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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:最古

2020ねん 9がつ 8にち(かよーび、晴れ?)

秋、来ないな~ι(´Д`υ)アツィー



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↑綺麗に残ってるね!( ・Д・)(「朝日新聞デジタル」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「日本最古の独楽が出たよ!コマの歴史って古いのね!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



さて、独楽は「こま」って読みます。

あのくるくる回す玩具の「コマ」です。



下にタカラトミーが出している「ベイブレード」の画像を挙げましたが、独楽の歴史は古くからあり、現代まで続いている玩具です。

きっと誰かやってるのだろうけど、コマの型式的変化を見てみるのも面白いかも知れませんねヾ(´ω`=´ω`)ノ



独楽の名の由来


考古学って、どんな学問? 遺跡は全国にいくつあるの? そんな子どもたちの質問に答えてくれるWEBサイト「全国子ども考古学教室」(https://kids-kouko.com/別ウインドウで開きます)ができた。ありそうでなかった入門ガイドに、子どもたちはもちろん、大人の歴史ファンからも歓迎の声が聞こえてきそうだ。( ・Д・)
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ベイブレードは基本的に誰か友達と対戦することを面白みとしていると思います。

所謂、「喧嘩独楽」です。

私は小学校の頃、「画鋲回し」で喧嘩ゴマしてましたね( -д-)ノ




勝つためにはより強い画鋲を探して独りで複数回して比較したりするわけです。

ベイブレードでも、独りでより強いベイブレードを探して、パーツを組み変えたりするわけです。


そう、コマ遊びは独りで遊ぶことが基本なのです。

だから漢字では「独りで楽しむ」と書いて独楽(コマ)なのですね(*・ω・)ノ




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独楽の歴史

さて、最古の独楽は「ひねりごま」であったろうと考えられています。

どんぐりを指先で回すような最も単純なものです。

どんぐり回して遊ばれても、考古学的には分からないので証拠はありません( -д-)ノ


……もし古代において子供らによって超強いどんぐりが選択されて、何千・何万回と回されて、

上手いこと依存体として残り、出土し、

どんぐりの先端が回転によって摩耗されていることが顕微鏡観察で確認され、

現生のどんぐりを百回~千回と回してみて、同様の使用痕(?)あるいは擦痕が確認できた場合に、

最古のひねり独楽の可能性を指摘できます( -д-)





まぁなので、考古学上・歴史学上分かっている最古の独楽は「ぶちごま」です。

「ぶち」っていうのは「例文:ジャイアンがのび太の顔面をグーでぶった!( ・Д・)」の「ぶつ」です。

つまり叩くって意味なのですが、この独楽は鞭などで独楽の側面を叩くことで回転させるタイプの独楽になります。


そのため、「鞭ゴマ」や「叩きゴマ」といった名称でも呼ばれます。

また「鞭などで叩くことでようやく働く(回る、機能するの意)」ことから「無精ゴマ」とも呼ばれます。

面白いですね(。・ω・)ノ゙




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↑日本国内で出土した独楽の形態変化(安芸毬子 2002「出土した人形と玩具」『東京大学コレクションX 加賀殿再訪東京大学本郷キャンバスの遺跡』pp.102-116、 東京大学出版会、東京)


上に挙げた図が、日本において出土した独楽の編年表になります。

こう見ると木製なのにけっこう残ってるものですねΣ(・ω・ノ)ノ

ちなみに先ほど挙げた「これまで最古であった独楽」はこの編年表の「1」の図版番号のものと同一資料です。



さて、表を見てみると、7~8世紀の最古級の独楽はいずれも高さがあるタイプであり、「ぶちごま」と考えられています。


時代は一気に飛んで、13世紀には平たい「ひねりごま」が見られ、14世紀は「ひねりごま」ばかり出土しています。

先に述べたようにひねりごまが最古のタイプと考えられていますが、これは編年における順序が逆転しているのではありません。

最も基本的な独楽であるひねりごまは現在まで続くもので、出土事例としてはこのような「ぶちごま」との逆転現象のように見て取れるというだけです(。・ω・)ノ゙



17世紀には上半分がつるっとしたものばかり出ますね。

これが紐を使った「投げゴマ」になります。

表では最古の独楽も上半分がつるっとしていますね( ・Д・)

