あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    最古

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    2025ねん 8がつ 30にち(どよーび、晴れ)

    昨日死んでた( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは🏛️「世界最古の“老人ホーム”跡?」——ヒッポス古代都市が見せた、1600年前の“いたわり”のかたち!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    🧭どこで、なにが見つかったの?

    イスラエル北部、ガリラヤ湖を見下ろすビザンツ時代の都市遺跡ヒッポス(スッシタ)。この街の中心部近く、4世紀末〜5世紀初頭にさかのぼる建物の入口で、ギリシア語のモザイク碑文が現れました。そこに書かれていたのは——「老人たち(長老たち)に平安あれ」。研究チームは、この建物が高齢者を支えるための公共施設(いわば“老人ホーム”)だった可能性が高いと発表しました。報道は Archaeology Magazine、Forbes、Times of Israel など国内外に広がっています。




    🧱モザイクが語る“入口”の物語

    発見箇所は古代都市の主要街路(デクマヌス/カルド)が走るエリアの一角で、フォルム(公共広場)近くの共同空間に接しています。モザイクはエジプトガンや糸杉、果実、器などの装飾で囲われ、中央のメダイオンに「老人たちに平安を」と記されていました。宗教施設でも富裕層邸宅でもない場所に、特定の人々=高齢者へ向けた祝意が刻まれている——その“文脈”が、建物の性格を示します。






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    ↑クリーニングの様子!( ・Д・)(「Forbes」の記事内画像より転載)




    🕯️「介護」は近代だけの発明じゃない

    研究チームは、ビザンツ時代の文献に見える高齢者・困窮者を支援する慈善施設(例:都市の公的福祉機関、修道コミュニティの受け皿など)との用語・慣行の照合を進めています。物的証拠として“入口に残る献辞”が出たのは初に近く、“制度としての高齢者ケア”が都市インフラに組み込まれていた可能性に現場データが迫った格好です。






    🧩“世界最古”といえる根拠と、その注意点

    今回「最古」とされる根拠は、①4世紀末〜5世紀初頭という考古学的年代、②**“老人たち”に向けた明確な献辞**、③都市公共圏に属する専用の入口モザイクという三点セットがそろっていること。もっとも、平面構成全体の解読(部屋の機能分化、厨房・寝所の有無)や、施設運営の証拠(器・医療具・寄進者名)については、今後の掘り下げと学術論文の蓄積が必要です。**現時点では“最古級の有力候補”**という表現がフェアでしょう。





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    ↑老人たちに平穏あれ!( ・Д・)(「Forbes」の記事内画像より転載)



    🏙️ヒッポスという“都市”の器

    ヒッポスはヘレニズム期のデカポリスの一員として発展し、やがてビザンツ期には司教座を擁する中心都市に。少なくとも7つの教会と、碁盤目状に走る石敷きの大路が張り巡らされた、信仰と都市生活の結節点でした。その文脈の中で、“老人に平安を”という献辞は、信仰にもとづく都市的なケアの一断面として、きわめて自然に見えてきます。





    🧪これから分かりそうなこと

    • 建物内部の機能分化(食堂/集会室/小礼拝室/寝具痕跡など)

    • 高齢者向けの施策を示す寄進銘文や会計記録の再検討(周辺の碑文・パピルス)

    • 医療・介護具に相当する遺物の有無(杖頭・簡易ベッド金具・器具痕)
      こうした“都市の福祉”をめぐる細部が明らかになれば、ヒッポスは古代地中海世界のケア史を描き替える基準点になり得ます。










    ✍️あるけまや的・ひと言まとめ

    街の入口で、「老人たちに平安を」とまず言葉が先に届く。それは、石畳のほこりよりも、教会の鐘よりも、やさしく確かな都市のルールだったのかもしれません。


    モザイクの小石は、どれも少しずつ色が違う。寄る年波の揺らぎみたいに。都市が人を支えるという、当たり前で難しい営みを、入口の一語が淡く照らしてくれます。


    “世界最古”というラベルは、ほんの呼び名。大事なのは、1600年前の誰かの気づかいが、今日の入口にもしっかり続いていること——そう思わせてくれる発見でした。






    何はともあれ、

    やぱ細かな文字情報いいな!( ・Д・)



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    2025ねん 8がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

    ここ2日爆食してる、ダイエットせにゃ!( ・Д・)

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    今回の考古学・歴史ニュースは🪨インドネシア・スラウェシ島の石器が、古代人類の“海越え”の謎に風穴をあけた!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    🌊何が起きたの?——トウモロコシ畑の下から「100万年以上前」の証拠

    インドネシアのスラウェシ島・南西部ワラナエ川流域にあるカリオ(Calio)という地点で、100万年以上前に遡る石器が発見されました。出土したのは、礫から打ち剥がして鋭利な縁を作った「フレーク状」の石片たち。層位と複数の年代測定から少なくとも104万年前、最長で約148万年前という結果が出て、ウォーレス線の内側(ウォラセア)に、これほど早く“ヒトの親類”が到達していたことを示しました。学術論文の発表と同時に、各国メディアが一斉に報じています。



    🧭誰が作った?——ホモ・エレクトス?“ホビット”の親戚?それとも未知の誰か

    年代はホモ・サピエンス誕生よりはるか前。ジャワに160万年前ごろ到達していたホモ・エレクトス(直立原人)が候補に挙がる一方、フローレス島のホモ・フロレシエンシス(“ホビット”)やルソン島のホモ・ルゾネンシスに連なる、別系統の小型ホミニンが関与した可能性も論じられています。決定打は化石不在ゆえ得られておらず、「石器はあるのに作り手が見えない」のが現状の最大のミステリーです。



