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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:土器

2023ねん 5がつ 8にち(げつよーび、曇り)

今年度はめっちゃ頑張るよ!(・∀・)つ

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今回の考古学・歴史ニュースはクジラの絵が描かれた弥生土器が発見されたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は福岡県、糸島市の深江城崎(ふかえじょうざき)遺跡です!

糸島と言えば、みんな大好き「邪馬台国論争」で出てくるやつですね。

魏志倭人伝に記された伊都国があったのが糸島周辺だったとされています。

「いとこく」の名が「いとじま」の地名として残ったとする解釈から来てるものです。

これってどれだけ信憑性のあるものなのか謎だなと昔から秘かに思っているのですが、まぁきっと専門にやってる人からしたら”当然そう”なのだろうと誰にも聞けずにいます( -д-)ノ




さて、今回はこの深江城崎遺跡から弥生時代に帰属する土器が出土し、その器面に「クジラ」が刻まれていたというお話です。





出土した土器は高さ60cmの壺です。

壺のくびれ部を頸部(けいぶ)と呼びますが、そのあと器の形としては膨らみますよね?

その部分を肩部(けんぶ)と言います。




今回のクジラはその肩部に描かれていました。

日本考古学だと正確にはなんて言うのか分からないのですが(申し訳ない!)、たぶん大きく分けると沈線文として扱われるはず!

アメリカ考古学ないしマヤ考古学では大枠がないので、刻線文(incision)になりますね。

画像サイズが小さいものしか見つからなかったので見にくいですが、ちょっと「ガリガリ削った感じ」がしません?




器面が柔らかい状態で施文したのか、乾燥してから施文したのかで分類しているのです。

乾燥した状態でゴリゴリ削ると刻線文です。




このクジラは全長8cmで尾びれまで描かれています。

胴体の左右には6本のラインが伸びていますが、これは恐らく「モリ(銛)」を表現したもので、つまりは弥生時代における捕鯨を表現したものと考えられます。





これまでに見つかった同様の事例は、長崎県壱岐市の原の辻(はるのつじ)遺跡での1例のみなので今回の発見は2例目というとってもレアな発見なのです。

恐らく湾や浜辺近くに迷い込んだクジラを狩猟したのでしょうが、大量の肉や油を提供してくれるクジラはまさに豊穣の象徴だったのでしょう。

きっとこの壺にクジラに対する畏敬の念や豊穣に対する祈りを込めて描いたのだと思われます。





クジラの脳油は古代から利用されていたようですがそのお話はまた別の機会に!

あと、現在でも漂着したクジラの死骸はこの油のため危険なのでむやみに近づくことを禁止されていますのでご注意を!( -д-)ノ





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おわりに

弥生時代後期から古墳時代初頭に出現する”謎”の「手焙形(てあぶりがた)土器」というのがあるのですが、、、

クジラの脳油と関係していると考える研究者もいるようですね。

ちょっと調べてみて今度記事にしてみます。




手焙形土器自体が形態も変だし、時期も限定されてるし、何に使われたのか謎だし、面白い題材なのです。

形態が特徴的だから記事を読んで知識を得てもらえば、博物館で実際のモノを見つけた時にはきっともっと楽しめるはずです。

ということでその内ちゃんと取り組みますね(*^・ェ・)ノ



何はともあれ、

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2023ねん 5がつ 4にち(もくよーび、晴れ)

GWだね!全然関係ないけどみんな応援して!( ・Д・)

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四国一周メイン画像 (縮小版)

↑いや、実際チャリはキツイな( ・Д・)


今回の考古学・歴史ニュースは「国内研究費足りないから助けて!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は北海道です。

私はマヤ研究がメインですのでグアテマラで調査してますけども、日本国内でも調査研究しています。

国内では主に土器の胎土に含まれる砂粒鉱物を顕微鏡で観察して鉱物組成を明らかにし、河川湖沼に堆積する砂や粘土の鉱物組成と比較することで土器の生産地を推定するという研究を行っています。



砂ほり博士_190419_0026


砂ほり博士_190419_0025


まぁこんな感じでこれまで北海道と礼文島、沖縄本島、鹿児島の奄美大島でサンプリング調査を行ってきました。

ひたすら河川や湖沼を回ってサンプルを集め、処理後に顕微鏡観察を行っていきます。




これまでに日本国内では100点以上のサンプルを集めています。

それまでに何度、沼にはまったり、川に落ちたり、ぬかるみで滑って派手にコケて流血したことか、、、ほんと全身ドロドロになって悲しい気持ちになりましたよヽ(TдT)ノ





砂ほり博士_190419_0040
↑これは羊蹄山!きれいでしょ?ヾ(´ω`=´ω`)ノ



今回は北海道の話です。

北海道は大きいのでまだサンプリング調査を完了していませんが、まぁ車使って2週間くらいかければ終わるかな~という見込みでいます。

今年がある意味自由に研究活動できる最後の年かも知れないので、片付けてしまおうかなとも思っています(*^・ェ・)ノ

たぶん……




日本最古級の土器


北海道での資料調査は色々な場所で様々な時期の土器を対象にしているので、ネタはつきないのですが、今回紹介するのはわかりやすい2点です。


ひとつが上に挙げた地図にある、帯広市と遠軽町に関するお話です。




この2つの地点では日本最古級の土器である爪形文土器が出土しています。

縄文時代草創期相当で約1万3000~1万4000年前の土器です。




上の画像だと分かりにくいかもしれませんが、帯広市と遠軽町はかなり離れていますし、その間を高い山が二者を隔てるようにそびえ立っています。

北海道の真ん中には大雪山系の山々が連なっており、それを始点にたくさんの河川が発達しています。





雪解け水も豊富なので北海道はたくさんの綺麗な水に恵まれているわけです。

ちなみに、そのため日本の有名なお菓子屋さんの本店がたくさんあります。

北海道の田舎にデカい工場と共にあるわけなので、まぁ地代の関係もあるのかも知れませんね( -д-)ノ








さて、実はこの爪形文土器は非常に古いにも関わらず全国的に見られるものなのです。

つまり縄文草創期段階ですでに海さえ超えた長距離間のコミュニケーションがあった可能性があります。

それを実際に「モノの移動」で証明できたら面白いですよね?




