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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:最古

2020ねん 3がつ 15にち(どよーび、晴れ)

やぁみんな!飛行機に乗り遅れた管理人だよ!ハハッ!ヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「グアテマラ、タカリク・アバフ遺跡でマヤ文字の原型みたいなのが見つかったよ!


でも最近の研究者って古いって言いたいだけで定義とかいい加減なやつばっかだね!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


不幸が3重に重なり、飛行機を逃した私は昼からお酒を飲みつつ仕事して心なしか荒ぶっております( -д-)ノ

……中庭のプール脇で仕事してるのですが、黒ビキニの綺麗なお姉さんが焼いてる姿に気付き、すさんだ心が少し癒された気がした今日この頃です( ・Д・)

しかしがら今回は愚痴たっぷり、口悪く書きますのでご容赦ください(゚д゚)、ペッ




タカリク・アバフ遺跡ってどこ? 何なの?

昔、こういう感じの地図をゼミで出したら、「これじゃどこか分からん!(゚皿゚メ)」ってよく指導教員に言われたものです……

メキシコ入ってるし分かるだろ!メキシコはUSAの南だ!!!

私の専門マヤだし、当然中米だよ!

他地域やったことねーだろ!

覚えろよ!ハゲ!(指導教員はハゲていない。むしろハゲろ(#`皿´) ムキーーーー!)


ってよく思ってましたね( -д-)ノ




……ブログタイトルとは異なり、実際にはけっこう専門分野を敢えて避けつつ(マヤ文明ばっかになっちゃうから)記事を書いてますけど、

「歩け、マヤ」の熱心な読者はもうこの『ユカタン半島』の地図は見慣れたと思うので、北アメリカを含んだ地図はいちいち提示しませんよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


というわけで、タカリク・アバフ遺跡は、グアテマラ南西部、エル・アシンタルにある先コロンブス期の遺跡です(*・ω・)ノ


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最初に挙げた写真や上の2枚の写真のようにタカリク・アバフ遺跡は石碑や石彫がごろごろしている遺跡です。

かつて一度だけ行ったことがあります。

誰もいなくて、のんびりできます。

つまり観光整備がテキトーなので、どうしてもマイクロバスでの移動になるので行ったり帰ったりするのが怖いですけどね( ・Д・)




石彫は動物を象形したものが多く、どれも可愛げがあるので写真撮影にはもってこいですよ!(・∀・)つ

この遺跡はもともとアバフ・タカリクと呼ばれていて、日本の古い文献にもそのように記載されている事例があります。

最近と言っても15年くらいでしょうか、かなり前にタカリク・アバフになったんですよ。

植民地期以降のマヤ語に由来した名称なのですが、名詞と修飾語の語順が正しく直された(元々はスペイン語からキチェ語への変換だった;西語では名詞+形容詞)結果です。

この遺跡は『人頭像』で有名なメキシコ湾岸のオルメカ文明の系譜にあり、かつ後にマヤ文化へと変遷した興味深い遺跡なのです。




発見された石碑・マヤ文字(?)に関して



今回のこの遺跡で見つかった石碑は約2000年前の石碑です

古代マヤ文明で用いられた所謂「マヤ文字」の初期の文字が見つかったのです。

見つかった「石碑87」は2018年に発見されてはいたのですが、初期の文字であるため、古典期(CE250-900)における一般的に知られているマヤ文字とは異なります。

そのため発見後、解読が進められ、今回の発表へと至ったわけです( -д-)ノ

……なんかこの手の『最古』系のマヤ文字のやつ、タカリク・アバフ遺跡で聞いたことあるなと、デジャブ的に感じてたのですが、これが理由ですね!

