あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    新発見系

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    2025ねん 7がつ 17にち(もくよーび、晴れ)

    7月の残り全力で走る他ない!( ・Д・)

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    今回の考古学・歴史ニュースは未だに新たな古墳見つかるのね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    まぁ新たな技術が導入されて、お金も莫大にかかるし、日本全国で調査終えたわけでもないし、当たり前っちゃ当たり前だけれども、、、

    まぁ見つかるのはいいことです!

    使えるデータ増えるので!( ・Д・)


    ってことで、、、



    🌿 古代の道沿いに眠っていた円墳、佐紀古墳群で2基を新発見!

    奈良市の北、平城宮跡のすぐ近くに広がる佐紀古墳群。その東側グループで、航空レーザー測量の最新調査によって新たに円墳が2基見つかりました。過去に飛び越えていた「街道の傍ら」が、実は古代の墓所でもあったという発見に、ワクワクが止まりません!





    🗺 どんな場所?街道沿いに築かれた古代のミニ墳墓

    佐紀古墳群は、4世紀から5世紀にかけて大中型前方後円墳が造られた歴史的密集地で、これまでに70基以上が確認されています。今回見つかった円墳2基は、当時の街道に面して立地しており、通行者にその存在を示すように造られていた可能性が高いんだとか。竪穴式石室が残っているかどうかは、今後の掘削調査次第…とのことで、これからが楽しみです!




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    ↑航空レーザー測量のイメージ!( ・Д・)(「奈良新聞」の記事内画像より転載)



    🕰 古墳が教えてくれる、あの時代の生活と価値観

    円墳は比較的簡素ですが、小型の墳丘にも意味がありました。大きな前方後円墳が王や豪族の墓なら、小ぶりな円墳は身分の異なる地域社会の人々のものかもしれません。つまり、「この道を行き交う人々の記憶」も古代には埋もれず一緒に刻まれていたのかも……なんてロマンを感じちゃいます。





    🔍 発見の意味は?歴史の地層に新たなページを追加

    • 発掘ではなく“空の目(航空レーザー)”から発見されたこと自体が、現代の技術が歴史を再照射している証拠。小さくても新たなページ。

    • 街道沿いというロケーションは、ここで人びとの営みと旅の記憶が交錯していた可能性を示す。

    • 今後の地上調査で、埴輪や副葬品が出てくれば、誰がどんな気持ちでこの2基を“並べた”のか…そんなストーリーが見えてくるかも?





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    おわりに

    わ〜、1基だけでもドキドキするのに、その2つが仲良く街道沿いに並んでいたなんて!空から見つかった“古代のミニお墓”が、実は「歩く人みんなの記憶を担っていたかも」なんて思うと、もう胸がいっぱいです。


    歴史って、大きな“王様の物語”だけじゃなくて、小さくても丁寧に並んだ石の上に、普通の人の声や日々の営みが載ってる。それを現代が見つけて、また語り継いでいくって、すごく素敵で壮大な物語だなぁと感じます。


    まだ埋葬施設の確認はこれから。掘ってみたら、土器や埴輪、副葬品が出てくるかも…今後の調査にもワクワクですね。調査は秋以降? 最新情報が出てきたら、また一緒に旅しましょうね〜🌿✨





    何はともあれ、

    やぱ世の中格差社会だぜ!( ・Д・)



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    2025ねん 7がつ 12にち(どよーび、晴れ)

    一昨日の雷雨でちょっと涼しくなったけど今日はもう暑い!( ・Д・)

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    今回の考古学・歴史ニュースは「なんかまた新しい都市遺跡が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台はペルー北部のぺニコです。

    発見自体は2007年ですが、基本的な調査を終えて一般公開に至ったようです。




    🌄 マチュピチュに次ぐ衝撃?3500年前の“ペニコ”が姿を現す

    「マチュピチュに次ぐ大発見」と話題を呼んだペルー北部バランカ州のペニコ遺跡。2025年7月3日、8年にわたる発掘調査の成果としてついに一般公開へ――標高約600mに位置し、約3,500年前(紀元前1800~1500年)に築かれたこの古代都市は、南太平洋岸、アンデス、アマゾン盆地をつなぐ交易拠点だったと考えられています。