まだまだ全国規模の研究には至っていませんが、とりあえず北海道の事例ではモノの移動がありそうです。


というのも土器の胎土(簡単に言うと焼成された粘土)を顕微鏡観察してみると、帯広市や遠軽町で出土した爪形文土器には上に挙げた写真にあるような金雲母を含むものと含まないものがあることがわかります。





そこで河川に堆積する砂粒鉱物サンプルを顕微鏡観察して鉱物組成を明らかにしたところ、帯広市側の河川は金雲母を含まないことがわかりました。

他方で山を隔てた北の遠軽町を流れる湧別川は多量の大粒の金雲母を含むことがわかりました。




まだ同地域におけるサンプリング調査が完了しているわけではありませんが、現在までのところ、1万4000年前頃の爪形文土器を作り使った人々は高い山を越えて交流があった、あるいは重い土器を運びつつ移動生活を行った可能性が示唆されるのです。




まぁ私が国内でやってる研究はこんな感じのものです。


少しわかってきました?


じゃあ次は礼文島のお話です(*・ω・)ノ






海を隔てた交流

礼文島は北海道本島の北北西にあります。

最高級ウニの馬糞ウニで有名ですね。

あとはホッケのちゃんちゃん焼きかな。




前回調査行ったときにホッケのちゃんちゃん焼きを食べたけども美味しかったですよ。

札幌人としてはシャケのちゃんちゃん焼きが基本なので物珍しさもありました。




さて、そんな海鮮系の美味しいものでいっぱいの礼文島にもたくさんの歴史があります。



arukemaya005




上に挙げたように礼文島には有名な縄文遺跡が見つかっています。

島ですからやはり漁労が重要で、貝塚のようなアルカリ性の堆積物が豊富なため、通常は残らないようなレアな遺物が残っていたりすることで知られています。




さて、そんな礼文島にはメノウ浜という地点がありまして、メノウが流れ着くのです。




綺麗ですから、観光客がこぞって拾って行ってしまうそうで、そのため、、、

地元の人との約束で論文以外の公言は避けなければならないのですが、、、




メノウの産出地がおおよそ分かっていて、メノウが拾える地点がメノウ浜以外にもあることがわかっています。

それでもそうしたメノウを拾える地点は極限られています。







私がメノウ浜に堆積する海岸砂を採取して確認したところ、おそらくはメノウ由来と思われるキラキラと綺麗な石英や長石を多量に含んでいることがわかりました。

まだメノウのサンプルを砕いて観察していないのですが、それは今年これからやります。

あと礼文島での土器資料に対する顕微鏡観察も今年実施予定です。




もし礼文島出土の土器にメノウ由来と思われる石英や長石を多量に含む土器や含まない土器があることがわかれば、土器の産地を推定することができます。

また礼文島の遺跡で見つかっている土器型式は北海道本島にも分布しています。




今後の分析次第では礼文島で作られたメノウ由来胎土の土器が、最寄りの稚内市や遥か遠く札幌市まで運ばれていたことが明らかとなる日が来るかも知れません。


まぁそんなこんなで私が国内でやっている研究について少しでもわかってもらえたら幸いです。




やっぱりメインはマヤ文明、ティカルだし、今は考古学理論の構築が楽しくてしょうがないっていう時期なんですが、、、

この産地同定研究も本来マヤ研究で使用するために考案したもので、それを日本で練習しつつ、有効性を確認しているものです。

なので無関係ではないのです。




そして現在構築中の考古学理論は日本の古代社会~現代社会へと応用する予定ですのでそういう意味でも大いに関係してきます。

最近始めたばかりではありますが、

「がんばれ人文科学」という御旗の下、私たちの身の回りの現代社会問題と乖離しない研究、「役に立つ考古学」ないし歴史学を志すものなので、

もしマヤ文明研究やそういったSDGs的な社会科学研究に興味関心のある方のご支援もお待ちしております( -д-)ノ





↑ぜひ応援してね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



おわりに 良かったらご支援お願い致します!

ここ数年はコロナ禍の関係で海外調査用の予算を国内調査に利用できていたのですが、現在はそういうわけにもいかない状況です。

これまでは車で周れましたし、研究協力者の同行もお願いできていましたが、今回はお金がないので自転車で四国を周ってサンプリング調査を行いたいと思います。




正直言うと私、ほとんどチャリに乗ったことがなく、チャリ筋がないのですよね。

だから国周ったら全身筋肉痛で死にますね( -д-)ノ




四国のそれぞれの県では講演会もやる予定なので参加無料ですし、良かったらご参加ください。

内容はたぶん産地同定の話が少々で、ティカル調査や新しい考古学理論の話がメインになるかと思います。




何はともあれ、

研究がんばろ!( ・Д・)



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2022ねん 1がつ 10にち(かよーび、晴れ)

明けましておめでとうございま~すヽ(TдT)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは日本最古?沖縄のブタは中国から!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はもちろん沖縄なわけですが、、、

今回はブタさんのお話です。



その前にこれまでの復習をざっとしてしまいます(*^・ェ・)ノ

①北琉球で「爪形文土器」が見つかった。

②本土の爪形文土器(草創期)の空似と評価され、実際に縄文後期相当と分かった。

③次に中琉球で「爪形文土器」が見つかり、早期相当と分かった。

④更に南琉球で見つかった土器が1万年前の早期初頭相当と分かり、沖縄最古の土器はどんどん南下する傾向が見られた。

⑤更に南の台湾や中国南東部には同時期や草創期に土器がないけど、どこが発祥?って困った( ・Д・)



