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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:最古

2022ねん 1がつ 10にち(かよーび、晴れ)

明けましておめでとうございま~すヽ(TдT)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは日本最古?沖縄のブタは中国から!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はもちろん沖縄なわけですが、、、

今回はブタさんのお話です。



その前にこれまでの復習をざっとしてしまいます(*^・ェ・)ノ

①北琉球で「爪形文土器」が見つかった。

②本土の爪形文土器(草創期)の空似と評価され、実際に縄文後期相当と分かった。

③次に中琉球で「爪形文土器」が見つかり、早期相当と分かった。

④更に南琉球で見つかった土器が1万年前の早期初頭相当と分かり、沖縄最古の土器はどんどん南下する傾向が見られた。

⑤更に南の台湾や中国南東部には同時期や草創期に土器がないけど、どこが発祥?って困った( ・Д・)



って感じです( -д-)ノ




さて、沖縄のブタさんと言えば、上に挙げたような「アグー」ですね。

このブタのルーツとしては14世紀の中国との進貢貿易において沖縄に伝わったものとされています。

当時の中国はめちゃくちゃブタを食べていたようで、中国から来た使節をもてなすためにも大量にブタを生産し消費していたそうです。



これは年代的にも新しい話なのですが、最近になって動物考古学の研究成果により、沖縄のブタの起源がとても古いことが分かりました。

発見があったのは、中琉球つまり沖縄本島の嘉手納町にある野国貝塚で、そこから大量のブタの骨が検出されました。

分析対象はブタの下顎骨(アゴ)で、107点も扱いました。

分析の結果、10才を超えるブタがいたことが分かり、これほどまで高齢でいられるということはヒトが飼育していた証拠であると結論付けています。



ちなみに年代測定の結果、ブタの骨の帰属時期は7200~7500年前で縄文時代早期後半となっています。

本土の方の最古の飼育ブタの痕跡は、佐賀県唐津市の菜畑遺跡で検出されたブタの骨で3000年前です。

だから今回の発見は最古の事例となり、日本におけるブタの飼育の歴史が一気に変わったと言えます!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




中東のギョベクリ・テペって何だか最近話題ですけども、約1万年前の先土器・新石器時代に定住前に宗教施設が造られたってことで・・・

何度か記事で触れたと思いますが、日本の縄文時代だと1万年前は早期初頭相当だからすでに土器がある新石器時代で、

新石器時代で狩猟採集社会なのに定住してて、

今回の発見で牧畜までしてるんですよね。

身近過ぎて分からないかもしれませんが、縄文ってスゴイものなのですよ?ヾ(´ω`=´ω`)ノ



さてさて、話を戻しますと、この約7000年前の沖縄のブタは中国から伝わったと考えられています。

中国では黄河流域で約8000年前に豚の飼育が始まったとされていることに起因します。

まぁ時期的にはイイ感じです。



私の日本における研究のひとつとして縄文草創期・早期を扱っていますが、草創期段階の爪形文土器が沖縄を除く日本全土に広がっていることから、

日本ではめちゃくちゃ古い段階で海を越えて交易関係があったのかな~って考えています。

今回の発見を基にすると、大陸との関係まで再考する必要があるようですね。

何だか交易ばっかり意識すると「伝播論」的に感じるので、私個人としては日本における「自発性」も十分に意識していきたいと思います(*^・ェ・)ノ



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↑溶けるの早くてめっちゃ垂れたが美味しかった!(・∀・)つ(credit: あるけまや)



おわりに

沖縄のビーチで海岸砂の採取を行うために、駐車料金払ったのです。

サンプリングが目的ですぐ帰るとは伝えたのですが、、、

で、実際に僅か5分10分で車に戻ったところ、申し訳ないのでってアイスくれました。

嬉しかったですヾ(´ω`=´ω`)ノ



さて、コロナ禍を機に、国内でも様々な時期や地域を対象に研究を始めましたが、どこやっても面白いものですね(*・ω・)ノ

いやはや、、、ほんと考古学ってイイものですね~

では、さよなら、さよなら、

さよならっ!( ・Д・)


(古いけど金曜ロードショー、大好きでした(*^・ェ・)ノ)


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2021ねん 11がつ 9にち(かよーび、ひどい雨)

筋肉注射はやはり腕痛くなる~ヽ(TдT)ノ

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↑雰囲気あったよ!( ・Д・)(筆者が今年調査に行った際に撮った写真、credit: あるけまや)



今回の考古学・歴史ニュースは「沖縄で縄文時代最古の人骨が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



さて、今回の舞台は沖縄県、うるま市の藪地洞窟遺跡です。

上に挙げたキャプションに書いたように、今年はコロナ禍ということもあって私は北海道と沖縄で調査していたのです。

で、沖縄における調査対象がまさにこの藪地洞窟遺跡だったのです!(・∀・)つ

ということで、せっかくなので本記事を含めて数回にわたり、沖縄の考古学について自分の興味ある(知ってる)範囲で、自己の研究成果も含めて紹介していこうかなと思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