    🗺どうやって来た?——“船のない航海”という仮説

    スラウェシは過去100万年スケールでも陸橋が繋がらない“真の島”。到達には外洋の横断が必須です。研究チームは「意図的な舟ではなく、津波や暴風で流木の塊にしがみついた“偶発的漂着”だった可能性」を指摘。いずれにしても、アジア本土から深い海を越えたという事実は、初期ホミニンの行動力に関する常識を強く揺さぶります。



    🧱石器の“語り方”——自然割れではない、人の手の痕跡

    カリオの石器は、近隣河床の礫を打撃で制御的に剥離し、意図的な剥片縁を持つことが顕微観察で確認されています。掘削区の3D記録では、石器と同じ地層にスラウェシ固有の古代ブタ(Celebochoerus)の化石が投影され、地質学的な場の一貫性が担保されています。「自然に割れた石ではないの?」という疑問に、現場のデータがしっかり応えています。



    ⏳“前史”が書き替わる—— タレプ(Talepu)→カリオへ、年代の桁が一つ増えた

    スラウェシでは2016年、同じワラナエ盆地のタレプ約19.4万年前の石器群が報告され、「サピエンス以前の占拠」が確定しました。今回のカリオはそこからさらに桁違いに古い。「≥104万年前」は、フローレス島ウォロ・セゲ(約102万年前)と肩を並べる“超早期ウォラセア占拠”の証拠として、人類拡散地図の根本を描き替えつつあります。



    🧑‍🔬国内外の反応——“ウォラセアの鍵島”としてのスラウェシ

    豪州ABCは「100万年前のスラウェシ居住」を大きく報道し、サピエンスより80万年遡る点を強調。ナショジオは「ホビットの謎に迫る“隣島”の証拠」として解説しました。ScitechDailyやCosmosは「深海を越えた初期航海」をキーワードに、仮説と検証の行方を追っています。学術側でも、グリフィス大学/BRIN(インドネシア国研)を中心に、年代・テクトニクス・古環境が総合的に議論へ。



    🪶“小さな矢じり”の文化とも繋がる?——トアリアン(Toalean)への長い伏線

    スラウェシ南部には、ホロシーン期の狩猟採集文化 “トアリアン” が残した極小の石器群(マロス・ポイント)で有名な洞窟群があり、遺伝学でも独自の系譜が示唆されています。今回のカリオは時代がはるかに古いものの、「島の中で人々の入れ替わりが幾重にもあった」という長期史観を補強します。島の“記憶”は、微小な石片からも読み取れるのです。



    🧩次の一手——“作り手の顔”を見つける

    いま必要なのは、作り手そのもの=ホミニン化石です。研究チームは「掘り続ける」と明言。石器は語る、しかし骨は決定的に語る。スラウェシのどこかに眠る誰かの歯や骨が、どこから来て、どのように暮らし、どこへ消えたのかを明快にしてくれる——そんな “瞬間” を、世界が待っています。



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    ↑別のやつ!( ・Д・)(「名古屋テレビ」の記事内画像より転載)







    ✍️“あるけまや”的ひと言まとめ

     海の向こうから、まだ名前のない人たちがやって来て、川辺の小石をコツコツ叩いて、鋭い縁をつくり、食べる・切る・こしらえる——その音が、100万年ぶりに耳に返ってくるみたい。
    舟なんてなかったかもしれない。嵐の夜に流木にしがみついた手のぬくもりが、石の縁にまだ残っている気がします。


     スラウェシは、時間の層が深呼吸する島。タレプの“19万年前”から、カリオの“100万年前”へ。さらに洞窟壁画の「物語」やトアリアンの小さな矢じりまで、とぎれとぎれの点が、一本の長い線になりはじめた。


    “誰だったの?”という問いは、まだ宙に浮いたまま。でも、その空白が、かえって胸を高鳴らせる。次の一片、次の層、次の“顔”に出会えたら——きっとまた、ここで一緒にページをめくりましょう🌿





    何はともあれ、

    やぱ最古系は話題になって羨ましいな!( ・Д・)



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    2024ねん 8がつ 3にち(にちよーび、晴れ)

    なんだかんだ眠い( ̄▽ ̄;)!!ガーン

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    今回の考古学・歴史ニュースは「最古級のシャーマンの墓が見つかった!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    今回の舞台はトルコ南西部のチャタル・ホユック遺跡です。

    最近(?)、考古学の常識を塗り替えた(?)みたいな内容で有名なトルコのギョベクリ・テペ遺跡の東240kmに位置するのがチュタル・ホユック遺跡です。


    遠いじゃんって思うかもしれないけれど、

    まぁ確かに遠いんだけれど、




    先土器時代、新石器時代だからね!