ちなみに石碑の推定時期はCE100年頃のものと考えられているようです。




どうしても「古い!」と言いたい研究者できない研究者の叫び

この石碑の解読は全部終了したわけではありません。

しかしこの文字列の中には『支配者』の存在とその『称号』の証しが示されているそうです。

研究者にとってお金(助成金)獲ってくることが大事なのは身に染みて分かっていますが、「古い!」って言いたいだけの人多いと感じますね。

というか、『掘ったら何か出るのは当たり前』なのに、ひたすらただの強行なアピールを行う研究者が多いなって気がします。

『国家』、『文明』、『支配者』、どれも危険・地雷ワードですよ!

こんなニュースひとつで(それが事実ならば)現在の我々が有する古代マヤ文明観、ひっくり返りますよ。

でも彼らは深くは考えない。

それぞれの用語の定義を考えず、「ただの言葉」として使ってます。




考古学や人類学の難しさは、専門用語と一般的な用語が概ね同じ単語であることなんですよね。

つい先日Twitterで見かけましたが、「所謂、理系の専門用語は難しく、その内容が文字から推定できない」って。

でも「文系の用語は超簡単」って。

これ超有名な事例ですけど、じゃあ考古学で言う「文化」って、その文字・言葉から想像できるでしょうけど、その想像と実際の中身全然違うと思いますよ( ・Д・)

「文化」ならまだ可愛いけど、「国家」や「文明」はめちゃくちゃ難しい(と、少なくとも私はそう思う)。

ちゃんと定義を確認して、あるいは再定義して、私はこのように使うと明言して研究している人は世界でもあまりいないですね、少なくとも今生きている人では( -д-)ノ




結論とおわりに

朝起きてから16時間待ちで、ビールもしこたま入れてるのでこんな内容になりましたが、まぁたまにはいいでしょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

このニュースに関してはまだ国内ではあまり周知されておらず、確認できた記事も少なかったです。

でもどれも『マヤ文明初期の文字』って書いてますね。

マヤ文明って比較的有名ですからね。

タカリク・アバフ遺跡の古代文字って書いても誰も分からないですからね( -д-)ノ

その辺りは理解できるとは言え、、、




どこからが「マヤ文字」ですか?

どこからが「マヤ文明」ですか?

「文明」って何ですか?

「支配者」って具体的には何を意味しますか?

国家形成を考える上で最重要な問題なのに、誰も何も言わない。

皆、口を閉ざしたまま、陰で(懇親会や個々の集まりで)悪く言うだけ。

だって言ったら、誰しも容易く「古い事例だ!」って言えなくなるし、ガチ喧嘩だからね!( -д-)ノ

……確信犯やん( ・Д・)

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2020ねん 3がつ 4にち(かよーび、晴れ)

電気ないと暑くて死ぬ( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「世界最古、4万4000年前の壁画が見つかったよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

