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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:新発見

2020ねん 3がつ 1にち(どよーび、曇り)

同僚の緊急な用事で今日は休み。

久々にたくさん寝た v( ̄∇ ̄)v


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今回の考古学・歴史ニュースは「ユカタン半島北部、プラヤ・デル・カルメンの洞窟で古典期後期マヤのミニ神殿&祭壇が見つかったよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

まだ発見されたてホヤホヤ過ぎて詳しい情報はないのですが、写真等を紹介しますね!

まずは美しい写真から!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

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ということで、今回の発見の舞台はメキシコ合衆国、キンタナロー州です。

近くにはプラヤ・デル・カルメン(Playa del Carmen;カルメンの海岸)という一大リゾート地があります。

メキシコ北部ユカタン半島の先は、青く美しきカリブ海に臨む観光地として有名ですが、日本ではカンクンが最も有名だと思います。

新婚旅行でも使われるリゾート地です。

カンクンに次いで素敵なのがプラヤ・デル・カルメンです。

カンクンに負けじと高級ホテルが立ち並んでいますが、私がかつて旅行したイメージではカンクンよりも落ち着いてるというか、人がほど良く少なくてゆったりとした印象です。

そしてカンクンよりも安い!

これ大事ですね(*^・ェ・)ノ

結婚したら、新婚旅行としてティカル遺跡とチチェン・イツァ遺跡、そしてカンクンかプラヤ・デル・カルメンに行きたい!

(しかし、予定はない!( ・Д・))




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一番最初に挙げた写真が洞窟入り口ですが、凄く小さくて狭い印象ですよね。

この新たに発見された洞窟はカルスト洞窟です。

南部高地を除けば、ユカタン半島全体がほとんど石灰岩地帯ですからもともとカルスト地形で一杯です。

特にプラヤ・デル・カルメンが位置するようなユカタン半島北端部は石灰岩盤が陥没してできる「聖なる泉(セノーテ)」がたくさん見られます。

この新たな洞窟の内部はさほど広くないようですが、上に挙げた1枚目のように1m程度のミニ神殿が発見されました。

山や洞窟、地下世界、地下水はいずれも古代マヤ人にとって神聖な重要なものです。

重要な洞窟の内部で特に山のように盛り上がっている部分に神殿を設置したようですね。

古代マヤ人が儀礼の場として使ったであろう洞窟や地下水路の探検は現在非常に活発に行われています。

多くの場合、儀礼に使用した土器や遺体が見つかる程度なのですが、しっかりとした神殿や祭壇の発見は快挙と言えるでしょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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こちらは同じユカタン半島北部の洞窟で最近見つかった祭壇です。

残念ながら場所などの情報公開はされていませんが、非常に興味深い発見です。

これらのミニ神殿や祭壇はいずれも後古典期(CE1000-1500)に属するものと推定されています。

今後の調査で周囲から遺物が発見されればより詳しく時期や儀礼の内容について分かりそうですね!(*・ω・)ノ

またメキシコは文化遺産の保護と活用に非常に力を入れている国です。

考古学者にとっては天国みたいなところですね!

なのでこれらの洞窟もしっかりとした調査・保存修復が成された後に、観光地として整備される予定なのだそうです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



・・・

・・・・・・ところで、祭壇正面に顔みたいな突起がありますよね( -д-)ノ


私が個人的に『隠れミッキー』と呼んでいる三つの円で構成された文様がマヤ美術にあります。

昔の報告書では愛称として「スカルマーク」とか呼ばれる場合もありました。

この場合は、階段状の部位の左側に「隠れミッキー」が位置していて、対になる右側にはないので、装飾ではないかも知れません。

偶然顔みたいに見えるだけ?ヽ(TдT)ノ

私が通常「隠れミッキー」と呼んでいるものは古典期の石彫美術様式のことなので、これは時期・地域的な問題で変化しているのか、はたまたそもそも違うものなのか、写真写りの問題なのか・・・・・・

気になりますね!( ・Д・)

↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、とりあえず目指せ100人!現在17人!↓
↓また1名増えたよ!ありがたい!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2019ねん 12がつ 31にち(かよーび、晴れ)

もう年末ですね。

仕事溜まってるや……皆さん、良いお年を!