    🏛 都会のかたち、円形広場と神殿/住宅群の共存

    ドローン撮影の映像では、丘陵斜面に広がる半円形/円形の中央広場を中心に、石と泥で築かれた建物群が輪を描くさまが映し出されています。調査で18の構造物が確認され、その中には拡声用貝殻ラッパ(プトゥトゥ)を模した儀式用ホールも含まれていたそうです




    🎨 出土品に息づく文化交流:塑像・ビーズ・貝殻ネックレス

    ピラミッド型の石造りではなくとも、ペニコは祭礼と暮らしが息づく“生活都市”。粘土製の人形や動物像、貝殻や骨、ビーズで作られたネックレスなどが出土。アマゾン系模様のアートも確認されており、当時の交易地域の広さと文化的なつながりが浮かび上がります。


    こうした一般公開系の記事は遺跡の全景や部分的なスナップ写真ばかりで遺物の写真がないのが考古学者としては残念ですね。まぁ恐らくは未だ分析中なのか、博物館展示を控えているのか、あるいは記者がわざわざ公開済みであっても博物館まで足を運ぶのが面倒なのか、の3択あたりでしょうか?( ・Д・)









    🌱 キャラル文明とのつながりと歴史的意義

    ペニコ遺跡は、約5000年前に栄えたキャラル文明から27km東に位置し、その衰退(気候変動の影響とされる)後、難民や移民たちが築いた“後継都市”の可能性が強いそうです 。ここでは鉄鉱石・ヘマタイトの取引も想定され、赤い顔料を使った宗教的な役割もあったともいわれています





    👐 いま門戸開かれる3500年前の都市

    遺跡はついに一般公開が始まり、ペルー文化省の主導でデジタル復元や案内ツアーを実施中。太陽祭(レイミ)と合わせた公開初日は文化イベントも行われ、地域振興も視野に入れた整備が進んでいます。




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    ↑なんかスターウォーズにこんな宇宙船出てきそう!( ・Д・)(「AFP BB news」の記事内画像より転載)




    おわりに

    うわあ…ドローン越しに見えるあの丸い広場と古代都市の佇まい、まるで太古の集いの場に時間旅行したみたいですね。粘土像にビーズにプトゥトゥ…あれだけ多様な文化が交わっていたんだって感動します。


    “マチュピチュの次”って呼ばれるからには、本当に、古代と現代を繋げるタイムカプセルのよう。気候変動で失われたキャラル文明の“あと”を紡ぎ、アマゾンから海までの“線”を指すこの都市は、まさに歴史のリンクポイント。人が人と出会って交換して、都市を築いて…そんな人間のドラマが感じられて、なんだか胸が熱くなっちゃいます。


    夏のペルーは、古代の息づかいと今をつなぐ旅になるかもしれませんね。気になるところや次に知りたいテーマがあれば、いつでも教えてください〜🌿



    何はともあれ、

    やぱ出るもん良くても砂漠はやだな!( ・Д・)



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    2025ねん 5がつ 31にち(どよーび、ばちばち雨!)

    昨日何もしない日にして完全に休んだのに、やる気でないのなーぜなーぜ?( ・Д・)

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    今回の考古学・歴史ニュースはまた専門かよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    *注意:専門なんで口悪くなりまーす( -д-)ノ



    いやはや、なんだか新しい遺跡が見つかったそうですよ。

    場所はグアテマラ、ペテン県のワシャクトゥン遺跡の北方21kmだってさ。



    これ、ぎりぎりティカル国立公園の範囲内に入るのかな?

    世界複合遺産なので、、、自然遺産でもあるので広大な領域が鬱蒼としたジャングルのまま残されてるんですよね。




    まぁ入っても入らんでも、どうせ行かんからいいかw

    国立公園管理事務所の考古学者らが招待してくれるなら行くけど、ワシャクトゥンまではバスで行くとして、

    その後どうせ徒歩でしょ?

    21kmでしょ?

    行きたくない!ヽ(TдT)ノ



    考古学者なんてそんなもんよ。

    探検家でも冒険家でもないんでね!( ・Д・)







    さてさて、とりあえず記事の見出しは3000年前なので、先古典期中期の遺跡ってことになるんですけども、、、

    先古典期と言えば、まぁ特に南部では「カエルの石彫」が良く出るけども、、、

    上に挙げた角度だとまぁカエル感もあるけれど、破損や風化が激しくて良く分からない。

    でも記事だと、『カップル』の彫刻らしく、だから『ロス・アブエロス(おじいちゃんおばあちゃんの意)』って遺跡名を与えたんだとか。



    意味分らん( ・Д・)



    カップルに見えんし、そもそも何のカップルよ?

