あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    新石器時代

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    2025ねん 12がつ 3にち(すいよーび、微妙に雨)

    眠くてつらい……今日は早く寝る!( ・Д・)

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    ↑モロッコはここ!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは絶対に半世紀前の写真だろ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    かつて「地中海の片隅、砂と岩と乾いた大地」のみと思われていた北西アフリカ。だが今、その風景の陰から、驚くべき「交易文明の起点」が浮かび上がろうとしている。2024〜2025年にかけて、Oued Beht 遺跡(モロッコ北西部)などで見つかった遺構と出土品たち――彼らは、新石器時代の人々がすでに「農業と交易ネットワーク」を築き、ヨーロッパとの海を越えた交流を主導していた――という強力な“証拠”だったのだ。この記事では、その発見とその衝撃を、「あるけまや」風に、歴史の闇に光を当てるように描いてみたい。



    🏺 モロッコ北西――Oued Beht 遺跡が語る“忘れられた文明”

    2024年、国際チームの発掘により、モロッコ北西の山麓にある Oued Beht 遺跡から、 紀元前3400年〜2900年ごろ の農耕集落跡が確認された。これは、ナイル川流域以外ではアフリカ最古かつ最大級の農業複合遺跡だ。出土したのは、土器、石器、さらには栽培植物の種・家畜、膨大な“貯蔵穴(サイロ穴)”の存在など。つまりこの地には「定住」「食料生産」「貯蔵」のための社会構造がきちんとあったのだ。

    この発見は、従来「モロッコやマグリブの新石器時代は希薄で、文明の波には乗っていなかった」とされていた常識を破るものだった。「地中海西岸=ヨーロッパ側が文明の中心」という古い枠組みを崩す、歴史の再編の一手だ。



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    ↑色付きエリアが遺跡の範囲!( ・Д・)


    🌊 ジブラルタルを超えて — 海峡を結ぶ交易の足跡

    Oued Beht の農耕社会の道具や貯蔵構造は、イベリア半島(現在のスペイン・ポルトガル南部)にある同時代の遺跡と驚くほどよく似ていた。彩色土器、貯蔵ピット、形状などがほぼ一致しており、この地域間に「人的・文化的な交流」があった可能性を、研究チームは強く指摘する。

    もしこの交流が海を介したものだったなら――つまり、ジブラルタル海峡を越えて、アフリカ側が交易と文化の“発信源”として機能していた可能性が浮上する。つまり「白人・ヨーロッパが文明を運んだ」のではなく、“アフリカ側からの波及” だったのかもしれないのだ。こうした海峡をまたぐ交易ルートの存在は、考古学における新たな「地中海文明の起点モデル」を提示するに足る。そして、それは文化だけでなく、技術、農耕、家畜、貯蔵・流通システムの大規模なネットワークの存在も示唆している。



    🧑‍🌾 農耕・貯蔵・社会 — 古代マグリブの“文明の構造”

    出土した植物の種や家畜の骨から、麦や豆、羊・ヤギなどの飼育が行われていたことが判明。つまり彼らは単なる狩猟採集ではなく、安定した農耕生活 を営んでいた。貯蔵穴は複数あり、収穫を蓄え、保存し、必要に応じて取り出すという、いわば “初期の食料インフラ” を備えていた。また、土器や石器の量、保存状態は、かなり大規模なコミュニティであったことを示している。こうした「生産 → 保存 → 流通/交易」のサイクルが確立していたなら、それは単なる小さな村ではない――





    🔄 歴史を書き換える ― 「アフリカ主導」の地中海史

    今回の発見が意味するのは、以下のような“大きな視点の転換”だ。

    • 北アフリカ、特にマグリブは、地中海史においてこれまで過小評価されてきた。しかし Oued Beht からの証拠は、「地中海文化の起源と展開」における、アフリカ側の主導性を示す――つまり“文明の受け手”ではなく、“発信源”の一つだった可能性。

    • ヨーロッパ起点、エーゲ海起点、あるいは中東起点とするこれまでのモデルに加え、マグリブ起点のモデルが再検討されうる。交易、農業、技術移転、家畜導入――これらがアフリカ圏から流れ込んだという仮説だ。

