あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

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    2019ねん 7がつ 17にち(すいよーび、晴れ)

    最近、数学ばかりやっている。

    どれだけ数学・統計学の世界を理解したら、考古学の各事例に用いるべき手法の正しい選択ができるのだろうか。

    まぁとりあえず資格あるらしいので取ろうかな( ・Д・)


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    ↑ヨーロッパにおけるギリシャとコザニの位置(「「Google Map」の画像を一部加工」)




    【目次】
    1. はじめに -基礎情報-
    2. コザニにおける発見
    3. 古代ギリシアにおける窯の構造
    4. おわりに

    1.はじめに -基礎情報-

    今回の考古学・歴史ニュースは「ギリシアでビザンツ帝国時代の陶磁器を焼成した大きな窯址が検出されたよ!&青銅器時代のお墓も出たよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

    上に地図を挙げましたが、今回の舞台であるギリシャは地中海に面しており、有名なイタリアのブーツ状の土地のヒールの先方向にありますね(分かりくいか( -д-)ノ)

    遺構が発見されたコザニは北ギリシアに位置し、西マケドニア及びコザニ県の都です。

    このコザニのアンソニーのグラットサニス(Gratsanis)地区で発見があったらしいのですが、詳しい場所が分かりませんでした。

    というのも記事自体が

    Δυο καλοδιατηρημένοι κλίβανοι της βυζαντινής περιόδου εντοπίστηκαν στην περιοχή Γρατσάνη του Ανθότοπου Κοζάνης, κατά τη διάρκεια εργασιών……(記事より一部抜粋)

