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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:大発見

2020ねん 11がつ 18にち(かよーび、晴れ)

あと三週間、というか今週さえ乗り切れば!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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今回の考古学・歴史ニュースはサッカラで100基以上の棺が見つかったよ~!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


「たくさん見つかるのはいいことですが、けっこう大変な側面もあるよ!」ってのを最後に簡単にお話したいと思います( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・

さて、今回の舞台はエジプト、サッカラ遺跡です。

現在のエジプトの首都カイロから、南方に30kmほどの距離にサッカラ遺跡があります。

サッカラは古代エジプトの首都であったメンフィスのネクロポリスでした。

ネクロポリスは本来「死者の都」という意味で、ここでは「墓所」いう意味で用いています。

サッカラ遺跡は首都に付随する特に大規模な埋葬地だったので、これまでにも多数の埋葬遺構が発見されています。

今回はそのサッカラ遺跡からおよそ2500年前に埋葬されたと考えられる棺が100基以上も発見されたという大発見のお話です(*・ω・)ノ


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見つかった大量の棺はいずれも木製です。


よくこれだけの保存状態の良さで残ったなと思いますねΣ(・ω・ノ)ノ


100基もの棺は深さ12mの3つの穴3からシールされた状態で出土したそうです。


上に挙げた写真もそうですが、下に挙げた写真でも棺が素敵過ぎる装飾を有しています。


このことは見つかった大量の棺が富裕層の人物を埋葬したものであることを示唆しており、恐らくは古代エジプトの末期王朝やプトレマイオス朝時代の高官のものと推定されています。




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↑この精巧さはスゴイ!これで2500年前!?( ・Д・)(「AFP BB news」の記事内画像より転載;credit: Ahmed HASAN / AFP )


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↑青いのカッコイイね!(・∀・)つ(「livedoor news」の記事内画像より転載)


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↑こんなのも出ました!(「livedoor news」の記事内画像より転載)




おわりに ー関連記事の紹介と考古学の大変さー

エジプトの関連記事は多過ぎて困るんですけど、、、

どれもけっこう面白いなと思うので全部ではありませんが、個人的にいいなって思う記事を片っ端から紹介しておきますね( -д-)ノ








まぁこの中では、短い記事ですが、最後の「ネコが好き過ぎてエジプト文明が滅んだ!?」ってのがけっこうお気に入りです(。・ω・)ノ゙

・・・・・・・・・・・・

さて、エジプトは保存状態がスゴイ良いし、何でもかんでも残っていいな~っていつも記事に書いているのですが、、、

何かさすがに出過ぎじゃないですか!?( ・Д・)

エジプト考古省も観光による外貨獲得を目指して文化遺産活用に力を入れているのは分かりますし、エジプト考古学者も世界の考古学を牽引する気持ちでガンガンやっているように伝わってきますが、、、

考古学って掘って終わりじゃないじゃない?

他の記事見てると、コロナで大変だけど新たな博物館にこれらの素敵な棺を展示するから、観光の起爆剤になって欲しいみたいなこと書いてますけども……

100基以上の棺を写真記録撮って、図面描いて、中身チェックして、保存処理かけて、分類して、これまでに出土した膨大な資料と比べて、、、

やることたくさんですよ( ・Д・)

……エジプト考古学の型式分類とかって、土器じゃなくて棺でやったとしても相当の数があるし、どんどん新しい資料見つかるしで大変だろうな~ってホントに思います。

これまでは単純に「すげー!( ・Д・)」って思ってましたけど、改めて考えてみると『出して終わりじゃない』ところが考古学の大変なところですね。

100基の棺の写真を報告書に使うにしてもどれだけ時間かかるのだろう……

まぁきっと予算も人員も莫大なのでしょうね( -д-)ノ

私も大量の墓か何か発見して一大ニュースとして取り扱われたい!!!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

出しただけで終われるなら特に良い!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 14にち(どよーび、晴れ)

急な仕事が入り過ぎて論文終わらん( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースはブリテン島の人々は盛大な焼肉祭りをやっていたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はイギリスの世界遺産、ストーンヘンジです。

古代のストーンサークルとして有名なストーンヘンジですが、この辺りは中石器時代に相当する紀元前8000年、つまり今から1万年前の柱穴が確認されており、とても古くから重要な場所であったと推測されています。