私たちはホモ・サピエンス・サピエンス、つまり地球上で唯一の現生人類です。

学校では「新人」として習うかも知れません。

新人がホモ・エレクトゥスと分化したのが20万年前~180万年前と考えられています。

有名な新人、クロマニョン人が分化したのが4万年前~1万年です

後期旧石器時代に当たります。






最古(?)の壁画としては上に挙げたようなフランスのラスコー洞窟の壁画と、スペインのアルタミラ洞窟の壁画が有名ですね。

高校で世界史Bを選択すると最初に覚えるのがこれらの用語なので、日本では超有名です。

アルタミラの壁画は1万年前~1万8千年前、ラスコーの壁画が2万年前で、どちらも後期旧石器時代にクロマニョン人によって描かれたものと考えられています。

一方で単純に絵(?)として人類最古と考えられているのが約7万3千年前の岩から発見されています。

↓以前、まとめとして簡単に触れていますので、どうぞ!(*・ω・)ノ↓




上のリンクを見れば一目瞭然ですが、7万年前の最古の絵は単純な彩文(幾何学文様)です。

一方でラスコーやアルタミラ、そして今回の発見は完全に絵であり、何かしらのストーリーのある物語として描かれていると考えられています。

そのため今回の発見は「最古の物語』なのですヾ(´ω`=´ω`)ノ


arukemaya803






この岩絵の最大の特徴は、体の一部が人間、一部が動物の生き物たち(半人半獣?)が、槍と縄のようなものでイノシシ等の動物を狩猟しているシーンを描いていることです。


角の生えた小さな鹿みたいな動物はどうやら水牛の仲間だそうです。

壁画は全長5メートルもあり、全体的に狩猟のシーンが描かれています。


そもそも狩りのシーンが描かれるということ自体が非常に珍しいことなのですが、この場合は半人半獣も描かれており、当時の人々の複雑な精神世界の一端が伺える意味で重要です(*・ω・)ノ


この岩絵が長い時期にわたって描かれた可能性があり、ひとつの物語を示すか疑問とする声もありますが、この半人半獣の存在と狩猟のテーマがある以上、少なくとも最終的な描き手は物語を想定していたでしょう。

さらに驚くべきは今回の発見があったインドネシアのスラウェシ島にはこうした壁画が少なくとも242点も発見されているそうです。


年代はバラバラですが現在も毎年、新たなものが発見されているそうです。


例の7万年前の最古の絵は幾何学文様ですから、この4万4000年前のスラウェシ島の岩絵は動物が描かれたものとして最古のものである可能性があります。


同じくインドネシアのカリマンタン島では少なくとも4万年前に描かれたとみられる動物の絵が発見されているそうです。


最近、インドネシアでは古い人骨がどんどん見つかっていて、現生人類の拡散が従来の説よりかなり早かったことを示唆しています。


こうした発見は私たち現生人類の精神文化の発達も従来の説を大きく覆すほど古くから起きていたことを示唆しています。


何せ、ラスコーやアルタミラのざっと2倍の古さですからね!Σ(・ω・ノ)ノ


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2020ねん 2がつ 9にち(にちよーび、晴れ)

ティカル遺跡の中心部から最も近い河川で粘土を採取、、、

それでミニチュア土器を作ったよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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今回の考古学・歴史ニュースは「弥生時代中期に属すると思われる国内最古級の硯がどんどん出てきているよ」ってお話です(*・ω・)ノ


国内最古級となる弥生時代後期(1~2世紀ごろ)のすずりが福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で見つかり、市教育委員会が1日、発表した。この遺跡は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都とされ、邪馬台国時代の倭(わ)国(日本)が文字を用いて外交した裏づけとなる。

 出土したすずりは石製で、長さ6・0センチ、幅4・3センチ、厚さ6ミリの破片。薄く裏面の粗い加工など中国・漢代の板石すずりと特徴が一致し、復元すると長さ10~17センチのほぼ長方形とみられる。弥生土器や朝鮮半島製の楽浪(らくろう)系土器が集積した「土器だまり」で見つかった。弥生時代のすずりは田和山遺跡松江市)に続き国内2例目。

 中国や朝鮮半島に近いこの一帯は日本列島と海外をつなぐ外交窓口だった。倭人伝は、伊都国には女王卑弥呼が派遣したともいわれる役人や海外からの使いがおり、文書類も点検したと記す。市教委は、すずりは倭人伝の記述を裏づけ贈答品の返礼書作成など外交文書のやりとりが行われていた、とみる。

 西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「文字文化や外交文書行政の始まりを知る資料だ。先進文化は外交拠点のここに入り、国内に広がったのではないか。すずりの時期は(紀元前の)弥生中期にさかのぼる可能性もある」と話す。

前回、国内最古の文字の可能性のある硯(すずり)が出土したお話をしました。





そこでも少し触れたのですが、最近やけに「最古級」のすずりがどんどんと出土するようになっているのです。

まぁ考古学において、『認識が遺物の発見を作る』ことはよくあるのです。

例えば、『この古さ、時代にこんなものがあるはずがない』と思っていると叩かれないように公にしなかったり、自信の無さから特別アピールしたりしないので、情報がそのまま埋もれてしまうことがあります。

最悪の場合、あり得ないからという理由で帰属時期の推定に影響を及ぼし、ほぼほぼ改ざんされてしまうこともあるのです( -д-)ノ

でも誰かが「発見した~!ヾ(´ω`=´ω`)ノ」ってなれば、

『俺も俺も!むしろ俺の方が古い!最古だ、最古だ!』

という風に「サイコ祭り」もとい「最古祭」が始まる傾向があります(*・ω・)ノ

……考古学者も人の子なのです( ・Д・)

では一気に紹介していきましょ~!