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↑ジャングル?の中に埋もれた宮殿建築(「」のTwitter内画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは「メキシコ、クルバ遺跡で1000年前の宮殿が発見されたよってニュースになってるけど、何か変でない?」ってお話です(。・ω・)ノ゙


「年末だから、ニュースが欲しい!」って感覚、報道関係者にはあるのでしょうか。

あるいはどこぞの国の政治的問題から目を背けるためにわざわざ引っ張ってきたのでしょうか……


私が思うに、これ、新発見じゃない気がしますよ。Σ(・ω・ノ)ノ


他サイトさんの記事(新聞社関係+個人ニュース)は大体コピペで、発見したってことしか書いてませんので、その文章を批判的に利用しつつ、何故、そう言えるのかについて説明してきましょう。


1000年前というキーワードの乱用

まぁほぼ全ての他サイトさんの記事において、

1000年前の宮殿を発見!

とか

1000年前まで使用(居住)されていたとみられる!

とか書いてますけど、

所謂、古代マヤ文明の「最盛期」である古典期マヤの期間は西暦250~1000年です。

現在2019年ですから、大規模な神殿や宮殿が1000年前のものであることや、1000年前まで使用・居住されていたことは特別ニュースにするような不思議なことではないのです。

ちなみに500年前まで居住されていたのならば、西暦1500年頃に放棄されたことになるので、あ~後古典期(CE1000~1500年)の遺跡なんだなと分かる具合です。

なので、今回新たに見つかった(?)遺跡は古典期に属する建造物だということが分かります。




クルバ遺跡の周辺環境

今回の新たな宮殿はカンクンの側で見つかったそうです。

上に挙げた写真のように、メキシコのユカタン半島北端にあるカンクンは、カリブ海に臨む一大リゾート地として日本でも有名です。

だからカンクンの名前を使っているのかも知れません。

実際に発見の地はカンクンから西へ100kmほど移動した地点ですので、まぁ近いと言えば近いかなって感じですね。

さて、カンクンにしてもクルバ遺跡にしてもユカタン半島の北部に位置しています。

地理的地域区分として「マヤ北部低地」に分類され、河川がなく、その代わりにセノーテ(石灰岩層が陥没してできた穴、地下水を利用できる)があり、植生として低木林であることが特徴です。

このセノーテに関しては恐竜絶滅の要因となった隕石との関連で別記事で書きたいなと思います( -д-)ノ

今回のお話で大事なポイントは発見地は低木林の環境だぞ!ってことです。

古典期の一大中心地であったマヤ中部低地は、特にティカル遺跡を中心とする範囲は亜熱帯ジャングル地帯なので、


マヤ文明はジャングルの中のピラミッド文明!


ってイメージがありますが実際には地域によって環境は大きく異なるのです( ・Д・)

では、具体的にクルバ遺跡の様子を写真で確認してみましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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クルバ遺跡は低木林地帯に立地している上に、牧場に囲まれているのでけっこう見渡せるのです。

上の写真の樹々を見ても、鬱蒼としたジャングル感はしませんよね?

ちなみに今回の他サイトさんのニュースで用いられた写真がこちら。


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どうでしょうか?

大きく立派な石造建造物ですよね。

ちなみにクルバ遺跡は測量調査が済んでいて、遺跡内の建造物の配置図が完成しています。

そのような中で、マウンドならいざ知らず、このサイズの石造建造物が本当に未発見だったのでしょうか?