恐らくこれは原礫面のような無加工部を示していて、下部は加工痕を示しています。

17世紀のものは同じようにつるっとしていますが、わずかに縦方向への加工痕が見て取れます。

この部分に紐を巻き付けたわけですね(。・ω・)ノ゙



ぶちごまの段階から喧嘩ゴマの性質はあったようですが、不明です。

きっと最も原初的なひねりごまの時から喧嘩ゴマの性質はあったのでしょうね。

独楽は独りで楽しむと書きますが、やはり友達とワイワイするのが楽しいのでしょう。

でも競争心も人の大事な要素です。

喧嘩ゴマで勝てるよう、より強く回せるよう工夫した結果として投げゴマが発明されたと考えられています。




江戸時代の天保年間(1830年 - 1843年)までには更に工夫され、独楽の胴部に鉄輪を加えた「鉄胴独楽」が作られます。

1870年代の明治中期までには独楽全体が金属で作られる所謂「ベーゴマ」が作られます。

そして1999年に「ベイブレード」が登場します(*・ω・)ノ



日本における独楽の発達史はざっとこんな感じですね。

……「おわりに」でベイブレードの話をちょっぴりしますヾ(´ω`=´ω`)ノ





最古の独楽の発見!

さて、今回の発見の舞台は滋賀県、大津市の南滋賀遺跡です。


古墳時代後期(6世紀後半~7世紀前半)に帰属する木製独楽が1点が出土しました。




上に挙げた写真に見られるように、長軸は約6cm、直径約4.4cmで、「ぶち独楽」の形態です。

南滋賀遺跡では古墳時代後期の集落址が検出され、該当資料の出土地点は集落内にあった溝だそうです。




この溝に堆積した同じ層から土器が出土しており、この土器が独楽の時期判定に用いられました。


また同層位から木製の斎串(いぐし)や桃の種といった祭祀に使われる道具も出土しています。


先行研究事例でも独楽が祭祀道具と共に出土しており、当時の独楽は遊戯具ではなく、祭祀具としての側面が強い蓋然性が指摘されています。





また南滋賀遺跡では古墳のドーム形石室や大壁建物跡が検出されていることから、渡来系の人々も多く住んでいたと推察とされています。


よって当時、独楽は朝鮮半島からやって来た大陸文化・先進的文化の一つだったと推定されています(*^・ェ・)ノ





先に述べたように、これまで最古とされていた独楽は、7世紀後半に帰属する藤原宮跡(奈良県橿原市)や石神遺跡(奈良県明日香村)で出土した資料です。



なので、今回の発見は日本最古の独楽として最大で1世紀ほど遡る大発見となりました!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!






おわりに

いや、ほんと、こういう発見の話を聞くと、木製の独楽がよく1400年も残っていたな~って思いますねΣ(・ω・ノ)ノ


……ところで、今回の記事はなんだか当初の予定より長くなってしましました。

独楽の編年図表を見つけたのでテンション上がったのかも知れません( -д-)ノ


また教え子と休憩時間にベイブレードで一緒に遊んだ思い出もあるもので、それもあるのかな(*^・ェ・)ノ



既に書いたように、「投げゴマ」はより独楽を強く回転させるために工夫された結果誕生しましたが、ベイブレードもより強くがポイントになっています。

この投げるという技術は紐を使ってる頃においては、色々な技があるそうで、技を磨くというのも楽しみのひとつだったようです。



一方でベイブレードでは紐は使わず手軽に回す機構(教え子宅で2種類の機構を確認しています)があり、誰でもお手軽に強く安定して回せる仕組みになっています。

これはこれで、商業性を背景に玄人志向から普及志向へと進化の方向性が変えられていて、面白いなと思います(*・ω・)ノ


それでいて、右回転・左回転を選択できたり、ベイブレードによっては回転方向によって性質が変わったりと大人でもハマりそうな玄人向けのカスタイマイズ性が残されているのも面白いなと思います。



古代から近代にかけての独楽は資料数も少ないですが、ベイブレードであれば、現在でも入手できますし、画像や情報が比較的簡単に手に入ります。

ベイブレードも強さを求めて、パーツ数や金属パーツが増えたり、サイズ自体もより大きく、より重く、デザインもより鮮やかにと変化していることが良く分かると思います。



現代であっても、我々は物質文化の中に生きているわけで、

やはり様々な部分で考古学を使おうと思えば使えるのだなと改めて感じました。



若い世代もベイブレードなら思い入れがあるかなと思って書きましたけどもヽ(TдT)ノ


どうですかね?

