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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:古墳時代

2021ねん 10がつ 3にち(にちよーび、晴れ)

午前は研究して午後は記事とか動画に使う生活にしようかと思った矢先、薬のせいか昼まで寝たヽ(TдT)ノ

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↑シカかな?文様に見られるやつだね!( ・Д・)(「Twitter」の記事内画像より転載;元の投稿は削除されている模様)


今回の考古学・歴史ニュースは最古の三種の神器はどこで見つかってるの!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


前回の記事で「三種の神器が見つかった!」ってだけでけっこう『おー!』ってなったという話をしました。

一方で「県内初」ってことで、『そんなに出るものなんだ!?』って驚いたって話もしました。

「三種の神器」と聞くと天皇家の伝世品だし、なんだかとても珍しい気がしてしまったのですが、よくよく考えると、考古学で所謂三種の神器と呼んでいるのは「鏡・勾玉・剣」のことですよね。

古墳時代になると皆さんもご存じの通り、弥生時代よりもずっと立派な埋葬形態、つまり古墳がたくさん造られるようになります。


↓弥生時代の埋葬方法の話にも触れてます(*^・ェ・)ノ

↑これが前回の記事(*・ω・)ノ


お墓が大きくなるに伴って副葬品も豪華になる傾向が見られるので、古墳時代、特に古墳前期には「鏡・勾玉・剣」の所謂三種の神器がセットで見つかる事例は多数確認されます。

確認されている古墳だけで全国で約16万基ありますから、その中でも有力な人物が埋葬された比較的規模の大きな古墳だけだとしても相当数あることが分かるかと思います。

前回紹介したのは弥生時代のお墓において三種の神器がセットになって出土した事例なのでレアな発見になります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




さて、最古の三種の神器の事例ということで、今回の舞台は福岡県、福岡市にある吉武高木遺跡です。

この遺跡は国指定史跡になっていて、最初に挙げた画像にあるように『やよいの風公園』として整備・公開されています。

発見があったのは1984~1985年の調査時で、弥生時代中期の初頭、今からおよそ2200年前の特定集団墓が見つかりました。

この墓群の内の一つが「3号木棺墓」で、上に挙げた写真のように鏡、勾玉、剣がセットで副葬されていました。

勾玉は所謂「獣型勾玉」ですね。

2枚目の写真に見られるように、三種の神器の他に銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)・管玉が出土しています。

前回紹介した三種の神器は弥生時代後期でしたが、こちらの吉武高木遺跡の事例は弥生時代中期に属し『最古の王墓』の異名を冠しています。





↓ぱっと検索しただけでたくさん...古墳関係の記事は意外に多かったΣ(・ω・ノ)ノ





↑タグ検索「古墳時代」でたぶん出ると思うけどこれでも一部です( -д-)ノ


おわりに

「最古の王墓」

カッコいい響きですよね。

福岡市は大きな都市ですし、上手く復元・展示してもっとアピールしてもらいたいものです。

直接訪れたことはありませんが、ホームページを見てる限り、あまり上手な運営にはなっていないように思えます。

発見自体が昭和期なので現在のような博物館・史跡運営、文化財活用とは異なるのは仕方ないとは思うのですが、やはりここは税金を投入してリニューアルしてしっかりと回収する方策を取って欲しいなと思います。

何でも観光地化・収益化するのはいかがなものかというご意見も当然あるでしょうが、まぁ「稼げる大学」を目指すような政府ですから『お金』は大事なのです。

そう言えば、当サイトのスローガンは「お金にならない考古学をお金にする」だった・・・

思い出した。

心機一転、頑張らねば!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 21にち(すいよーび、晴れ)

引っ越しで金欠・・・二か月くらい頑張って生きなきゃ( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「岡山初!古墳から煙突が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は岡山県、津山市、高尾北ヤシキ古墳です。

この遺跡では近くの国道の改築工事に伴って、2020年より緊急調査が行われています。

高尾北ヤシキ古墳は「佐良山古墳群」の一つであり、直径約13mの円墳です。

上に挙げた写真が発掘現場の遠景ですが、大きな切株が「座布団」状に残されていて、そのすぐ左側に石列が見られます。


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近寄って角度を変えて見てみると、上に挙げた写真のような感じになります。

玄室の壁面を構成する石列が綺麗に残っていますね!(・∀・)つ

この円墳の築造年代は6世紀と考えられており、けっこう立派な横穴式石室が墳丘の中心に設置されています。

サイズは残存長6.5m、最大幅1.7m、最大高1.9mです。



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そして今回目玉がこれ!