まぁ私の国内調査は土器の産地同定に関する理化学的研究ですし、私の専門はあくまでもマヤ考古学で、特にティカル遺跡周辺域がフィールドですので、あんまり知識ないのは勘弁してください( ・Д・)

ちなみに調査や論文については日本考古学の方との共同研究体制にあるので何とかなってるのですよ( -д-)ノ←責任全ぶん投げ


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ちょっと見づらい図の出し方になってしまいました。

画質はそこまで悪くないと思うので、スマホで読んでる方は必要に応じて拡大してみてください( -д-)ノ




うるま市は沖縄県の右側、南から3分の1くらいの位置にあります(上図の赤丸部)。

2枚目は藪地洞窟遺跡の位置を中心に、「うるま市」の表記が入るように調整した図です。

小さいですけど赤線が3本あって、左右の赤線部には「うるま市」の表記があります。

真ん中の赤線部が「藪地洞窟遺跡」です。




うるま市は南東方向に半島状に突き出した地形を有しており、半島の先端部の北側に沿う形で「藪地島」があります。

島の中は橋を渡ったすぐ先までしか舗装道路がありません。

土地はうるま市に住む人々が有しており、畑があったり、未舗装道路の維持のために樹々の伐採が行われていたりと少し人がいます。

しかし基本的には藪地島は無人島で誰も住んでいません。




伝承によれば、昔藪地島で大火があり、島の住民がうるま市本島側に逃げてきたそうで、そのまま帰ることはなかったそうです。

ちなみにその子孫と思われる人たちが藪地島の土地の法的所有権を有しています。

……なんか、、、「祟りじゃ~!」みたいなもう少し面白い話だった気がしますが、来年の調査時に再度聴いてメモってきますね( -д-)ノ



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↑人骨が見つかった藪地洞窟遺跡(再掲)




上に挙げた写真が藪地洞窟遺跡で見つかった人骨です。

見出しで縄文時代最古と書きましたが、これは沖縄県での話です。

沖縄の貝塚時代(縄文時代早期~グスク時代;およそ11000年前から11~12世紀頃まで)において最古の事例なのです。




日本の本州などにおける貝塚は縄文時代早期~中期(11000年前~4700年前)に見られるのでかなり違いがありますね。

まぁ本土と比べれば周りを海に囲まれている上にサイズ的に小さいわけですから、より海産資源に頼った文化が続いたことは当然かも知れません。




沖縄本島では早期(およそ11000~7200年年前)相当の土器が見つかっていて、この藪地洞窟遺跡では約9000年前の爪形文土器が出土しています。

この人骨はその爪形文土器と共に見つかったことから、約1万年~9000年前のものと推定されています。

これまでの貝塚時代相当の最古の事例は、名護市大堂原(うふどうばる)貝塚で発見された約7千年前の人骨であったので、新記録として2000~3000年も遡ることになった大発見なのです(*・ω・)ノ



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↑石灰岩の洞窟を利用して生活していた模様(credit: あるけまや)


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↑片っ端から色々試したけどやはりソーキそばが旨い気がする(・∀・)つ(credit: あるけまや)


おわりに ~古い土器や骨がたくさん残るのは何故?~

最後にご飯の写真も挙げましたが、その前にうるま市市役所の中で撮影した展示パネルを紹介したいと思います。

これまでにも「最古シリーズ」とか「今でも食べれるよ?シリーズ」とかやってきましたけど、当記事を継続的に読んでいると『考古資料は特定の条件下で良好に保存される』ことが分かると思います。

多くの場合、めっちゃ乾燥してるか、水辺で常に水分が供給されて空気が抜かれている状況かっていうケースです。

一方で今回のような「洞窟」は比較的残りが良く、最古の土器の事例も世界的に見て「洞窟」での発見が非常に多いのです。




更に藪地洞窟遺跡の洞窟は、単なる洞窟ではなく『石灰岩質』の洞窟です。

日本は酸性土壌なので通常骨が溶けてしまいますが、雨をよく通す石灰岩が浸食されて土壌にアルカリ性をもたらすため、人骨などの残りがより良い環境なのです。



ちなみにマヤ文明は巨大な石灰岩台地上に立地するけども、骨はあまり残りません。

……何故?


微生物がめっちゃ張り切っちゃうから!( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 3にち(にちよーび、晴れ)

午前は研究して午後は記事とか動画に使う生活にしようかと思った矢先、薬のせいか昼まで寝たヽ(TдT)ノ

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↑シカかな?文様に見られるやつだね!( ・Д・)(「Twitter」の記事内画像より転載;元の投稿は削除されている模様)


今回の考古学・歴史ニュースは最古の三種の神器はどこで見つかってるの!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


前回の記事で「三種の神器が見つかった!」ってだけでけっこう『おー!』ってなったという話をしました。

一方で「県内初」ってことで、『そんなに出るものなんだ!?』って驚いたって話もしました。

「三種の神器」と聞くと天皇家の伝世品だし、なんだかとても珍しい気がしてしまったのですが、よくよく考えると、考古学で所謂三種の神器と呼んでいるのは「鏡・勾玉・剣」のことですよね。

