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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:土器

2021ねん 8がつ 14にち(どよーび、晴れ)

完全に夏休みモードだった。。。頑張ります( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはイスラエルで土師器が出たのかと思ったけど違ったよ!でもレアな発見らしいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイスラエル南部のキルベット・エル・ライ遺跡(Kirbat er-Rai)です。

まぁここで「士師記」の文章入りの土器が見つかったよってニュースなのですが、私には「土師器」かと思ってめちゃくちゃ驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ

考古学やってる人なら、見間違えた人、私だけじゃないはず( -д-)ノ





土師器とは?

土師器って一般的には知られていない土器だと思います。

何故かというと小中高の歴史の教科書は「縄文時代は縄文土器」、「弥生時代は弥生土器」って教えるくらいの内容ですからね。

もちろんそれぞれの時期には他にもいくつか覚えるべき単語は僅かながらあるわけですが、テストにほぼ出ないですし、日本という国が学校教育として古代に興味関心がないのは明らかですね( -д-)ノ

この弥生土器に続く土器が「土師器」です。

まぁつまりは古墳時代の土器です。

正確には古墳時代だけではなく、奈良時代、平安時代にも作られます。

ちなみにこの土師器と対になるのが須恵器で、こちらは5世紀以降に窯焼きの技術の伝来と共に登場する高温焼成土器です。

上に挙げた写真だと左側の褐色系色調の土器が土師器で、最下段から右側にかけて配置されている灰色系色調の土器が須恵器になります。



写真にもあるように、土師器や須恵器には「高坏(たかつき)」がよく見られます。

下に挙げた写真が現代の高坏の例ですが、身の回りの事例だと、ひな祭りの飾りで見ませんか?

神棚に置く容器類も高坏のような形態、あるいは類似の「脚」が付く容器だったりします。

高坏は飲食物を載せる食膳具ですが、容器にはそもそも遮断の意味があるので、高い脚部を与えることで物理的に地面やテーブルなどの「汚れ」から離すことで、「穢れ」と遮断する宗教的意味合いを持つと考えられています。

神様や王族・貴族に対して「献上」の意味合いがある場合、その容器は高坏だったり、あるいは、器形が異なるとも同様の高い脚部を有するケースが珍しくありません。

ちなみに一番最初に挙げた写真の中、イスラエルのキルベット・エル・ライ遺跡で出土した土器群の左側にも高坏が2点見られます(・∀・)つ






士師記とは? 文字入り土器の重要性

士師記はキリスト教の旧約聖書の一部です。

出エジプトや十戒、海を割った話で有名なモーセの後継者であるヨシュアの死後から、予言者サムエルの登場に至るまでの約400年間に渡るイスラエルの民に関する歴史が描かれています。

具体的には他民族の侵略を受けたイスラエルの民を、「士師」と呼ばれる歴代の英雄達(民族指導者達)が救済する内容となっています。

さて、上に挙げた写真の土器は約3100年前のものと推定されているのですが、見事な保存状態です。

見たところ、焼きもしっかりしていますし、塗料の発色も素晴らしいですね。

描かれている文字は「jerubbaal 」で、エルバアルと読みます。

これは先に述べた「士師記」に登場する士師の一人である予言者ギデオン・ベン・ヨアシュの別名として知られている名です。


この土器は地面を掘った後に内部に石を敷き詰めた貯蔵穴の中から見つかったものです。

この遺構と地層の切り合い関係から問題の土器はBCE1100年頃、つまり士師記の時代のものであり、聖書以外で士師記の記述と一致する名が考古学のコンテクストで見つかった初めての事例となります。


まぁそのため嫌でも期待が高まるのでしょう。

こうした所謂「聖書考古学」をやっている人の中には「神学」の延長としてやってる人もいるので猶更なのですが、、、

調査者によると、土器は約1リットルの容量をもつ水差しであると考えられ、かつては油や香水、薬などの貴重な液体が入っていた可能性があるそうです。

また聖書におけるギデオンに関する記述と、このキルベット・エル・ライ遺跡の位置から、この水差しがギデオン本人の所有物であった可能性もあるとしています。


もちろん可能性はあります。

しかしこの土器破片資料から推定される形態の水差しは、特に油や香水、薬などの貴重な液体だけを入れる特殊なものなのでしょうか?(*^・ェ・)ノ?

また聖書の記述とは内容が異なる事例の場合、こうした個人の所有物であることを示すた
めに土器などに持ち主の名前を記すことは一般的だったのでしょうか?( -д-)ノ

当時、エルバアルさんはどれくらいいたのでしょうか?( ・Д・)


そもそもレアな発見であり、「聖書考古学」としても重大な発見ですから、広報として意図的に盛ってる可能性もありますが、論文化されないと評価のしようがありません。

真偽については続報に期待したいと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ





おわりに

最後に挙げた発掘現場の写真なのですが、、、

この辺りの発掘ではこうして土嚢袋(どのうぶくろ;略して「どのう」と呼ぶ)をベルトに並べるんだな~って思いました。

写真で見ると、土嚢の白いラインでくっきりと5つの小さな調査区(グリッド)が見て取れます。

このそれぞれのグリッドを隔てている未調査部分(つまりは土嚢の白いラインの下部)を『ベルト』と言います。


さてさて、なんでこんなことするのだろう・・・・・・


グリッドやベルトの説明をする上ではとても便利に感じましたが、こういう置き方だとベルトの保護になってないんですよね(組み方違います)。

写真の左側に、グリッド内側に落ちかけている土嚢が見当たりますが、こんな風にむしろ壁を壊してしまうんですよね。

乾燥地帯のようだから壁が脆いから保護してるのかと思ったけど、保護になってないし、

乾燥地帯で雨が突然降ってくると壁がやられるので保護してるのかとも思ったけど、そもそも日除けのテント建ててるし、、、

まぁ至る所の土嚢にガッツリ踏んだ痕跡あるので、、、免罪符的なアレかな。

さすが考古学者はこんなところにまでも象徴的な意味合いを持ってくるのだなと痛く感動してます。

・・・こいつらベルトを歩いてやがるぜ!( ・Д・)



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2020ねん 12がつ 30にち(すいよーび、雪)

ずっと学会発表準備してたり、論文書いてたりしてたよ、ごめんね!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは古代のカリブの民は一度滅んでいたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は中米~南米のカリブ海!