今回の記事……

考古学のお勉強になるよねっ!???( ・Д・)



【2020.9.13 追記】
考古学とはどのような学問か?

今回はその一端に触れたと思っておりますが、ちょっと伝わりにくいかなと感じたので追記します。



今回の記事では『モノの変化』に注目して欲しかったのです。

独楽は時期ごとに形態が変化していきましたね。


考古学はモノを扱いますが本来的に人類を研究します。

そのためまずモノの形態などの変化をみます。

次にそれが何故変わるのかを考えます。


これは学問的には難しい問題なのですが、今回のケースでは比較的分かりやすく、より強く回転させることを目的に変化していました。

ベイブレード等の近現代の独楽では形態だけではなく、「素材や重量」も変化していました。

特にベイブレードでは「デザイン性(文様)」も大きく変化していました。

またこの事例では手軽に安定して強く回転させることを目的として紐に替わる機構が生まれていました。

ビジネスとしての消費者を飽きさせない工夫として、あるいは購買意欲をそそるための工夫として、独楽本体の変化だけではなく、多彩なパーツも生み出されていました。



結局何が言いたいかというと、、、

モノの変化の裏に人間の心を捉えることが大事だよってことです。


今回は私がテキトーに深くも考えずに理由付けを行いましたが、、、

皆さんはモノの変化やその裏に潜む理由について何か感じましたか?

何かあれば是非コメント欄にご一報をお待ちしておりますヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ


(……結局、追記も小難しい上に長くなった( ・Д・))

結論:ひとまずモノの変化を楽しめたらOK!!!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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2020ねん 8がつ 29にち(どよーび、曇りのち雨)

やるべきことをひとつずつ片付けていきたい!(*^・ェ・)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「世界最古の看板は売春宿のものだったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ

考古学って、どんな学問? 遺跡は全国にいくつあるの? そんな子どもたちの質問に答えてくれるWEBサイト「全国子ども考古学教室」(https://kids-kouko.com/別ウインドウで開きます)ができた。ありそうでなかった入門ガイドに、子どもたちはもちろん、大人の歴史ファンからも歓迎の声が聞こえてきそうだ。( ・Д・)

今回の舞台はトルコです。

トルコ西部にあるギリシャ文明に帰属するエフェス遺跡は現在世界遺産に登録された観光名所となっており、今回紹介する遺物は同遺跡で見ることができます。



エフェスは現在のトルコ語の読み方なので、世界史等で習った時は古典ギリシャ語読みである「エフェソス」の方かなと思います。

「エフェソス公会議」とか聞いたことありませんか?(*^・ェ・)ノ



……さて、今回のは看板は、もちろん現在までに資料として発見、確認されている中で最古という話です。

上に挙げた写真がその最古の看板なわけですが、「石製」ですね。

RPGの武器や宿屋の看板のようなものがあったかも知れませんが、掛けるタイプのものは比較的軽量な木製品であったと思われ、残存していません( -д-)ノ



この石製の看板は地面に配置された石板のひとつです。

そのため必然的に石製であり、残ったわけですが、、、

「所謂、床石なのに看板なの???」って思うかも知れません。



……これには理由があるのです( -д-)ノ




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こちらの写真は同じエフェソス遺跡にあるセルシウス図書館です。

イオニア人(所謂、古代ギリシア人)によってBCE11世紀に建設されました。

当時の姿として忠実に復元されており、エフェソス遺跡随一の見どころとなっています(*・ω・)ノ

記録によると蔵書量はおよそ1万2千冊だそうで、古代ギシリア文明の繁栄ぶりが伺えますね。



本というのは古代においては貴重品であったわけですが、このセルシウス図書館はなんと特権階級層だけではなく一般層の人々にも開放されていたそうです。

そしてこの図書館には地下通路があって、例の売春宿に通じていたことが分かっています。




ということで、古代ギリシアのお客さんは図書館に行くふりをして、密かに売春宿に向かっていたのです。

そのため堂々とした看板をぶら下げるのではなく、敢えて足元に配置したのでしょう。



また最古の看板に「足」が描かれていますが、このサイズより足の小さい人はお断りだったと解釈されているそうです。

売春宿を利用できるのは一部のお金持ちだけでしょうし、客を選ぶ権利もなさそうですので、子供はダメ!って意味なのかもしれませんね(*^・ェ・)ノ






おわりに

アルテミス神殿は4度の災難により破壊され、現在は1本の柱のみ復元されています。

ちなみに、ほとんど残っていない神殿や正面だけの図書館、謎の看板のある売春宿が、何故それぞれの建物の役割が判明しているかというと、それは「地図」のおかげです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

古代ギリシアや古代ローマでは町の見取り図が残っている事例が散見されるので、遺物があまり出土せずとも、文字入りの石板などがなくとも、建造物の残りが悪くとも分かるケースがけっこうあるようです。



さて、上に挙げた図のようにアルテミス神殿がもし全部残っていたら、パルテノン神殿の2倍のサイズになり、エフェソス遺跡はエジプトに並ぶ一大観光地となっていたかも知れませんね!