って感じです( -д-)ノ




さて、沖縄のブタさんと言えば、上に挙げたような「アグー」ですね。

このブタのルーツとしては14世紀の中国との進貢貿易において沖縄に伝わったものとされています。

当時の中国はめちゃくちゃブタを食べていたようで、中国から来た使節をもてなすためにも大量にブタを生産し消費していたそうです。



これは年代的にも新しい話なのですが、最近になって動物考古学の研究成果により、沖縄のブタの起源がとても古いことが分かりました。

発見があったのは、中琉球つまり沖縄本島の嘉手納町にある野国貝塚で、そこから大量のブタの骨が検出されました。

分析対象はブタの下顎骨(アゴ)で、107点も扱いました。

分析の結果、10才を超えるブタがいたことが分かり、これほどまで高齢でいられるということはヒトが飼育していた証拠であると結論付けています。



ちなみに年代測定の結果、ブタの骨の帰属時期は7200~7500年前で縄文時代早期後半となっています。

本土の方の最古の飼育ブタの痕跡は、佐賀県唐津市の菜畑遺跡で検出されたブタの骨で3000年前です。

だから今回の発見は最古の事例となり、日本におけるブタの飼育の歴史が一気に変わったと言えます!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




中東のギョベクリ・テペって何だか最近話題ですけども、約1万年前の先土器・新石器時代に定住前に宗教施設が造られたってことで・・・

何度か記事で触れたと思いますが、日本の縄文時代だと1万年前は早期初頭相当だからすでに土器がある新石器時代で、

新石器時代で狩猟採集社会なのに定住してて、

今回の発見で牧畜までしてるんですよね。

身近過ぎて分からないかもしれませんが、縄文ってスゴイものなのですよ?ヾ(´ω`=´ω`)ノ



さてさて、話を戻しますと、この約7000年前の沖縄のブタは中国から伝わったと考えられています。

中国では黄河流域で約8000年前に豚の飼育が始まったとされていることに起因します。

まぁ時期的にはイイ感じです。



私の日本における研究のひとつとして縄文草創期・早期を扱っていますが、草創期段階の爪形文土器が沖縄を除く日本全土に広がっていることから、

日本ではめちゃくちゃ古い段階で海を越えて交易関係があったのかな~って考えています。

今回の発見を基にすると、大陸との関係まで再考する必要があるようですね。

何だか交易ばっかり意識すると「伝播論」的に感じるので、私個人としては日本における「自発性」も十分に意識していきたいと思います(*^・ェ・)ノ



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↑溶けるの早くてめっちゃ垂れたが美味しかった!(・∀・)つ(credit: あるけまや)



おわりに

沖縄のビーチで海岸砂の採取を行うために、駐車料金払ったのです。

サンプリングが目的ですぐ帰るとは伝えたのですが、、、

で、実際に僅か5分10分で車に戻ったところ、申し訳ないのでってアイスくれました。

嬉しかったですヾ(´ω`=´ω`)ノ



さて、コロナ禍を機に、国内でも様々な時期や地域を対象に研究を始めましたが、どこやっても面白いものですね(*・ω・)ノ

いやはや、、、ほんと考古学ってイイものですね~

では、さよなら、さよなら、

さよならっ!( ・Д・)


(古いけど金曜ロードショー、大好きでした(*^・ェ・)ノ)


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2021ねん 11がつ 29にち(げつよーび、晴れ)

研究は著しく進んだが記事サボりまくったヽ(TдT)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは沖縄の土器の起源は南!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はもちろん沖縄なわけですが、、、

前回の地図を再掲しておきますね。



arukemaya1669




前回までに北琉球と中琉球のお話をしてきました。

簡単にまとめると、最初、沖縄で見つかった爪形文土器は本土の爪形文土器(草創期)とは似てるだけで違うんだって意見がありました。

実際に北琉球の貝塚で見つかった爪形文を有する土器は、九州南部の縄文後期に典型的な爪形文を有する土器との関係が示されたのです。

その後、藪地洞窟遺跡などの中琉球でより古い時期の爪形文土器(早期)が発見され、沖縄の土器の起源はどこぞ?ってなったってお話です(*・ω・)ノ






さて今回のお話は宮古島で有名な南琉球です。

先に述べたように北琉球は意外に新しくて、中琉球でもっと古いのが出て、、、

という中で、南琉球の石垣島にある白保竿根田原洞穴遺跡でおよそ1万年前の土器(早期初頭)が見つかったのです。

こうなると沖縄の土器は南にいくほど古くなる、、、つまり南が起源なのか?って話になります。





北琉球や中琉球の爪形文土器が「他人の空似」とか言われていた段階では、特に古い中琉球の土器は中国南部や大陸の南東部との関係性が指摘されていました。

でも今回のこの琉球大学(山極チーム)の研究成果では南方に起源があると言えそうです。




一方で上図を見てみると草創期や早期初頭において台湾やフィリピンは無土器時代なのです。

私も沖縄から地理的に近い台湾の土器を確認したことがありますが、爪形文はなく、貝殻条痕のある土器はあったものの、時期的に新しかったのです。

こうなってくると、、、沖縄の土器の起源は南琉球で、つまり独自に発生したもので日本本土や大陸とは関係ないってことになるのでしょうか?




