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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:古墳時代

2024ねん 8がつ 13にち(げつよーび、晴れ)

良く寝ると仕事がよく進む、今年も躍進の年かなヾ(´ω`=´ω`)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは埴輪ってカラフルだったらしいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


上に挙げた図は「挂甲の武人(けいこうのぶじん)」という名の付いた埴輪で、有名な埴輪です。

今回修復に際してルーペ等で詳細に観察したところ、上に挙げた図で示されたように、『白色・灰色・赤色』の3色の塗布がなされていたことが確認できたそうです。



マヤ文明だと彩文土器が当たり前ですが、日本だと沈文や浮文が主流です。

なので古代の日本の土器は彩文がないと言われます。



他方で、世界的にみて、赤色だけはどこでも使われます。

やはり血の色ですから「力の象徴」のように感じるのか、ほんとにどこでも現れます。

水銀朱やベンガラが普遍的ですが、日本だと漆も古くから伝統的に使用されています。




どうやら関東圏の埴輪が着色されているケースが多いようです。

他方で鳥取県では緑色や黒色を使用した事例もあるそうです。

意外と埴輪ってカラフルだったのかも知れませんね。





さて、今回の発見で面白いのは赤色だけではなく、「灰色と白色」も使用されていたという点です。

これってマヤ考古学者からすると、3色以上の色彩を使っているので「多彩色(ポリクローム)」に分類されるのです。

マヤの事例では顔料自体が貴重な物なので、単色や2色の土器・土製品は多彩色のそれよりも価値が下がります。



それでは古代日本の埴輪ではどうだったんでしょうね?( ・Д・)



おわりに


まぁ今回の事例は、展示資料の修復時の発見なのでいいんですけれど、、、

最近、理論系やってるせいか、重箱の隅をつつくような ”細かい” 研究にあまり興味を持てなくて( ・Д・)



でも上に書いたように、埴輪の着色の有無と彩色数、色の種別は埴輪の社会的価値を考える上で面白いかなと思います。

こうした研究に繋がるという意味で、今回の発見は素晴らしいものかと思います(*・ω・)ノ




まぁマヤと違って、埴輪って古墳の上に放置されているものだから、風化による褪色どころから失われるケースも多いでしょうね。

出土数が多いのも分析する側としては嬉しい悲鳴の原因ですが、、、

(数量が多いことは最終的に分析しやすいが、そもそもデータ化するのが地獄という意味ヽ(TдT)ノ)

うまいこと、埴輪に施された着色数に関する数量データを得られると面白そうですね。




何はともあれ、

やぱ考古学は面白いが金と時間がかかる!( ・Д・)



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2024ねん 6がつ 29にち(どよーび、晴れ)

全然寝てないのに仕事頑張れてる( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「古墳時代の埴輪・土器の製作址が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


これ、私の専門でもあるっていうか、

実は、私がグアテマラ、ティカル遺跡で行っているプロジェクトの本来の目的は「古典期ティカルにおける土器生産体制の解明」なのです( ・Д・)


……今遠回り中なので全然違ったことやってるように見えるでしょうけど、本来そうだし、諦めてないのですヽ(TдT)ノ   
 
まぁそんなこんなで今回の発見は個人的にとっても興味深いものなのです。



さて、今回の舞台は群馬県、伊勢崎市の石山南遺跡・石山南古墳群です。


上に挙げた写真見てみると、土の感じが違いますね。
 
表面がなめらかな感じがします。

これが雨が降った後の清掃じゃないのなら、たぶんシルト系の土壌なのかな~と思います。     



シルトは砂と粘土の中間サイズの粒径できめ細かい質感です。

なのでぱっと見で この周辺で粘土も採掘できそうな雰囲気ですね(*・ω・)ノ 





そして上に挙げた写真が窯(かま)の痕跡です。


この工房では埴輪の他に土器も作っていたようです。

ニュース上では情報がないけれど、たぶん灰原(はいばら;窯の焚き口の前面に広がる、窯の中から排出された灰や焼き損じ品を捨てた場所)が検出されていて、その中に埴輪や土器の破片が入っていたのでしょう。



ちょっとこれだけの写真だとよく分からないけど、炭化物たっぷりの層が見えるでしょう。

それが恐らくは燃焼部(燃料あるところ)や焼成部(土器焼くところ)の天井部なのかなって感じですけれど、そうだとすると下方にもっと押してもいい(もう少し掘るの意)気がしますが、、、