古墳時代になると皆さんもご存じの通り、弥生時代よりもずっと立派な埋葬形態、つまり古墳がたくさん造られるようになります。


↓弥生時代の埋葬方法の話にも触れてます(*^・ェ・)ノ

↑これが前回の記事(*・ω・)ノ


お墓が大きくなるに伴って副葬品も豪華になる傾向が見られるので、古墳時代、特に古墳前期には「鏡・勾玉・剣」の所謂三種の神器がセットで見つかる事例は多数確認されます。

確認されている古墳だけで全国で約16万基ありますから、その中でも有力な人物が埋葬された比較的規模の大きな古墳だけだとしても相当数あることが分かるかと思います。

前回紹介したのは弥生時代のお墓において三種の神器がセットになって出土した事例なのでレアな発見になります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




さて、最古の三種の神器の事例ということで、今回の舞台は福岡県、福岡市にある吉武高木遺跡です。

この遺跡は国指定史跡になっていて、最初に挙げた画像にあるように『やよいの風公園』として整備・公開されています。

発見があったのは1984~1985年の調査時で、弥生時代中期の初頭、今からおよそ2200年前の特定集団墓が見つかりました。

この墓群の内の一つが「3号木棺墓」で、上に挙げた写真のように鏡、勾玉、剣がセットで副葬されていました。

勾玉は所謂「獣型勾玉」ですね。

2枚目の写真に見られるように、三種の神器の他に銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)・管玉が出土しています。

前回紹介した三種の神器は弥生時代後期でしたが、こちらの吉武高木遺跡の事例は弥生時代中期に属し『最古の王墓』の異名を冠しています。





↓ぱっと検索しただけでたくさん...古墳関係の記事は意外に多かったΣ(・ω・ノ)ノ





↑タグ検索「古墳時代」でたぶん出ると思うけどこれでも一部です( -д-)ノ


おわりに

「最古の王墓」

カッコいい響きですよね。

福岡市は大きな都市ですし、上手く復元・展示してもっとアピールしてもらいたいものです。

直接訪れたことはありませんが、ホームページを見てる限り、あまり上手な運営にはなっていないように思えます。

発見自体が昭和期なので現在のような博物館・史跡運営、文化財活用とは異なるのは仕方ないとは思うのですが、やはりここは税金を投入してリニューアルしてしっかりと回収する方策を取って欲しいなと思います。

何でも観光地化・収益化するのはいかがなものかというご意見も当然あるでしょうが、まぁ「稼げる大学」を目指すような政府ですから『お金』は大事なのです。

そう言えば、当サイトのスローガンは「お金にならない考古学をお金にする」だった・・・

思い出した。

心機一転、頑張らねば!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 29にち(すいよーび、晴れ)

最近、記事を夜寝る前に書くようになってる( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「世界の井戸マスターにもなろう!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はチェコ、オストロフの町の近郊です。

3連続で井戸についてお伝えしておりますが、今回は『世界編』です(*・ω・)ノ

日本では弥生時代の井戸が最古でしたので、古くとも今からおよそ2500年程度前ということになります。

一方で世界で最も古い井戸は、アメリカのニューメキシコ州にあるクローヴィス文化期の遺跡で見つかっています。

時期はなんと今から1万3500年前です。Σ(・ω・ノ)ノ

クローヴィスはニューメキシコ州にある町の名前ですが、当サイトでもアメリカ大陸に関連する記事で良く出てくる、「クローヴィス尖頭器」や「クローヴィス・ファースト仮説」の名前の由来になっています。

古いだけあって、直径60cm、深さ1.4mのサイズの素掘りの井戸です。

これが世界最古の井戸の事例になります(・∀・)つ




今回メインで紹介するのはチェコの事例ですが、サムネイル画像や上に挙げた写真に映る黒っぽい四角い塊が問題の井戸です。

見て分かるようにこれは木製の井戸です。

保存状態が良いので、材木はオークの木であると判明しており、年輪も残ってることから、今から約7000年前に造られた井戸であると推測されています。

さっきの事例よりも新しいじゃないかと思うかもしれませんが、、、

これまでに見つかった「木製の構造物」として世界最古の事例になるのですヾ(´ω`=´ω`)ノ


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高速道路の建設現場で見つかったのですが、重機で掘っててよく見つかるなぁと感心しますねΣ(・ω・ノ)ノ

ショベル使ってても遺物や遺構に当たる感覚があるそうです、本当にスゴイ( ・Д・)

見つかった井戸の近くに水が溜まっているように、この井戸は水分を多く含んだ土層に覆われていたために腐敗せずに残ったようです。

年輪が綺麗に残ってることから、正確には紀元前5256年頃に伐採された木であると分かっています。

ポールが立っている写真も含め、ここで挙げた写真は全てまだ井戸を全部出し切っている状態の写真ではないようです。

記録では井戸の高さは約140cmあるそうです。

写真だと125cmくらいしかないように見えますもんね(*^・ェ・)ノ

木製の枠は80cmの正方形で、こうした構造物としての形状と木材の表面に残る石器・骨角器の道具の痕跡から、加工や接合に先進的な技術が用いられていたと推測されています。



↓日本の巨大な井戸の検出事例(*^・ェ・)ノ


↑日本の最古の井戸のお話(*・ω・)ノ



おわりに

このチェコの事例は約7000年前ですから新石器時代初期に相当するのですが、ここ数年の間に他に2例も見つかっているそうです。

チェコすごいですね!