カリブ海と聞くと上に挙げた写真のような「青く澄んだ南国の海」をイメージすると思います。

それでイメージは大体合っているのですが、どの辺にあるのか?となると途端にあやふやになると思います。

旅行で行ったことのある人でも、カリブ海というのは実際にはかなり広いのでよく分かっていない方も多いことでしょう。

ということで、地図を提示して説明しますね(*・ω・)ノ


arukemaya1315


上に挙げた地図は中米域(メキシコ、グアテマラら辺)から南米の北部であるコロンビア、ベネズエラを示したものです。

地図内に「西カリブ」「南カリブ」「東カリブ」とあるようにかなり広い範囲がカリブ海なのです(*・ω・)ノ

私は地図の左側にある、ポコッと北に突き出したユカタン半島の辺りを専門にしていますのでカリブ海も訪れたことが複数回あるのですが、ユカタン半島の北部に広がる海や、ベリーズ東部、ホンジュラス北部に広がる海がカリブ海であると漠然と理解していました。

だけど実際にはカリブ海はこれほどの広範囲にわたっているのですねΣ(・ω・ノ)ノ

私は知りませんでした( -д-)ノ


さて、今回のお話は地図の右下にあるベネズエラから中央にあるバハマの間の島々が舞台です。

所謂、『カリブ諸島』ですね(。・ω・)ノ゙

このカリブ諸島に、上に挙げた図のように船ではるばるやってきた古代人がいることが分かったよ!ってお話です。


arukemaya1310

arukemaya1311


所謂「新大陸」にヒトがやってきて、1万3000年頃までには南アメリカの南端にまで到達したと考えられています。

その後、人々は南北アメリカの各地でそれぞれ生活していき、様々な発展を遂げていきます。

マヤ文明やインカ文明などの発展には時期的に類似した変化が見られるわけですが、今回は「島々」が対象ですので、同じアメリカ大陸の話でも少し時代感が異なりますのでご注意ください(*^・ェ・)ノ

さて、カリブ諸島に最初に定住した人たちは6000~7000年前にやってきました。

恐らく先の絵に描いたよりももっと簡易な船でやってきたと考えられますが、彼らは狩猟採集活動を行い続け、その伝統文化・生活様式をおよそ6000年もの間守り続けていました。

どうやら彼らは周辺の人々と活発に交流しなかったようです。

そういった状況のカリブ諸島に、約2500年前(BCE500年)の段階でベネズエラから土器製作技術を有する農耕民がやってきました。

結果、先住民は戦闘や病気によって全滅したと推測されています。

この解釈は、上に挙げた写真に見られるような、カリブ諸島を中心に発掘調査で見つかった人骨174体を対象にDNA分析を実施した研究で得られたものです。



マヤ文明最古の土器との関係性

先に述べたように、カリブ諸島を「征服」した彼らはBCE500年に到来しています。

マヤ地域では南部地域において先古典期前期(BCE2000-1000)から土器が使われていますし、ティカルなどがある中部低地域では先古典期中期(BCE1000-350)に誤記が出現します。

なのでマヤ文明最古の土器と、今回の「征服者である土器の民」とには直接的な関係性はありません。

しかしマヤ地域の南部で最初期に見られる土器は、「完成された形」のものばかりなのです。

土器は粘土を焼成することで作りますから、「人類最初の化学変化を利用した道具」としてよく知られています。

日本などでも最初期の土器は「あまり出来が良くない」もので、その後技術が発達して皆さんがよく知ってる『火焔土器』みたいなのが作られるようになるものです。

しかしながらマヤ地域ではそうした土器の発達史を追うことができません。

そのためマヤ地域で最初期の土器は南米など他地域から技術や情報が伝わってきたと考えられています。

今回の話もそうですが、『意外と古くから』人間集団間の交流、特に海を使った遠距離の交流はあったのだなと思います。

南北アメリカ大陸は地続きですが、今回の事例のように海を使って一気に土器の製作技術が伝播した可能性もあるんだなぁと改めて感じました(・∀・)つ


↓船で新大陸に渡ってきた系の記事(*・ω・)ノ



↑これ人気記事ですよヾ(´ω`=´ω`)ノ



おわりに

さて、カリブと言えば、私にとっては「パイレーツ・オブ・カリビアン」ですが、、、

一般的にはやはり青い海ですよね!

調べたところ、どうやら上に挙げた写真のようなピンク色の砂浜がカリブ海にはあるそうです。

上の写真はギリシャのクレタ島のものですが、写真が綺麗だったので紹介することにしました。

クレタ島も考古学では超有名なところですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

さて、カリブ海ではバハマのエルーセラ島というところにやはりピンク色の砂浜があるそうです。

行ってみたいものです(*^・ェ・)ノ

……いつかカリブ海沿いの遺跡でビキニ美女と共に調査するのだ!( ・Д・)



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2020ねん 12がつ 12にち(どよーび、晴れ)

勇気振り絞ってコスプレ写真展行ってきた、緊張したけど楽しかったよ(・∀・)つ


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↑これがお高い返納品( ・Д・)(「御代田町ふるさと納税土器開始」のPDF内画像より一部加工)


今回の考古学・歴史ニュースはふるさと納税の返納品の土器がバカ人気だから、私も土器作って売ろうかなっ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は日本、長野県、御代田町です。

上に挙げた写真が辺納品として土器なのですが、御代田町にある「浅間縄文ミュージアム」という博物館の職員が手作りで製作したものだそうです。

いずれの土器も御代田町にある宮平遺跡や河原田遺跡から出土した県宝指定、重要文化財指定の資料です。

これらの土器は実測図に合わせて正確に成形(整形もか?)、施文し、一か月ほどの乾燥期間を経て、野焼きで焼き上げたそうです。

まぁつまりは縄文時代の方法で手間暇かけてしっかりと作りましたよってことなのですが、、、

驚くべきはその値段!Σ(・ω・ノ)ノ


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↑高いけど、寄付だからそういうものなのかな( ・Д・)(「御代田町ふるさと納税土器開始」のPDF内画像より転載)




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どれもいい値段しますよね。

それなのに全部あっという間に完売したそうで、「どうしても欲しい」とか「また作って欲しい」って声があったそうです。

北海道大学博物館のカフェでも「北大式土器」をミニサイズで作ってタピオカミルクティーが飲めるイベントがありました。

この「タピ土器」は私も買ったのですが(正確には博物館展示の手伝いの代償として奢ってもらった)、1600円もしたのですΣ(・ω・ノ)ノ

これもめちゃくちゃ人気あったようです。

でも老人ホームかどこだか福祉施設か忘れましたが、こちらは博物館の学芸員などの職員が製作したものではないので、とってもミニサイズだし、焼き方は現代の焼き方だし、粘土も現代の粘土だしで本格的なものではありませんでした。

