2018ねん 4がつ 29にち

日本人は歴史好きが多いという。

自分たちのルーツを知ることへの関心が高いそうだ。

陳腐な表現だが、私たちはどこからきてどこへ行くのか

歳を重ねた今、昔より関心が高まった気がする。

…私個人は異世界に行きたい、もちろんチートで(。・ω・)ノ゙

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↑ナショナルジオグラフィック(日本語版)のサイト記事より転載

【目次】
1. 人類拡散の歴史は定説より、およそ3万年も古い!?
2. おわりに:どんどん古くなる考古学の性質と「出アフリカ」という表現



1.人類拡散の歴史は定説より、およそ3万年も古い?

現生人類は、現在地球上に住む人類とその親縁の種であるホモ・サピエンスを指します。現在では新人(現代型ホモ・サピエンス)だけではなく、同時に生息していたと考えられている旧人(古代型ホモ・サピエンス)のネアンデルタール人も含めます。

新人の誕生は20万年前が定説でしたが、近年の成果としてアフリカのモロッコで30万年前の新人の化石人骨が見つかっています。この新人はアフリカで誕生し、6万年前以降に世界各地へと拡散し始めたと考えられてきました。

一方で、今回の発見者であるドイツ、マックス・プランク研究所のマイケル・ペトラグリア氏は、現生人類は7万4000年前にはインドまで達していたと主張していました。

ペトラグリア氏は自説を証明すべく、アラビア半島にて調査を実施しました。現生人類がアフリカを出て拡散する際に通過する地域と考えたからです。彼の主張するインドや今回の発見地であるアラビア半島では、自説の根拠である石器の発見が多くさなれていましたが、化石人骨の発見というより直接的な物的証拠の発見には至っていませんでした。

そのような中、今回ペトラグリア氏はアラビア半島にて8万8千年前の化石人類の骨を発見したわけです。発見した骨は長さ3cmほどの指骨として同定されていますが、性別や年齢といった分析・研究は未だ行われていません。またこの骨が本当に現生人類の骨であるのかには疑問が残り、今後の調査の進展によって頭蓋骨を含むより完全な骨格の資料の発見が期待されます。

非常に近い将来、人類がアフリカを飛び出した時期が3万年程度遡りそうですね!


2.おわりに:どんどん古くなる考古学の性質と「出アフリカ」という表現
さて、考古学的発見というと、「最古」という表現が頻発します。どの考古学者も人の子なわけで、自分の研究する地域や遺跡、集団が「より古い、より優れている、他と異なり特別だ」と思いたいというか、無意識的に期待しているということがよく言われています。

考古学は物的証拠に基づきますから、何かしらのテーマの時期設定をいきなり早い段階にすると、多くの場合著しく強い批判に遭います。様々な考古学研究史においてよく見られることです。

一方で調査研究が進展してくると、新たな資料の発見によって、様々なテーマの時期設定が少しづつ古くなっていきます。この研究の進み方はある意味考古学の特徴と言えると思います。

とある集団が何かを成し遂げたのは、従来言われているよりも新しかった!よりも古かった!の方がインパクトがありますし、一般の方々にもウケがいいのかも知れません。もちろん正しい時期を提示することが大切ですが、時期や地域、対象を細分してまで「とにかく最古!」と言いたい考古学者はけっこういるものです。

なので、考古学の世界では、今後も「実は~年も前だった!?」的な発見、ニュースは期待できそうです。

ところで、最初に挙げたナショナルジオグラフィックの画像ですが、タイトルが「人類の出エジプト史」と書いてあるんですよね。

旧約聖書の出エジプトになぞらえて、人類がアフリカから出て拡散していくことを「出アフリカ」と表現することは、このテーマの研究者によく使われてきました。ウィットに富んだ表現というか、なんだかお洒落な感じがしますからね。

この「出アフリカ」はある種の専門用語(ターム)としての性格も持つようですが、宗教や観念体系も対象にする考古学としては適切なのでしょうか。この言葉でなくてはならないという強い理由を感じません。

もちろん考古学者が「出アフリカ」という表現を用いることで一種の西洋史間や宗教史観に囚われてしまうことはないでしょうし、非常にニュートラルに、用語成立時の遊び心を理解して使うでしょう。

でも一般の方はどうなのでしょうか。ナショナルジオグラフィックのタイトルは、出アフリカどころか、「出エジプト」になってしまっています。まぁアフリカから陸路で出るにはエジプトを通るでしょうが、そういう問題で筆者が「出エジプト」と表現しているわけではないと思います。

研究者は用語の扱い方に気を付けます。多くの用語の歴史は古いですし、これから変えていくのも一苦労でしょう。しかし研究と現代社会の繋がりを意識し、社会還元の一環として成果の教示・普及を考えた際に、今後は不要な誤解を招くことのない用語作りをも念頭に置いていくべきなのかも知れません。