あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    日本

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    2019ねん 2がつ 21にち(もくよーび、晴れ)

    某100均での話。

    理科の実験で使うシャーレが欲しかった。

    店の人に訊いたら、ポカ~ンってされた。

    説明したら、「あ~、ビーカーならあります!」

    ……ビーカー!?( ・Д・)


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    ↑レプリカ法で見つかったゴキブリの卵(「EurekAlert」の記事内画像より転載;credit: 小畑弘己、熊本大学



    今回の考古学・歴史ニュースは「土器の研究から、日本のゴキブリの起源が中国である可能性が分かったよ!」ってことです!


    この研究は熊本大学の小畑弘己教授によるもので、土器表面に対するレプリカ法(圧痕法)を用いたものです。


    より正確には「土器圧痕のレプリカ法」と言います。


    土器の器面(表面)に何らかの要因で押し付けられた痕跡(圧痕)に対して、シリコンを流して型を取った標本(レプリカ)を電子顕微鏡等で観察して分析する手法のことです。





    対象となった資料は宮崎県、宮崎市田野町の本野原遺跡(もとのばるいせき)で出土したものです。

    この本野原遺跡は縄文時代後期の遺跡であり、西日本において最大級の集落跡が発見されています。


    この遺跡から出土した約4300年前の土器と約4000年前の土器との器面からゴキブリの卵の痕跡が見つかったわけです。


    本記事内で述べている検出されたゴキブリの「卵」というのは実際には「卵鞘(らんしょう)」と呼ばれるもので10~11mm程度のサイズだそうです。

    この「卵鞘」の中に複数の卵が入っている構造なのです。

    そのため「卵のさや」と書くのですね。しかし記事内では分かり易く、「卵」と表記します( -д-)ノ




    今回検出されたゴキブリの卵は、中国南部が原産とされるクロゴキブリの卵と形態的に強い類似性を示しているということが分かりました。


    クロゴキブリとは屋内に生息する種のゴキブリとして代表的なものです。

    ちなみにこの屋内ゴキブリであるクロゴキブリがが縄文時代の遺跡から確認されたのは初めての事例のようです。


    つまり今回の発見によって縄文時代の家屋の中にもゴキブリがいたことになります。

    どうやら我々と”G”との戦いの歴史はとても長いようですね( ・Д・)



    日本の在来種とされるヤマトゴキブリは平安時代(CE794-1192)の文献に記載されています。

    それに対して今回の発見は約4300年前のことですので遥か昔の話になります。


    このクロゴキブリが船によって渡って来たのか、本当は日本の在来種であるのかはまだ分かりませんが、日本におけるゴキブリの起源に関わる重要な発見なのです。


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    レプリカ法、面白そうですね!(・∀・)つ


    だが、私のフィールドではどのような発見に繋がるのだろうか……

    やってみなきゃ分からんか!( ・Д・)

    ↓”G”が嫌いなひと~?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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    2018ねん 10がつ 20にち(どよーび、晴れ)

    カラ咳が止まらない。

    乾燥しているのだろうか。

    もう秋というか……すでに寒い!

    この前、「雪虫」見たしね!

    も~そろ冬なのですね( -д-)ノ

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    ↑エルサレムの建設現場にて出土した古代の石柱、下部に文字が刻まれているのが見える(「AFP BB NEWS」の動画より加工・転載)


    【目次】
    1. エルサレムの表記の昔と今について ~碑文入り石柱の発見~
    2. 日本の古代都市の名前の変化 ~日本の都市は2文字が多い?~
    3. 古代マヤ文明の都市名の昔と今について
    4. おわりに

    1.エルサレムの表記の昔と今について ~碑文入り石柱の発見~

    さて、今回の考古学・歴史ニュースは「エルサレムという表記が遥か昔から同じ!」ということです。

    エルサレムと言えば、内紛等のニュースで何だかおっかないところというイメージがありますが、他方で「イスラム教」、「キリスト教」、「ユダヤ教」という世界的な3つの宗教の聖地としても有名です。

    そのため都市が有する歴史は非常に深く、多数の聖地巡礼者が訪れるだけではなく、観光地としても人気があります。……ちなみに「エルサレム症候群」ってご存知でしょうか?