    大きい遺跡がそんなにごろごろしている時代じゃないのです( -д-)ノ




    上に挙げた写真がチュタル・ホユック遺跡ですが、ドーム状に屋根が付けられていて、発掘調査の様子が一般公開されている遺跡です。

    公共考古学(パブリック・アーキオロジー)、つまり「市民のための考古学」として公園のように活用実践がなされている遺跡です。

    考古学遺跡・活動の観光資源化としても面白いやり方です。



    この遺跡のメイン居住期間は約9500年前、BCE 7500年頃と考えられています。

    乾燥地帯のためか土壁で造られた住居壁が良く残っています。

    調べてみると私の研究的にもかなり興味深い遺跡なので今度別枠で紹介しますね(*・ω・)ノ







    さて、上に挙げた写真が今回見つかった人骨です。

    右上に頭蓋骨があって左を向いていて、屈葬という膝を抱え込むような姿勢になっている状態です。




    人骨の分析から女性だということが分かっています。

    シャーマンというのは自然崇拝の中で精霊や霊魂とコミュニケーションが取れる人物であることが多いです。

    というのも考古学では使いやすい用語なのです。

    精神世界って考古学的には難しいので呪術的な行為を行う特殊な人をシャーマンって言っておけばとりあえずなんとかなるのです( -д-)ノ

    時期によっては神官って言えば何とかなる( ・Д・)



    さて、今回のケースではこの時期としては珍しく土壙墓の上部、つまるところ人骨の上に大きな石灰石が多数並べられていた点

    ヤマウズラの翼やテンの脚、ヒツジやヤギなど、様々な動物の骨が副葬されていた点からシャーマンと推測されています。



    チャタル・ホユック遺跡ではマヤ遺跡のように古いお墓が家の中にあるため、深く掘っていくと古い時期のものに当たります。

    今回のシャーマンは1万2000年前に帰属すると推定されていますので最古級ですし、人類の発展史を考える上で非常に重要な発見と言えます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!






    おわりに


    いやほんと、今度別枠でチャタル・ホユック遺跡について書きますね。

    正直、ギョベクリテペ遺跡は騒がれているけれどそこまで興味なかったのですが、、、



    ここは面白い!

    研究費たくさん獲れたらトルコ行きたい!





    何はともあれ、

    やぱ金なきゃどこも行けん!時間もか!( ・Д・)



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    2024ねん 5がつ 17にち(きんよーび、晴れ)

    なんとかダブルワークで研究頑張ってる(*・ω・)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは「沖縄県で最古の人類の痕跡、火焚いてたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台は沖縄県、宜野湾市の普天満宮洞穴(ふてんまぐうどうけつ)遺跡です。

    琉球列島の歴史は日本とはやはり異なるのですが、少なくとも3万2000年前には人類が住んでいたことが分かっています。



    今回は3万1000年前の炉跡が発見されたということです。



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    炉というと一般的には江戸時代の囲炉裏のようなものをイメージするかも知れません。

    土器などを固定するための三石炉(さんせきろ)の発生は古く、そちらをイメージする方もいるかも知れません。

    単純に適当なサイズの石を三つ拾ってきて、組むだけの簡素なものです。

    3つなので自然と安定するのです。

    この三石炉は現在でも使用されていますし、サバイバルテクニックとして知られているかもしれません。




    しかしながら、考古学における、特に古代の炉というのは基本的に上の写真のようなものです。

    そうです、特に何もありません。

    あるのは焦土(しょうど)、つまり焼けた土なのです。

    今回の発見では同じ箇所を炉として長く使用していたようで、恐らくは周りにあったレキ(石のこと)も焼けてますし、たくさんの灰が固まっている様子が分かります。






    写真の上にある灰色コンテナに入っているものが、焦土や灰の塊です。

    下にあるものは左の4点が沖縄県の旧石器時代、約3万1000年前の石器で、右の2点が人間の頭蓋骨(とうがいこつ)の一部です。





    おわりに

    今回の発見は沖縄県、最古級の炉跡ということで、多量の灰が検出されています。

    この灰を分析することで、当時の人々がどのようなものを食べていたのかが分かる可能性があります。

    またヒトの頭蓋骨の分析により、すでに見つかっている他の旧石器時代の人骨との関係性が明らかになるかも知れません。

    今回は発見に関する速報ですから、続報に期待ですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



    何はともあれ、

    何食べてたかは気になるね!( ・Д・)



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    2024ねん 3がつ 5にち(げつよーび、晴れ)

    ビール祭りだぁヾ(´ω`=´ω`)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースはなんだかんだやっぱり凄いよね、日本!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    日本列島への人類の移動

    上に挙げた画像は東京都、上野にある国立科学博物館が実施した「3万年前の航海再現プロジェクト」で使用された丸木舟です。

    学術クラウドファンディングで約6000万円集めてるんですよね。



    実験考古学としての成果というよりは単純に集めた額がすごいなと思ってしまうのは私だけか( -д-)ノ

    まぁでもほんとすごい。

    この丸木舟は長さ7.5mなので、これまでに出土した平均的な長さの中で大きめのサイズとして作られてて、最大サイズとかではないんですよね。

    それでいて、台湾から沖縄県、与那国島までの約225kmを移動したんですよね。

    それはすごい(*・ω・)ノ





    この記事では「縄文時代の丸木舟は約5~7mで二人乗り」って書いてます。

    この話は復元の件も兼ねてるのですが「移動」のことではないんですよね。

    例えば、前に一人、後ろに一人、間のスペースにモノを載せて「運搬」するとか、

    二人乗りで「漁労」をして、間のスペースに網などの道具や釣果を載せるとか、

    そういう生業関連の話なのです。




    この科博の事例だと5人で乗ったそうです。

    まぁ225kmの距離を移動することが目的なので、「漕ぎ手」がたくさんいないと困るんですよね。

    舟なので体重分の重量が増えることよりもパワー・スタミナの方が大事なのです。




    人類の移動か・・・

    でもたかだか5人来た程度じゃ生き残れなさそうですね。

    意図的に船団で移動したのか、あるいは継続的に遭難など潮の流れの関係で多数流れ着いていたのか、、、




    とある生物学者が文明崩壊後に人類が再生するとしたら何人必要かという疑問に対して100人と答えていました。

    近親交配を繰り返すとまずいのでDNAの問題からという回答ではあったけれど参考にはなりますね。

    3万年前の大陸側から列島への移動に対して、100人もの集団が船団で移動したってのは当時の社会スケールからして考えにくいので、やはり後者かなって気はします(*^・ェ・)ノ