『煙突』ですヾ(´ω`=´ω`)ノ

考古学用語としては「筒形土製品」と呼んでいます。

出土時点で割れていた部分は綺麗に接合されていますね。

古墳時代と言えば、カマドの伝来です。

この煙突はカマドに備え付けられていたものを模倣して作っていたもので、煤などの付着はなく使用痕跡はありませんでした。

カマドという新技術の伝来と関係して儀礼的な意味合いでお墓に入れられたものだと考えられます。

煙突はこれまでに韓国はもちろんのこと、近畿地方で多く見つかっています。

しかし岡山県で発見されるのは今回が初めてで、カマド技術や製鉄技術といった当時の朝鮮半島との関係が伺えます。


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↑石室を出した時の写真(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


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↑棺の横に煙突とその他の副葬品が見られる(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


ニュースの画像だとちょっと何だかなって感じだったので、「概報(概報の概報みたいな簡易なもの)」に当たってみたところ、見やすい写真を見つけましたので紹介しますねヾ(´ω`=´ω`)ノ

上に挙げた写真が石室の検出時の写真と、陶棺と副葬品の位置関係を示した平面図的な写真になります。

綺麗で見やすい写真ですね!

そしてこんな風に綺麗に出土するのですね。

掘るの大変そうだけど、出してみたい(*^・ェ・)ノ

ちなみに副葬品もかなり豪華で、須恵器、土師器、鉄製の鏃(鉄鏃;てつぞく)、馬具、ガラス製装身具が見つかっていますΣ(・ω・ノ)ノ



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↑展開図的な写真(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


そしてこれが出土した「煙突」こと筒形土製品の展開図的な写真です。

これだと中が空洞であることや、厚みの程度がよく分かりますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

また正しい置き方が三角コーンみたいな感じであることが分かります。

尖底土器みたいに尖った方を下にはしません( -д-)ノ

この「煙突」がどのように使われたかについては、下の図がとても分かりやすくて良きです(。・ω・)ノ゙

まぁこの復元図ではカマド(高温焼成による土器作り用の窯)の煙突ではなく、住居の中の炉(これはこれでカマドだが)の煙突として描いていますが使い方は同じです。


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↑遠くから見るとこんな感じ( ・Д・)(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


おわりに

世界中で色々な考古学的発見が起きてるなと思いますが、国内でも大発見がある地域って少し偏りがあるかな~って気がしますね。

岡山県の考古学ニュースはそんなにないので、こうしたレアな発見があるとちょっと嬉しいです。

地方でかつ小さな遺跡だと、せっかくの良い発見もなかなか良い記事になってないなと思います。

考古学の専門の記者の不在も理由にあるでしょうが、写真も文章も明らかに少ないのですヽ(TдT)ノ

是非、そういったニュースを当サイトで取り上げて、少し詳しく紹介出来たらなと思います(。・ω・)ノ゙


・・・ところで、私、このニュースのタイトルをチラッと見た瞬間、、、

古墳に煙突立ってるのかと思った!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 19にち(げつよーび、晴れ)

毎日少しずつだが、着実に仕事が進んでいく感じも悪くない(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「法面工事の時に色々と重要なものが見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は富山県、富山市、番神山横穴墓群です。

この番神山(ばんじんやま)横穴墓群は呉羽丘陵に位置し、これまでに15基の横穴墓が発見されています。


・・・ところで記事タイトルにある「法面工事」って読めました?

普通に「ほうめん」かと思いきや、正しくは「のりめん」でした( -д-)ノ


”法面(のりめん)”とは、

 ”切土や盛土により作られる人工的な斜面のことです。 道路建設や宅地造成などに伴い、地山掘削、盛土などによりのり面が形成されます。 こののり面の斜面崩壊や地すべりなど土砂災害の拡大防止を目的として施工する工事のり面工事です。”


ということで、最初に挙げた写真が法面と法面工事の施工後の状態を示したものになります。

うん、ドライブしてるとよく見るやつね!(*^・ェ・)ノ

「落石注意!」って標識に書いてるけど、なにをどう注意したらいいか分からないやつね!( ・Д・)


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上に挙げた写真がテレビニュースの動画からもってきたものになります。

画像は粗いので、是非、上のリンクから元のニュース動画を見てみてください(*・ω・)ノ

さて、法面といっても再工事とかではなくて、本当に今にも土砂崩れしそうなポイントなのだなと驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ

先にも述べたように番神山横穴墓群ではこれまでに15基の横穴墓が見つかっていて、今回の2基を加えて17基となりました。

ちなみに番神山には2基の古墳もあるそうです(。・ω・)ノ゙

今回の出土遺物としては完形の須恵器2点と土師器1点、そして馬具の轡(クツワ)が出土しています。

この見つかった馬具がレアな発見で、県内でこれまで見つかっている約360基もの横穴墓の中で副葬品として馬具が共伴する事例は今回で3例目なのです。

また今回の横穴墓は玄室部(埋葬部)の長軸が3mと北陸最大級であることも大きな特徴です!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


今回のお墓の副葬品は立派ですし、有力者の墓だと分かります。

有力者の数は限られているとはいえ、古墳時代の横穴墓群として全部で17基って少し少ない気もしませんか?

全国に横穴墓群があるのですが、100基~300基級の遺跡もけっこうありますし、福岡の竹並遺跡なんて1000基もあるのです。

この番神山横穴墓群の場合は、一つの横穴墓の玄室から複数体の人骨が見つかっていて、それぞれの横穴墓が再利用されていたことが分かっています。

それが家族なのかどうかは分かりませんが、まぁ恐らくは少なくとも有力な家系の親族関係者でしょう。

過去の調査では人骨も出ているわけですから、保存状態にもよりますがDNA分析とかできるといいですねヾ(´ω`=´ω`)ノ




おわりに

番神山横穴墓群を調べてみたところ、報告書はさすがにありましたが、、、

遺跡の写真が出てこない。

出てきたのは上に挙げた写真だけ( ・Д・)

どうやら史跡整備はされていないようですね。

まぁ法面工事で墓出すくらいだからそんなもんか( -д-)ノ


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↑山が半裁されていますね(富山市埋蔵文化財調査報告書102 2020の巻頭図版〇三より転載)

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↑陶芸館とか考古資料館のために山を掘削してますね(富山市埋蔵文化財調査報告書102 2020の第1図を一部改変)


報告書に当ってみたら少し写真と図が見つかりました。

南西から北東にかけて古墳が並んでて、そのおおよそ中間部に番神山横穴墓群があるのですね。

そして道路のためではなくて、建造物建設のために山を掘削したようですね。

今回のは珍しい発見ですし、予定されている出土資料の博物館展示だけではなく、是非何らかの遺跡保存をして欲しいなと思います。

考古資料館がこんなに近くにあるのだから、是非、周りの古墳も含めて史跡化して欲しいものです。

そしたら富山に行く理由ができる!( ・Д・)



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2021ねん 2がつ 2にち(かよーび、くもり)

124年ぶりの節分、、、語弊があるな( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースはでっかくて可愛い勾玉が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は奈良県、香芝市の狐井稲荷古墳です。

ちなみに読み方は「きついいなりこふん」です。

上に挙げた写真は確かに日本最大の勾玉なのですが、島根県松江市、いづもまがたまの里伝承館に展示されているもので、現代の作品です。

今回紹介するのは古墳から出土した遺物として最大のものになります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

狐井稲荷古墳は5世紀後半に帰属する前方後円墳で、全長は70mあります。

周辺は住宅地になっていて、現在も古墳の範囲は私有地になっています。

この発見は2011年のものですが資料は非公開のままであり、2020年末に初めて一般公開されました。




さて、上に挙げた写真(右側)が国内最大の勾玉になります。

滑石で出来ていて、サイズは長軸約13cm、幅約10cm、厚さ約5.5cmで、重さは565gもあるそうです。

500gってけっこうずっしりとくるサイズ感ですよね(*^・ェ・)ノ

上の勾玉は皆さんの知っている「ふつーの勾玉」とは異なる形態をしていますが、これは「子持勾玉」と呼ばれるものです。

本体の大きな勾玉に小さな勾玉が付随している点が特徴で、この資料では小さな勾玉が10個付いています。

ちなみにこの日本最大の勾玉、実は古墳の立地する土地の所有者が庭仕事をしている際に、後円部の裾辺りで発見したそうです。

発見の経緯も面白いですね(・∀・)つ


さて、こうした子持勾玉は儀礼に使われたと考えられており、今回のように埋葬儀礼に関連しているようです。

古墳という埋葬形態が形態としてある程度規格化されていたように、この子持勾玉も規格化が進んでいた可能性があります。

これまでに全国で450点ほど確認されていますが、サイズは長軸10cm程度、幅5~6cm程度が一般的とされています。

今回のケースでは長軸13cmなのでちょっと長いくらいなので全国4位の長さ、幅が10cmと平均のほぼ2倍なのでこれが全国1位の幅ということになります。

なので国内で最大の勾玉となっていますが、実際に最大なのは幅と体積の点でということなります。

それでも国内最大級の勾玉なのは間違いありませんヾ(´ω`=´ω`)ノ



おわりに

この子持勾玉、、、

動物みたいに見えて何だか可愛いなと思ってしまうのは私だけでしょうか?カワ(・∀・)イイ!!

