あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    旧石器時代

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    2026ねん 8がつ13にち(もくよーび、台風?)

    昨日頑張り過ぎて今日午前死んでた!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    arukemaya_y943

    ↑さすがに盛り過ぎだろ!( ・Д・)





    今回の考古学・歴史ニュースは

    ドイツ南西部のホーレ・フェルス洞窟から、約4万年前にマンモスの牙を削って作った、親指の爪ほどしかない2羽の鳥が発見されたけれど、その一つには目、嘴、さらに翼の羽毛まで細い線で彫り込まれ、しかも単なる“鳥の記号”ではなく、卵を抱く姿や翼を広げる一瞬まで表現したらしいぞ( ・Д・)」

    ってお話です(*・ω・)ノ




    📰 はじめに

    これは、写真を見た瞬間にちょっと言葉を失う。

    巨大な壁画ではない。

    黄金でもない。

    宝石もない。

    わずか2センチほど。

    手のひらですらなく、親指の爪の上に載ってしまうほど小さな鳥である。

    材料は、マンモスの牙。

    その小さな象牙片から、約4万年前の誰かが鳥の身体を削り出した。

    丸みを帯びた胴。

    頭を引いた姿勢。

    小さな目。

    尖った嘴。

    広げられた翼。

    そして翼の表面には、何本もの細い平行線が走っている。

    研究者たちは、これを羽毛を表現した刻線と考えている。

    しかも雑ではない。

    「鳥らしい何か」を作ったのではなく、「この鳥はいま何をしているのか?」まで議論できるほど具体的に作られているのである。

    個人的な好みを抜きにしても、この小像は本当に美しい。

    4万年前という途方もない年代を知らずに現代の小さな工芸品として見せられても、十分に魅力的だと思う。

    それが、ヨーロッパへ進出して間もないホモ・サピエンスが、石器でマンモスの牙を削って作ったものなのだ。

    しかも今回見つかったのは、一羽ではない。

    二羽だった。

    2025年の発掘で同じ地層から発見され、2026年7月29日、テュービンゲン大学によって「今年の発見」として発表されたのである。


    ⛰️ 舞台は「人類最古級の芸術工房」ホーレ・フェルス

    ホーレ・フェルス洞窟があるのは、ドイツ南西部バーデン=ヴュルテンベルク州、シュヴァーベン・ジュラのアハ渓谷。

    石灰岩台地を川が削り、その斜面に無数の洞窟が開いている。

    現在ここには、ホーレ・フェルス、ガイセンクレステルレ、フォーゲルヘルト、ホーレンシュタイン=シュターデルなど、旧石器時代研究史に名を残す洞窟群が集中している。

    この地域の洞窟では19世紀から発掘が続き、ホーレ・フェルス自体でも1870~1871年に最初期の科学的発掘が行われた。1970年代以降に近代的な調査が再開され、現在のテュービンゲン大学調査隊へ続いている。

    そして、この一帯が異常なのである。

    約4万年前の地層から、

    マンモス。

    洞窟ライオン。

    ウマ。

    魚。

    半人半獣の存在。

    人間。

    そして鳥。

    これらを象牙から彫った立体像が次々と出てくる。

    さらに装身具とフルートまである。

    ユネスコは2017年、6つの洞窟を「シュヴァーベン・ジュラの洞窟群と氷河期の芸術」として世界遺産へ登録した。そこから出土する彫刻群は世界最古級の具象芸術、フルート群は世界最古級の確実な楽器として評価されている。

    つまりホーレ・フェルスは、

    「昔の人がたまたま鳥を一個彫った洞窟」

    ではない。

    人類史上もっとも早い時期に、彫刻・装身具・音楽が一気に姿を現す、巨大な文化的ホットスポット

    なのである。


    🎶 ヴィーナス、フルート、そして最初の「水鳥」

    この洞窟を世界的に有名にした発見はいくつもある。

    2008年には、マンモス象牙製の女性像――いわゆる「ホーレ・フェルスのヴィーナス」が発見された。

    高さ約6センチ。

    初期オーリニャック文化に属し、少なくとも約3万5000年以上前、現在では約4万年前前後までさかのぼる最古級の人間表現として知られている。

    さらに、その発見場所からわずか約70センチのところでは、ハゲワシの骨から作られたフルートが発見された。

    長さ21.8センチ、5つの指穴を持ち、吹口まで残る。

    つまり約4万年前の人々は、ただ物を作っていたのではない。

    姿を彫り、身体を飾り、音楽を奏でていた。

    そして今回の鳥には、重要な先輩がいる。

    2001年にホーレ・フェルスで、小さなマンモス象牙製の鳥の胴体が発見された。

    翌2002年には頭部と首が見つかって接合され、全長約4.7センチの一羽になった。

    細長い首と身体から、水へ潜る鳥、カワウ、あるいはカモのような水鳥ではないかと考えられた。

    2003年、ニコラス・コナードはこの水鳥を含むホーレ・フェルスの象牙彫刻を『Nature』で報告。

    当時、この鳥は知られている最古の鳥類表現として大きな注目を浴びた。

    それから約四半世紀。

    同じ洞窟から、さらに二羽が出てきたのである。





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    ↑地盤ゆるいんだろうね、こんな洞窟掘ったことないけど怖そう・・・が楽しそうな顔しておる!( ・Д・)(「University of Tubingen」の記事内画像より転載;credit: Ralf Ehmann / Universität Tübingen, Grafik: urmu


    🧊 4万年前――ホモ・サピエンスがヨーロッパへ広がった時代

    二羽が出土したのは、ホーレ・フェルスのオーリニャック文化下層

    約4万年前に位置付けられている。

    オーリニャック文化は、およそ4万3000~3万3000年前のヨーロッパ初期後期旧石器時代を代表する文化で、一般にヨーロッパへ拡散した初期ホモ・サピエンスと強く結び付けられている。

    その少し前まで、この地域にはネアンデルタール人が暮らしていた。

    実際、ホーレ・フェルスのさらに下には中期旧石器時代の地層があり、ネアンデルタール人に関係する石器文化の痕跡も残っている。

    そして、その上に現れるオーリニャック文化では、石刃や骨角器だけでなく、

    象牙製装身具。

    彫刻。

    楽器。

    複雑な骨角製道具。

    といった新しい物質文化が大量に姿を現す。

    この「文化爆発」が、ホモ・サピエンスのヨーロッパ進出を助けたのではないかという議論は昔からある。

    歌や装身具や彫刻によって集団の結束を強めた。

    離れた集団同士で共通のシンボルを共有した。

    大規模な社会ネットワークを作った。

    そうした文化的能力が、変動の激しい氷期環境で生き残る助けになったのではないか――という考えである。

    2026年の『Nature』も、今回の鳥を、初期ホモ・サピエンスがヨーロッパで繁栄した背景を考える資料として取り上げている。

    ただし、

    「芸術を持っていたからサピエンスがネアンデルタール人を滅ぼした」

    と単純化するのは危険である。

    ネアンデルタール人にも象徴行動を示す資料はあり、その消滅には人口、環境、交雑、競争など複数の要因が関係する。

    重要なのは、約4万年前のシュヴァーベンで、少なくとも人々が生存に直接必要とは思えないほど手間のかかる物を、かなり頻繁に作っていたということだ。

    そして、その頂点の一つが今回の二羽なのである。


    🦣 マンモスの牙から、爪ほどの鳥を削り出す

    材料はマンモス象牙。

    現在なら象牙というと高級工芸品を連想するが、氷期ヨーロッパの人々にとってマンモスは、食料であると同時に巨大な原材料供給源でもあった。

    骨。

    牙。

    皮。

    脂肪。

    さまざまな部分が利用された。

    ホーレ・フェルスからも、マンモス象牙を加工した工具、装身具、彫刻、楽器、そして大量の加工屑が見つかっている。現在では古代DNAを象牙加工屑から抽出し、どのマンモスが利用されたかまで調べる研究も始まっている。

    しかし象牙は、粘土ではない。

    失敗したら、盛り直せない。

    石器で切る。

    削る。

    溝を刻む。

    磨く。

    少し削り過ぎれば、翼が折れる。

    嘴が消える。

    2センチの鳥なら、ほんの1ミリの失敗でも全体の形が変わってしまう。

    今回の翼を広げた鳥は、

    長さ約2センチ、幅約1センチ、厚さわずか約5ミリ。

    重さは、二羽それぞれ約1.3グラムと0.7グラムしかない。

    しかもこの翼を広げた個体は、シュヴァーベン世界遺産地域から知られる氷河期芸術の中で、現在確認されている最小の作品となった。一般的な同時代の象牙小像は3~9センチほどある。

    2センチ。

    500円玉より小さい。

    そんな象牙片へ鳥を収め、そのうえ羽毛まで彫る。

    これは「原始的」という言葉から、ほとんど正反対の技術である。


    ✨ 2025年、土の中から二羽の鳥が現れた

    二羽は2025年の発掘で発見された。

    同じオーリニャック文化層。

    距離は約1.5メートル。

    年代もほぼ同じと考えられる。

    ただし、同じ職人が作ったのか、数年あるいは何世代か離れた別の人物が作ったのかまでは分からない。

    一羽は、ほぼ完全な状態で残っていた。

    身体を低く伏せ、頭を胴体へ強く引き付け、脚を畳んでいるように見える。

    目は、はっきりと丸く表現されている。

    研究チームは、

    卵を抱いている鳥ではないか

    と考えている。

    これはもう、単に「鳥」という概念の表現ではない。

    鳥が巣へ身体を沈める、その姿勢を見ている。

    静かな一瞬を切り取っているのである。

    もう一羽は、一部が失われている。

    左翼は折れており、欠損部も見つかっていない。

    だが残った姿は、まったく違う。

    長く伸びた首。

    特徴的な嘴。

    そして大きく広げられた翼。

    その翼に、細い平行線が何本も刻まれている。

    羽毛である。

    わずか数ミリ幅の翼へ、羽根の方向まで意識して線を並べている。

    これが本当にすごい。

    リアルな動物像というと、私たちは大きければ大きいほど難しいと思いがちである。

    しかし、この鳥は逆だ。

    小さすぎる。

    指でつまんだら隠れる。

    なのに、輪郭だけで終わらない。

    4万年前の職人は、鳥を「鳥だと分かる最低限の形」まで単純化しながら、それでも羽毛、嘴、目、姿勢という、生命感を生む部分だけは残した。

    だから美しいのだと思う。

    細密だからだけではない。

    小さな象牙の中に、鳥の特徴を選び取る観察力がある。

    2センチしかないのに、ちゃんと生き物に見えるのである。





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    ↑もう美しいね!( ・Д・)(「University of Tubingen」の記事内画像より転載;credit: Ralf Ehmann / Universität Tübingen, Grafik: urmu





    🪶 飛んでいる? 求愛している? 卵を抱いている?

