歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:土器

2019ねん 3がつ 27にち(すいよーび、晴れ)

ダイエットを本格的に開始した。

ズボンが入らないのであるヽ(TдT)ノ

お酒もやめた。

オレンジジュースと共に生きてゆく!( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは『4000年前!メソポタミア文明の儀礼用ミニチュア土器が出土したよ!』ってことです(*・ω・)ノ

出土したのはトルコ共和国の首都アンカラから南東に約170kmの地点に位置するヤッスホユック遺跡です。


写真からも想像できるように、ヤッスホユック遺跡はかなり大きな遺跡です。


南北500m、東西625m、高さ13mの丘状の遺跡で、採土や道路建設といった近現代の人間活動によって一部が攪乱・欠損していますが全体として素晴らしい保存状態を保っています。

中央部には長軸約45~50m、短軸約40mの大建造物址が確認されており、王宮または神殿と考えられるそうです。

arukemaya_0162





遺構の写真に見られる、写真の4枠と平行な四角形の掘り込みがいくつか見られますが、これが発掘調査時の掘り込み面になります。

グリッドと呼んでいますが、このように方形状に調査を進めていくわけです。

一方で中央の大きな調査区の枠に対して、斜めに伸びるラインを見て取れると思いますが、これが住居の壁の痕跡になります。

出土地点や出土状況の詳細は不明ですが、丘の頂上部の表土から50~60cmの位置で7点の土器が集中して出土したそうです


arukemaya_0157
↑出土した儀礼用土器群(「産経フォト」の記事内画像より転載)


arukemaya_0158
↑サイズの小ささが分かる(「産経フォト」の記事内画像より転載)


出土した土器群の器高は14~21cmで、一部破損している資料もあります。

帰属時期はBCE1900~1750(約4000年前)で、古代メソポタミア文明の地(現在のイラク周辺)から来たアッシリア商人が活動した時代のものと推定されています。

いずれの資料も把手が付く尖底壺の形態で、このような形態の土器は古代の中東やエジプトで見られるものです。

ただし、2枚目の写真で分かるように非常に小さいものなので、コップのように日常的に飲用に使われたとは考えられません。

世界的にこのような小型の土器、所謂「ミニチュア土器」が出土しますが、多くの場合お墓から副葬品として出土します。

本来の大きなものを作って副葬する代わりとして用いられたせいか、比較的粗雑な作りであることが多いと感じますが、今回の資料は非常に精巧な作りですね!

4000年前にこれだけ小さく精巧な土器を作り上げたとは驚きです!

……それにしてもやはりミニチュア土器は可愛い!

美しいのがさらに良い!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

4000年前のミニチュア土器は、現代の日本のガチャガチャの品に負けてませんよね(・∀・)つ

↓小さい物は可愛い!カワ(・∀・)イイ!!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2019ねん 3がつ 16にち(どよーび、曇り)

もうすぐ新年度。

今年はやりたい研究が出来る最初で最後の年かも知れない。

なので、ちょっと本気出してみることにしたよ!( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは『奄美大島で色々見つかったよ!』です!(*・ω・)ノ


今回の発見は、鹿児島県の「奄美大島」における発見です。

色々と発見が多いのですが、一番の発見は1万3800年前の土器片が出土したことでしょう!

ちなみに世界最古の土器は(中国の例とか諸説ありますが……)日本の青森県、大平山元I遺跡の縄文土器(約1万6500年前)です。

今回の発見はもちろん奄美大島で最古となります。

そして国内どころか世界的にみて最古級の発見となります。

ところで、奄美大島ってどのような場所なのでしょうか……




ほんっとに綺麗ですよね~。

私もこういう場所をフィールドにして調査したいですね!( -д-)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ということで、今回の発見の舞台は奄美大島にある天城町西阿木名(にしあきな)地区内の下原(しもばる)洞穴遺跡です。

調査者は鹿児島女子短期大学と天城町教育委員会だそうで、2015~2016年に第1次調査が行われ、2019年3月から第2次調査が行われています。

この下原洞穴の中からは、先に述べました最古の土器(1万3800年前)の他に、石器製作工房や埋葬遺構も発見されています。


arukemaya_0106


arukemaya_0105


arukemaya_0109




人が火をおこした跡(炉跡)と考えられる炭化物集中の痕跡も見つかっており、時期は2万5000年前と推定されています。

その他の発見は比較的新しいものですが、6000年前にまで遡る生活・居住の痕跡、4000年前の石器、2500~3000年前の人骨や貝製品、土器などが出土しています。