    • これにより私たちの “地中海文明の年表” は書き換えられ、教科書や歴史観、ひいては “ヨーロッパ中心史観” に対する再評価も促されるだろう。



    🧪 これからの研究と問い ― “知られざる過去”を掘る冒険

    もちろん、まだ議論の余地はある。なぜなら――

    • 土器や道具だけではなく、同年代の他地域での同様な証拠の確認が必要。

    • 遺伝子分析、植物・家畜の起源分析、気候・環境変動の再構築――複数分野の研究が相互に補完されなければ確証は難しい。

    • そして何より、「アフリカ起源説」は過去に政治的・文化的に歪められてきた歴史もあるため、慎重な検証と公正な報告が不可欠。

    だが、この遺跡の発見は、「歴史は更新されうる」「古代人は私たちが思うよりはるかに進んでいた」という希望と可能性を、強く示している。この記事を読んでいるあなたとともに望みたい――遠い昔、乾いた大地と海の間で、人々は麦を育て、賢く保存し、そして海を越えて交易し、文化を交わしていた。
    その歴史の一端が、今、砂と土の下から明るみに出たのだ。



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    ↑海外調査隊らしい雰囲気だが、やや古さを感じる!( ・Д・)


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    ↑楽しそうで何よりだ!( ・Д・)



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    ↑調査団リーダーのHamza Benattia氏……( ・Д・)






    おわりに

    全体写真の右側の女性の感じが気になるな、バイオハザード1で死んじゃう役のミシェル・ロドリゲスっぽい人。まぁそれはさておき、最後のモノクロ写真はお洒落のつもりで撮ったんだろうけども、、、あるいは書籍とかのモノクロ印刷用なのか・・・いや、3枚とも古いだろ!なんだろう、風景のせい?服装の問題?どう考えても2025年、今年の写真に見えないんだけど!なんで?みんなにはちゃんと新しい写真に見えてる?



    何はともあれ、、、

    もしかして私の調査写真も古く見えてる!?( ・Д・)







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    2025ねん 9がつ 11にち(もくよーび、雨降るらしいよ)

    最近調子いいな(・∀・)つ

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    今回の考古学・歴史ニュースは中国で最古の木棺を検出!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    🌲 『木棺の記憶:河南・賈湖(かこ)遺跡で8000年の眠りを覚ました木棺』


    🪵 発見の概況 — 賈湖遺跡で最古とされる木棺が姿を現す

    河南省・漯河市舞陽県にある新石器時代前期の賈湖遺跡で、約8000年前と推定される中国最古の木棺が発見されたと報じられています。調査では中心墓地で200基以上の墓が見つかり、そのうち10基には木棺の痕跡が見られました。その中に、長さ約2m、幅約0.6m、厚さ約6cmほどの木棺も含まれています。


    また、現地土壌のリグニン(木質成分)含有量が周辺よりも著しく高いことから、封土中で木質が保たれた環境があったと推測されています。




    🎑 副葬品と社会構造の兆し — 骨笛やトルコ石も並ぶ贅沢さ

    木棺があった墓には、副葬品として20本以上の骨笛が出土し、ある墓ではなんと「1つの墓に5本の骨笛」というこれまでにない発見も報告されています。それ以外にも、トルコ石(ターコイズ)や土器、三脚壺などが副葬されており、祭壇穴もあることから、既に社会的分化や儀礼的慣習が形成されていたことが示唆されます。


    「多様な埋葬地、棺、副葬品の多様性と豊富さは、賈湖遺跡において既に社会的な分化が起こっていたことを示しています」




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    ↑え、保存状態良くない?( ・Д・)(「Global times」の記事内画像より転載)




    🔎 8000年前に「木棺」? これまで木棺発見は6000年前の例が常識だった

    これまで、木棺を使った葬送は中国では大汶口文化(約6000年前)が最古例とされてきましたが、この賈湖の発見はそれを2000年さかのぼらせる可能性を持ちます。考古学上の書き換えになる大事件です。


    Jiahu site(賈湖)は元々、骨笛の出土で知られる文化豊かな新石器遺跡で、今回木棺が確認されたことで、葬送儀礼や社会構造の起源を考える上で極めて重要な材料となりました。




    🧐 保存状態と調査の現場 — 防護シェルターとこれからの取り組み

    発見された木棺がある墓地には考古学用の保存温室(保護シェルター)が建設され、重要な墓はそのまま“工程丸ごと”取り出して研究所へ持ち込む計画が進んでいます。


    今後は詳細な発掘・分析、植物・有機材分析、樹種判定、構造調査などが続き、遺物そのものだけでなく、当時の森林環境や利用習俗の把握にもつながることでしょう。


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    おわりに


    8000年前で新石器時代か、、、それで副葬品に格差が見られてて社会の複雑化がすでに起きている。

    やっぱ早いなぁ。

    自然と格差が生じるのはそういうものだと思ってるのだけれど、ぐいぐい推し進める要因ってなんなんだろうな~って興味深いです!