    こんな感じなので、よく読み取れないし、こともあろうかグーグルマップもギリシア語表記が多かったので探せませんでした。

    学生時代に「古典ギリシア語」を履修していましたが、まぁ大体「なるほど!よく分からん!( ・Д・)」程度の能力だったのでご容赦願いたいヽ(TдT)ノ

    ギリシア語の記事に興味ある方は下に挙げる遺構の写真のリンクから、元の記事に飛べますのでどうぞ(*・ω・)ノ




    2.コザニにおける発見

    まず今回の発見の契機は、「Aeolian Park East and West Asia」という名称の公園を建設するための工事です。

    一つ目の発見は青銅器時代のお墓が見つかったことです。

    この発見に関して、当時、送電ケーブルの巻き取り作業を行うべく、30㎡の広さの発掘調査がなされました。

    この際にお墓が検出され、それが上に挙げた写真になります。

    見た感じ、現地表面にかなり近い深度に遺構が広がっている模様です。

    出土遺物から後期青銅器時代(BCE1600-1100年)と推定されています。

    墓の傍には同時期の建造物と思われる遺構が存在し、青銅製の鳩の装飾品が出土しました。

    人骨は確認されなかったようですが、副葬品から女性の墓であると推定されています。




    今回のもう一つの発見がこちらの穴ぼこ群です。

    変電所を建設しようと工事を行っていたところ、発見されたそうです。

    これはビザンティン帝国時代(東ローマ帝国時代;CE395-1453年)の陶磁器の焼成に用いられた窯の跡です。

    上に挙げた写真の右下隅に横穴が見えますが、この部分(及び、より手前部分;写真では切れている(TДT))で薪を燃やします。

    「もぐら叩きゾーン」にはよく乾燥させた未焼成の陶磁器類を並べます。

    このゾーンは10㎡の大きさがある大きなものです。

    「もぐら叩きゾーン」の周囲からは10本のアーチ状の支柱の痕跡が確認されており、かつてはこのゾーンが壁と屋根で覆われており、小部屋のようになっていたたわけです。

    このように上部構造は失われていますが、下部構造としては非常に保存状態のいい遺構です。

    今回の発見ではこの種の窯址が2基検出されたのです。

    この2基の窯址では薪をくべる部分の穴の入り口がタイルと石で慎重に閉じられていました。

    そのことから、当時の土器工人らは将来的に再びこの窯群を使用する見込みで、一次的に工房を封鎖したのだと推定しています。






    3.古代ギリシアにおける窯の構造

    古代ギリシアの土器焼成窯の構造について紹介します。

    この上に挙げた模式図と模型が非常に分かり易いかなと思います!(*・ω・)ノ

    下の模型では「もぐら叩きゾーン(焼成部屋)」もしっかりと示されていますね。

    上の模式図では燃料の燃焼場所が、焼成部屋の直下になっていますが、実際にはトンネル状の箇所で燃やします。

    ちょうど模型ではトンネルの断面において薪が積まれているのが見えますね。

    今回のような焼成部屋の一部である「もぐら叩きゾーン」を特徴とする土器焼成窯址はイタリア、エジプトでもいくつかの検出例がありますので、この下で紹介します。

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    ↑イタリア、セリヌンテにおける検出例①(「italy magagine」の記事内画像より転載;英文)


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    4.おわりに

    古代ギリシア文化に属する都市は現在のイタリア、シチリア島にも広がっていましたから、現在のギリシャの外であるイタリアでも多く検出されています。

    またこの「もぐら叩き式窯」は古代ローマ、ビザンツ帝国にも引き継がれていますので非常に広い年代幅でヨーロッパを中心に見られるのです。

    いくつか写真にて類例を挙げましたが、今回ギリシャで発見された土器焼成址は焼成部屋のグリル板の保存状態が本当によく、そして大型の施設である点で重要な発見だと思いますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    また最後に挙げた粘土板に描かれた当時の土器を焼成する工人の様子も興味深いなと思います。

    こういった一般層の人々の暮らしぶりが分かる資料は貴重ですね(*・ω・)ノ

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    2019ねん 5がつ 19にち(にちよーび、晴れ)

    運動不足解消のためにランニングしてみた。

    軽い筋トレ、ストレッチもした。

    習慣になると良いが……

    ついでに腹筋も割れてくれると尚良いのだが( ・Д・)


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    今回の考古学・歴史ニュースは『アングロサクソンの王族の墓から鯨の骨を加工した精巧なボードゲームが見つかったけど、遊び方が分からんよ!』と言う内容です(*・ω・)ノ

    「ゲームの考古学」のテーマは以前も少々扱ったので紹介しておきますね。


    ↓バックナンバーです(*・ω・)ノ
    ↑2本しかこれまでにこのテーマで書いてないのねヽ(TдT)ノ



    6世紀のアングロサクソン王家の墓から出土したゲームに関する遺物は、木製のゲームボード、鯨の骨で作った2点のサイコロと57点のカウンターです。

    賭博も含めたゲームに関する副葬品はこれまでにも発見されているようですが、セットとして出土することは非常に珍しいのです。

    木製のゲームボードについては情報はありませんが、あまり状態が良くないのかも知れません。

    イギリスに旅行に行く人や、在住の方は是非、サウスエンド中央博物館に行って、写真撮影して情報を頂けると幸いです( -д-)ノ



    鯨の骨を使って製作されたもののため、サイコロとカウンターについては保存状態が良好です。

    上に挙げた写真がゲームに使用したカウンターと思われる資料です。

    全57点ありますが、装飾などは見られず外見に違いがありません。

    そのため「トークン」のような何らかの数を数えるために用いたのかも知れません。

    ゲームボードがどのようなものか不明なため詳細は分かりませんが、オセロのように用いた可能性もあります。

    このカウンターの特徴は片側だけが山なりになっている点なので、バランスは悪いですが、表裏のある駒として使用することもできるでしょう。



    サイコロは非常に精巧に作られています。

    特に数字記号の掘り込みは特殊な道具を使用して彫り込んだものと思われます。

    サイズも微細な特徴も深さも一定ですからね。

    ただしそれぞれの掘り込み点の配置は均等配置ではないため、「穴を一つ開ける専用の道具」があって、それを手作業で彫りこんでいったと推測されます。

    今回発見されたボードゲームセットがどのようなルールのものだったのかは最終的に不明なのが残念ですヽ(TдT)ノ

    しかしゲームカウンターの存在からチェスのような頭脳戦の戦争ゲームとも考えられますし、サイコロの存在から同時に以前に紹介したレースゲームのような偶然に左右されるゲームであったとも考えられます。