福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で出土した硯の破片です。

弥生時代後期(1~2世紀)の遺物です。

大きさは長軸6cm、短軸4.3cm、厚さ6mmです。




佐賀県唐津市の中原遺跡で出土した硯の破片資料。

弥生時代中期(紀元前1世紀頃)の最古級資料。

大きさは長軸約4~19cm、短軸約4~7cm、厚さ1cm程度。

中国製の硯と類似の特徴が多いそうです。

基本的に大陸から伝わった文字文化の象徴ですからね。



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↑硯と研石がセットで出土(「読売新聞」の記事内画像より転載)


有名な吉野ヶ里遺跡の出土の硯と研石と思われる石板。

弥生時代中期に帰属すると思われます。





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こちらも佐賀県、吉野ヶ里遺跡出土の硯と研石。

長軸7.8cm、短軸5.2cm、厚さ1.0cm。

先ほどの写真は展開図のようになっていますが、こちらは普通の写真なので分かり易いかも知れませんね。

*同じ遺物ですよ(*・ω・)ノ


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まだまだたくさん硯は見つかっています。

これまで弥生時代と言えば、「弥生土器」のイメージしかないと思います。

縄文時代よりは進んでいるけれど、古墳時代の初期国家へのイメージとは異なる。

どちらかと言うと縄文時代に近いイメージだと思います。

これからは弥生時代にはすでに文字文化があったと考えられるのが普通になり、教科書等で伝えられる復元画等のイメージも変わっていくでしょうね!(・∀・)つ

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2020ねん 2がつ 9にち(にちよーび、晴れ)

ティカル遺跡の中心部から最も近い河川で粘土を採取、、、

それでミニチュア土器を作ったよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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今回の考古学・歴史ニュースは「弥生時代中期に属すると思われる国内最古の文字の痕跡が見つかったよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

これまでに国内で見つかっていた文字の痕跡の事例は、福岡県糸島市の三雲・井原遺跡における刻線による『鏡』と、三重県松坂市の貝蔵遺跡における墨書による『田』でした。

これらはおよそ1700~1800年前のものと推定されています。

今回の発見はそれより古い約2000年前のものです。

これは福岡県松江市の田和山遺跡から出土した弥生時代中期の硯(すずり)に見られる文字です。

従来は古墳時代に入ってから大陸との交流が進み、文字文化が流入したと考えられてきました。

しかし近年は福岡県を中心に北九州周辺で、弥生時代に属する硯と思われる遺物が相次いで発見されており、北九州の弥生時代からの大陸への玄関口としての役割について、弥生時代における文字文化流入の可能性について見直され始めています。

研究者らが観察・考察した結果、『2つの文字が縦に並んでいる』と判断でき、『上の字は子どもの「子」など、下の字ははっきりしないものの「戊」などの可能性が考えられる』としています。


それがこれです↓ (*・ω・)ノ

国内最古級となる弥生時代後期(1~2世紀ごろ)のすずりが福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で見つかり、市教育委員会が1日、発表した。この遺跡は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都とされ、邪馬台国時代の倭(わ)国(日本)が文字を用いて外交した裏づけとなる。

 出土したすずりは石製で、長さ6・0センチ、幅4・3センチ、厚さ6ミリの破片。薄く裏面の粗い加工など中国・漢代の板石すずりと特徴が一致し、復元すると長さ10~17センチのほぼ長方形とみられる。弥生土器や朝鮮半島製の楽浪(らくろう)系土器が集積した「土器だまり」で見つかった。弥生時代のすずりは田和山遺跡松江市)に続き国内2例目。