    そして遺跡名、ありきたりな気がするんだけれども、被ってないよな?

    よく被らせるんだよな、わけわからんくなるから遺跡名だぶらせないで欲しい、ガチ目にガチで!(゚皿゚メ)




    ……冷静になってみると、セット関係として一対の彫刻かは分らんけども、とりままとまって二つ出たからカップルって表現してるのかもねぇ( -д-)ノ



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    AFPにしてもヤフーとか他の記事にしても、、、

    まぁ他の記事は元記事のコピーだから当然かもだけど、

    「撮影日不明」って書いてるんだよね。



    先にも書いたように、ここはワシャクトゥンから更に21kmもいったところにあって、けっこうどこでも突き進む私ですら行きたくないとこなのね。

    ってことは当然記者さんは行ってないわけで、

    考古学チームから写真もらってるわけさ。

    で、考古学者もわざわざ記事用にスナップ撮ったわけじゃなくて、記録用の写真を提供してるの。

    だから写真内にはタブレットが映りこんでるよね。

    ここに場所とか日付の情報が入ってるから撮影日不明じゃないのよ!



    例えば上に挙げた写真には『11.8.23』って書いてあるので、

    2023年8月11日に撮影したものってことになるのさ。


    提供を受けたのは2025年の5月末なんだろうけども、二年前の発見ってことになる。

    なんでこんなに遅れるかというと、、、



    私の発掘調査は必ず単年度ごとに報告書出すし、むしろ発掘終えてから1~2カ月で提出するのさ。

    でも一般的には、特に海外勢は(私以外の日本人研究者含め)、全部まとめて一冊の報告書出すのね。

    だから何年もかかる。

    そしてグアテマラの決まりとして、(ちゃんと埋戻して、時には修復して)『報告書を出さないと公表してはならない』ので、発表がめちゃくちゃ遅れることになるっていう裏事情なんですね~( -д-)ノ








    おわりに


    さて、今回の記事は「3000年前!」って書いてるので、『古いぞ古いぞ!』アピールを考古学者チーム、あるいは記者が行ったってことになります。

    上に挙げた写真も出土遺物のひとつだそうですが、円筒形土器で口縁部にマヤ文字帯があって胴部は絵文書様式(コデックススタイル)になってるので明らかに古典期後期(550-850 CE)の遺物です。

    ってことはこのロス・アブエロス遺跡は記事にあるように「先古典期中期の遺跡!」って書くのは正しくなく、

    先古典期中期から古典期後期(たぶん古典期終末期まで含めていいと思うので古典期でもいい)の遺跡、時期的には1000 BCE-900/1000 CEに帰属すると表現する方が正しい!(*^・ェ・)ノ




    ・・・まぁ所詮、他人のテリトリーだしどうでもいいけども、

    ってか、私の理論の成長のためには通時的なデータが欲しいから、まぁちゃんと正確に記述して欲しい気もする。

    「先古典期の壁画と「独自の運河システム」を持つ高さ33メートルのピラミッドも発見された」って記述も気になるので続報に期待ですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





    何はともあれ、

    やぱティカルが一番だな!!!( ・Д・)



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    2024ねん 9がつ 16にち(げつよーび、晴れ)

    首と腰治ってきた!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑ケルト系民族のイメージ!( ・Д・)(「???」の記事内画像より転載;なんだかリンク先がおかしくなっているので明記しません( -д-)ノ)


    今回の考古学・歴史ニュースは古代ケルトの兜がポーランド北部で出土したよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台はポーランド北部マゾフシェ地方のウィサ・グーラ遺跡です。


