今回の考古学・歴史ニュースは「国内最古かもしれない弥生時代ののこぎりが福井の林・藤島遺跡で見つかって、しかも玉づくりに使われた可能性があるらしい!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
📰 はじめに
のこぎりって、現代ではあまりにも当たり前の道具だから、考古学ニュースとして聞くと少し地味に見えるよね。
でも今回の話は、たぶんそんなに地味ではない。
というのも、福井市の林・藤島遺跡で見直された鉄製品1点に、保存処理の過程で鋸歯がはっきり確認され、弥生時代の鉄製鋸である可能性が出てきたからだ。もしこれが妥当なら、日本列島でこれまで最古とされてきた古墳時代前期の鋸より古く、鋸の導入時期が弥生時代後期までさかのぼることになる。しかもこの遺跡は、ただの集落ではなく、玉づくり工房をともなう大規模集落なんだよね。
つまり今回の話は、
「古いのこぎりが出ました」
で終わらない。
むしろ大事なのは、
弥生時代の北陸で、玉づくりみたいな精密な手工業に鉄の工具がどう入り込んでいたのか、
そこが急に具体的になってきたことなんだよね。
🌏 まず、弥生時代ってどんな時代だったのか
弥生時代は、水稲農耕の広がりとともに、中国大陸や朝鮮半島を経由して鉄器が入ってくる時代として知られている。だいたい紀元前300年ごろから300年ごろまでの時期とされ、北部九州に現れた新しい文化が東へ広がっていったと説明されている。つまりこの時代は、田んぼの時代であると同時に、外から入ってきた新しい技術が日本列島の各地でローカルに組み替えられていく時代でもあるんだね。
しかも弥生時代後期になると、地域どうしのまとまりと交流がかなり強くなっていく。
1・2世紀ごろには、中国大陸、朝鮮半島、日本列島各地の結びつきが濃くなり、外部との交渉を担うような特別な人びとも現れてくると整理されている。だからこの時代の工房や工具の話は、単なる職人仕事の話ではなく、広域交流の中で何が伝わり、どこで高度化したのかという話にもつながってくるんだよね。
💎 その弥生時代に、玉づくりはかなり重要だった
弥生の玉というと、ついアクセサリーくらいに見えがちなんだけど、実際にはかなり重要です。
勾玉や管玉は、弥生時代になると有力者の墓に副葬されるようになり、青銅器などと並んで「力」の象徴としての意味を持つようになっていく。とくに貴重な石材で作られた玉を持つことは、遠隔地との交渉力や入手力を示すことでもあったらしい。さらに日本海側では、碧玉やヒスイなどをめぐる交流が強く、北陸の玉づくりはかなり広域のネットワークの中に置かれていたことが分かっている。
だから玉づくりの工房って、単なる町工場ではないんだよね。
そこには原石の確保、切断、穿孔、研磨、流通まで含めた高い技術とネットワークが必要になる。
北陸の事例でも、2300年前には硬い碧玉を切断し、細い孔をあける高度な加工技術が成立していたことが語られている。つまり今回の福井の話は、弥生の工芸技術の中でも、かなり“精密機械寄り”の現場の話なんだ。
↑明らかにのこぎりだね!( ・Д・)(「魚津知克らによる資料報告」の第2・3図より転載)
🏺 林・藤島遺跡って、そもそもどんな遺跡なのか
林・藤島遺跡は、福井市泉田町、九頭竜川中流域左岸の自然堤防上にある複合遺跡で、縄文時代晩期、弥生時代後期から古墳時代、さらに鎌倉時代の遺構を含んでいる。その中でも特に注目されてきたのが、弥生時代後期の玉づくり工房をともなう大規模集落だね。発掘では、竪穴住居や平地住居、掘立柱建物、土坑、溝などに加えて、玉の完成品・未成品・石材・砥石、そして大量の鉄製工具が出土している。こうした出土品の一部944点は、国の重要文化財にも指定されている。
しかもこの遺跡、玉づくりの工程がかなり見える。
細い錐は管玉に孔をあけるため、鏨は原石を割って角柱状に加工するために使われたと考えられていて、北陸の玉づくり工具が石製から鉄製へ移っていく様子をかなり具体的に示している。福井県側も、この遺跡を日本海側一帯の中でも高水準の生産技術を示す例として位置づけているんだよね。
🔍 そして今回、その中から“のこぎりらしい鉄製品”が見えてきた
今回おもしろいのは、この資料が最初から「のこぎり」として知られていたわけではないところだ。
保存修理の過程でX線透過画像を撮ったところ、鉄製品1点に明瞭な鋸歯が見つかった。発掘報告書ではもともと「鋸歯が刃部すべてにある鎌」とされていたものだったけれど、X線やCTスキャンで細部を見直したことで、のこぎりとして再評価できる可能性が出てきたわけだ。こういうの、かなり好きなんだよなあ。昔の発掘品が、新しい観察技術で別の顔を見せるやつ。
