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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:最古

2020ねん 11がつ 21にち(どよーび、雨)

ふっか~つ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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↑イタリア北部に位置するってことが分かる図(「イタリア政府観光局」のページ内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは人類最古の地図って知ってる!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイタリア、ヴァルカモニカです。

ヴァルというのが「谷」を意味します。

しかし文法上は接頭辞なので、区切らずに一つの単語として扱うそうです(ヴァル・カモニカとはならないという意味)。

日本では「カモニカ渓谷」と表記されることの方が一般的なようですね( -д-)ノ


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カモニカ渓谷はモンテ・フレロネなどの高い山々に囲まれた中、南側に位置するイゼーオ湖に向かって流れるオリオ川によって形成された渓谷です。

このカモニカ渓谷には「ヴァルカモニカの岩絵群」と呼ばれるものがあります。

イタリアで最初の世界遺産として1979年に登録されました。

ヴァルカモニカの岩絵群と呼ばれる特定の場所があるわけではなく、カモニカ渓谷内に点在する国立公園の中で様々な岩絵が見られ、それらをまとめて岩絵群としています。

有名なところではナクアネ岩壁彫刻国立公園、セラディーナ-ペドリーナ公園、チェート岩壁彫刻国立公園、チンベルト岩壁彫刻国立公園、パスパルド岩壁彫刻国立公園を始めとして色々な公園があります。


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↑これが世界最古の地図!(「星埜 ????(発表年不明)」より画像を転載)

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↑全体はこんな感じの刻線文になっている(「??? 2016(発表者不明)」の画像より転載)




さて、今回紹介する世界最古の地図が『ペドリーナ図』です。

カモニカ渓谷の岩絵群のひとつなので、単純に「カモニカ地図」として日本では広まっているようです。

しかし先に紹介したようにカモニカ渓谷内には多数の国立公園があり、この岩絵地図はその内の一つで見られるものです。

それがセラディーナ-ペドリーナ公園です。

恐らく距離が近い二つの公園がまとまって、このセラディーナ-ペドリーナ公園となっているのだと思いますが、正確には二つに分かれるようです。

ペドリーナ公園の方は実は「国立」と付いていないだけあって、正確には私有地だそうです。

このペドリーナ公園にある岩絵地図なので、現地では人類最古の地図「ペドリーナ図」として知られていますヾ(´ω`=´ω`)ノ

「カモニカ渓谷の岩絵群」は約1万年前から紀元前後のローマ帝国期に至る約8000年の間に人類によって描かれた様々な線刻画が見られます。

モチーフは農耕、航海、戦争と様々なものが計14万点も描かれており、それぞれの文化の様子を知る上での重要な資料となっています。

この人類が描いた最古の地図「ペドリーナ図」はBCE1500年、つまり今からおよそ3500年前に描かれたもので、当時の集落の様子を描写しています。

良く見ると、人の形や、家畜などの動物のモチーフ、家屋のモチーフが見られますね。

下に挙げる別の岩絵にも家屋が見られるのですが、当時のこの辺りの家屋は高床式倉庫みたいに背の高いものだったのでしょうか、気になります。

家屋に梯子が付いていて、屋根裏に人が入っている様子も描かれています。

それにしても全体としてかなり大きい集落ですし、行き交う道も複雑で、かなり正確に描かれた地図のように伺えます(。・ω・)ノ゙




おわりに

数日、不可思議な腹痛(?)で伏せておりましたが、その間に「社会経済物理学」とか「都市地理学」の勉強を軽くやっていた時に、この世界最古の地図について偶然知りました。

地図というと、私のイメージではバビロニアの粘土板に描かれた地図が思い浮かぶのですが、そちらはBCE600年なのでペドリーナ図の方が古いですね。

まぁ世界地図としてはバビロニアが最古なのか……

続けて、バビロニアを扱ってもいいかも知れませんね(*^・ェ・)ノ

そう言えばマヤで地図って知らないな、焼かれたか!?( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 10にち(かよーび、晴れ)

次の休み、カモン!( ・Д・)


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↑川の右側の発掘区がトレンゼ遺跡(「DW」の記事内画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは「トレンゼ・バトルフィールドで新たな発見と共に新たな謎が生まれたよ!ー後編ー( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、ドイツ北部、トレンゼ川のほとりにあるトレンゼ遺跡(トレンゼ・バトルフィールド)の復習をさらっとしましょう。

今からおよそ3200年前の青銅器時代に4000~5000人による大規模な「戦争」があった証拠がトレンゼ・バトルフィールドから見つかっています。

これは最古の戦争の事例であり、これほど昔から大規模な闘争が起きていたことを示す重要な事例でもあります。

前の記事にも書いたように、この争いは「1日で終わった」と考えられていますが、恐らく明確な証拠はないでしょう。

戦闘規模からの類推や、兵糧の存在を示す証拠の不在から、恐らく1日で終わったと推定しているのだと思います。

最古の戦跡なのに、この頃から既に兵糧を準備し、長期の戦闘行為に備えていたとあればそれこそこれまでの歴史の常識がひっくり返されることになります( -д-)ノ

恐らく1日で終わったとは言え、こうした大規模な戦闘(少なくとも2000人 V.S. 2000人)が何故このトレンゼ・バトルフィールドで起きたのでしょうか?

誰が戦ったのでしょうか?

ドイツ北部に住む同一集団内の抗争でしょうか?

ドイツ北部に住む他集団間の抗争でしょうか?

あるいはドイツ北部の地元集団と、他地域の集団との抗争なのでしょうか?