・・・相変わらず、沖縄の土器の起源はいずこ!?( ・Д・)


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↑貰い物で構成されたおつまみ、とても美味しかったよ(・∀・)つ(credit: あるけまや)



おわりに

マヤ研究がメインだけど、どこやっても土器なら楽しいなって気がします。

まぁマヤが一番なんだけど!(大事なので何度でも言う( ・Д・))

あるいは、どこのどの時期やっても私は研究進められるなって気もしてます(自慢( ・Д・))。



話は逸れますが、、、いやー、物理学者が宇宙のすべてを理解したいように、私も人間社会の、人類史の全てを理解したいと思いますわ。

実は最近「考古物理学」と称して数理モデルと統計学を利用しつつ、考古学・歴史学における法則定立的研究を目指しているのですが、、、

学会発表や論文投稿後に記事やYouTubeで私の理論と実践についてお話しできたらな~って思っています。



いやはや、、、何はともあれ、


・・・琉球大学に勤めたい!( ・Д・)



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2021ねん 11がつ 11にち(もくよーび、晴れ)

ワクチンのせいで頭痛いヽ(TдT)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは沖縄の土器の起源はどこ!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はもちろん沖縄なわけですが、、、

ひとくちに沖縄と言ってもおおまかに3地域に分けられます。



arukemaya1669




上の2枚目の図として挙げたようにいくつかの分類方法があるようですが、ひとまず私は3地位区分を使用しようと思います。

もし今後、考古学的に意味のある分類が見つかったら、それに従って地位区分できればいいなと考えています(*^・ェ・)ノ




さて、前回の記事でも触れたように、沖縄では「爪形文土器」が見つかっています。

一般に(本州では)「爪形文土器」は縄文時代草創期(1万6000~1万1000年前)に帰属する土器です。

「爪形文土器」は草創期の中でも古いものになり、北海道、帯広市の大正3遺跡の事例では1万4000年前と推定されていますし、長崎県、福井洞窟遺跡の事例では1万2000~1万3000年前と推定されています。

草創期の爪形文土器は日本最古級の土器でありながら、全国的に広がった土器でもある点で重要な土器だと、「私は」思っています。



arukemaya1671
↑藪地洞窟遺跡の『北海道』土器( ・Д・)(cedit: あるけまや)



そう考えると沖縄の爪形文土器も九州以北から伝わったものと考えれば良さそうなものですが、古い先行研究では沖縄の爪形文土器は『他人の空似』であるとし、むしろ中国南部やそれ以南の大陸側との関係性が指摘されていました。

実際に北琉球に属する奄美大島の貝塚の事例では、見つかった爪形文土器は九州南部の縄文後期(4700~3400年前)の「爪形文を有する土器」との類似性が指摘され、同時期の旧南部に特徴的な土器との共伴事例が示されました。




そうなるとやはり沖縄の爪形文土器は九州以北とは関係ない?となるのですが、、、

そこで見つかったのが前回の藪地洞窟遺跡などの中琉球の沖縄本島における爪形文土器です。

これらは縄文時代早期(1万1000~7200年前)に帰属するものと推定されているため、時期が一気に早まったわけです。

それと共に、どうやら北琉球と中琉球では土器の発現や系統に違いがありそうなことが示唆されたわけです(*^・ェ・)ノ




・・・沖縄の土器の起源はいずこ!?


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↑ワニ、ダチョウ、カンガルーのお肉、美味しかったよ(・∀・)つ(credit: あるけまや)



おわりに

途中で挙げた『北海道』土器はジョークですからね!( -д-)ノ

あれは藪地洞窟遺跡で出土した縄文早期の爪形文土器です。

ただ形状が北海道っぽいな~って思っただけ!( ・Д・)




最古級土器である爪形文土器の全国展開や、沖縄の土器の起源問題はテーマとしてけっこう面白いなぁって個人的には思っているんですよ。

今回の連載を通して、皆さんにその面白さの一端でも伝えることができればなと思っています。

・・・沖縄また行きたい!( ・Д・)



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2021ねん 8がつ 14にち(どよーび、晴れ)

完全に夏休みモードだった。。。頑張ります( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはイスラエルで土師器が出たのかと思ったけど違ったよ!でもレアな発見らしいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイスラエル南部のキルベット・エル・ライ遺跡(Kirbat er-Rai)です。

まぁここで「士師記」の文章入りの土器が見つかったよってニュースなのですが、私には「土師器」かと思ってめちゃくちゃ驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ

考古学やってる人なら、見間違えた人、私だけじゃないはず( -д-)ノ





土師器とは?

土師器って一般的には知られていない土器だと思います。

何故かというと小中高の歴史の教科書は「縄文時代は縄文土器」、「弥生時代は弥生土器」って教えるくらいの内容ですからね。

もちろんそれぞれの時期には他にもいくつか覚えるべき単語は僅かながらあるわけですが、テストにほぼ出ないですし、日本という国が学校教育として古代に興味関心がないのは明らかですね( -д-)ノ

この弥生土器に続く土器が「土師器」です。

まぁつまりは古墳時代の土器です。

正確には古墳時代だけではなく、奈良時代、平安時代にも作られます。

ちなみにこの土師器と対になるのが須恵器で、こちらは5世紀以降に窯焼きの技術の伝来と共に登場する高温焼成土器です。

上に挙げた写真だと左側の褐色系色調の土器が土師器で、最下段から右側にかけて配置されている灰色系色調の土器が須恵器になります。



写真にもあるように、土師器や須恵器には「高坏(たかつき)」がよく見られます。

下に挙げた写真が現代の高坏の例ですが、身の回りの事例だと、ひな祭りの飾りで見ませんか?

神棚に置く容器類も高坏のような形態、あるいは類似の「脚」が付く容器だったりします。

高坏は飲食物を載せる食膳具ですが、容器にはそもそも遮断の意味があるので、高い脚部を与えることで物理的に地面やテーブルなどの「汚れ」から離すことで、「穢れ」と遮断する宗教的意味合いを持つと考えられています。

神様や王族・貴族に対して「献上」の意味合いがある場合、その容器は高坏だったり、あるいは、器形が異なるとも同様の高い脚部を有するケースが珍しくありません。

ちなみに一番最初に挙げた写真の中、イスラエルのキルベット・エル・ライ遺跡で出土した土器群の左側にも高坏が2点見られます(・∀・)つ






士師記とは? 文字入り土器の重要性

士師記はキリスト教の旧約聖書の一部です。

出エジプトや十戒、海を割った話で有名なモーセの後継者であるヨシュアの死後から、予言者サムエルの登場に至るまでの約400年間に渡るイスラエルの民に関する歴史が描かれています。