ストーンヘンジを囲む円形の土塁と堀は紀元前3100年頃、巨石が並べられたのは紀元前2000~2500年頃に造られたと考えられています。

今回の調査成果はストーンヘンジの近くに立地する古代の祭祀場と推定されている遺跡でのものです。

この遺跡では大量の動物骨が検出され、C14等の分析結果から新石器時代後期(紀元前2800年~前2400年頃)に相当すると推定されています。

ストーンヘンジを築いた人々が住んでいたと考えられているブリテン島南部のダーリントン・ウォールズや、ブリテン島最大の環状列石であるマーデンの近くでは祭祀場と思われる遺構が発見されており、それぞれ大量の動物骨が発見されているのです。

ダーリントン・ウォールズの祭祀場遺跡の発掘調査に際して、検出された8500点の骨を分析した結果、動物骨はブタとウシのものであると同定され、その割合はブタ:ウシ=10:1であることがわかりました。


これらの骨は日常の生活の中で食された後の廃棄物として堆積したわけではなく、季節性が認められており、冬の間にまとめて大量に廃棄されていることが分かっています。


このことからストーンヘンジなどのイギリスにおける環状列石群周辺では冬の間に大規模な宴が開かれ、大量の豚肉と少しの牛肉を焼いて食べていたと考えられているのですヾ(´ω`=´ω`)ノ



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↑私も調査の懇親会としていつもバーベキュー大会してますヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ(「ブライダル総合情報マガジン クラウディア」の記事内画像より転載)



こうしたブタの骨が大量に出る祭祀場遺跡が多数確認されていることから、新石器時代後期のブリテン島南部で『ブタ肉焼き放題パーティー』の習慣が広まっていたことが伺えるわけです。


ストーンヘンジに関する近年の研究では、人間や動物が住んでいた土地の情報が分かるストロンチウム同位体分析によって、パーティーに参加した人々の広がりを特定しようとしています。

これまでの研究ではストーンヘンジで検出された人骨と、ダーリントン・ウォールズから検出されたウシの骨を対象に分析が行われ、ストーンヘンジ周辺域以外のかなり遠いところからやって来たことを示唆していました。


経験的にウシは遠くから連れて来ることが比較的容易なのに対し、「長距離の移動が苦手なブタは祭祀場の近くで飼われていたはず」という先入観が研究者にはあったため、祭祀の参加者がどこから来たかを知る手がかりにはならないと考えられており、これまでにブタの骨を対象としたストロンチウム同位体分析を行おうとする研究者はいませんでした。


今回のニュースの元になっている研究では、イギリスにおける4カ所の新石器時代後期の遺跡(ダーリントン・ウォールズ、マーデン、マウント・プレザント、ウエスト・ケネット・パリセード・エンクロージャー)から出土したブタの骨131点について同位体分析を行いました。


結果、それぞれの場所で食べられたブタの大多数が、現地で育てられたものではなく、ブリテン島各地から連れてこられたものであることが明らかになったのです。


その距離は少なくとも50kmで、最大で550kmに及ぶこともあり、ウェールズやスコットランドから連れてこられたブタもいたようです。


この研究結果から、新石器時代の祭祀場にブリテン島全土から人々が集まってきた、つまりストーンヘンジなどの環状列石と周辺の祭祀場は歴史上最初の「汎ブリテン島」イベントの会場だったということになるのです(*・ω・)ノ



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↑綺麗だねぇ(・∀・)(「ニコニコニュース」の記事内画像を一部加工)



またこの研究結果は、ブタにより人間の移動を推定する手法について、研究者たちに再考を促すことになりました。


他の同位体分析結果から、近現代の牧畜産業で見られるように地域で残飯を与えられたブタをかき集めたのではなく、ブタの大群を森で餌を食べさせながら移動させたことが示唆されたのです。


つまり、ブタの群れを移動させることなどできないというのは現代に生きる私たちの間違った思い込みであり、新石器時代のブタはイノシシのように痩せていて脚が長く、徒歩で長旅をできるだけの敏捷性があったのです(*^・ェ・)ノ





おわりに

日本の貝塚研究だと、貝の成長線を観察することで季節性について考察するような研究がありますけども、このストーンヘンジ周辺の事例ではどうやってるのでしょうね。

同位体分析で生まれ育った環境を推定する研究は広く行われているので分かるのですが、、、

横着して元論文読んでないので、すみませんヽ(TдT)ノ

日本でも環状列石はありますし、比較してみると面白いかも知れませんね!

あ、今思い出した!w(゚o゚)w オオー!