このような様々な発見があった中で、奄美大島に関する考古学的側面からの評価が変わりました。

それは今回の奄美大島における最古の土器の発見により、奄美大島では日本列島と大差ない時期に土器文化が始まったと考えられるようになったことです。


日本列島においてこのような古い時期の人々は移動しつつ生活していましたが、奄美大島では環境的制約から定住に近い状態だったと思われます。

そのためこの洞窟内からは様々な時期に関する色々な遺物・遺構が集中的に見つかるわけです。

その点を高く評価し、今後も天城町教育委員会は下原洞穴遺跡での調査を継続的に行っていく模様です。

今後の更なる発見に期待ですね!(・∀・)つ


↓ブログリーダーに変わったね!記念に押してといて!( ・Д・)↓


このエントリーをはてなブックマークに追加

2019ねん 2がつ 21にち(もくよーび、晴れ)

某100均での話。

理科の実験で使うシャーレが欲しかった。

店の人に訊いたら、ポカ~ンってされた。

説明したら、「あ~、ビーカーならあります!」

……ビーカー!?( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya_0067
↑レプリカ法で見つかったゴキブリの卵(「EurekAlert」の記事内画像より転載;credit: 小畑弘己、熊本大学



今回の考古学・歴史ニュースは「土器の研究から、日本のゴキブリの起源が中国である可能性が分かったよ!」ってことです!


この研究は熊本大学の小畑弘己教授によるもので、土器表面に対するレプリカ法(圧痕法)を用いたものです。


より正確には「土器圧痕のレプリカ法」と言います。


土器の器面(表面)に何らかの要因で押し付けられた痕跡(圧痕)に対して、シリコンを流して型を取った標本(レプリカ)を電子顕微鏡等で観察して分析する手法のことです。





対象となった資料は宮崎県、宮崎市田野町の本野原遺跡(もとのばるいせき)で出土したものです。

この本野原遺跡は縄文時代後期の遺跡であり、西日本において最大級の集落跡が発見されています。


この遺跡から出土した約4300年前の土器と約4000年前の土器との器面からゴキブリの卵の痕跡が見つかったわけです。


本記事内で述べている検出されたゴキブリの「卵」というのは実際には「卵鞘(らんしょう)」と呼ばれるもので10~11mm程度のサイズだそうです。

この「卵鞘」の中に複数の卵が入っている構造なのです。

そのため「卵のさや」と書くのですね。しかし記事内では分かり易く、「卵」と表記します( -д-)ノ




今回検出されたゴキブリの卵は、中国南部が原産とされるクロゴキブリの卵と形態的に強い類似性を示しているということが分かりました。


クロゴキブリとは屋内に生息する種のゴキブリとして代表的なものです。

ちなみにこの屋内ゴキブリであるクロゴキブリがが縄文時代の遺跡から確認されたのは初めての事例のようです。


つまり今回の発見によって縄文時代の家屋の中にもゴキブリがいたことになります。

どうやら我々と”G”との戦いの歴史はとても長いようですね( ・Д・)



日本の在来種とされるヤマトゴキブリは平安時代(CE794-1192)の文献に記載されています。

それに対して今回の発見は約4300年前のことですので遥か昔の話になります。


このクロゴキブリが船によって渡って来たのか、本当は日本の在来種であるのかはまだ分かりませんが、日本におけるゴキブリの起源に関わる重要な発見なのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

レプリカ法、面白そうですね!(・∀・)つ


だが、私のフィールドではどのような発見に繋がるのだろうか……

やってみなきゃ分からんか!( ・Д・)

↓”G”が嫌いなひと~?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2019ねん 1がつ 31にち(もくよーび、晴れ)

以前、急にいか飯が食べたくなって、

イカを買ってきて作ったことがある。

なんか、たま~に食べたくなるんだよな~(´・ω・`)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


arukemaya_0024
↑美味しそうな『いか飯』!ヾ(´ω`=´ω`)ノ(「北海道の道の駅」より画像を転載)



【目次】
  1. はじめに
  2. いか飯といか飯土器の紹介
  3. 「いか飯土器」のモチーフがいか飯であるかどうかの検討
  4. おわりに ~「鐸形土製品」としての「イカ形土製品」に対する実際の評価~



