あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    文化財破壊

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    2026ねん 9がつ18にち(きんよーび、くもり)

    研究を連休だけに任せるのは良くないのだが・・・しゃーなし!( ・Д・)
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    ↑日本はすでに貧しいぜ、心もな!( ・Д・)





    今回の考古学・歴史ニュースは

    「近江富士を仰ぐ滋賀県野洲市の地面から、県内最古・最大級という弥生時代の巨大建物跡が現れ、研究者から「国史跡級」とまで評価されながら、大型商業施設の基礎と重なる柱穴の一部が失われる見通しになった――という、発見の興奮と文化財行政の苦さが同じ穴から湧き出してきた!( ・Д・)」

    ってお話です(*・ω・)ノ





    📰はじめに


    白い線で囲まれた柱穴は16基。

    それらを結ぶと、約18メートル×7メートル、床面積約126平方メートルの長方形が浮かび上がる。

    いったい誰が、何のために、これほど大きな建物を三上山の前に建てたのか。

    そして、2,000年間地中に残った建物を、ぼくたちは発見から数か月で欠けさせようとしているのか。

    今回は銅鐸の町・野洲から始まり、弥生社会の変化、巨大建築の技術、祭祀施設説、発掘と開発の制度、さらに遺跡の上へ建物を浮かせた海外事例まで、「残す価値」を誰が、どの時間軸で決めるのかを追いかける!


    ⛰️ 近江富士の前に、巨大な柱穴が並んだ

    遺跡の名は、中畑・古里遺跡。

    滋賀県野洲市妙光寺にあり、東には端正な姿から「近江富士」と呼ばれる三上山が立つ。

    発掘は2025年12月、大型商業施設の建設に先立って始まった。調査面積は約3,900平方メートルである。

    地面から現れたのは、弥生時代中期末から後期初頭、紀元前後に建てられたとみられる大型掘立柱建物だった。

    掘立柱建物とは、礎石を置かず、地面へ穴を掘って柱を立てる建築である。

    木の柱も床も腐って消えている。だが、柱を抜いた穴や土の色の違いは、建物の平面図を地中へ残していた。


    🌾 米だけでは説明できない、弥生時代の建物

    弥生時代の大型建物と聞けば、高床倉庫を思い浮かべるかもしれない。

    たしかに稲作社会では、種籾や収穫物を湿気と鼠から守る倉が重要だった。

    しかし建物が大きくなるほど、用途は貯蔵だけに限られなくなる。

    人々が集まる会議所、共同体の儀礼を行う場、首長層の権威を示す舞台など、政治と祭祀を兼ねた可能性も生まれる。

    紀元前後の近畿では、環濠集落の再編や拠点集落の盛衰が進み、地域を超える交流と競争が強まっていた。

    まだ「国」という輪郭は薄い。だが、多くの人を動員して巨大建築を造る力は、確実に育ち始めていた。


    🔔 24個の銅鐸を埋めた土地

    野洲を語るうえで欠かせないのが、大岩山の銅鐸である。

    1881年に14個、1962年に10個が見つかり、合計24個に達した。

    その中には高さ約135センチという、日本最大級の銅鐸も含まれる。

    銅鐸は、もともと音を鳴らす青銅器だったと考えられている。やがて大型化し、見るための祭器へ変わった。

    なぜまとめて埋められたのかは分からない。

    共同体の宝を隠したのか、役目を終えた神聖な器を土へ返したのか、それとも祭祀体系そのものが変わったのか。

    中畑・古里遺跡は、そうした銅鐸祭祀の濃い風景の中にある。






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    ↑現地説明会の様子、確かに大きさを感じる!( ・Д・)(「滋賀県文化財保護協会」のサイト内画像より転載)