    あと、メキシコも文化遺産保護と活用に政府がお金つぎ込んでるけれど、中国も凄いよね。

    遺構全体を保護するシェルターとかカッコいいよね。

    日本なら全部ぶち壊してビル建てるね、地元民の反対も気にせずw(゚Д゚)ゴルァ!!



    いや、ほんとだよ、保護・活用なんかより目先の欲だから、、、

    そういうとこ途上国みたいで衰退を感じるね~

    初めてラテンアメリカに行った時の「僅かに先の未来すら考えない文化」に対するカルチャーショックを、今日本の政治家・資本家に感じる今日この頃!( ・Д・)


    *前に紹介したけど、日本には工事に際して見つかった重要な遺跡をそのまま保存して博物館にして一般公開してその上にビル建てた素敵な会社も存在します!多くのの建物でそうすればいいのにね。一階、半地下階は博物館。素敵だと思うんだけどね!



    何はともあれ、

    やぱお墓はいいな!( ・Д・)



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    2024ねん 8がつ 10にち(どよーび、晴れ)

    良く寝て程良く研究してるヾ(´ω`=´ω`)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは忘れない内にチャタル・ヒュユクについて紹介するよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    前にチャタル・ヒュユクに関して記事を書いた時に、「この遺跡面白い!」って思って、「今度紹介しますね~」って言ってたのが今回の記事です!

    覚えてる内にやらないと忘れちゃうんですよね( -д-)ノ

    モチベ高い内に色々やらんとダメなのです( ・Д・)



    ↓件の前回の記事(*・ω・)ノ
    ↑読んでない方は是非!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


    ということで、今回の舞台はトルコのチャタル・ヒュユク遺跡です!

    時期はBCE 7500年~6300年に帰属します。

    チャタル・ヒュユクの名が「分岐した丘」を意味し、東と西の丘に分かれています。

    東の方が古く、西の丘の上層部はBCE 4300年頃に帰属し、青銅器時代の遺構となっています。




    日本で言うならばチャタル・ヒュユクの古い時期はおおよそ縄文時代の前期(1万1000~7000年前)に相当します。

    この時期は両者共に新石器時代です。

    チャタル・ヒュユクの西の丘は上に述べたように約6000年前にはすでに青銅器時代に突入していますので日本よりも遥かに人類社会の発展スピードは速いですねΣ(・ω・ノ)ノ

    弥生時代のスタートが約2000年前なので4000年も先行していることになります( ・Д・)




    ……あ、格差の人類史を数式と動画で描くのが今の研究の目標だけれども、『社会の発展度合い』って尺度で描いても面白そうですね。

    まぁ現代社会まで描くと問題が起きそうですが( ・Д・)

    産業革命までなら・・・問題ない?( -д-)ノ




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    さて、チャタル・ヒュユクの住居は保存状態が良く、構造も調度品の配置も判明しています。

    これが面白いところです。

    上に挙げた画像の左端に梯子がありますが、なんと屋根から入る構造の家屋だそうです。

    変わってますねΣ(・ω・ノ)ノ




    この保存状態がとても良い住居群ですが、何故かというと古い住居の内部に土と瓦礫を詰めて埋め、その上部に新たな家を造る慣習があったようです。

    そのため東の丘では18層もの住居が積み重なっていて、高さは21mにもなるそうです。




    これってマヤ文明の重層建築のもっと凄いバージョンですよね。

    めちゃくちゃ良質なデータが獲れるじゃない!( ・Д・)




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    ↑古い時代の家屋なのに保存状態いいよね( ・Д・)(「TURKISH Air & Travel」の記事内画像より転載)



    しかもチャタル・ヒュユクでは亡くなった家族をベッドの下や床下に埋葬する文化を持っていました。

    祖先崇拝の一種ですね。




    これもマヤ文明と同じ!

    年代ごとの埋葬遺構と副葬品のデータが得られる!