これがトレンゼ・バトルフィールドにおける『大規模戦闘の謎』なのです(*^・ェ・)ノ




さて、トレンゼ・バトルフィールドにおける発掘調査で進展がありました。

調査範囲が拡大することで、どうやら戦いはトレンゼ河の両岸の土手道で始まり、河下へと移動していったと推定されています。

両岸の土手道で戦闘があったのは考古学的に分かるとして、河下へ移動していったと何故考えるのかはよく分かりません( -д-)ノ

もしかすると、河下で上に挙げた写真に見られる『一風変わった』遺物が出土したことに根拠を置いているのかなと思います。

これらの遺物集中は古代の土手道から約300m下流の川床の堆積物から見つかったものです。


合計31点の青銅器で、本来有機物製の入れ物に入っていたものがここに流れ着いて堆積したと推定されています。


こうした証拠から下流へと逃げながら戦闘が続いたと考えているのだと思いますが、上流で死んだ戦士の持ち物が下流へと流されたとも考えられるので、私としてはこれだけでは下流方向へと移動しながら戦闘が続いたとは言えないと思っています。


そもそも考古学は時間を扱うとは言え、「一日で終わった戦闘中の更に細かな時間の変化」なんて捉えることができません。


考古学で扱う時間とは土器などの遺物の変化に着目したもっと長期的な時間なのです(*^・ェ・)ノ



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↑丸いカンカンのような青銅製ケース(「ナショナルジオグラフィック」の記事内画像より転載)



これらの青銅製の遺物はキリ、ノミ、ナイフ, 青銅のくずなどでした。


また上に挙げた写真に見られる円筒形をした青銅製の小さな丸い箱が見つかっています。


この丸い箱はベルトに取り付けられる形になっています。


同じ下流の川底の堆積物の中から人骨も見つかっているそうです。


この人骨が破片なのか全身骨格なのかで、河に流されたのか、下流まで来てここで死んだのかを考える上で大きく変わってくるポイントなのですが、それに関する情報はまだありません( -д-)ノ


他に先に挙げた写真の中に見られる青銅製の筒状の遺物が3点見つかっています。


これは個人的な持ち物を入れる袋か箱の付属品だったと想定されており、同様の品は数百キロ離れたドイツ南部とフランス東部でしか今のところ見つかっておらず、この場所では珍しい出土品だということです。


これはトレンゼ・バトルフィールドで戦った戦士たちの少なくとも一方が遥か遠くの地域からやってきた集団である可能性を示しています。


ただ新たな疑問が生まれます。


戦場へ赴く戦士が何故、キリ、ノミといった工具類や青銅のくずといった加工過程でできる副産物を携行しているのでしょう?


「考古学あるある」であり、且つ、ある意味考古学の限界とも言えるのですが、『よく分からないことは(とりあえず)儀礼行為とする』というものがあります。


トレンゼ遺跡の調査者たちも、恐らくは青銅器時代の戦士たちが儀礼的・呪術的な目的で戦闘とは無関係に思える金属加工用品を携行していたと推定しています。


繰り返しになりますが、トレンゼ・バトルフィールドのようなケースは「SSR」級ですから、今後青銅器時代の類例が見つかるまでは、こうした金属加工用品を戦士が携行することが「普通」なのかそうではないのか未定のままとなるでしょう。


また人骨のDNA分析結果では、ドイツ北部の現地人集団と、南ヨーロッパを含む遠隔地の多様な戦士の集団との戦いであったことを示しており、ドイツ南部やフランス東部でしか出土例のない金属加工用品の出土を根拠とした現地集団と遠隔地集団との戦いという類推を後押ししています。


戦士の歯の同位体分析でも2つの戦闘集団を特定しており、1つはドイツ北部出身の現地人集団、もう1つは多様な中央ヨーロッパ、ボヘミア(ドイツ南東部)などから来たと考えられる集団です。


こうした研究成果は異なる少なくとも2つの集団が交戦したことを示唆しています。


おわりに、ー謎は謎のままー

実は新たな研究成果として、別の人骨のDNAに関する分析では戦士たちがヨーロッパ中部と北部の人々だったと結論付けています。

よくヒトとチンパンジーは2%しかDNAの違いがないなんて言い、なので人類における所謂「人種」なんてものはそれ以下の僅かな違いでしかない、だから「人種差別は不当」なんて論理展開も多々見受けられます。

ということはヨーロッパ内、特にドイツ北部を中心とした「狭い」エリアの中で、かつて住んでいた人々の間のDNAの違いはいかほどなのでしょうか?

少なくともドイツ北部の同一集団内における闘争という解釈は非常に弱まっていますが、現地人集団 V.S. 他地域集団の構図が適当にせよ、他地域集団というものが多様な複数地域出身者から成る集団なのか、そしてそれはどれだけ遠隔地なのかという点については現在も謎のままなのです。

今や、人骨に対する形質人類学的分析や、理化学的なDNA分析や歯の分析は、考古学における学際的研究として不可欠なものとなっています。

しかし地道な考古学調査も重要なわけで、やはりトレンゼ・バトルフィールドにおける調査範囲の更なる拡大によってデータを収集すること、トレンゼ・バトルフィールド周辺の「集団が居住したと考えられる拠点」の発見などがこの謎を解く上での鍵となることは間違いないでしょう。

一方で今ある状況証拠だけでも色々と考えることができると思います。

我々考古学者は「鑑識」として働きますので、皆さんも「考古学探偵」としてこの考古学ミステリーに挑戦してみてはいかがでしょうか?

(名探偵コ〇ン!)