    🏛️ 近くには、王が生まれる前の「政治センター」もある

    野洲から遠くない守山市には、国史跡・伊勢遺跡がある。

    弥生時代後期、大型建物が規則的に並び、中央の空間を囲むように配置された巨大集落だ。

    単なる村ではなく、複数地域の代表者が集まる政治・祭祀拠点だった可能性が指摘されている。

    現在は史跡公園として整備され、復元建物の床下から本物の柱穴を見られる場所もある。

    中畑・古里の大型建物は、伊勢遺跡の最盛期よりやや早い可能性がある。

    両者の直接関係は分からない。それでも、近江南部で巨大建築を核に人々を束ねる動きが、段階的に育った可能性は考えられる。


    📏 126平方メートルは「桁違い」だった

    発見された建物は、長辺約18メートル、短辺約7メートル。

    面積は約126平方メートルで、柱穴は16基確認された。

    県内の同時期の建物と比べても、規模は桁違いだという。

    重要なのは、単に広いことではない。

    太い柱をそろえ、正確な位置へ据え、上部構造を組み上げるには、専門的な知識と大量の木材、食料、人手が必要だった。

    この建物は、弥生人が持っていた組織力の痕跡でもある。


    🪵 柱穴には、巨木を滑らせた坂があった

    柱穴の一部には、中心へ向かって傾斜する掘り込みが残っていた。

    重い柱を穴の縁から滑らせ、立て起こすための作業路だったとみられる。

    完成後の建物だけでなく、建築現場の手順まで残っているわけだ。

    どこから木を切り出したのか。何人で運んだのか。縄や梃子をどう使ったのか。

    柱穴の形は、文字を残さなかった技術者たちの施工記録である。

    ひとつが失われれば、「柱があった」という情報だけでなく、柱を立てた方法まで消える可能性がある。


    🏺 巨大な壺は、建物を「聖域」に変えるのか

    柱穴の周囲からは、大型の壺形土器の破片も見つかった。

    日常の煮炊きだけでは説明しにくい大きさで、儀礼に使われた可能性が指摘されている。

    建物は三上山を望む場所にあり、大岩山の銅鐸文化圏にも近い。

    そのため、研究者は祭祀に関わる特別な空間だった可能性を考えている。

    ただし、「神殿」と確定したわけではない。

    床面も上部構造も失われ、誰が入れたのか、壺に何を入れたのかも分からない。

    現時点で確実なのは、並外れて大きな建物と、祭祀を思わせる遺物が同じ場所にあったことまでである。






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    ↑出土資料がしょぼい気もするけれども遺構は残すべきでは?( ・Д・)(「滋賀ガイド」の記事内画像より転載;credit: Yamapla Corporation)


    👥 800人が見に来た、白線だけの建物

    2026年6月6日、現地説明会が開かれた。

    地元報道によれば、訪れた人は約800人。

    復元建物も金色の宝物もない。地面に柱穴が並び、輪郭を白線で示しただけの場所へ、人々が集まった。

    これは「遺跡はお金にならないから誰も興味を持たない」という決めつけへの、小さいが重要な反証である。

    価値が伝わらないのではない。

    価値を読み解き、見える形で示す機会が、そもそも短すぎる場合が多いのだ。


    🚧 「全壊」ではない。しかし、一部は消える

    今回の計画を正確に言えば、遺跡全体が重機で消されるわけではない。

    野洲市側は、可能な部分について盛土などによる地下保存を行う方針を示している。

    一方で、商業施設の基礎と重なる部分がある。

    市の説明や議会答弁をめぐる報道では、16基の柱穴のうち一部は地下保存もされず、失われる見通しだとされた。

    いくつ失われるのかは、確認できた公表情報だけでは明確でない。

    だから「市が遺跡を全部壊す」と書くのは誤りである。

    だが、建物は16の穴が相互に位置関係を持つ一つの遺構だ。一部の破壊でも、巨大建築の設計図は不可逆的に欠ける。


    ⚖️ 「記録保存」は、保存なのか?