    縄文時代最古の舟

    さて、では日本最古の舟の話に移りましょう。

    出土遺跡は千葉県、市川市雷下遺跡です。



    上に挙げた丸木舟は全長約7.2m、幅約50cm、厚み約8cmで、本来は全長7.6mを超える当時としては大型の舟と考えらます。

    当時というのは今から約7500年前、縄文時代早期の終わり頃のことです。



    次に古い事例は、島根県、松江市の島根大構内遺跡で出土した丸木舟で、約6000-7000年前の縄文時代前期のものです。

    サイズは6m程度です。

    縄文時代の丸木舟のサイズ分布が5~7m程度ですから、雷下遺跡の丸木舟は最古級にして最大級の事例ということになります。

    両者ともカイ(オール)も出土していますし、後者はヤス(漁労具)も出ているので本当にレアな事例と言えます。

    また丸木舟はムクノキやスギを素材として、火で焦がしながら、巨大な樹を石器で削って作ったと考えられており、上の写真でも内面が焦げている様子が見て取れると思います。



    さて、縄文時代は約16000年前から2400年前の期間として定められています。

    ざっと1万4000年のもの期間になります。

    その期間の細分として、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期と6期区分があります。



    縄文時代の丸木舟と言ってもその多くの出土事例は後期・晩期に帰属するものが多いのです。

    まぁ古くなると出土遺物量が減少するのは致し方ないのです( -д-)ノ



    されども既に上で述べた貴重な2例があるように、縄文時代の早期の終わりから前期には既に丸木舟があったことが分かっています。




    活発な遠距離海上交易はいつから?

    現状、最古の化石人類は約700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスですね。

    最古の石器はまだやや古くなりそうですが、一般的には約260万年前のオルドワン石器ですね。

    作ったのはホモ・ハビリスで、猿人-原人段階です。



    他方で新人、ホモ・サピエンスは約20~30万年前に誕生しました。

    その後、他の化石人類たちは絶滅して私たち現生人類だけが生き残りました。

    つまり私たち現生人類はその誕生直後から道具を作り、使用できた、あるいは少なくとも化石人類の活動の観察から即座に学習できた環境にあったことになります。



    恐らくこの最初期から人類は製作した道具の交換(交易)を行っていたかも知れません。

    しかし事例が少な過ぎる他にも、活動領域での身近な石材を利用していたことから交換(交易)の実態は不明です。

    産地が限定される黒曜石の利用が始まって交易が確認できるようになりますが、ニューギニアでの約1万9000年前の事例が最古です。



    地中海域での海上交易の歴史も古く、約1万4000年前には1000km程度の交易網がありました。

    日本では同じ約1万4000年前には2000km以上に及ぶ交易網あった可能性があるです。




    丸木舟の最古の事例は約7000年前でした。

    東北地方の三内丸山遺跡などの事例では約5000年前には黒曜石、翡翠、琥珀が日本各地から集められており、海を渡って北海道由来のものも伝わっています。

    ではいつからこうした活発な海上交易がおこなわれていたのでしょうか?



    九州南部と沖縄の事例では縄文時代前期(約7000~5500年前)に土器の海上交易があったようです。

    奄美大島では金雲母を含む鉱物組成の粘土・砂がありませんが、金雲母を含む土器が多数見つかっています。

    これは九州本島南部や奄美大島より南の小島、あるいは沖縄本島で生産されたものが運ばれてきた可能性を示しています。



    また北海道~九州の範囲では縄文時代草創期(約16000~11500年前)の『爪形文土器』が広く分布します。

    北海道~九州という広い範囲における土器の類似性は活発な海上交易に伴うモノや情報の伝播を意味していると考えられます。

    最北端である北海道の爪形文土器の事例が1万4000年前ですから、そこから考えると、繰り返しになりますが、

    日本では同じ約1万4000年前には2000km以上に及ぶ交易網あった可能性があるということになります。

    すごいね、日本 (=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





    おわりに

    経済って複雑だけれど、面白い!って最近思えるようになりました。

    考古学ってデータが限られているからこそ、経済などの様々な現象をシンプルに捉えることができるかな~って思ってますが、

    ほんとに交易のレベルでも十分複雑で大変です。

    大変ですが、面白い!



    今年度は僅かでも古代社会研究を現代社会研究と繋げられるようになりたいなぁと思う今日この頃です。

    論文で書くことのない一般的な説明部分の箇所も多いので、分かり次第記事しますね~(・∀・)つ

    「居酒屋の考古学」とかやりたいもの・・・

    考古学研究から、現代社会の経済研究につなげて、ビジネスに役立つレベルの分析ができるようになりたい!( ・Д・)



    何はともあれ、

    焼き鳥食べたい!( ・Д・)



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    2023ねん 4がつ 14にち(きんよーび、曇り)

    みんな、私は元気だぜ!v( ̄∇ ̄)v

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは金箔で覆われたミイラより、なんか気になる写真見つけた!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はエジプト、サッカラです。