私の予想

メキシコはマヤ文明やテオティワカン文明、アステカ文明といった古代遺跡を利用した観光業を強く推進しています。

だからメキシコとしてはカンクンに近いクルバ遺跡’(現在も遺跡公園であるが規模はとても小さく、人はほとんど来ない)も観光地化したいのだろうなと思います。

そのためには遺跡公園として十分に整備しなければならないし、目玉となる建造物や遺物がなければならない。

しかしこれまでのクルバ遺跡の考古学エリアは小さいし、周囲は牧場(私有地)に囲まれている。

・・・・・・

予想①

これまでに現在の考古学エリア内にて見つかっていたがややマウンド状であり、建造物を発掘調査によってしっかりと露出したことを以て、新発見ということにした。

修復保存もして遺跡整備と観光地化のアピールをしている。


予想②

これまでにその存在が知られていたが、私有地(牧場敷地)内であったために発掘調査を実施できていなかった。

遺跡公園のエリア拡大として土地の買い上げ等を行った結果、新たに発掘調査・修復作業を行うことができたという意味で新発見として発表した。

もちろん遺跡整備と観光地化のアピールも兼ねて。


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まぁきっと実際はこんなところでしょう。

そんな気がします。

メキシコの内情には疎いのですが、グアテマラでは年度変わりは12月末です。

ホンジュラスとか中米一帯はみんなそうだったような気がします。

日本のように4月から新年度ではありません。

メキシコもグアテマラと同様であるならば、この年末の時期に報告・話題作りをして、来年度継続的に調査するための許可取得や財源確保を上手に行いたいという意思も感じ取れます。

こう考えると、多量の研究費が必要な考古学者は過去を対象としながらも、非常に現実的であると言えるでしょう( ・Д・)

↓新発見な感覚で、さぁ新たな気持ちで押したまえ!( ・Д・)↓

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2018ねん 6がつ 5にち(かよーび、曇り)

今日は集中して

目の前の仕事に打ち込みたい!

今日というか

今週ずっとな気がする( ・Д・)

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装飾付須恵器の出土状況(「産経フォト」の記事より一部加工;Credit Sankei Shinbun & SANKEI DIGITAL)

兵庫県、姫路市に所在する前田遺跡で新発見がありました。この遺跡は古墳時代の集落遺構であり、井戸を埋めた土から特異な形状の土器が発見されたのです。

出土した須恵器は一部が欠けた状態で、重さが約1・1キロ、高さが約13センチです。共伴して出土した土器の形状などから5世紀末に作られた可能性が高く、装飾付須恵器の中では古いタイプとの見方です。

壺形態の「肩部」に5つの小さな壺が配置されており、それぞれの小型壺は棒状の粘土紐で連結された状態になっています。これは全国でも類例がない特異な形状なのです。

装飾付きの須恵器は朝鮮半島を起源としています。日本では5世紀前半から生産が始まったと考えられています。これまで東海・近畿を中心に全国で約800点の出土例があり、兵庫県内でもおよそ100
点の事例があります。

中でも「子持ち土器」のような小型の壺等が付随する装飾を有する土器としは他にも類例が多数あるのですが、紐で連結されている事例は全国初なのです。装飾付き須恵器が朝鮮半島から伝来した時期に、国内でどのような形にすべきか試行錯誤した一つの例ではないかと考えているそうです。

上に挙げた写真の赤丸部が問題の須恵器になります。埋土中にこのような土器集中が見られまして、特異形状の土器の他にも約50点ほどの土器が共伴して出土しています。

装飾付須恵器は古墳などで副葬品として埋められることが多いのですが。しかし今回の出土状況は稀な事例で、井戸を埋めたとみられる土から須恵器や土器が確認されたため、不要になった井戸を埋める際に行われた祭祀儀礼の中で埋められたのではないかと推定しています。

……それにしても小っちゃい土器かわいい!ミニチュア土器とか好きなんですよね。こじんまりとまとまってる感じが堪らない!可愛いけども研究対象にしたことはない!けっこう作りが雑だったりするから、製作技法も似通ってくるのでなかなか対象としては難しいなぁと思っております( ・Д・)

たぶん、あれだ!私小さい物が好き!盆栽も好きだし、箱庭も好きだし……シルバニアファミリーも好き!カワ(・∀・)イイ!! 日本ってジオラマとか凄い精度ですよね。ただ小さいだけじゃなくて、精巧に作り込まれているモノに惹かれてる気がします。