    そして研究チームが驚いているのは、二羽が動作を表現しているように見えることだ。

    シュヴァーベンの氷河期動物彫刻には、立った動物や歩く動物など、比較的静的な姿勢が多い。

    ところが今回は違う。

    一羽は身体を地面へ伏せる。

    もう一羽は翼を大きく開く。

    翼を広げた鳥については、

    飛翔中。

    水面へ着水しようとしている。

    敵を威嚇している。

    あるいは求愛のため身体を大きく見せている。

    複数の解釈が検討されている。

    鳥種も確定していない。

    伏せた鳥について有力なのが、ライチョウ類である。

    ホーレ・フェルス周辺の動物骨資料からもライチョウ類は多く確認され、氷期の開けた寒冷環境に適応した鳥だった。

    翼を広げた個体については同じライチョウ類のほか、キジ科の別種、あるいは猛禽類まで候補に挙がっている。

    つまり4万年前の彫刻なのに、

    「これは何の鳥?」

    だけでなく、

    「この鳥、何してる?」

    というところまで話が進んでいる。

    考えてみれば、異常な精度である。

    鳥という記号ではなく、鳥の行動を見ていたからこそ作れる像なのかもしれない。


    🎵 なぜホーレ・フェルスだけ、こんなに鳥が好きなのか

    そして今回、妙な偏りがはっきりしてきた。

    シュヴァーベン・ジュラの世界遺産地域では、マンモスや洞窟ライオンの彫刻が数多く見つかっている。

    ところが鳥は少ない。

    現在まで、鳥の小像が確認されているのはホーレ・フェルスだけ

    2001~2002年の水鳥。

    そして2025年の二羽。

    合計三羽になった。

    一方、周辺の主要な象牙彫刻出土洞窟では、今のところ鳥が一羽も出ていない。

    コナードたちは、この違いを重要視している。

    各洞窟には、単なる「オーリニャック文化」という大分類では見えない、固有の芸術的な特徴があったのではないか。

    ある集団はマンモスを好む。

    ある場所ではライオンが多い。

    ホーレ・フェルスでは、なぜか鳥が繰り返し選ばれる。

    洞窟ごとに活動した集団、職人、社会的伝統に、それぞれ異なる「好み」があった可能性があるのである。

    では、なぜ鳥だったのだろう。

    食料だったから。

    季節移動を知らせたから。

    危険を鳴き声で知らせたから。

    飛ぶこと自体が特別な意味を持ったから。

    護符だったから。

    特定集団の象徴だったから。

    答えは分からない。

    研究者は個人的なタリスマンや集団アイデンティティーを示す象徴だった可能性も挙げているが、直接証拠はない。

    ただ、ひとつ面白いことがある。

    この地域の人々は、鳥の骨でフルートも作っていた。

    鳥を見る。

    鳥の声を聞く。

    鳥の骨から楽器を作る。

    そして鳥の姿を象牙へ彫る。

    4万年前の人間にとって、鳥は今よりずっと身近な、景観の一部だったのだろう。


    🌏 「世界最古」ではない。でも、世界最古級の立体芸術である

    「世界最古級の芸術」という部分にも少し整理が必要である。

    現在、芸術表現全体まで含めれば、ホーレ・フェルスより古い例がある。

    2026年にはインドネシア・スラウェシ島の洞窟から、少なくとも6万7800年前の手形が報告された。

    また同じスラウェシ島では、動物と人間らしい存在を描いた具象的な場面が、少なくとも5万1200年前までさかのぼることが確認されている。

    したがって、

    「4万年前のドイツの鳥=世界で最初の芸術」

    ではない。

    しかし、話を立体彫刻に限定すると状況が変わる。

    現在知られるヨーロッパ最古の立体的な具象彫刻の中心が、まさにシュヴァーベン・ジュラである。

    初期オーリニャック文化、約4万~3万8000年前のマンモス象牙彫刻群には、これほど古い時代のまとまった立体芸術として、世界的にもほとんど並ぶ例がない。

    しかも今回の二羽は、ただ古いだけではない。

    最古級なのに、すでに完成度が高い。

    芸術史を、

    簡単な線

    粗い形

    少しずつ上達

    精巧な彫刻

    という一直線の進歩として想像すると、完全に肩透かしを食らう。

    現存する最初期の段階から、もう目を彫り、羽毛を彫り、動物の行動を表現しているのである。






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    ↑つるつるだけどなんでそんなにこの角度が好きなの!? 擦痕が明瞭なのが考古学的だから?( ・Д・)(「University of Tubingen」の記事内画像より転載;credit: Ralf Ehmann / Universität Tübingen, Grafik: urmu


    ✨ 4万年前の人は、「きれいなもの」を作る時間を持っていた

    この鳥は、狩猟には使えない。

    肉を切れない。

    皮を剥げない。

    寒さも防げない。

    槍の先にもならない。

    もちろん護符や社会的シンボルとして「役に立った」可能性はある。

    それでも、食べ物や武器のような直接的な生存道具ではない。

    それなのに誰かは、

    マンモスの牙を手に入れ、

    材料を切り出し、

    鳥の輪郭を考え、

    何度も石器を動かし、

    嘴を整え、

    目を刻み、

    翼を削り、

    最後には羽毛の一本一本を示す線まで入れた。

    2センチの鳥のために。

    そして完成したものは、4万年後の私たちが見ても美しい。

    ここがすごい。

    私たちは旧石器時代を、

    氷河。

    洞窟。

    マンモス狩り。

    飢え。

    寒さ。

    生き残るための毎日。

    という世界として想像しやすい。

    もちろん、それも事実だった。

    しかし、その世界の中に、

    「今日は鳥を彫ろう」

    と思った人間がいた。

    鳥を見て、

    あの丸い身体がいい。

    あの嘴を残したい。

    翼を広げたところを作りたい。

    羽毛の向きも彫っておこう。

    そんな時間があった。

    発掘に参加した研究者の一人は、この像を見たとき、4万年ぶりにそれを見る最初の人間になったことへ強い感慨を語っている。

    たしかに、この小像にはそう感じさせる何かがある。

    石器技術の高さだけではない。

    認知能力という言葉だけでも足りない。

    「美しいものを作りたい」と思う人間の気配が、そのまま残っている。





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    ↑やぱ現代考古学はデジタル大事だよね!( ・Д・)(「University of Tubingen」の記事内画像より転載;credit: Ralf Ehmann / Universität Tübingen, Grafik: urmu




    🐦 たった0.7グラムの中に、人間らしさが残った

    約4万年前。

    寒冷なアハ渓谷を鳥が飛んでいた。

    マンモスが歩く。

    トナカイが移動する。

    洞窟ライオンが獲物を狙う。

    そして谷のどこかに、人間がいる。

    一人の人間が鳥を見る。

    それがどんな鳥だったのかは分からない。


    ライチョウだったかもしれない。

    猛禽だったかもしれない。

    鳥が地面へ伏せる。

    翼を広げる。

    飛び立つ。

    求愛する。

    その一瞬を覚えていた。

    洞窟へ戻る。

    マンモス象牙を手に取る。

    削る。

    形が現れる。

    嘴を作る。

    目を作る。

    翼へ細い線を入れる。

    一本。

    もう一本。

    さらに一本。

    羽毛になる。


    完成した鳥は、親指の爪より少し大きい程度だった。

    重さは1グラム前後。

    持ち歩いたのかもしれない。

    身体へ付けたのかもしれない。

    誰かへ渡したのかもしれない。

    そして、いつか洞窟の床へ落ちた。

    土が積もる。

    人々がいなくなる。

    オーリニャック文化が終わる。

    氷期が終わる。

    マンモスが絶滅する。

    農耕が始まる。

    都市ができる。

    国家ができる。

    そして4万年後。

    土をふるっていた考古学者の前へ、再び鳥が現れた。

    人類史というと、私たちは巨大なものへ目を向ける。

    最初の都市。

    巨大な墓。

    王。

    戦争。

    文明。


    でも人間らしさの始まりを考えるなら、こういう物の方が雄弁なのかもしれない。

    たった2センチ。

    たった0.7~1.3グラム。

    けれどもそこには、

    観察する目。

    精密に動く手。

    動物への関心。

    何かを表現しようとする意思。

    そして何より、

    必要だからではなく、美しい形を残そうとした人間の心

    がある。

    4万年前のホーレ・フェルスで作られた二羽の鳥。

    世界最古の芸術そのものではない。

    しかし、人類最古級の立体芸術が、すでにここまで小さく、精巧で、生き生きとしていた。

    その事実の方が、ずっと驚異的だと思う。

    これは「原始的な芸術」ではない。

    4万年前に完成していた、美しい2羽の鳥なのである!( ・Д・)




    なにはともあれ……

    お~!美しい!とさすがに感性あるかわからん私でもそう思ったよ!( ・Д・)








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    2026ねん 8がつ6にち(もくよーび、くもり)

    昨晩ずぶ濡れになったけど風邪ひいてない!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya_y915


    ↑やぱ技術の進歩はすごいぜ!( ・Д・)





    今回の考古学・歴史ニュースは

    フランス南西部のフォン・ド・ゴーム洞窟で、長く年代測定できないと考えられてきた黒い壁画から木炭が見つかり、バイソンは約1万3300年前、“仮面”の口は約1万6000~1万4000年前、左目だけは約9000年前という結果が出たけれど、本当に6000年後の人が描き足したのかは、まだ決着していないぞ( ・Д・)」

