



    今回のケースでは、峰ケ塚古墳の北部に祭祀の場と考えられる造り出しがあり、その周辺の周濠から石見型木製品が出土したことから、本来は造り出し部に立てられていたものかも知れません。

    造り出し部の調査や、今後こうした事例が増えていく中で、石見型木製品あるいはこうした形状の遺物の役割が明らかになるかも知れませんね。






    おわりに

    なんだかんだ今年も終わりますね~。

    今年も古墳時代とか日本の研究や勉強する時間をあまり取れなかったけども、来年は少しはなんとかしたいですね。

    まぁ来年は来年で、マヤ関係の欧米研究史をガガガっとまとめにゃならんのですが、、、

    記事に少し力入れつつ最低限情報収集をするよう努めますね( -д-)ノ



    そんなこんなで皆様も良いお年をお過ごし&お迎えください。


    良いお年を!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓登録者数、目指せ1000人!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2022ねん 12がつ 3にち(どよーび、曇り、寒い)

    他の考古学者に勧められてカルチャーセンターの講師に応募してみた!どこかで合おう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは日本のポンペイは他にもあるよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台は群馬県、渋川市金井の金井平氏裏遺跡です。

    この遺跡は榛名山の北東部の麓に位置しています。

    榛名山は古墳時代の後期に当たる6世紀頃に2度噴火しており、当該遺跡を含めて広い地域が火山灰などの多量の降下火砕物によって覆われました。

    そのため周辺には他にも黒井峰遺跡、白井遺跡群などの火山災害を示す遺跡があります。




    arukemaya1722


    arukemaya1724
    ↑これが激レア遺物です、「骨の鎧」Σ(・ω・ノ)ノ(群馬県埋蔵文化財調査事業団作成のパンフ画像より転載)



    イタリアのポンペイ遺跡で状態の良い様々な遺物・遺構が見つかっているように、日本のポンペイこと、ここ金井平氏裏遺跡でも多数の素晴らしい遺物が出土しています。

    隣接する金井下新田遺跡では鍛冶工房が見つかっており、そのためか金井平氏裏遺跡では多数の金属製の遺物、写真に挙げたような鎧や兜が見つかっています。

    ちなみにRPGゲームでは鎧・兜と書くけれども、この時代・地域のそれらは甲・冑と書きます。

    甲冑(かっちゅう)のそれですね。



    一番最初に挙げた甲は1800枚もの鉄製小札(こざね)を絹糸で連結したもので、当時の”武器屋”では「最強の鎧」だったことでしょう。

    上に挙げた白っぽい甲は実は動物骨で作られたもので国内初の発見事例です。

    まさに「骨の鎧」なわけですねヾ(´ω`=´ω`)ノ



    ちなみにこれらの甲の数え方は領(りょう)です。


    *あとRPGに例えて一般向けに書いている時が鎧・兜表示で、考古学として書いてる時が甲・冑表示なんですけど分かりにくくてごめんなさい( -д-)ノ




    arukemaya1723


    arukemaya1725
    ↑これが赤玉(群馬県埋蔵文化財調査事業団作成のパンフ画像より転載)




    鉄製の鉾や鏃の他、馬も見つかっています。

    当時、馬は飼育も大変でとても貴重なものでした。



    様々なレアな発見がある遺跡ですが、上に挙げた甲を着た武人がうつ伏せになって発見された点が他に類を見ない事例だと思います。

    被災されて亡くなったようですねヽ(TдT)ノ




    上に挙げた赤玉は赤色顔料を丸めて団子状にしたもので100点ほど見つかっています。

    当時の高級品が一堂に介した状況ですが、噴火によりパッキングされないと消費されてしまうのでこうした当時の具体的な生活の様子は分からないわけです。

    災害の被害を受けたことは悲しいことですが、考古学者として感謝して余すところなくきちっとデータ化して活用する&皆さんに公開することが供養になるのかも知れませんね。



    arukemaya1726
    ↑これ古墳時代の人の足跡!(群馬県埋蔵文化財調査事業団作成のパンフ画像より転載)