日本人は遥か古代から小っちゃいモノ好き!ってテーマで本書けそうですね。世界の小っちゃい古代のモノ特集でもいいかも知れません。小さく可愛いものは正義です(・◇・)ゞ

↓子持ち土器、小型土器が可愛いと思ったら迷わず押しなさい!カワ(・∀・)イイ!!↓

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2018ねん 5がつ 16にち(すいよーび、晴れ)

地道にフォロワーが増えておる。

地道に固定の読者が増えておる。

ありがたい。

地道に続けなければならないなぁと感じておる。

頑張れ、自分!

↑ぎんぎらぎんにさり気なくフォロワーや読者を増やす作戦である(゚ロ゚;)エェッ!?↑
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↑およそ1400年前のコーラン。保存状態がすこぶる良い!(ナショナルジオグラフィックの記事より転載)

【目次】
  1. 世界最古のコーランの発見!
  2. この発見の重要性とは?
  3. おわりに -偉人はエロかった!-

1.世界最古のコーランの発見!
この発見自体はちょいと古いんですけども、気になったので記事にしてみました。舞台は2015年のイギリスです。

この最古のコーランは僅か2ページで、当時大学院生であったアルバ・フェデーリがバーミンガム大学の図書館に所蔵されていたコーランの中から発見したのです。問題の2ページは1920年代に図書館が古物商から購入し、なぜか別のコーランの一部として綴じ込まれていたそうです。

実際にこのコーランの写本は人の目に触れる場所にあったのですが、これまで誰も気付かなかったのです。ちなみにフェデーリは、この2ページだけ筆跡が違うことから気が付いたのだとか。
 
この古いと思われる2ページの羊皮紙に対して放射性炭素年代測定法が使用され、この写本が西暦568~645年に書かれたものだと判明しました。つまりこの写本はイスラム教が成立した時期から20年ほど後に書かれたものということになるわけです。

 

ちなみに古代マヤの絵文書の偽物が出回ることがありまして、「紙だけ古い」という巧妙なものもあるのです。このコーランの写本も羊皮紙は古いことが判明しましたが、インクの方は分析されていません。もしかすると「実際に書かれた時期」はより新しい可能性もありますね。


2.この発見の重要性とは?
この発見の重要性は2つあるなと思います。

①大学院生が発見した!
大学院生が発見したというのが凄いですよね。お手柄です。このような古い記録が図書館から発見される事例って実はけっこうあるのです。まぁ多くは海外の事例ですけど、図書館ってお宝が隠れているものなのです。

運の要素もあるでしょうが、真面目に何度も読んだのでしょう。努力した者に幸運の女神が微笑むと信じて頑張りたいものです。

とは言え、このような発見は文献史学系ならではですけどね。考古学では図書館にお宝はないと思います。考古学の場合は倉庫に行って、山のようにある未報告の遺物の分析をして報告するのが堅実かと思います。


②このコーランを書いた人物がムハンマドと面識があった可能性がある!
ムハンマドはイスラム教の開祖です。イエス、モーセといった人物に並ぶ最後にして最高の預言者とされています。

このムハンマド、クライシュ族の名門ハーシム家の生まれで、一族は皆商人で比較的裕福な家庭で育つのです。彼自身も商人になります。しかしながら預言者ムハンマドは文盲であったと言われています。つまり文字の読み書きができなかったのです。

そのため神の啓示(コーランあるいはクルアーン;詠唱すべきもの)を幾度となく受けたムハンマドでしたが、自らはその啓示内容を書き記すことができなかったのです。よってムハンマドが受けた啓示内容は、信徒たちの暗記によって記憶され、口伝えで伝承され、また書記によって記録されたわけです。

この記録されたものがムスハフです。しかしに伝承者や地域によって内容にバリエーションが生じていました。恣意的に変更されたものもあれば、伝言ゲーム的に意図せず変更してしまうことがあり、問題となっていました。