なんか全体的に厚みがないというか空間が狭いように感じます。

土圧でつぶれるとこんな感じなのでしょうか……

調べてみないと分からんのですが、まぁこの時代を専門に取り扱うプロが掘ってるんだからこれでいいに違いない!( ・Д・)


今回の発見のすごいところは、

①古墳から10m程度の距離に工房があった

②埴輪だけではなく、土器も作ってた

③材料となる粘土の採掘坑も見つかった


工房跡と採掘跡がセット関係で見つかるのが本当にレアな発見なのです。


いやぁ今後の情報開示に期待ですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




……そして日本の窯跡の勉強しなきゃな~って思う今日この頃です( -д-)ノ








おわりに

最後に挙げた写真は埴輪の頭部です。

シカだそうです。

こんなんだけど、鹿です。

 (しかのこのこのここしたんたんのアレです)



 確か東京国立博物館とかにシカの埴輪の立体パズルがあったような……



何はともあれ、

私にはナイトメアビフォアクリスマスの犬にしか見えない!( ・Д・)



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2024ねん 5がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

数学とダーツやりたい欲がすごい今日この頃( -д-)ノ

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↑土まっくろくろすけ!( ・Д・)(「南日本新聞」の記事内画像より転載;credit: 鹿児島県立埋蔵文化財センター)


今回の考古学・歴史ニュースは「南九州で最古級の古墳が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は鹿児島県鹿屋市、名主原(みょうずばる)遺跡です。

古墳は全国で約16万基も見つかっています。

1位は兵庫県の約1万9000基ですし、数だけで見るとバラつきがあるのですが、やはり数だけではなく、規模・大きさを考慮すると機内が中心地だなという印象があります。



今回は鹿児島県、ということで南九州なのですが、畿内からはとっても離れているわけです。

実際に鹿児島県における古墳の数は約500基で37位です。

北海道、青森県、秋田県など0基の県もあるので、(北海道式古墳は別物です( -д-)ノ)、鹿児島県の古墳数は下位と言えます。



弥生時代から社会の複雑化、階層化が進行して、階層化社会のひとつの指標とも言える巨大なモニュメント、つまり日本では古墳が造られるようになるわけですが、

古墳の形状とか造り方なんかは恐らく畿内(中心地)から外側に広がっていったはずです。

なので南九州への到達はかなり遅かったと考えられるわけですが、、、

今回は古墳時代前期の古墳が見つかったということで、どうやら南九州地域での階層化社会の成立と古墳建造文化への参入は物理的距離の問題を切り抜けてどうやら思ったより早かったようだということが分かったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ




上の写真を見て分かるようにかなり大規模な調査です。

つまり今回の調査は道路工事に伴う緊急調査なのです。



記事内の1枚目の写真で確認できるように周りが畑ですよね。

なのでこの地点も元々畑だったと思われます。

だから土がまっくろくろすけ(腐植土/黒色土)なのです。



見つかったのは直径およそ20mの半円形の溝です。

その内側の高まりが古墳の墳丘部だったのですが、後世の人間活動、つまりは畑を作る際の土木工事などで削平されて残っていません。

お墓の部分も削られて失われているので、人骨も副葬品も見つかっていません。

しかしながらこの遺構や周辺部からの出土品によって古墳時代前期に築造された古墳であると推定されています。



古墳は群集墳になっていることが多いですが、この古墳は単独で存在し、サイズも大きなものです。

大隅半島の塚崎古墳群も古墳時代前期に帰属しますが、この古墳から出土した土器の様相から同時期かやや古い可能性があります。

総合して考えると今回の名主原遺跡の古墳は南九州最古の古墳である蓋然性が高いと言えます。



今回の発見は、古墳の広がり、社会の複雑化の進展、大和王権の成立を考える上で重要な発見です。

特に大和王権の影響が北九州までではなく、南九州までこれまでの想定よりも古くから強くあったと考えられる点で大きな発見と言えるでしょう。





おわりに

先ほどの上空からの美しい写真見るとやっぱドローンいいな~って思います。

やっぱ調査やってると真上から撮りたいもんね!