具体的には他民族の侵略を受けたイスラエルの民を、「士師」と呼ばれる歴代の英雄達(民族指導者達)が救済する内容となっています。

さて、上に挙げた写真の土器は約3100年前のものと推定されているのですが、見事な保存状態です。

見たところ、焼きもしっかりしていますし、塗料の発色も素晴らしいですね。

描かれている文字は「jerubbaal 」で、エルバアルと読みます。

これは先に述べた「士師記」に登場する士師の一人である予言者ギデオン・ベン・ヨアシュの別名として知られている名です。


この土器は地面を掘った後に内部に石を敷き詰めた貯蔵穴の中から見つかったものです。

この遺構と地層の切り合い関係から問題の土器はBCE1100年頃、つまり士師記の時代のものであり、聖書以外で士師記の記述と一致する名が考古学のコンテクストで見つかった初めての事例となります。


まぁそのため嫌でも期待が高まるのでしょう。

こうした所謂「聖書考古学」をやっている人の中には「神学」の延長としてやってる人もいるので猶更なのですが、、、

調査者によると、土器は約1リットルの容量をもつ水差しであると考えられ、かつては油や香水、薬などの貴重な液体が入っていた可能性があるそうです。

また聖書におけるギデオンに関する記述と、このキルベット・エル・ライ遺跡の位置から、この水差しがギデオン本人の所有物であった可能性もあるとしています。


もちろん可能性はあります。

しかしこの土器破片資料から推定される形態の水差しは、特に油や香水、薬などの貴重な液体だけを入れる特殊なものなのでしょうか?(*^・ェ・)ノ?

また聖書の記述とは内容が異なる事例の場合、こうした個人の所有物であることを示すた
めに土器などに持ち主の名前を記すことは一般的だったのでしょうか?( -д-)ノ

当時、エルバアルさんはどれくらいいたのでしょうか?( ・Д・)


そもそもレアな発見であり、「聖書考古学」としても重大な発見ですから、広報として意図的に盛ってる可能性もありますが、論文化されないと評価のしようがありません。

真偽については続報に期待したいと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ





おわりに

最後に挙げた発掘現場の写真なのですが、、、

この辺りの発掘ではこうして土嚢袋(どのうぶくろ;略して「どのう」と呼ぶ)をベルトに並べるんだな~って思いました。

写真で見ると、土嚢の白いラインでくっきりと5つの小さな調査区(グリッド)が見て取れます。

このそれぞれのグリッドを隔てている未調査部分(つまりは土嚢の白いラインの下部)を『ベルト』と言います。


さてさて、なんでこんなことするのだろう・・・・・・


グリッドやベルトの説明をする上ではとても便利に感じましたが、こういう置き方だとベルトの保護になってないんですよね(組み方違います)。

写真の左側に、グリッド内側に落ちかけている土嚢が見当たりますが、こんな風にむしろ壁を壊してしまうんですよね。

乾燥地帯のようだから壁が脆いから保護してるのかと思ったけど、保護になってないし、

乾燥地帯で雨が突然降ってくると壁がやられるので保護してるのかとも思ったけど、そもそも日除けのテント建ててるし、、、

まぁ至る所の土嚢にガッツリ踏んだ痕跡あるので、、、免罪符的なアレかな。

さすが考古学者はこんなところにまでも象徴的な意味合いを持ってくるのだなと痛く感動してます。

・・・こいつらベルトを歩いてやがるぜ!( ・Д・)



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2020ねん 12がつ 30にち(すいよーび、雪)

ずっと学会発表準備してたり、論文書いてたりしてたよ、ごめんね!( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは古代のカリブの民は一度滅んでいたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は中米~南米のカリブ海!

カリブ海と聞くと上に挙げた写真のような「青く澄んだ南国の海」をイメージすると思います。

それでイメージは大体合っているのですが、どの辺にあるのか?となると途端にあやふやになると思います。

旅行で行ったことのある人でも、カリブ海というのは実際にはかなり広いのでよく分かっていない方も多いことでしょう。

ということで、地図を提示して説明しますね(*・ω・)ノ


arukemaya1315


上に挙げた地図は中米域(メキシコ、グアテマラら辺)から南米の北部であるコロンビア、ベネズエラを示したものです。

地図内に「西カリブ」「南カリブ」「東カリブ」とあるようにかなり広い範囲がカリブ海なのです(*・ω・)ノ

私は地図の左側にある、ポコッと北に突き出したユカタン半島の辺りを専門にしていますのでカリブ海も訪れたことが複数回あるのですが、ユカタン半島の北部に広がる海や、ベリーズ東部、ホンジュラス北部に広がる海がカリブ海であると漠然と理解していました。

だけど実際にはカリブ海はこれほどの広範囲にわたっているのですねΣ(・ω・ノ)ノ

私は知りませんでした( -д-)ノ


さて、今回のお話は地図の右下にあるベネズエラから中央にあるバハマの間の島々が舞台です。

所謂、『カリブ諸島』ですね(。・ω・)ノ゙

このカリブ諸島に、上に挙げた図のように船ではるばるやってきた古代人がいることが分かったよ!ってお話です。


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所謂「新大陸」にヒトがやってきて、1万3000年頃までには南アメリカの南端にまで到達したと考えられています。

その後、人々は南北アメリカの各地でそれぞれ生活していき、様々な発展を遂げていきます。

マヤ文明やインカ文明などの発展には時期的に類似した変化が見られるわけですが、今回は「島々」が対象ですので、同じアメリカ大陸の話でも少し時代感が異なりますのでご注意ください(*^・ェ・)ノ

さて、カリブ諸島に最初に定住した人たちは6000~7000年前にやってきました。

恐らく先の絵に描いたよりももっと簡易な船でやってきたと考えられますが、彼らは狩猟採集活動を行い続け、その伝統文化・生活様式をおよそ6000年もの間守り続けていました。