    おわりに

    この遺跡、古代人の足跡まで出てるんですよね。

    本当に色々出る。



    ちなみに住居址も複数見つかっていて、それぞれのおうちの中に遺物が残されていました。

    被災して慌てて逃げてますから当然でしょう。

    そうした状態のそれぞれの遺物の配置をデータ化して、当時の一般的な”間取り”というか生活空間の利用方法の特徴について分析した研究などがあります。

    事例自体は少ないので考古学としては扱いにくいことが難点ですが、火山大国でもある日本では今後こうした良好なデータを得られる遺跡、『日本のポンペイ』が多数見つかる可能性が十分にあると思います。



    今後に期待ですね。

    ということで、


    ・・・私もレアな発見したい!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓登録者数、目指せ1000人!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

      このエントリーをはてなブックマークに追加
    2021ねん 10がつ 3にち(にちよーび、晴れ)

    午前は研究して午後は記事とか動画に使う生活にしようかと思った矢先、薬のせいか昼まで寝たヽ(TдT)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya1629
    ↑シカかな?文様に見られるやつだね!( ・Д・)(「Twitter」の記事内画像より転載;元の投稿は削除されている模様)


    今回の考古学・歴史ニュースは最古の三種の神器はどこで見つかってるの!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    前回の記事で「三種の神器が見つかった!」ってだけでけっこう『おー!』ってなったという話をしました。

    一方で「県内初」ってことで、『そんなに出るものなんだ!?』って驚いたって話もしました。

    「三種の神器」と聞くと天皇家の伝世品だし、なんだかとても珍しい気がしてしまったのですが、よくよく考えると、考古学で所謂三種の神器と呼んでいるのは「鏡・勾玉・剣」のことですよね。

    古墳時代になると皆さんもご存じの通り、弥生時代よりもずっと立派な埋葬形態、つまり古墳がたくさん造られるようになります。


    ↓弥生時代の埋葬方法の話にも触れてます(*^・ェ・)ノ

    ↑これが前回の記事(*・ω・)ノ


    お墓が大きくなるに伴って副葬品も豪華になる傾向が見られるので、古墳時代、特に古墳前期には「鏡・勾玉・剣」の所謂三種の神器がセットで見つかる事例は多数確認されます。

    確認されている古墳だけで全国で約16万基ありますから、その中でも有力な人物が埋葬された比較的規模の大きな古墳だけだとしても相当数あることが分かるかと思います。

    前回紹介したのは弥生時代のお墓において三種の神器がセットになって出土した事例なのでレアな発見になります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    さて、最古の三種の神器の事例ということで、今回の舞台は福岡県、福岡市にある吉武高木遺跡です。

    この遺跡は国指定史跡になっていて、最初に挙げた画像にあるように『やよいの風公園』として整備・公開されています。

    発見があったのは1984~1985年の調査時で、弥生時代中期の初頭、今からおよそ2200年前の特定集団墓が見つかりました。

    この墓群の内の一つが「3号木棺墓」で、上に挙げた写真のように鏡、勾玉、剣がセットで副葬されていました。

    勾玉は所謂「獣型勾玉」ですね。

    2枚目の写真に見られるように、三種の神器の他に銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)・管玉が出土しています。

    前回紹介した三種の神器は弥生時代後期でしたが、こちらの吉武高木遺跡の事例は弥生時代中期に属し『最古の王墓』の異名を冠しています。





    ↓ぱっと検索しただけでたくさん...古墳関係の記事は意外に多かったΣ(・ω・ノ)ノ





    ↑タグ検索「古墳時代」でたぶん出ると思うけどこれでも一部です( -д-)ノ


    おわりに

    「最古の王墓」

    カッコいい響きですよね。

    福岡市は大きな都市ですし、上手く復元・展示してもっとアピールしてもらいたいものです。

    直接訪れたことはありませんが、ホームページを見てる限り、あまり上手な運営にはなっていないように思えます。

    発見自体が昭和期なので現在のような博物館・史跡運営、文化財活用とは異なるのは仕方ないとは思うのですが、やはりここは税金を投入してリニューアルしてしっかりと回収する方策を取って欲しいなと思います。

    何でも観光地化・収益化するのはいかがなものかというご意見も当然あるでしょうが、まぁ「稼げる大学」を目指すような政府ですから『お金』は大事なのです。

    そう言えば、当サイトのスローガンは「お金にならない考古学をお金にする」だった・・・

    思い出した。

    心機一転、頑張らねば!( ・Д・)



    ↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
    ↓登録者数、目指せ1000人!↓
    ↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

    このページのトップヘ