    凄すぎる!

    考古学的に超重要遺跡ですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ





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    さて、更なるチャタル・ヒュユクの面白いところは、、、

    新石器時代なのに「都市構造」を有している点です。




    下に挙げた画像のように物凄い数の住居が密集しています。

    住居と住居の間の隙間はなく、人々は屋根伝いに移動していたようです。

    ちなみに人口は平均で5000~8000人程度で、最大で10000人に達していたようです。




    都市構造を持っていて、1万人の大人口、、、

    初期国家の定義からして、もうこれ国家レベルの規模なんですけど、

    なんとチャタル・ヒュユクは平等な社会と考えられています。




    なので国家じゃないのです、たぶん、今のところ( ・Д・)




    先行研究によれば、各住居のサイズは一定で大小の差はほとんどないそうです。

    また墓には副葬品が含まれ、木製容器、籠、食べ物が共通してみられ、男性の場合は木製・骨製柄付き剣、石製棍棒、土製印章、銅製腕輪、S字状骨製バックル、女性の場合は、化粧用石製パレット、各種装飾品、黒曜石製鏡が出土しています。

    またタカラガイを目にはめ込んだ頭骨も検出されています。


    ・・・でもこうした副葬品を伴う事例は”例外”であるそうです( ・Д・)

    そしてこれまでには分業化の証拠も見つかっていないのです。



    つまりチャタル・ヒュユクは人類社会の発展史の中で国家形成2歩(?)くらい手前の最後の平等社会の状態だったのかも知れないのです(*・ω・)ノ






    おわりに

    いやー、こんな遺跡あるの知らなかった!(*・ω・)ノ

    ほんといいもの見つけましたわ。



    考古学者ってやはり人の子というか、自分がやってる地域・時代のものが最高と考えがちなんですよね。

    マヤ研究でも「あるある」です。

    だからここ、チャタル・ヒュユクでも、この遺跡が”理想の平等社会”として描かれている可能性があります。



    私は最近数理考古学をやってるせいか、やはり物事は連続的に変化すると考えがる傾向にあります。

    そうした視点に立つとチャタル・ヒュユックの18層の中で、平等な社会から階層化社会への変化が見て取れてもおかしくないかなと思ってしまいます。




    ”例外的”に広い居間を持つ住居もあるそうですし、”例外的”に副葬品を伴う墓もあるわけです。

    そうした点が階層化の兆候かもしれませんよね。



    建造物の重層性と埋葬遺構の特殊性から明らかに発掘が大変な遺跡ですから、現段階でどれだけのデータが取れるか謎ですが、今度頑張ってみようと思います(・∀・)つ




    何はともあれ、

    やぱ考古学は楽しいぜ!( ・Д・)



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    2024ねん 8がつ 3にち(にちよーび、晴れ)

    なんだかんだ眠い( ̄▽ ̄;)!!ガーン

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    今回の考古学・歴史ニュースは「最古級のシャーマンの墓が見つかった!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    今回の舞台はトルコ南西部のチャタル・ホユック遺跡です。

    最近(?)、考古学の常識を塗り替えた(?)みたいな内容で有名なトルコのギョベクリ・テペ遺跡の東240kmに位置するのがチュタル・ホユック遺跡です。


    遠いじゃんって思うかもしれないけれど、

    まぁ確かに遠いんだけれど、




    先土器時代、新石器時代だからね!

    大きい遺跡がそんなにごろごろしている時代じゃないのです( -д-)ノ




    上に挙げた写真がチュタル・ホユック遺跡ですが、ドーム状に屋根が付けられていて、発掘調査の様子が一般公開されている遺跡です。

    公共考古学(パブリック・アーキオロジー)、つまり「市民のための考古学」として公園のように活用実践がなされている遺跡です。

    考古学遺跡・活動の観光資源化としても面白いやり方です。



    この遺跡のメイン居住期間は約9500年前、BCE 7500年頃と考えられています。

    乾燥地帯のためか土壁で造られた住居壁が良く残っています。

    調べてみると私の研究的にもかなり興味深い遺跡なので今度別枠で紹介しますね(*・ω・)ノ







    さて、上に挙げた写真が今回見つかった人骨です。

    右上に頭蓋骨があって左を向いていて、屈葬という膝を抱え込むような姿勢になっている状態です。




    人骨の分析から女性だということが分かっています。

    シャーマンというのは自然崇拝の中で精霊や霊魂とコミュニケーションが取れる人物であることが多いです。

    というのも考古学では使いやすい用語なのです。

    精神世界って考古学的には難しいので呪術的な行為を行う特殊な人をシャーマンって言っておけばとりあえずなんとかなるのです( -д-)ノ

    時期によっては神官って言えば何とかなる( ・Д・)