 中国や朝鮮半島に近いこの一帯は日本列島と海外をつなぐ外交窓口だった。倭人伝は、伊都国には女王卑弥呼が派遣したともいわれる役人や海外からの使いがおり、文書類も点検したと記す。市教委は、すずりは倭人伝の記述を裏づけ贈答品の返礼書作成など外交文書のやりとりが行われていた、とみる。

 西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「文字文化や外交文書行政の始まりを知る資料だ。先進文化は外交拠点のここに入り、国内に広がったのではないか。すずりの時期は(紀元前の)弥生中期にさかのぼる可能性もある」と話す。

国内最古級となる弥生時代後期(1~2世紀ごろ)のすずりが福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で見つかり、市教育委員会が1日、発表した。この遺跡は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都とされ、邪馬台国時代の倭(わ)国(日本)が文字を用いて外交した裏づけとなる。

 出土したすずりは石製で、長さ6・0センチ、幅4・3センチ、厚さ6ミリの破片。薄く裏面の粗い加工など中国・漢代の板石すずりと特徴が一致し、復元すると長さ10~17センチのほぼ長方形とみられる。弥生土器や朝鮮半島製の楽浪(らくろう)系土器が集積した「土器だまり」で見つかった。弥生時代のすずりは田和山遺跡松江市)に続き国内2例目。

 中国や朝鮮半島に近いこの一帯は日本列島と海外をつなぐ外交窓口だった。倭人伝は、伊都国には女王卑弥呼が派遣したともいわれる役人や海外からの使いがおり、文書類も点検したと記す。市教委は、すずりは倭人伝の記述を裏づけ贈答品の返礼書作成など外交文書のやりとりが行われていた、とみる。

 西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「文字文化や外交文書行政の始まりを知る資料だ。先進文化は外交拠点のここに入り、国内に広がったのではないか。すずりの時期は(紀元前の)弥生中期にさかのぼる可能性もある」と話す。


松江市の田和山遺跡で出土した弥生時代中期後半(紀元前後)の石製品にある文様について、福岡県の研究者グループが、文字(漢字)の可能性が高いとの研究成果を明らかにした。石製品は国産のすずりと判断しており、国内で書かれた文字ならば従来の確認例を200~300年さかのぼって最古となる。一方で、偶然の着色など慎重な意見があり、文字使用の起源を巡って議論を呼びそうだ。

 福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄・文化財主事、柳田康雄・国学院大客員教授らのグループ。岐阜県大垣市で1日にあった学会で久住氏が発表した。

 田和山遺跡は弥生時代の環濠(かんごう)遺跡。石製品は約8センチ四方の板状で、出土時は砥石(といし)とされていた。研究者グループは材質や形状を調べ、現地で採れる石製で、擦った痕跡があるくぼみなどから国産のすずりと判断した。

 さらに裏の中央部に黒っぽい文様が上下二つあり、岡村秀典(中国考古学)、宮宅潔(中国古代史)両京都大教授らに画像の分析を依頼。中国・漢の時代の木簡に記された隷書に形が類似しており、上は「子」、下は「戊」などを墨書きした可能性があるとの結論を出した。

 これまで国内の文字確認例は、三雲・井原遺跡(福岡県糸島市)の土器に刻まれた「竟(鏡)」、貝蔵(かいぞう)遺跡(三重県松阪市)の土器に墨書きされた「田」などがあるが、いずれも2~3世紀だった。

 九州から近畿にかけて近年、弥生時代のすずりとみられる遺物が相次いで見つかり、古墳時代より数百年早い時代に中国・朝鮮半島との交易を背景に北部九州から文字文化が流入した説が出ていた。久住氏は「国産すずりならば国内で書かれた最古の文字。倭人(わじん)(当時の日本人)ではなく渡来系の人々が書いた可能性もある」としている。