でもこうした高い技術力で作られ、保存状態も良好な物は今回紹介した事例のみになります。

・・・3連続で「井戸」ばかりだったけども、、、

これで世界の井戸マスターになれる!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 26にち(げつよーび、晴れ)

実は最近4コマ漫画を描くべく、絵の練習をしている(・∀・)つ

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今回の考古学・歴史ニュースは井戸の歴史って古いのね!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は高知県、安芸市の瓜尻遺跡です。

遺跡のすぐ傍にある地元の中学校の新校舎を建設するために、2019年より試掘調査が行われてきました。

試掘段階で古墳時代から中世の文化層が広がっていることが確認されました。

そのため拡張して調査が実施された結果、これまでに古代寺院や律令制度期の役所、船着き場など貴重で重要な遺構が多数発見されました。

どうやらこの一帯は豪族の拠点だったようです(*・ω・)ノ






さて、今回紹介するのは『最大級の井戸』

ちなみに時期はおよそ1700年前です。

上に挙げた写真の内、下の2枚が井戸の写真です。

2枚目は検出段階と思いますが、何だか分かりにくいし、サイズも小さく見えます。

もしかしたら井戸が2基以上、複数確認されている可能性もありますが、スケールが置かれていないんでサイズ感が掴めません( -д-)ノ

3枚目はスケール代わりに遺構内に人が入っているのでその大きさが分かりますね!

井戸の掘削のための足場を含めると直径9.5mのサイズの井戸なのですΣ(・ω・ノ)ノ

もちろん国内最大級の井戸の発見ということになります。

これだけ大きい井戸ですから、日常生活用という意味合いよりも儀礼的な意味合いが強かった可能性が指摘されています。

中学校は予定通り建設されるそうですが、これだけ重要な遺構が集まった遺跡なので、国指定史跡になる可能性があります。

もしかしたら学校の地下に素敵な博物館が建設されるような形で史跡化されるかも知れませんね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


↓この学校の下もこうなると素敵ヾ(´ω`=´ω`)ノ


↑頑張ってる自治体を紹介しがちだけど、一方で酷い市長もいるのだ( ・Д・)



おわりに ~日本最古の井戸?~

さて、おまけで日本最古の井戸を紹介します(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

鹿児島県、指宿(いぶすき)市にある玉乃井という井戸です。

神話によれば、山幸彦が水汲みにきた豊玉姫(龍神の娘)と出会うエピソードがあり、それがこの井戸だったということです。

なので「神代」からある井戸、つまり「日本最古の井戸」として観光スポットになっています。


・・・現存している井戸としてはスゴイけど、、、

実際にいつのものなのだろう?( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 14にち(すいよーび、雨)

当然なんだけど、無理しないで働いていると、論文も研究もその他業務もゆっくりと進んでいくね( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは最古の地図の記録が塗り替えられたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はフランス、西ブルターニュです。

上に挙げた写真が世界最古の地図が描かれた石板なのですが、思いの外、大きいのですΣ(・ω・ノ)ノ

まぁ紙にインクで描くのとは違って、石に刻むわけですから、当時の技術からしてどうしてもサイズが大きくなるのは仕方ないのかなと思います。

思い返せば、下に過去記事として挙げたペドリーナ図などの石に刻む系のモノはいずれもサイズが大きいですよね(*^・ェ・)ノ

これまでに紹介してきたように「世界地図」として最古なのはカルデア王国で造られたBCE6世紀、今からおよそ2500~2600年前のものです。

「地図」としては、これまでの最古の地図はペドリーナ図でBCE1500年、つまり今からおよそ3500年前のものでした。

今回の新たな発見はこの後者の方、つまり人類が遺した「地図」としての最古の記録が更新されたわけです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


↓まだの方は是非ヾ(´ω`=´ω`)ノ








記事タイトルに『再』発見と書きましたが、この石板は今からおよそ100年前の1900年頃に西ブルターニュの埋葬塚で発見されたものなのです。

恐らく墓の棺や石室の壁材として再利用された状況だったと考えられています。

その後、「サン・ベレクの石板」と呼ばれるこの石板はサン・ジェルマン・アン・レー城内の考古学博物館に移されて忘れ去られており、近年、地下室で再発見されたものなのです。

最初に挙げた写真で、背景が普通の博物館や収蔵庫とは異なる感じがすると思うのですが、これがお城の中の地下室だからです(*・ω・)ノ

サン・ベレクの石板は出土時点で一部破損しており、上に挙げた写真でも上部の方に表面が浮いたようなひび割れが見て取れると思います。

これは当時修復した時の接合部になります。

『慣れ』のせいか、図面の方が見やすいのですが、見当たらなかったのでこの白黒写真を載せてみました。


どうでしょうか?地図に見えます?( ・Д・)