でも問題が4点あるのです・・・



①高い

②海外に持っていけるか謎だし、運搬機材が増えてやだ

③ジャングルの中だと枝葉にぶつかって壊れそうw

④そもそも今のダブルワークじゃ現地に私が行けないヽ(TдT)ノ



まぁその内、アカデミアに戻ったら、許可関連確認してから研究費ゲットして購入するかな~

ってことで、


何はともあれ、

まずは前回の調査で壊れた一眼レフ修理しなきゃ!( ・Д・)



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2024ねん 4がつ 21にち(にちよーび、晴れ)

やっぱ健康第一だね(定期)(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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arukemaya065
↑こー見るとよく分らんが、、、目を凝らすと?( ・Д・)(「PBS」の記事内画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは「川から古墳!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は滋賀県、近江八幡市江頭町です。

ここに日野川という川が流れていて、上に挙げた地点で円筒埴輪が6点1列に並んだ状態で見つかりました。




上の写真だとパッと見は分かりにくいのですが、、、右手に白色や黒色の土のう袋(?)の列が見えると思いますがその辺りが発掘現場となります。

よく見ると調査地点の真ん中ぐらいになにやら細かな『破片群が縦一列』になっているのですがわかりますか???( -д-)ノ




arukemaya067
↑これならより分かり易い!(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


上に挙げた写真が、最初の写真の右手側から撮影したものです。

なので奥に少し川が見えている状態です。



これだと真ん中に破片群が「横一列(やや左肩上がり)」になっている状態が分かり易いかなと思います。

ちなみにその破片群の下側には青みがかった灰色っぽい地面が見えていますね。

これは『グライ土(無機質水成土壌)』です。

川の傍ではけっこう見られます。

というのも水分が絶えず供給されることで酸素不足になって(この現象はレアな遺物が残る理由としてもこれまでに何度も紹介しました)、その状態で土壌や粘土中の鉄分が還元すると青灰色や緑灰色になるのです。

土壌や粘土のグライ化なんて風にも表現します。


arukemaya068
↑たくさんの土器片(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


さて、もっと寄って撮影したものがこれです。

先ほどの写真の左側から撮ったものですね。



なので、左手に乾燥した地表面が見えていて、右手にぐちゃぐちゃな地面(グライ土側)が見えています。


破片群も奥側のものはかなり形が残っているようです。

これで円筒埴輪6個体分……?

もっと多い気がするけれど、まぁいいでしょう( ・Д・)



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↑これ見つかったやつ(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


見つかった破片試料群を接合するとこのような感じになります。

博物館の古墳時代のコーナーでは、特に右側のものは見たことがあるのではないでしょうか?




さて、タイトルは「川から古墳!?」ですが、これだと河岸から埴輪が見つかっただけの話になってしまいます(´・ω・`)


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↑これ分かり易い!(やばい、リンク先忘れたヽ(TдT)ノ)


この写真には補助線が入っています。

埴輪は古墳の上に列を成して並べていることが通例です。

下側の黄色のラインが先ほどまで見てきたものです。

なのでやや左肩上がりのラインでしたね。



ってことは対になる埴輪のラインがあるはずで、それが上側の黄色のラインになります。

つまりこの地点にかつて前方後円墳があって、埴輪はその上に並んでいたのです。

長い時間経過や造成工事によって河川の経路が変わったため、古墳は削れてしまい、水没することになったようですね( ・Д・)

ほんとレアな発見だと思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



おわりに

今回、渡航中に書いていたものを時間が経過してから書き終えたため、写真のリンク情報を失念してしまいました( -д-)ノ

まぁ主に「滋賀News」のはずです……

これを機に、『書く時は一気に仕上げる』ように致します。

そして……時間ある時にリンク調べて追記しますね(*^・ェ・)ノ




何はともあれ、

レアな発見っていいな!( ・Д・)



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2022ねん 12がつ 31にち(どよーび、晴れ)

もう今年最後だね!( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「木製の埴輪ってあるんだね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今の所属の関係もあり、元々国家形成研究の一環としてマヤ文明社会と古墳時代社会の比較をやってみたかったということもあり、ちょちょちょっと古墳の勉強してましたけど、、、

木製の埴輪ってあるんですね!?