可愛くて私は好きですけどねヾ(´ω`=´ω`)ノ

でもどうやら巷では土器が人気なようで、現在は色んな品が出ているようです( ・Д・)


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↑これがミニ北大式土器、通称「タピ土器」、1600円!(「歩け、マヤ」撮影)





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↑この記事でも少し紹介した日清の火炎土器の値段がコレ↓



おわりに ~私の土器はいくら?~

最後に私の作った土器を紹介しようかなと思います。

大学にもよると思いますが、私の大学では考古学実習の一環として毎年土器作りを行っていました。

大学構内に遺跡があって毎年掘り続けていますから、そこから出た粘土に砂を加えて生地作りから始まり、実測図を参考に、器面調整や施文も復元して行うようにしていました。

もちろん焼成方法は野焼きです。

なので、私にとっては昔の技術で作った土器というのはそこまで欲しいものなのか?とお思うレベルなのですが、、、

まぁ不出来な私の土器を見てくださいな( ・Д・)


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↑たぶん大学2年の時にテキトーに作ったやつ、整形がひどいね( ・Д・)

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↑3年生、2回目だから少し上手い(`・ω・´)

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↑4年?マヤ土器です。古典期前期のベイサルフランジ土器を作ったと思われる、まだまだ下手くそである( ・Д・)てか、碗の口が大きく開くと重力に負けちゃって整形が大変だった気がする(TДT)

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↑たぶん修士の頃、貝を模した三脚付き注口付き皿を作った。少し気合が入っている(・∀・)つ

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↑博士かな?ティカル出土の三足円筒土器を作った、これは手元に実測図と定規を置いて何もかも測りながら作りました。技法も何もかも一緒、焼成方法だけは不明なので野焼きです(*・ω・)ノ顔面だけ美術センスがなくてへたっぴ( -д-)ノ

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↑どう?薄いでしょ?1mmだもの。ミガキの方向が内外で異なる点も再現しています(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!私的にはこの角度で撮ると本物らしさが出ます。なぜなら本物でもこうやって撮られたものがあるのですヾ(´ω`=´ω`)ノ



……他にもスリップ(化粧土)の再現をしようとしてタイミング間違えて完成品をバラバラに割ってしまったこともあるし、器面調整の程度を観察するために粘土板作ったりしてましたね。

今でも胎土中の混砂率を推定するために実験的に粘土板作ってたりしますよ~(*^・ェ・)ノ

今ならもっと上手にこだわりもって本物らしく作れる気がする……

気のせいか?ヽ(TдT)ノ

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まぁ返礼品の土器の価格は寄付金とは言え、高い気がしていましたが、、、

材料費(粘土、砂、調整具、施文具など)や焼成時の燃料費の他、以下に述べるような人件費(?)がかかるわけで、、、

例えば、粘土準備するのに1日はかかるし、寝かせる必要もあるし、作るのは1日がかりだし(サイズによる)、ミガキは半日かかるし、乾燥は1週間くらいかかるし、燃料集めて焼く場所借りて消防に許可取ってから焼かなきゃだし、焼くのは一日かかるし、、、

日清の120万円のやつはちょっと高過ぎだけど、

色々考えたら3万~5万なんて妥当な金額か!?( ・Д・)


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2020ねん 11がつ 30にち(げつよーび、晴れ)

あれ、気付いたらもう11月終わる( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは土師器と須恵器の違いはやっぱり原料だったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は日本、奈良県

今回の研究にどこの資料を使ったのか不明ですが、少なくとも奈良文化財研究所(所謂、奈文研)の研究成果です。

まぁ土師器と須恵器の分析なので広く分布してますし、地元で出土した資料を使ってると思います( -д-)ノ

タイトルでは「日本考古学の基本」と書きましたが、程度の差はあれ、日本で考古学を学ぶ限り、土師器と須恵器の違いについては少なくとも自然に学ぶのではないかと思います。

また高校における「日本史」でも『B』の教科書であれば、土師器と須恵器の違いについて簡単に記載されています。




上に挙げたのが一例ですが、、、

土師器⇒弥生系で赤褐色

須恵器⇒朝鮮系で硬質・灰色

これで十分です。

大学受験だけではなく、考古学を専門にしてても時代や地域が異なれば、最後に覚えてるのは(記憶に留まり続けるのは)上記のそれくらいになるのではないかと思います( -д-)ノ

一番最初に挙げた写真でも左と右で色が全然違いましたよね?

左の灰色の土器が須恵器、右側の茶色っぽいのが土師器です。

ちなみに考古学を専門にしていると、「スエ、ハジ」なんて言い方をしたりします。

スエは朝鮮語で「鉄」を意味するため、須恵器は本来「鉄のように固い土器」という意味だったようです。

土師器も須恵器も古墳時代から平安時代まで生産・使用され続けた土器です。

須恵器は平安時代には「陶器」と書いて「すえもの、すえのうつわもの」と読んでいたそうです。

土器、炻器、磁器、陶器など考古学では「器」に対して色々な呼び方があって、それぞれ定義があります。

そのため「陶器」と書くと用語として混乱するので「須恵器」と書くことになっています。

ちなみに須恵器は炻器(せっき)に分類されます。





今回は土師器(土器)と須恵器(炻器 / 陶質土器)のお話になりますので、色調と質(硬さ)以外にも特徴を示しておきますね(*^・ェ・)ノ

土師器は素焼きの土器、つまり釉薬なしで焼成温度の低い野焼きの方法で焼かれた土器です。

野焼きは密閉性がないため自然と酸素が供給される酸化焔焼成であり、結果焼成温度が低く表面が赤茶色っぽくなります。

また成形方法として輪積み法で作られています。

一方で須恵器は窯焼きの土器で、釉薬なしで焼成温度が高い登り窯を用いて焼かれた炻器です。

窯構造を有しているため密閉性が高く、酸素が供給されないため還元焔焼成となり、発生した一酸化炭素によって粘土中の酸化物である酸化第二鉄が還元されて酸化第一鉄になるため色調が青灰色になります。

高温焼成なので須恵器の方が硬くなるのです(*^・ェ・)ノ

また須恵器の成形方法は轆轤(ろくろ)法です。

こうしてみると、何だか須恵器の方がしっかりとした立派な土器のように思えますが、実際にはそうではなかったようです。

「正倉院文書」によれば、土器の器種別の価格表から須恵器と土師器のあいだの価格差はほとんどないことが分かっています。

しかし蓋が付くものかどうかでおよそ倍の価格が付くそうです。

まぁ手間だし、妥当か( -д-)ノ




さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題に入ります( -д-)ノ

土師器と須恵器の主な違いが製作技術や焼成方法であることが古い段階から分かっていました。

特に須恵器は高温で焼成するため、登り窯を使用する必要があり、この窯は斜面に作る必要があるのです。

平地でも登り窯を造れるけど、結局大量に土を盛って斜面を形成しなきゃならないのです( ・Д・)

そのため設置する窯の傍で取れる「山の粘土」を利用した可能性が想定されていました。

一方で、土師器は低温の野焼き法で焼成するわけですが、これは平地で行うものです。

現在でも東アジアや中米において野焼きで土器を焼く人々を見ることができますが、いずれも平地で行っています。

原理的には斜面でもできるのですが、面倒です。

例えば、キャンプに行ってバーベキューをするとして、わざわざ斜面でやりますか?