資料そのものは、保存修理後の現状で長さ4.1センチ、最大幅2.1センチ、厚さ1ミリほど。折れ曲がりを元に戻すと、少なくとも5.7センチ以上の、先端が尖る「くちばし形」に復元できるという。歯は下辺につき、1センチあたりおよそ5〜6枚、深さは1〜3ミリ程度。しかも歯には切れ込みや面取りまで確認されていて、かなりちゃんと加工された刃だと分かる。
⏳ どれくらい古いのか
ここが今回の核心だね。
この資料は、遺構に直接伴うものではなく、弥生時代後期の包含層から出土したものなので、研究チームも断定は避けている。
ただ、直上が厚い弥生時代包含層で、上層からの混入は考えにくく、同じ層から刀子・鏨状・棒状の鉄製工具も出ていることから、弥生時代後期後半に属すると見るのが自然だとされている。だから現段階では、「国内最古の弥生時代鉄製鋸である可能性が高いが、確定ではない」という言い方がいちばん正確なんだね。
それでもインパクトは大きい。
これまで日本列島で最古の鋸類例とされていたのは、古墳時代前期の兵庫県権現山51号墳の副葬品だった。つまり今回の資料が妥当なら、鋸の導入時期は古墳時代から弥生時代へ一気にさかのぼることになる。研究チームは、鋸は日本列島で最も「鉄器化」が遅れた道具の一つと評価されてきたとしたうえで、この資料はその理解に一石を投じると述べている。
🪵 しかもこれ、玉づくりに使われた可能性がある
ここがタイトルのいちばん面白いところ。
林・藤島遺跡では、鉄製工具の多くが鏨や錐のような打割具・穿孔具で、玉づくりの現場に重点的に投入されていたことが分かっている。未成品の観察からも、打割や穿孔で鉄器が使われていたことが復元できる。さらに、一部の未成品には「施溝分割」の痕跡があって、この工程に鉄製工具が使われた可能性が指摘されている。研究チームは、薄手の鑿だけでなく、この鋸も施溝分割に使われた可能性があると見ているんだね。
要するに、今回ののこぎりは木工用の大ぶりな道具というより、石材や玉材を細かく加工するための精密工具として考えたほうがしっくりくる。
弥生時代の工房で、石を割り、溝を入れ、孔をあけ、磨いていく。
その流れの中に、のこぎりが入っていたかもしれない。
これ、かなりいいよね。弥生時代の工房が、急に手元の細かい作業の世界として見えてくる。
🌊 しかも北陸の技術って、かなり外とつながっていたかもしれない
今回の報告では、この鋸には日本列島内に類例の少ない歯の形態があり、あるいは舶載品の可能性もあるとされている。研究チームは、石川県小松市の八日市地方遺跡で見つかった鉇の祖型とみられる鉄製品なども踏まえ、弥生時代後期の北陸には、中国大陸起源の鉄器文化の影響が日本海を通じて及んでいた可能性を考えている。もしそうなら、林・藤島ののこぎりは、単なる一工具ではなく、日本海側に入ってきた鉄器技術のかなり前衛的な痕跡になる。
ここ、かなり大きいです。
弥生時代の鉄器って、つい農具か武器の話になりがちなんだけど、実際には手工業の現場にどう入ったかも重要なんだよね。
しかもその入口が、日本海側の工房だったかもしれない。
こうなると今回の発見は、「のこぎり」そのもの以上に、「弥生時代の北陸って、思っていた以上に技術先進地だったのでは?」という話にもなってくる。
✍️ あるけまや的まとめ
今回の話を雑に言うと、
福井市の林・藤島遺跡で出土していた鉄製品1点が、保存修理とX線・CT調査によって、弥生時代の鉄製鋸である可能性が高いと分かってきた。資料は弥生時代後期後半の包含層から出土していて、確定ではないものの、妥当なら国内最古の鋸になる。しかも林・藤島遺跡は玉づくり工房をともなう大規模集落で、鏨や錐など鉄製工具が大量に出土しており、今回の鋸も玉材の施溝分割などに使われた可能性がある。つまりこの発見は、弥生時代の北陸で、かなり高度な手工業生産に鉄器が入り込んでいたことを示すかもしれないんだね。
だから今回の発見は、
「古いのこぎりが見つかった」
だけじゃなく、
「弥生時代の工房では、石の玉をつくるために、思っていたより早い段階から鉄の精密工具が使われていたかもしれない」
というところまで見せてくる。
のこぎりって、日用品すぎて逆に見落としやすい。
でも考古学だと、そういう当たり前の道具が、いちばん時代の輪郭を変えてくることがあるんだよね。
こういう発見、かなり好きなんだよなあ( ・Д・)
なにはともあれ・・・・・・
私はのこぎりを上手く使えない!( ・Д・)


























