円形っぽいラインや、角丸方形のラインの中にぽつっと「点」が打たれていて、とっても適当に描いた『細胞』みたいな図形がたくさん集合しているように見えます( -д-)ノ

これだけだと地図と言われれば、そんな気もするけれど、、、

って感じです( ・Д・)

でも地図ではなく、幾何学模様を組み合わせた文様として見ると、何だか違和感を覚えます(´・ω・`)

感覚的なものなのでしょうか、私には少なくとも文様には見えないんですよね。

まぁそこで『地図だ!』って発想が出てくるところが、「さすがこの地域の専門、スゴイぜ!」って思います(・∀・)つ



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↑あ~ね、ってなる( ・Д・)(「北の国から猫と二人で想うこと」の記事内画像より転載)


さて、上に挙げた画像が論文で用いられた3Dスキャン画像と、石板の地図と実際の地図とを対比した図になります。

並べて比べてみると分かりやすいかと思います。

この研究の発表は2021年4月8日なので、本当にごく最近の話です。

カラー画像の方を見て分かるように、昔の写真とは異なって上部の中央から右側が欠損しています。

これだけ大きく重いものですし、城内博物館への移送や地下室に運んでる間などに欠損してしまったのでしょうか?( -д-)ノ

さて、地図の画像を見てみると、4枚組になっていて、左上がサン・ベレクの石板を図化したものです。

これを実際の地図に当ててみて、地図の縮尺を変えたものが残りの3枚になります。

こう見るとどうでしょう?

地図っぽく思えてきませんか?ヾ(´ω`=´ω`)ノ

人類最古の地図のような気がしてきましたね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



↓こちらは地球儀のお話(*^・ェ・)ノ




おわりに ~時期判定はいかに~

このサン・ベレクの石板は青銅器時代のもので、4000年前の遺物という時期判定がなされています。

ペドリーナ図より500年古いわけです。

土器と違って、石の時期判定なんて難しいですからね。

出土状況も、サン・ベレクの石板を石材として再利用しているわけですし、その墓より古いことは確実ですけども・・・

これが地図であることの論証は良いとして、どのようにして最古って言ってるんだろうと不思議に思います。

古ければ古いほど、500年なんて誤差の範疇になる気もするけれど( ・Д・)!?

埋蔵塚の墓の年代が初期青銅器時代の末期で、1900BCE-1640BCEとなっているので、一番古い年代である紀元前1900年より古いと考えて、4000年前ってことでしょうかね。

”正確に”サン・ベレクの石板がいつ作られたか分からないけれど、一番新しく見積もってもおよそ3600年前になるから、まぁどのみち最古にはなるのでしょう( -д-)ノ

それでも古い方に合わせて、4000年前にしたのは切りがいいからか?

世の中、インパクトだぜ!( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 8にち(もくよーび、晴れ)

今日から所属変わる!頑張る!(・∀・)つ

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今回の考古学・歴史ニュースはおよそ1万年前なのに保存状態良すぎ!最古の編み籠が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイスラエル、ナハル・ヘベルの第8洞窟です。

昨日の記事の続きみたいなものです。

「これ次回記事にしますね」って放っておくとすぐ忘れるので、連投みたいになりますがご容赦くださいヽ(TдT)ノ


↓これがそれ!( ・Д・)



さて、前回は紹介しませんでしたが、この「第8洞窟」と呼ばれる遺跡は別名『恐怖の洞窟』と呼ばれているそうです。

これは1960年代初頭の発掘調査で、この第8洞窟から大人と子どもを合わせて40体の遺体が発見されたことに由来しています。

これらの遺体はバル・コクバの乱(CE132〜135年)の際にローマ軍から逃れてきたユダヤ人犠牲者のものと考えられているそうですが、、、

上に挙げた写真で、作業員が命綱を付けた状態で洞窟入り口で篩作業をしていますが、洞窟の入り口が断崖絶壁にある感じしませんか?

実際にこの第8洞窟の入り口は崖の頂上から約75mも下に位置しているとのことで、古代の人々は縄ばしごを使って出入りしていたと推測されています。

75mの縄梯子ってスゴイですし、どうやって支えたのだろうとか、色々考えてしまいますね( ・Д・)

・・・・・・何が言いたいかというと、この40体の遺体はどうしてそこでお亡くなりになったのかな~と気になってしまって・・・・・・

さらっと探した感じでは当時の報告書にヒットしなかったので分かりませんが、洞窟に逃げ込んだはいいけど、追っ手に縄梯子を落とされるか何かして、洞窟に閉じ込められたのでしょうかね?( ・Д・)


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何はともあれ、今回紹介するのは上に挙げた世界最古の編み籠です。

時期として約1万500年前だそうです。

有機物製でこれだけ網目もしっかり残っているなんて物凄い保存状態ですし、どのような方法・技術で編み込んだのかも調べられますね!Σ(・ω・ノ)ノ

実際にこれより古い有機物製の依存体やら遺物やらは存在しますし、編み籠も出土しています。

なので今回、『世界最古!』となっているのは「完形資料」としてです。

しかしもっと古くてこれを超える保存状態の完形品なんて、考えられないレベルですよね。

だって固そうだけど、まだ使えそうですもの( ・Д・)




そしてこれが出土状況を示したと思われる写真・・・?(゚∇゚ ;)エッ!?

