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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:土製品

2019ねん 10がつ 12にち(どよーび、曇り)

年内最後の国内資料調査を終えた。

あとは論文を書き続ける日々だ!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは、『縄文時代のネコ形土製品が現代的にデフォルメされたねこに見えるよ!』というお話です(。・ω・)ノ゙

上に挙げた写真が問題のネコ形土製品なのですが、私もこの画像をTwitterで見かけて、「あ、可愛いな~!カワ(・∀・)イイ!!」と思いました。

ただ同時に、「縄文時代にねこ?」という疑問も浮かびました。

こうして何でも疑ってかかるのは職業病かも知れません( -д-)ノ

私が思ったのは、そもそもこの遺物は本当に縄文時代のものなのか?

そして、この遺物は本当にネコ形土製品として扱われているのか?

この2点を明らかにしなければ始まらないと思い、他の画像を探してみました。

すると……



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なんとまぁ、確かに「縄文時代」とありますね!

名称は「ネコ形の土製品」とあります。

わざわざ「の」を入れているので、ネコ形土製品のような専門性の高い一群として扱っているのではなく、あくまで「ねこの形に見える土製品」という意味として使っていることが分かります。

さて、では次に問題となるのは、縄文時代にネコはいたのか? 古代日本におけるネコの歴史とは?という点ですね。




私達のよく知っているネコは「イエネコ」です。

これは上に挙げた写真に見られるようなヤマネコを家畜化したものなのです。

その起源は13万1000年前に中東の砂漠等に生息していたリビアヤマネコにまで遡ることができるそうで、ネズミの捕獲を目的としたネコの家畜化の歴史はかなり古いものであることが分かります。

人類の古きパートナーとして有名なイヌの元々の役割は「狩猟の補助」ですから、イヌの家畜化の起源が古いのはそのためです。

一方でネコの家畜化は「ネズミの排除」の役割と共に始まります。

つまり人類の農耕の開始と関連しているため、イエネコがイヌより新しい時期に登場する理由はすっと理解できると思います。

農耕が始まると保存しておく必要のある財(食料等)を守る必要がありますし、定住が一般的になりますから伝染病を媒介するネズミは人類の脅威となったわけですね。

そんなわけで日本にネコが登場するのは弥生時代以降であると推測できそうですね。

調べてみたところ、日本には平安時代に倉庫の穀物や経典類の番人として大陸より輸入されたことに由来するそうです。

但し、近年の研究成果により、日本におけるネコの起源が紀元前2世紀の弥生時代まで遡る可能性も出てきたそうです。

先に述べたように農耕が広く行われるようになった弥生時代にはネコがいてもおかしくないですよね。

弥生時代には大陸からの渡来人もいるわけで、イエネコの起源が大陸であることから、その時に持ち込まれた可能性も十分にあるわけです。

縄文時代の農耕論とか、縄文時代における単発・少数的な渡来人の流入を考えると複雑になってきますが、今のところ縄文時代にイエネコが存在したことを示す証拠はない模様です( -д-)ノ


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まぁ現代人の我々には、特に日本人あるいは日本文化に慣れ親しんだ者にとってはネコに見えますよね。

というか、ねこにしか見えない。

でもねこじゃないんですよね。

なんだろう・・・・・・

逆さまになってて、耳に見えるものが脚で、縛られてるから左右がまとまって見えて、、、つまり、豚の丸焼き!

ブタも弥生時代以降か・・・・・・

じゃあイノシシかシカの丸焼き!!!( ・Д・)

↓ね~こ~、かわい~い!カワ(・∀・)イイ!!↓

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2019ねん 5がつ 11にち(どよーび、晴れ)

なんだか最近、体調が悪いなと思っていた。

ふと枕を変えてみたら、劇的に快復した気がする!

気のせいだろうか!?( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは、以前の記事における『古典期後期(CE600-900)の土製人形の製作工房がマヤ考古学史上初めて見つかったよ!』って内容を確認したよって話です(*・ω・)ノ


↑ほとんど同内容ですけどね、混乱っぷりが分かる!( ・Д・)


さて、前回の記事で、混乱がありましたが、原文に当たりまして原因が分かりました!

やはり予想通り、最初に参考にした記事が間違っていたようです。

グアテマラ南部の山岳地帯を「南部高地」と呼んでいますが、その中における『コバン市での土製人形製作工房の発見』の記事と、『グアテマラ市における大量の土器破片資料の廃棄』に関する記事を混同して書いていたようです。

恐らく参考にした海外の記事の執筆者は、土製人形の製作工房と同定された遺構から大量の土器破片資料が確認されたことを強く意識したために、現代の考古学者による大量の土器破片資料の廃棄の写真を発掘調査で出土した資料と間違えたのでしょう。

まぁ専門からすれば、前の記事の最後に書いたように、出土した資料と新しく廃棄した資料の違いは明確なのですが( ・Д・)


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まとめると、私が参考にした記事は、本来2つの異なる記事を混ぜてしまっていました。


【元の記事の種類】
記事A:コバン市における土製人形の製作工房の発見
記事B:グアテマラ市、カミナルフユ遺跡の紹介と現代の考古学者による土器資料の大量廃棄に関する記事

【予想される混同の原因】
①両者とも大量の土器破片資料について書いている。
②両者ともマヤ文明、古典期に関する内容である。
③両者ともグアテマラ国内における話である。
④両者とも同時期のマヤ高地における話である。


ということで、今回は記事毎に整理して簡単に紹介します(*^・ェ・)ノ


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記事A:史上初!マヤ高地にて土製人形の製作工房が検出された!