どうやら彼らは周辺の人々と活発に交流しなかったようです。

そういった状況のカリブ諸島に、約2500年前(BCE500年)の段階でベネズエラから土器製作技術を有する農耕民がやってきました。

結果、先住民は戦闘や病気によって全滅したと推測されています。

この解釈は、上に挙げた写真に見られるような、カリブ諸島を中心に発掘調査で見つかった人骨174体を対象にDNA分析を実施した研究で得られたものです。



マヤ文明最古の土器との関係性

先に述べたように、カリブ諸島を「征服」した彼らはBCE500年に到来しています。

マヤ地域では南部地域において先古典期前期(BCE2000-1000)から土器が使われていますし、ティカルなどがある中部低地域では先古典期中期(BCE1000-350)に誤記が出現します。

なのでマヤ文明最古の土器と、今回の「征服者である土器の民」とには直接的な関係性はありません。

しかしマヤ地域の南部で最初期に見られる土器は、「完成された形」のものばかりなのです。

土器は粘土を焼成することで作りますから、「人類最初の化学変化を利用した道具」としてよく知られています。

日本などでも最初期の土器は「あまり出来が良くない」もので、その後技術が発達して皆さんがよく知ってる『火焔土器』みたいなのが作られるようになるものです。

しかしながらマヤ地域ではそうした土器の発達史を追うことができません。

そのためマヤ地域で最初期の土器は南米など他地域から技術や情報が伝わってきたと考えられています。

今回の話もそうですが、『意外と古くから』人間集団間の交流、特に海を使った遠距離の交流はあったのだなと思います。

南北アメリカ大陸は地続きですが、今回の事例のように海を使って一気に土器の製作技術が伝播した可能性もあるんだなぁと改めて感じました(・∀・)つ


↓船で新大陸に渡ってきた系の記事(*・ω・)ノ



↑これ人気記事ですよヾ(´ω`=´ω`)ノ



おわりに

さて、カリブと言えば、私にとっては「パイレーツ・オブ・カリビアン」ですが、、、

一般的にはやはり青い海ですよね!

調べたところ、どうやら上に挙げた写真のようなピンク色の砂浜がカリブ海にはあるそうです。

上の写真はギリシャのクレタ島のものですが、写真が綺麗だったので紹介することにしました。

クレタ島も考古学では超有名なところですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

さて、カリブ海ではバハマのエルーセラ島というところにやはりピンク色の砂浜があるそうです。

行ってみたいものです(*^・ェ・)ノ

……いつかカリブ海沿いの遺跡でビキニ美女と共に調査するのだ!( ・Д・)



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2020ねん 12がつ 12にち(どよーび、晴れ)

勇気振り絞ってコスプレ写真展行ってきた、緊張したけど楽しかったよ(・∀・)つ


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↑これがお高い返納品( ・Д・)(「御代田町ふるさと納税土器開始」のPDF内画像より一部加工)


今回の考古学・歴史ニュースはふるさと納税の返納品の土器がバカ人気だから、私も土器作って売ろうかなっ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は日本、長野県、御代田町です。

上に挙げた写真が辺納品として土器なのですが、御代田町にある「浅間縄文ミュージアム」という博物館の職員が手作りで製作したものだそうです。

いずれの土器も御代田町にある宮平遺跡や河原田遺跡から出土した県宝指定、重要文化財指定の資料です。

これらの土器は実測図に合わせて正確に成形(整形もか?)、施文し、一か月ほどの乾燥期間を経て、野焼きで焼き上げたそうです。

まぁつまりは縄文時代の方法で手間暇かけてしっかりと作りましたよってことなのですが、、、

驚くべきはその値段!Σ(・ω・ノ)ノ


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↑高いけど、寄付だからそういうものなのかな( ・Д・)(「御代田町ふるさと納税土器開始」のPDF内画像より転載)




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どれもいい値段しますよね。

それなのに全部あっという間に完売したそうで、「どうしても欲しい」とか「また作って欲しい」って声があったそうです。

北海道大学博物館のカフェでも「北大式土器」をミニサイズで作ってタピオカミルクティーが飲めるイベントがありました。

この「タピ土器」は私も買ったのですが(正確には博物館展示の手伝いの代償として奢ってもらった)、1600円もしたのですΣ(・ω・ノ)ノ

これもめちゃくちゃ人気あったようです。

でも老人ホームかどこだか福祉施設か忘れましたが、こちらは博物館の学芸員などの職員が製作したものではないので、とってもミニサイズだし、焼き方は現代の焼き方だし、粘土も現代の粘土だしで本格的なものではありませんでした。

可愛くて私は好きですけどねヾ(´ω`=´ω`)ノ

でもどうやら巷では土器が人気なようで、現在は色んな品が出ているようです( ・Д・)


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↑これがミニ北大式土器、通称「タピ土器」、1600円!(「歩け、マヤ」撮影)





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↑この記事でも少し紹介した日清の火炎土器の値段がコレ↓



おわりに ~私の土器はいくら?~

最後に私の作った土器を紹介しようかなと思います。

大学にもよると思いますが、私の大学では考古学実習の一環として毎年土器作りを行っていました。

大学構内に遺跡があって毎年掘り続けていますから、そこから出た粘土に砂を加えて生地作りから始まり、実測図を参考に、器面調整や施文も復元して行うようにしていました。

もちろん焼成方法は野焼きです。

なので、私にとっては昔の技術で作った土器というのはそこまで欲しいものなのか?とお思うレベルなのですが、、、

まぁ不出来な私の土器を見てくださいな( ・Д・)


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↑たぶん大学2年の時にテキトーに作ったやつ、整形がひどいね( ・Д・)

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↑3年生、2回目だから少し上手い(`・ω・´)

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↑4年?マヤ土器です。古典期前期のベイサルフランジ土器を作ったと思われる、まだまだ下手くそである( ・Д・)てか、碗の口が大きく開くと重力に負けちゃって整形が大変だった気がする(TДT)

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↑たぶん修士の頃、貝を模した三脚付き注口付き皿を作った。少し気合が入っている(・∀・)つ