こんなふざけた環状列石関連の記事書いたことありましたね。

後輩に一部事実と異なると指摘されましたが、どこが違うのか覚えてなくて修正してません(再度教えてください( -д-)ノ)。

ま、イカ飯もいいけど、


焼肉パーティーいいね!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 3にち(かよーび、くもり)

最近いつも2連休が待ち遠しい(・∀・)つ


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今回の考古学・歴史ニュースは「チュニジアでロイヤルパープルが一般人によって再現されたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


ここで述べる「一般人」とは研究者ではないって意味で使ってます。

上に挙げた写真に載っているおじさん、モハメドさんはコンサルティング会社を経営している人だそうです。

この人が、ふと思い立って、古代フェニキア人のつくっていた貴重な染料であるロイヤルパープルを作ろうとしたそうです。


古代フェニキアの最期の都市であるカルタゴはチュニジアにあったので、モハメドさんは学校で習う自国の歴史で勉強していたことを思い出したことがきっかけになったようです。

古代において紫色は、最も高貴な色であり、とても希少価値の高いものでした。

クレオパトラがカエサルのマントをこのロイヤルパープルで染めたなど、その存在は歴史書などでも知られていたわけですが、製法については残っていませんでした。

これを自力でクリアしたそうです、凄いですねヾ(´ω`=´ω`)ノ







さて、今回のお話は古代フェニキアにまつわるものです。

BCE15世紀に都市国家を形成し始め、BCE12世紀には地中海交易で大活躍したため「海の民」とも呼ばれています。


高校の世界史でも重要事項として登場しますが、フェニキア人の海上交易は盛んであったため彼らの用いたフェニキア文字は古ヘブライ文字・アラム文字・ヘブライ文字・ギリシャ文字・アラビア文字など、ヨーロッパ・西アジアの多くの言語で用いられる起源となりました。

そう、フェニキア文字は「アルファベットの起源」なのです(。・ω・)ノ゙



この海上交易で栄えたフェニキアの特産品がレバノンスギと貝紫だったのです。

その名の通り、貝紫は貝から作られる染料なのですが、パープル腺という分泌腺と分泌液を原料としているため希少性が非常に高かったのです。

巻貝100kgから取れる染料は僅か1gだそうですΣ(・ω・ノ)ノ




おわりに

フェニキアや貝紫の話となると長くなりそうなので、次回続きを書きますね( -д-)ノ

ちなみに世界的に貝紫は貴重なのですが、古代日本や古代マヤでも使われていた染料なのですヾ(´ω`=´ω`)ノ


今回のニュースは一般の人が頑張り、貝紫を得るための一つの方法が分かったという点でニュースとなりました。

実際には、貝紫の成分分析は現代科学の力を用いて完了しており、化学合成も可能なのです。

でも現代社会でよく目にする紫はロイヤルパープルではありません。

なんででしょう?




……化学合成するとコスト面の問題として経済的じゃないから。


世の中、金!( ・Д・)


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2020ねん 8がつ 9にち(にちよーび、晴れ)

私は頑張るよ~っ!たくさん応援して~っ!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「中国で東アジア最古の彫像が見つかったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


……のっけからアレですが、コレほんとかなと、なんだか怪しい匂いを感じ取っております( -д-)ノ


ま、ひとまずはご紹介をしますね!






これまでの記録を8500年も上回る大発見!?

発見があったのは中国・河南省にある霊井遺跡です。

調査責任者は中国・山東大学の李占揚です。

(これまで考古学者の実名は大部分敢えて控えてましたけど、今後はガンガンに出していきますね(*^・ェ・)ノ)