    あるいは一つのボードゲームセットでその両方がプレイできたかも知れませんね。




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    前回の記事で初めて「この遺物は何でしょう?」クイズを出してみました。

    今回は「ウォーリーを探せ」的な感じで出題してみました。

    こういうことが出来る記事内容は限られているでしょう。

    それでも考古学・歴史に興味をもってもらうためにもちょっとした娯楽性があってもいいのかな~と思うので新たな試みとして「考古学クイズ」をやっていこうかなと考えています。

    ……まぁそもそも「歩け、マヤ」の読者の皆様は、既に考古学・歴史が好きだと思いますけども!(・∀・)つ

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    2019ねん 5がつ 13にち(げつよーび、晴れ)

    今日もいい天気である。

    お散歩したいが、時間がなさそうだ( ・Д・)


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    今回の考古学・歴史ニュースは『イギリス、サウスエンド=オン=シーで発見されたアングロサクソン王家初期の王子の墓と副葬品が博物館・デジタルミュージアムで公開されたよ!』ってお話です(*・ω・)ノ

    発見の舞台はイギリス、エセックス州にある自治都市サウスエンド=オン=シーです。

    イギリスには「MOLA」という考古学調査・分析会社があり、日本における建設工事に伴う緊急調査を請け負ったりしている会社です。

    MOLAには多数の考古学者が在籍しており、各分野の分析専門家も配置しているそうです。

    所謂、「調査会社」というよりは「独立した研究機関」の方が近いかも知れません。

    名前も「ロンドン考古学博物館(Museum of London Archaeology; MOLA)」ですし、国立研究機関が独立法人化したのかも知れませんね。

    さて、このMOLAが依頼を受け、プリトルウェル修道院公園の端を発掘調査したところ、非常に豪華な埋葬遺構が検出されました。

    この発見は2003年になされ、2005年まで継続的な発掘調査がなされました。

    それから14年もの年月を経て全ての分析を終え、一般公開となったわけです。


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    この埋葬遺構からは様々な副葬品が出土し、当時のアングロサクソン王家の埋葬儀礼の様子が明らかとなりました。

    例えば副葬された大きな釜や杯は王族・貴族を招くパーティーの主催者としての被葬者の立場を示し、目の上に置かれた十字形の黄金製品は被葬者がクリスチャンであることを示しています。

    上に挙げた写真のように木製品などの腐敗しやすい資料も多く出土しています。

    それらの貴重なアングロサクソンの工芸品や古代の楽器について、考古学を始めとして工学、土壌科学といった様々な専門分野から成る40人以上の専門家チームによって分析・研究が行われました。

    彼らにより炭素年代測定や、土壌微細形態学による分析、CTスキャン、ラマン分光法、走査電子顕微鏡法による分析、質量・組成分析に至るまで様々な分析・研究が行われたために公開まで長い年月がかかったわけです。



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    ところで、今回の考古学・歴史ニュースは「アングロサクソン」についてのお話です。

    アングロ・サクソン(Anglo-Saxons)は、5世紀頃に現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部へと侵入してきた「アングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称」である。特にこの中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いた。
    (参考:wikipedia)

    このようにアングロサクソンはイングランドの基礎を築いた集団であり、彼らの使用した言語が現在の英語の基礎となったという歴史があります。


    イングランドは一時期デーン人(現在のデンマーク周辺に勢力を持つ集団)によって支配されていましたが、アングロ・サクソン人の支配は1066年のノルマン・コンクェストまで続きます。

    アングロサクソン人、デーン人、ノルマン人と色々出てきて複雑な印象を受けますが、どれも結局ゲルマン系民族の集団なのです( -д-)ノ



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    さて、今回は写真が盛り沢山になっていますが、これまでに写真で紹介したように本当に様々な副葬品が多量に出土しています。