グアテマラ、アルタ・ベラパス県のコバン市に所在するアラゴン遺跡で土製人形の製作工房が検出されました。

この遺跡は私有地にある遺跡であり、新たな建物を建設する工事によってマウンドを削ってる最中に見つかりました。

マウンドとは昔の建造物が崩れて時間が経過したことで土を被った遺構で、マヤ地域の場合は多くの場合、丸みを帯びた長方形の「土饅頭」のような状態になっています。

日本には文化財保護法がありますので、新たな建設工事の際は届け出が必要であり緊急調査がなされるわけですが、海外では多くの場合そのように保護されていません。

大体の場合は近現代の工事によって遺跡や遺構は破壊され、出土した遺物は個人のコレクションになったり、売り飛ばされたり、そのまま破壊・廃棄されたりします。

今回のケースでは工事の主体者がアメリカ人マヤ考古学者の友人だったようで、工事中に多量の土器破片資料が出土したことから連絡を取ったそうです。

検出された土製人形の製作工房は工事によってかなりの部分が破壊された後でしたが、それでも数千点に及ぶ土器破片資料と、400点以上の土製人形や人形の「型」の資料が出土しました。



出土した土器破片資料の分析から、帰属時期は750~900 CE、古典期後期後半と推定されています。

古代マヤ文明にはマヤ文字を刻んだ石碑がありますが、経済に関する情報は含まれていません。

そしてこれまでに古典期に属する明確な土器やその他の土製品に関する製作工房は検出されておらず、重要な発見と言えます。

私も土器経済を明らかにし、そして碑文研究で示される都市国家間の政治的関係との相関性について明らかにしたいと考えていますが、今後マヤ文明における古代経済について少しずつ解明されていく予感がしますね(・∀・)つ


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記事B:現代の考古学者によるカミナルフユ遺跡における多量の土器破片資料の廃棄


この記事の舞台はグアテマラの首都、グアテマラ市にあるカミナルフユ遺跡です。

グアテマラ市(以下、グアテマラシティで記述)は、コバン市よりも約89km、南側のより標高の高い地点に位置しています。

この遺跡は元々は巨大な湖の周辺に栄えた大都市でしたが、近現代における首都の成長と共に大部分が消え去ってしまいました。

上に挙げた2枚目の写真のように、一部が遺跡公園として保存されており、その周辺はすぐに住宅街となっています。

遺跡公園にはJICAの協力で建設された小規模の博物館の他、上に挙げた写真に見られるような古代マヤ文明の建造物が見られる展示があります。

またカミナルフユ遺跡の他の一部であるミラ・フローレス地区は、その名の通り「ミラ・フローレス」と呼ばれるショッピングモールに残っています。

そこでも小規模の博物館の他、神殿マウンドが展示されています。

両者とも規模は小さいですが、比較的新しい建物であることもあり綺麗です。

そして展示されている遺物も展示方法も素敵です(・∀・)つ

グアテマラでもお金のあるところにはあるんですけども、メキシコ等と比較すると文化遺産活用はまだまだですし、所謂「貴重な・美術的価値のある考古資料」以外は一般はもちろん行政面でも興味がないようです。

つまるところ、素敵な資料の展示ケースを買うお金やそのための広いスペースを確保するお金はあるが、分析に使用する他の多量の出土資料を保管しておくスペースを確保するお金はないということです(/TДT)/

で、問題の写真がこれ( -д-)ノ


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実際には日本でも土器資料は廃棄されています。

しっかりと何をどこにどれだけ捨てたかを記録した上でですが。

特に日本では現代の建設工事に伴う緊急調査によって日々膨大な量の考古資料が出土していますから、保管する場所に困るわけですね。

しかし土器の数量化に関する研究や、土器胎土分析等の定量分析に関する研究、そして熊本大学の研究では土器破片資料も重要です。

特に熊本大学の小畑教授によるレプリカ法は土器資料から新たなデータを引き出す方法として非常に面白いなと思っています。


↓このような研究もあります(*・ω・)ノ
↑良かったら併せてどーぞー( -д-)ノ


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確かに増加し続ける全ての資料を保管するのは物理的に無理かもしれませんが努力はしたいですよね。