1.はじめに
さて、今回の考古学・歴史ニュースは、「北海道南部、森町で出土したイカ飯土器を紹介するよ!」です。





最近ですね、寝れない夜にYoutubeで色々観るのが趣味になっているのですが、所謂「オカルトもの」とか「疑似科学」ものがけっこう好きで観ているのです。


歴史とか考古学の成果に対して「攻撃的」な内容でない限り、基本的にぼーっと観てるわけです。




例えば、「宇宙人がピラミッドを造った!」は・・・ ⇒ そんなわけあるか!( ・Д・)

ってなりますが、

「ロズウェルにUFOが落ちて宇宙人が回収された!」なら・・・ ⇒ いいんじゃない?( ・Д・)(←同じ表情に見えるが心は仏のように穏やかである)


って感じで観ているわけです(観てると更に寝れなくなるのでラジオ的に音を流している感じです)。


(回し者じゃないですけど紹介しておきます。特に「History Channel」面白いですよ。古代の宇宙人シリーズ!時々、睡眠障害ぽいですが良く眠れます。)




・・・・・・まぁそれでふと思ったんですよね、この所謂トンデモ説を提唱する人たちは何故そういう風に物事を捉えるのかって。



①不思議な説を提唱することで有名になりたい(承認欲求を満たしている)。

②そのような行為によって得られる経済的報酬を期待している。

③フィクションと明記ないし明言していない点で違いはあるが、実際に当事者は虚構であることを本当は理解している上でエンターティナーに徹しており、歴史小説家のような役割を担っている。

④アホである( ・Д・)



カップラーメンが出来上がるまでに思い付いた「彼らの行動の理由」はこれくらいですね。

(まぁもちろん④はふざけてるだけですけど(m´・ω・`)m ゴメン…)






前置きが長くなってしまいましたが、先に述べた③は面白い理由だと思うし、当サイトの記事は論文じゃなくて飽くまでもブログ記事だし、私も何か面白いこと言ってみようかと思い立ったわけですよ!



そこで『4000年前、縄文人が「いか飯」を食べていた説』を提唱することにしました!( ・´ー・`)ドヤ



(同業者の方はですね、「あ~ストレスあるんだろうな~」くらいで優しい気持ちと生温かい眼で見守ってくださるよう宜しくお願い致します( -д-)ノ)


まぁプライドもありますのであまりいい加減なこと言ってられませんから、最後に一般的な解釈もちゃんと紹介します(*・ω・)ノ




arukemaya_0026




2.いか飯といか飯土器の紹介
ここまでに「いか飯」の写真を2枚挙げまして、上にイカ型土製品の写真を挙げました。


お気付きの方もいると思いますがタイトルや見出しに「土器」と使っているのはその方が一般的に分かりやすいかな~(あるいは記事タイトルとして目を惹くかな)程度の理由しかありません


が、本論では「いか飯土器」を使い続けることにします。

また最後の部分で、敢えて「土器」として呼称を誤用し続けた本当の理由を述べますね(*・ω・)ノ)




ということで、この「いか飯土器」本当は「土製品」です。


内部は中空ですけども、「器」じゃないんですね。まぁ逆さまにしたらコップにはなるかな!

置けないけどね( ・Д・)




ところで・・・・・・どうでしょうか?


見た目は完全にイカですよね!(私はイカれてませんよ( ・Д・))


もうね、『縄文人は「いか飯」食べてたんですよ!』


具体的に比較してみましょう!




arukemaya_0028
↑森町のいかめしと、いか飯土器を比べてみたの図(credit: 「歩け、マヤ」/ Project D.)


もうそっくりですよ!


「いか飯」の化石かと思うくらいですね!



これは間違いなく、縄文人は4000年前に「いか飯」食べてましたよ!




・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さて、この出土品について紹介しますと、


出土地点は北海道茅部郡、森町にある鷲ノ木遺跡です。

ストーンサークルでも有名な遺跡です。



遺物の年代は、縄文時代後期前半で今から約4000年前のものです。

またこのいか飯土器は森町でしか出土していません。







ではそもそも「いか飯」とは何か?