    サッカラはよく聞く名前ですよね、インディジョーンズを始めとして冒険ものでエジプトのシーンがある時は大体サッカラが出てくる気がします。

    気のせいかも知れませんが、まぁそんなサッカラは首都カイロの南郊にあります。




    今回の記事はエジプト考古学庁が展示のために出し渋っているのか写真がないんですよね。

    発見したお墓や出土品の写真はあるのに肝心のミイラの写真がない……

    掲載されていた痕跡もあるけれどそれだけ非表示になっているので、止められたのかな~と思ったり。

    記事の最後に「しかし、エジプト政府は観光客を増やすため、学術的な研究よりもメディア受けするような発見を優先しているとの批判もある」なんて書いてるしね。

    まぁこれについては「おわりに」で触れます。




    ということでなるべく写真を多用しようと頑張っている当サイトですが、ないものはないので今回はご了承ください。

    最初に挙げた写真は関係ない写真だけれども、金箔で覆われたマスクなんですよね。




    「金箔で覆われた」なんて書かれたら気になるけれど、よくよく考えたら、あれだけ黄金製品が出るエジプトでは対して目玉にならん気がするのだが気のせいだろうか……( -д-)ノ

    ただ今回の発見があった墓は4300年前のもので、ファラオなど王族以外の墓としては最古かつ完璧な状態のものとしてレアな発見なのです。

    未盗掘だったので保存状態が極めて良好だったようです。

    盗掘されていたらミイラごと持っていかれてそうですもんね( -д-)ノ




    さてさて、とりあえず私が一番気になった写真をどうぞ!





    これって一般の人が見たらたぶん何の違和感も感じない写真だと思います。

    ちなみにキャプションは「サッカラでの新発見発表後、発掘したものを修復する考古学者」です。





    エジプト考古学のことは知らないけれど、、、

    修復作業を現場でやるの!?(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

    そんなことある?

    なんで???

    ラボが遠いの?





    写真だと小さくてよく見えないけれど、黄色の箱やチューブみたいなものが瞬間接着剤的なものに見えるけれど、、、

    砂埃とか大丈夫なんでしょうか。

    ってか洗浄具が周りにないけれど、土に埋まっていたわけじゃないから埃を払う程度なのかも知れないけれど、、、本当にそれでいいの?

    土に埋まってないから土圧などで歪んでないから接合も楽ちんなんだろうけれど、ラボに帰ってからやればいいのにと思ってしまいます。




    そんな大々的に発表するほど重要な墓から出た副葬品でしょ?

    きっちり落ち着いて修復した方が展示映えもするだろうに……そう思ってしまうのは専門地域が異なるせいなのでしょうかね( ・Д・)

    誰か理由を知っている方がいたら是非教えてくださいね!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ




    ↓ガンガンに宣伝していくぜ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↑研究がんばるから支援よろしく!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    おわりに

    メディア受けする調査を優先するのは世界各地でまぁ見られる現象です。

    トレジャーハンターというか「許可書持ちの盗掘者」はどこにでもいます。

    マヤ地域でもそういう考古学者がいますし、そういう日本人考古学者もいます。

    彼らの見分け方は簡単!




    論文書かない、報告書出さない、一般誌・一般書は書く、メディアに露出する。

    こんなもんかな。




    まぁ露出しててもしっかり研究者してる人も中にはいるようですけどね(*^・ェ・)ノ




    確かに傍から見てると、そもそもエジプト考古学自体が、学術系そのものが発見至上主義に浸かってる気がしますけどね。

    エジプトってあれだけ保存状態も質も良い考古遺物が大量に出て、たくさんの碑文資料もあって、周辺地域の文献史料もあってと、たぶん世界で一番データが豊富な地域だと思うんですよ。

    でも世界の考古学を牽引している気がしない。




    新たな考古学理論が誕生しても良さそうだけれど、何もないよね。

    というかこれまでも一度もない。




    私が知らないだけかな。

    周りにエジプト考古学の人いないから、適当にエジプト考古学発の理論系論文を探してみるかな(*・ω・)ノ



    もしかしたらデータがあり過ぎるせいで、文献史学的な世界に突入しているのかも知れませんね。

    そういう可能性もある!





    考古学にとって発掘調査が実験なわけで、かつ発掘調査は有限の一回性の実験なのだから、理論もなく掘りまくると間違いなく将来困りますよ。

    証明も反証もできなくなる。


    博物館のための、観光収入のための考古学。

    どうやらエジプト考古学者は半世紀以上前の時代を生きているようですね( ・Д・)





    まぁいいや、

    何はともあれ、

    私の研究が世界で一番!( ・Д・)



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    今回の考古学・歴史ニュースは「人類が新大陸に到達した時期が7000年も遡るかも!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はアメリカ、ニューメキシコ州、ホワイトサンズ国立公園です。


    『人類がいつ所謂「新大陸」、つまりアメリカに到達したか?』というのは考古学者にとって人類史上の重大な関心事のひとつなのですが、、、

    最近、この辺りの議論がアツイです!