    ってお話です(*・ω・)ノ




    📰 はじめに

    洞窟の奥。

    岩壁の小さな膨らみに、黒い線が引かれている。

    二つの目。

    口のように見える線。

    人間の顔なのか。

    動物の顔なのか。

    それとも、どちらでもない存在なのか。

    研究者たちは、この奇妙な図像を「仮面」と呼んできた。

    もちろん、顔へ装着する仮面が発見されたわけではない。

    自然の岩肌を顔の輪郭として利用し、黒い点と線を加えることで、何者かの顔を出現させた図像である。

    そして2026年、この顔から採取された三つの微小な木炭試料が、まったく同じ時代を示さなかった。

    上唇は、現在から約1万6000~1万5100年前。

    下唇は、約1万5300~1万4200年前。

    ところが左目だけは、約9000~8600年前だった。

    口が描かれてから、およそ6000年後。

    旧石器時代が終わり、気候も森林も人々の暮らし方も大きく変わった時代に、誰かが古い顔へ片目を加えたのだろうか。

    それとも、後世の炭が偶然混ざっただけなのか。

    今回得られたのは、「数千年かけて完成した仮面」という答えではない。

    洞窟壁画が一度描かれて終わる完成品ではなく、異なる時代の人々が触れ続けた存在だったかもしれないという、新しい問いなのである。


    🏞️ 場所は、フランス南西部の「先史時代の首都」

    フォン・ド・ゴーム洞窟は、フランス南西部ドルドーニュ県のレ・ゼイジーにある。

    洞窟は、ヴェゼール川へ注ぐブーヌ川の谷を見下ろす岩山に開き、主洞はおよそ120メートルにわたって奥へ続いている。

    そこからプラ、ヴィダル、側廊などの細い支洞が分かれ、最深部には一般の見学者が立ち入れない空間も広がっている。

    ヴェゼール渓谷一帯には、ラスコー、レ・コンバレル、ラ・マドレーヌなど、旧石器時代を代表する洞窟や岩陰遺跡が集中している。

    1979年にはフォン・ド・ゴームを含む遺跡群が、ユネスコ世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟群」に登録された。

    フォン・ド・ゴームは現在も、旧石器時代の多色壁画を現地で見学できるフランス国内でも極めて貴重な洞窟であり、内部環境を守るため入洞人数は厳しく制限されている。


    🐂 200点を超える動物たちが、岩壁を歩いている

    洞窟内には、200点を超える動物、記号、線刻が確認されている。

    バイソン。

    ウマ。

    マンモス。

    トナカイ。

    オーロックス。

    サイ。

    クマ。

    ネコ科動物。

    なかでもバイソンは50点以上を占め、フォン・ド・ゴームは「バイソンの洞窟」とも呼ばれてきた。

    壁画は、白い岩壁へ平面的に絵を載せただけではない。

    岩の窪みを腹部にする。

    突出部を肩や頭部に見立てる。

    亀裂を背中の線へ利用する。

    黒、赤、褐色の顔料を重ね、刻線や削りによって輪郭を強調する。

    洞窟そのものの形と絵が結び付き、火の揺れる光の中では、動物が身体を動かしているように見えた可能性がある。

    しかし、この見事な壁画が旧石器時代に描かれたと学界が認めるまでには、長い疑いの歴史があった。


    🤨 かつて学者たちは「旧石器人にこんな絵は描けない」と考えた

    1879年、スペインのアルタミラ洞窟で、天井を埋め尽くすバイソンの彩色画が発見された。

    発見者マルセリーノ・サンス・デ・サウトゥオラは、旧石器時代の人々が描いたものだと主張した。

    しかし、あまりにも巧みだった。

    遠近感がある。

    動物の身体が正確である。

    色まで塗り分けられている。

    当時の研究者の多くは、旧石器時代人にこれほど高度な芸術能力があるとは考えず、近代人による偽造ではないかと疑った。

    暗い洞窟の奥で、照明もなく絵を描けるはずがないという反論まであった。

    その後、フランスでラ・ムート、ペール・ノン・ペール、マルスーラなどの壁画・線刻洞窟が相次いで見つかる。

    動物脂肪を燃やすランプも発見され、「暗闇では制作できない」という反論は崩れていった。

    それでも、一つひとつの発見を偽物や例外として退ける余地は残っていた。

    その論争へ決定的な一撃を与えたのが、1901年のフォン・ド・ゴームだった。



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    ↑洞窟とは言えしっかり残ってるもんだよね!( ・Д・)(「cnrs」の記事内画像より転載)


    💥 1901年、洞窟壁画が「本物」になった日

    1901年9月12日。

    地元の学校教師であり考古学者でもあったドニ・ペイロニーは、レ・コンバレル洞窟の調査を終えた直後、フォン・ド・ゴームへ入った。

    洞窟自体は古くから知られ、入口は家畜小屋としても使われ、近代人の落書きさえ残っていた。

    しかし奥へ進んだペイロニーは、多数の動物画と線刻が壁に残されていることへ気付いた。

    連絡を受けたルイ・カピタンとアンリ・ブルイユが戻り、9月21日には三人で洞窟を詳しく調べた。

    彼らは一日で77点の図像を確認し、洞窟図を作り、壁画をトレーシングペーパーと水彩で写し取った。

    わずか二日後の9月23日には、フランス科学アカデミーへ発見が報告された。

    フォン・ド・ゴームとレ・コンバレルに、同じような旧石器時代の動物表現が大量に存在する。

    偽作者が、複数の洞窟の奥深くへ何百点もの絵を描いたとは考えにくい。

    1902年、研究者たちは実際に洞窟を訪れ、旧石器時代の洞窟壁画が本物であることを正式に認めた。

    フォン・ド・ゴームは、旧石器人にも芸術を作る能力があったことを証明し、先史考古学そのものを変えた洞窟なのである。


    📝 1903年から、壁へ紙を当てて絵を写した

    1903年以降、アンリ・ブルイユは洞窟壁画の体系的な記録を始めた。

    大きな透明紙を壁へ直接当て、線を写し取る。

    それを光学器具で5分の1へ縮小する。

    再び原画を見ながら、線刻はインク、彩色画はパステルで仕上げる。

    現在なら壁面への接触は避けられるが、当時はこれが最先端の記録方法だった。

    1910年、カピタン、ブルイユ、ペイロニーによる大部の研究書が刊行された。

    そこでは198点の図像が記録され、その後100年以上にわたってフォン・ド・ゴーム研究の基礎となった。

    ところが近年、照明、写真処理、三次元測量、化学分析を用いて壁を見直すと、ブルイユたちが記録できなかった線や図像が次々と現れている。

    古い洞窟は、発見済みだから研究が終わったわけではなかった。

    見る技術が変わるたび、壁から新しい絵が浮かび上がるのである。


    ⏳ では、これまで壁画の年代をどう決めていたのか

    旧石器時代の壁画には、制作年が書かれていない。

    そこで研究者は、描かれた動物、絵の様式、線の引き方、顔料、図像同士の重なり、洞窟内から出土した石器などを比較し、年代を推定してきた。

    ある絵の上に別の絵が重なっていれば、下の絵が古い。

    特定の時代に流行した石器が床から見つかれば、その頃に人が洞窟を訪れた可能性がある。

    別の遺跡から出た年代の分かる彫刻と表現が似ていれば、同時期かもしれない。

    このような「相対年代」と様式研究によって、フォン・ド・ゴームの主要な壁画は、長くマドレーヌ文化中期、約1万5000~1万4000年前に位置付けられてきた。

    しかし床から出た石器が、壁画を描いた本人の物とは限らない。

    数千年前の人々が入った後、別の集団が壁画を描いた可能性もある。

    洞窟内の炭を測定しても、それが照明、暖房、調理、壁画制作のどれに使われたのか分からない。

    壁画そのものを測らなければ、どうしても推定の幅が残るのである。


    ⚫ 黒い絵なのに、炭素がない?

    放射性炭素年代測定は、木、骨、種子、木炭など、生物に由来する炭素を測る方法である。

    木炭で描かれた壁画なら、顔料そのものを測定できる。

    木が伐採されて炭になり、その炭で絵が描かれた時期へ、かなり直接的に近づける。

    ところがフォン・ド・ゴームの黒色顔料は、長くマンガン酸化物や鉄酸化物で作られたと考えられてきた。

    マンガンも鉄も無機鉱物であり、炭素14を含まない。

    黒く見えても、木炭とは限らないのである。

    そのため、

    「フォン・ド・ゴームの絵は旧石器時代らしい」

    とは言えても、

    「このバイソンが描かれたのは何年前だ」

    と、顔料から直接測ることはできなかった。

    ラスコーを含むドルドーニュ地方の重要洞窟でも、同じ問題があった。





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    ↑処理をかけると色々見えてくるね!( ・Д・)(「cnrs」の記事内画像より転載)