烏賊飯(いかめし)は、イカの中にを入れて炊き上げた日本の料理。北海道渡島地方の郷土料理。

函館本線森駅の駅弁調製業者だった阿部弁当店(現在のいかめし阿部商店)が、第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)、戦時体制による食糧統制で米が不足していたため、当時豊漁だったスルメイカを用い、を節約しても満足感がある料理として考案した
(wikiより転載)




つまるところ、


①「いか飯」は20世紀に森町で作られたものなのです。

②でも4000年前に「いか飯土器」が森町で出土している。

③出土遺跡にはストーンサークルがある。



ハイ、勘の良い方はもうおわかりでしょう。

「いか飯土器」は『オーパーツ』なんですね!(繰り返します、私はイカれてません(゚∀゚)アヒャヒャ)



つまり、「20世紀の森町に住んでいた、とある人物が極度の空腹状態で食べた『いか飯』のあまりの美味しさに超絶感動した結果、時空間に歪みが生じて4000年前の森町にタイムスリップしたのです。この時の痕跡が今、鷲ノ木遺跡のストーンサークルとして確認することができます。」


「その人物はお腹を空かせた当時の縄文人を目の当たりにして、戦時下の極限の空腹時の自分と重ね合わせ、未来の食べ物である『いか飯』を伝授することにしたのです。」


「『いか飯』は飢餓を救った偉大な存在として崇められ、唯一神として1個体だけ製作されました。この御神体が出土した「いか飯土器」です。その後、生活技術の発達に伴って食糧事情が改善され、「いか飯信仰」は忘れ去られてしまったのですヽ(TдT)ノ」




・・・・・・ちなみに当時の唯一神の名前は「イカメ神(いかめしん)」です。


あるいは正式には「烏賊飯乃神旨過尊(いかめしのかみうまかと)」だということがチャネリングで分かっています。




arukemaya_0031



3.「イカ飯土器」のモチーフがイカ飯であるかどうかの検討
さて、当然ある批判としてぱっと次の項目が考えられます。


①米がないから作れない。

②縄文人もイカを食べており、これはイカを模したものである。



まず一点目ですが、記録として残っている北海道における米作りの始まりは1692年です。



少し遡って1604年には松前藩が蝦夷地の支配を強めていく頃ですが、米がとれないので「加賀百万石」みたいな石高で藩の経済力を示すことができませんでした。


そのため「無高の藩」と呼ばれていました。

このことからもやはりお米は縄文時代にはなかったことがはっきりと分かりますね。



しかしながらですね、縄文時代後期にはアワ・キビ・ヒエ・ソバといった雑穀類の栽培が始まっていたようですから、当時の古代イカ飯は雑穀類を詰めたものだったと考えられるのです!(*・ω・)ノ



2点目にイカ漁の開始時期ですが、イカ漁は本州で開始されて江戸時代中期に北海道に伝わったと言われています。


つまり縄文時代後期ではイカを獲っていない可能性が高いです。

もしイカを獲っていたとすると、その技術は残るはずですから。


つまりこれはタイムスリップした森町人が未来に与える影響が少ないよう独りでイカ漁を密かに行ったと考えられます。





また偶然に獲れたイカを模している可能性もありますが、「イカ飯土器」は胴部が膨らんでいますよね? これは雑穀を中に詰めた様子を表現しているのです。


説明しましょう!


上に挙げたイカの種類ではケンサキイカとかカギイカが、元々でっぷりとした体形をしていますが、これらは北海道では捕れません。


現在北海道南部で捕っているのはスルメイカ、ヤリイカといった細長い形のイカなのです。


つまり偶然にイカが捕れても、形態が異なるのです。




それでも偶然に獲れたイカを一部強調した作ったんだと言う方もいるかも知れません。


先に挙げた同時代の土偶(ハート形土偶)では、人間はかなり各部を強調されて作られており、あまり写実的ではないことが分かります。


他にも遮光器土偶とか色々ありますけどどれもあまり写実的ではありません・








でも動物を模した場合はこのように写実的なのです。


つまり、偶然に獲れたイカを模して作ったとしたら、強調した形態にはならないのです。


よってやはり「いか飯土器」はイカの中に雑穀米を詰めた古代の「いか飯」である蓋然性が高いのです!ヾ(´ω`=´ω`)ノ




arukemaya_0030


4.おわりに ~「鐸形土製品」としての「イカ形土製品」に対する実際の評価~
無駄に長くなりましたが、最後に実際の考古学的評価のお話をして締めたいと思います。


上に挙げましたように、実際には「イカ形土製品」は「鐸形(たくがた)土製品」の内の一つになります。


この「鐸形土製品」は縄文時代後期前半に北海道南部から東北地方で造られた祭祀・儀礼の道具です。


イカ形土製品というのは鐸形土製品を特殊化したものであり、頭部が三角形で他の鐸形土製品よりも大きく際だっています。


写真を見ると、どれも丸みを帯びた卵型ですよね。これがイカの胴体部分になります。

左の2点を見ると上部にくびれを持った後に、方形ないし三角形状に展開しています。


まぁつまるところ、この「鐸形土製品」の上部が三角形に発達したバリエーションが、現代の私たちには「イカ」のように見えるってことなのですね( -д-)ノ




・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あとですね、前半に述べた「いか飯土器」と呼び続けた理由は、本来の「イカ形土製品」という言葉を使ってしまうことによる弊害を避けたのです。