    これらの副葬品は地元で造られた製品も多く含まれていますが、その品質は非常に高いものです。

    一方で下部に挙げる写真に見られる美しい青いガラス製の容器のような輸入された贅沢品の存在は初期のアングロサクソン王家の権威の強さを分かり易く示しています。

    この王家の墓に埋葬された人物の候補としては、調査の最初の段階では6~7世紀にキリスト教に改宗したことが知られている2人の東サクソン王が挙げられました。

    それはエセックス王のサベルト王(Sæberht)または彼の孫のシゲベルト2世(Sigeberht II)です。

    前者は西暦616年に亡くなり、後者は西暦653 年に殺害されています。

    いくつかの遺物の証拠が7世紀初頭の日付を示したことから、サベルト王である可能性が高いと考えられていました。

    しかしながら、その後木製遺物等の植物依存体を対象とした炭素年代測定法から、埋葬時期がサベルト王の死去時期の少なくとも11年前である西暦575年から605年であることが示されました。

    この結果、最新の研究成果として、この墓の帰属年代は6世紀後半頃であり、被葬者はサベルト王の兄弟であるサークサ(Saexa)である蓋然性が高いと推定されています。



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    さて、長くなりましたが最後に、今回の発見や研究に関する最新の情報は『MOLAのウェブサイト(英語サイト)』で公開されています。

    また王家の墓から出土した多数の豪華な出土品はイギリスのサウスエンド中央博物館に常設展示されているそうです。

    ……やっぱり黄金とか多くの人々の関心を集める出土品はいいな~って羨ましく思いますね( ・Д・)

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    2019ねん 4がつ 18にち(もくよーび、晴れ)

    最近、一週間が早い。

    片っ端から書類を書き上げないとあっという間に締切が来るヽ(TдT)ノ


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    今回の考古学・歴史ニュースは『3800年前の古代エジプトでは船もお墓に埋葬したよ!』ってお話です(*・ω・)ノ

    遺構の発見自体は1901年のことで、今から100年以上も前になります。

    しかし発見当時の調査の際に、お墓の天井が崩れてしまったために発掘調査を中断したという経緯があります。

    そして100年以上経った現在、高い技術と慎重な調査によって3800年前の船の墓が露わとなったわけです(・∀・)つ


    ↓船と言えば、こんな話題もありましたね(*・ω・)ノ
    ↑併せてどうぞ!(*^・ェ・)ノ


    発見の場所はナイル川西岸に位置する古代エジプトの聖地アビドスです。

    発見された「船の墓」は日干し煉瓦(アドベ)で造られていました。

    この日干し煉瓦製の壁を白色塗料でコーティングし、その上から刻線によって、最初に挙げた写真に見られるような船の絵を描いています。

    墓の規模は長軸20m、短軸4mと大きなものです。

    その長大な壁面に描かれた船の数は120隻以上ということで、「大船団」を描いているようです。




    発見された船の墓は古代エジプト第12王朝のセンウセレト3世(Senusret III)の王墓のすぐ隣に位置しています。


    このセンウセレト3世は中王国の最盛期のファラオであり、船の墓は紀元前1840年頃に彼のために建造のものだと推測されています。


    これまでにアドビス遺跡では5000年前に造られた14隻の木造船が発見されています。

    どれも古王国時代、第1王朝時代の葬祭殿の外側に並んだ日干し煉瓦製の遺構で見つかっていることから、今回の発見は古代エジプトの最古の王朝まで遡る伝統であると考えられます。

     

    「ギザの三大ピラミッド」で有名なピラミッドの建造はちょうどセンウセレト3世の頃までの風習で、その後は新王国時代のツタンカーメン王墓に代表されるような「王家の墓」にひっそりと隠されるように埋葬される習慣になります。 





    ピラミッドも造り、自分の墓も造り、エジプトでは貴重な木材を多量に使って建造された船を殉葬させる辺りがセンウセレト3世の中王国の最盛期のファラオとしての権威の強さを象徴しています。

    上に挙げた写真は新王国時代の王墓から出土した船の模型です。

    センウセレト3世の王墓に伴う船のお墓には船の実物が埋葬されていましたが、盗掘にあって船が残っていないようです。

    貴重な木材ですから盗掘に合うのも仕方ないのかも知れません。

    だからひっそりと隠すように王墓を造るようになったのでしょうね。

    安らかに眠っていたいですからねヽ(TдT)ノ


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    古代の船って木製だし、普通はなかなか残らない遺物の部類に入ると思っています。