預言者ムハンマドは西暦632年に没します。そして西暦650年頃、第3代正統カリフのウスマーンがコーランの正典化を命じました。ムハンマドの秘書であったザイド・イブン=サービトを中心として、コーランの編纂が行われて1冊のムスハフにまとめられます。ウスマーンは公定ムスハフを標準クルアーンとし、それ以外のムスハフを焼却させました。

このためウスマーン版コーランを除くムスハフは、この発見以前には見つかっておらず、キリスト教の聖書とは異なり、偽典や外典の類は一切存在しないとされてきました。そうした中でのこの発見は重要ですし、著者は直接ムハンマドに聞いた話を書いている可能性があるのです!


3.おわりに ー偉人はエロかったー
バーミンガム大学教授でキリスト教・イスラム教学が専門のデービッド・トーマスによれば、問題の2ページにはコーランの18章から20章までが記されており、現在の文章にかなり近いのだそうです。このことから、コーランの文言はイスラム史の初期段階で固まり、後代の加筆や時代に伴う変化はほとんどなかったという見方が裏付けられたとしています。

本当ですかね? 1例しか見つかっていないのに、そんなことが言えるのでしょうか。第一、コーランの内容にバリエーションがあることが問題であるために内容を統一して、その他を焚書にしたわけですからね。ここだけはどうも気になる部分です。インクの年代の問題も解決して欲しいものです。

さて、ツイッターを見てて、かのアリストテレスも美女には弱かったって書かれてましたね。
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↑美女に馬乗りにされ、鞭を打たれるアリストテレス(上写真はCOMMONSより転載、中下図は出典不明、Twitter画像より)

美女に弱いというか、普通に変態ですわ。ちなみにムハンマドには12人の妻がいました。しかもムハンマドはある日とある女性を見て欲情し、すぐさま家に戻り妻の一人であるザイナブのところに行って性交したそうです。その後、教友達の所に赴き、「女性を見て彼女に欲情した時はすぐに妻のところに赴き性交することで情欲を抑えなさい」と説教したそうです。ん?抑えれてねぇだろっ!?Σ(・ω・ノ)ノ

過去の偉人はえらかったってよりエロかったんだなぁと思います。まぁ「英雄色を好む」ってやつでしょうか。私も努力を重ねて偉くなりたいものです( ・Д・)

↓押してくれるとテンション上がります。モチベーションも上がります(。・ω・)ノ゙↓
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2018ねん 5がつ 13にち(にちよーび、めちゃ雨)

考古学って面白いなと久しぶりに思えた。

考えることは面白い。

さて、あと3時間くらい頑張りますか。

ひと缶だけガソリン入れながらさ(*・ω・)ノカンパーイ!

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↑冒涜してはおりませぬ。あまりに悲痛な表情だから笑いに変えた方がいいかなって…(下部に載せたYoutube動画を基に加工)

【目次】
  1. ポンペイでめちゃリアルな馬が新たに発見されました!
  2. 「原位置論(ポンペイ理論)」について考えてみた
  3. おわりに

1.ポンペイでめちゃリアルな馬が新たに発見されました!

さて、まずポンペイについてさらりとご紹介しますね。場所はイタリアのナポリです。ヴェスヴィオス火山の大噴火の際に、火砕流によって飲み込まれた古代都市として有名です。

ポンペイは二度の大きな自然災害に襲われています。一度目は西暦62年2月5日、激しい地震によりポンペイや周辺都市は大きな被害を受けました。しかしポンペイの町はすぐに以前より立派に再建されました。

二度目は西暦79年8月24日午後1時頃にヴェスヴィオス火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続け、太陽を覆ったと記録されています。 噴火から約12時間後、ちょうど25日になった頃に、噴火末期として火砕流が発生し、ポンペイは一瞬にして完全に地中に埋まったと言われています。