万が一私の「唯一神イカメシン信仰論」がですね、何らかの理由で一部抜粋されて拡散された時に、「いか飯土器」と使っていれば、見る人が見れば分かるかなというのもありますし、


まぁ端的には、『私の中でのフィクションとノンフィクションの境を、使用する呼称によって明確に分離した』ということです(*・ω・)ノ


arukemaya_0028
↑やっぱりこれ、「いか飯」だな.。゚+.(・∀・)゚+.゚(credit: 「歩け、マヤ」/ Project D.)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・いや~、ほんとに楽しかったです!

書きながら、イカれてんな~(゚∀゚)アヒャヒャって、何度も笑いました。


読んで頂いた皆様もそれなりに楽しめたのではないかなと期待しております(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




さて、オカルトや疑似科学が何故根強く存在するのかを扱うのは社会学や心理学の領域でしょうか。


「急速に発達した科学に対する内在する不安・不信感が表出している」という説明や、

「誰にも受け入れられない不思議な自己体験を肯定してくれるカルト的存在」という説明も目にしたことがあります。



しかしながら実際にやってみると面白かったので、

考古学にも通じる「考えることの楽しさ」、あるいは「自身の考えを発表し受入れらる喜び」をより身近に体験できる分野なのかなと、私は感じましたね。


特に後者のような性質があるのであれば、歴史小説家と異なり「フィクション」であると明記・明言しない理由も分かります。

別段、オカルトや疑似科学をお勧めしているわけではありませんが、「考えることの楽しさ」を知るきっかけになればいいな~なんて思います(。・ω・)ノ゙

↓『いか飯』食べたくなった人はぽちっとな!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2019ねん 1がつ 30にち(すいよーび、晴れ)

頑張って夜食の誘惑に打ち勝った!

2日目の徹夜の結果、体重が落ちた!

昼は好きなもの食べる!夜は炭水化物抜く!

これが私のダイエット方法である。

・・・・・・ビールはおやつに入りません( ・Д・)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・


arukemaya_0012


今回紹介する考古学・歴史ニュースは「中国で最古のビールの痕跡が見つかったよ!」というものです!


個人的には中国のビールってよく知らないので、

……青島(チンタオ)ビールくらいかな?


なので、現在の中国のビール生産の歴史を概観してから、今回の考古学ニュースに入っていきたいと思います(*・ω・)ノ




・・・・・・・・・・・・・・・・・・

↓『お酒の考古学』のバックナンバーです(*・ω・)ノ
↑~イラク編~にミスがあったので一部修正を行い、また別のデータを追記として加えました!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・