可能だけど、色々大変でしょう?( ・Д・)

なので野焼きは平地で行うもので、「平地で取れる粘土」が原料であると想定されてきたわけです( -д-)ノ

今回の研究ではこの『須恵器は山の粘土』、『土師器は平地の粘土』という想定を理化学分析によって明らかにしたのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

ハジ・スエの原料の違いを示すために注目したのが土器胎土のリン含有率です。

リンは肥料に含まれることから、土器胎土中のリン含有率が高ければ、原料の粘土は肥料がまかれた水田などで採取されたと言えると考えたわけです。

今回使用したのは平城京から出土した奈良時代後半の須恵器3点と土師器4点です。

平城京……利用した試料がどこのものか分からないと最初に書きましたが、、、

やはり奈良県、地元の遺物ですね!

手法は『破壊分析』なので試料数がとても少ないのは、こういった「理化学分析あるある」です。

土器試料を粉末状に砕き、1000度の高熱で不純物を取り除き、土器に含まれている化学成分の比率を測定したところ、土師器のリン含有率が1・39~3・62%と高かったのに対して、須恵器は0・02~0・08%と低かったそうです。

リンは水溶性で雨や水で流れてしまったり、植物に吸収されるにも関わらず、それでも土師器は高いリン含有率を示していたと判定しています。

文献史料等から奈良時代にはすでに定期的に田畑に肥料がまかれていたとみられ、このために土師器内のリン含有率が高まった可能性が指摘されています。

一方で須恵器の表面に見られる黒色の粒子は、炭化した木片「亜炭(あたん)」であることが示されました。

亜炭が含まれる粘土は主に丘陵地帯で採掘されることから、須恵器の粘土は山で採取された可能性が高いと言えそうです。

こうした結果から、土師器の原料は平地の田んぼで取れた「田土」、須恵器の原料は山で取れた「山土」の可能性が高いことが分かったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

今後更にこういった研究が進めば、土器の粘土の採取場所を調べたりすることも可能になるかも知れません。

そのためには新たな非破壊分析法を確立することや、それによって数を見ること、つまり試料数(N値)を増やすことが必要になってくるでしょう。

また土器胎土の中に肥料が含まれていると考えるであれば、農耕の始まった時期、少なくとも肥料の使用が開始された時期を推測する研究も行うことができることになりますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




おわりに、ー土師器の名の由来ー

須恵器の名の由来は朝鮮語と話しましたが、土師器の方はというと……

大阪府、藤井寺市に「土師ノ里駅」という場所があるそうです。

ここは古墳時代の豪族、土師氏に由来する地名だそうです。

土師氏は土師器を生産していた豪族だったのでしょうか、これが土師器の名称の由来だそうです(*・ω・)ノ

土師もそうですが、須恵器の方も、全国に須恵村とか須恵町といった地名があるようです。

かつては色んなところで生産されていて今でも地名として残っているんですねヾ(´ω`=´ω`)ノ

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簡単な記事にするつもりだったのに、、、

土器を扱うと長くなるぜ!( ・Д・)



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2020ねん 10がつ 30にち(きんよーび、曇り)

一年半前の記事が下書きのまま発掘されました( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「土器の研究から、日本のGの起源が中国である可能性が分かったよ!」ってことです!


*本記事ではすべてのGをGと表記する方向でいきますね( -д-)ノ


この研究は熊本大学の小畑弘己教授によるもので、土器表面に対するレプリカ法(圧痕法)を用いたものです。


より正確には「土器圧痕のレプリカ法」と言います。


土器の器面(表面)に何らかの要因で押し付けられた痕跡(圧痕)に対して、シリコンを流して型を取った標本(レプリカ)を電子顕微鏡等で観察して分析する手法のことです。





対象となった資料は宮崎県、宮崎市田野町の本野原遺跡(もとのばるいせき)で出土したものです。

この本野原遺跡は縄文時代後期の遺跡であり、西日本において最大級の集落跡が発見されています。


この遺跡から出土した約4300年前の土器と約4000年前の土器の器面からGの卵の痕跡が見つかったわけです。


本記事内で述べている検出されたGの「卵」というのは実際には「卵鞘(らんしょう)」と呼ばれるもので10~11mm程度のサイズだそうです。

この「卵鞘」の中に複数の卵が入っている構造なのです。

そのため「卵のさや」と書くのですね。しかし記事内では分かり易く、「卵」と表記します( -д-)ノ




今回検出されたGの卵は、中国南部が原産とされるクロGの卵と形態的に強い類似性を示しているということが分かりました。


クロGとは屋内に生息する種のGとして代表的なものです。

ちなみにこの屋内GであるクロGが縄文時代の遺跡から確認されたのは初めての事例のようです。


つまり今回の発見によって縄文時代の家屋の中にもGがいたことになります。

どうやら我々と”G”との戦いの歴史はとても長いようですね( ・Д・)



おわりにかえて、誰得? ”G”の歴史


現在の日本には、野生を含めると約50種類のGが生息するそうです。

そんなにいるのですねΣ(・ω・ノ)ノ

北海道産の私としてはほぼ海外でしか見ないのですが( ・Д・)


その50種類のGの中でも家屋内に住む種類はヤマトG、クロG、チャバネG、トビイロGなど10種類いるそうです。

ほんとそんなにいるのですね(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?