知りませんでした( -д-)ノ


まぁ木製品にあまり興味ないもので、、、マヤってほぼ木製品出ないしね( ・Д・)




……話を戻すと、やはり埴輪って土製のイメージですよね。

古墳時代には石製品で様々なものの模造品とか作ってるから、木製で埴輪作っててもおかしくはないとは思うのだけれども、

埴輪って古墳の上に並べて使用するイメージもありますよね。




だとすると、これまでの記事でも紹介してきたようにレアな遺物が残存する条件はかなり狭くて、日本の木製品の事例だと大体が水分が供給され続けて酸素の供給が滞ってる場所なんですけど、

古墳のような墳丘上の所で絶えず水分が供給されるところなんてイメージ湧かないじゃないですか。

もし古墳が滝に打たれてたら別だけど!( ・Д・)




だから木製の埴輪があっても残存しないだろうな〜って思ってたら、あるんですね!Σ(・ω・ノ)ノ

世の中知らないことで一杯ですわ(*^・ェ・)ノ



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ってことで、今回の舞台は大阪府、羽曳野(はびきの)市にある峯ケ塚古墳です。



近年、世界遺産に登録されたことで有名な百舌鳥・古市古墳群はご存知の方も多いかと思います思います。

2019年の登録ですから本当に最近の話です。

今回紹介する峯ケ塚古墳はこの百舌鳥・古市古墳群を構成する古墳の一つなのです。

見つかったのは木製埴輪で長さは352cmと日本最大の記録をおよそ90cmも更新しました。



さて、最初に挙げた写真は真上から撮影したもので、考古学的にはそのような写真がベストですね。

さすがは市教委が撮影したものです。

一般的にはサイズ感が分かりにくいですが、専門としては周りに開いているサブトレンチの形状から大体の予想がつきます。

恐らくは別撮りでスケール入りのバージョンも撮影しているはずです。



続く2枚目の写真では人間がスケールの代わりを果たしているのですが、斜めから撮影しているのでせっかくの日本最大サイズの遺物が小さく見えますよね。

まぁこれも遺物の隣にスタッフ(長い定規みたいなもの)が置いてあるので3mちょいの長さがあることは確認できます。


3番目の写真は人間がイイ感じのスケール感を出しているのでデカいってことを知る上で一般的にはこれが一番良いのかなと思います。


こう見てみると、現場写真って先入観に囚われず色々撮った方が良いようですね(*^・ェ・)ノ









さて、今回のレアな遺物の出土地点は周濠です。

先に述べたように木製品の残存には水分が必要なことが多いですが、これで納得です。

完全に濠(ほり)の存在を忘れていました( -д-)ノ



出てきた木製埴輪の形状はやや分かりにくいのですが、上に挙げたような石見型木製品(いわみがた)です。

2枚目のものは類似形状の土製埴輪の事例です。




記事を見つけた時は本当に木製埴輪ってなんぞ?って思いましたが、写真探してて、ふと、あ、これ見たことあるやつだ!ってなりました。

皆さんも知ってたやつでした?



この「石見型」の資料は権力者の玉杖を模したものとか、儀礼の際に使う杖や武器、旗を模したものと色々な解釈がなされています。

また神聖な場を区切るための結界の意味があったとも言われています。



今回のケースでは、峰ケ塚古墳の北部に祭祀の場と考えられる造り出しがあり、その周辺の周濠から石見型木製品が出土したことから、本来は造り出し部に立てられていたものかも知れません。

造り出し部の調査や、今後こうした事例が増えていく中で、石見型木製品あるいはこうした形状の遺物の役割が明らかになるかも知れませんね。






おわりに

なんだかんだ今年も終わりますね~。

今年も古墳時代とか日本の研究や勉強する時間をあまり取れなかったけども、来年は少しはなんとかしたいですね。

まぁ来年は来年で、マヤ関係の欧米研究史をガガガっとまとめにゃならんのですが、、、

記事に少し力入れつつ最低限情報収集をするよう努めますね( -д-)ノ



そんなこんなで皆様も良いお年をお過ごし&お迎えください。


良いお年を!( ・Д・)



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2022ねん 12がつ 3にち(どよーび、曇り、寒い)

他の考古学者に勧められてカルチャーセンターの講師に応募してみた!どこかで合おう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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今回の考古学・歴史ニュースは日本のポンペイは他にもあるよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は群馬県、渋川市金井の金井平氏裏遺跡です。

この遺跡は榛名山の北東部の麓に位置しています。

榛名山は古墳時代の後期に当たる6世紀頃に2度噴火しており、当該遺跡を含めて広い地域が火山灰などの多量の降下火砕物によって覆われました。

そのため周辺には他にも黒井峰遺跡、白井遺跡群などの火山災害を示す遺跡があります。




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↑これが激レア遺物です、「骨の鎧」Σ(・ω・ノ)ノ(群馬県埋蔵文化財調査事業団作成のパンフ画像より転載)



