考古学グッズ、自分も作りたいが案が出ないヽ(TдT)ノ
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「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙
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おわりに
もちろん日本でもアメリカを追随するかの如く、デジタルアーカイブ化が叫ばれてました。
しかし結局その時は流行として助成金獲っていただけでずっと継続している人とか本当に何かしらに役立てている研究者は知らないですね。
もちろん博物館展示とか単発的に終わるべきテーマの方々もいるでしょうけどね。
まぁ何はともあれ研究としてはデジタルとの付き合い方を今後も考えていく必要がある一方で、博物館などの広報をメインとした業種の方にとっては新しい技術をどんどん取り入れていって欲しいなと一考古学ファンとして期待するとことであります( -д-)ノ
↑「かそりーぬ」でいっぱいカワ(・∀・)イイ!!(「加曾利貝塚博物館」のHPより転載)
加曾利貝塚博物館の「館長の考古学日記」が面白い
最初に紹介するのは、千葉市加曾利貝塚博物館の公式HPです。
上に挙げたように、「かそりーぬ」というキャラが可愛いですし、HP中に溢れています。
当該HPには上のキャプションをクリックすればトップページに飛びますので、是非!
さて、HP上部のタグにある「調査研究」も面白いですけど、やはり一番おススメしたいのは『館長の考古学日記』です!ヾ(´ω`=´ω`)ノ
上部タブの『総合案内』を選択するとその中に「館長の考古学日記」がありますので是非ご覧ください。
↓あるいはここから(直リンク)
どうやらコロナ禍を契機に始めたわけではないようですが、2019年末に開始し、本記事を書いている5月初頭現在まで精力的に更新されているようです。
内容としては、とても分かりやすい例えで考古学研究とはいかなるものかを紹介していますよ(*・ω・)ノ
小松市埋蔵文化財センターのはにわが可愛い!
次に消化するのは石川県、小松市埋蔵文化財センターの活動です。
当館はコロナ禍と緊急事態宣言の延長を受けて5月末まで閉館することを決定したそうです。
そのため市内の遺跡や出土品、古代の歴史を紹介するホームページを開設し、外出を自粛している親子が家庭で楽しく学べる内容を発信し、考古学への関心を高めようと試みています。
また北陸を代表する弥生時代中期の遺跡・八日市地方(じかた)遺跡を題材とした絵本「白いお米とミドリの玉」を現在製作中でその内容を先行公開しています。
実際に出土した資料と解釈を基に、碧玉(へきぎょく)を加工して作った装飾品「管玉(くだたま)」が出土した同遺跡にまつわる物語を紹介する内容となっています。
序盤は絵本なので子供に読みやすく書かれていますし、一方で後半部は遺跡調査の現地説明会用資料のようになっており、大人も十分楽しめますよ!
この絵本を読んで育った子供が、少し大きくなってから読み返すと考古学の面白さに気付くかもしれませんね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
小学生向けだが縄文時代が良く分かる!
最後に、長野県塩尻市、平出博物館の活動です。
当館も新型コロナウィルスの影響で休館措置を講じています。
そうした中、「チャレンジ子供ミュージアム2020・子供ネットミュージアム」が開設されました。
内容はこのような感じです。
内容は小学生向けとなっていますし、サイトは本当に手作り感満載です。
でも、国内外の有名な大規模博物館が最新のデジタル技術でどうこうやるのも好きですけど、こうした地方博物館の地道な努力もいいなと思います。
いかにも手作りなのだけれど、休館を決めてから僅かな期間で準備したのですから凄いものだと思うのです(*・ω・)ノ
↑私も頑張ります( ・Д・)(「note 頑張れない君へ」の記事内画像より転載)
おわりに
ネット通販で有名なのアマゾン(Amazon)など約10社が入る大型物流施設「レッドウッド藤井寺ディストリビューションセンター」を建設する目的で、甲子園球場のおよそ2つ分に当たる約8万3000平方メートルの広大な敷地を緊急調査しました。
この広大な範囲には、弥生時代から室町時代にかけての集落遺跡である「津堂遺跡」が含まれています。
建設工事に伴う緊急調査は2015年5月から約5カ月間実施され、古墳時代の住居址群や、古墳時代から飛鳥時代にかけての灌漑用水路とみられる溝状遺構などが検出されました。
特に住居址として、地面に穴を掘って柱を建てた掘立柱建物が15棟以上集中して検出される成果がありました。
これらの住居址群が示す時期は、この建設地の近くに位置する「古市古墳群」の築造時期と合致するとみられ、また付近にある「津堂城山古墳」との関係性も示唆されています。
建設予定地の範囲からは多くの土器資料が発見され、遺物整理用コンテナ約230箱分になったそうです。
しかし考古学ファンらが多数訪れるなど好評だったため、ESRは予約なしでの公開を2019年12月27日まで平日午後に続けることにしたそうです。
考古学の世界でも「パブリック・アーケオロジー」なるものが提唱されて、かなりの時間が経ちますが、日本ではさほど浸透していないようにも思います。
これはパブリック・アートのような、文化財を守り伝えていくために考古学と一般市民をもっと近づけていこうとする理念に基づいた考古学の在り方です。
そうした中、今回の事例のような企業が特に地元の住民との連携を図って文化を共に守っていくという活動はとても重要に思えます。
また天下人となった家康が駿府城に戻った1607年以降、大御所政治を始めたころ、秀吉時代に築かせた天守閣とともにこれらの武家屋敷や道も埋められた可能性が高いとされています。
「其实地上本没有路,走的人多了,也便成了路」
(訳:実際、地上に道は初めからあるのではなく、多くの人が歩くから、それが路となるのだ)魯迅『故郷』より引用、一部改変(着色・太文字化のみ)
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
高村光太郎『道程』より引用、一部改変(着色・太文字化のみ)
同じく日本書紀の推古天皇下の613年に「難波より京に至る大道を置く」とあり、これが日本における道路整備に関する最初の記述です。
上に挙げた図は、7世紀後半に律令制が制定されて広域地方行政区画として定められた五畿七道の図です。
ここから日本で最初の計画的な道路網の整備が始められることとなります。
一方で室町時代は、道路や交通に対する目立つような施策はほとんど見られず、数多くの関所を設けて通行人から通行税をとる政策しか行われなかったようです。
さて、今回の記事と繋がる戦国時代には、各戦国大名にとって物資の往来、敵からの防御が死活問題であったため、軍事面の問題から領内の道路整備や峠の開削が積極的に行われました。
室町時代からの慣習で領国の境には多くの関所が設けられて通行税の徴収が行われるようになっていたましたが、織田信長や豊臣秀吉は天下統一のための支配圏拡大を行っていくにあたり交通路を重要視し、道路改修や橋梁整備を積極的に行い、国の境にあった関所を廃止しました。
公式サイトによると、来たる2020年の東京オリンピックの開会式における縄文文化発信の提案のほか、火焔型土器や縄文文様の聖火台等のデザインへの採用など、 様々な情報発信活動に取り組んでいくとのこと。
今回は当該プロジェクトの第1弾として、縄文時代中期を代表する火焔型土器の3Dデータを取得し、モデリングしています。
このデータは公式サイト上でパブリック・ドメインとして配布されており、誰でも自由に利用することが可能となっています。ちなみに高解像度データは有償ライセンスが必要だそうです( -д-)ノ
縄文文化発信サポーターズは今後、縄文文化財の3Dデータを既に所有している様々な団体に働きかけ、オープンソース化を進めていく計画だそうですよ(*・ω・)ノ