     エルサレムを訪問することで引き起こされる、宗教を題材とする強迫的思考、妄想、その他の精神病的体験の発症を伴う一連の心理現象のこと(from wiki)。

    世の中、本当に色々な物事があるなぁと感心します。まぁ私自身もとあるホラー映画をきっかけにしてその存在を知ったのですが( ・Д・)


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    話を戻しますと、エルサレムの建設現場にて、現代ヘブライ語と同じつづりで「エルサレム」と刻まれた約2000年前の石柱が出土しました。それが上に挙げた写真になります。

    この石柱は切り出してイスラエル博物館(Israel Museum)にて公開が開始されたそうです。石柱に刻まれた碑文にはヘブライ文字で書かれたアラム語で「エルサレムのドダロスの息子のハナニヤ(Hananiah son of Dodalos of Jerusalem)」と記されているとのことで、約2000年前にすでに現代と同じつづりが使われていたことを示しています。


    西暦の1世紀に相当する第二神殿時代と呼ばれる時期に現代と同じ「Yerushalayim(イェルシャライム)」の発音で記されていることは珍しいそうです。


    通常は宗教的または政治的な文脈で使われることが多いそうで、この碑文が重要なのはその内容が宗教的、救世主的またはプロパガンダ目的で使われているわけではなく、男性がこの都市の出身だと名乗っているだけの日常的なものであることだそうです。




    この発見された石柱は元々、紀元前2世紀のエルサレム近郊の陶器村にあったそうです。村は現代のエルサレム市内にあり、2世紀初めごろにローマ軍第10軍団の作業場となり、陶器製の建材を作っていたとのこと。


    碑文内に現れる「ハナニヤ」さんは芸術家または職人の名前で、石柱は作品の売り込みのために、公共建築の建材として寄付した可能性があるそうです。


    また碑文内の「ドダロス」はおそらく、ギリシャ神話に登場する職人「ダイダロス(Daedalus)」の愛称だということで、この碑文だけでも色々なことが分かるものだなぁと感慨深く思いますね。


    そのため今回出土した石柱の存在は、エルサレムが紀元前332年にアレキサンダー大王(Alexander the Great)によって征服された後、エルサレムに住むユダヤ人たちが数百年に渡り、建築の際にギリシャ様式を取り入れてきたことを示唆しているとのことです。



    2.日本の古代都市の名前の変化 ~日本の都市は2文字が多い?~

    さて、そもそも古代の都市名が昔と今が同じというのはそれほど珍しいことなのでしょうか?

    日本の事例で見てみますと、現在の日本の地名は漢字2文字による表記である場合が非常に多いことが分かります。

    例えば都道府県では、北海道、神奈川、和歌山、鹿児島以外はすべて漢字2文字による表記です。これはなぜなのか。



    それは古代の日本の地名の文字数には規定がなかったが、西暦713(和銅6)年、律令政府は「好字二字化令」と呼ばれる決まりを広め、諸国の郡名、里名を漢字2文字に揃えたのです。

    この時期の日本は大陸の大国である唐を手本にして政治を行っていたため、地名についても唐に倣った結果なのです。こうして10世紀初頭に成立した『和名類聚抄』によれば薩摩国の鹿児島郡を除いて全て2文字に揃えられているのです。

    このような国の御触れのせい、という事例は少ないかも知れませんが、都市の名前と言うのは長い年月の中で変わっていくものなのですね。まぁより簡単な例を出せば、江戸から東京になったような感じです( -д-)ノ

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    3.古代マヤ文明の都市名の昔と今について

    長くなりましたが、最後に古代マヤ文明の事例を簡単に紹介しますね。

    古代マヤ文明では古典期(西暦250-1000)に多くの都市国家が林立し、石碑に王の個人史や王朝史、国家間の戦争や儀礼に関する内容が刻まれました。

    この時、都市あるいは支配領域の名前が表現されることが分かっています。それが「紋章文字」です。

    ちなみにジョイス・マーカスの研究(Marcus 1976)ではマヤ都市は4つにランク分けされていて、紋章文字を中心として石碑から都市間の主従関係が分かると結論付けました。

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    上に挙げた図のように、数多くの紋章文字が存在しているわけですが、聞きなれない音感の名前がありますよね?

    アルトゥン・ハとかイツァンとか……こういう名前の都市はマヤ語由来の名称です。ただし多くが16世紀以降のスペイン征服期、あるいはそれより新しい時期に付けられた名称になりますので、古典期マヤにおける当時の名称とは異なる場合が多々見られます。

    一方でアルタール・デ・ダクリフィシオスとかカラコル、エル・ペルーといったスペイン語の名称は明らかに新しく命名されたもので、当然、古典期における都市の名称とは異なります。

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    古典期マヤ、特に中部低地域で最も有名かつ有力な都市であった「ティカル」について書かれた碑文が上の画像になります。

    この中で紋章文字は右下の1文字になりまして、読み方は「ムタル(ムトゥル、ヤシュ・ムタル)」となります。


    紋章文字の発見によって、現在の都市遺跡名と当時の名称が同じであったことが判明した事例もありますが、実際にはほとんどがやはり異なる名称が使われていたことが分かっています。

    やはり古代の都市名が昔も今も一緒というのは珍しいことなのですね( -д-)ノ


    4.おわりに

    おまけも含めるとなんだか長い記事になってしまいました……が、いかがでしたでしょうか。

    調査等々で様々なところに赴く機会がありますが、郷土史家の方あるいは郷土史研究会に入っているといった郷土史が大好きな方にお会いすることが多々あります。

    お話を聞いていると、やはり村や町の名前の変遷についてよく聞くわけです。「ここは旧~村で……」のような感じですね。

    旅行や帰省の際には是非、郷土資料館等に立ち寄ってみて、地名や市町村名の変化について気にしてみるといいかも知れませんね。それも一つの歴史ですから(*・ω・)ノ

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    2018ねん 10がつ 15にち(げつよーび)