イタリアのポンペイ遺跡で状態の良い様々な遺物・遺構が見つかっているように、日本のポンペイこと、ここ金井平氏裏遺跡でも多数の素晴らしい遺物が出土しています。

隣接する金井下新田遺跡では鍛冶工房が見つかっており、そのためか金井平氏裏遺跡では多数の金属製の遺物、写真に挙げたような鎧や兜が見つかっています。

ちなみにRPGゲームでは鎧・兜と書くけれども、この時代・地域のそれらは甲・冑と書きます。

甲冑(かっちゅう)のそれですね。



一番最初に挙げた甲は1800枚もの鉄製小札(こざね)を絹糸で連結したもので、当時の”武器屋”では「最強の鎧」だったことでしょう。

上に挙げた白っぽい甲は実は動物骨で作られたもので国内初の発見事例です。

まさに「骨の鎧」なわけですねヾ(´ω`=´ω`)ノ



ちなみにこれらの甲の数え方は領(りょう)です。


*あとRPGに例えて一般向けに書いている時が鎧・兜表示で、考古学として書いてる時が甲・冑表示なんですけど分かりにくくてごめんなさい( -д-)ノ




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↑これが赤玉(群馬県埋蔵文化財調査事業団作成のパンフ画像より転載)




鉄製の鉾や鏃の他、馬も見つかっています。

当時、馬は飼育も大変でとても貴重なものでした。



様々なレアな発見がある遺跡ですが、上に挙げた甲を着た武人がうつ伏せになって発見された点が他に類を見ない事例だと思います。

被災されて亡くなったようですねヽ(TдT)ノ




上に挙げた赤玉は赤色顔料を丸めて団子状にしたもので100点ほど見つかっています。

当時の高級品が一堂に介した状況ですが、噴火によりパッキングされないと消費されてしまうのでこうした当時の具体的な生活の様子は分からないわけです。

災害の被害を受けたことは悲しいことですが、考古学者として感謝して余すところなくきちっとデータ化して活用する&皆さんに公開することが供養になるのかも知れませんね。



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↑これ古墳時代の人の足跡!(群馬県埋蔵文化財調査事業団作成のパンフ画像より転載)



おわりに

この遺跡、古代人の足跡まで出てるんですよね。

本当に色々出る。



ちなみに住居址も複数見つかっていて、それぞれのおうちの中に遺物が残されていました。

被災して慌てて逃げてますから当然でしょう。

そうした状態のそれぞれの遺物の配置をデータ化して、当時の一般的な”間取り”というか生活空間の利用方法の特徴について分析した研究などがあります。

事例自体は少ないので考古学としては扱いにくいことが難点ですが、火山大国でもある日本では今後こうした良好なデータを得られる遺跡、『日本のポンペイ』が多数見つかる可能性が十分にあると思います。



今後に期待ですね。

ということで、


・・・私もレアな発見したい!( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 3にち(にちよーび、晴れ)

午前は研究して午後は記事とか動画に使う生活にしようかと思った矢先、薬のせいか昼まで寝たヽ(TдT)ノ

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↑シカかな?文様に見られるやつだね!( ・Д・)(「Twitter」の記事内画像より転載;元の投稿は削除されている模様)


今回の考古学・歴史ニュースは最古の三種の神器はどこで見つかってるの!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


前回の記事で「三種の神器が見つかった!」ってだけでけっこう『おー!』ってなったという話をしました。

一方で「県内初」ってことで、『そんなに出るものなんだ!?』って驚いたって話もしました。

「三種の神器」と聞くと天皇家の伝世品だし、なんだかとても珍しい気がしてしまったのですが、よくよく考えると、考古学で所謂三種の神器と呼んでいるのは「鏡・勾玉・剣」のことですよね。

古墳時代になると皆さんもご存じの通り、弥生時代よりもずっと立派な埋葬形態、つまり古墳がたくさん造られるようになります。


↓弥生時代の埋葬方法の話にも触れてます(*^・ェ・)ノ

↑これが前回の記事(*・ω・)ノ


お墓が大きくなるに伴って副葬品も豪華になる傾向が見られるので、古墳時代、特に古墳前期には「鏡・勾玉・剣」の所謂三種の神器がセットで見つかる事例は多数確認されます。