私はミニチュアとか小さいものが好きですが、この勾玉の場合は程良いサイズ感でいいですね。

本記事を通して、考古学ではなんがかんだ「最古」が一番人気ですが、「最大」とか「最小」もいいな~って思えました。

うむ、今度は可愛い子持勾玉について書こうかな!

考古学においても可愛いは正義!( ・Д・)



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2021ねん 1がつ 27にち(すいよーび、くもり)

もう1月が終わってしまう~ヽ(TдT)ノ

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↑白い大きな石がごろごろ転がってるね( ・Д・)(「東愛知新聞」の記事内画像より転載;現在、リンク先が存在しない)


今回の考古学・歴史ニュースは古墳時代のお墓の石が、戦国時代のお城の石になったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は愛知県豊橋市、大塚南古墳です。

上に挙げた写真で分かるように、調査のトレンチ内には真っ白な石というか岩がごろごろ転がっていますね。

何の岩石なのか分かりませんが、白い色調と解像度の甘さが相まって、私には大きなレキが骨のように見えてしまいました( -д-)ノ

さて、今回紹介する大塚南古墳は国指定史跡である馬越長火塚古墳群の中のひとつです。

ちなみに馬越長火塚古墳群は6世紀末~7世紀初頭に東三河地方を治めた豪族の墓とされている前方後円墳です。

これまでに朝鮮半島由来の金銅装馬具が出土し、大和王権との関わりが推定されているそうです。

一方で大塚南古墳は直径約19mの円墳で、今回初めて石室内部が調査されました。


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↑どの角度でも白い岩がごろごろしてるだけ( ・Д・)(「JIJI.COM」の記事内画像より転載)


上に挙げたどの写真でも、結局白い岩がごろごろしてるだけのように思えるのですが、実はこれ、大塚南古墳の内部にある横穴式石室の残骸のようです( ・Д・)

どういうことかと言うと、本来石室を構成していた側壁の石材がほとんど持ち去られているのです。



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おわりに

最後に挙げたのが豊橋市内にある吉田城です。

戦国時代の16世紀初頭に最初の築造が行われ、江戸時代には吉田藩の政庁として機能しました。

石垣の石材を調べたら、大塚南古墳から持ち出した石材を特定することが出来たりしないものなのでしょうかね?

直接利用されているのではなく、運んだ後に再加工されていると難しいかも知れませんが、絞ることくらいはできそうですね(*^・ェ・)ノ

もし出来たらお城の説明として深みが出る!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 15にち(にちよーび、晴れ)

謎の頭痛は抜けたので、今週は思いっきり頑張る!(*^・ェ・)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは国宝級の大発見!福岡県の船原古墳から玉虫装飾の馬具が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は福岡県、古賀市に所在する船原古墳です。

この船原古墳は7世紀初頭に帰属する古墳です。

ここから「玉虫の羽」で装飾された馬具が出土したのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

この玉虫装飾の馬具が国宝級なわけですが、そもそも「玉虫」とは何でしょうか?




タマムシは「吉丁虫」とも書くそうです。

本記事では種として書く時は「タマムシ」とカタカナ表記で、遺物名等では「玉虫」と表記することにします。

(お気づきの方もいると思いますが、当サイトでは基本的に「種」の時は、ヒト、ウシ、ブタ、シカのようにカタカナ表記にしています(*^・ェ・)ノ 一般語として使っている時は漢字表記にしています( -д-)ノ)