    日本の埋蔵文化財行政では、開発予定地で遺跡が見つかると、発掘して図面・写真・出土品を残す「記録保存」が行われる。

    これは破壊前に情報を救う重要な制度である。

    しかし名前に「保存」とあっても、遺構そのものを残す制度ではない。

    調査が終われば、土地は開発できる。未来の分析技術で土を再調査する機会や、柱穴どうしの空間関係、山を望む現地景観は戻らない。

    発掘報告書は遺跡の代用品ではない。

    それは、救えなかった現場について作る、最も精密な記憶なのである。


    🌹 ロンドンでは、オフィスの設計を変えた

    1989年、ロンドンの再開発現場から、シェイクスピアも関わったローズ座の遺構が見つかった。

    当初はオフィス建設が予定されていた。

    しかし俳優や市民、研究者による保存運動が起こり、建物の設計が変更された。

    遺構は地下に残され、法的保護を受けた。現在も保存上の課題を抱えるが、「開発計画は動かせない」という前提そのものが動いた例である。

    同じロンドンのミトラス神殿も、再開発と発掘を経て、ブルームバーグ社の本社地下に展示空間として組み込まれた。

    企業施設と考古学は、必ずしも排他的ではない。






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    ↑即お金にならないものは本当に要らないのか?( ・Д・)(「滋賀ガイド」の記事内画像より転載;credit: Yamapla Corporation)



    🏨 トルコでは、ホテルを遺跡の上に浮かせた

    トルコ南部アンタキヤでは、ホテル建設中に巨大なモザイクや古代建築が現れた。

    事業者は当初計画を変更し、遺構を避けて柱を配置した鉄骨構造を採用した。

    ホテルは遺跡の上に浮かぶように建てられ、その下は考古学博物館になった。

    もちろん、費用も時間も大きく膨らんだ。すべての開発へそのまま適用できる解決策ではない。

    それでも重要なのは、遺跡を「工事を止める損失」ではなく、施設の独自価値へ変換した点だ。

    保存は支出であると同時に、設計と物語を生む投資にもなりうる。


    💴 なぜ文化財だけが、すぐ採算を問われるのか

    商業施設は雇用、税収、買い物の利便性を数字で示せる。

    一方、遺跡が生む教育、地域の記憶、研究、景観、将来の観光可能性は、短期の収支表へ載せにくい。

    その結果、文化財は「利益を生まない障害」として扱われやすい。

    けれど道路、公園、図書館も、すべてが入場料で黒字になるから造るわけではない。

    社会が長期に共有する基盤だから維持するのである。

    文化財だけに即時の収益を求めるなら、まだ有名でない遺跡は、有名になる前に消えてしまう。


    🇯🇵 日本に保存技術がないわけではない

    これは「海外は立派で、日本は遅れている」という単純な話でもない。

    近くの伊勢遺跡は保存され、史跡公園として開かれた。青森の三内丸山遺跡では、大型掘立柱建物跡を現地で理解できる整備が行われている。

    日本にも、遺跡を残し、建築や展示へ組み込む技術と実績がある。

    不足しがちなのは、重要遺構が出たときに計画を見直す時間、土地取得の予算、事業者と設計変更を交渉する仕組み、そして「残す選択肢」を最初から本気で比較する姿勢だろう。

    公有地化を検討しなかったと報じられた今回の対応は、その弱さを映している。


    🧩 柱穴ひとつは、建物の一部ではない

    柱穴を一つ壊しても、残りがあれば十分ではないか。

    そう思えるかもしれない。

    しかし考古学では、物そのものと同じくらい、位置関係が重要である。

    柱の間隔は屋根の構造を示す。穴の深さは荷重を示す。土層の切り合いは、建て替えの順序を示す。

    一つの穴は、孤立した「点」ではない。

    建物全体を読解する文章の一文字であり、失われた一文字は、後から推測できても原文には戻せない。


    🌱 まだ無名だからこそ、残す時間が必要だ

    中畑・古里遺跡が本当に祭祀施設だったのか。

    大岩山の銅鐸と関係したのか。伊勢遺跡へ続く政治的統合の前段階だったのか。

    答えはまだ出ていない。

    しかし、分からないことは価値がないことではない。

    分からないからこそ、未来の研究へ現場を手渡す意味がある。

    すべての遺跡を保存することはできない。生活も開発も必要であり、土地所有者や自治体だけへ無限の負担を背負わせることもできない。

    だからこそ、国史跡級と評価される例外的な遺構では、取得、設計変更、地下保存、公開活用を同じテーブルで比較した記録が必要になる。

    「お金にならないから残せない」ではなく、「残した価値をどう社会へ返すか」を先に考えるためだ。

    なにはともあれ……。

    2,000年前の人々は、太い柱を滑らせる坂まで掘り、大勢で巨大な建物を立ち上げた。

    現代のぼくたちには、当時より強い機械も、精密な設計技術も、海外と国内の保存事例もある。

    それでも遺跡を残せないのだとしたら、足りないのは技術ではない。

    まだ名前も分からない弥生人の仕事を、未来へ渡す公共財として数える想像力なのかもしれない!( ・Д・)