    さて、今回のケースではこの時期としては珍しく土壙墓の上部、つまるところ人骨の上に大きな石灰石が多数並べられていた点

    ヤマウズラの翼やテンの脚、ヒツジやヤギなど、様々な動物の骨が副葬されていた点からシャーマンと推測されています。



    チャタル・ホユック遺跡ではマヤ遺跡のように古いお墓が家の中にあるため、深く掘っていくと古い時期のものに当たります。

    今回のシャーマンは1万2000年前に帰属すると推定されていますので最古級ですし、人類の発展史を考える上で非常に重要な発見と言えます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!






    おわりに


    いやほんと、今度別枠でチャタル・ホユック遺跡について書きますね。

    正直、ギョベクリテペ遺跡は騒がれているけれどそこまで興味なかったのですが、、、



    ここは面白い!

    研究費たくさん獲れたらトルコ行きたい!





    何はともあれ、

    やぱ金なきゃどこも行けん!時間もか!( ・Д・)



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    2021ねん 7がつ 19にち(かよーび、晴れ)

    超多忙もあと3日!(*^・ェ・)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは新石器時代の儀礼具?『蛇の杖』が出土したよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はフィンランド、ヤルベンスオ1(Jarvensuo I)遺跡です。

    この遺跡はBCE4000-2000年にかけて居住された新石器時代の集落遺跡と考えられています。

    所謂、「湿地遺跡」であり、現地表面は乾燥していますが、30cm程度掘るだけで分厚い泥炭層に当たります。

    泥炭層と言えば、デンマークの『トーロンマン』が有名ですね。

    湿地帯に広がる泥炭層から検出されたもので生きてるみたいな状態で見つかっています。






    「歩け、マヤ」の記事でもよく取り扱ってますが、水分が常に供給されるような河川傍の遺跡や今回のような湿地帯遺跡、特に泥炭層では通常は腐敗してしまい残らない遺物が見つかる傾向があります。

    なのでこのヤルベンスオ1遺跡でも貴重な木製品が出土しています。

    中でも重要なのが今回紹介する『蛇の杖』です。




    炭素年代測定法(所謂C14法)では今から約4400年前の遺物と推定されています、

    なんと言っても完形品というのがスゴイですよね。

    よく壊れなかった!Σ(・ω・ノ)ノ

    とてもレアな、貴重な発見だと思います。



    さて、日本の縄文時代などでも狩猟対象となるような動物の造形はよく見られます。

    シカ、水鳥、イノシシなどですね。

    バルト海地方でも同様に、生業に関わる動物なのでしょう、ヘラジカや水鳥を模した遺物が数多く報告されています。

    でも蛇を模した遺物はバルト海地方ではレアだそうです。

    蛇は多くの哺乳類にとって天敵ですし、獲物を丸飲みにする力強いイメージがあります。

    また脱皮をすることから「生まれ変わり」を連想することもあります。

    そのためか世界的に見て呪術的に重視される傾向が強いようです。

    縄文時代でも蛇を象った土製品は少ないですが、縄文土器の浮文に蛇のモチーフが見られることが知られています。

    ちなみにこの地域では蛇を丸飲みにしたヒトの糞石が検出されているとのことで、獲物を丸飲みにする力強い蛇を更に丸飲みにするという儀礼が行われていたことを示唆しています。

    他に聞いたことの無い面白い事例だと思います(*・ω・)ノ



    ↓糞石の話が出てきたので関連記事を紹介しておきますヾ(´ω`=´ω`)ノ






    おわりに

    『蛇の杖』ってなんだかRPGとかのゲームの武器として出てきそうだなとか思ってたんですよ。

    で、このヤルベンスオ1遺跡周辺の岩絵の画像を見て、『蛇』、『武器』・・・って考えてたらふと思いついたことあるんですけども!