ヴェスヴィオス火山の噴火は、以前の地震から歳月がさほど流れていなかったため、地震被害からの復興作業は完了していなかったようです。つまり今日、発掘調査で明らかになるポンペイの姿とは、地震前の生き残った建物、地震後に再建された新しい建物、再建中の建物といったまさに古代の地震災害からの復興の過程なのです。←ここ大事です、テストに出ます(。・ω・)ノ゙


↑参考までに、ポンペイの悲劇についての紹介動画(「雑学とりびあん」さんの投稿動画より)

さて、ポンペイはその「悲劇の古代都市」として印象付けられていましたが、調査研究の進展により華やかな文化面に焦点が当てられるようになりました。
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↑上の写真は火砕流に飲まれた人々、下の図像は娼館に残っていた壁画(wikiより転載)

ポンペイはぶどうの産地であり、ワインの醸造を主産業としていたそうです。湾港都市としてワインの物流を中心とした商業都市でもあったようですね。またポンペイのの守護者は美と恋愛の女神ウェヌスでした。娼館と推測される建造物内では、男女の交わりを描いた壁画(上図)が多く出土したことから、ポンペイは「快楽の都市」とも呼ばれているそうです。「悲劇の都市」よりずっといいですね!

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↑今回発見された馬の全身の化石(JIJI.COMより一部加工)

さて、この写真が今回新たに発見された馬の化石ですね。これまでどうしても先に挙げたようなポンペイの人々に焦点が当たっていましたが、今回は動物です!

このお馬さん、ほぼ全身骨格が残った状態なのです。内部の残った骨が見える写真もあったのですが、行方不明になってしまいました。申し訳ない!まぁそれでもこの写真、いかにも発掘現場という感じでいいでしょう!

このお馬さんは、当時のポンペイ内にあった大邸宅の敷地内で出土・検出されています。どうやらお偉いさんのパレードの際にカッコよく着飾って行進していたようです。きっと毛並みの綺麗なお馬さんだったのでしょう。

なんだ、馬だけか!って思うかも知れませんが、こうした地道な発見の繰り返しによって少しずつ「埋もれた過去」が復元されていくものなのです。


2.「原位置論(ポンペイ理論)」について考えてみた
さて、考古学基礎理論のひとつとして原位置論というものがあります。別名としてポンペイ理論とかポンペイ前提、ポンペイ的前提とも呼ばれます。

火砕流に襲われてポンペイでは2000人もの人が亡くなりました。最大人口は2万人と推定されているので10%も亡くなったのですね。この人々や今回の発見の馬のような動植物、建造物はあっという間に大量の火山灰でパッキングされて、当時の状況を今に残しているわけです。

つまり発掘調査で出土する遺物、検出される様々な状態=当時の状況と考えるわけです。これが「ポンペイ前提」です(私としてはこの用語を用います)。

このポンペイの状況は世界的にみて、とてもレアなケースです。他には古代マヤ地域のエル・サルバドルのホヤ・デ・セレン(セレンの宝石という意味)くらいでしょうか。「『新大陸』のポンペイ」、「中米のポンペイ」、「マヤのポンペイ(異論アリ)」などと呼ばれています。

このポンペイ前提を、考古学者は通常、その他全ての考古学的な出土状況に応用しているわけです。使い方には個人差があると思いますが、通常は出土する遺物・遺構の出土地点は当時と変わらず、その配置に何からしらの歴史的解釈が可能であることを「前提」とするということですね。

もちろん、出土地点が斜面である等の物理的条件や雨雪の働きによる移動、さらに動植物の働きによる攪乱、後世の人類活動による攪乱といった様々な現象によって、「原位置」から遺物が移動する場合が考えられます。

しかし動物あるいはヒトの農耕等の掘削の痕跡といった明確な痕跡が残らない場合、遺物が「原位置」からズレていることも証明できないのです。そのため「基本的に遺物は原位置であることを前提」に考えるのですね。この問題は「遺跡形成過程論」とも結び付いてかなり複雑な議論が展開されています。