上に挙げた写真のスケール(2mm)から分かるようにこの遺物はとても小さいものです。

この彫像の大きさは、全長19.2mm、高さ12.5mm、幅5.1mmなのですΣ(・ω・ノ)ノ



この問題の遺物は土器片や動物の焼骨などの遺物と共に見つかったそうです。

そこで貴重な発見であるこの彫像を傷つけないように彫像に対しては放射性炭素年代測定法を使いませんでした。

代わりに彫像と共に出土した同様の骨の一つを放射性炭素法で調べ、鳥の彫像の年代が1万3500年前のものと推定しました。

結果、東アジア最古の彫像であり、同地域での彫像の記録を8500年も上回るものとして報告されました。






怪しい予感……*あくまで元記事の記述に基づく個人の見解です( -д-)ノ


さて、東アジアにおける彫像の歴史が一気に8500年さかのぼったわけですが、、、

まずは時期を確認しましょう。

13500年前と言いますと、日本では縄文時代の初め、縄文草創期(およそ16000~9000年前)に相当します。



せっかくなので今度記事にしますが、日本でもこの草創期に当たる時期、1万1000年前に相当する『土偶』が最古として発見されています。

日本の事例では彫像ではなく、土偶です。

時期差は多少あるものの、3点ほど見つかっています。

またこれらの土偶は住居址や縄文土器(当然、草創期の土器)と共に出土しています。

なので時期判定は土器を中心として複数の根拠に支えられています(*・ω・)ノ



何故日本の事例を紹介したかと言うと、この中国の事例は状況が大きく違うよ!と言いたかったからです( -д-)ノ






さて、この霊井遺跡ではこれまでの調査で12万年前から3000年前の青銅器時代までの11層の地層が検出されています。

この内の5番目の地層の大部分が1958年に実施された井戸の掘削作業で取り除かれ、近くにある廃棄物の集積地に捨てられていたそうです。

この集積地はその後何年も手付かずのままだったようで、研究チームが土をふるいにかけて詳細に調べたところ、土器片や焦げた動物骨と今回の遺物があったという経緯なのです。




(。´・ω・)ん?・・・・・・・





・・・・・・





・・・





1次資料じゃないじゃん!( ・Д・)

がっつりコンタミじゃん!( ・Д・)




註;コンタミネーション(英語: contamination)は、特に科学実験の場における汚染のこと。「実験汚染」「実験室汚染」「試料汚染」などの訳語があてられる場合もあるが定訳はなく、そのままコンタミネーションとして、あるいは略してコンタミと呼ばれることが多い。 (wikiより転載)


(以下「歩け、マヤ管理人」による追記)

考古学では『攪乱』のことをコンタミと呼ぶことが一般的だと思います。

今回の事例のように後世の人為的な攪乱の場合や、植物の根の広がり、倒木、動物の巣作りなど様々な原因で土がかき混ぜられてしまったり、遺物が”本来の位置”から移動してしまうことがあります。



普通、井戸掘ったら、地表面から地下水に当たるまで掘り抜くから、5番目の層だけの集積地ってあり得る???(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?



まぁこれだけで怪しいんですけど、最初に挙げた図のように成分分析やってるんですよね。

焼けた骨を彫刻して作った鳥って判断してるのに……

なら、分析かけずとも骨じゃんって思うんですけどね。



なのに、傷つけることを恐れて炭素年代測定法は直接用いずに、他の骨に適用しています。

しかも1点だけ!


そして土器片も出てるのに、土器編年的にはどうなのだろうか。

一切記述ない。

写真もない。

よくわからんくらいの小破片ということなのか……


誠に以って謎!
( ・Д・)






おわりに

まぁなんだか怪しい発見ですけど、この「5番目の層」は広く広がってるはずですから、今後通常の発掘の過程で傍証となるような発見があることに期待したいですね(*・ω・)ノ

実際、「素材である骨自体が古くとも、加工した時期が古いとは限らない」んですけどね。

写真で見た限り、整形後に焼けた感じしないですしね( -д-)ノ




……まぁ最古っていいよね。

「8500年も記録を大更新するくらい古いんだ!」って言えたらかっこいいよね。



……うん、気持ちは分かるが、、、

誠実にいこうぜっ!( ・Д・)

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2020ねん 7がつ 20にち(げつよーび、晴れ)

暑い!毎日うなぎ食べたい!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「縄文時代のクワガタって遺るらしいよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


『まだ食べれるよ!』シリーズでも、すごい残り方している遺物をこれまで紹介してきました。

(*上記タイトル以外は常用の『残る』で表記していきます( -д-)ノ)

けっこう変わったものが意外に残るものなんですよね。

本記事の最後にこれまでの『よく残ったね!( ・Д・)』な記事のリンクを貼ることにして、、、





2500年以上前のクワガタが『完形』で検出されたよ!