みんな、デカい建造物が大好きだからね!
古代の宇宙人もさ!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 11にち(かよーび、曇り)

頑張って記事書きまくるぞ~!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「イスラエル発!最古の仮面を紹介するよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



たまたま『最古』ネタが続いておりますが、意図的ではございません( -д-)ノ


今回紹介するのは石製の仮面です!

お祭りの仮面は現在はプラスチックですし、ひと昔前は木製でした。

古代においてはもちろんのこと、人類史の多くの期間において多くの仮面はきっと木製だったと思います。





なので基本的に残りません。

よっぽどの特殊な環境下でなければ、木製の仮面は有機物ですから腐敗してしまいます。



上に挙げた写真で分かるように、今回の仮面は石製、比較的柔らかな石灰岩を削ってできているので残ったと考えられます(*・ω・)ノ




9000年前の新石器時代の仮面の真偽

こうした石製仮面はイスラエル南部の砂漠で見つかっています。

その数は合計で16点です。




この内、10点が個人所有のものであり、由来は完全に不明なのです。

また5点は博物館所有ですが、やはり由来が不明なのです。

最後の1点は現地の盗掘防止隊に提出されたもので匿名の人物により発見された遺跡が示されているそうです。




つまり出土遺跡が分かっている遺物は1点のみで他は全て不明。

どれもまともな考古学情報を有していないのです。

そのため「偽物ではないか?」という意見も多々ある疑惑の仮面なのです( -д-)ノ





石仮面について考えてみた(*^・ェ・)ノ

先に述べたように、16番目の石仮面が出土したと思われる遺跡だけが分かっていて、それはヨルダン川西岸南部のプネイ・ヘベル居住区付近に位置する新石器時代の遺跡だそうです。

次の盗掘被害を避けて遺跡に関する詳しい情報の公開は控えられています。

当該遺跡ではイスラエル考古学庁の主導の下、調査が開始されていますがこれまでに同様の仮面は発見されていません( -д-)ノ




遺物の特徴としてはどれも石灰岩製で、成分分析の結果、いずれの資料も周辺に分布する素材を使用しているとのことです。

またどれも仮面の縁に刺突孔があり、お面のように紐で頭部などに縛り付けられるような仕様になっています。




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↑正面と側面、側面には穴が見えます(*・ω・)ノ(「NACIONAL GEOGRAPHIC」の記事内画像より転載;credit: CLARA AMIT, ISRAEL ANTIQUITIES AUTHORITY)


上に挙げた二枚目の写真の通り、目の位置よりやや高いところに穿孔痕があります。

「お祭りのウルトラマンとか仮面ライダー(?)のお面」を想像して頂くと分かりやすいかなと思いますが、紐を通して耳にかけることを考えるとちょうど良い位置に穿孔されていると思います。



9000年前のこのイスラエルの地は新石器時代に相当し、ようやく定住生活が始まったかなという段階です。

定住生活の中で親族や友人の埋葬行為、それに伴う儀礼行為など、宗教観念も発達し始めた頃ではないかと予想されます。

そういった中でこの石製仮面も製作されたのでしょうか?




イスラエルの新石器時代における新たな葬制・風習?

上に挙げた写真は同地域でこれまでに発見されている埋葬遺構から出土した人骨です。

どれも頭蓋骨ですが、表面に石膏が塗られています。

奥の1点については耳や目も造形され、彩色もされているようですね。



この地域が当時から砂漠地帯なのか不明ですが、鳥葬にするか、火葬にするか、土層にするか、いずれにせよ、皮膚や肉などが分解された後の剥き出しの頭蓋骨に対して石膏を塗って加工しなければ、上記写真のようには残りません。

なので一度埋葬してから、掘り起こして再度儀礼を行い埋葬する再葬が行われていたのだろうと思います。

情報が乏しいのでどちらが時代的に先かどうかは分かりませんが、今回紹介した石製仮面はこの石膏付き頭蓋骨の風習に関連するもので、恐らく被葬者の顔に被せるために作ったものなのでしょう。





手のかかる再葬風習を簡略化して、最初の埋葬時に仮面をつけるようになった……ような気もしますが、、、

上の写真の奥に見える精巧な石膏付き頭蓋骨を見ると、技術的観点からも、、、儀礼が複雑化したような気もします。




・・・・・・

・・・


きっと後者かな?