    ただの思い付きですが、日本の古代史との関係で比較してみたらそれなりに記事としては面白いかなと思うので、連続で記事にしてみますね。

    乞うご期待!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    ところで、、、


    蛇は美味しいよね!( ・Д・)



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    2018ねん 8がつ 6にち(げつよーび、晴れ)

    最近グーグル先生等々のネット上の翻訳サービスが改善されている気がする。

    論文のPDFデータの文字認識も役に立つし、

    紙媒体の割り付けに比べてデジタルデータは劣化しないし

    場所も取らないし、

    ほんとにいい時代になったものだ( -д-)ノ


    ・・・・・・・・・・・・

    今回紹介するのはイングランド南部にあるストーンヘンジの新たな研究成果についてです。ストーンヘンジは日本でもかなり有名な遺跡かと思います。

    5000年前の新石器時代に帰属する遺跡で環状列石状の遺構です。太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、さまざまな説が唱えられており、巨石群に囲まれて埋葬された人々に関する謎は、およそ100年の研究史の中でほとんど解明されていません。

    今回の研究成果はストーンヘンジに埋葬されている人の出身地が分かったということです。先行研究では建設の方法や目的が中心で、埋葬者や建設に携わった人々には焦点が当たっておらず、直接的な証拠を提示した研究はこれが初めての事例だそうです。

    ストーンヘンジは初期の時代には主に墓地としての役割を果たしたと考えられていますが、その建設は紀元前3000年に遡る上に、埋葬された遺体も火葬されていることから、埋葬者についての研究は困難なテーマでした。


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    ↑天文観測所としてのストーンヘンジ(「怪奇動画ファイル」さんより画像を転載)

    今回の考古学の分析には化学工学の技術が利用されました。火葬用のまきの山の高温(1000度超)にも耐えられる、骨に含まれる重元素ストロンチウムの同位体分析の結果、埋葬者の40%(25人中10人)はウェールズ西部が出身地である可能性があることが分かりました。

    ウェールズ西部は、ストーンヘンジを構成する石の中で小規模な「ブルーストーン」の産地と考えられ、こうした石の輸送やストーンヘンジの建設にウェールズ出身者が携わっていた可能性が高いとのことです。

    ストロンチウムは植物が土壌より吸収するため、死の直前10年間で人が口にしていた平均的な食べ物を反映します。そのため遺体の骨にストロンチウム同位体分析を施すことで、こうした人々が生涯最後の10年間に住んでいた場所を割り出すことができるのです。

    分析対象となった人骨は紀元前3180~2380年のもので、25の人骨中の15人は現地の人で、残り10人はウェールズ西部を含む英国西部で暮らしていた可能性がわかりました。

    また火葬の方法は一様ではなく、異なる燃料を利用したか、異なる条件下で実施されたと推測されています。現地の人々がストーンヘンジ周辺のような開けた土地で育つ木のまきを積んで火葬されたのに対し、他の人々はウェールズ西部のような森林地帯で育つ木を燃料に火葬された可能性があるとのこと。

    分析対象となったいくつかの火葬遺体は皮の袋に入っていたことが発見時に分かっており、遺体が埋葬のために遠隔地から運ばれた可能性を考えています。

    この研究がどう重要かというと、ストーンヘンジの石や人骨がウェールズと結び付けられるということは、ストーンヘンジの建設は220キロ以上離れた地域間における人々の繋がりが必要となるのです。

    5000年前の新石器時代に、皆でストーンヘンジを造り、利用するために、人と物資がウェールズとストーンヘンジのあるウェセックス地域を行き来していたことになります。

    どうやら人類の地域間交流は古くから密接であっただけではなく、古くから地域間で共有する公共建造物の建設が開始されていたようですね(*・ω・)ノ

    ↓科学の進歩は歴史を一層深く、面白くするね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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    2018ねん 4がつ 27にち(きんよーび、曇り)

    最近天気悪いな。カラッと晴れて欲しいものだ。

    そうしたら私の心の中も春色になるかも知れない。

    そう言えば桜が咲いたらしい…あ、週末だ。

    晴れたら花見に行こう、桜柄の缶ビール片手に。

    ・・・・・・・・・・・・
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    ↑穿孔の痕跡のある牛の頭蓋骨(AFPBB Newsより画像を一部加工、邦訳記事としてヤフーニュースを参考)