このタマムシは日本国内に広く生息しており、「ヤマトタマムシ」として知られています。

見た目通り、カミキリムシの仲間(近縁種)だそうです。

このヤマトタマムシの上翅は構造色(色素由来ではなく、微細構造に対する光の干渉作用によって生じる発色効果)によって金属光沢を発しているため、死後も色褪せません。

そのため古来より装身具等に加工されて珍重されてきました。

たかだか虫なんだから珍重されるほどでもないのでは?と思うかもしれませんが、珍しさはタマムシの生態に由来しています。

タマムシの幼虫はエノキやリンゴの木の幹の中を食害するので、発見が困難です。

また成虫になると警戒心が強く人間が近づくとすぐに飛び去る上に、寿命が1か月しかありません。

古代において金属光沢自体レアなわけですが、野生のタマムシを見つけることもレアなので、その希少価値は非常に高いものだったのです。


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上に挙げた写真が古墳で見つかった玉虫装飾としてタマムシの羽が用いられてた馬具にななります。

2枚目の図で分かるように、この馬具は、馬の胸や尻などを飾る杏葉(ぎょうよう)と呼ばれる装飾品です。

短軸が約8cm、長軸が約10cmで、20枚の玉虫の羽を金属の板の全面に敷き詰めていたと考えられています。

死後も色あせない構造色と書きましたが、長期間の埋没過程の中でその微細な構造が失われているため、かつての金属光沢はありません( -д-)ノ

こうした玉虫で装飾された品は、国内ではこれまで法隆寺の国宝「玉虫厨子」や福岡県沖ノ島の金銅製帯金具を代表として僅か4例しか確認されていないのです。

ちなみに馬具として初の事例になります!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





この日本では初の出土となる「玉虫装飾の馬具」ですが、朝鮮半島では5世紀の王陵級の古墳で見つかっており、最高級とされる遺物になります。

タマムシは日本で広く生息していると紹介しましたが、北海道には生息していません。

理由は寒いからです!

今からおよそ1500年前の朝鮮半島は今よりもやや寒冷な気候であったため、ヤマトタマムシはほとんど生息していなかったのです。

そのため当時の日本と朝鮮半島との外交関係の中で重要な役割を担ったのがこの玉虫装飾の品々だと考えられています。

先に述べたように朝鮮半島では5世紀の王陵で出土しており、一方でこの船原古墳の事例では7世紀初頭なのですが、古墳そのものではなく周囲にある墓壙から出土しています。

時代の移り変わりもあるのでしょうが、今回の遺物は朝鮮半島等との外交や交易に重要な役割を果たしていた人物に贈らたと考えられるのです


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↑最後に紹介したい写真、(「朝日新聞デジタル」の記事内画像より転載;credit: 金子 淳)

福岡県古賀市教委は13日、同市の国史跡・船原(ふなばる)古墳(6世紀末~7世紀初頭)の1号土坑で出土した馬具から、玉虫の羽を使った装飾品を確認したと発表した。古代の玉虫装飾品が国内に現存するのは法隆寺(奈良県)の玉虫厨子(ずし)(国宝)、沖ノ島(福岡県)の帯金具や正倉院中倉(ちゅうそう)(奈良県)の刀子(とうす)の3カ所で、馬具で確認されたのは初。朝鮮半島では5世紀代の王陵級の古墳などから玉虫装飾の馬具が見つかっており、朝鮮半島との交流を研究する上でも貴重で「国宝級の発見」との声も上がっている。

 船原古墳の石室入り口付近の土坑からは、2013年に6~7世紀の金銅製馬具一式や武具などが大量に出土し、市教委と九州歴史資料館(福岡県小郡市)が調査を進めてきた。

船原古墳

 今回はその中の金銅製馬具の一つで、馬の飾りに使われる「二連三葉文心葉形杏葉(にれんさんようもんしんようけいぎょうよう)」(長さ約8センチ、幅約10センチ、厚さ0・7センチ)。羽は、金銅製の板と鉄板で挟まれ、文様の隙間(すきま)から見えるようになっていた。CTスキャンで確認したところ、羽は約20枚使われ、一部には羽の先端を切断するなど加工した跡も見られるという。国産か朝鮮半島製かは不明で、玉虫の種類などから解明を進めていく。

 玉虫装飾を使った馬具は、5~6世紀代の朝鮮半島・新羅(しらぎ)の首都だった慶州の古墳5カ所などで発見されている。なかでも5世紀中ごろの玉虫装飾馬具は王陵級の古墳で見つかっており最上位階級者用の馬具とされる。

 桃崎祐輔・福岡大教授(考古学)は「新羅と、7世紀の重要な仏教工芸品である法隆寺の玉虫厨子の間をつなぐもので、その文化的意義は国際的なものに及ぶ。国宝級の発見といっていい」と話している。