こうした日本の屋内Gは、在来種のヤマトGとクロGの他は全て、原産地がアフリカだと考えられているそうです。


平安時代の文献にヤマトGとみられるものが記載されているのがこれまでの初出で、今回の発見でヤマトGがクロGと酷似する可能性が指摘されたわけです。

クロGは中国南部が起源の外来種とされており、今回の土器の証拠から約4300年以前に大陸から日本に渡来したか、あるいは実は外来種ではなく、日本在来種である可能性も考えられるようです。


こうして考古学ではGの起源にまで迫れるのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



……ところで、個人的にGというとモンハンしか出てこないんですけども、

まぁ少なくとも、、、

Gはモンスター!( ・Д・)

↓”G”が嫌いなひと~?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2019ねん 6がつ 7にち(きんよーび、曇り)

あと一週間程度で40連勤が終わる。

久しぶりに休みの一日が来る。

私は一日中研究に打ち込むことができるのだろうか!?( ・Д・)

まぁブログ2時間、研究3時間、残り時間寝る&ゴロゴロするが妥当であろう!( -д-)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは、「昔、土器を作っていたのは男性だったのか?女性だったのか?」というお話です(*・ω・)ノ

考古学では一般的には「土器作りは女性の仕事」と想定しています。

何故かというと、第一に、実際に土器を作った人が誰だったかは分からないと言うのが前提です。

土器を観察しても通常であれば、その作り手の性別差は分かりません。

皆さんも博物館で土器を見た時、あるいは家にあるお茶碗を見て、作った人は男性だなとか女性だなとかは判別できないと思います。

まぁ家にある茶碗だと、中性だな(工業製品だな)となるかも知れませんが( -д-)ノ

第二に、人類学研究、特に「民族考古学」によって集められた現代の参与観察では、土器の作り手が女性であるケースがほとんどだからです。

土器をよく見ても分からんが、現在の土器生産を見ていると女性ばかりである、だから過去においてもきっとそう!という論理展開なわけです( -д-)ノ

第三に、男性は外で狩りを担当、女性は採集や家事を担当というイメージがあるからです。

これも実際には現在のアフリカを代表として世界中の民族事例で確認されています。

日本でも同様のイメージがあって、桃太郎でもおじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行ってますからね、もしおじいさんが若ければ別の物を狩りに行っているでしょう!

一方で面白いことに、時代がやや新しくなり精製土器が現れると、ヨーロッパの徒弟制度のイメージから、奢侈性の高い精製土器生産は職人として男性が従事したと考える傾向にあります。

結果、土器を見てもよく分からんから、過去の歴史や近現代の民族誌情報に基づいて推定しているよということなのです( -д-)ノ


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さて、今回のニュースはナショナルジオグラフィックの記事を参考にしていますが、アメリカの古代文化である古代プエブロ文化に属する変わった土器の分析から、土器の作り手の性別について興味深い指摘がなされました。

(余談ですが、古代プエブロ文化に関する土器研究は非常に面白いことをやっているなと常々感じています、折を見て紹介しますね(・∀・)つ)

舞台はアメリカ合衆国、ニューメキシコ州北西部に位置するチャコ・キャニオンです。

今からおよそ1000年前の西暦800~1200年頃、チャコ・キャニオン一帯は文化と宗教の中心地でした。

先に説明したように、近代までのチャコ・キャニオンでは土器製作は主に女性の役割だったことから過去においても同様であると推定され、考古学者がなんとなく意識している「土器製作は女性の仕事」というお決まりのイメージがここでも与えられていました。

古代プエブロ人は、太い粘土紐を螺旋状に巻いて、土器の胴部全体を波状浮文で覆うような土器を製作していました。



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↑プエブロ文化のタイプ別の土器群(「Ancestral Pueblo Ceramic」の画像より転載;英文)



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↑波状浮文を有する器面(「Pueblo Indian History for Kids」の記事内画像より転載;英文)



個人的にはプエブロ文化の土器というと、上の1枚目の写真(左上、左下、右下)にあるような、白地のスリップ(化粧土)の上に黒色彩文による幾何学文様を有しているものになります。


しかし今回のお話に出てきている土器は右上の土器群になります。


それらの土器の器面(表面)に、先に述べた「波状浮文」があるのですが、それがよく分かる破片資料が上の2枚目の写真になります。


なんかパスタの一種のような波打った印象がありますよね(*^・ェ・)ノ


粘土紐をぐるぐるっと巻いて、一定間隔ごとにその粘土紐を指で押すことで波打たせているので、指紋ががっつり残っています、分かりますでしょうか?ヾ(´ω`=´ω`)ノ


浮文は貼付文とも言いますが、指で押すことで波打たせたり、指紋も文様のように利用したりしつつ、しっかりと粘土紐と土器を貼り付けているわけですね。


日本や他の国の、他の文化の土器でも稀に指紋が残ることがあります。

しかし多くの場合、器面を円滑に調整する際に指紋の痕跡は消えてしまいます。

そのため、これだけ1個体の土器に多数の指紋が残されているケースは稀なのです(。・ω・)ノ゙

そこでなんと、古代プエブロ文化の研究者の一人が「元警察官」で、男女の指紋の違いは法科学捜査で分かるということを利用しました。

考古学者はよく探偵、鑑識や法科学者に例えられますが、これほどマッチした事例はないでしょうね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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↑土器の施文部に残るヒトの指紋②(「NACIONAL GEOGRAPHIC」の記事内画像より転載;credit: John Kantner)



海外ドラマで「CSI:科学捜査班」とか流行っていましたけど、犯罪に関する科学捜査では指紋の隆線が男性の場合は女性よりも9%太いという研究結果があるそうです。


これを参考に、チャコ・キャニオンのブルーJというエリアで出土した985点の土器破片資料を分析したところ、47%の資料に残されていた指紋の隆線の幅が、平均して0.53mmで男性のもの、40%が平均して0.41mmで女性または子どものものと判定されました。


また残りの13%は中間的で性別不明とされました。


さて、指紋を分析した土器資料をを時期ごとに分けて考えると、より古い年代の土器群に残されていた指紋は66%が男性のもので、新しい土器群には男性と女性の指紋がほぼ半分ずつ残されていたことが分かりました。


以上のことから、かつて男性も土器作りに関わっていただけでなく、男性と女性の割合は時代とともに変化したことがわかるとの結論のようですが、まぁ当たり前っちゃ当たり前な感じもします。


100%な分業制って考えにくいですからね( -д-)ノ


課題は多いと思いますが、古代の土器生産体制の一端を明らかにする上で非常に興味深いなと感じました(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本当に面白い研究だと思いますが、分析結果としてけっこう性別不明がいるようですね。


現代の男女に土器を同じように作ってもらって、実験考古学として統計を出すと尚、同定精度が上がるかも知れませんね。


その際には粘土紐に対してどの指をどのように押し付けたかという施文技術を復元してから行うのが良いでしょう。


それによって指紋の付き具合に影響があるかも知れませんからね。


それ以前に土器の在地製作品・搬入品の判定、個体数推定などもやらなきゃか……


でも面白そうですね、自分でやりたいくらいですヽ(TдT)ノ

↓古代プエブロ人もあんなに押してるんだから、↓
↓あなたがーたも、たまには押してくれてもいいのでは!?( ・Д・)↓

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2019ねん 3がつ 27にち(すいよーび、晴れ)