真実はいつも土の中!( ・Д・)



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2020ねん 11がつ 9にち(げつよーび、雷を伴う暴風+霰)

今日は論考一気に書き終える日( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「人類史上とても重要な発見、最古の大戦場跡が見つかったよ!ー前編ー( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


戦争は「行為」であって、土器や石器のように「道具」として残るわけではないので、その痕跡はなかなか発見されにくいものです。

そのため、人類史研究において「戦争」は重要な研究対象なのですが、その残りにくさから扱いにくいテーマでもあります。

遺体は野ざらしになる傾向が強いですから、丁寧に埋葬された場合と違って腐敗が進んで朽ちてしまいますし、戦死者が埋葬されてしまうと普通の埋葬墓との区別が付かなくなってしまいます( -д-)ノ

火事場泥棒的に、戦死者の武具などが回収されてしまう場合もありますし、どうしても戦争はその性格から考古学では取り扱いにくいものなのですヽ(TдT)ノ

そういうこともあって、今回紹介する古戦場跡はその発見自体がレアな大発見なわけですが、それだけではなく欧州最古の事例&青銅器時代に大規模な戦争の痕跡という点で重要な発見なのですヾ(´ω`=´ω`)ノ





発見の舞台はドイツ北部のトレンゼ遺跡です。

上の1枚目に挙げた写真で見られるように、河のほとりにある遺跡です。

河から供給される水分が遺物や人骨の良好な保存状態を保ち、今回の大発見に繋がったと言えるでしょう。

ここではBCE1200年頃に河岸で戦って死んだと考えられる1万2000点もの人骨や武器類が見つかっています。

上の2枚目の写真に見られるように、かなりの量の人骨が集中しており、この写真の地点では12㎡の範囲から20個体分の頭蓋骨を含む1478点もの人骨が出土しました。

人骨が集中して見つかっただけでは「戦争」があったことにはならず、乱雑に配置された合葬事例や共同墓地ということも考えられます。

この事例の場合では多数の武器だけではなく、明白な状況証拠が揃っていたため、見つかった多量の人骨は戦死者と考えられたのです。

その証拠を見ていきましょう。






これらが武器を伴う人骨よりも直接的証拠として扱われた例になります。

最初の写真では、見事なフリント製の石鏃が上腕骨に突き刺さっています。

2枚目の写真では、保存状態の良い頭蓋骨の頭頂部付近に、不自然な陥没が見られます。

これは棍棒などによる強い打撃で頭を割られたことに起因する痕跡だと推定されています。

3枚目の写真では、石鏃が頭蓋骨を貫通して脳まで到達している状態を示しています。

これに加えて発見された1万2000点もの人骨が少なくとも140人分であるとの個体数を推定する結果が出たこと、この140人のほどんどが20~30代の上記のような外傷以外で病気などの見られない健康な「男性」であったことがトレンゼ遺跡がバトルフィールドである根拠になっています(*・ω・)ノ






おわりに、ートレンゼ・バトルフィールドの謎(前編)ー

さて、最後に挙げた写真と図は「Science」誌に載ったものです。

上の写真のような出土品が多数見られ、これらが「青銅器時代の戦士」の携行品と考えられています。

こうした携行品や他に出土した武器類から推定されたのが下の図の「青銅器時代の戦士」です。

勇ましく描かれていますねヾ(´ω`=´ω`)ノ

さて、人類史は戦いの歴史であり、特にヨーロッパ史は常に戦争ばかりなわけですが、20世紀までは青銅器時代のヨーロッパは比較的平和な社会だと考えられていました。

より古い時代にヨーロッパで大規模な戦いがあったという歴史記述が、ギリシャやエジプトなどに残されていましたが、最初に述べた「戦争」の痕跡は発見されにくいため、これまでトレンゼ・バトルフィールド級の古戦場の遺跡は見つかっていなかったのです。

これまでにも青銅器時代の武器は出土していましたが、埋葬遺構における副葬品や、儀礼に伴う埋納品としての出土しかなかったのです。

トレンゼ・バトルフィールドの特徴は考古学的に認められる最古の事例というだけではなく、最大規模の戦闘行為の痕跡が残る事例だということです。

調査範囲からは140人分の人骨が出ましたが、遺跡全体の10%ほどを調査したと考えられることから、全体の死者数は1400人程度になる見込みです。

戦争は生き残りをかけたバトルロワイアルではありませんので、実際に戦争に参加したのはその2~3倍程度、4000~5000人ではないかと推定されています。

戦闘自体はおそらく1日で終わったと考えられていますが、この規模の戦闘行為は青銅器時代ではこれまでに見られない圧倒的なものなのです。

ここで問題なのは、何故トレンゼ遺跡で大規模な戦闘が起こったのかということです。


欧州各地から来た他集団同士が争ったのか、トレンゼ地方の同一集団における内紛だったのか・・・・・・


誰が、何故この地で戦ったのかは現在も謎のままなのです。


どう思いますか?ー後編へ続くー( ・Д・)



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2020ねん 10がつ 30にち(きんよーび、曇り)

一年半前の記事が下書きのまま発掘されました( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「土器の研究から、日本のGの起源が中国である可能性が分かったよ!」ってことです!


*本記事ではすべてのGをGと表記する方向でいきますね( -д-)ノ


この研究は熊本大学の小畑弘己教授によるもので、土器表面に対するレプリカ法(圧痕法)を用いたものです。


より正確には「土器圧痕のレプリカ法」と言います。


土器の器面(表面)に何らかの要因で押し付けられた痕跡(圧痕)に対して、シリコンを流して型を取った標本(レプリカ)を電子顕微鏡等で観察して分析する手法のことです。





対象となった資料は宮崎県、宮崎市田野町の本野原遺跡(もとのばるいせき)で出土したものです。

この本野原遺跡は縄文時代後期の遺跡であり、西日本において最大級の集落跡が発見されています。


この遺跡から出土した約4300年前の土器と約4000年前の土器の器面からGの卵の痕跡が見つかったわけです。


本記事内で述べている検出されたGの「卵」というのは実際には「卵鞘(らんしょう)」と呼ばれるもので10~11mm程度のサイズだそうです。

この「卵鞘」の中に複数の卵が入っている構造なのです。

そのため「卵のさや」と書くのですね。しかし記事内では分かり易く、「卵」と表記します( -д-)ノ




今回検出されたGの卵は、中国南部が原産とされるクロGの卵と形態的に強い類似性を示しているということが分かりました。


クロGとは屋内に生息する種のGとして代表的なものです。

ちなみにこの屋内GであるクロGが縄文時代の遺跡から確認されたのは初めての事例のようです。


つまり今回の発見によって縄文時代の家屋の中にもGがいたことになります。

どうやら我々と”G”との戦いの歴史はとても長いようですね( ・Д・)



おわりにかえて、誰得? ”G”の歴史


現在の日本には、野生を含めると約50種類のGが生息するそうです。

そんなにいるのですねΣ(・ω・ノ)ノ

北海道産の私としてはほぼ海外でしか見ないのですが( ・Д・)


その50種類のGの中でも家屋内に住む種類はヤマトG、クロG、チャバネG、トビイロGなど10種類いるそうです。

ほんとそんなにいるのですね(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?