奇跡のクワガタが発見されたのは奈良県、御所市條(ごせしじょう)に所在する秋津遺跡です。

検出されたクワガタは縄文時代晩期(約2800~2500年前)に帰属する土層中から見つかったとのことです。





検出状況は上に挙げた図のように、弥生時代の田んぼなどの層の下から縄文時代の水の流れや木の根が見つかり、川沿いに生えた常緑樹のアカガシ(ブナ科)の根元で、クワガタは仰向けの状態で土に埋もれていたそうです。

不幸にもクワガタが木から落ち、川の増水などで一気に埋まってしまった可能性が推察されています。

クワガタの死後、腐敗する前に速攻で埋没し、その後も近くの河川の影響で程好い水分が保たれる状況にあったと考えられています。

湿地帯とか特に泥炭地とかは動植物依存体を中心として遺物の残りが非常に良いものです。

水分のおかげで真空に近い状態でパックされ続けたことで、細菌による分解を免れることがあるのです(*・ω・)ノ





近くで見ると本当に保存状態がいい!( ・Д・)

検出されたのは『オスのノコギリクワガタ』と同定されています。

私たちがこの写真をパッと見て、「あ、ノコギリクワガタだ!v( ̄∇ ̄)v」って分かるように、外見上に現生種との違いはみられません。

全長は約6.35cmで結構大きいですよね。

約2.25cmの立派な大あごを持っています。

確認できなかったのは左前あしだけで、他は大あごから爪先までほぼ完形で残っています。

顕微鏡で観察すると体毛まで残っているそうですΣ(・ω・ノ)ノ

当然のことですがこのような発見は極めて珍しく、当時の環境や昆虫学の研究にも有効な資料になると考えられています。


↓こんなところで記事のリンクを紹介(*^・ェ・)ノ




↑たくさんありました。是非『脳みそ』でも検索してみてください(*・ω・)ノ


おわりに

このクワガタは樹脂で保存処理されて収蔵されているそうです。

所蔵先は考古学では有名な奈良県立橿原考古学研究所です。

この研究所が調査担当したとは言え、よく見つけたなと思います。



私は『認識が発見を作る』を常々思っています。

『ないと思ってたら、ない』のです( -д-)ノ



弥生時代の土層の下、地表下2mとは言え、「木の根なんて周囲ごとザクっと掘り飛ばす」ことは考古学の現場では往々にしてあることだと思います。

「縄文時代の水の流れ」を認識して、同時代に帰属する木の根として遺構ないし遺物として慎重な調査を行ったからこその発見だと心底思います。




もちろんこのような形で残ったのは奇跡!

そして、

検出した技術も神がかっていると思います。


ただの運じゃない、努力が奇跡を生むんだぜっ!( ・Д・)

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2020ねん 3がつ 15にち(どよーび、晴れ)

やぁみんな!盛大に愚痴って元気になったから少し真面目に書くよ!ハハッ!ヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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今回の考古学・歴史ニュースは「カナダの考古学者が犬の散歩中にめちゃ古い遺物を発見したよ!」ってお話です(*・ω・)ノ



カムループスってどこ?


今回の発見があったのはカナダのカムループスです。

上に挙げた写真に見られるように、カナダというか世界的に絶景として有名な場所らしいです。

全然知りませんでしたが、確かに綺麗ですよね(*・ω・)ノ

(コーヒーのCMに出てきそう、知らんけど( -д-)ノ)




このカムループス、夏は最高気温が40度にもなり、最低気温は-37度を記録しているそうです。

この数値は特別暑い場所と、山頂のような特別寒いところを比較した数値ではなくて、、、

「カムループス空港」で記録した値だそうです。

とんでもない寒暖差のある地域ですねΣ(・ω・ノ)ノ

まぁでも基本的には過ごしやすいらしいですよ……


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散歩中に古い石槍を発見


カムループスの考古学者であるジョアンヌ・ハモンドは先日、愛犬と共にトンプソン川のほとりを散歩している際に、6000年~9,000年前の石槍を発見しました!Σ(・ω・ノ)ノ

彼女はこのカムループスのトムソン河北岸地域を考古学遺跡エリアとして登録・保存しようと活動しているそうです。

街の中心部から10km以内に256もの遺跡が点在しているそうで、散歩していると毎年1、2点の遺物を発見するそうです。

彼女の言う通り、未開発地域では踏査によって遺物を発見する確率は高いと思います。

しかし彼女は考古学者ですし、このエリアが大事!って主張したいこともあり、下向いて探しながら歩いてる感がありますね( -д-)ノ






さて、彼女が発見した槍先はこのカムループス地域で最も古い遺物の1つだそうですです。

彼女は、これまでの研究と炭素年代測定により、この槍先が使用された期間を推定したそうです。

この槍先はカムループス地域で独特の形態を有しており、当該地域では一般的に大きくて堅牢な形態をしているものは古い傾向があるそうです。

使用方法としては「アトラトル」、つまり「テコの原理を利用した投槍器」を使って槍の先端として投げたようです。

この地域では狩猟対象はヘラジカ、シカ、ヒツジなどの大型動物だったと推定しています。





このアトラトル、古代メキシコ、アステカでも使われていました!