ダイエットを本格的に開始した。

ズボンが入らないのであるヽ(TдT)ノ

お酒もやめた。

オレンジジュースと共に生きてゆく!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『4000年前!メソポタミア文明の儀礼用ミニチュア土器が出土したよ!』ってことです(*・ω・)ノ

出土したのはトルコ共和国の首都アンカラから南東に約170kmの地点に位置するヤッスホユック遺跡です。


写真からも想像できるように、ヤッスホユック遺跡はかなり大きな遺跡です。


南北500m、東西625m、高さ13mの丘状の遺跡で、採土や道路建設といった近現代の人間活動によって一部が攪乱・欠損していますが全体として素晴らしい保存状態を保っています。

中央部には長軸約45~50m、短軸約40mの大建造物址が確認されており、王宮または神殿と考えられるそうです。

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遺構の写真に見られる、写真の4枠と平行な四角形の掘り込みがいくつか見られますが、これが発掘調査時の掘り込み面になります。

グリッドと呼んでいますが、このように方形状に調査を進めていくわけです。

一方で中央の大きな調査区の枠に対して、斜めに伸びるラインを見て取れると思いますが、これが住居の壁の痕跡になります。

出土地点や出土状況の詳細は不明ですが、丘の頂上部の表土から50~60cmの位置で7点の土器が集中して出土したそうです


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↑出土した儀礼用土器群(「産経フォト」の記事内画像より転載)


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↑サイズの小ささが分かる(「産経フォト」の記事内画像より転載)


出土した土器群の器高は14~21cmで、一部破損している資料もあります。

帰属時期はBCE1900~1750(約4000年前)で、古代メソポタミア文明の地(現在のイラク周辺)から来たアッシリア商人が活動した時代のものと推定されています。

いずれの資料も把手が付く尖底壺の形態で、このような形態の土器は古代の中東やエジプトで見られるものです。

ただし、2枚目の写真で分かるように非常に小さいものなので、コップのように日常的に飲用に使われたとは考えられません。

世界的にこのような小型の土器、所謂「ミニチュア土器」が出土しますが、多くの場合お墓から副葬品として出土します。

本来の大きなものを作って副葬する代わりとして用いられたせいか、比較的粗雑な作りであることが多いと感じますが、今回の資料は非常に精巧な作りですね!

4000年前にこれだけ小さく精巧な土器を作り上げたとは驚きです!

……それにしてもやはりミニチュア土器は可愛い!

美しいのがさらに良い!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

4000年前のミニチュア土器は、現代の日本のガチャガチャの品に負けてませんよね(・∀・)つ

↓小さい物は可愛い!カワ(・∀・)イイ!!↓

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2019ねん 3がつ 16にち(どよーび、曇り)

もうすぐ新年度。

今年はやりたい研究が出来る最初で最後の年かも知れない。

なので、ちょっと本気出してみることにしたよ!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『奄美大島で色々見つかったよ!』です!(*・ω・)ノ


今回の発見は、鹿児島県の「奄美大島」における発見です。

色々と発見が多いのですが、一番の発見は1万3800年前の土器片が出土したことでしょう!

ちなみに世界最古の土器は(中国の例とか諸説ありますが……)日本の青森県、大平山元I遺跡の縄文土器(約1万6500年前)です。

今回の発見はもちろん奄美大島で最古となります。

そして国内どころか世界的にみて最古級の発見となります。

ところで、奄美大島ってどのような場所なのでしょうか……




ほんっとに綺麗ですよね~。

私もこういう場所をフィールドにして調査したいですね!( -д-)ノ


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ということで、今回の発見の舞台は奄美大島にある天城町西阿木名(にしあきな)地区内の下原(しもばる)洞穴遺跡です。

調査者は鹿児島女子短期大学と天城町教育委員会だそうで、2015~2016年に第1次調査が行われ、2019年3月から第2次調査が行われています。

この下原洞穴の中からは、先に述べました最古の土器(1万3800年前)の他に、石器製作工房や埋葬遺構も発見されています。


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人が火をおこした跡(炉跡)と考えられる炭化物集中の痕跡も見つかっており、時期は2万5000年前と推定されています。

その他の発見は比較的新しいものですが、6000年前にまで遡る生活・居住の痕跡、4000年前の石器、2500~3000年前の人骨や貝製品、土器などが出土しています。

このような様々な発見があった中で、奄美大島に関する考古学的側面からの評価が変わりました。

それは今回の奄美大島における最古の土器の発見により、奄美大島では日本列島と大差ない時期に土器文化が始まったと考えられるようになったことです。


日本列島においてこのような古い時期の人々は移動しつつ生活していましたが、奄美大島では環境的制約から定住に近い状態だったと思われます。

そのためこの洞窟内からは様々な時期に関する色々な遺物・遺構が集中的に見つかるわけです。

その点を高く評価し、今後も天城町教育委員会は下原洞穴遺跡での調査を継続的に行っていく模様です。

今後の更なる発見に期待ですね!(・∀・)つ


↓ブログリーダーに変わったね!記念に押してといて!( ・Д・)↓


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2019ねん 2がつ 21にち(もくよーび、晴れ)

某100均での話。

理科の実験で使うシャーレが欲しかった。

店の人に訊いたら、ポカ~ンってされた。

説明したら、「あ~、ビーカーならあります!」

……ビーカー!?( ・Д・)


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↑レプリカ法で見つかったゴキブリの卵(「EurekAlert」の記事内画像より転載;credit: 小畑弘己、熊本大学



今回の考古学・歴史ニュースは「土器の研究から、日本のゴキブリの起源が中国である可能性が分かったよ!」ってことです!