少なくとも廃棄の前に、現在可能な手法によるデータの採取を全て終えてから廃棄してもらいたいな~と思います。

実際にこのカミナルフユ遺跡で出土した土器破片資料の内、博物館にて保管できないものが、上の写真のように廃棄され始めているようです。

蛍光X線分析装置(中古で300万円、新品で800万円くらいする( ・Д・))をゲットできれば、廃棄前に全部のデータを集成するのにな~と思う今日この頃(´・ω・`)

研究費取れなかったら、やっぱりクラウドファンディングかな。

その時は皆さん、応援よろしくお願いします(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

ちなみに元記事にあった1500万点という数字の出所は、50年ほど前の考古学者が推定したカミナルフユ遺跡全体から出土するであろう総土器破片資料数のようです。

↓捨てられる運命の土器資料からデータを引き出すための機材購入のために応援して下され!( ・Д・)↓

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2019ねん 4がつ 25にち(もくよーび、晴れ)

右足のふくらはぎがツリ続ける病になった(ノ◇≦。) ビェーン!!

今日、明日はめちゃ働く。

そしてGWは酒を断って、のんびり養生することにするヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは『古典期後期(CE600-900)の土製人形の製作工房がマヤ考古学史上初めて見つかったよ!』って内容です(*・ω・)ノ

本当に久しぶりのマヤ文明ネタです。

専門だからこそ、変なこと書けないなと自然と避けてしまっていたかも知れません( -д-)ノ

ところで実は私は「土器製作址」を探していて、「マヤ史上初の古典期の土器焼成址を発見したよ!」って発表してるんですけどね。

論文として公表になるのは今年(2019年)の7月です。

あと数ヶ月でブログでも記事にして紹介しようかと思ってます。

……さて、今回の発見は個人的に非常に興味深いな~と、ちょっとテーマの方向性は違えど、やられたな~って感じがしています。

もし私の対象遺跡と同じ遺跡で、先にこれだけの発見されたら、正直泣いてますね。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン


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今回の発見の舞台は、グアテマラの首都、グアテマラシティにあるカミナルフユ遺跡です。

元々は巨大な湖の周辺に栄えた大都市でしたが、近現代における首都の成長と共に大部分が消え去ってしまいました。

上に挙げた2枚目の写真のように、一部が遺跡公園として保存されており、その周辺はすぐに住宅街となっています。

遺跡公園にはJICAの協力で建設された小規模の博物館の他、上に挙げた写真に見られるような古代マヤ文明の建造物が見られる展示があります。

またカミナルフユ遺跡の他の一部であるミラ・フローレス地区は、その名の通り「ミラ・フローレス」と呼ばれるショッピングモールに残っています。

そこでも小規模の博物館の他、神殿マウンドが展示されています。

両者とも規模は小さいですが、比較的新しい建物であることもあり綺麗です。

そして展示されている遺物も展示方法も素敵です(・∀・)つ


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さて、今回のニュースで発見されたのは「土製人形」です。

人物や動物を造形したものを「Figurines」と呼んでおり、日本語に直訳すると「小像」でしょうか。

実際にめちゃくちゃ大きいサイズの土製像が後古典期(CE900~1521)のメソアメリカ美術様式には見られますが、古代マヤ文明では小サイズのものばかりですので個人的には「小像」で良いかと思います。

日本では土製の偶像ということで「土偶」という名称が聞き慣れていると思いますが、イメージが大きく異なるので本記事では「土製人形」と表現することにします。

上に挙げた写真のように古代マヤ文明の土製人形は丸みを帯びた造形のものが多いです。

この写真の資料は丁寧に磨かれていますが、粗雑に作られた資料も数多く見つかっています。

一方で2枚目の写真に見られるように、古典期後期にハイナ島で生産された土製人形は非常に精巧な作りであることが特徴的です。


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上に挙げた写真の内、2枚目は明らかに「型」ですね。

1枚目は実見として押してみたものなのでしょうか。

これだと型取りにならないですよね( ・Д・)

でも焼成しているように見えるんだよな(`・ω・´)

・・・さて、参考にしている元記事がコバン市における土製人形の「型」を含む大量の土器破片資料の出土について書いているのですが、すぐにカミナルフユ遺跡の話になるのです。

両方ともマヤ高地だし、距離的にまぁまぁ近いとは言え、けっこう離れています。

遺跡としては別物です。

これは元記事書いた人が間違えているのか、私の訳がおかしいのか(斜め読みしてます(´・ω・`))・・・

なんだか、やな予感がします。


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原文はサイエンス誌に掲載されたようで、膨大な量の土器資料は1つのマウンドから1立方フィートの土壌あたり7000点の破片が発見されたそうです。

さらにマウンド全体では500000点の未使用の土器の残骸を含む合計1500万点の破片が含まれているそうです。

サイエンス誌に載ったとは言え、「未使用の土器」ってどういうこと?

てかこの写真何!?

完全に新しく捨ててるよね!?( ・Д・)

ちょっとサイエンス誌の原文読んで、事実確認し、次回報告します( -д-)ノ

↓こんな終わり方ですみまてん( ・Д・)↓

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