こうした日本の屋内Gは、在来種のヤマトGとクロGの他は全て、原産地がアフリカだと考えられているそうです。


平安時代の文献にヤマトGとみられるものが記載されているのがこれまでの初出で、今回の発見でヤマトGがクロGと酷似する可能性が指摘されたわけです。

クロGは中国南部が起源の外来種とされており、今回の土器の証拠から約4300年以前に大陸から日本に渡来したか、あるいは実は外来種ではなく、日本在来種である可能性も考えられるようです。


こうして考古学ではGの起源にまで迫れるのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



……ところで、個人的にGというとモンハンしか出てこないんですけども、

まぁ少なくとも、、、

Gはモンスター!( ・Д・)

↓”G”が嫌いなひと~?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2020ねん 10がつ 27にち(かよーび、晴れ)

「昨日」って打ったら「帰納」と出てきた、、、働き過ぎか( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「またエジプトか!?最古のチーズと最古の感染症が発見されたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



さて、舞台はエジプト、古代都市メンフィスです。

ここで紀元前13世紀のお墓が見つかりました。

被葬者はプタメス(Ptahmes)という名の高官です。


彼の墓は最初1885年に見つかっていたのですが、その後、砂嵐によって砂に埋もれて行方が分からなくなってしまい、2010年に再発見されたのだそうですΣ(・ω・ノ)ノ

砂に埋まるなんて映画「ハムナプトラ」みたいな話ですね( ・Д・)




さて、彼は高官ですから墓には副葬品があったわけですが、その内の一つに上に挙げたような土器が見つかりました。

中には何やら「白っぽい塊」が詰まっています。

副葬品であること、そしてその配置から、考古学者らによって発見当初より「食べ物」の可能性があると指摘されていました。

この謎の白い物体を理化学分析によって成分を判定したところ、チーズであることが分かったのです。

しかもどうやら現代の「シェーブルチーズ」に似ているそうです(*・ω・)ノ



シェーブルとはフランス語で「山羊(ヤギ)」を意味します。

こうした山羊乳を用いたチーズ作りは、私たちにとってより一般的な牛乳を用いたチーズより古いものです。

どうやら山羊乳特有の癖のある風味を有しているようです( ・Д・)



古代のチーズは地位の高い裕福な人物が食していたようです。

シェーブルチーズは水分を多く含んでいるために、日持ちせずすぐ腐ってしまうそうですが、これまでにも貴人の墓の副葬品として何例か確認されているそうです。

今回のこの事例では約3200年前の事例なので最古級のチーズの事例となります。






実は複数ある古代のチーズっぽい事例で、紀元前7000年、つまり今から9000年も前のものが確認されているそうです。

紀元前7000年というと古代エジプトで定住が開始された頃でしょうか……

ただしこの事例では土器内面の残滓から脂質残滓、脂肪残滓を抽出できたことに由来する発見であり、チーズなのかヨーグルトなのかよく分からないそうです。

また実際にその二つの区別はかなり難しいようですね( -д-)ノ


他にも紀元前3200年、今から5200年も遡る、古代のチーズではないかと疑われる物質が古代エジプトの瓶から発見された事例もあるそうです。

こちらも本当にチーズかどうかは不明ですが(*^・ェ・)ノ



さて、今回紹介している3200年前の古代チーズは、これまでに発見された中で最も古いものではない可能性もあるのですが、実は別の理由で際立っています。

成分分析の中で、何百ものペプチド、つまりアミノ酸の鎖が発見されたのです。

そのほとんどは人間の皮膚や唾液に由来する一種の汚染であしたが、少なくとも9つのペプチドは牛や卵の乳に関連していることが分かりました。

その分析の結果、ブルセラ症の原因となる細菌の証拠を発見したのです。



これは現在でも存在する発熱、頭痛、筋肉痛などの症状が再発したり、その症状が全く治まらなかったりする人獣共通感染症です。

別名は「マルタ熱」で、1887年のクリミア戦争時にイギリス軍の軍医・デイビッド・ブルース (Sir David Bruce) に発見されました。


このブルセラ属菌は敵国の兵士や住民に罹患させて能力を低下させる生物兵器としても研究・培養された歴史を有しており、アメリカは1942年、ソ連は1978年に兵器化を実現したのです。

ちなみに日本では1970年代までにほぼ撲滅されました。


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↑エジプトっぽい画像を貼ってみた、特に意味はない(・∀・)つ


おわりに

コロナウィルスの登場により、感染症と聞くと思わず反応してしまいますよね。

コロナウィルスも中国が手を加えた生物兵器ではないか、なんて噂もチラホラと聞きましたが、どうなんでしょうね( -д-)ノ


生物兵器の開発・使用は国際法で禁止されています。

でもそれくらい非人道的であり、大量の死を招くものなのです。

コロナウィルスやインフルエンザですら多数亡くなってますからねヽ(TдT)ノ


核兵器より恐ろしいかもね!( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 22にち(もくよーび、晴れ)

亀の歩みでも研究を進めるのだ(*^・ェ・)ノ


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今回は「おにぎりだって残るよ!🍙最古のおにぎりとお弁当箱の事例を紹介するよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