確認されている古墳だけで全国で約16万基ありますから、その中でも有力な人物が埋葬された比較的規模の大きな古墳だけだとしても相当数あることが分かるかと思います。

前回紹介したのは弥生時代のお墓において三種の神器がセットになって出土した事例なのでレアな発見になります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




さて、最古の三種の神器の事例ということで、今回の舞台は福岡県、福岡市にある吉武高木遺跡です。

この遺跡は国指定史跡になっていて、最初に挙げた画像にあるように『やよいの風公園』として整備・公開されています。

発見があったのは1984~1985年の調査時で、弥生時代中期の初頭、今からおよそ2200年前の特定集団墓が見つかりました。

この墓群の内の一つが「3号木棺墓」で、上に挙げた写真のように鏡、勾玉、剣がセットで副葬されていました。

勾玉は所謂「獣型勾玉」ですね。

2枚目の写真に見られるように、三種の神器の他に銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)・管玉が出土しています。

前回紹介した三種の神器は弥生時代後期でしたが、こちらの吉武高木遺跡の事例は弥生時代中期に属し『最古の王墓』の異名を冠しています。





↓ぱっと検索しただけでたくさん...古墳関係の記事は意外に多かったΣ(・ω・ノ)ノ





↑タグ検索「古墳時代」でたぶん出ると思うけどこれでも一部です( -д-)ノ


おわりに

「最古の王墓」

カッコいい響きですよね。

福岡市は大きな都市ですし、上手く復元・展示してもっとアピールしてもらいたいものです。

直接訪れたことはありませんが、ホームページを見てる限り、あまり上手な運営にはなっていないように思えます。

発見自体が昭和期なので現在のような博物館・史跡運営、文化財活用とは異なるのは仕方ないとは思うのですが、やはりここは税金を投入してリニューアルしてしっかりと回収する方策を取って欲しいなと思います。

何でも観光地化・収益化するのはいかがなものかというご意見も当然あるでしょうが、まぁ「稼げる大学」を目指すような政府ですから『お金』は大事なのです。

そう言えば、当サイトのスローガンは「お金にならない考古学をお金にする」だった・・・

思い出した。

心機一転、頑張らねば!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 21にち(すいよーび、晴れ)

引っ越しで金欠・・・二か月くらい頑張って生きなきゃ( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「岡山初!古墳から煙突が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は岡山県、津山市、高尾北ヤシキ古墳です。

この遺跡では近くの国道の改築工事に伴って、2020年より緊急調査が行われています。

高尾北ヤシキ古墳は「佐良山古墳群」の一つであり、直径約13mの円墳です。

上に挙げた写真が発掘現場の遠景ですが、大きな切株が「座布団」状に残されていて、そのすぐ左側に石列が見られます。


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近寄って角度を変えて見てみると、上に挙げた写真のような感じになります。

玄室の壁面を構成する石列が綺麗に残っていますね!(・∀・)つ

この円墳の築造年代は6世紀と考えられており、けっこう立派な横穴式石室が墳丘の中心に設置されています。

サイズは残存長6.5m、最大幅1.7m、最大高1.9mです。



arukemaya1493


そして今回目玉がこれ!

『煙突』ですヾ(´ω`=´ω`)ノ

考古学用語としては「筒形土製品」と呼んでいます。

出土時点で割れていた部分は綺麗に接合されていますね。

古墳時代と言えば、カマドの伝来です。

この煙突はカマドに備え付けられていたものを模倣して作っていたもので、煤などの付着はなく使用痕跡はありませんでした。

カマドという新技術の伝来と関係して儀礼的な意味合いでお墓に入れられたものだと考えられます。

煙突はこれまでに韓国はもちろんのこと、近畿地方で多く見つかっています。

しかし岡山県で発見されるのは今回が初めてで、カマド技術や製鉄技術といった当時の朝鮮半島との関係が伺えます。


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↑石室を出した時の写真(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


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↑棺の横に煙突とその他の副葬品が見られる(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


ニュースの画像だとちょっと何だかなって感じだったので、「概報(概報の概報みたいな簡易なもの)」に当たってみたところ、見やすい写真を見つけましたので紹介しますねヾ(´ω`=´ω`)ノ

上に挙げた写真が石室の検出時の写真と、陶棺と副葬品の位置関係を示した平面図的な写真になります。

綺麗で見やすい写真ですね!