    🔦 2023年、黒い線の中に「隠れた木炭」が見つかった

    転機は2023年だった。

    研究チームは、壁へ触れずに顔料の化学的性質を調べられるラマン分光法、携帯型蛍光X線分析、可視光・赤外線撮影などを組み合わせた。

    すると、マンガンで描かれたと思われていた黒い図像の中に、木炭由来の炭素を使ったものが多数混ざっていることが分かった。

    ドルドーニュの先史洞窟で、木炭による壁画が科学的に確認された最初の例だった。

    肉眼では、マンガンの黒と木炭の黒を簡単に見分けられない。

    しかし赤外線や分光分析を通すと、同じ黒色の中に異なる材料が隠れていた。

    1901年以来、何千人もの研究者や見学者が見てきた壁に、年代測定できる顔料が残っていたのである。

    「炭素がない」と確認されていたのではない。

    長く、そのように思い込まれていただけだった。


    🌈 ハイパースペクトル画像は、色を「成分」に分ける

    今回の研究では、ラマン顕微分光法に加え、ハイパースペクトルイメージングや反射分光画像法が使われた。

    普通の写真は、主に赤、緑、青の三色として光を記録する。

    ハイパースペクトル撮影では、光をさらに細かな波長へ分け、壁の各地点がどのような光を反射しているかを測る。

    物質ごとに反射や吸収の特徴が異なるため、見た目が同じ黒でも、木炭とマンガンを分けられるのである。

    まず非破壊の方法で、木炭がどこにあるかを正確に地図化する。

    その後、本当に必要な場所からだけ、ごく少量を採る。

    貴重な壁画へ手当たり次第に刃物を当てるのではなく、科学画像によって採取場所を絞り込んだことが、今回の直接年代測定を可能にした。


    🧪 それでも年代測定には、壁画を少し削らなければならない

    放射性炭素年代測定は、完全な非破壊分析ではない。

    顔料の一部を壁から取り外し、その中に残る炭素14を測らなければならない。

    フォン・ド・ゴームでは壁への接触自体が厳しく制限されているため、微小試料の採取には特別な許可が必要だった。

    選ばれたのは、主洞の「カルフール」と呼ばれる場所に描かれたバイソン一頭と、一般公開区域から離れた側廊の最深部にある「仮面」だった。

    バイソンから一試料。

    仮面から三試料。

    合計四つの小さな黒色顔料が採取され、加速器質量分析法、AMSによって炭素14の量が測られた。

    試料が小さいほど壁画への損傷は少ない。

    一方で、混入したごく微量の新しい炭素が、測定値へ大きく影響しやすくなる。

    文化財保護と測定の確実性の間で、非常に難しい選択を伴う分析なのである。


    🐂 バイソンは、約1万3300年前だった

    バイソンの測定結果は、1万3461~1万3162 calBPだった。

    calBPとは「較正された現在以前」を意味し、この「現在」は慣例的に西暦1950年に固定されている。

    つまり、おおよそ紀元前1万1500~1万1200年頃に相当する。

    従来、絵の自然主義的な様式などから、1万8000~1万6000年前に描かれた可能性も想定されていた。

    しかし直接年代は、それよりやや新しかった。

    それでも後期旧石器時代、マドレーヌ文化の範囲に入り、このバイソンが本当に旧石器時代人によって描かれたことが、顔料そのものから初めて確かめられた。

    ただし、ここで測ったのは一頭だけである。

    フォン・ド・ゴームにいる50頭以上のバイソンが、すべて同時代に描かれたとは限らない。

    同じ洞窟、同じ動物、似た描き方であっても、制作時期が異なる可能性がある。

    今回の一測定は、壁画全体の年代表を完成させたのではなく、その最初の一点を打ったのである。




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    ↑サンプリングの洋右!( ・Д・)(「c&en」の記事内画像より転載)


    🎭 そもそも「仮面」とは何なのか

    今回測定されたもう一つの図像は、研究上GL3D-009と呼ばれている。

    側廊の奥深い第3区画にあり、岩壁の自然な膨らみや窪みへ、黒い点と線をわずかに加えることで、顔のような形を作っている。

    人間なのか。

    動物なのか。

    両者が混ざった存在なのか。

    判断できないため、研究者は引用符付きで「仮面」と表現している。

    2020年から始まった再調査では、それまで十分に記録されていなかった支洞の壁から、同様の顔状図像が40点近く確認された。

    多くは自然の岩の突出部を顔の形として利用し、黒い線や点によって目、口、輪郭らしき要素を加えている。

    旧石器時代の洞窟美術の中でも珍しく、フォン・ド・ゴーム独特の視覚表現として注目されている。

    岩を見て、そこに隠れている顔を見つける。

    一から輪郭を描くのではなく、岩の形の中に存在する何者かを、数本の線で外へ呼び出す。

    「仮面」という名称以上に、洞窟の壁そのものと一体化した図像なのである。


    👄 上唇と下唇は、同じ時代だったかもしれない

    仮面から採られた一つ目の試料は上唇。

    年代は1万5981~1万5121 calBPだった。

    二つ目は下唇。

    こちらは1万5297~1万4246 calBPだった。

    数字だけを見ると、

    上唇が先に描かれ、

    数百年後に下唇が追加された、

    と考えたくなる。

    しかし二つの年代範囲は一部で重なっている。

    上唇と下唇が同じ制作行為の中で描かれ、測定上の誤差によって範囲がずれただけかもしれない。

    異なる時期に補修された可能性もあるが、二試料だけで「口が何世代もかけて完成した」とまでは言えない。

    年代測定は非常に精密でも、一本の線を引いた西暦何年何月まで決められる時計ではないのである。


    👁️ 左目だけが、約6000年も新しかった

    問題は、三つ目の試料である。

    左目の黒色顔料は、8993~8590 calBP。

    おおよそ紀元前7040~6640年頃に相当する。

    上唇と比べれば、6000年以上も新しい。

    下唇と比べても、およそ5000~6000年の隔たりがある。

    口が描かれた頃は、後期旧石器時代。

    左目の年代は、すでに完新世へ入り、西ヨーロッパでは中石器時代の狩猟採集社会が展開していた頃である。

    もし測定値がそのまま描画年代を示すなら、ある集団が作った顔へ、数千年後の別の人々が片目を加えたことになる。

    洞窟は、一時代の聖域ではなかった。

    気候も動物相も生活様式も違う人々が、はるか昔に描かれた顔を認識し、何らかの理由で触れ直したことになる。

    それは、先史時代の人々が古い壁画をどのように見ていたかを考える、驚くべき証拠となり得る。


    ⚠️ しかし「6000年後の加筆」は、まだ証明されていない

    研究者は、左目の若い年代について三つの可能性を挙げている。

    一つ目は、意図的な描き足し。

    後世の人が、古い顔の片目を描いた、あるいは薄くなった線を修復した。

    二つ目は、偶然の汚染。

    壁面を流れた水、微生物、現代の作業などによって、新しい炭素が試料へ混ざった。

    三つ目は、旧石器時代とは無関係な後世の落書きである。

    黒い線全体へ木炭がほぼ均一に分布していたため、図像全体が観光客の汚れから生まれた可能性は低い。

    だが、左目という局所的な部分へ、後の炭素が加わった可能性までは排除できない。

    研究チーム自身も、意図的な修復、汚染、落書きのどれかを、現段階では決められないとしている。

    外部の研究者からは、一つの部位につき少なくとも二試料を測り、結果を再現する必要があるとの指摘も出ている。

    今回の測定は極めて重要だが、「仮面が数千年かけて描かれた」という物語は、魅力的な仮説の段階なのである。





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    ↑右がパイソンで、左が「仮面」なんだけどよくわからんね!( ・Д・) (「IDR」の記事内画像より転載;credit: PNAS)


    🧍 先史時代の人々も、さらに古い「遺跡」を見ていた

    私たちは旧石器時代の洞窟壁画を、一人の天才芸術家が一晩で完成させた作品のように見てしまうことがある。

    しかし洞窟には、重なり合う動物。

    別の色でなぞられた輪郭。

    傷付けられた線。

    何度も通過した足跡。

    異なる時代の石器や炭が残る。

    フォン・ド・ゴームでも、直接年代測定以前から、壁画が複数の制作段階を持つ可能性は考えられていた。

    新しい絵を描いた人は、真っ白な壁へ向かったとは限らない。

    すでに動物や記号で満たされた場所へ入り、古い絵を避ける。

    重ねる。

    なぞる。

    一部を変える。

    あるいは、古い形を利用して新しい図像を作る。

    つまり旧石器時代人自身が、さらに古い人々の残した「遺跡」の中で活動していた可能性がある。

    彼らにとって洞窟壁画は、過去の作者から切り離された美術館の展示物ではなかった。

    現在も効力を持つ祖先の痕跡、物語、目印、あるいは人間以外の存在として認識されていたのかもしれない。


    🧊 口が描かれた頃、ヨーロッパはまだ氷期だった

    仮面の口が描かれた約1万6000~1万4000年前は、マドレーヌ文化が西ヨーロッパへ広がった時代である。

    マドレーヌ文化は、およそ1万8000~1万2000年前に展開した後期旧石器時代最後の大きな文化伝統で、精巧な石器や骨角器、銛、装身具、動産美術、洞窟美術の発達で知られている。

    当時は最終氷期の終末に当たり、現在より寒く、南西フランスにはヨモギやイネ科植物を中心とする開けた草原が広がっていた。

    人々はトナカイ、ウマ、バイソンなど、寒冷な草原に集まる大型草食獣を狩って暮らした。

    フォン・ド・ゴームの壁にバイソン、マンモス、トナカイが繰り返し描かれているのは、彼らが生きた環境と無関係ではない。

    しかし、この時代は安定して寒かったわけではない。

    急激な温暖化と寒冷化が繰り返され、氷河が縮小し、森林が回復し、動物の分布も変わっていった。

    バイソンが描かれた約1万3300年前は、その変化が進んでいた時期に近い。


    🌲 左目の時代には、景色そのものが変わっていた

    左目の約9000~8600年前になると、氷期は終わり、現在と同じ完新世へ入っている。

    温暖化によって森林が拡大し、寒冷な開放地を好むトナカイやサイガなどは北方へ後退する。

    人々は森林、河川、湖沼の資源を利用し、地域ごとに異なる中石器時代の生活を発達させていた。

    その時代の人が本当に仮面へ片目を加えたのなら、描き手は口を描いた人々とは、かなり異なる世界で暮らしていたことになる。

    描かれていた動物の一部は、身近な景観からすでに姿を消していたかもしれない。

    それでも洞窟へ入り、古い顔を見分け、線を加えた。

    何千年前の図像が、意味を変えながら記憶されていたのか。

    意味は忘れられていたが、不可思議な古物として触れられたのか。

    あるいは、古い線だとは知らず、偶然同じ岩の形に目を見いだしたのか。

    測定値が確かになっても、人々が何を考えたかという問いは残るのである。


    🔥 揺れる炎の中では、壁の顔が動いて見えた

    洞窟の奥には、太陽光が届かない。

    旧石器時代の人々は、木の松明、火を焚いた炉、動物脂肪を燃やすランプなどを使って進んだ。

    炎は一定の明るさではなく、揺れ、明滅し、壁へ影を投げる。

    自然の膨らみを利用した仮面は、現在の白色照明より、揺れる火の下でこそ強く顔として現れた可能性がある。

    見る位置を変えると、片目が消える。

    影が動けば、口元が変化する。

    人間の顔に見えたものが、動物へ変わる。

    旧石器時代の洞窟美術は、静止した写真だけでは十分に理解できない。

    壁。

    奥行き。

    暗闇。

    火。

    見る者の移動。

    これらが組み合わさって成立する体験だったのである。




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    ↑やっぱ画像処理かけると良いね!( ・Д・) (「IDR」の記事内画像より転載;credit: PNAS)


    👺 「仮面」が人間なのか動物なのかは、分からない

    旧石器時代の洞窟美術では、動物は比較的写実的に描かれる。

    一方、人間の姿は少なく、顔も省略されたり、動物的特徴と組み合わされたりする。

    そのため顔のように見える図像を、人間、精霊、シャーマン、動物へ変身する人物などと解釈したくなる。

    だが、フォン・ド・ゴームの仮面に説明文はない。

    宗教儀礼の場面を直接示す資料もない。

    「仮面」という言葉自体が、現代の研究者による便宜的な呼び名である。

    大切なのは、正体を早く決めることではない。

    わずかな黒線によって、自然の岩肌が意図的な顔状の存在へ変えられていること。

    似た仕組みの図像が、洞窟の奥から約40点も見つかっていること。

    そして、そのうち一つの内部に、大きな年代差が存在するかもしれないことなのである。


    🖼️ 洞窟壁画は「作品」ではなく、書き込み続けられた壁だった?