これまでにも「食べ物の考古学」を紹介してきました。

「まだ食べれるよ?」シリーズもあったように、食べ物って残る時は、しっかりと残るものです。

今回紹介するおにぎりは炭化して残った物なので、残念ながらまだ食べれる感じはしません( -д-)ノ

さて、ひとまずどんどん紹介していきますね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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↑最古のちまき(「古代米販売」の画像より転載;現在ページは存在しない)



さて、これが炭化して見つかった「おにぎり状のもの」としては最古の事例になります。

出土したのは、石川県の杉谷チャノバタケ遺跡です。

約2000年前の弥生時代中期に帰属する竪穴住居跡から見つかったものです。


縄文農耕論もありますけど、やはり弥生時代に農耕へと生業活動の中心がシフトしていきました。

それでも恐らくこの時期に「おにぎり状の何か」は貴重なものだったようです。


上の写真だと二等辺三角形みたいに見えますけど、実際には円錐形をしており、山を崇拝していたからこの形状なのだとする説があります。


この「おにぎり状の何か」は研究の結果、炊かれて握られたものというより、おそらく蒸された後に焼かれたものであり、粽(ちまき)に近いものと考えられています。

なので、この依存体(たぶん植物依存体に分類されると思う( -д-)ノ)は「粽状炭化米塊(ちまきじょう たんかまい かい)であり、おにぎりじゃないのです。


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↑こー見えて、もみ殻付きなのです(*・ω・)ノ(「青谷上寺地遺跡展示館」の画像より転載;現在ページが存在しない)


こちらも弥生時代中期に相当する依存体です。

出土したのは鳥取県、青谷上寺地遺跡です。

まとまってるのでおにぎりっぽいですけど、顕微鏡観察すると籾殻(もみがら)が付いていることが分かりました。

なのでこれもおにぎりではなく、籾殻付きのまま炭化した炭化米なのです(*・ω・)ノ


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こちらは神奈川県、北金目塚越遺跡で検出された依存体です。

弥生時代後期後半に帰属する竪穴住居から見つかったもので、1700年前のものです。


めっちゃおにぎりっぽいんですけど、これも違います(゚ロ゚;)エェッ!?

実はこの遺物の表面についた籠の痕跡の形状から、握らず籠に入れただけの飯(調理済みの米)の塊が炭化したものと考えられています。


ちなみに同じ神奈川県の大久保遺跡では1軒の住居から総量5341.2 g(6 升2 合5.3 勺)もの炭化米が出土しているそうです(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?


5kgの米ってスーパーで買えるアレくらいですよ!( ・Д・)

凄いですよね、めちゃ貯めこんでる家だったのでしょうかね……


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こちらは有名な奈良県、唐古・鍵遺跡で出土したものです。

弥生時代前期相当なので、約2400年前と、これまで紹介した中で最古の事例になります。


写真中の「1」が穂束です。

物凄い良好な残り方してますよねΣ(・ω・ノ)ノ

「3」が炭化籾です。

そして「2」が……籾殻付き炭化米です。


はい、またおにぎりじゃないのです(゚∇゚ ;)エッ!?



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ようやくですが、これが正真正銘、『最古のおにぎり』ですヾ(´ω`=´ω`)ノ🍙

出土したのは神奈川県横浜市の北川表の上遺跡です。



写真中にも見られるように、帰属時期は古墳時代後期(約1500-1400年前)です。

これも竪穴式住居跡から見つかったもので最大長約15cmという大きな炭化米の塊8個が弁当箱に収められた形で出土しました。


左側に展示されているのが弁当箱の復元したものと、その中にあったおにぎりの状態を示したレプリカです。


さて、何故これまでの「おにぎり状の何か」はおにぎりではなくて、これはおにぎりなのでしょうか?

ここらが考古学らしいところだと思います(*・ω・)ノ



考古学では対象物をしっかりと定義します。

この場合、「おにぎりとは何か?」です。

別に哲学じゃないですよ( -д-)ノ

何を以っておにぎりと言えるかを考えるわけです。



つまりおにぎりとは、籾殻を除去し、ご飯として炊き上げ、その後握ったものなのです。

最初の事例では米粒の形状が潰れていたが、粥ほどではなく、かつ三角形状が作られていたので「ちまき」と判定されました。

他の事例は籾殻が付いていたので「精米前の米塊」ということになります。


おにぎりは包みや弁当箱に入っていた可能性が高いですし、この資料はその点では基準を満たしています。


更に確認としてこの遺物はCTスキャンで解析され、『表面が緻密な状態で中はふっくらである』ことが確認されたのです(・∀・)つ




おわりに ~おにぎりの歴史~

その後のおにぎりの歴史はというと、

奈良時代の『常陸国風土記』における「握飯(にぎりいい)」の記述が最初のようです。

平安時代には貴族が宴の際、蒸したもち米を握り固めた「屯食(とんじき)」と呼ばれるものを従者に振る舞ったとの記録があります。

また、防人など兵士が携帯したとされ、やはりお弁当の基本はおにぎりだったようです。

鎌倉時代初期の1221年に起きた承久の乱では、鎌倉幕府側の武士に兵糧として梅干入りのおにぎりが配られたそうで、日本人としては基本の梅干しおにぎりの起源はここにあるのです(*^・ェ・)ノ


江戸時代には海苔の養殖が始まったこともあり、海苔でおにぎりに巻くようになりました。

これで私たちの知っている「普通のおにぎり🍙←コレ」の完成なわけですが、白米は江戸時代前期では貴重なものでした。



庶民におにぎりが普及するのは八代将軍・徳川吉宗の頃で、花見の際のお弁当箱(重箱)にもぎっちり詰められています。

ちなみに花見の庶民化もこの頃ですヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ





↑結構人気の食べれるシリーズ、記事内にビールのリンクもあります(*・ω・)ノ



……まだ「食べれるよ?」シリーズとか「古代のビール」シリーズとか、

どうやら私、食べ物関係の資料が好きみたいです(*^・ェ・)ノ

書いてて楽しいし、純粋にこんなに残るんだ!ってなるし、、、




あ、そうだ、

江戸時代に何故、おにぎりを海苔で巻くようになったかは不明だそうですが、、、



ノリでしょうね!( ・Д・)ウマイ!💖🍙

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2020ねん 10がつ 14にち(すいよーび、晴れ)