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↑博士かな?ティカル出土の三足円筒土器を作った、これは手元に実測図と定規を置いて何もかも測りながら作りました。技法も何もかも一緒、焼成方法だけは不明なので野焼きです(*・ω・)ノ顔面だけ美術センスがなくてへたっぴ( -д-)ノ

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↑どう?薄いでしょ?1mmだもの。ミガキの方向が内外で異なる点も再現しています(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!私的にはこの角度で撮ると本物らしさが出ます。なぜなら本物でもこうやって撮られたものがあるのですヾ(´ω`=´ω`)ノ



……他にもスリップ(化粧土)の再現をしようとしてタイミング間違えて完成品をバラバラに割ってしまったこともあるし、器面調整の程度を観察するために粘土板作ったりしてましたね。

今でも胎土中の混砂率を推定するために実験的に粘土板作ってたりしますよ~(*^・ェ・)ノ

今ならもっと上手にこだわりもって本物らしく作れる気がする……

気のせいか?ヽ(TдT)ノ

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まぁ返礼品の土器の価格は寄付金とは言え、高い気がしていましたが、、、

材料費(粘土、砂、調整具、施文具など)や焼成時の燃料費の他、以下に述べるような人件費(?)がかかるわけで、、、

例えば、粘土準備するのに1日はかかるし、寝かせる必要もあるし、作るのは1日がかりだし(サイズによる)、ミガキは半日かかるし、乾燥は1週間くらいかかるし、燃料集めて焼く場所借りて消防に許可取ってから焼かなきゃだし、焼くのは一日かかるし、、、

日清の120万円のやつはちょっと高過ぎだけど、

色々考えたら3万~5万なんて妥当な金額か!?( ・Д・)


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2020ねん 11がつ 30にち(げつよーび、晴れ)

あれ、気付いたらもう11月終わる( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは土師器と須恵器の違いはやっぱり原料だったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は日本、奈良県

今回の研究にどこの資料を使ったのか不明ですが、少なくとも奈良文化財研究所(所謂、奈文研)の研究成果です。

まぁ土師器と須恵器の分析なので広く分布してますし、地元で出土した資料を使ってると思います( -д-)ノ

タイトルでは「日本考古学の基本」と書きましたが、程度の差はあれ、日本で考古学を学ぶ限り、土師器と須恵器の違いについては少なくとも自然に学ぶのではないかと思います。

また高校における「日本史」でも『B』の教科書であれば、土師器と須恵器の違いについて簡単に記載されています。




上に挙げたのが一例ですが、、、

土師器⇒弥生系で赤褐色

須恵器⇒朝鮮系で硬質・灰色

これで十分です。

大学受験だけではなく、考古学を専門にしてても時代や地域が異なれば、最後に覚えてるのは(記憶に留まり続けるのは)上記のそれくらいになるのではないかと思います( -д-)ノ

一番最初に挙げた写真でも左と右で色が全然違いましたよね?

左の灰色の土器が須恵器、右側の茶色っぽいのが土師器です。

ちなみに考古学を専門にしていると、「スエ、ハジ」なんて言い方をしたりします。

スエは朝鮮語で「鉄」を意味するため、須恵器は本来「鉄のように固い土器」という意味だったようです。

土師器も須恵器も古墳時代から平安時代まで生産・使用され続けた土器です。

須恵器は平安時代には「陶器」と書いて「すえもの、すえのうつわもの」と読んでいたそうです。

土器、炻器、磁器、陶器など考古学では「器」に対して色々な呼び方があって、それぞれ定義があります。

そのため「陶器」と書くと用語として混乱するので「須恵器」と書くことになっています。

ちなみに須恵器は炻器(せっき)に分類されます。





今回は土師器(土器)と須恵器(炻器 / 陶質土器)のお話になりますので、色調と質(硬さ)以外にも特徴を示しておきますね(*^・ェ・)ノ

土師器は素焼きの土器、つまり釉薬なしで焼成温度の低い野焼きの方法で焼かれた土器です。

野焼きは密閉性がないため自然と酸素が供給される酸化焔焼成であり、結果焼成温度が低く表面が赤茶色っぽくなります。

また成形方法として輪積み法で作られています。

一方で須恵器は窯焼きの土器で、釉薬なしで焼成温度が高い登り窯を用いて焼かれた炻器です。

窯構造を有しているため密閉性が高く、酸素が供給されないため還元焔焼成となり、発生した一酸化炭素によって粘土中の酸化物である酸化第二鉄が還元されて酸化第一鉄になるため色調が青灰色になります。

高温焼成なので須恵器の方が硬くなるのです(*^・ェ・)ノ

また須恵器の成形方法は轆轤(ろくろ)法です。

こうしてみると、何だか須恵器の方がしっかりとした立派な土器のように思えますが、実際にはそうではなかったようです。

「正倉院文書」によれば、土器の器種別の価格表から須恵器と土師器のあいだの価格差はほとんどないことが分かっています。

しかし蓋が付くものかどうかでおよそ倍の価格が付くそうです。

まぁ手間だし、妥当か( -д-)ノ




さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題に入ります( -д-)ノ

土師器と須恵器の主な違いが製作技術や焼成方法であることが古い段階から分かっていました。

特に須恵器は高温で焼成するため、登り窯を使用する必要があり、この窯は斜面に作る必要があるのです。

平地でも登り窯を造れるけど、結局大量に土を盛って斜面を形成しなきゃならないのです( ・Д・)

そのため設置する窯の傍で取れる「山の粘土」を利用した可能性が想定されていました。

一方で、土師器は低温の野焼き法で焼成するわけですが、これは平地で行うものです。

現在でも東アジアや中米において野焼きで土器を焼く人々を見ることができますが、いずれも平地で行っています。

原理的には斜面でもできるのですが、面倒です。

例えば、キャンプに行ってバーベキューをするとして、わざわざ斜面でやりますか?