あるいはやっぱり贋作だろうか・・・・・・( ・Д・)



こんな風に思いを馳せるのも考古学ミステリーのひとつ、醍醐味だと思います。


皆さんはこの事件、どう思いますか???ヾ(´ω`=´ω`)ノ





おわりに


さて、真面目ばかりは飽きるでしょう!

「歩け、マヤ」らしく最後に悪ふざけを……( -д-)ノ


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うおぉぉぉぉぉぉ!!!!!(変化中)

……研究者も「人」でいさせてくれぃ!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 11にち(かよーび、曇り)

一歩ずつ進むのだ!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「日本最古の土偶の事例を紹介するよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


『最古の~』ってのは話題になりやすいので、遺物の素材ごとに、あるいは地域を細分して、色々な最古があるわけです。

例えば同じ「最古の土偶」でも、「北海道最古」とか、「ヨーロッパ南部最古」とか色々パターンはあるわけです( -д-)ノ


今回ご紹介するのは純粋に日本における最古の土偶の事例です。

両者共に縄文時代草創期の事例で1万3000~1万1000年前頃の遺物と推定されています。







三重県、粥見井尻遺跡の事例

粥見井尻(かゆみいじり)遺跡は、三重県松阪市飯南町粥見字井尻で現在は「粥見井尻遺跡公園」として一般公開されています。

この遺跡では1996年に国道のバイパス工事に伴う緊急発掘が実施され、その際に一番最初の写真やこの直上に挙げた写真の2点の土偶が出土しました。

この遺跡は縄文時代草創期(1万3000~9000年前)の集落遺跡であり、これらの日本最古級の土偶の他、竪穴住居4基、無文土器片資料群、石器製作址が見つかっています。



一番上に挙げた写真だとこの粥見井尻遺跡で出た2点の最古級土偶が映っているのですが、左側のやけに小さいものは『土偶の頭部』です。

この上に挙げた全体が分かる資料(所謂、粥見井尻土偶)であっても、長軸7cm、短軸4cm程度なのでかなり小さいです。

前回紹介した中国の最古の彫像もめちゃくちゃ小さかったので、人類の最初期のフィギュアはミニチュアばかりだったのかも知れませんね( -д-)ノ




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↑日本最古の土偶!ヾ(´ω`=´ω`)ノ(「Twitter」”古墳紹介bot”さんの投稿画像より転載)



滋賀県、相谷熊原遺跡の事例

こちらは滋賀県、東近江市に所在する相谷熊原(あいだにくまはら)遺跡で出土した土偶です。

この遺跡からは5基の竪穴住居址が検出されており、間違いなく縄文時代草創期に帰属する日本最古級の土偶(通称、相谷土偶)として知られています。

サイズは長軸3.1cmとやはり小さいですね。

頭部や手足の造形はありませんが、乳房やくびれなど女性らしさは十分に表現されているとの評価です。

やはり世界的にみて、地母神だとか、母なる大地、母なる海、母なる地球とか場合によって様々な表現がありますが、新たな生命を生み出す女性を神聖視する意識は初期人類にとって共通のようですね(*・ω・)ノ




おわりに

やはり『最古』ってサイコーなわけですが(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

考古好き、歴史好きの皆さんは、古さだけに囚われず、

とある現象がなんで広く共通するのだろう?とか

この先、どうやって変化していくのだろう?とか

時間と空間の変化に思いをはせて欲しいなと思います!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 9にち(にちよーび、晴れ)

私は頑張るよ~っ!たくさん応援して~っ!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「中国で東アジア最古の彫像が見つかったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


……のっけからアレですが、コレほんとかなと、なんだか怪しい匂いを感じ取っております( -д-)ノ


ま、ひとまずはご紹介をしますね!






これまでの記録を8500年も上回る大発見!?