 一方、松江市埋蔵文化財調査室は研究者グループの結論を受け、石製品を赤外線で撮影するなどして調査。同室は「赤外線ではっきり写らず、墨書ではなく汚れの可能性もある。今後の研究に期待したい」と慎重な見方をしている。【大森顕浩】

 岡村秀典・京都大教授の話 実物を見ていないが、画像で見る限り隷書の2文字に見える。石製品の中央付近に書いており、人名の可能性がある。国産の石製品なら倭人の名前で、物の私有意識が芽生えていたことになり、日本史の大問題となる。



まぁ確かに言われてみれば、上の字は『子』のようにも見えます。

でもやはり私には『壱』の字にか見えません( -д-)ノ

だって、上の字と下の字のサイズバランス変だもん。

まぁ下手くそだった可能性もあるけど!(私も下手ヽ(TдT)ノ)

『壱』に見えるよって人は是非、Twitterで拡散して共に研究者を脅かしましょう!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

さて、今回の発見は非常に重要な発見なわけですが、以下の問題点により今後一層精密な分析が必要となります。


問題点① 本当に時期判定は正しいのか? 弥生時代中期の製品なのか?

問題点② 本当に墨書か? 汚れではないのか?

問題点③ 本当に日本国内産の硯か? 大陸の製品ではないのか?

問題点④ 何と書かれているのか?


こう見てみると、日本最古の文字として広く認定されるにはまだまだ時間がかかりそうですね。

特に上記問題の内、帰属時期に関しては、土器と違って石製品は時期判定が困難な点がひっかかるでしょう。

文字についても私は『壱』に見えるけど、担当している研究者にはどうしても『子+戌』に見えるのだそうです。

そこで……


【研究者の気持ち(邪推( ・Д・))】

やはり『最古』であることはニュースになるし、次の研究費のことも考えるとインパクトが欲しい。



これまでは全て1文字だけど、これは2文字である。


2文字だと名前である可能性が高い。


最古の文字と言うだけではなく、『個人所有意識の最古の事例』にもなる。


インパクトも強く、研究意義も高まる。


松江市の田和山遺跡で出土した弥生時代中期後半(紀元前後)の石製品にある文様について、福岡県の研究者グループが、文字(漢字)の可能性が高いとの研究成果を明らかにした。石製品は国産のすずりと判断しており、国内で書かれた文字ならば従来の確認例を200~300年さかのぼって最古となる。一方で、偶然の着色など慎重な意見があり、文字使用の起源を巡って議論を呼びそうだ。

 福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄・文化財主事、柳田康雄・国学院大客員教授らのグループ。岐阜県大垣市で1日にあった学会で久住氏が発表した。

 田和山遺跡は弥生時代の環濠(かんごう)遺跡。石製品は約8センチ四方の板状で、出土時は砥石(といし)とされていた。研究者グループは材質や形状を調べ、現地で採れる石製で、擦った痕跡があるくぼみなどから国産のすずりと判断した。

 さらに裏の中央部に黒っぽい文様が上下二つあり、岡村秀典(中国考古学)、宮宅潔(中国古代史)両京都大教授らに画像の分析を依頼。中国・漢の時代の木簡に記された隷書に形が類似しており、上は「子」、下は「戊」などを墨書きした可能性があるとの結論を出した。

 これまで国内の文字確認例は、三雲・井原遺跡(福岡県糸島市)の土器に刻まれた「竟(鏡)」、貝蔵(かいぞう)遺跡(三重県松阪市)の土器に墨書きされた「田」などがあるが、いずれも2~3世紀だった。

 九州から近畿にかけて近年、弥生時代のすずりとみられる遺物が相次いで見つかり、古墳時代より数百年早い時代に中国・朝鮮半島との交易を背景に北部九州から文字文化が流入した説が出ていた。久住氏は「国産すずりならば国内で書かれた最古の文字。倭人(わじん)(当時の日本人)ではなく渡来系の人々が書いた可能性もある」としている。