可能だけど、色々大変でしょう?( ・Д・)

なので野焼きは平地で行うもので、「平地で取れる粘土」が原料であると想定されてきたわけです( -д-)ノ

今回の研究ではこの『須恵器は山の粘土』、『土師器は平地の粘土』という想定を理化学分析によって明らかにしたのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

ハジ・スエの原料の違いを示すために注目したのが土器胎土のリン含有率です。

リンは肥料に含まれることから、土器胎土中のリン含有率が高ければ、原料の粘土は肥料がまかれた水田などで採取されたと言えると考えたわけです。

今回使用したのは平城京から出土した奈良時代後半の須恵器3点と土師器4点です。

平城京……利用した試料がどこのものか分からないと最初に書きましたが、、、

やはり奈良県、地元の遺物ですね!

手法は『破壊分析』なので試料数がとても少ないのは、こういった「理化学分析あるある」です。

土器試料を粉末状に砕き、1000度の高熱で不純物を取り除き、土器に含まれている化学成分の比率を測定したところ、土師器のリン含有率が1・39~3・62%と高かったのに対して、須恵器は0・02~0・08%と低かったそうです。

リンは水溶性で雨や水で流れてしまったり、植物に吸収されるにも関わらず、それでも土師器は高いリン含有率を示していたと判定しています。

文献史料等から奈良時代にはすでに定期的に田畑に肥料がまかれていたとみられ、このために土師器内のリン含有率が高まった可能性が指摘されています。

一方で須恵器の表面に見られる黒色の粒子は、炭化した木片「亜炭(あたん)」であることが示されました。

亜炭が含まれる粘土は主に丘陵地帯で採掘されることから、須恵器の粘土は山で採取された可能性が高いと言えそうです。

こうした結果から、土師器の原料は平地の田んぼで取れた「田土」、須恵器の原料は山で取れた「山土」の可能性が高いことが分かったのですヾ(´ω`=´ω`)ノ

今後更にこういった研究が進めば、土器の粘土の採取場所を調べたりすることも可能になるかも知れません。

そのためには新たな非破壊分析法を確立することや、それによって数を見ること、つまり試料数(N値)を増やすことが必要になってくるでしょう。

また土器胎土の中に肥料が含まれていると考えるであれば、農耕の始まった時期、少なくとも肥料の使用が開始された時期を推測する研究も行うことができることになりますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




おわりに、ー土師器の名の由来ー

須恵器の名の由来は朝鮮語と話しましたが、土師器の方はというと……

大阪府、藤井寺市に「土師ノ里駅」という場所があるそうです。

ここは古墳時代の豪族、土師氏に由来する地名だそうです。

土師氏は土師器を生産していた豪族だったのでしょうか、これが土師器の名称の由来だそうです(*・ω・)ノ

土師もそうですが、須恵器の方も、全国に須恵村とか須恵町といった地名があるようです。

かつては色んなところで生産されていて今でも地名として残っているんですねヾ(´ω`=´ω`)ノ

・・・・・・

簡単な記事にするつもりだったのに、、、

土器を扱うと長くなるぜ!( ・Д・)



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2020ねん 10がつ 30にち(きんよーび、曇り)

一年半前の記事が下書きのまま発掘されました( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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今回の考古学・歴史ニュースは「土器の研究から、日本のGの起源が中国である可能性が分かったよ!」ってことです!


*本記事ではすべてのGをGと表記する方向でいきますね( -д-)ノ


この研究は熊本大学の小畑弘己教授によるもので、土器表面に対するレプリカ法(圧痕法)を用いたものです。


より正確には「土器圧痕のレプリカ法」と言います。


土器の器面(表面)に何らかの要因で押し付けられた痕跡(圧痕)に対して、シリコンを流して型を取った標本(レプリカ)を電子顕微鏡等で観察して分析する手法のことです。





対象となった資料は宮崎県、宮崎市田野町の本野原遺跡(もとのばるいせき)で出土したものです。

この本野原遺跡は縄文時代後期の遺跡であり、西日本において最大級の集落跡が発見されています。


この遺跡から出土した約4300年前の土器と約4000年前の土器の器面からGの卵の痕跡が見つかったわけです。


本記事内で述べている検出されたGの「卵」というのは実際には「卵鞘(らんしょう)」と呼ばれるもので10~11mm程度のサイズだそうです。

この「卵鞘」の中に複数の卵が入っている構造なのです。

そのため「卵のさや」と書くのですね。しかし記事内では分かり易く、「卵」と表記します( -д-)ノ




今回検出されたGの卵は、中国南部が原産とされるクロGの卵と形態的に強い類似性を示しているということが分かりました。


クロGとは屋内に生息する種のGとして代表的なものです。

ちなみにこの屋内GであるクロGが縄文時代の遺跡から確認されたのは初めての事例のようです。


つまり今回の発見によって縄文時代の家屋の中にもGがいたことになります。

どうやら我々と”G”との戦いの歴史はとても長いようですね( ・Д・)



おわりにかえて、誰得? ”G”の歴史


現在の日本には、野生を含めると約50種類のGが生息するそうです。

そんなにいるのですねΣ(・ω・ノ)ノ

北海道産の私としてはほぼ海外でしか見ないのですが( ・Д・)


その50種類のGの中でも家屋内に住む種類はヤマトG、クロG、チャバネG、トビイロGなど10種類いるそうです。

ほんとそんなにいるのですね(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?


こうした日本の屋内Gは、在来種のヤマトGとクロGの他は全て、原産地がアフリカだと考えられているそうです。


平安時代の文献にヤマトGとみられるものが記載されているのがこれまでの初出で、今回の発見でヤマトGがクロGと酷似する可能性が指摘されたわけです。

クロGは中国南部が起源の外来種とされており、今回の土器の証拠から約4300年以前に大陸から日本に渡来したか、あるいは実は外来種ではなく、日本在来種である可能性も考えられるようです。


こうして考古学ではGの起源にまで迫れるのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



……ところで、個人的にGというとモンハンしか出てこないんですけども、

まぁ少なくとも、、、

Gはモンスター!( ・Д・)

↓”G”が嫌いなひと~?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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