    私がかつてアメリカ大陸史を勉強した時(20年くらい前?)は、ざっと1万7000年前に北米に人類が到達、1万3000年前にチリの最南端に到達、その後新大陸における人口の増加と拡散が生じて、7000年前にメキシコ、オアハカ谷にてトウモロコシ栽培の開始……

    なんて学んだので、今でも基本的にその認識というか、とりあえずその数字は覚えているわけです。





    他方、近年は人類の新大陸到達は定説より早かったとする発見が相次いでいます。

    このブログでも「クローヴィス・ファースト仮説が崩れるかも?」として何度か紹介しています。




    ちなみにクローヴィスって文化とか石器(尖頭器)の名前です。

    クローヴィスという名前の土層が放射性炭素年代測定で約1万3000年前相当とされていて、そこから見つかった石器文化、尖頭器文化がクローヴィス文化、その石器/尖頭器がクローヴィス尖頭器です。

    まぁつまるところ、従来の定説ではアメリカ大陸史最古の文化であり、人類の北米到達を示す最古の記録なのです。



    ↓これが過去記事





    ↑人類の「新太陸」到達に関連する記事



    今回の発見の地であるホワイトサンズ国立公園にはトゥラロサ盆地という乾燥地帯があってそこでこれほどまでに古い貴重な足跡が残っていたわけです。

    当サイトでも繰り返し述べているように、貴重な考古学資料の埋没過程上の保存にはめっちゃ水分あるか、めっちゃ乾燥してる場所が最適なのです。




    下に挙げた写真が実際に見つかった足跡ですが、、、はっきりし過ぎてて逆におもちゃっぽく見えるのは私だけなのか……

    まぁでも本物です!





    先に述べたようにクローヴィス・ファースト仮説に基づけば、人類の新大陸到達は1万6000~7000年前くらいになります。

    この足跡が見つかった層から検出された炭素を用いた分析によれば、足跡の時期は2万1000~2万3000年前となります。




    なのでまたもやクローヴィス・ファースト”神話”を崩す証拠の発見がなされたことになるのです。

    ひとつでも反証事例が見つかったら十分じゃないかと思う方もいるでしょう。




    まぁ確かにそうなんですけど、アメリカは特に学閥の影響が強いですし、所謂大御所の意見には逆らえないんですよね。

    (マヤ文明研究史でもその手の定番ネタがあります( ・Д・))

    なので定説の交代はいつも遅れます。




    そのような実態は科学としての考古学の発展の阻害になっている気もしますが、そもそも理化学系の実験に相当する考古学調査は時間のかかるのんびりとしたものです。

    なので、大御所同士であーだこーだ言っている間に、若手研究者はせっせと調査を繰り返し、類似の反証事例を地道に積み上げていくのです。

    考古学は「無いことに依存した理論は弱い」側面があるので、つまり今回のように定説を覆す発見(あることに依拠した理論)が強いので、まぁこうした慎重な姿勢も大事なのです( -д-)ノ




    ↓アメリカ大陸関連の人気記事





    ↑オカルトっぽいかもだけど、個人的には好き



    おわりに

    マヤ文明は亜熱帯ジャングルだから保存状態的によく残ったね的なレアな発見はないんですよね。

    うん、あんまりない。




    見目麗しい多彩色土器の内側に古代ココアの残滓が残ってた、くらいかな。

    環境的に足跡残らないだろうし、残っても元気一杯の植物の根に全部壊されてるでしょうからね。





    いや~今まで小さい建造物とか地道に掘って成果上げてきたけど、やっぱ一度は大きな発見してみたいよね( ・Д・)





    何はともあれ、

    ネコの足跡見つけたい!( ・Д・)



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    熱下がった!

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    今回の考古学・歴史ニュースは最古の石器作ったのはヒトじゃないかも!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はケニアのニャヤンガ遺跡です。

    古い時期の化石人類系の発見はまぁ大体アフリカですよね。

    人類発祥の地ですから。




    そんなアフリカでも今回のお話は300万年前なのでけっこう古い話です。

    最古の人類と言えば700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスが有名です。

    ひと昔前までは400万年前のアウストラロピテクスが最古だなんて世界史の教科書にも載っていましたので、覚えている方も多いのかなと思います。





    このアウストラロピテクスも当初は新発見として盛り上がりましたが、その後たくさん類例が見つかっていく中で細分され、華奢型がアウストラロピテクス、頑丈型がパラントロプスとなっています。

    今回のお話はこのパラントロプスについてなので、皆さんご存じのアウストラロピテクス
    と大体同じくらいの時期に存在したがっちりした猿人の話だと思って聞いてください。






    ちなみに一番最初に挙げた写真がニャヤンガ遺跡の発掘風景です。

    化石人類系の古いやつってどれも洞窟遺跡かと思ってましたけど、こんな開けたところでかつけっこう浅いところから出るのね~と個人的に驚きです。

    まぁ浅さに関しては、マヤ遺跡も亜熱帯気候のせいで激浅ですので、暑いであろうこの地域でも同様なのは理解できます。

    でも平地でこの遺跡見つけるの大変だったというか、踏査・試掘過程で奇跡的に見つかったんですかね?

    ランドマークもなさそうなのに、そこだけ個人的に不思議で仕方ないです(*^・ェ・)ノ





    さて、話を戻しますと、

    これまで「最古の石器はヒト属の登場と共に生まれた」と考えられてきました。

    時期で言うとざっと200万年前です。




    道具を使う動物は数種のサルの他、ラッコなども使ってることが指摘されてかなりの時が流れ、道具がヒト属のメルクマールではなくなってきたというか、「道具使用=ヒトの特徴」という感覚がなくなってきた昨今、今回の発見に至りました。


    さきほど出てきたパラントロプスは私たちヒト属とは異なる系統の化石人類ですが、ニャヤンガ遺跡にて彼らの歯と共におよそ300万年前相当の最古の石器が出土したのです。





    物理学の世界でも3次元の他の異次元の存在が認められなかった過去がありますが、現在では量子レベルなどの私たちの感覚より小さなミクロな世界に異次元が隠れていることが常識となっています。

    恐らくこういう事例はそれぞれの学問であるのでしょうが、学界内の常識あるいはコンセンサスというものはちょっと発見があったくらいじゃすぐに変更されず時間を要するものです。

    考古学、あるいは古人類学においても、やはり「最古の石器はヒト属と共に誕生」という考え方は現在も根強く存在します。




    今後、こうした事例がどんどん増えていく中で、最古の石器を作ったのはヒト属ではなく、パラントロプスということが常識になっていくのかも知れませんね。





    おわりに サルが作った石器って区別付くの?


