さて、2004年12月26日にスマトラ沖を震源とした巨大な地震が発生しました。

↑スマトラ島におけるアチェ王国の位置(「Wikipedia」の画像より転載)
今回の考古学的発見の契機となったのは先に述べた2004年の地震と津波の発生であり、それによって損壊した文化財の保全活動でした。
海岸部にて倒壊したイスラム教の古い墓石が数多く見つかったことから、過去においても同様の津波による被害があったのではないかと推測し、海岸部における土層の堆積状況を確認するための発掘調査が行われました。
結果、600年以上前の14世紀末にも同様の強烈な津波がアチェ周辺を襲っていたことが分かりました。
つまりこれまでに確認されていなかった17世紀以前の集落の痕跡は津波によって押し流されてしまっていたのです。
古い墓石や、陶器片、古いモスクの土台といった各種の考古学的遺物の分布を記録し整理した結果、遺物群が極めて多く集中するエリアが確認できたことから、かつて10の集落がこの地域にあったと推定されました。
陶器片から分かる時期判定によってこれらの集落はいずれも11~12世紀頃に出現したことが分かりました。
そして過去の巨大な津波が周辺を襲った西暦1400年前後に海岸沿いの低地にあった9つの集落は放棄され、高台にあった1つの集落だけが存続したことが分かりました。
この高台に残る遺跡からは、中国で製造された陶器やシリア産の陶器が出土しており、一方で9つの低地の村からはこうした遠方から搬入された陶器は確認されていません。
このことから、中世の「海のシルクロード」に関する歴史文献に記されている「ラムリ」という交易の地が、この生き残った高台の集落だったのではないかと推測されているのです(。・ω・)ノ゙