この研究は熊本大学の小畑弘己教授によるもので、土器表面に対するレプリカ法(圧痕法)を用いたものです。


より正確には「土器圧痕のレプリカ法」と言います。


土器の器面(表面)に何らかの要因で押し付けられた痕跡(圧痕)に対して、シリコンを流して型を取った標本(レプリカ)を電子顕微鏡等で観察して分析する手法のことです。





対象となった資料は宮崎県、宮崎市田野町の本野原遺跡(もとのばるいせき)で出土したものです。

この本野原遺跡は縄文時代後期の遺跡であり、西日本において最大級の集落跡が発見されています。


この遺跡から出土した約4300年前の土器と約4000年前の土器との器面からゴキブリの卵の痕跡が見つかったわけです。


本記事内で述べている検出されたゴキブリの「卵」というのは実際には「卵鞘(らんしょう)」と呼ばれるもので10~11mm程度のサイズだそうです。

この「卵鞘」の中に複数の卵が入っている構造なのです。

そのため「卵のさや」と書くのですね。しかし記事内では分かり易く、「卵」と表記します( -д-)ノ




今回検出されたゴキブリの卵は、中国南部が原産とされるクロゴキブリの卵と形態的に強い類似性を示しているということが分かりました。


クロゴキブリとは屋内に生息する種のゴキブリとして代表的なものです。

ちなみにこの屋内ゴキブリであるクロゴキブリがが縄文時代の遺跡から確認されたのは初めての事例のようです。


つまり今回の発見によって縄文時代の家屋の中にもゴキブリがいたことになります。

どうやら我々と”G”との戦いの歴史はとても長いようですね( ・Д・)



日本の在来種とされるヤマトゴキブリは平安時代(CE794-1192)の文献に記載されています。

それに対して今回の発見は約4300年前のことですので遥か昔の話になります。


このクロゴキブリが船によって渡って来たのか、本当は日本の在来種であるのかはまだ分かりませんが、日本におけるゴキブリの起源に関わる重要な発見なのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

レプリカ法、面白そうですね!(・∀・)つ


だが、私のフィールドではどのような発見に繋がるのだろうか……

やってみなきゃ分からんか!( ・Д・)

↓”G”が嫌いなひと~?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2019ねん 1がつ 31にち(もくよーび、晴れ)

以前、急にいか飯が食べたくなって、

イカを買ってきて作ったことがある。

なんか、たま~に食べたくなるんだよな~(´・ω・`)


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↑美味しそうな『いか飯』!ヾ(´ω`=´ω`)ノ(「北海道の道の駅」より画像を転載)



【目次】
  1. はじめに
  2. いか飯といか飯土器の紹介
  3. 「いか飯土器」のモチーフがいか飯であるかどうかの検討
  4. おわりに ~「鐸形土製品」としての「イカ形土製品」に対する実際の評価~



1.はじめに
さて、今回の考古学・歴史ニュースは、「北海道南部、森町で出土したイカ飯土器を紹介するよ!」です。





最近ですね、寝れない夜にYoutubeで色々観るのが趣味になっているのですが、所謂「オカルトもの」とか「疑似科学」ものがけっこう好きで観ているのです。


歴史とか考古学の成果に対して「攻撃的」な内容でない限り、基本的にぼーっと観てるわけです。




例えば、「宇宙人がピラミッドを造った!」は・・・ ⇒ そんなわけあるか!( ・Д・)

ってなりますが、

「ロズウェルにUFOが落ちて宇宙人が回収された!」なら・・・ ⇒ いいんじゃない?( ・Д・)(←同じ表情に見えるが心は仏のように穏やかである)


って感じで観ているわけです(観てると更に寝れなくなるのでラジオ的に音を流している感じです)。


(回し者じゃないですけど紹介しておきます。特に「History Channel」面白いですよ。古代の宇宙人シリーズ!時々、睡眠障害ぽいですが良く眠れます。)




・・・・・・まぁそれでふと思ったんですよね、この所謂トンデモ説を提唱する人たちは何故そういう風に物事を捉えるのかって。



①不思議な説を提唱することで有名になりたい(承認欲求を満たしている)。

②そのような行為によって得られる経済的報酬を期待している。

③フィクションと明記ないし明言していない点で違いはあるが、実際に当事者は虚構であることを本当は理解している上でエンターティナーに徹しており、歴史小説家のような役割を担っている。

④アホである( ・Д・)



カップラーメンが出来上がるまでに思い付いた「彼らの行動の理由」はこれくらいですね。

(まぁもちろん④はふざけてるだけですけど(m´・ω・`)m ゴメン…)






前置きが長くなってしまいましたが、先に述べた③は面白い理由だと思うし、当サイトの記事は論文じゃなくて飽くまでもブログ記事だし、私も何か面白いこと言ってみようかと思い立ったわけですよ!



そこで『4000年前、縄文人が「いか飯」を食べていた説』を提唱することにしました!( ・´ー・`)ドヤ



(同業者の方はですね、「あ~ストレスあるんだろうな~」くらいで優しい気持ちと生温かい眼で見守ってくださるよう宜しくお願い致します( -д-)ノ)


まぁプライドもありますのであまりいい加減なこと言ってられませんから、最後に一般的な解釈もちゃんと紹介します(*・ω・)ノ




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2.いか飯といか飯土器の紹介
ここまでに「いか飯」の写真を2枚挙げまして、上にイカ型土製品の写真を挙げました。


お気付きの方もいると思いますがタイトルや見出しに「土器」と使っているのはその方が一般的に分かりやすいかな~(あるいは記事タイトルとして目を惹くかな)程度の理由しかありません


が、本論では「いか飯土器」を使い続けることにします。

また最後の部分で、敢えて「土器」として呼称を誤用し続けた本当の理由を述べますね(*・ω・)ノ)




ということで、この「いか飯土器」本当は「土製品」です。


内部は中空ですけども、「器」じゃないんですね。まぁ逆さまにしたらコップにはなるかな!

置けないけどね( ・Д・)




ところで・・・・・・どうでしょうか?


見た目は完全にイカですよね!(私はイカれてませんよ( ・Д・))


もうね、『縄文人は「いか飯」食べてたんですよ!』


具体的に比較してみましょう!




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↑森町のいかめしと、いか飯土器を比べてみたの図(credit: 「歩け、マヤ」/ Project D.)


もうそっくりですよ!


「いか飯」の化石かと思うくらいですね!



これは間違いなく、縄文人は4000年前に「いか飯」食べてましたよ!




・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さて、この出土品について紹介しますと、


出土地点は北海道茅部郡、森町にある鷲ノ木遺跡です。

ストーンサークルでも有名な遺跡です。



遺物の年代は、縄文時代後期前半で今から約4000年前のものです。

またこのいか飯土器は森町でしか出土していません。







ではそもそも「いか飯」とは何か?