というか、アトラトルってそもそもアステカの言語、ナワトル語です。

マヤでもテオティワカンとの接触後に使用されていたと考えられています。

一般的ではなかったようですけどね。

だってジャングル内だとより遠くに投げても樹にぶつかるだけやん?( ・Д・)





最後に……

このハモンドさんは、『このエリアでは簡単に遺物が拾えちゃうけど、考古学的価値(地点などの一次情報)が失われるからやめて!放っておいて!』と言ってるそうです。

ん? この記事見たら、みんな明日から下向いて散歩するやん!( ・Д・)



・・・・・・てか、型式分類で帰属時期を推定するのは良いとして、、、

表面採集なのに、どうやってカーボン・デイティング(炭素年代測定)したの???(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

ってか9000年前の遺物が地表面でぽろぽろ拾えるって、既に一次情報怪しくない!?( ・Д・)

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2020ねん 2がつ 4にち(かよーび、晴れ)

YouTuberになれるよう、色々動画撮りますね。

編集できるか不明だけどね( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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今回の考古学・歴史ニュースは古代マヤ文明の中心地、ティカル遺跡で新たな大きな発見があったよ!」ってお話です(。・ω・)ノ゙

私も昨日聞いたばかりの話なので、きっとまだ日本には伝わってないかなと思います。

ということで、本邦初公開!

ティカル遺跡で、テオティワカン様式建造物群が見つかりました!

説明なしでは全然、凄さが伝わらないので簡単に説明していきます(*^・ェ・)ノ


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↑ティカルの位置(「グーグルマップ」より一部加工)


古代マヤ文明とティカル遺跡

ティカル遺跡と言えば、古典期マヤ(CE250~1000)を代表する一大遺跡です。

古代マヤ文明を語る上で欠かせない中心的な存在です。

上の図は「ティカルの位置」と検索した時に出たグーグルマップです。

何故かティカルがたくさんあるのですが、、、

丸で囲んだ箇所が正確なティカル遺跡の位置になります。

一方で四角で囲んだ部分がマヤ文明のエリアになります。

ざっくり言えば、マヤ文明とは『マヤ諸語』を扱う人々がかつて築いた文明です。





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テオティワカン文明と「テオティワカンの影響」

一方でテオティワカン文明とは、メキシコ中央源のテオティワカンを中心とした文明です。

帰属遺跡としてはテオティワカンだけが突出して有名ですね。

上に挙げた地図で分かるように、先ほどのマヤ文明がユカタン半島に広がっていたのに対して、テオティワカンは遥か北西方向にあります。

このテオティワカン文明は正確には何語を話していたかは不明なのですが、古代メキシコ文化に属する文明です。

つまりマヤ人とは使用する言語が異なる、異言語集団の文明なのです。

地図で見て分かるようにテオティワカンとマヤ地域は非常に離れています。

例えばティカルの距離は直線距離でおよそ1000km程度離れていて非常に遠いのです。

それにも関わらず古典期前期後半(CE350~500)頃にはマヤ地域にて広くテオティワカン文明に由来する遺物・遺構がたくさん見られます。

これを『テオティワカンの影響』と呼んでいます。


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↑ティカルの5号神殿


今回の発見について

この「テオティワカンの影響」の原因はテオティワカン人によるマヤ地域の征服ではないかと碑文学研究等で言われてきました。

しかしテオティワカン人がマヤ地域に居住した明確な証拠は現在までに発見されていなかったのです。

最近の小型航空機等を使ったレーザー測量技術の発達により、森林で覆われているマヤ地域の高精度マッピングが可能になっています。

そのデータを活かして新たに発見されティカルの5号神殿の裏手の居住区を発掘したところ、テオティワカン様式の建造物、及び4つの墓を発見したそうです!

ティカルとテオティワカンの関係が今後より詳細に分かるかも知れませんね!



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↑最新の技術によるティカルのマッピング


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今でも私は地道にトータルステーションで測量調査してますけどね。

時代はどんどん移り行き、考古学もどんどん変わっていくなと感じる今日この頃です。

私の主要研究テーマに直結するのでまた進展がありましたら報告しますね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓私の調査の成功も願いたい!(*^・ェ・)ノ↓

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