    なにはともあれ……

    日本は何でもお金お金だよね、税金たくさん取るのにお金ないって言うよね!( ・Д・)








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    2025ねん 10がつ 10にち(きんよーび、晴れ)

    丸一日心死んでてまたブログ借金負ったぜ!( -д-)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは「またエジプトかよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    あるけまや風に言えば、これはただの考古学ニュースじゃない。


    砂埃に埋もれた古い石面に刻まれた時間の断片が、ある朝「ない」と告げられた――それだけでドラマだ。世の中には映画以上にドラマチックな現場がある。


    しかも舞台はエジプト、サッカラ。石でできた「カレンダー」が切り取られ、掠め取られたという話は、歴史ファンの心を鷲掴みにする。


    この記事では現地報道を読み込んで、事件の「何が」「どこで」「どうやって」「なぜ」を、あるけまや流の語り口でじっくり掘ります。読み終わる頃にはあなたも、風に舞う砂の匂いを想像しているはず。






    🏺 事件の全体像:何が起きたのか?

    サッカラのマスタバ(墳墓)に嵌め込まれていた『石製の壁画(小さなレリーフ)』が見つからなくなりました。政府関係者によれば、対象は古代エジプトの季節を示すカレンダー図像で、幅はおよそ16×24cmほど。現場を管理していた英国の発掘チームが「5月に確認したら消えていた」と報告し、検察による捜査が行われていると伝えられています。






    🗝️ 🕯 発見場所の背景:なぜこの墓が“特別”なのか?

    壁画が消えたのは、「Khentika(ケンティカ)」とされる古いマスタバ。このマスタバは1950年代に知られるようになり、近年は公開されず一部は保存・保管用途で使われていたといいます。


    重要なのは、このタイプの墓の一部が外敵に警告するような文言(いわゆる“呪い”)を持っていること。


    専門家の報告によれば、この墳墓外壁には侵入者へ神罰を示唆する文句が刻まれている珍しい例だとされています。遺跡の「呪い」が本当に働いたのか、それとも人間の欲望が勝ったのか――物語はここから加速します。




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    ↑レリーフの例!( ・Д・)(「CBS NEWS」の記事内画像より転載)



    🖼️ 🔍 壁画の中身と物理的状況:何が奪われたのか?

    消えたのは単なる模様ではなく、農耕周期=アクヘト(氾濫)、ペレト(耕作)、シェム(収穫)を描いた“暦”の一部。


    文化的にも非常に示唆に富む主題で、考古学的価値が高い作品です。報道のいくつかは、壁画が電動工具で切り取られた痕跡を示唆しているとも伝えており、これは計画的で専門的な犯行である可能性を示しています。もし工具で切り出されたなら、犯行は「素人の盗み」ではなく、古物の価値を知る者によるものかもしれません。




    🧭 🕵️ 誰が関わるのか?捜査と疑問点

    発見を受け、エジプト当局は検察への付託と関係者の聴取を進めています。報道では、遺跡が長年閉鎖されていたこと、内部保存の管理体制や流通ルートの脆弱さが改めて問題視されていると指摘されています。


    また、直近では別件でエジプト考古博物館の古代金製品が窃盗され、その後転売・破壊された事件も報じられており(文化財の流通経路の危うさを露呈)、今回の失踪も同じような“内側からの流出”やブラックマーケットの関与が疑われます。捜査当局は現場の目録化、周辺の聞き取り、流通先追跡を急いでいる模様です。