発見があったのは中国・河南省にある霊井遺跡です。

調査責任者は中国・山東大学の李占揚です。

(これまで考古学者の実名は大部分敢えて控えてましたけど、今後はガンガンに出していきますね(*^・ェ・)ノ)

上に挙げた写真のスケール(2mm)から分かるようにこの遺物はとても小さいものです。

この彫像の大きさは、全長19.2mm、高さ12.5mm、幅5.1mmなのですΣ(・ω・ノ)ノ



この問題の遺物は土器片や動物の焼骨などの遺物と共に見つかったそうです。

そこで貴重な発見であるこの彫像を傷つけないように彫像に対しては放射性炭素年代測定法を使いませんでした。

代わりに彫像と共に出土した同様の骨の一つを放射性炭素法で調べ、鳥の彫像の年代が1万3500年前のものと推定しました。

結果、東アジア最古の彫像であり、同地域での彫像の記録を8500年も上回るものとして報告されました。






怪しい予感……*あくまで元記事の記述に基づく個人の見解です( -д-)ノ


さて、東アジアにおける彫像の歴史が一気に8500年さかのぼったわけですが、、、

まずは時期を確認しましょう。

13500年前と言いますと、日本では縄文時代の初め、縄文草創期(およそ16000~9000年前)に相当します。



せっかくなので今度記事にしますが、日本でもこの草創期に当たる時期、1万1000年前に相当する『土偶』が最古として発見されています。

日本の事例では彫像ではなく、土偶です。

時期差は多少あるものの、3点ほど見つかっています。

またこれらの土偶は住居址や縄文土器(当然、草創期の土器)と共に出土しています。

なので時期判定は土器を中心として複数の根拠に支えられています(*・ω・)ノ



何故日本の事例を紹介したかと言うと、この中国の事例は状況が大きく違うよ!と言いたかったからです( -д-)ノ






さて、この霊井遺跡ではこれまでの調査で12万年前から3000年前の青銅器時代までの11層の地層が検出されています。

この内の5番目の地層の大部分が1958年に実施された井戸の掘削作業で取り除かれ、近くにある廃棄物の集積地に捨てられていたそうです。

この集積地はその後何年も手付かずのままだったようで、研究チームが土をふるいにかけて詳細に調べたところ、土器片や焦げた動物骨と今回の遺物があったという経緯なのです。




(。´・ω・)ん?・・・・・・・





・・・・・・





・・・





1次資料じゃないじゃん!( ・Д・)

がっつりコンタミじゃん!( ・Д・)




註;コンタミネーション(英語: contamination)は、特に科学実験の場における汚染のこと。「実験汚染」「実験室汚染」「試料汚染」などの訳語があてられる場合もあるが定訳はなく、そのままコンタミネーションとして、あるいは略してコンタミと呼ばれることが多い。 (wikiより転載)


(以下「歩け、マヤ管理人」による追記)

考古学では『攪乱』のことをコンタミと呼ぶことが一般的だと思います。

今回の事例のように後世の人為的な攪乱の場合や、植物の根の広がり、倒木、動物の巣作りなど様々な原因で土がかき混ぜられてしまったり、遺物が”本来の位置”から移動してしまうことがあります。



普通、井戸掘ったら、地表面から地下水に当たるまで掘り抜くから、5番目の層だけの集積地ってあり得る???(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?



まぁこれだけで怪しいんですけど、最初に挙げた図のように成分分析やってるんですよね。

焼けた骨を彫刻して作った鳥って判断してるのに……

なら、分析かけずとも骨じゃんって思うんですけどね。



なのに、傷つけることを恐れて炭素年代測定法は直接用いずに、他の骨に適用しています。

しかも1点だけ!


そして土器片も出てるのに、土器編年的にはどうなのだろうか。

一切記述ない。

写真もない。

よくわからんくらいの小破片ということなのか……


誠に以って謎!
( ・Д・)






おわりに

まぁなんだか怪しい発見ですけど、この「5番目の層」は広く広がってるはずですから、今後通常の発掘の過程で傍証となるような発見があることに期待したいですね(*・ω・)ノ

実際、「素材である骨自体が古くとも、加工した時期が古いとは限らない」んですけどね。

写真で見た限り、整形後に焼けた感じしないですしね( -д-)ノ




……まぁ最古っていいよね。

「8500年も記録を大更新するくらい古いんだ!」って言えたらかっこいいよね。



……うん、気持ちは分かるが、、、

誠実にいこうぜっ!( ・Д・)

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