
発見された石碑・マヤ文字(?)に関して
「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙
国内最古級となる弥生時代後期(1~2世紀ごろ)のすずりが福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で見つかり、市教育委員会が1日、発表した。この遺跡は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都とされ、邪馬台国時代の倭(わ)国(日本)が文字を用いて外交した裏づけとなる。
出土したすずりは石製で、長さ6・0センチ、幅4・3センチ、厚さ6ミリの破片。薄く裏面の粗い加工など中国・漢代の板石すずりと特徴が一致し、復元すると長さ10~17センチのほぼ長方形とみられる。弥生土器や朝鮮半島製の楽浪(らくろう)系土器が集積した「土器だまり」で見つかった。弥生時代のすずりは田和山遺跡(松江市)に続き国内2例目。
中国や朝鮮半島に近いこの一帯は日本列島と海外をつなぐ外交窓口だった。倭人伝は、伊都国には女王卑弥呼が派遣したともいわれる役人や海外からの使いがおり、文書類も点検したと記す。市教委は、すずりは倭人伝の記述を裏づけ贈答品の返礼書作成など外交文書のやりとりが行われていた、とみる。
西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「文字文化や外交文書行政の始まりを知る資料だ。先進文化は外交拠点のここに入り、国内に広がったのではないか。すずりの時期は(紀元前の)弥生中期にさかのぼる可能性もある」と話す。
それがこれです↓ (*・ω・)ノ
国内最古級となる弥生時代後期(1~2世紀ごろ)のすずりが福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で見つかり、市教育委員会が1日、発表した。この遺跡は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都とされ、邪馬台国時代の倭(わ)国(日本)が文字を用いて外交した裏づけとなる。
出土したすずりは石製で、長さ6・0センチ、幅4・3センチ、厚さ6ミリの破片。薄く裏面の粗い加工など中国・漢代の板石すずりと特徴が一致し、復元すると長さ10~17センチのほぼ長方形とみられる。弥生土器や朝鮮半島製の楽浪(らくろう)系土器が集積した「土器だまり」で見つかった。弥生時代のすずりは田和山遺跡(松江市)に続き国内2例目。
中国や朝鮮半島に近いこの一帯は日本列島と海外をつなぐ外交窓口だった。倭人伝は、伊都国には女王卑弥呼が派遣したともいわれる役人や海外からの使いがおり、文書類も点検したと記す。市教委は、すずりは倭人伝の記述を裏づけ贈答品の返礼書作成など外交文書のやりとりが行われていた、とみる。
西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「文字文化や外交文書行政の始まりを知る資料だ。先進文化は外交拠点のここに入り、国内に広がったのではないか。すずりの時期は(紀元前の)弥生中期にさかのぼる可能性もある」と話す。
国内最古級となる弥生時代後期(1~2世紀ごろ)のすずりが福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で見つかり、市教育委員会が1日、発表した。この遺跡は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都とされ、邪馬台国時代の倭(わ)国(日本)が文字を用いて外交した裏づけとなる。
出土したすずりは石製で、長さ6・0センチ、幅4・3センチ、厚さ6ミリの破片。薄く裏面の粗い加工など中国・漢代の板石すずりと特徴が一致し、復元すると長さ10~17センチのほぼ長方形とみられる。弥生土器や朝鮮半島製の楽浪(らくろう)系土器が集積した「土器だまり」で見つかった。弥生時代のすずりは田和山遺跡(松江市)に続き国内2例目。
中国や朝鮮半島に近いこの一帯は日本列島と海外をつなぐ外交窓口だった。倭人伝は、伊都国には女王卑弥呼が派遣したともいわれる役人や海外からの使いがおり、文書類も点検したと記す。市教委は、すずりは倭人伝の記述を裏づけ贈答品の返礼書作成など外交文書のやりとりが行われていた、とみる。
西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「文字文化や外交文書行政の始まりを知る資料だ。先進文化は外交拠点のここに入り、国内に広がったのではないか。すずりの時期は(紀元前の)弥生中期にさかのぼる可能性もある」と話す。