YouTube頑張るから観てね!( ・Д・)


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↑サウナ遺構の発掘中の様子(「カラパイア」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「古代マヤ人は日本人よりずっと前からサウナ使ってたんだよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



さて、サウナの発祥の地はフィンランドとされていて少なくとも1000年以上の歴史があるそうです。


現在でもフィンランドの多くの家庭にサウナがあり、総数は約550万人の人口に対して約300万基とするデータがあるそうですΣ(・ω・ノ)ノ



サウナの文化は古代ローマ帝国のテピダリウム(微湿浴室)とラコニクム(発汗室)、オスマン帝国などイスラム教圏のハマム、ロシアのバーニャ、メキシコのテメスカル、朝鮮半島の汗蒸(ハンジュン)などと多数確認されています。

本当にフィンランドが発祥なのかも正直怪しいのですが、どのように拡散したのかについては全く分かっていないようですね( ・Д・)



ところで、サウナと言えば、今や日本では一般化してますよね?


温泉施設に併設されていることが多いと思います。


ちなみに日本でサウナが普及したのは1964年の東京オリンピック後とされているので、比較的新しいのです(*^・ェ・)ノ




さて、フィンランドで1000年以上って言ってますが、古代マヤ文明ではもっと古いのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



中米のマヤ遺跡を訪れたことがある人で、マニアックな巡り方、散策の仕方をしている人は、様々な遺跡でサウナ遺構を目にしていると思います。


何せ、古典期(CE250-1000)のサウナ遺構は遺跡にもよりますが、凝灰岩や砂岩で作られているため、現在でもけっこう残っているものなのです(*・ω・)ノ


この古典期の時点で、マヤ文明のサウナは1500~1800年前のものですから、とっても古いのです(・∀・)つ



今回紹介するのは、そんな古代マヤ文明における最古のサウナの事例ですヾ(´ω`=´ω`)ノ



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↑これが最古のサウナ!(「GIZMODE」の記事内画像より転載)



古代マヤ文明における最古のサウナの発見は、グアテマラ北部のナクム遺跡でのものです。


このナクムはペテン県に位置していて、ティカル国立公園の比較的近くにあります。


ティカルに行く時は必ずフローレス市を拠点としますが、ナクムへもここから行くことができます。


正式名称は「ヤシャ - ナクム - ナランホ国立公園」といって3つの遺跡から成る大きな公園です。


雨季に行くと悪路過ぎて間違いなく車両が立ち往生するので、乾季を狙っていきましょう( -д-)ノ





さて、このナクム遺跡で発見されたのは何と2500年前のサウナです。


先ほど書いたように、古典期におけるサウナは切り石で作られています。


一方でこの2500年前のサウナは先古典期中期(BCE1000-350)に属するもので、マヤだけではなくメソアメリカ最古の事例です。


なので切り石は用いられていません。




上の写真で見られるように全体が白いですよね?


これは恐らく、地下の石灰岩層を整形して作った構造物だと思います(*・ω・)ノ



グアテマラ、ペテン県は亜熱帯雨林に覆われており、高温多湿で微生物の活動が非常に活発です。

そのため土壌が発達せず、地表面から20~30cm掘るだけで、母岩である石灰岩層に到達することも多々あります。

なので地上に露出した石灰岩だけではなく、当時の人々にとってこういった地下の石灰岩を利用することも難しくはなかったのです(*・ω・)ノ


このサウナはその後、意図的に埋められていたため、非常によい保存状態を保っていました。


この埋め土から出土した遺物の時期判定から、このサウナは紀元前700年頃から紀元前300年頃まで使用されていたと推定されています(*^・ェ・)ノ




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↑最古のサウナの復元図!(「GIZMODE」の記事内画像より転載)



おわりに

今回紹介した事例では最大で2700年前にサウナが使用されていたということが分かりました。

時を経て、現代日本ではスーパー銭湯のような温泉施設で誰もがサウナを利用することが出来ます。


しかし古代マヤ文明の場合は王族・貴族のみがサウナを使用できたと考えられています。

サウナを使用するというのは一種の儀礼行為であり、重要な儀礼の前に身を清める効果があったようです。


汗を流してデトックスってことか!( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 12にち(げつよーび、晴れ)

ひとつ峠を越えたが、年内まだまだ山あり谷ありだ( ・Д・)


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↑ダチョウの卵たちに囲まれた問題の品(*^・ェ・)ノ(「NOIZMOON」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「コロンブスのアメリカ大陸到達直後に作られた地球儀があるらしいよ!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


クリストファー・コロンブスと言えば、1492年にアメリカ大陸を「発見」したとして有名な人物です。

これは白人視点ですので、正確にはアメリカ大陸の先住民やその文化との「遭遇」と言えるでしょう。

現在ではコロンブス以前にヴァイキングがアメリカ大陸に到達しており、「ヴィンランド」と呼んでいたことが分かっています。

……このお話はまた別の機会に( -д-)ノ




他にもコロンブス以前に古代ポリネシア人が南米に到達していたとする説も出ています。


彼自身コンキスタドール(征服者)なのですが、コロンブスのアメリカ到達により、先住民人口が3分の1まで縮小しました。

こうして近年は判的評価を受けることが多いコロンブスですが、今回の地球儀の作成の件では彼の新大陸への到達時点である1492年が一つの重要な指標になります。



arukemaya1022

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これが問題のダチョウの卵です。

見つかったのは2013年なので、比較的最近ですね!( ・Д・)


卵の殻を利用して作られています。

ダチョウの卵を半分に切断して、比較的真球に近い形態を有する下半分を2つ組み合わせて作られているのです。


表面はエッチングという化学薬品などの腐食作用を利用した塑形ないし表面加工の技法を用いて世界地図が描かれています。


分析では卵の殻の老朽過程でカルシウム密度の約50%を失っていたことから1504年に作られたと結論付けられているそうです。



そして問題は3枚目の画像です。

アメリカ大陸が描かれているのですΣ(・ω・ノ)ノ


南米は描かれているのですが、北米はありません。

1504年ってコロンブスの到達直後ですし、どういうことなのでしょうか?(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?