    けっこう前の研究報告の話ですが、南アメリカだったかな、サルも石器を作るよって。

    問題は過去にもサルが意図してか、あるいは偶然に石器を作っただろうと、

    それならば、最古級の曖昧な技法の石器は本当にヒトが作ったものなのかどうかどうやって判定できるのか?という提言だったのです。




    土器屋の私としては対岸の火事なので単に面白いなと思っていましたが、、、

    上に挙げた写真がサルの作った石器だそうです。




    この中に一つだけヒトの作った最古級の石器、オルドワン石器が含まれています。

    オルドワン石器は今回の話でパラントロプスの作ったと思われる石器と同種のものです。

    どれか分かります?

    私は分からない!(笑)



    ・・・・・・・・・


    ・・・・・・


    ・・・


    答えは「N」だそうです。


    改めて見ても全然分からない。


    まぁ私はおとなしく自分の領域の研究をやりますよ~だ( -д-)ノ



    何はともあれ、

    四国チャリで1周サンプリング調査のCF応援して!( ・Д・)



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    2022ねん 1がつ 10にち(かよーび、晴れ)

    明けましておめでとうございま~すヽ(TдT)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは日本最古?沖縄のブタは中国から!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はもちろん沖縄なわけですが、、、

    今回はブタさんのお話です。



    その前にこれまでの復習をざっとしてしまいます(*^・ェ・)ノ

    ①北琉球で「爪形文土器」が見つかった。

    ②本土の爪形文土器(草創期)の空似と評価され、実際に縄文後期相当と分かった。

    ③次に中琉球で「爪形文土器」が見つかり、早期相当と分かった。

    ④更に南琉球で見つかった土器が1万年前の早期初頭相当と分かり、沖縄最古の土器はどんどん南下する傾向が見られた。

    ⑤更に南の台湾や中国南東部には同時期や草創期に土器がないけど、どこが発祥?って困った( ・Д・)



    って感じです( -д-)ノ




    さて、沖縄のブタさんと言えば、上に挙げたような「アグー」ですね。

    このブタのルーツとしては14世紀の中国との進貢貿易において沖縄に伝わったものとされています。

    当時の中国はめちゃくちゃブタを食べていたようで、中国から来た使節をもてなすためにも大量にブタを生産し消費していたそうです。



    これは年代的にも新しい話なのですが、最近になって動物考古学の研究成果により、沖縄のブタの起源がとても古いことが分かりました。

    発見があったのは、中琉球つまり沖縄本島の嘉手納町にある野国貝塚で、そこから大量のブタの骨が検出されました。

    分析対象はブタの下顎骨(アゴ)で、107点も扱いました。

    分析の結果、10才を超えるブタがいたことが分かり、これほどまで高齢でいられるということはヒトが飼育していた証拠であると結論付けています。



    ちなみに年代測定の結果、ブタの骨の帰属時期は7200~7500年前で縄文時代早期後半となっています。

    本土の方の最古の飼育ブタの痕跡は、佐賀県唐津市の菜畑遺跡で検出されたブタの骨で3000年前です。

    だから今回の発見は最古の事例となり、日本におけるブタの飼育の歴史が一気に変わったと言えます!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    中東のギョベクリ・テペって何だか最近話題ですけども、約1万年前の先土器・新石器時代に定住前に宗教施設が造られたってことで・・・

    何度か記事で触れたと思いますが、日本の縄文時代だと1万年前は早期初頭相当だからすでに土器がある新石器時代で、

    新石器時代で狩猟採集社会なのに定住してて、

    今回の発見で牧畜までしてるんですよね。

    身近過ぎて分からないかもしれませんが、縄文ってスゴイものなのですよ?ヾ(´ω`=´ω`)ノ



    さてさて、話を戻しますと、この約7000年前の沖縄のブタは中国から伝わったと考えられています。

    中国では黄河流域で約8000年前に豚の飼育が始まったとされていることに起因します。

    まぁ時期的にはイイ感じです。



    私の日本における研究のひとつとして縄文草創期・早期を扱っていますが、草創期段階の爪形文土器が沖縄を除く日本全土に広がっていることから、

    日本ではめちゃくちゃ古い段階で海を越えて交易関係があったのかな~って考えています。

    今回の発見を基にすると、大陸との関係まで再考する必要があるようですね。

    何だか交易ばっかり意識すると「伝播論」的に感じるので、私個人としては日本における「自発性」も十分に意識していきたいと思います(*^・ェ・)ノ



    arukemaya1680
    ↑溶けるの早くてめっちゃ垂れたが美味しかった!(・∀・)つ(credit: あるけまや)



    おわりに

    沖縄のビーチで海岸砂の採取を行うために、駐車料金払ったのです。

    サンプリングが目的ですぐ帰るとは伝えたのですが、、、

    で、実際に僅か5分10分で車に戻ったところ、申し訳ないのでってアイスくれました。

    嬉しかったですヾ(´ω`=´ω`)ノ



    さて、コロナ禍を機に、国内でも様々な時期や地域を対象に研究を始めましたが、どこやっても面白いものですね(*・ω・)ノ

    いやはや、、、ほんと考古学ってイイものですね~

    では、さよなら、さよなら、

    さよならっ!( ・Д・)