    現代の絵画は、作者が完成させ、署名し、完成後は改変しないことが原則とされる。

    その感覚で見ると、後世の人が目を描き足す行為は、作品への落書きに見える。

    しかし旧石器時代の壁画が、同じ作品観を持っていたとは限らない。

    古い図像をなぞる。

    新しい線を重ねる。

    岩の形から別の存在を見つける。

    薄れた部分を更新する。

    共同体の儀礼ごとに触れ直す。

    洞窟の壁は、完成後に固定される美術品ではなく、世代を越えて書き込まれる媒体だった可能性がある。

    考古学では、こうした異なる時代の行為が重なった資料を「パリンプセスト」にたとえることがある。

    古い文字を消し、その上へ別の文章を書いた羊皮紙のように、一枚の岩壁へ複数の時間が重なっているのである。


    🧫 炭素年代は、絵を描いた瞬間そのものではない

    ただし放射性炭素年代にも注意点がある。

    測定されるのは、木が大気から炭素を取り込むのをやめた時期である。

    枯れてから長く保管された木材を炭にして使えば、描画より古い年代が出る。

    古い炉の木炭を拾い、顔料として再利用した可能性も完全には排除できない。

    反対に新しい有機物が混ざれば、実際より若い年代が出る。

    今回のような微小試料では、わずかな混入の影響が大きくなる。

    それでも壁画顔料から直接得た年代は、洞窟床の炭や石器を測るより、描画行為へはるかに近い。

    「絶対にその年に描いた」という証明ではないが、従来の様式比較だけでは得られなかった、独立した時間軸を与えるのである。


    🔬 次に必要なのは、一点ではなく「年代の地図」

    今回直接測定されたのは、バイソン一頭と仮面一点だけである。

    試料は四つ。

    200点を超える図像全体から見れば、ごく小さな始まりにすぎない。

    今後は、同じ図像の複数箇所を測る。

    重なり合う上下の線を測る。

    木炭とマンガンで描かれた図像の関係を調べる。

    洞窟内の場所ごとに年代を比較する。

    そうすることで、フォン・ド・ゴームがどの時代に、どの区域から描かれ始め、どのように奥へ展開したのかを復元できるかもしれない。

    有名な多色バイソン群は一時期に完成したのか。

    異なる世代が同じ動物を描き続けたのか。

    人目に触れる主洞と、奥深い支洞では使われた年代が違うのか。

    顔状の仮面だけが長期間にわたり触れられたのか。

    一つひとつの年代が増えれば、洞窟全体を時間のある地図として読めるようになる。


    🧪 ラスコーでも、同じ方法が使えるのか

    フォン・ド・ゴームで木炭が見つかったことは、ドルドーニュ地方の他の洞窟にも影響する。

    これまでマンガン顔料だけだと思われていた黒色画の中に、未確認の木炭が混ざっている可能性がある。

    ラスコーをはじめとする著名な洞窟でも、非破壊分光分析を行えば、直接年代測定できる図像が見つかるかもしれない。

    ただし、木炭が見つかったからといって、すぐ削ってよいわけではない。

    分析は不可逆的である。

    図像の希少性、保存状態、必要な試料量、得られる情報を比較し、採取する価値が本当にあるか判断しなければならない。

    今回の研究が評価されているのは、最初に非破壊分析を尽くし、必要最小限の採取へ進んだからでもある。


    📚 125年前に「本物」と証明し、今度は「いつ」を証明した

    フォン・ド・ゴームは、二度にわたって洞窟美術研究の常識を変えた。

    1901年、この洞窟は、

    旧石器時代の人々にも高度な絵を描く能力があった

    という事実を、学界へ認めさせた。

    2026年には、

    その絵がいつ描かれたかを、顔料そのものから測れる

    という新しい道を開いた。

    しかも新しい年代は、古い様式研究をすべて否定したわけではない。

    仮面の口は、従来想定されたマドレーヌ文化の範囲に入った。

    バイソンも旧石器時代であることが確認されたが、予想よりやや新しかった。

    様式研究が大まかな方向を示し、物理化学的測定が時間を絞る。

    両者を組み合わせることで、洞窟壁画の歴史は初めて具体的な人間の時間へ近づくのである。


    👁️ 左目を描いた者は、古い口を見ていたのか

    約1万6000年前。

    誰かが洞窟の奥へ入った。

    炎を掲げ、岩壁の膨らみに顔を見つける。

    木炭を壁へ当て、口を描く。

    黒い線によって、岩の中から何者かが現れる。

    その後、別の線が加わったかもしれない。

    人々は洞窟を去る。

    気候が温暖化する。

    氷河が縮む。

    草原へ森林が広がる。

    トナカイの群れが北へ去る。

    何千年もの時間が流れる。

    そして約9000年前。

    別の誰かが、同じ暗闇へ入った。

    その人物は、古い口を見たのだろうか。

    何者かの顔として理解したのだろうか。

    薄い左目を、木炭で描き直したのだろうか。

    それとも、私たちが古い口と新しい目を一つの顔だと思っているだけなのか。

    今のところ答えはない。

    左目の若い炭素が、後世の加筆なのか、汚染なのか、落書きなのかは決められない。

    しかし今回の測定によって、洞窟壁画を見る時間感覚は大きく変わった。

    一枚の絵を、一瞬の完成品として見るのではない。

    誰かが線を引く。

    別の誰かが見つめる。

    何世代も後の人が触れる。

    忘れられる。

    再発見される。

    そして現代の研究者が、ごく微量の炭から時間を読み取る。

    フォン・ド・ゴームの「仮面」に描かれていたのは、一人の顔ではないのかもしれない。

    旧石器時代から完新世へ、異なる人々が岩壁へ残した時間そのものだったのだ!( ・Д・)




    なにはともあれ……

    技術だけではなく考古学者自体も進歩しなきゃね!( ・Д・)








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    2026ねん 3がつ30にち(げつよーび、くもり)
    この一年激務が続くぜ!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y551




    今回の考古学・歴史ニュースは367万年前の人類の祖先、“顔”がようやく見えてきたかも?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    化石って、骨が残っているだけでもすごい。
    でも本当に見たくなるのは、やっぱり顔なんだよね。


    今回話題になっているのは、南アフリカの有名化石 「リトルフット(Little Foot, StW 573)」
    これは 約367万年前 のアウストラロピテクス化石で、しかも これまで見つかった中で最も完全なアウストラロピテクス骨格 の一つとして知られている。今回、そのゆがんで壊れた頭骨をデジタルで組み直して、初めて本格的な「顔の復元」が行われた。


    つまり今回は、
    「新しい骨が出た!」
    という話じゃない。

    ずっと前に見つかっていた超重要化石を、
    いまの技術で“ようやくちゃんと見られるようになった”
    という話なんだよね。


    🪨 リトルフットって、そもそも何者?

    リトルフットは、南アフリカの ステルクフォンテイン洞窟 で見つかった化石で、発見のきっかけは1990年代に見つかった小さな足の骨だった。そこから全身がたどられていって、現在では 90%以上が残る非常に完全な個体 とみなされている。南アフリカで見つかった初期人類化石の中でも、とくに重要な存在だ。


    ただし、顔はずっと厄介だった。
    何百万年もの埋没と地質圧で、頭骨、とくに顔の部分が 押しつぶされ、割れ、ずれ ていたからだ。だから「重要化石なのに、顔だけはよく分からない」という状態が長く続いていた。


    🖥️ 今回やったのは、化石を“壊さずに”組み直すこと

    ここが今回の技術的な主役。

    研究チームは、リトルフットの頭骨をイギリスの Diamond Light Source という放射光施設に運び、21ミクロン分解能 の高精細スキャンを実施した。そこで得た膨大な画像データから骨片をデジタルで切り分け、スーパーコンピュータも使って本来の位置へ再配置し、失われた部分も補って顔を3D復元した。しかも、この作業には 5年以上 かかったという。


    これ、地味に見えてかなりすごい。
    昔なら「壊れてるから無理」で終わっていた頭骨が、
    いまは 物理的に触らずに仮想空間で再建できる ようになってきたわけだから。


    arukemaya_y552


    😮 で、どんな顔だったのか

    今回の復元でまず目立ったのは、眼窩(目のまわり) だった。
    研究チームによると、リトルフットの眼窩はこれまで見えにくかったけれど、復元してみると かなり大きい。顔全体のサイズや構造も含めて見ると、意外にも南アフリカの若い比較標本より、東アフリカのアウストラロピテクス標本に近い ところがあるという。


    ここ、かなり面白い。

    南アフリカで見つかった化石なのに、
    顔つきは東アフリカ側と似ているかもしれない。

    つまり、初期人類の地域差や進化の流れは、
    これまで思っていたよりずっと 入り組んでいた可能性 が出てくるんだよね。


    🧠 顔が分かると、何がそんなにうれしいのか

    顔って、見た目のロマンだけじゃない。

    研究者たちが重視しているのは、顔が
    視覚、呼吸、咀嚼、嗅覚、さらには非言語コミュニケーション
    にも関わる部位だということ。だから顔の形をちゃんと比べられるようになると、その生き物が どう環境に適応していたか を考えるヒントが増える。