おわりに

最後に再度、玉虫装飾の馬具を紹介しました。

日常的に良く目にする女性モデルの写真などは、女性だけにピントを合わせて他をボカすものがほとんどのように感じます(素人目線だと( -д-)ノ)。

一方で考古学ではモノあるいは遺構を撮るわけですが、特にモノに関しては被写体深度を限界まで深くしてどこもかしこもピントが合うようにします。

特に日本考古学では未だに写真は補助的な役割を果たし、実測図が中心なわけですが、色彩豊かなマヤ考古学では写真が中心です。

というかアメリカ人考古学者は実測図描けないので、プロの絵描きに任せちゃいます( -д-)ノ

そうした写真記録が重要なマヤ考古学で生きていると、写真と言えど実測図を描く時のようなモノの見方や、「これを映したいんだ!」という気迫が重要になってくると思います。

そういう意味で、上に挙げた写真は見事だなと思います。

国宝級の発見ということで、様々な写真が挙がっていましたが、他の記事の写真はただ全体を映しているだけのように感じます。

この写真だけは全体を捉えながら、しっかりと全体に敷き詰められたタマムシの羽の筋が分かるように撮られているんですよね。

光の当て方も実測図そのものだし、考古学関係者なのでしょうか……失礼ながら、、、

プロだな、と感じました( ・Д・)

こんな写真を撮りたいものです( -д-)ノ

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いや~、それにしても「国宝級の発見!」ってスゴイですよね。

私もいずれ、ティカルで国宝級の発見しますから期待していてくださいね!

国宝級見つけても金にはならん!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 6にち(きんよーび、晴れ)

素晴らしい!

今月はタスクが順調に終わっていく(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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今回の考古学・歴史ニュースは「粘土の塊って出るもんだね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


私の「ティカル調査速報」的な何かを読んでいる方はもうご存じかと思いますが、

私は現在、古典期(CE-250-1000)ティカルにおける土器生産体制の解明を目指して調査を行っているのです。


(リンクは記事後半のいつものところ、「おわりに」の前に貼っておきます( -д-)ノ)


先行研究によれば、土器生産の証拠として「直接的証拠(窯)」と「間接的証拠(器面調整具、彩文具、粘土塊など)」の発見が重要と指摘されながらも、

古代マヤ地域では確定的な証拠、特に両者揃っては未だ見つかっていないのです。

でも日本だとレアなケースですが今回のように見つかっているのです(*・ω・)ノ




さて、発見の舞台は佐賀県、唐津市にある黒岩前田遺跡です。

この遺跡では弥生時代後期(約2000年前)から古墳時代前期(約1700年前)にかけての集落が見つかっています。

これまでの調査で6軒の竪穴式住居跡、3棟の倉庫跡、5条の溝跡が検出されています。

この竪穴式住居の中のひとつ、古墳時代前期中頃に帰属する4号住居跡から状態の良い土器、意図的に縁や底を割った鉢類、粘土塊、土器を砕いた赤色細片が出土しました。

こうした物的証拠は先ほど述べた「間接的証拠」に当たるため、住居内で土器を製作した可能性が高いと推測されました。


*先に述べた「直接的証拠」/「間接的証拠」はアメリカ考古学、マヤ研究、ティカル研究における用語を直訳したものですので、普通の日本人考古学者に言っても何のこっちゃ?となるでしょうからご注意を!( -д-)ノ



この状況証拠に基づく推測・解釈を補強すべく、民間の分析会社に成分分析を依頼したところ、この住居から出土した土器の胎土と粘土塊とに含まれる、花崗岩や石英、長石といった鉱物組成や化学組成の類似が見られたとのことですヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

この結果を踏まえて、4号住居址で見つかった粘土塊は土器の材料である可能性が高いと推測されています。

こういったケースは古墳時代前期の事例として佐賀県内で初めてであり、九州一体でも類例がないレアなケースなのです(。・ω・)ノ゙

また唐津市内では古墳時代前期の集落遺跡が発見されること自体が稀なようですが、何よりも今回の目玉の発見は、土器製作の工程を示す痕跡であり、考古学における土器研究を推し進める上で大変貴重なものなのですヾ(´ω`=´ω`)ノ


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↑あれ、、、忙しかったのかな、後半の墓見つけたやつの報告してない( ・Д・)


おわりに

最後に過去記事のリンクも載せたのでごちゃごちゃしてしまいました、申し訳ない( -д-)ノ


上に挙げた2枚の写真は「有田町歴史民俗資料館」のサイトに載っていた窯の跡なのですが、こんなレアな発見が普通にあるものなのだなと驚きました……



……あれ、「有田」?(`・ω・´)???