私自身、そこまで洞窟調査したことないのですが、、、

前回の記事で、洞窟では落盤などによる定期的な堆積があるので細かな層序が見られることが多いと書きました。

もう一つ特徴があって、落盤が主な堆積要因であると「しまりがすごい」のです。

考古学用語ですが、土の粒がギュッと集まってとても硬くなっている状態と思って頂ければ良いです。

図面の注記に「しまり極強」とか書きます。

写真を見て分かるように、乾燥地帯特有の乾燥した細かな砂粒が固まってますね。

籠の左手前に掘り上げた土が残っていますが、乾燥度合いと塊度合いを感じることができます。

そんな土質なのに、こんな出土状況ってあり得るのかなと驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ

写真を見ると、なんかポンとここに置いたような印象で、ここから出た!って感じがしないのは私だけでしょうか?( ・Д・)





おわりに

最後に遺物の取り上げ時と思われる写真を載せました。

普段でも遺物の取り上げは一番緊張するところなのに、、、

ぱっと見は固そうでしっかりしてそうとは言え、この古さの完形の有機物製遺物で超貴重なのに、まさかのこのノリ!Σ(・ω・ノ)ノ

しかも左の男性なんて片手で持ってるし、、、

これだから海外の調査は面白いぜ!( ・Д・)



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2021ねん 3がつ 11にち(すいよーび、くもり)

先月のノルマを遅れて達成して、少し休み取ったらもう今月の3分の1が…

頑張りますね( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは日本最古!弥生時代の水路が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は三重県、鈴鹿市、大下遺跡です。

鈴鹿と言えば、サーキットですね!(・∀・)つ

って前にも書いた記憶があるので、、、

鈴鹿市って考古学的な発見がけっこうある土地のようですね(*・ω・)ノ


↓この遺跡も水辺周辺です


↑名前がカッコイイのでパッと思い出せました!(・∀・)つ


今回の発見は大下遺跡のものですが、この遺跡は中ノ川の左岸に立地しています。

上に挙げた過去記事の中にも書きましたが、水分があると有機物が腐敗しやすそうなイメージですが、水辺で常に一定の水分が補給され続けていると酸素に触れる機会が減るので遺物の残りが良かったりします。

飲み水や農業用水の確保のためにも川の傍は住みやすい環境なわけですが、大下遺跡の人々も川の傍に集落を作っていました。

この立地条件のおかげで大下遺跡からは今回の水道管以外にも多数の木製品が出土しているそうです(*・ω・)ノ


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↑これが検出された環濠!(「調査概要報告 2021」の画像より転載)

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↑調査区と遺構配置図;薄青色部が環濠(「調査概要報告 2021」の画像より転載)


上の写真と図で示したように大下遺跡の周りの環濠に沿う形で調査が行われました。

調査区全体から、弥生時代、古墳時代、そして近世の遺物・遺構が確認されました。

古墳時代の土器も多量に出土しており、須恵器も出土しています。

図に見られる大溝が環濠と考えられており、この地に環濠集落あるいは濠に囲まれた豪族居館があったと推測されています。

ちなみに考古学ではただ土を掘った場合の「ほり」は土片の『壕』と書いて、水を張っていた場合の「ほり」はさんずいの『濠』と書き分けたりします。

なので今回のケースでは「濠」が正しい表記になります。


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これが検出された「木樋」(「調査概要報告 2021」の画像より転載)

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「木樋」の先はどうなっているのでしょう?(「調査概要報告 2021」の画像より転載)


これが今回の目玉である木樋(もくひ)です。

水路の一形態ではありますが、ただ土を掘ったり、そこに配石を行ったりした水路もあります。

また土器を繋げた感じというか、土製の水路もあります。

この場合は形態からして木製の水道管と考えて問題ないです。

それにしてもよくこんなに素晴らしい状態で残った物ですΣ(・ω・ノ)ノ


2枚目の写真で、橋やら河川名の書かれた看板や河岸のススキ類の繁茂の存在で大体の河川との距離が分かるかなと思います。

近いと言えば近いし、ちょっと遠いと言えば遠い微妙な距離ですね。

河川までずっとこの木製の水道管が続いていたらスゴイですけど、ちょっと考えにくいかな~って思います。

その場合は、水道管の先に水に関連した遺構があるはずです。

この水道管、どうやら「蓋付き」らしいのでその可能性が高いかも知れませんね(*^・ェ・)ノ


↓水辺のレアな発見と言えばこれ!(・∀・)つ


↑水の儀礼関連と言えばこれ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


おわりに

今回の日本最古の水道管は現時点では環濠内の水を排水するためのものと推測されています。

でも水道管の先がどうなってるかによって、この遺構の理解は大きく変わってくるわけです。

先に述べたように、もしかしたら水に関連した儀礼場に繋がっている可能性もあるのです。

だとすると単なる水道管、排水管ではないことになりますが、

それでも最古の事例であることは間違いないですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

もし儀礼の場に繋がっているなら、上に挙げた過去記事のような特殊な遺物の発見もあるかも知れません。


うむ、今後の調査に期待です!( ・Д・)



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2021ねん 2がつ 6にち(どよーび、くもり)

速攻、毎日更新できなかったけど、連休で取り戻します!( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「世界初!めちゃ古いお墓から義眼を付けた人骨が発見されたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイランです!