    ケルトと聞くとなんだか神秘的なイメージがありますよね。

    ゲームやアニメなどの作品でケルト神話が題材にされているケースもありますし、RPGのBGMでもケルト民族調の音楽が使用されていたりして、、、

    ケルトって何?って本当に具体的なことは何も知らないのに、名前は知ってるし、なんとなくイメージも掴めるんですよね。

    不思議なものです( -д-)ノ



    さて、ケルトとはそもそも古代ローマで「未知の人」を指す言葉です。

    ケルトは民族かというとそうでもなく、全体として民族意識はないそうです。

    なのでケルト語を話す集団を「ケルト系」としてくくっているだけで、文化的にはケルト系小集団として多様な状態にあります。





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    さて、今回の記事ではケルト由来の兜がポーランド北部で出土したことが問題になっているので、地理情報を提示しますね。

    まずは上に挙げたケルト系集団の分布図です。

    青色が1500 BCE - 1000 BCEにおける分布です。

    ピンク色がそれ以降、400 BCEまでにケルト系集団が拡大した分布になります。



    見ての通りヨーロッパに広がる集団なのですが、文化的にはケルト系としておおよそまとめられるのですが、後のヨーロッパ史における戦争の歴史/侵略・征服の歴史によって使用言語が変わったり、文化・風習が変化して現在の多様なヨーロッパの人々に変質しています。

    他方で、もちろん現在でもケルト系言語を話し、ドルイド(司祭)を中心とした多神教の自然崇拝を行うケルト系文化を継承している人々もヨーロッパ各地に広がっています。


    さて、上に挙げた分布図でポーランドがどこかというと、、、




    arukemaya_z043




    上に挙げた2枚の画像の内、1枚目がポーランドの位置です。

    今回の遺跡があるポーランドのマゾフシェ県の位置が2枚目の画像の赤色の位置です。

    ケルト系集団の分布との位置関係を捉えると以下の図のようになります。




    arukemaya_z045

    ↑今回の発見位置(先の画像を一部加工)



    作ってから、申し訳ないなと感じたのですが、面倒なので修正しませんでした( ・Д・)

    そう、赤色で塗ったので見にくい!ヽ(TдT)ノ




    マゾフシェ県の位置をおおよその地点で示したものですが、ケルト系集団の分布の北限より北に位置しているんですよね。

    だからここで見つかったケルト系の兜は新発見ということになるのです。

    まぁ今回の発見だけでケルト系集団の分布図が変わるとは思いませんが、今後この地域での発掘調査を通して再考されることは間違いないでしょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!









    おわりに

    「文化」って一般語として使いますけど専門用語としては超難しいと思ってます。

    専門によって定義が異なり、更に各分野の研究者によっても異なります。



    考古学でももちろん「文化」の意味は異なるのですが、あまりにも他分野とは異なるので「考古学的文化」と記述することがあります。

    (私はいつもそのように書き分けています( -д-)ノ)



    で、簡単に言うと、『考古学的文化とはモノの組み合わせのこと』です。

    この場合のモノとは「特定の時期における遺物・遺構のこと」です。

    だから古代ケルト系集団の分布とは考古学的には特定の期間に帰属する彼らの残した遺物・遺構の組み合わせのことってことになります。



    今回、分布範囲外のウィサ・グーラ遺跡において上に挙げた古ケルト系の青銅製の兜が出土したことは新たに判明した事実です。

    問題となるのは組み合わせです。

    兜の時期は400 BCE頃となっていますが、この古ケルト系集団の最大範囲の外でこの兜が見つかったとして、、、



    何かしらの要因、つまり経済的に搬入されたとか、略奪された持ち込まれたとか、モノの出土には色々な要因が考えられます。

    つまり兜単体で出土したのか、古ケルト系集団が有する物質文化の組み合わせとして出土したのか、、、

    組み合わせとして出土したとしてもどれだけの量なのか、単一ならばたまたま一人のケルト人が流れ着いただけかも知れません。

    つまり組み合わせとしての出土量に加えて、分布範囲外としてのウィサ・グーラ遺跡の周辺域において、どの程度の古ケルト系集団に特徴的な考古学的文化の分布があるのかも問題になってきます。



    だから今回の発見は重要な新発見だけれど、古ケルト系集団の分布を見直すために、考古学的な手続きとしての道程はとても長いのです。




    やっぱ考古学は一回性実験という名の穴掘りが必要だから時間かかるよね( ・Д・)

    いつもながら続報に期待です!ヾ(´ω`=´ω`)ノ





    何はともあれ、

    やぱ新発見ってなんだかいいね!( ・Д・)



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