    今回とくに注目された眼窩の大きさについても、研究チームは
    「視覚や行動、生態との関係があったかもしれない」
    と見ている。

    ただしここは、まだ 断定というより仮説寄り だ。比較できる完全な化石顔面がそもそも少ないので、今回の結果も「かなり面白いけど、まだ議論の入口」という位置づけで見た方がいい。


    🌍 南アフリカと東アフリカ、そんなに単純じゃなかった

    人類進化の話では、つい
    東アフリカ系、南アフリカ系
    みたいに分けて考えたくなる。


    でも今回の復元は、その整理に少し揺さぶりをかけている。
    CNRS と Wits University の発表では、リトルフットの顔が東アフリカ標本に近いことから、地域ごとに単純に枝分かれしたというより、もっと動的な進化史 があった可能性が示唆されている。


    つまり今回のニュースは、
    「昔の顔が見えた、わーい」
    で終わらない。

    むしろ、

    初期人類の進化地図そのものが、
    まだかなり書き換わる余地がある

    という話でもある。


    🧩 ただし、“本当の顔写真”ではない

    ここは大事なので、ちゃんと線を引いておきたい。

    今回明らかになったのは、あくまで 骨格としての顔面形態 の復元だ。
    皮膚の色、毛の量、表情、唇の厚さみたいなものまで分かったわけではない。だから「リトルフットの顔が完全に再現された」というよりは、

    頭骨のゆがみを補正して、
    顔の骨格がかなり見えるようになった

    という理解がいちばん正確だと思う。

    でも逆に言うと、
    骨格までしか分からないからこそ、今回の成果はちゃんと科学的なんだよね。
    盛りすぎたCGのロマンではなく、
    壊れた化石を比較可能な形に戻した というのが本体だから。


    ✍️ あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    367万年前の「リトルフット」は、
    ずっと重要化石だったのに、
    顔だけはゆがみすぎていて見えにくかった。


    でも今回、放射光スキャンとデジタル復元で、
    ついにその顔の骨格がかなり見えるようになった。
    その結果、目のまわりの大きさや顔全体の形が、南アフリカの若い標本よりも 東アフリカのアウストラロピテクスに近い 可能性まで出てきた。


    これ、好きなんだよね。

    考古学や古人類学って、
    新発見のドカン感ももちろんあるけど、
    本当に面白いのはこういう

    ずっとそこにあった重要標本を、
    技術の進歩で“初めて正しく見る”

    みたいな瞬間だったりする。

    367万年前の顔がいきなりしゃべり出したわけじゃない。
    でも、ようやくこちらが少しだけ、
    ちゃんと見られるようになった。

    そういうニュースなんだと思う( ・Д・)




    なにはともあれ・・・・・・

    何でか知らんけどほんとみんな復元好きだよね!( ・Д・)






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    プチ睡眠不足!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y550
    ↑本文とは全然関係ないんだけど、これ好き!( ・Д・)



    今回の考古学・歴史ニュースは6万年前の人類、ただ鋭い矢を作っただけじゃなかったかも( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    狩りの技術っていうと、つい
    「より遠くへ飛ぶ」
    「より深く刺さる」
    みたいな方向で進化したと思いがちだよね。


    でも今回の研究が面白いのは、そうじゃない。

    刺したあと、あとから効かせる

    という発想が、すでに 6万年前 にあった可能性が出てきたんだよね。


    南アフリカ・クワズールー=ナタール州の ウムフラトゥザナ岩陰遺跡 から出土した石製の小型矢じりを分析したところ、研究チームは 植物毒由来のアルカロイド を検出した。しかも年代は 約6万年前。これは、旧石器時代の狩猟武器に毒が塗られていたことを示す 最古の直接証拠 だとされている。 




    🪨 見つかったのは「毒っぽい道具」ではなく、毒の化学痕跡

    今回の強さはここ。

    考古学では前から、
    「この小さな石器、毒矢だったんじゃない?」
    という推定はあった。けれど今回は、見た目の推定じゃない。


    研究チームは、10点の石英製バックド・ミクロリス を化学分析し、そのうち 5点 から毒性植物に由来する化合物を確認した。検出されたのは buphanidrineepibuphanisine で、どちらも南部アフリカの ヒガンバナ科植物 に由来し、もっとも有力な候補は Boophone disticha だという。現地ではこの植物は gifbol とも呼ばれ、歴史時代にも矢毒として知られていた。


    つまり今回は、

    「毒を使っていたかもしれない」
    ではなく、

    毒の分子が矢じりに残っていた

    という話なんだよね。




    arukemaya_y548
    ↑毒々しくないけど有毒植物!( ・Д・)(Isaksson et al. 2026, Fig.1より転載)



    🌿 犯人候補は、いまでも“毒植物”として知られる球根植物

    この Boophone disticha という植物、ただの草じゃない。

    研究チームによれば、今回見つかったアルカロイドは南部アフリカ固有のヒガンバナ科植物に由来し、なかでも Boophone disticha の球根滲出液 がもっとも可能性が高い。しかも同じ系統の化学成分は、約250年前の歴史時代の毒矢 からも検出されていて、かなり長い知識の継続を示すと解釈されている。


    ここ、かなり熱い。

    6万年前の人たちが、
    ただ植物を知っていたんじゃなく、

    どの植物が効くのか
    それをどう武器に乗せるのか

    まで理解していた可能性が高いわけだから。





    🧠 本当にすごいのは、「毒」という発想そのもの

    鋭い槍や矢なら、見れば分かる。
    でも毒は違う。

    毒は、
    その場でドカンと効く物理力じゃない。

    時間差で効く。
    体内で作用する。
    そして狩りの成功を、武器の強さだけじゃなく 化学 にまで広げる。


    論文では、歴史時代の南部アフリカの毒矢は 即死させるためではなく、傷口から毒を入れて弱らせ、追跡するための武器 だったと説明されている。研究者たちは、旧石器時代の例もそこまで完全に同じだったとは断定していないけれど、少なくとも 毒を使うには計画性・因果理解・待つ力 が必要だと強調している。


    つまりこれ、
    「武器が進化した」
    というより、

    狩りの考え方が進化した

    ってことなんだよね。




    しかも時期が早すぎる

    今回の発見がすごいのは、年代の古さでもある。

    論文によると、これ以前の 毒矢の直接証拠 は中期〜後期完新世のものが中心で、たとえばエジプトの墓からの例は 約4431〜4000年前、南アフリカのクルーガー洞窟の例でも 約6700年前 だった。さらに旧石器時代の毒の痕跡としては、南アフリカのボーダーケーブで 約2万4000年前の“毒塗布具”約3万5000年前の蜜蝋塊 が知られていたけれど、武器の先端に直接毒が残っていたわけではなかった。今回の例は、その timeline を一気に 5万年以上 さかのぼらせる。


    要するに、

    毒を使う狩りは、思っていたよりずっと古い

    ということになる。



    arukemaya_y549
    ↑考古学の世界も変化してるなぁと実感するぜ!( ・Д・)(Isaksson et al. 2026, Fig.2より転載)



    🧪 ただし「どう狩ったか」まではまだ全部わからない

    もちろん、ここは慎重に見たい。

    今回かなり強く言えるのは、

    • 約6万年前の矢じりに毒由来の化学痕跡があること
    • その毒が植物由来であること
    • それが意図的に塗布された可能性が高いこと

    まで。

    一方で、

    • どんな動物を狙ったのか
    • 毒を単独で使ったのか、混合レシピだったのか
    • 当時の矢が歴史時代の毒矢とどこまで同じ仕組みだったのか

    は、まだ完全には分からない。研究チーム自身も、今回の痕跡は 比較的シンプルな植物毒 を示す一方、後の時代にはより複雑な毒レシピが現れる可能性を示唆している。


    だから今回の話は、
    「6万年前の狩猟法を完全再現した!」
    ではない。

    でも、

    毒を武器に乗せるという知識が、もうこの時点で成立していた

    そこはかなり強い。





    🏺 あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    6万年前の人類は、
    ただ刺さる矢を作っていたんじゃなく、
    “あとから効く矢” を作っていたかもしれない。

    しかもそれは思いつきではなく、
    植物の性質を知り、武器に加工し、効果が出るまで追跡する、
    かなり複雑な狩猟システムの一部だった可能性が高い。


    これ、好きなんだよね。

    人類史って、つい
    石器が大きくなるとか、火を使うとか、
    見てすぐ分かる技術で語られがちじゃない?