松江市の田和山遺跡で出土した弥生時代中期後半(紀元前後)の石製品にある文様について、福岡県の研究者グループが、文字(漢字)の可能性が高いとの研究成果を明らかにした。石製品は国産のすずりと判断しており、国内で書かれた文字ならば従来の確認例を200~300年さかのぼって最古となる。一方で、偶然の着色など慎重な意見があり、文字使用の起源を巡って議論を呼びそうだ。
福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄・文化財主事、柳田康雄・国学院大客員教授らのグループ。岐阜県大垣市で1日にあった学会で久住氏が発表した。
田和山遺跡は弥生時代の環濠(かんごう)遺跡。石製品は約8センチ四方の板状で、出土時は砥石(といし)とされていた。研究者グループは材質や形状を調べ、現地で採れる石製で、擦った痕跡があるくぼみなどから国産のすずりと判断した。
さらに裏の中央部に黒っぽい文様が上下二つあり、岡村秀典(中国考古学)、宮宅潔(中国古代史)両京都大教授らに画像の分析を依頼。中国・漢の時代の木簡に記された隷書に形が類似しており、上は「子」、下は「戊」などを墨書きした可能性があるとの結論を出した。
これまで国内の文字確認例は、三雲・井原遺跡(福岡県糸島市)の土器に刻まれた「竟(鏡)」、貝蔵(かいぞう)遺跡(三重県松阪市)の土器に墨書きされた「田」などがあるが、いずれも2~3世紀だった。
九州から近畿にかけて近年、弥生時代のすずりとみられる遺物が相次いで見つかり、古墳時代より数百年早い時代に中国・朝鮮半島との交易を背景に北部九州から文字文化が流入した説が出ていた。久住氏は「国産すずりならば国内で書かれた最古の文字。倭人(わじん)(当時の日本人)ではなく渡来系の人々が書いた可能性もある」としている。
一方、松江市埋蔵文化財調査室は研究者グループの結論を受け、石製品を赤外線で撮影するなどして調査。同室は「赤外線ではっきり写らず、墨書ではなく汚れの可能性もある。今後の研究に期待したい」と慎重な見方をしている。【大森顕浩】
岡村秀典・京都大教授の話 実物を見ていないが、画像で見る限り隷書の2文字に見える。石製品の中央付近に書いており、人名の可能性がある。国産の石製品なら倭人の名前で、物の私有意識が芽生えていたことになり、日本史の大問題となる。
松江市の田和山遺跡で出土した弥生時代中期後半(紀元前後)の石製品にある文様について、福岡県の研究者グループが、文字(漢字)の可能性が高いとの研究成果を明らかにした。石製品は国産のすずりと判断しており、国内で書かれた文字ならば従来の確認例を200~300年さかのぼって最古となる。一方で、偶然の着色など慎重な意見があり、文字使用の起源を巡って議論を呼びそうだ。
福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄・文化財主事、柳田康雄・国学院大客員教授らのグループ。岐阜県大垣市で1日にあった学会で久住氏が発表した。
田和山遺跡は弥生時代の環濠(かんごう)遺跡。石製品は約8センチ四方の板状で、出土時は砥石(といし)とされていた。研究者グループは材質や形状を調べ、現地で採れる石製で、擦った痕跡があるくぼみなどから国産のすずりと判断した。
さらに裏の中央部に黒っぽい文様が上下二つあり、岡村秀典(中国考古学)、宮宅潔(中国古代史)両京都大教授らに画像の分析を依頼。中国・漢の時代の木簡に記された隷書に形が類似しており、上は「子」、下は「戊」などを墨書きした可能性があるとの結論を出した。
これまで国内の文字確認例は、三雲・井原遺跡(福岡県糸島市)の土器に刻まれた「竟(鏡)」、貝蔵(かいぞう)遺跡(三重県松阪市)の土器に墨書きされた「田」などがあるが、いずれも2~3世紀だった。
九州から近畿にかけて近年、弥生時代のすずりとみられる遺物が相次いで見つかり、古墳時代より数百年早い時代に中国・朝鮮半島との交易を背景に北部九州から文字文化が流入した説が出ていた。久住氏は「国産すずりならば国内で書かれた最古の文字。倭人(わじん)(当時の日本人)ではなく渡来系の人々が書いた可能性もある」としている。
一方、松江市埋蔵文化財調査室は研究者グループの結論を受け、石製品を赤外線で撮影するなどして調査。同室は「赤外線ではっきり写らず、墨書ではなく汚れの可能性もある。今後の研究に期待したい」と慎重な見方をしている。【大森顕浩】
岡村秀典・京都大教授の話 実物を見ていないが、画像で見る限り隷書の2文字に見える。石製品の中央付近に書いており、人名の可能性がある。国産の石製品なら倭人の名前で、物の私有意識が芽生えていたことになり、日本史の大問題となる。