そう、一番最初に「可愛い有田焼」を載せましたけど、この有田は有田焼で有名な有田なのです(有ばっかりで変ですね( ・Д・))。


有田焼は佐賀県の名産品、今回の発見も佐賀県!


やはり伝統的な陶器工房が多数ある地域では古くから土器作りをしていたわけで、それにしてもレアなケースと思っていた事例がポンポン出てくるほどとは……



佐賀、有田、恐るべし!( ・Д・)



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2020ねん 9がつ 26にち(どよーび、晴れ)

書きたいニュースは山ほどあるな~(*^・ェ・)ノ


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↑どう? デカいよね!?(*^・ェ・)ノ(「毎日新聞」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「とってもデカい埴輪とか出たよ~!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


上に挙げた写真でもうお分かり頂けたかも知れませんが、今回の遺物はどれも保存状態が良好です。

破片なのですが、調整がしっかりしていて、器面の状態が良いのです。

今回色々な角度の写真を載せますが、

どれもとても綺麗ですよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



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今回の発見の舞台は大阪府の羽曳野市、藤井寺市にまたがる陵東遺跡です。


この遺跡から溝状遺構が検出され、その中から盾持ち人、力士、男子像の人物埴輪が3体出土しました。

帰属時期はいずれも5世紀後半から6世紀初めと考えられています。




3点の人物埴輪の内、盾持ち人埴輪は頭部だけが出土しました。


首が長いように見えますが、これは差し込み部分です。


こうした差し込み式の頭部は盾持ち人埴輪に見られる特徴なのですが、盾の部分は見つかりませんでした。


ちなみにこの頭部パーツのサイズは長さ60cm、幅25cmもあり、見つかっていない盾部分も含めると、まさに等身大で、人と同じぐらいの大きさだったと予想されていますΣ(・ω・ノ)ノ



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↑拡大しても美しい!(・∀・)つ(「毎日新聞」の記事内画像より転載)



上に挙げた写真で分かるように、目の周辺には入れ墨を表現した可能性がある沈線が入っています。


精巧な沈線ですよね!


鼻や口、顎もしっかり作られています。




ところで、口の上にある長方形状の切り込みラインはなんだろう……( ・Д・)


中心軸から向かって右に外れているし、沈線だから粘土が柔らかい内に意図的に加えてるんだけども、、、


下に挙げた他の「盾持ち人埴輪」の事例だと口元はいたって普通ですよね。


なんだか気になるなぁ( ・Д・)



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↑盾持ち人埴輪は完形だとこんな感じ!(「451のミニベロ」さんの記事内画像より転載)



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↑この子たち、めちゃ笑ってますねヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ(「フクヘン。」さんの記事内画像より転載)



通常の人物埴輪は無表情なものが多いです。


それにに対して、盾持ち人埴輪は威嚇や笑いの表情を有していた李、入れ墨表現のあるものが多いようです。


上に挙げた1枚目は盾持ち人埴輪ですが無表情ですね。


一方で2枚目の方は思いっきり笑ってますね(・∀・)つ(・∀・)つ(・∀・)つ



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おわりに

今回の出土品は、「いかにも精巧に作られた!」って感じの遺物です。

どう撮っても絵になる美しさですね~ヾ(´ω`=´ω`)ノ


それほどに綺麗な品なのに、今回は溝状遺構内部からごちゃっと出土したわけですから、

恐らく本来近くの古墳に配置されていたものが、何かしらの理由でこの場所に廃棄された可能性が指摘されています。

ねぇ、もし完形で出てたら国宝級でない!?( ・Д・)


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2020ねん 9がつ 26にち(どよーび、晴れ)

充実している=疲れ果て気絶するように夜眠る、ことではないかと思い始めた(((( ;゚д゚)))


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arukemaya992
↑これが力士なのね(*^・ェ・)ノ(「四国新聞」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「埴輪の破片を接合してみたら最古の力士埴輪だったってことが分かったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は島根県、松江市に所在する石屋古墳です。