    でも今回は違う。

    見えないもの、
    つまり 化学 を武器にしている。

    それってかなり現代っぽい。
    いや、現代っぽいというより、

    人類はかなり早い段階から
    目に見えない作用を利用する生き物だった

    ってことなのかもしれない。

    鋭さだけじゃなく、
    遅れて効く仕組みまで考えていた。
    6万年前の矢じり、なかなか怖いのさ( ・Д・)




    なにはともあれ・・・・・・

    最初にフグ食べた人って死んだのかな?( ・Д・)

    ふぐぅ……-⁽ -´꒳`⁾-ペショ




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    2026ねん 3がつ26にち(もくよーび、がっつり雨)
    お腹痛い!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y547
    ↑サルの脳みそは食べたことないや!( ・Д・)(「インディジョーンズ」の有名シーンより転載)



    今回の考古学・歴史ニュースは古代ヨーロッパ、人骨が“食べる前提”みたいに処理されていたかも?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    「古代人が人を食べたかもしれない」という話は、考古学ではたまに出てくる。
    でも今回の研究がちょっと強いのは、ただの「人食いっぽい」ではなく、

    頭皮をはぎ、肉を外し、頭蓋骨を割って脳にアクセスしたらしい

    という、かなり具体的な処理の痕跡が出てきたところなんだよね。


    舞台はポーランド南部の マシツカ洞窟(Maszycka Cave)
    年代は 約1万8000年前、後期旧石器時代の マグダレニアン文化 の時期で、研究チームはここで見つかった人骨63点を再検討し、少なくとも10人分の遺体に組織的な解体とカニバリズムの痕跡があると結論づけた。 




    🪨 ただのバラバラ死体じゃなく、「食べるための傷」がある

    今回の研究では、人骨のかなりの割合に人工的な加工痕が見つかっている。
    論文では、分析対象の 67.9% に文化的改変があり、その多くが まっすぐで平行な深い切り傷 だとされる。しかも顕微鏡観察と比較実験から、これらは獣の歯や踏みつけ傷ではなく、人の道具による切断痕とみてよさそうだ。


    つまり、ここで起きていたのは
    「骨が偶然壊れた」
    ではなく、
    身体を順序立てて処理した行為
    らしい。



    arukemaya_y545a
    ↑確かにたくさん傷があるね!( ・Д・)(Marginedas et al. 2025, Fig.5より転載)


    🩸 脳まで届くように頭蓋骨が壊されていた

    この研究でいちばんインパクトが強いのはここ。

    頭頂骨や後頭骨には、

    • 頭皮をはぐための切り傷
    • 耳まわりやこめかみの肉を外す痕
    • 頭蓋骨を割るためのノッチや打撃痕

    が確認されている。

    論文では、こうした損傷は 脳を取り出すための頭蓋骨破壊 と結びつけられていて、保存用の“頭蓋杯”づくりとは違うパターンだとされる。

    要するにこれ、
    頭を壊したことそのものより、
    どう壊したか が問題なんだよね。

    そこに「脳へ到達する意図」が見える。



    🍖 長骨も割られていて、肉も髄も狙っていたっぽい

    頭だけじゃない。

    上腕骨や大腿骨、腓骨、橈骨なんかにも、筋肉を外したり関節を切り離したりする痕が見つかっている。
    さらに研究チームは、骨の破壊が 栄養価の高い部分を取り出す目的 を示すとしていて、大学の発表でも「栄養豊富な成分を抽出する意図に疑いはない」と説明している。

    つまり今回の話は、
    「死体を荒らした」
    だけではなく、
    肉・脳・骨髄のような高カロリー部位をちゃんと狙っている
    というところまで踏み込んでいる。



    ⚔️ でもそれは飢餓だったのか? そこが次の論点

    ここで気になるのは、
    「そんなに食べ物がなかったの?」
    ってことだよね。


    でも研究チームは、少なくとも単純な飢餓説明には慎重だ。
    この時期は気候改善と人口増加の時代で、大学発表でも 食糧不足が主因とは考えにくい とされている。論文でも、マグダレニアン期にはこうしたカニバリズムが断続的に見られ、資源をめぐる 集団間緊張や暴力 と関わる可能性が論じられている。


    だから今回のテーマにある
    「敵の脳を食べた」
    という表現は、完全な断定ではない。

    ただ、かなりそれに近い解釈が有力になっている、という感じだ。


    arukemaya_y546

    ↑脳みそだけじゃなく脚もいっとるやないかい!( ・Д・)(Marginedas et al. 2025, Fig.6より転載)


    🧾 「敵だったか」はまだ推定。でも“敬意ある埋葬”ではなさそう

    論文が強調しているのは、遺体が丁寧に葬られた形ではなく、食べられた動物の残骸と混ざっていた ことだ。
    こうした状況は、愛着や追悼を示す一次埋葬とはかなり違う。論文では、こうした混在状態は人類学的には エクソカニバリズム(外部集団の人を食べること)、つまり敵の非人間化と関係しうると述べている。報道でも「征服した rival への侮辱」や「戦争的カニバリズム」の可能性が紹介されている。

    ここが大事なんだよね。

    考古学では、
    人骨に傷がある = すぐ敵を食べた
    とは言えない。

    でも今回は、

    • 解体の仕方
    • 脳へのアクセス
    • 動物骨との混在
    • 丁寧な葬送らしさの乏しさ

    がそろっていて、
    かなり敵対的な文脈 が見えてくる。



    🧠 人を食べた、というより「相手を物体化した」感じが怖い

    あるけまや的に今回いちばん怖いのは、
    人を食べたこと自体より、
    人間の体を資源として処理している感じ なんだよね。

    頭は脳へ。
    四肢は筋肉へ。
    長骨は髄へ。

    そこには、死者への敬意より先に、
    解体の合理性がある。

    しかもそれが、ただの生存危機ではなく、
    集団間の緊張や勝敗と結びつくなら、
    これはかなり重い。

    食べることが栄養補給であると同時に、
    相手を徹底的に「人ではなくする」行為でもある

    そういう世界が、氷期末のヨーロッパにあったかもしれないわけだ。



    🏺 あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    ポーランドの旧石器時代の洞窟で見つかった人骨には、
    頭皮剥離、肉はぎ、頭蓋骨破壊、長骨破砕といった
    かなり“食べる前提”っぽい処理 が見つかった。

    しかも、その対象は単なる身内の葬送ではなく、
    敵対集団を食べたエクソカニバリズム の可能性が高い。
    ただし、そこはまだ「かなり有力な解釈」であって、絶対確定ではない。


    でも、面白いよね。

    旧石器時代の人々って、つい
    芸術とか洞窟壁画とか、きれいな方向で語られがちじゃない?

    もちろんそれは本当。
    でもその一方で、人類はかなり早い時期から
    象徴も暴力も両方やる生き物 だったのかもしれない。


    洞窟の奥には、
    美だけじゃなくて、
    勝者の食卓まで残っていたのかもしれないのさ( ・Д・)




    なにはともあれ・・・・・・

    人喰ってるの縄文人じゃなくてお前らだろがい( ・Д・)

    ↑日本考古学やってると分かるネタ( -д-)ノ





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    2025ねん 11がつ 16にち(にちよーび、晴れ)

    締切明日だが間に合わん気持ちでいっぱい!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y345




    今回の考古学・歴史ニュースはあ~モーセの開いた海の道みたいなもんね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    エーゲ海──今では美しい島々と青い波が広がる観光地として知られていますが、数万年前にはかつて陸続きだった場所があった、という驚きの研究成果が報じられました。西トルコ、アイワルク(Ayvalık)の海岸線沿いで、考古学者たちは 138点もの旧石器時代の石器 を発見。これらはかつて海面が低かった氷河期に、アナトリア(現在のトルコ)とヨーロッパ本土をつなぐ陸橋が存在したことを示すものです。もしこの発見が描く通りであれば、人類がヨーロッパ大陸に拡散したルートの通説を大きく書き換える可能性があります。




    🔍 氷河期に現れた、もう一つの人類の道

    氷河期には地球規模で水が凍結し、海水面が現在よりも 100 m以上も低かった と推定されています。その頃、現在は島や半島として点在しているアイワルク周辺の地形は、連続した陸地を形成し、人の移動を可能にしていたのです。この「陸橋仮説」は、アイワルクの新しい調査によって裏付けられつつあります。



    arukemaya_y349
    ↑これがどこなのか全然分らん地図も珍しい、元論文見ても分らんかた!( ・Д・)

    (Mazza et al. 2013: Fif.2より転載)

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    ↑とりあえずエーゲ海はここ!( ・Д・)

    (「Google Map」の画像より一部加工)


    arukemaya_y351

    ↑右側がトルコで左側がギリシャでヨーロッパなんだけど、エーゲ海の中で一番距離が短くて島が今でもあるのはこの辺りでない!?( ・Д・)

    (「Google Map」の画像より一部加工)



    🗿 海岸線で発見された、旧石器の証拠

    考古学チームはアイワルクの 10か所 にわたる調査地点で、138点の石器を収集しました。
    出土した道具の内訳は以下のように多様です:

    • ルヴァロワ(Levallois)方式 のナイフ状の破片 — 中石器〜旧石器時代で高度な技術を示唆。

    • ハンドアックス(手斧)クリーバー(割る道具) などの大型石器。

    • 原材料として 燧石(フリント)カルセドニー (玉髄)を利用した石器が含まれ、地元資源の活用も示唆される。

    これらの道具は、ネアンデルタール人やホモ・サピエンスの活動と結び付けられる典型的な旧石器遺物であり、単なる通過点というより 居住や長期利用の痕跡 を示す可能性があります。



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    ↑海の中、調べてるわけじゃないのね。このレキ群の中から拾うのね!( ・Д・)
    (「Popular Science」の記事内画像より転載;Credit: Kadriye, Göknur, and Hande)



    🌐 新たな人類拡散モデルへの挑戦

    従来、ヨーロッパへの人類進出は、バルカン半島やレヴァント(中東)経由が中心的なルートと考えられてきました。しかしこのアイワルク陸橋仮説が正しければ、 エーゲ海を横断する別ルート が古代から機能していた可能性が出てきます。研究者たちは、単なる移動経路ではなく「技術と文化の交差点」として、この地域の重要性を指摘しています。




    🌿 地形の復元と生活の場としての陸橋

    古地理学的解析によれば、かつてのアイワルク地域は島々ではなく 内部陸地をもつ大きな平原 だった可能性があります。これは単なる通過地ではなく、 定住や道具づくりが行われた「暮らしの場」 であった可能性を示唆しており、研究チームはこの場所を移動経路以上の意味を持つ「ハビタット(生息地)」とみなしています。さらに、原材料の採集地点と道具製作地点の地理的な関係から、石器技術がローカルな資源を反映していたことも読み取れます。




    arukemaya_y350

    ↑この石材は割り方が分かり易いね!( ・Д・)

    (Karahan et al. 2025より転載)




    👩‍🔬 女性研究者チームとその情熱

    この発見を主導した調査チームは 完全女性メンバー という点でも注目を浴びています。Hacettepe大学の Göknur Karahan 博士らは、アイワルク地域の未踏性に挑み、小さな海岸沿いの草地や池などを丹念に調べました。彼女たちは発見した石器を手にした瞬間を「感動的で忘れられない」と語っており、これまで見過ごされてきた古代世界の扉を開いた喜びが伝わってきます。