    【目次】
    1. 家畜に対する外科手術の痕跡の発見か?
    2. 医療の歴史と考古学、民間療法と医学・薬学

    1.家畜に対する外科手術の痕跡の発見か?
    フランス西部で変わった牛の頭蓋骨が出土した。当該地域には紀元前3400~3000年の新石器時代に属する集落があったことが分かっている。この集落址の周辺には多数のウシの骨片が散乱しており、ブタやヒツジ、ヤギと共に多様な種の牧畜を行っていたと考えられている。

    問題のウシの頭蓋骨には5cmほどの楕円形の穴が開いており、発見当初はウシ同士の喧嘩の際に相手のツノによってできたものと考えられた。しかし高倍率顕微鏡や高解像度スキャナーによる分析結果では、打突の衝撃によって生じる頭蓋骨の破砕痕が検出されなかった。

    げっ歯類のような小型動物による損壊の痕跡とも異なり、梅毒等の病気によって一部の骨が融解した事例とも異なることが分かった。

    そのため調査に当たったフランスの形質人類学チームは、人為的に丁寧に開けられた穴の痕跡であると推定した。ただし術後に骨組織の回復が確認できないため、施術を受けたウシは手術中あるいは術後間もなく死亡したか、あるいは死体ないし頭蓋骨に対して施術されたと考えられる。

    今回の発見からは、この穿孔行為がウシを救うための手術だったのか、人への外科処置の練習だったのかについての判断できない状況である。

    しかしがならフランス国立科学研究センター(CNRS)のフェルナンド・ラミレス・ロッツィは「動物に対して行った穿頭術として最古の事例である」と評価している。


    2.医療の歴史と考古学、民間療法と医学・薬学
    人に対する穿頭術の痕跡は、ヨーロッパの新石器時代では多くの事例が確認されています。今回の発見は、「家畜ないし動物」が対象であることがポイントなのです。

    さて、急速な科学技術の発達に伴い、医療器具も進化しています。それに伴い近年の外科手術や麻酔に関する知識・技術は著しく進歩していると言えるでしょう。

    19世紀のヨーロッパに見られる外科手術では、麻酔の知識はあったものの不十分であり、手術時には拷問のような痛みを伴ったと記録されています。外科手術の死亡率は80%とも言われています。

    そのまま死んだ方がむしろ楽に思える状況と数字ですね。もちろん当時の人体実験のような手術の数々の実践がきっと現代医療の礎となっている、ことを願ってやまないです。

    さらに遡って、古代エジプトでは歯科に関する施術知識が文字記録として残っています。その古さは紀元前3000年!人類は古くから病気と闘ってきたのですね。

    古代インカにおいても紀元前3500年ほどに穿頭術が行われており、その成功率は70%と推定されています。この値は19世紀の外科手術より凄いと思われるかも知れません。この数値の違いは外科手術行為の対象の違いであり、19世紀には様々な病気に対して外科手術が行われたのに対し、穿頭術というのは限定的な施術なのです。

    新石器時代のヨーロッパや古代インカに見られるように、当時の争いはこん棒や投石を武器にしていたため、打撃による頭部の骨折が多かったのです。時代が新しくなるとヨーロッパや日本では刀剣や弓矢による斬撃、刺突によるダメージが主体になります。

    頭部を骨折すると折れた部位が脳を圧迫しますので、その骨折あるいは変形した部分の骨を取り除くことで骨や出血による脳へのダメージを軽減しました。これが穿頭術なのです。強調のためか、「古代の脳外科手術」と呼称されたりもしますが、脳外科と聞いて現代の私たちが想像するような複雑なものではないのです。

    さて、遥か古代から病気やケガと闘ってきた人類ですが、その経験知は民間療法として息づいている場合があります。人類学者による聞き取り調査等によって得られた「伝統的な知恵」が現在の医療に役立つケースがあります。特に薬学では既知の薬草であっても新たな効能の気付きとその成分の抽出に成果を上げている事例があります。

    私たちに馴染み深い漢方も民間医薬の一つです。民間療法や民間医薬には危険性もありますが、現代科学や医学の知識と照らし合わせることで、一般化した化学合成された医薬品とは異なる生薬等の植物由来の天然医薬品の開発に役立っています。

    狭義の考古学だけでは現代の医学・薬学に関係した研究を行うことは困難のように思えますが、広義の人類学としては現代社会とのより直接的な結びつきが窺えます。

    伝統に裏打ちされた古き知恵の活用、「温故知新」の扉は私たちのすぐ傍にあるのかも知れません。


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