 一方、松江市埋蔵文化財調査室は研究者グループの結論を受け、石製品を赤外線で撮影するなどして調査。同室は「赤外線ではっきり写らず、墨書ではなく汚れの可能性もある。今後の研究に期待したい」と慎重な見方をしている。【大森顕浩】

 岡村秀典・京都大教授の話 実物を見ていないが、画像で見る限り隷書の2文字に見える。石製品の中央付近に書いており、人名の可能性がある。国産の石製品なら倭人の名前で、物の私有意識が芽生えていたことになり、日本史の大問題となる。


やはり次の資金繰りが楽になる。


結論:最古の文字&2文字


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まぁそんなことはないか!

そんなことはないと信じたい。

しかしダークサイドに堕ちている研究者は決して少なくないのであった( ・Д・)

……なんてまぁ冗談はさておき、日本における『文字の歴史、個人所有意識の歴史』が大きく変わる一大発見ですので、今後の分析・研究に期待ですね(*^・ェ・)ノ

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2019ねん 4がつ 14にち(にちよーび、晴れ)

今日は暖かだった。

自然乾燥させてるので砂が乾いて良い。

何故、砂を集めるのかと聞かれる。

土器製作に際して、粘土に砂などの混和材を混ぜることはあまり知られていないんだなと気付いた今日この頃( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは『岡山県で最古級の横穴式石室が見つかったよ!』ってことです!(*・ω・)ノ

実はこれまでにあまり古墳の話は取り上げていないんですよね。

関係ある記事ないのかな~と思い、ふと思い出したのがコレ↓( -д-)ノ


↓考古学の怪談話ってあまりないな~

↑「呪い」の話は多少あるか……まだ墓を当ててないから大丈夫( -д-)ノ


怪談話をするには季節早めですけど、良かったらどうぞ!(。・ω・)ノ゙

あ、こんなのもあったか!


↑あわせてどうぞ!


ということで、今回の発見は岡山県です!

津山市高尾にある桑山2号墳で、県北最古級の横穴式石室が見つかったとのことです。

そもそも横穴式石室を造る風習は4~5世紀に朝鮮半島から九州に伝わったものです。

その後日本全国に広がるのが6世紀以降と考えられています。

今回発見された横穴式石室の帰属時期は6世紀半ばと推定されていますから、一早く外来様式を取り入れた古墳だったと考えられます。

桑山2号墳は津山市南西部に所在する佐良山古墳群の一つで、直径約13mの円墳です。

検出された横穴式石室のサイズは奥行き約2.3m、幅は最大で約1.9mだそうです。

上に挙げた写真からも分かるように天井部と側壁の大半は損壊していたものの、盗掘を受けた痕跡はないそうです。

正方形状を呈する床面には河原石が敷き詰められており、側壁には小型の礫が使用されていました。

こういった構造的特徴は、岡山県の北部において確認されている横穴式石室が造られる最初期のものと同様であることが分かりました。




横穴式石室内からは副葬品として柄頭に装飾が施された環頭大刀(かんとうたち)や馬具一式が出土しました。

上に挙げた写真は副葬品の環頭大刀であり、全長は約80cmだそうです。

全体が錆に覆われているため、今後レントゲン撮影等のスキャン分析によって装飾の有無などを確認するそうです。

今回の発掘は岡山県における国道53号、津山南道路の整備に伴う緊急発掘調査です。

桑山2号墳周辺には他に同1~4号墳があり、残る3基も発掘する予定だそうです。

距離的に恐らく他の古墳も盗掘にあってないでしょうから、豪華な副葬品が出土することを期待できそうです!(・∀・)つ

今回出土した馬具にも金細工が施されていたようですから、資料の公開が待ち遠しいですねヾ(´ω`=´ω`)

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