今回、遺跡名が不明です( -д-)ノ

イラン南東部に位置するセイスタン-バルチスタン(Seistan-Baluchistan)州、ザヘダン(Zahedan)市の近くにある『焼けた都市(Burnt City)』と記載されているのですが、、、

もしかしたらバーント・シティ遺跡でいいのかも知れません(*^・ェ・)ノ


さて、今回お伝えするのは、およそ4800年前の古代ペルシャ期に遡る「義眼」の発見です。

下に写真を挙げましたが、裕福な人物の墓から検出された人骨に義眼が付いた状態のまま発見されました!




この義眼、頭蓋骨(とうがいこつ)の眼窩(がんか)に嵌ったままの発見というのがすごいですよね。

これがもしこの状態ではなく、地面に落ちていたら、アクセサリーとして判定されていた可能性も十分あるのではないかなと思います( -д-)ノ

上に挙げた検出状況の写真では、人骨の傍に精巧な作りの土器が複数見て取れます。

この他にも革製の袋、青銅の鏡や、様々な装飾品が副葬品として伴っており、被葬者は少なくとも裕福な人物と推測されています。

人骨の分析から、被葬者は25~30歳くらいの女性であることが分かっていますが、もしかすると王族の一員である可能性があります。

少なくともこの都市の上層部に帰属する巫女のような特別な存在であった可能性が指摘されています。


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義肢装具は古くから知られており、古代ヘブライ語で書かれた書物に「金色の人工眼」について言及されています。

しかし実際に古代における義手や義足が出土するケースはほとんどなく、ましてや遺物としてサイズの小さい義眼が出土することなどこれまでなかったのです。

 上に挙げた写真は義眼表面への加工の痕跡がよく見て取れる写真です。

義眼本体は簡易分析の結果、動物の脂肪に天然のタールを混ぜたものが使われていると判断されていますが、今後より詳細な成分分析が行われる見込みだそうです。

写真では刻線と穿孔が確認できます。

刻線によって中央部に瞳孔のような円形の文様、その周囲には目の毛細血管を描いているようです。

この刻線文を描くために金色の細いワイヤーを使った可能性が指摘されています。

もしかするとこれは刻線の凹部に僅かに残った色素の痕跡であり、かつては義眼ga
全体的に金色に装飾されていたのかも知れません。

その場合、文献に残る「金の義眼」という記載と一致し、高位の巫女の片目が金色に輝くような光景自体に儀礼的・宗教的に重要な意味があったのかも知れません。




そしてこれがお墓から検出された頭蓋骨を基に、形質人類学、法医学、古生物学などの各分野で利用可能な最新の科学技術を結集して復元されたおよそ5000年前の高位の巫女の顔です。

先ほどの写真で見られた義眼の側面にある2つの穿孔痕は紐を通す穴です。

上に挙げた写真のようにして使用したと考えられています。

しかし、こうした使用状況でこの女性の眼窩は義眼との接触が続いた結果、膿瘍ができてしまったことが頭蓋骨の分析から分かっています。




おわりに

このお墓とは関係ありませんが、同じ「バーント・シティ遺跡」からは古代ペルシャ期に帰属する、古代の計量定規、バックギャモンのゲームの破片、アニメーション装置など、多くの興味深い出土品が出土しているそうです。

特に目を見張るのが焼けた最後に挙げた「古代のダイス」ですが、非常に精巧な作りになっています。

これまで「ゲームの考古学」と題した記事も何本か書いてきましたが、この遺跡での興味深い発見に関する研究成果が公開されたら、また紹介したいなと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ

……義眼で膿瘍かぁ。

私は現代のコンタクトレンズすら怖い!( ・Д・)



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2021ねん 1がつ 30にち(どよーび、雪)

ボーカルレッスン、思いの外楽しかった!(・∀・)つ

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今回の考古学・歴史ニュースは「1万年前の最古級の勾玉が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は鹿児島県、種子島の長迫遺跡と二石遺跡です。

そう、鉄砲の伝来として有名なあの種子島が舞台ですヾ(´ω`=´ω`)ノ

そして今回何故、2つも遺跡名があるかというと、今回のお話は『最古級の装身具が1点出た!』ってだけではなく、『最古級の石製品が複数出た!』ってお話なのです(*・ω・)ノ

実際この2つの遺跡は種子島の東海岸の海岸段丘上に隣接して立地する遺跡なのですが、この両遺跡にて調査した際に複数の最古級の石製品が出土したのです(*・ω・)ノ




まずは長迫遺跡の方から!