そしてこんな風に綺麗に出土するのですね。

掘るの大変そうだけど、出してみたい(*^・ェ・)ノ

ちなみに副葬品もかなり豪華で、須恵器、土師器、鉄製の鏃(鉄鏃;てつぞく)、馬具、ガラス製装身具が見つかっていますΣ(・ω・ノ)ノ



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↑展開図的な写真(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


そしてこれが出土した「煙突」こと筒形土製品の展開図的な写真です。

これだと中が空洞であることや、厚みの程度がよく分かりますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

また正しい置き方が三角コーンみたいな感じであることが分かります。

尖底土器みたいに尖った方を下にはしません( -д-)ノ

この「煙突」がどのように使われたかについては、下の図がとても分かりやすくて良きです(。・ω・)ノ゙

まぁこの復元図ではカマド(高温焼成による土器作り用の窯)の煙突ではなく、住居の中の炉(これはこれでカマドだが)の煙突として描いていますが使い方は同じです。


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↑遠くから見るとこんな感じ( ・Д・)(「岡山県教育委員会」の報道発表資料より転載;図番号等は画像に記載)


おわりに

世界中で色々な考古学的発見が起きてるなと思いますが、国内でも大発見がある地域って少し偏りがあるかな~って気がしますね。

岡山県の考古学ニュースはそんなにないので、こうしたレアな発見があるとちょっと嬉しいです。

地方でかつ小さな遺跡だと、せっかくの良い発見もなかなか良い記事になってないなと思います。

考古学の専門の記者の不在も理由にあるでしょうが、写真も文章も明らかに少ないのですヽ(TдT)ノ

是非、そういったニュースを当サイトで取り上げて、少し詳しく紹介出来たらなと思います(。・ω・)ノ゙


・・・ところで、私、このニュースのタイトルをチラッと見た瞬間、、、

古墳に煙突立ってるのかと思った!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 19にち(げつよーび、晴れ)

毎日少しずつだが、着実に仕事が進んでいく感じも悪くない(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「法面工事の時に色々と重要なものが見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は富山県、富山市、番神山横穴墓群です。

この番神山(ばんじんやま)横穴墓群は呉羽丘陵に位置し、これまでに15基の横穴墓が発見されています。


・・・ところで記事タイトルにある「法面工事」って読めました?

普通に「ほうめん」かと思いきや、正しくは「のりめん」でした( -д-)ノ


”法面(のりめん)”とは、

 ”切土や盛土により作られる人工的な斜面のことです。 道路建設や宅地造成などに伴い、地山掘削、盛土などによりのり面が形成されます。 こののり面の斜面崩壊や地すべりなど土砂災害の拡大防止を目的として施工する工事のり面工事です。”


ということで、最初に挙げた写真が法面と法面工事の施工後の状態を示したものになります。

うん、ドライブしてるとよく見るやつね!(*^・ェ・)ノ

「落石注意!」って標識に書いてるけど、なにをどう注意したらいいか分からないやつね!( ・Д・)


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上に挙げた写真がテレビニュースの動画からもってきたものになります。

画像は粗いので、是非、上のリンクから元のニュース動画を見てみてください(*・ω・)ノ

さて、法面といっても再工事とかではなくて、本当に今にも土砂崩れしそうなポイントなのだなと驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ

先にも述べたように番神山横穴墓群ではこれまでに15基の横穴墓が見つかっていて、今回の2基を加えて17基となりました。

ちなみに番神山には2基の古墳もあるそうです(。・ω・)ノ゙

今回の出土遺物としては完形の須恵器2点と土師器1点、そして馬具の轡(クツワ)が出土しています。

この見つかった馬具がレアな発見で、県内でこれまで見つかっている約360基もの横穴墓の中で副葬品として馬具が共伴する事例は今回で3例目なのです。

また今回の横穴墓は玄室部(埋葬部)の長軸が3mと北陸最大級であることも大きな特徴です!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


今回のお墓の副葬品は立派ですし、有力者の墓だと分かります。

有力者の数は限られているとはいえ、古墳時代の横穴墓群として全部で17基って少し少ない気もしませんか?