    でもバイキングが船を棺にした話やら、水中考古学で発見された船の話やら、けっこう船に関係する話が世界的には見られるんだな~と最近分かってきました。

    考古学の中には比較考古学という手法(研究法あるいは分野)もあります。

    船に限った話ではありませんが、やはり色々な事例を知っておくことは調査や解釈などの際にいつか役に立つような気がしますね(*・ω・)ノ

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    2019ねん 4がつ 7にち(にちよーび、ちょい雨)

    一日あった休みを利用して、長距離ドライブした。

    目的は河砂の採取。

    この努力の成果も記事にできるといいな( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    今回の考古学・歴史ニュースは『2500年前の古代中国の墓から大量の無傷の卵が見つかったよ!』ってことです!(*・ω・)ノ

    この大発見があったのは中国の江蘇(こうそ)省です。

    日本海に面する省で上海の北に位置しています。

    この江蘇省の溧陽(リーヤン)市に所在する遺跡にて古代の墓を発掘していたところ見つかったわけですね(*・ω・)ノ

    世界各地で珍しい出土品が出る度に、いいな~うらやましいな~と思っておりますが、中国もけっこう色々残る地域なんだなって今回改めて思いました!

    というのも以前、『麺』が出土するというケースがあったからです(。・ω・)ノ゙


    ↓中国における奇跡のラーメンΣ(・ω・ノ)ノ
    ↑「ラーメンの考古学」の第1回記事、最近外食でラーメン食べてないんで更新してないですねヽ(TдT)ノ

    ↓そう言えば、日本でも変わった「モノ」が出土してましたね

    ↑「最古のビールシリーズ①~④」も奇跡的だし、人気記事!良かったら、併せてどうぞ~( -д-)ノ




    さて、遺物は基本的に残り易い物しか残らないわけですが、埋蔵環境によっては通常残らないものが奇跡的に残存するケースがあるわけです。

    今回の事例では「卵」は2500年以上前の大型の土墩墓(どとんぼ)から出土しました。

    土墩墓は中国江南地方特有の埋葬形態で、遺体を地面や石の床に置き、その上に盛り土をして土饅頭状にするものです。

    近親者が亡くなると、墓を同心円状に拡張し、一つの大家族を埋葬するそうです。

    (まぁ私は江南と聞いた時点で、PSYの「江南スタイル」しか思い浮かびませんけどね( ・Д・))

    この地域での発掘調査でこれまでに38基の埋葬遺構を検出しており、いずれも時期は西周時代から春秋時代(BCE771-221)に帰属するものです。




    問題の卵が出土したのは「子午墩」(しごとん)と呼ばれる直径約40m、高さ7.4mの大型の円形土墩墓です。

    内部には上に挙げた写真のようにたくさんの副葬品を有する墓が見つかり、この内の一つの土器からたくさんのほぼ無傷の卵が発見されました。

    卵が入っていたのは陶罐(とうかん;土器の一形態で所謂、「甕」)です。

    この陶罐は出土した際には蓋がされており、中には鳥類のものと思われる卵が詰められていました。




    無傷とは言うものの、中身の白味と黄身はほぼ分解されているそうです。

    なので殻だけで空洞なのですね。

    慎重に扱わないと割れますので、卵の具体的な数量はまだ確認を終えていないそうです。

    X線CTスキャンを用いての土器の中の卵の数量を確認する予定だということです。

    この多量の卵は少なくとも2500年を経ているという推定ですが、卵は一つが割れていただけで、残りは完全な状態を保っています。

    本当に奇跡的な発見ですね!(・∀・)つ




    卵の殻の内部には白味・黄身等の成分が僅かに残っていると考えられ、DNA鑑定などの方法を用いればこの卵が生卵の状態で副葬されたのか、何か醤油のような液体に漬けられたものなのか(味玉なのか?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!)が分かる可能性があるそうです。