ハント・レノックス地球儀

こちらはハント・レノックス地球儀と呼ばれるものです。

1855年に建築家のリチャード・モリス・ハントによってパリで購入され、彼はこの地球儀をジェームズ・レノックスに贈りました。

そしてレノックスのコレクションは現在ニューヨーク公共図書館の所蔵品となっています。

この両名の名前を取って、「ハント・レノックス地球儀」なのです。



この地球儀は直径112mmの銅製で1504~1506年に作られたと推定されています。

1504年と言われているダチョウの卵の地図が見つかるまで最古の世界地図を表現した作品だったのです(*・ω・)ノ

そしてこのハント・レノックス地球儀にもアメリカ大陸が描かれているのです……





ちょっと考えてみた( ・Д・)

以上の2つの遺物はオーパーツ的に紹介されている記事が多いので、そういうものかと思いきや、、、

どちらもまがい物じゃないようです!( ・Д・)



でもなんか引っかかる……

ダチョウの卵のアメリカ大陸と、ハント・レノックス地球儀のアメリカ大陸を比べてみましょう!



ダチョウの卵の南アメリカ大陸しか描かれていない地図

左側の南アメリカ大陸しか描かれていない地図(ハント・レノックス地球儀のもの)


どちらも同じ地図でない?( ・Д・)




こうして見てみると、南アメリカ大陸は角度がおかしいけども良く描けてますよね。

分かりにくいけど、ドミニカ、ハイチ、もしかするとキューバまで描かれているかも知れませんね。

パナマの細さが上手く描けてないので、不明瞭ですが、中米は少なくともホンジュラスまで書かれていそうな気がします。

南アメリカ大陸の上に書かれた2つの島の左側がキューバならば、ユカタン半島までぎりぎり描かれていそうです。



コロンブスはハイチ、ドミニカの東に位置するサン・サルバドル島に最初に到着し、次にキューバ、そして現在のハイチ、ドミニカのあるイスパニョーラ島を発見しています。

その後ベネズエラに上陸していますし、正確には「南米大陸の発見者」と言えます。

まぁアメリゴ・ヴェスプッチの名前に負けていますけども( ・Д・)



コロンブスは殺戮・強姦・拷問など非道の極みを地で行きましたが、あっという間に1506年にはスペインで病死しています。

仮に本当にダチョウの卵やハント・レノックス地球儀が1504年の製作だったとして、彼の作ったであろう地図が基になっている可能性が高いですね。



何せ、コロンブスは「新大陸発見」の前に、航海士・地図製作者として一定の成功を収めていた人物ですから(*・ω・)ノ

だから2つの地図には彼の知らない北アメリカ大陸が描かれていないのでしょう(*・ω・)ノ



まぁそれにしても南米全体を描くには時期的に早過ぎますが、一部不正確な部分もありますし、黄金のありかを求めて拷問を行う中で地図作成を優先させていた可能性が高いと思います(*・ω・)ノ


やっぱり宝の地図って大事なので!( ・Д・)




↑これ、個人的には好きだし、ロマンあると思うよ!人気出ろ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


おわりに

不思議と言えば、不思議、、、

でも何となく分かりそうな気がしますね(*^・ェ・)ノ


こういった一見、難しそうで、でも解けそうな問題って「在野の歴史研究家」にさくっとクリアされる傾向にあると思います。

いつになるかな?

私自身、続報を楽しみにしています(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


結論:ダチョウの卵はオーパーツじゃ、無さ気!( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 11にち(にちよーび、曇り)

あなたがこれを読んでいる時、私は眠たげに車を飛ばしているだろう!( ・Д・)

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arukemaya1020
↑これが腫瘍の痕跡らしい(*^・ェ・)ノ(「NACIONAL GEOGRAPHIC」の記事内画像より転載;credit: PATRICK RANDOLPH-QUINNEY, UCLAN))



今回の考古学・歴史ニュースは「人類はず~っとガンと闘ってきたらしいよ!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


タイトルには「最古のガンは私たちのの直接の祖先より前」と書きましたが、

「直接の祖先」って何よ?( ・Д・)

って思いますよね。

ここでは私たち現生人類、つまりホモ・サピエンス・サピエンスの発生(約25万年~10万年前以降現在)よりも前って意味で使っています(*・ω・)ノ



現在日本ではガンが国民病となっています。

日本におけるガンの事例の増加に伴いガン研究も大きく進んだのが1930年代頃と言われています。



何故日本ではガンによる死亡例が多いのか?