    📈 今後の考古学・地質学へのインパクト

    • 人類史の教科書を書き換える可能性:これまで主流だった移動モデルとは異なるルートが、学術議論を再構築するターニングポイントとなりうる。

    • 水没地形の再評価:今後、沈んだ沿岸地形に対する地形復元や海底考古学の重要性がより認識される。

    • 技術伝播の新視点:レヴァロワ石器が示す技術共有や地域間交流の経路について、新たな比較研究が期待される。

    • 多分野協働のモデル:考古学・地質学・古地理学が融合するパイオニア的な研究アプローチとして注目される。



    arukemaya_y346
    ↑こう見ると島近いんだよな、いったいどこなんだ!( ・Д・)
    (「Popular Science」の記事内画像より転載;Credit: Kadriye, Göknur, and Hande)

    arukemaya_y352

    ↑地域名で調べたらまさかのここ?( ・Д・)

    (「Google Map」の画像より一部加工)



    arukemaya_y353

    ↑いやそりゃ隣のレスボス島までは近いけども・・・!( ・Д・)

    (「Google Map」の画像より一部加工)





    おわりに

    今回の発見は面白いんだけど、タイトルからしてまた水中考古学かぁ。流行ってるなぁと思ったけど、全員女性メンバーだから水着かぁとか思ったけど、海の中調べたわけじゃないみたいですね。そして場所が全然分からなくて、あんなに不親切な図面久々に見たわ。1970年代の図面を修正したらしいんだけど、全体図入れないのね。きっとトルコやヨーロッパの人々にとっては当たり前の図面なんだろうな。

    で、最後に調べた地図を上に載せたけども、、、どこに陸橋あったのだろう。広大な平野だった可能性もあるって言ってるから、確かにこのアイワクから直線的にギリシャを繋ごうとするとエーゲ海ほとんど陸地になる気がするよね。それはもう橋じゃないよ!考古学者なんだから橋の定義を考えろよ!記事用で注目集めるための言葉選びなんだろうけどさ!( ・Д・)





    何はともあれ、、、

    そういえばロシアから北海道まで泳いで逃げてきた人いたね!( ・Д・)







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    2024ねん 6がつ 17にち(げつよーび、これから大雨)

    喘息で死亡ちゅうヽ(TдT)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは行方不明の化石人骨が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    行方不明と言っても「盗難」とかじゃないんです。

    ただの遺物の管理の問題( -д-)ノ



    今から55年前に鳥取県堺港市で「夜見ケ浜人」と命名された化石人骨が見つかりました。

    部位は女性の下顎骨で、時期は後期旧石器時代に相当する約2~5万年前のものと判定されていました。




    ただ50年以上前の話なので時期判定が正しいかは不明です。

    当時から検出された状況を鑑みて縄文時代の骨かも知れないとする説があったのです。

    そのため今回早稲田大学で再発見されたこの夜見ケ浜人の人骨は再分析される予定になっているそうです。




    ちなみに下に挙げた写真が明石原人の骨です。

    こちらも時期が分かっておらず、困った存在なのですが、第二次世界大戦の際に失われており、永遠のミステリーとなっています( ・Д・)



    arukemaya108
    ↑明石原人の骨の写真( ・Д・)(「明石原人まつり実行委員会」の画像より転載)





    おわりに

    「遺物の管理の問題」とは書きましたが、多くの大学や埋蔵文化財関連施設では遺物が溢れていますから、こうした問題はよくあることのような気もします。

    むしろ保管状況が悪くて失われてしまうケースもいくつか聞いています( ̄▽ ̄;)!!ガーン



    ……私のプロジェクトの遺物は、ティカル国立公園で大事に保管されているので特別問題はなさそうですが、

    それでも継続的に発掘を行っているため、そろそろ総遺物量が凄いことになって、倉庫が溢れかえることになりそうです( ・Д・)

    誰か倉庫新しく造るお金をちょーだい!ヽ(TдT)ノ



    何はともあれ、

    この顎、残りいいね!( ・Д・)



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    なんとかダブルワークで研究頑張ってる(*・ω・)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは「沖縄県で最古の人類の痕跡、火焚いてたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台は沖縄県、宜野湾市の普天満宮洞穴(ふてんまぐうどうけつ)遺跡です。

    琉球列島の歴史は日本とはやはり異なるのですが、少なくとも3万2000年前には人類が住んでいたことが分かっています。



    今回は3万1000年前の炉跡が発見されたということです。



    arukemaya072


    炉というと一般的には江戸時代の囲炉裏のようなものをイメージするかも知れません。

    土器などを固定するための三石炉(さんせきろ)の発生は古く、そちらをイメージする方もいるかも知れません。

    単純に適当なサイズの石を三つ拾ってきて、組むだけの簡素なものです。

    3つなので自然と安定するのです。

    この三石炉は現在でも使用されていますし、サバイバルテクニックとして知られているかもしれません。




    しかしながら、考古学における、特に古代の炉というのは基本的に上の写真のようなものです。

    そうです、特に何もありません。

    あるのは焦土(しょうど)、つまり焼けた土なのです。

    今回の発見では同じ箇所を炉として長く使用していたようで、恐らくは周りにあったレキ(石のこと)も焼けてますし、たくさんの灰が固まっている様子が分かります。






    写真の上にある灰色コンテナに入っているものが、焦土や灰の塊です。

    下にあるものは左の4点が沖縄県の旧石器時代、約3万1000年前の石器で、右の2点が人間の頭蓋骨(とうがいこつ)の一部です。





    おわりに

    今回の発見は沖縄県、最古級の炉跡ということで、多量の灰が検出されています。

    この灰を分析することで、当時の人々がどのようなものを食べていたのかが分かる可能性があります。

    またヒトの頭蓋骨の分析により、すでに見つかっている他の旧石器時代の人骨との関係性が明らかになるかも知れません。

    今回は発見に関する速報ですから、続報に期待ですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



    何はともあれ、

    何食べてたかは気になるね!( ・Д・)



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    2020ねん 5がつ 31にち(にちよーび、晴れ)

    もう月末だ( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは「調査でよく出る丸い石の使い方が分かったよ!」ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台はイスラエルのケセム洞窟です。


    いつも「歩けマヤ」で書いてる記事は論文からもってくることは少なく、類似の記事を参考にしています。

    まぁ参考にしておいてなんですけど、

    「今まで分からなかった~~~が、どこどこのチームによって明らかになった!」

    て、大体めちゃ褒めて書いてます。

    まぁアピールしたいですもんね、その方が面白そうですもんね……



    でも、


    実際、すでに分かってましたよ( ・Д・)



    しかもずっと前から。



    記事として皆様の目に留まったのが最近ってだけで( ・Д・)



    とは言っても、今回のお話は本当に『考古学らしい考古学』ですよ。

    1960年代以降の考古学らしいって感じです。

    現在の日本考古学ではまだ100年前くらいの考古学を未だに引きずってるナラティブのみの大御所(という名の老害)でまだまだ満ちてますから、こういったニュースは皆様に目新しく感じるかも知れませんが、実際はそんなことないです。

    今回のこれ、現代考古学のスタンダードですよ( ・Д・)



    さて、今回の舞台であるケセム洞窟では29個の丸い石が出土しているそうです。

    化石人骨等の分析から20~40万年前のものと考えられているそうです。

    ちょうど新人が出現するかな~くらいの時期でしょうか。

    これらの丸い石は、当該地域でよくみられる石灰岩またはドロマイト製で、直径が8~9センチほどの大きさだそうです。

    研究チームはこの丸い石の10個を使い、デジタル顕微鏡と金属顕微鏡で詳細に観察したところ、その球体には動物の骨を構成する海綿骨やコラーゲン繊維、動物の脂質などが付着していました。

    こうした石器を顕微鏡観察して使用痕を検出する研究(上に挙げた写真を参照)は、現代考古学では最早定番です。



    でも……コラーゲン繊維とか残ってるものなんですね~。

    まぁ化石人骨が残る環境だからかなΣ(・ω・ノ)ノ

    この手の記事で専門である私が一番驚くのは、やはり「よく残ってんな~」ってとこですね(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

     




    まぁようは丸い石といってもゴツゴツしてて、尖った部分に残滓がめちゃ付着してたことが分かったよということです。


    だから試しに「丸いゴツゴツした石で骨をゴリゴリしてみた!」ってことですね。


    上に挙げた写真がそれで、所謂『実験考古学』です。


    実際にやってみて、類似の痕跡が残るかどうかを確認するわけですね。


    このように顕微鏡観察による使用痕分析と、実験後の痕跡の比較がセットになって実験考古学なのです。


    arukemaya883
    ↑発掘の様子(「大手前大学、考古学専攻」の紹介写真を転載)


    おわりに

    結論として、ケセム洞窟に暮らしていた古代人は動物の骨髄を大切な栄養源として摂取していたそうです。

    骨髄は栄養価が高いのですが、古代人が骨髄食をしていたのは(考古学者としては)常識です。

    別に新しいことではありません。

    研究の方法論も、対象も、結論もフツーです。

    フツー過ぎて、私はこの記事見ても何も感じませんでした。


    「ふーん・・・それで?」って感じです( ・Д・)


    あまりにも誇張して記事書く人が多いものだから、今回面白くなって批判的に書きましたけど、、、



    考古学ってこういうものですよってことが伝わればいいなと思います。

    意外とうちら頑張ってんだぜ!ってことですよ(*^・ェ・)ノ

    なのに世間はよく知らないんだなって、やはり研究成果の公開が重要だなと感じました( -д-)ノ



    上に挙げたように考古学のイメージって、インディ・ジョーンズみたいな探検家でなければ、こうした『発掘調査』をして土器とかを発見してる学問ですよね。


    でも考古学は「発掘調査」「ラボ作業」の二つが基本的なセットです。

    これに論文を書く際には、先行研究や報告書等の文献の読み込みが追加されるわけで、考古学研究には色々な側面があるのです。


    今回の話はどれかというと、主に「ラボ作業」に分類されるのかな?

    イメージないでしょうが、考古学者って意外と研究室に立てこもるものなんですよ( -д-)ノ



    ……最後に、都合上「フツーだ、フツーだ」と馬鹿にしましたが、


    考古学成果はこうした地道な分析と検証を積み重ねた結果としてあるので、とても重要な事例研究ですからねっ!( ・Д・)

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