    ラーメンを食べに行く時間もなかったので

    自宅でラーメンを作ってみた。

    鍋の残りにラーメンを入れた状態と同じ味になった……

    やはり店の味とは違う(´・ω・`)

    それはさておき、気付けばめっきり寒くなったものだ。

    鍋が旨い季節である(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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    さて今回紹介するのは、奈良県の天理市にある黒塚古墳から出土した三角縁神獣鏡の理化学分析結果についてです。この黒塚古墳は3世紀後半の古墳で、1997~1998年に行われた発掘調査によって33面の鏡が出土しました。これは一つの古墳からの出土数としては全国最多の事例なのです。



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    新聞でも話題となり、記事では32面とありますが、最終的に33面の三角縁神獣鏡が発見されました。竪穴式石室は長軸8.2m、短軸1.2mで、遺体の周辺に鏡や刀剣等の武具といった副葬品が配置されていました。出土した三角縁神獣鏡はその文様や銘文から、33面の全てが中国から輸入された舶載鏡(はくさいきょう)と考えられてきました。

    多量の三角縁神獣鏡の発見から20年という歳月を経て、今回、京都市の泉屋博古館(せんおくはっこかん)が大型放射光施設「スプリング8」にて蛍光X線分析を行い、鏡の素材に含まれる成分を調べました。

    結果として鏡に含まれる錫(すず)、銀、アンチモンの3元素の組成数値を調べ、グラフ化したところ、紀元前1世紀~3世紀に相当する古代中国の前漢後期~三国時代に鋳造された鏡の組成数値と近似することがわかりました。

    また黒塚古墳から出土した画文帯神獣鏡1面についても、その化学組成が上記の古代中国鏡とほぼ一致することが分かったのです。

    そのため黒塚古墳で出土した三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡と、前漢後期~三国時代の古代中国鏡が、同じ原材料で作られている可能性が高まったのです。つまりやはり黒塚古墳出土の古代鏡は中国製だった可能性が高いのです。

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    さて、元々、文様や銘文から鏡が中国産と考えられていたのに、成分分析を行ってやっぱり中国産でしたというのは、理化学的な手法によっても証明されましたという意味はあっても、それほど大事なことなの?と思われるかも知れません。

    ではこういった研究が何故重要なのかを説明しますと……

    三角縁神獣鏡は卑弥呼が中国から得た鏡であるとする説があるのです。日本史の教科書にも出てくる邪馬台国の女王、卑弥呼は魏に遣使していたとされており、中国の歴史書である「三国志」や「魏志倭人伝」には239年(景初3年)魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したとする記述があることから、三角縁神獣鏡がその鏡であるとする説があります。

    この三角縁神獣鏡は日本各地の古墳から出土していることから、ヤマト王権が卑弥呼に下賜された古代鏡を各地の豪族に与えたとする古代政権成立過程が提唱されています。

    以上の説では、三角縁神獣鏡=中国産になるわけですね。まぁ魏の皇帝が卑弥呼にあげた銅鏡が三角縁神獣鏡であれば、かつヤマト王権がその内の少なくとも数枚を引き継いでいたらですけども。

    一方で、三角縁神獣鏡=日本産の説があるわけです。何故か?三角縁神獣鏡は中国で一枚も見つかっていないからです!

    他にも根拠はいくつかありますので紹介しますと、


    ①日本国内では三角縁神獣鏡が540枚以上見つかっているため国内における大量生産が窺えること

    ②卑弥呼が得た鏡の総数である100枚を超えて存在すること

    ③卑弥呼の時代である邪馬台国時代に相当する3世紀の墳墓からは一枚も出土していないこと

    ④中国で既に改元され、存在しないはずの年号の事例が1例あること(島根県雲南市加茂町大字神原・神原神社古墳出土の鏡に景初3年の銘、しかし魏の皇帝は景初3年1月1日に崩御している)


    とまぁ、三角縁神獣鏡は古代日本におけるミステリーの一つと言えるでしょうね。中国製説、日本製説、日本における中国系渡来人製説、日本における中国鏡の倣製鏡説と色々ありますが、みなさんはどこ産だと思いますか?

    三角縁神獣鏡は博物館等の展示でも見られることも多い資料です(レプリカのことも多々あります)。次に博物館を訪れる際には是非、三角縁神獣鏡をまじまじと見て「メイド イン~」か思いをはせてみるのも良いかと思います(*・ω・)ノ
     
    ↓左を押したら「日本製」、右を押したら「中国製」の説に一票……( ・´ー・`)ドヤ!??↓

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