    ⚖️ 🧾 文化財保護の教訓:なぜここで私たちは怒るべきか

    古代の一片が消えるということは、単に“物”が失われるだけではありません。そこに込められた文脈、技術、循環の知恵、数千年の記憶の一部が引き裂かれるのです。


    しかもその代償は、しばしば市場で換算すると数千ドルに過ぎない、という皮肉。盗掘・違法流通により学術研究や未来の公共利用が阻害される。


    観光立国であるエジプトにとっても、国際的な信頼は損なわれる。今回の事件は、保存管理と監視、流通監視の重要性を生々しく突き付けています。






    🔮 🧩 想像と妄想

    ここはあるけまや風の余談タイム。もし本当に“呪い”が刻まれている墓なら、奪った者が次にどうなるかなんてことをメディアは好む。だが現実はもっと地に足がついている——盗掘者は呪いよりも生活費や金の魅力に動き、専門家は呪いよりも盗掘の技術と流通経路を追う。伝説は伝説として保存しつつ、手は冷静に動かす。歴史を守るのはロマンだけじゃない、仕事と制度なのです。



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    おわりに

    グアテマラも盗掘多いけどね。

    まぁどこもお金なけりゃやるよね。

    だって簡単だもの、比較的。



    問題はそうそう売れない、売るルートがないから闇市で買い叩かれてさしたお金にならないんだけれども、、、

    でもやるんだよね。

    そのわずかなお金が必要だからさ。



    捕まるまで時間かかるケースも多いからね、

    グアテマラなんて、とある考古学者が墓から副葬品として出た翡翠製品を盗んだと噂されるくらいだからね!( ・Д・)

    まぁどこの国も少しずつ発展して建設やらなんやらで発掘調査の数は増えていくのだから、今まさに貧困という社会問題と文化財保護の問題が全ての国にとって重要な問題となっていると思う。

    文化財保護に関して何もしなかった、したが出遅れた、その結果は後世においてしっかりと後ろ指を指されることになるだろうね。

    「あの国だけ、文化財・データが少ないのでなんで~?」ってなることでしょう!(*^・ェ・)ノ





    何はともあれ、

    やぱ古代の呪いいいな!?( ・Д・)



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    2025ねん 10がつ 8にち(すいよーび、晴れ)

    なんかのんびり働いてても何とかなる気がしてきた!(・∀・)つ

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    今回の考古学・歴史ニュースは「考古学・博物館関係者まで手を出すならもう終わってるね!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



    遥か3000年の時を経て、ひとつの腕輪が「歴史の塵」へと消えた。カイロ国立博物館――その修復室から静かに姿を消した、ファラオ・アメネモペの金製腕輪。ラピスラズリの珠をあしらったその神器は、関係者の手を経て売られ、最終的には金属として溶かされたという。


    これは、単なる窃盗事件ではない。文化遺産の価値、国家の記憶、博物館の安全・倫理、そして「記録されなかった物語」の抹消。今回の事件は、考古学ファンのみならず、世界中の「文化財を守る者たち」の胸を鋭くえぐるものとなった。


    この記事では、報道をもとに、何が起きたのか、なぜこれほど波紋を呼んだのか、そしてこの事件が私たちに突きつける問いを、「あるけまや」風にじっくり描いてみたい。






    🏺 事件の概要:腕輪の奪取から「消失」まで

    2025年9月9日、カイロ国立博物館の修復(保存)室から、約3000年前の 金製腕輪 が盗まれたとエジプト当局が発表した。


    この腕輪は古代エジプト第21王朝のファラオ、アメネモペ(Amenemope) に由来するとされており、本来はラピスラズリの珠を持つ装飾品だった。


    調査の結果、盗まれた腕輪はまず博物館の修復専門員が抜き取り、それを銀細工師(シルバージュエラー)に渡した。その後、金細工師(ゴールドワークショップ)が購入、さらに金属工場に売却し、他の金製品とともに溶かされたという。


    エジプト当局は4名を逮捕し、関係者は自白。一方で、腕輪そのものは復元不可能な状態になってしまったとの報告がなされている。


    事件発覚当初は、国際展示の準備中に発覚したこともあり、事実を伏せたまま捜査が進められていた。腕輪の写真は国内外の文化財管理部門や国境検査所に配布され、不正輸出への警戒が呼びかけられた。




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    ↑これ、永遠に失われた人類遺産、かなしみ!( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載;credit: Egyptian Ministry of Tourism and Antiquities)



    ⚖ 失われた価値と文化的衝撃

    この腕輪が持つ文化的価値は、単なる金属の材質以上に重い。なぜなら:

    • 時代と出自の希少性:アメネモペ王の王墓は、エジプト考古学において稀有な「完全保存墓」の一つとされるものであり、王の装身具の発見は世界的な意義を伴う。


    • 不可逆的損失:溶かされたことで、元の形状・装飾・刻印などの情報は飛散・再利用され、復元はほぼ不可能。記録として残されていた写真や図版だけが、わずかな手がかりになる。


    • 象徴性の抹消:王権・信仰・象徴としてのオブジェクトという立ち位置を奪われたことは、過去と今のつながりを断ち切る行為とも見える。


    • 博物館運営・保安への不信:この事件は、国家が誇る文化遺産を、内部者の手で破壊されたというショックを呼び、博物館の保管体制・監視制度の不備が社会的な議論の焦点となった。

    エジプトは古代遺産を国家アイデンティティの一角として守り続けてきたが、この事件はその信念に冷水を浴びせる出来事となった。






    🔍 捜査の歩みと公表のタイミング

    事後の調査とメディア対応は、波紋を広げた。以下は主な流れである。

    1. 内部者関与の発覚
       博物館修復専門員が関与していたこと、腕輪が安全保管区域から抜き取られたことが明らかになった。

    2. 流通ルートの辿行
       銀細工師 → 金細工師 → 金属溶解業者と、段階的に売買が行われた。最終的には他の金製品と混ぜて溶解されたと報じられている。

    3. 公表の遅れと警戒措置
       当局は発見をすぐには公表せず、捜査権・流出防止措置を整えてから国内外への警報を発したとされる。各国境検査所・空港・港湾などに腕輪の写真が配布された。

    4. 逮捕と自白、資金差し押さえ
       4名が逮捕され、関係金額は数千ドル相当とされる金額で売買が確認された。自白によって流れの一部は明らかになったが、腕輪そのものは消滅している。

    この一連の流れは、単なる犯罪捜査以上に、文化財管理の在り方を問う政治的・倫理的事件へと発展している。






    🤔 問われる問い:どこに落ちた責任と教訓

    この事件は、以下のような問いと教訓を社会に突きつけている。

    • 博物館の信頼性と内部統制
       古代遺物を抱える機関において、内部者のアクセス管理、不正防止、監視システムの設計が根本から問われている。

    • 文化財貸出と展示政策
       今回の腕輪は、国際展示へ向けた修復準備中に盗難が起きた。文化財を国外へ貸し出す際のリスク管理が、さらに厳格に議論されるべきだろう。

    • 法律・刑罰と抑止力
       文化財犯罪には刑事罰・没収・国際協力が不可欠だが、今回の事件がどのような判決・処罰につながるかが注目される。

    • 記録とデジタル保存強化
       オブジェクトそのものが消えるリスクを前に、写真・3Dスキャン・素材分析データなどの記録強化が、いま以上に重要となる。

    • 国際協力と返還ルートの確保
       万が一腕輪が国外流出していれば、国際捜査、文化財返還協定、登録制度などが動員される必要がある。





    おわりに

    今回のはなまらショッキングですね。

    上に挙げたファラオ、アメネモペの持ち物だったようですが、マスクの顔さえなんかもの悲しげな気がするよ( ・Д・)



    今回の売却額って60万円くらいと考えられていて、関わった人物で割ると大した額にはならんのだけれど、それくらいに貧困が蔓延してるんだなって感じです。

    エジプトなんて観光による外貨獲得量は多いのに、どこに消えてるのだろうか。

    日本と同じように懐かもね~( ・Д・)



    ところで、なんか日本でも長崎県知事だったけか、地元の反対無視して遺跡破壊して報道されてたけど、利権やらなんやらでそうやって間接的に破壊して、罪にも問われない方が大問題かもね。

    きっと日本中で無許可の遺跡破壊を伴う土地の売買と建設は起きてるんだろうね。

    議員のキックバックはいくらか知らないけれど、下の人間がやったら捕まって、上の人間がやったら世間が忘れるまで逃げ続けるだけってのはどうなんだろうね!って問題提起にも繋がるような今回の事件でした!




    何はともあれ、

    やぱ金は人を狂わすぜ!( ・Д・)



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