ちなみに読み方は「ながさこ」です。

ところで、この事例はさほどでもないと個人的に思いますが、考古学における遺跡名って難読なものが結構あるものです。

特に海外考古の私としては、報告書のタイトル(遺跡名)が読めなくて検索が面倒だなと思うことが多々あります( -д-)ノ

さて、上に挙げた写真が同遺跡から出土した石製品のひとつになります。

この遺物は縄文時代早期に帰属する吉田式土器と共に同じ層位から出土したため、今からおよそ1万年前の最古級の石製品として判定されました。

ちなみに1枚目の「じゃがいも」みたいな遺物は10cmほどのサイズの砂岩製の石偶です。

全面に敲打痕(こうだこん;叩いた痕跡)が確認できたため、意図的に加工したものと推定されています。

左手前が頸部の如く少しくびれている印象を受けるので、頭部を造形しようとしたのかも知れませんね。

動物なのか人なのか、何を模したかまでは分かりませんが( -д-)ノ

島だし、海獣かな?(*^・ェ・)ノ



……考古学にちょいと詳しい方は本当に石偶?って思うかもしれませんね。

考古学者としてはレキ(石ころのこと)などに何かをぶつけたような痕跡があった場合、それが加工痕なのか使用痕なのかが気になるところです。

なんかちょっと握りやすそうなグリップ感あって、特定の箇所だけに痕跡が集中していたら使用痕の可能性が高いなと判定します。

今回の場合は全体的に痕跡が見られたため、この敲打痕は遺物を成形・整形するための処理の痕跡である加工痕と判定しています。

もちろん何かしらの道具を作るために全面を敲打しつつ未使用ないし、ほぼ未使用の場合、

あるいは道具(ツール)に加工しようと全体を叩いて成形してみたけど、やっぱ途中でや~めたって場合は、遺物自体に加工痕だけが残るけど遺物は本来道具あるいはその未成品なわけです。

この遺物に対して「石偶」としつつも、「用途不明」にしているのは、儀礼行為と関連して用途不明という意味だけではなく、

道具(ツール)である可能性も残して慎重な立場を取ってるのかな~なんて思ったりしますね(*^・ェ・)ノ



さて、こちらも長迫遺跡から出土したものです。

先ほどの石偶と同様の状況下で出土したため、この遺物も約1万年前のものと判定されています(*・ω・)ノ

こちらも全面に敲打痕が確認できるとのことですが、ぱっと見明らかに加工されて成形・整形されてますよね。

長軸が8.5cmでこちらも用途不明な石製品です(*・ω・)ノ


さて、、、真ん中辺りの右側に「穿孔痕らしきもの」が見られるのですが、、、

なんだろう、これ?( ・Д・)

がじった?(調査中に堀具で壊した?の意)( ・Д・)



【そんな気がする理由】

①写真で不鮮明な敲打痕について記載があるのに、これほど分かりやすい痕跡を穿孔痕と表記していないのは怪すぃ(´・ω・`)

②穿孔痕らしき箇所の内面が新しい割れ面に見える(´・ω・`)



【断定しない理由】

①マヤ遺跡の発掘調査ではミニピッケル状の堀具を使用するため、このがじり痕跡はよく見られる。しかし日本だと何で堀ったの?ってなるから(´・ω・`)

②私の心が優すぃから(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


・・・・・・エンピでがつっといったのか、移植でぶっ刺したのか、、、なんだろう、変なとこが気になりますね~。

縄文時代早期の包含層なんて下層だろうし、文化層だと思って掘ってれば有り得ないような気もするけど、、、

きっと、、、まさか何か出ると思ってなかったのかな?

真実は闇の中ですね( ・Д・)

そして、1万年前の最古の勾玉、、、完形品だったら国宝級だったかもしれませんね!Σ(・ω・ノ)ノ




おわりに

今回は種子島なので鹿児島県のお話でしたが、南九州一帯はこれまでにも古い時期の石製品の発見が集中している地域なのです。

そんな南九州でもこれまでの石製品や装身具は縄文早期後葉に帰属するもので、今からおよそ8000年前のものでした。

今回の勾玉は石製装身具としてはこれまでの最古記録を2000年も遡るもので、しかも勾玉の形態ものは同時期では類例がないため大発見ですヾ(´ω`=´ω`)ノ


・・・・・・私、実は最近日本の研究もやってて(コロナ禍だし( -д-)ノ)、ちょうどそれがおよそ1万4000年前の縄文時代草創期の内容なのです。

土器として国内最古級を扱いつつ、その時期に既に広範囲のヒトの移動、情報の伝達、モノの交換が活発であったことを示せるのではないかなと思っている最中なので、、、

なので、今回のお話は早期ですから、個人的には当然!って感じだったりします(*^・ェ・)ノ

そろそろそれらの国内関連の論文発表も進んできたので、近い内、記事で考古学最新情報紹介したいと思います!


さて、本記事の途中で「真実は闇の中!」と名探偵コナンばりのセリフを吐きましたが、、、

我々考古学者にとって、資料の再検討も重要なのはわかってはいるものの、やはり、、、

『真実は土の中!』かな?( ・Д・)



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