    また卵の年齢も分かる可能性があるそうです。



    さて、墓に卵が入れられた理由についてですが、雛鳥は卵から生まれることから、万物の生まれ変わり、子孫の繁栄を象徴しています。

    世界的に卵は「再生や復活、生命力」の象徴として用いられています。

    (そのせいで一部の方々には「宇宙卵」と呼ばれているようです。詳しくはYoutube等でヒストリーチャンネル、「古代の宇宙人」シリーズをどうぞ( ・Д・))。

    何を副葬するか、つまりお墓に何をお供えするかは、人々の信仰や生活習俗と関係している可能性があります。

    例えば墓の主人が生前、卵が大好きだったので、死後も卵を食べられるようにしたとも考えられるわけですね。

    このような食器に食事を盛り付けて副葬したのであろうと考えられる事例も世界的に見られるのです(*・ω・)ノ

    現在でもお盆等の際にお墓へのお供え物として、故人の好きだったものを選んだりしていませんか?

    故人を想い、偲ぶ行動は、人類共通であり、かつ今も昔もさほど変わらないものなのかも知れませんね。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ……ところで、江南の土墩墓で卵が出土したのは『今回が5度目』だそうです。

    もちろん今回のような保存状態の良いものは初めてですけどね。

    きっとこの地域の人々はめちゃくちゃ卵大好きで死後でも卵食べたいのでしょう……

    うむ、個人的意見として「江南の朝食スタイル」は卵料理な気がしますね!( ・Д・)

    ↓卵、大好きなひと~?ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

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    2019ねん 2がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

    今日はよく歩いた日であった。

    珍しく元気に歩き回ったせいか靴ズレしてしまった( ・Д・)


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    今回の考古学・歴史ニュースは「曹操の墓から世界最古の白磁が出土した!」です!



    ↓曹操の墓については以前、まとめで簡単に触れていますので宜しければことらもどうぞ!(*・ω・)ノ↓
    ↑バックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ↑



    さて、曹操と言えば三国志に出てくる魏の英雄ですね。

    ひと昔前だと漫画で三国志に関する知識を得ていたような気がします。

    最近だと「三国無双」とか「恋姫無双」(美少女化してます( -д-)ノ)とか、ゲームの方から入る人が多いかも知れません。



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    「最古の白磁」というのが今回の考古学ニュースにおける目玉なわけですが、、、

    まず、最古とはいつなのでしょうか?



    曹操は2~3世紀(CE155-220)に活躍した英雄です。

    (CEはCommon Era;共通紀元です。今後この表記を使おうかなと(*・ω・)ノ)


    最古と考えられる白磁は、曹操の墓から副葬品として出土しているわけですから、220年頃に製作された磁器と考えられます。


    曹操は死後に眠りを妨げられないように、墓のダミーを多く建造させたと記録にあるそうで、そう考えると曹操の墓&ダミーの建造は生前から計画的に行われた可能性がありますね。

    となると出土した白磁の帰属時期はおよそ200~220年となるかなと思います( -д-)ノ



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    次に「白磁」ですが、これは簡単に言うと白色の磁器です。

    白色の粘土と透明の釉(ゆう)を用いているので白色になります。



    見つかった資料は磁器なので、縄文土器・弥生土器のような土器とは異なります。


    「土器」は窯を使用せずに、野焼き(簡単に言うと地面で焼きます)で作ります。

    焼成温度は比較的低く、700~900度で、釉薬(ゆうやく、うわぐすり)を使いません。



    一方で「磁器」ですが、一般的には「陶磁器」という表現で知られているかも知れません。

    窯を使って高温焼成(1100~1300度)します。

    釉薬を使いますので、器面がテカテカとガラス質の光沢を持つようになります。

    磁器は特に硬く、叩くと金属音がします。



    ということで今回見つかった「世界最古の白磁」とは、3世紀初頭に作られた白色粘土と透明な釉薬を用いて作られた磁器(白磁)であり、曹操の墓にて副葬品として見つかったものということになります。


    出土した白磁のサイズは器高13.4cm、口径8.7cmだそうです。


    肩部に四つの耳(環)をつけた「罐(かん)」と呼ばれる特徴的な形式です。


    また曹操のものと同定されるた墓の中央部の前室(棺を納めた主室の前にある部屋)から出土したことから、出土資料の時期判定の精度は高そうですね(。・ω・)ノ゙



    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    曹操の墓か……棺とか遺体とか、副葬品類とか諸々の写真が見たくなりますね!