    (古いけど金曜ロードショー、大好きでした(*^・ェ・)ノ)


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    2021ねん 11がつ 9にち(かよーび、ひどい雨)

    筋肉注射はやはり腕痛くなる~ヽ(TдT)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya1663
    ↑雰囲気あったよ!( ・Д・)(筆者が今年調査に行った際に撮った写真、credit: あるけまや)



    今回の考古学・歴史ニュースは「沖縄で縄文時代最古の人骨が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    さて、今回の舞台は沖縄県、うるま市の藪地洞窟遺跡です。

    上に挙げたキャプションに書いたように、今年はコロナ禍ということもあって私は北海道と沖縄で調査していたのです。

    で、沖縄における調査対象がまさにこの藪地洞窟遺跡だったのです!(・∀・)つ

    ということで、せっかくなので本記事を含めて数回にわたり、沖縄の考古学について自分の興味ある(知ってる)範囲で、自己の研究成果も含めて紹介していこうかなと思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    まぁ私の国内調査は土器の産地同定に関する理化学的研究ですし、私の専門はあくまでもマヤ考古学で、特にティカル遺跡周辺域がフィールドですので、あんまり知識ないのは勘弁してください( ・Д・)

    ちなみに調査や論文については日本考古学の方との共同研究体制にあるので何とかなってるのですよ( -д-)ノ←責任全ぶん投げ


    arukemaya1664

    arukemaya1665


    ちょっと見づらい図の出し方になってしまいました。

    画質はそこまで悪くないと思うので、スマホで読んでる方は必要に応じて拡大してみてください( -д-)ノ




    うるま市は沖縄県の右側、南から3分の1くらいの位置にあります(上図の赤丸部)。

    2枚目は藪地洞窟遺跡の位置を中心に、「うるま市」の表記が入るように調整した図です。

    小さいですけど赤線が3本あって、左右の赤線部には「うるま市」の表記があります。

    真ん中の赤線部が「藪地洞窟遺跡」です。




    うるま市は南東方向に半島状に突き出した地形を有しており、半島の先端部の北側に沿う形で「藪地島」があります。

    島の中は橋を渡ったすぐ先までしか舗装道路がありません。

    土地はうるま市に住む人々が有しており、畑があったり、未舗装道路の維持のために樹々の伐採が行われていたりと少し人がいます。

    しかし基本的には藪地島は無人島で誰も住んでいません。




    伝承によれば、昔藪地島で大火があり、島の住民がうるま市本島側に逃げてきたそうで、そのまま帰ることはなかったそうです。

    ちなみにその子孫と思われる人たちが藪地島の土地の法的所有権を有しています。

    ……なんか、、、「祟りじゃ~!」みたいなもう少し面白い話だった気がしますが、来年の調査時に再度聴いてメモってきますね( -д-)ノ



    arukemaya1663
    ↑人骨が見つかった藪地洞窟遺跡(再掲)




    上に挙げた写真が藪地洞窟遺跡で見つかった人骨です。

    見出しで縄文時代最古と書きましたが、これは沖縄県での話です。

    沖縄の貝塚時代(縄文時代早期~グスク時代;およそ11000年前から11~12世紀頃まで)において最古の事例なのです。




    日本の本州などにおける貝塚は縄文時代早期~中期(11000年前~4700年前)に見られるのでかなり違いがありますね。

    まぁ本土と比べれば周りを海に囲まれている上にサイズ的に小さいわけですから、より海産資源に頼った文化が続いたことは当然かも知れません。




    沖縄本島では早期(およそ11000~7200年年前)相当の土器が見つかっていて、この藪地洞窟遺跡では約9000年前の爪形文土器が出土しています。

    この人骨はその爪形文土器と共に見つかったことから、約1万年~9000年前のものと推定されています。

    これまでの貝塚時代相当の最古の事例は、名護市大堂原(うふどうばる)貝塚で発見された約7千年前の人骨であったので、新記録として2000~3000年も遡ることになった大発見なのです(*・ω・)ノ



    arukemaya1667
    ↑石灰岩の洞窟を利用して生活していた模様(credit: あるけまや)


    arukemaya1666
    ↑片っ端から色々試したけどやはりソーキそばが旨い気がする(・∀・)つ(credit: あるけまや)


    おわりに ~古い土器や骨がたくさん残るのは何故?~

    最後にご飯の写真も挙げましたが、その前にうるま市市役所の中で撮影した展示パネルを紹介したいと思います。

    これまでにも「最古シリーズ」とか「今でも食べれるよ?シリーズ」とかやってきましたけど、当記事を継続的に読んでいると『考古資料は特定の条件下で良好に保存される』ことが分かると思います。

    多くの場合、めっちゃ乾燥してるか、水辺で常に水分が供給されて空気が抜かれている状況かっていうケースです。

    一方で今回のような「洞窟」は比較的残りが良く、最古の土器の事例も世界的に見て「洞窟」での発見が非常に多いのです。




    更に藪地洞窟遺跡の洞窟は、単なる洞窟ではなく『石灰岩質』の洞窟です。

    日本は酸性土壌なので通常骨が溶けてしまいますが、雨をよく通す石灰岩が浸食されて土壌にアルカリ性をもたらすため、人骨などの残りがより良い環境なのです。



    ちなみにマヤ文明は巨大な石灰岩台地上に立地するけども、骨はあまり残りません。

    ……何故?


    微生物がめっちゃ張り切っちゃうから!( ・Д・)



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