ところで、日本考古学における「原位置論」といえば、麻生優という考古学者が有名でしょうか。ここでの原位置は遺物・遺構の「使用方法」に関係して議論されています(以下、考古学のお話になります)。
  • 麻生1969「「原位置」論序説」『上代文化』第38号 pp.1-5. 国学院考古学学会
  • 麻生1975「「原位置」論の現代的意義」『物質文化』第24号 pp.1-14.物質文化研究会

上記2つが著名な論文になりますが、内容を抜粋すると以下のようになります。

 「原位置は出土状態そのものである。その道具が使用されていたあるがままの出土状態、そのものが使用されて機能を果たしていたであろうと思われるあるがままの状態でなければ、本来の原位置の意味とはならない。
 さらに原位置の意味は、考古学的出土状態から直接判断することは非常に難かしく、ましてや考古学的出土遺物からも、そくざに判断しにくい。原位置の意味、それは、あるがままの状態、本来の機能を果たしている状態であったか、二次堆積の状態であったか、現在の考古学研究では、考古学的出土状態から直ぐさま認定することは困難である。その道具が本来使用されていた状態のままで出てくれば、大変好都合で、“原位置”としては、本来の狭い意味での使用法となるのである。」(麻生 1975:1)
また麻生は、本来の位置を保った構造物の一部を「残存物」、本来の位置を失った構造物の一部を「分離物」と定義し、本来の位置があるものが「構造物」であり、その残存形態が遺構と部材であり、本来の位置がないものが「道具」であり、その残存形態が遺物であると述べています。

ここで麻生が述べている「原位置論」とはポンペイ前提とは異なります。広義の原位置について言及しているのがポンペイ前提(出土した時点、廃棄・残存の時点)で、狭義の原位置について言及しているのが原位置論(使用されていた時点)になります。

麻生の「原位置論」は日本における原位置についての理論的研究の端緒であるわけですが、彼によれば全ての道具、つまり遺物は原位置にないことになります。そのため原位置についての議論は構造物やその部材に対して行われるのです。

また過去に非加工の自然物が利用された場合に対する考古学者の認識についてある種の問題提起を行っています。つまり、特定の状況下において「残存物」として見出されるが故に、「部材」として認定される。しかし全く同じものでも異なる状況において「分離物」として見出されれば、単なる遺物として認定される。そして状況次第では多くの場合、遺物として認定されないことを指摘しています。

最終的には、
部材における本来の位置(原位置)とは、ある種の使用の痕跡(「使用痕」)といっていいのではないか(「第2考古学」の記事より転載)
ということのようですが、どうなんでしょう。木製の柱が出土しないマヤ地域では何とも想像しにくいです。柱穴や木製壁の痕跡の周囲に支えとして置かれる人頭大のレキ群がこの場合の部材に当たるのでしょうが、だとすると、ある種の使用の痕跡といってももちろんいいでしょう。

それで、その後この議論はどう発展するのか?……古代マヤでは柱穴遺構自体が珍しいですしね。主に石造建造物(主に切り石が使用されるので加工物です)を扱いますし。でも土製や木製の構造物もあったのは確かです。「原位置」について考察するかは分かりませんが、先の問題提起のように特殊な事例における非加工の遺物の認定方法や出土状況に基づく解釈の仕方については、今後精緻な調査による木造構造物の遺構の検出事例を増やしつつ、慎重に考えていくべきかなと感じております。( ・Д・)


3.おわりに
最後に、こんな内容になる予定ではありませんでしたが、結果、なんだか意味わからん研究ノートみたいになってしまって申し訳ないなと反省しています。まぁでも基本ニュース記事ですからね、ポンペイについても、原位置論についても今後追記・修正したいなと思っています。

あとあまりに考古学の話に踏み込むのもどうかなとも思っています。楽しく分かりやすい考古学がいいですよね!まぁでも「ポンペイ前提」は分かってもらえたでしょうか? あとかつての「ポンペイはワインとエロスの世界」だった!くらいを覚えて頂ければ、明日の話題には困らないはずです(*・ω・)ノ……あ、本来はお馬さんの話だったか( -д-)ノ

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