    この先公開されて、データが集まったら紹介しますね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ↓私もダミーの墓を作ろうかな……お寺が儲かるだけ!?( ・Д・)ア"-!↓

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    2018ねん 7がつ 16にち(げつよーび)

    海の日だー

    しかし天気が悪い日が続いておる。

    来週末、海に誘われたはいいが、

    暖かいといいなぁ(。・ω・)ノ゙

    ・・・・・・・・・・・・

    2004年、中国、陝西省(せんせいしょう)で古代の陵墓が発掘され、多量の豪華な副葬品が発見されました。この陵墓は南北550メートル、東西310メートルという非常に大きなものです。

    2004年の調査では秦(紀元前8世紀~同206年)が中国を初めて統一する前の戦国時代に造った大規模遺跡であることが明らかになりました。

    これまで古代中国において、配置が整った陵墓は始皇帝陵(秦の始皇帝のお墓;兵馬俑で有名)が最も古いといわれてきました。今回の発見は秦の始皇帝より2代遡る古さであり、重要な発見とされています。

    この巨大な陵墓の北側の深さ15メートルの地点にて、東西140メートル、南北113メートルの墓道と、東西29メートル、南北28メートルの墓室を持つ十字形の大型古墳が発見されました。その内部からは秦時代の銅銭「半両銭」や装飾品などが発掘されました。

    このような2006年までの調査によって、この陵墓は秦の始皇帝の祖母に当たる夏太后(夏姫)の墓である可能性が高いという見解が発表されました。

    この古墳の傍には12基の副葬坑が発見され、中から馬車のほか金銀銅で作られた装飾品や馬具が発掘されました。

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    ↑副葬孔のひとつ、お馬さんが5頭くらいおる(。・ω・)ノ゙(「鳳凰山東」の記事内画像を転載;中国語です)

    この12基の副葬坑からは、他にツキノワグマやヒョウ、ヤマネコ、ツルといった種類の動物骨が出土しました。この中でも最も重要な発見は今回の奇妙なテナガザルの骨なのです。

    2018年の研究論文では、この小型類人猿の頭蓋骨が、現生の類人猿種とは非常に変わった特徴を有しており、夏太后がペットにしていた動物が今は絶滅してしまった新属・新種のテナガザルだったと可能性が指摘されています。。


    研究者たちはこの新種の類人猿に「ジュンズィ・インペリアリス(Junzi imperialis)」という学名を与えましたた。「Junzi」は中国語で「君子」を意味し、この頭骨が高位の人物の墓から発見されたことと、古代中国の神話ではテナガザルが君子とされる場合が多いことにちなんでいるそうです。


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    ↑新種の猿の頭蓋骨と現生のテナガザル(「立場新聞」の記事より画像を転載;中国語です)


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    ↑頭蓋骨の3D復元図(a1-2)、中国画に見られるテナガザル(b)と夏姫の肖像(c)(「Best World News」、「立場新聞」、「The Storm Media」の各記事内画像を加工して作成;Credit by theDANGOsan)


    これまで霊長類の絶滅はほとんど知られておらず、またアジアのテナガザルの化石はこれまで歯と小さな骨片のみが検出されていたとのことです。そのため今回の発見は、人類と類人猿の関係や絶滅に対する人類の影響を明らかにする上で重要な発見であるわけです。


    この頭蓋骨は古生物学に重要であるため、DNA分析という破壊分析を実施できなかったため、頭骨と歯の形や角度を調べる形態計測という手法を用いて分析を行いました。


    現生種である4種のテナガザルについて、279匹の歯789本と477個の頭骨を詳細にレーザー測定し、データベースを作成し、夏太后のテナガザルを既知の種と比較し、非常に大きな違いがあったことが明らかとなりました。


    夏太后のテナガザルの額の傾斜はより急で、眼窩上突起は小さく、その歯が非常に大きいという特徴を有しているそうです。
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    ↑確かに犬歯が非常に発達している!Σヾ( ̄0 ̄;ノ(出典は最上部の写真と同じ)