arukemaya_0013



中国のお酒は多数種類があますが、大きく分けると 黄酒、白酒、果酒の3種があります。これが基本となる3種のお酒です。

これに加えて、強精補と酒薬味酒があります。



強精補酒(チャンチンプーチュウ)は、 白酒・黄酒・果酒に動物や昆虫、人参などを浸漬した混成酒です。

薬味酒(ヤオウェイチュウ)は、白酒・黄酒・果酒に香味付けした混成酒です。



基本となるお酒の一つ、黄酒(ホワンチュウ)は穀物を麹(こうじ)で糖化して醸造する酒のことです。

黄酒に分類される有名なお酒には紹興酒(しょうこうしゅ)や老酒(ラオチュウ)があります。

日本でも紹興酒はひとつのお酒として飲み放題プランに含まれていたりしますが、本場では製法により紹興酒は4種に分類できるそうです。



白酒(パイチュウ)は穀物を原料とする蒸留酒です。

日本では聞いたことないですけど(私だけ?)茅台(マオタイ)や汾酒(フェンチュウ)がこの白酒の代表的お酒だそうで、宴席で行う乾杯に用いられるそうです。


最後の果酒( クアチュウ)はブドウ以外の果実から造る甘口のお酒です。

白葡萄酒に金木犀の花を浸して作った香りのよいお酒「桂花陳酒」は楊貴妃が自分のために作らせたという伝説があるそうです。




さて何故ここで中国のお酒の紹介をしたかというと、中国産の伝統的なお酒にビールが含まれていないということを言いたかったのです( -д-)ノ


ということでここからようやくビールの話になりますが、中国で最初のビール会社の製品は『ハルビンビール』です(一つ前の写真を参照)。


黒竜江省のハルビン市に造られた工場とその製品なのでハルビンビールです。

サッポロビールみたいなものでしょうか、由来は地名ということです(*・ω・)ノ



このハルビンビールの会社は1900年にロシア人が設立した中国最古のビール会社です。


1937年には大日本麦酒(現在のサッポロビール、アサヒビール、エビズビールの前身)も関係してビールの生産が行われていました。



一方で上に挙げた写真の青島(チンタオ)ビールは日本でも有名ですね。

現在中国で消費率1位なのだそうです。


山東省の青島市に造られたためにこれも地名から青島ビールと名付けられており、この会社は1903年にドイツ人の投資家によって設立されました。

名前は「ゲルマンビール会社 青島株式会社」!

思いっきりドイツビールなんですね。


第一次世界大戦後には大日本麦酒が青島ビールの経営を行い、第二次世界大戦の日本の敗北によって中国経営になります。



まぁつまるところ、近現代史においては中国におけるビール生産はロシア・ドイツ・日本の影響下で始まり、成長したという歴史を有しています。


arukemaya_0017



arukemaya_0014


さて、そのようなお酒とビールの歴史を有する中国ですが、中国で最古のビールが醸造された証拠が発見されたそうです。


場所は陝西省西安市の米家崖(ミーチアヤー)遺跡にて5000年前にビールの醸造が行われていた痕跡として発表されています。

これは中国における最古の酒造りの証拠であり、古代中国人が5000年前よりビールを飲み始めた可能性があることを意味するそうです。




米家崖遺跡にある2つの貯蔵穴と思われる遺構から、酒造りに使われた器物(上に挙げた茶飲みみたいな土器;サイズ不明)が出土しました。


土器の帰属年代は紀元前3400-2900年で、内部の残留物の科学分析によりビール醸造に関する証拠としてキビやオオムギ、ハトムギ、塊茎(かいけい)植物を発酵させた成分が検出されたそうです。


今回検出されたオオムギは中国における最古のオオムギの痕跡であり、西洋由来のオオムギと中国由来のキビ、ハトムギ、塊茎作物を使ったビール製法は、中国と西洋の伝統的な要素が融合していると評価しています。


この研究成果により、これまでオオムギが中国に渡ったと思われる時期を1000年早める可能性があり、またオオムギは当初ビールの原料として利用された後に一般的な農作物になったと推測されるとのことです。


またこの米家崖遺跡からは上に挙げたようなビールの醸造に使われたと思われる『ろ過や保存用の道具』が見つかっていることからも、この時期・この地域においてビール作り(あるいはアルコール作り)が行われていた蓋然性が高いと評価しています。



arukemaya_0015


やはりこれまでに紹介した他の事例と同様に、最古のビールの再現が行わたようです。


分析結果からは、太古の中国人は主にキビ・アワや大麦などの穀物や、アジア原産のイネ科植物であるジュズダマ、ヤマモモやユリ根が含まれていることが判明しましたが、正確なレシピは不明です。



再現実験では、麦・アワ・大麦種子を材料として用いられました。

穀物類を水洗いすることで発芽させるという「麦芽製造」を行い、発芽した穀物と砕いた大麦種子を水に浸し、それをオーブンに入れて、65度で1時間加熱し「糖化」を促します。その後容器をラップで密封し、室温で1週間発酵させたそうです。


 
最古のビールの味は発酵した穀物の酸味と塊茎作物の甘みがあったと推測されていました。

実際に「再現された5000年前の中国最古のビール」も酸っぱい匂いが強いものの、味わいは現代の苦みの効いたビールよりも甘くてフルーティーだったそうです




・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さて、世の中には世界のビールを揃えたダイニングバーとありますよね。

世界中の各種の最古のビール(再現)とワイルドな食べ物(マンガ肉?)を揃えたダイニングバーなんてどうですか?

開いたら、来てくれますか!!?( ・Д・)


……あ、個人で作ったお酒を販売したら違法かヽ(TдT)ノ

どこかのビール会社とコラボせねば!(/TДT)/

↓ビールは美味しいよね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