全国に横穴墓群があるのですが、100基~300基級の遺跡もけっこうありますし、福岡の竹並遺跡なんて1000基もあるのです。

この番神山横穴墓群の場合は、一つの横穴墓の玄室から複数体の人骨が見つかっていて、それぞれの横穴墓が再利用されていたことが分かっています。

それが家族なのかどうかは分かりませんが、まぁ恐らくは少なくとも有力な家系の親族関係者でしょう。

過去の調査では人骨も出ているわけですから、保存状態にもよりますがDNA分析とかできるといいですねヾ(´ω`=´ω`)ノ




おわりに

番神山横穴墓群を調べてみたところ、報告書はさすがにありましたが、、、

遺跡の写真が出てこない。

出てきたのは上に挙げた写真だけ( ・Д・)

どうやら史跡整備はされていないようですね。

まぁ法面工事で墓出すくらいだからそんなもんか( -д-)ノ


arukemaya1489
↑山が半裁されていますね(富山市埋蔵文化財調査報告書102 2020の巻頭図版〇三より転載)

arukemaya1490
↑陶芸館とか考古資料館のために山を掘削してますね(富山市埋蔵文化財調査報告書102 2020の第1図を一部改変)


報告書に当ってみたら少し写真と図が見つかりました。

南西から北東にかけて古墳が並んでて、そのおおよそ中間部に番神山横穴墓群があるのですね。

そして道路のためではなくて、建造物建設のために山を掘削したようですね。

今回のは珍しい発見ですし、予定されている出土資料の博物館展示だけではなく、是非何らかの遺跡保存をして欲しいなと思います。

考古資料館がこんなに近くにあるのだから、是非、周りの古墳も含めて史跡化して欲しいものです。

そしたら富山に行く理由ができる!( ・Д・)



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2021ねん 2がつ 2にち(かよーび、くもり)

124年ぶりの節分、、、語弊があるな( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースはでっかくて可愛い勾玉が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は奈良県、香芝市の狐井稲荷古墳です。

ちなみに読み方は「きついいなりこふん」です。

上に挙げた写真は確かに日本最大の勾玉なのですが、島根県松江市、いづもまがたまの里伝承館に展示されているもので、現代の作品です。

今回紹介するのは古墳から出土した遺物として最大のものになります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

狐井稲荷古墳は5世紀後半に帰属する前方後円墳で、全長は70mあります。

周辺は住宅地になっていて、現在も古墳の範囲は私有地になっています。

この発見は2011年のものですが資料は非公開のままであり、2020年末に初めて一般公開されました。




さて、上に挙げた写真(右側)が国内最大の勾玉になります。

滑石で出来ていて、サイズは長軸約13cm、幅約10cm、厚さ約5.5cmで、重さは565gもあるそうです。

500gってけっこうずっしりとくるサイズ感ですよね(*^・ェ・)ノ

上の勾玉は皆さんの知っている「ふつーの勾玉」とは異なる形態をしていますが、これは「子持勾玉」と呼ばれるものです。

本体の大きな勾玉に小さな勾玉が付随している点が特徴で、この資料では小さな勾玉が10個付いています。

ちなみにこの日本最大の勾玉、実は古墳の立地する土地の所有者が庭仕事をしている際に、後円部の裾辺りで発見したそうです。

発見の経緯も面白いですね(・∀・)つ


さて、こうした子持勾玉は儀礼に使われたと考えられており、今回のように埋葬儀礼に関連しているようです。

古墳という埋葬形態が形態としてある程度規格化されていたように、この子持勾玉も規格化が進んでいた可能性があります。

これまでに全国で450点ほど確認されていますが、サイズは長軸10cm程度、幅5~6cm程度が一般的とされています。

今回のケースでは長軸13cmなのでちょっと長いくらいなので全国4位の長さ、幅が10cmと平均のほぼ2倍なのでこれが全国1位の幅ということになります。

なので国内で最大の勾玉となっていますが、実際に最大なのは幅と体積の点でということなります。

それでも国内最大級の勾玉なのは間違いありませんヾ(´ω`=´ω`)ノ



おわりに

この子持勾玉、、、

動物みたいに見えて何だか可愛いなと思ってしまうのは私だけでしょうか?カワ(・∀・)イイ!!

私はミニチュアとか小さいものが好きですが、この勾玉の場合は程良いサイズ感でいいですね。

本記事を通して、考古学ではなんがかんだ「最古」が一番人気ですが、「最大」とか「最小」もいいな~って思えました。

うむ、今度は可愛い子持勾玉について書こうかな!

考古学においても可愛いは正義!( ・Д・)



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