    夏太后は様々なペットを飼っていたようですね~。日本でもフェレットとカワウソとかペンギンとか変わったペットが流行ってますよね。過去にはウーパールーパーも…

    カワウソとか高いですもんね。もともと70万円くらいの値段だったのが、最近は品薄で140万円くらいになっているそうです。

    珍しい動物を飼育していることは今も昔も一種のステータスのようです。買うだけでなく、飼育にはランニングコストかかりますしね。お金持ちならではの趣味なのかも知れません。

    ……ちなみに私はフェレットが好きです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ↓ペット好きなら押しましょう、とても好きならたくさん押してもいいよ!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

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    2018ねん 5がつ 23にち(すいよーび、曇り)

    思うに、頑張って記事を「考古学」っぽく、

    本格的にな感じにすればするほど、

    みんな興味ない!( -д-)ノ

    トップ画像とインパクトあるタイトルが大事なのね!ヽ(TдT)ノ

    ・・・・・・・・・・・・
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    ↑ 3世紀の古代ローマのお墓、発掘直後の様子(Archaeology in Bulgariaの記事より画像を転載)

    今回、紹介するのはおよそ3世紀頃の古代ローマのお墓の話です。これはブルガリア南部で発見されました。しかも場所はというと、プロフディフ医科大学のキャンパス内だそうです!

    どうやらこの大学のキャンパス内にある大統領府の建設工事中に発見されて、考古学者らによって調査されたようですね。大統領府がキャンパス内にあるってどういうことなのだろう……Σ(・ω・ノ)ノ

    さて、上の発掘直後の様子の写真どうでしょう?考古学の調査の写真ってこういう感じなんですよ。スケールとして三本のポールが配置されていて、内部には方角を示す矢印が置かれています。分かりますかね?真ん中にごちゃごちゃしてるのは人骨ですよ!


    古代ローマ時代には、プロフディフには4つのネクロポリス(「死者の都」、巨大な墓地ですね)があったことが知られています。プロフディフ医科大学のキャンパスは4つの内の西側のネクロポリスの上に立地しており、今回のような考古学的発見が頻繁に起こるそうです。

    古代のネクロポリスの上にある医科大学ってだけで、肝試しには最高の舞台ですね!

    さて、上の写真は発掘の最中のものです。掘ってる人の右手側にまぁるい何かが見えますか?これがカメの甲羅なのです。今回のこのお墓、何が不思議かというと、カメの甲羅が2個体分も出てきたことなんです。

    実はこれ、ブルガリアでの最初の事例として、珍しい考古学的な発見なのです。

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    2つの甲羅の内、1つは小さくて保存状態が良くないようです。写真の物は埋葬されたヒトの頭の横に副葬されていて、大きく、保存状態も良いのです。

    では何故カメの甲羅が副葬されたかというと、調査者の仮説によれば、古代の人々がカメはエルメス(ヘルメス;ギリシア神話のオリュンポス12神の1人)の象徴であると考えたそうです。つまりカメは死者の人間とは異なり、死後の世界につながった生き物であると考えていたそうです。

    カメは死んだのではなく、死後の世界に移行しただけということで、魂の不滅の象徴として捧げられたようですね。

    この古代ローマの墓に副葬されるカメの発見はブルガリアでは最初ですが、他にトルコ南東部のディヤルバキール州にある古代アッシリアの集落の墓地に21頭のカメ類の化石が発見されたケースがあるそうです。

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    ↑ 供伴して出土した古代ローマのコイン(Archaeology in Bulgariaの記事より画像を転載)

    考古学者らは、この古代ローマ時代の墓の中に合計3人の骨を発見しました。大人2人と子供、おそらく家族だそうです。また上に挙げたような3世紀のコインが見つかりました。

    研究者たちは、墓に隣接して古代フィリポポリスの西側墓地から4つの墓地を発見したほか、大学の児童診療所の下において、大きな石積みの壁を発見しています。

    他の墓の事例からしても、ネクロポリスで見つかる墓って集団埋葬施設のようですね。今回の事例のように一つの墓に複数の人が埋葬されることが珍しくないみたいです。

    ま、ということで、今日は「世界亀の日」!カメさんに優しくある一日になりますように(。・ω・)ノ゙

    ↓押してくれるとカメさんも喜びます、きっと(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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