この古墳は宅地造成に際して新たに発見されたものですが、5世紀半ばに帰属する1辺約40mの大きな方墳です。

方墳の多い出雲地方の中でも最大級の規模をもつだけではなく、墳丘稜線の遺存状況も極めて良好です。

そのため方墳の典型を示すものとして大変貴重であるとし、「史跡名勝天然記念物」に指定されています。




この古墳からは様々な完形・半完形の埴輪が出土していますが、バラバラの埴輪片も多数出土しています。

この破片を接合し、全体を復元したところ、最古の力士埴輪であることが分かりました。

これはこれまでに最古とされてきた奈良県橿原市の四条古墳群で見つかった5世紀後半の力士埴輪をやや遡ると推定されています。




石屋古墳では力士や武人など6体の人物埴輪が確認されています。

うち4体は両脚で立つ全身像とみられています。

上に挙げた写真のように、力士埴輪は下半身部分(高さ約80cm)がほぼ復元でき、右腰にまわしとみられる帯状のものが確認できました。

本来、この力士埴輪の高さは推定で120cmを超える可能性があるそうです。



また上に挙げたような馬形や椅子形も確認されました。

女性は立ち膝しているようで、埴輪のサイズが良く分かるかと思います。

馬形埴輪も全長1mあるのです( ・Д・)

ちなみに手前の変わった形のものは「椅子形」で、そこに人物埴輪が座っていた痕跡が残っているそうです(*・ω・)ノ





おわりに

やっぱ最古っていいですね~(*・ω・)ノ

そして埴輪って色んな形があって面白いですよね。

当時のことを知る手がかりとしても興味深いなと思います。



博物館行きたくなってきた……


私も古墳ファンになるかなっ!( ・Д・)


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2020ねん 2がつ 23にち(どよーび、くもり)

こっちの大学の考古学雑誌の締め切りまで、ちょうど1週間。

書籍の修正まで2週間。

報告書の提出まで3週間。

更に抱えてる論文2本、、、死んだ( ・Д・)


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arukemaya769
↑出土した完形の銅鏡(「奈良新聞」の記事内画像を一部加工)
柳田康雄氏提供「CNN」の記事内画像より転載;credit: Antiquity Publications Ltd)


今回の考古学・歴史ニュースは「古墳時代の井戸から完形の銅鏡が出土したよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

発見があったのは奈良県天理市の櫟本(いちのもと)町です。

この発見により、この遺跡は『櫟本チトセ遺跡』と命名されました。

工場の建設工事に伴い、緊急調査が実施され、約1600平方メートルもの範囲を調査したそうです。

文化財保護法で事前の調査が必要かつ工事実施者の負担のはずですが、いったいどれくらいのお金がかかるのでしょうねΣ(・ω・ノ)ノ




この調査区の範囲で見つかったのは大きな集落の跡でした。

帰属時期は古墳時代前期~中期(4~5世紀)と考えられています、

これだけの範囲ですがちょうど集落の北辺の一部だと思われ、直径約40センチ前後の柱穴約10基や断面がV字状になった大溝、そして井戸と思われる遺構が検出されました。

この井戸状遺構は直径約2.3m、深さ1.2mで、素掘りの井戸と考えられます。

この中から小型の銅鏡1面が出土しました。

最初に挙げた写真のようにこの銅鏡は「完形品」であり、非常に希少な事例なのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

出土状況はこんな感じです。

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arukemaya768


ん?(つд⊂)ゴシゴシ

めちゃ、ちっちゃい!?


arukemaya767



 
ということで、見つかった銅鏡は直径3.6cmしかありません!

「小型倭製鏡」と呼ばれる国産の鏡で、鏡背面に中央の突起「鈕(ちゅう)」から放射状に線を描いた「櫛歯文(くしばもん)」と呼ばれる文様が見られるそうです。

小型の銅鏡は祭祀用と考えられおり、ヒョウタンや邪気を払う力があるとされるモモの種が一緒に出土したことから、井戸で水に関わる祭祀・儀式を行っていたと推定されています。

こうした儀式用の銅鏡は古墳時代の重要拠点から出土しており、櫟本チトセ遺跡も有力者にかかわる集落の可能性があるそうです。

ちっちゃいけど、古墳時代の井戸から完形の銅鏡が見つかるのは全国で2例目なので超レアケースですね!

私の銅鏡のイメージはもっと大きな古墳時代によく見られるものなので驚きました。

でも、ちっちゃい遺物はどれも好きなので良き!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

学術調査ではないので範囲を拡張した調査はすぐには行われないでしょう。

しかし重要な集落の大部分が残っていると分かった今、更なる新たな発見が期待されますね(*・ω・)ノ

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