烏賊飯(いかめし)は、イカの中にを入れて炊き上げた日本の料理。北海道渡島地方の郷土料理。

函館本線森駅の駅弁調製業者だった阿部弁当店(現在のいかめし阿部商店)が、第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)、戦時体制による食糧統制で米が不足していたため、当時豊漁だったスルメイカを用い、を節約しても満足感がある料理として考案した
(wikiより転載)




つまるところ、


①「いか飯」は20世紀に森町で作られたものなのです。

②でも4000年前に「いか飯土器」が森町で出土している。

③出土遺跡にはストーンサークルがある。



ハイ、勘の良い方はもうおわかりでしょう。

「いか飯土器」は『オーパーツ』なんですね!(繰り返します、私はイカれてません(゚∀゚)アヒャヒャ)



つまり、「20世紀の森町に住んでいた、とある人物が極度の空腹状態で食べた『いか飯』のあまりの美味しさに超絶感動した結果、時空間に歪みが生じて4000年前の森町にタイムスリップしたのです。この時の痕跡が今、鷲ノ木遺跡のストーンサークルとして確認することができます。」


「その人物はお腹を空かせた当時の縄文人を目の当たりにして、戦時下の極限の空腹時の自分と重ね合わせ、未来の食べ物である『いか飯』を伝授することにしたのです。」


「『いか飯』は飢餓を救った偉大な存在として崇められ、唯一神として1個体だけ製作されました。この御神体が出土した「いか飯土器」です。その後、生活技術の発達に伴って食糧事情が改善され、「いか飯信仰」は忘れ去られてしまったのですヽ(TдT)ノ」




・・・・・・ちなみに当時の唯一神の名前は「イカメ神(いかめしん)」です。


あるいは正式には「烏賊飯乃神旨過尊(いかめしのかみうまかと)」だということがチャネリングで分かっています。




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3.「イカ飯土器」のモチーフがイカ飯であるかどうかの検討
さて、当然ある批判としてぱっと次の項目が考えられます。


①米がないから作れない。

②縄文人もイカを食べており、これはイカを模したものである。



まず一点目ですが、記録として残っている北海道における米作りの始まりは1692年です。



少し遡って1604年には松前藩が蝦夷地の支配を強めていく頃ですが、米がとれないので「加賀百万石」みたいな石高で藩の経済力を示すことができませんでした。


そのため「無高の藩」と呼ばれていました。

このことからもやはりお米は縄文時代にはなかったことがはっきりと分かりますね。



しかしながらですね、縄文時代後期にはアワ・キビ・ヒエ・ソバといった雑穀類の栽培が始まっていたようですから、当時の古代イカ飯は雑穀類を詰めたものだったと考えられるのです!(*・ω・)ノ



2点目にイカ漁の開始時期ですが、イカ漁は本州で開始されて江戸時代中期に北海道に伝わったと言われています。


つまり縄文時代後期ではイカを獲っていない可能性が高いです。

もしイカを獲っていたとすると、その技術は残るはずですから。


つまりこれはタイムスリップした森町人が未来に与える影響が少ないよう独りでイカ漁を密かに行ったと考えられます。





また偶然に獲れたイカを模している可能性もありますが、「イカ飯土器」は胴部が膨らんでいますよね? これは雑穀を中に詰めた様子を表現しているのです。


説明しましょう!


上に挙げたイカの種類ではケンサキイカとかカギイカが、元々でっぷりとした体形をしていますが、これらは北海道では捕れません。


現在北海道南部で捕っているのはスルメイカ、ヤリイカといった細長い形のイカなのです。


つまり偶然にイカが捕れても、形態が異なるのです。




それでも偶然に獲れたイカを一部強調した作ったんだと言う方もいるかも知れません。


先に挙げた同時代の土偶(ハート形土偶)では、人間はかなり各部を強調されて作られており、あまり写実的ではないことが分かります。


他にも遮光器土偶とか色々ありますけどどれもあまり写実的ではありません・








でも動物を模した場合はこのように写実的なのです。


つまり、偶然に獲れたイカを模して作ったとしたら、強調した形態にはならないのです。


よってやはり「いか飯土器」はイカの中に雑穀米を詰めた古代の「いか飯」である蓋然性が高いのです!ヾ(´ω`=´ω`)ノ




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4.おわりに ~「鐸形土製品」としての「イカ形土製品」に対する実際の評価~
無駄に長くなりましたが、最後に実際の考古学的評価のお話をして締めたいと思います。


上に挙げましたように、実際には「イカ形土製品」は「鐸形(たくがた)土製品」の内の一つになります。


この「鐸形土製品」は縄文時代後期前半に北海道南部から東北地方で造られた祭祀・儀礼の道具です。


イカ形土製品というのは鐸形土製品を特殊化したものであり、頭部が三角形で他の鐸形土製品よりも大きく際だっています。


写真を見ると、どれも丸みを帯びた卵型ですよね。これがイカの胴体部分になります。

左の2点を見ると上部にくびれを持った後に、方形ないし三角形状に展開しています。


まぁつまるところ、この「鐸形土製品」の上部が三角形に発達したバリエーションが、現代の私たちには「イカ」のように見えるってことなのですね( -д-)ノ




・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あとですね、前半に述べた「いか飯土器」と呼び続けた理由は、本来の「イカ形土製品」という言葉を使ってしまうことによる弊害を避けたのです。


万が一私の「唯一神イカメシン信仰論」がですね、何らかの理由で一部抜粋されて拡散された時に、「いか飯土器」と使っていれば、見る人が見れば分かるかなというのもありますし、


まぁ端的には、『私の中でのフィクションとノンフィクションの境を、使用する呼称によって明確に分離した』ということです(*・ω・)ノ


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↑やっぱりこれ、「いか飯」だな.。゚+.(・∀・)゚+.゚(credit: 「歩け、マヤ」/ Project D.)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・いや~、ほんとに楽しかったです!

書きながら、イカれてんな~(゚∀゚)アヒャヒャって、何度も笑いました。


読んで頂いた皆様もそれなりに楽しめたのではないかなと期待しております(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




さて、オカルトや疑似科学が何故根強く存在するのかを扱うのは社会学や心理学の領域でしょうか。


「急速に発達した科学に対する内在する不安・不信感が表出している」という説明や、

「誰にも受け入れられない不思議な自己体験を肯定してくれるカルト的存在」という説明も目にしたことがあります。



しかしながら実際にやってみると面白かったので、

考古学にも通じる「考えることの楽しさ」、あるいは「自身の考えを発表し受入れらる喜び」をより身近に体験できる分野なのかなと、私は感じましたね。


特に後者のような性質があるのであれば、歴史小説家と異なり「フィクション」であると明記・明言しない理由も分かります。

別段、オカルトや疑似科学をお勧めしているわけではありませんが、「考えることの楽しさ」を知るきっかけになればいいな~なんて思います(。・ω・)ノ゙

↓『いか飯』食べたくなった人はぽちっとな!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

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