日本の医療の発展に伴い、ガンの検出事例が増加したことも一因として考えられます。



そう、遥か昔からガンはありましたし、ガンという病気を当時の医療従事者が認識していたことは歴史記録にも残っています。

でも総人口に対するガンの発症率なんて調べていなかったのです。

フィラデルフィアの外科医であったサミュエル・グロスが「がんについて確実にわかっていることは、我々はがんについて何も知らない、ということだけである」と書いたように、世界的にみても19世紀末までガンについてはよく分かっていなかったのです。




ガンは英語で「cancer」ですが、これは「カニ(蟹)」を意味する語です。


「医学の父」として知られるヒポクラテス(紀元前460年 - 紀元前370年)が乳がんの腫瘍が蟹の脚のように広がることから名付けたものが由来となっています。

またガンに関する最古の文献は、紀元前2600年頃に活躍したエジプトの偉大な医師イムホテプによるもので、どんな治療を施してもよくならない「乳房にできた膨らんだ塊」について記録されている。

紀元前の時点でガンを認識していたなんて凄いですよねΣ(・ω・ノ)ノ




今回紹介するのは、もっともっと古いわけです。

上に挙げた2枚の写真が南アフリカのスワートクランズ洞窟で発見された160~180万年前の化石人骨です。

これは原人であるホモ・ハビリスの足指の骨です。

これを分析したところ、骨肉腫の存在が確認されました。

また最古の良性腫瘍の事例は、先ほどのスワートクランズ洞窟から数kmのところにあるマラパ遺跡で出土した198万年前のアウストラロピテクス・セディバの脊椎から発見されています。




ガンの原因としてタバコやアルコールといった生活習慣の一部が指摘されていますが、今回の事例を通して言えることは、


古人類のように簡素な食事をし、汚染されていない環境で暮らしていても、がんになるこ

とはあったということです。


つまり悲しいことに、どのような生活様式を選択しても、がんをなくすことはできないのでしょうヽ(TдT)ノ




↑古いから記述方式も違うけど、医学と考古学が関係する事例のひとつです(*・ω・)ノ



おわりに

上に挙げたように以前にも考古学と医学の関係についてお話した記事があったと思います。

現在はコロナウィルスの話題で世界中持ちきりですが、人類は感染症と闘ってきた歴史もあるわけです。

津波の痕跡から津波被害の歴史だけではなく、地震の発生回数の推定やそこから今後の地震発生予測にも関係していますしね。


考古学は色んな分野に関係してるんだよ!どやっ!( ・Д・)


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2020ねん 10がつ 10にち(どよーび、晴れ)

早速さぼったよ!明日年内最後の調査終わるから暫し待たれよ!( ・Д・)

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arukemaya1017
↑たまごは旨いよね(・∀・)つ(「温泉部」の記事内画像より転載)



今回の考古学・歴史ニュースは「人類は170万年前から温泉に入って、温泉卵食べてたかもよ!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


突然ですが、卵美味しいですよね。

完全栄養食としても名高いですしね(。・ω・)ノ゙

そんな、私たちの食卓には欠かせない卵ですが、私たちが食べているのは「鶏卵」です。



鳥の卵と考えた場合、私たちは一体いつから卵を食べ始めたのでしょうか?

卵の殻って脆い一面もあるのですが、残存しやすい側面もあります。

そのため考古学的証拠から、人類が卵を食べたと思われる最古の事例は500万年前と考えられています。


500万年前というとアルディピテクスの時代です。

アルディピテクスは約580万~440万年前の猿人で、よく教科書で出てくるアウストラロピテクスの前の最古の猿人です。

ひと昔前はアウストラロピテクスが最古だったのですが、1995年に変更になりました(*^・ェ・)ノ



この頃は人類はまだまだアフリカにいましたから、食べていたのはニワトリではなく、ダチョウの卵です。

石でガンガン叩いて割って食べていたと考えられています。


時代は下って、ネアンデルタール人や私たち現生人類と近い関係にあると考えられているデニソワ人は4万9000年前にダチョウの卵の殻を使った装飾品を作っていたことが分かっています。


このように鳥の卵の利用の歴史はとっても古いのですヾ(´ω`=´ω`)ノ




さて、「人類のゆりかご」、つまり人類発祥の地として知られる東アフリカには、人類進化の秘密を探る上で重要な地点があります。

それがオルドヴァイ渓谷です。

ここではアウストラロピテクスやホモ・ハビリスといった化石人骨が多数発見されています。


近年の研究で、上に挙げた写真のように地層の中の砂(鉱物組成)を分析していたところ、170万年のオルドヴァイ渓谷にはかつて温泉があった可能性が高いことが分かりました。

170万年前というと先ほどのホモ・ハビリス(240-140万年前)などの原人の時代に当たります。

この温泉の近くで原人たちが居住していた痕跡が見つかりました。

研究者によれば、偶然温泉に落ちて茹で上がった獣などを食べた可能性が高いと述べているようですが、、、


まぁ証拠はありません( -д-)ノ


なのでタイトルに書いたような、温泉卵や茹で卵を食べていたかも知れませんが、証拠はないのです( -д-)ノ



ちなみに、現生のサルの観察では、1匹のサルが芋を海水で洗って食べたところ、ほどよく塩味が付いて美味しかったため、

群れ全体が学習し、芋を海水で洗うようになったという事例が報告されています。



アフリカは遥か昔において湿潤であった気候が、人類の進化の歴史の中で乾燥気候に変わっていきました。

そのため人類は新しい食料を求めて様々な工夫をし、結果として分化していったという説もあります。


人類の発展は偶然の発見にかなり左右されている点が伺えますし、特に食文化に関しては飢餓の影響によってか様々なチャレンジャーを生み出した結果発展した部分もあると考えられます。

最初にナマコ食べた人とか凄いですよね?Σ(・ω・ノ)ノ

そういった数多のチャレンジャーのおかげで、現代の我々の食文化は非常に豊かになっていると言えると思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


そういう意味では、原人が温泉を利用して温泉卵やゆで卵を食べた可能性は十分にあると思います。

ただ土器の発生(1万6500年前頃)までひどく時間の開きがありますから、仮にそういった慣習が生じていたとしても、温泉の傍を離れて拡散し、やがて出アフリカを成す人類に直接的に引き継がれはしなかったでしょう(*^・ェ・)ノ




おわりに

故意に・慣習的に作る場合、温泉卵はどうかと思いますが、茹で卵あるいは燻製卵だったらけっこう古くからありそうですね。

特に「くんたま」は保存の観点から、その方法と効果にさえ気付けばとても有用です。

まぁもちろん初期人類は保存とか考えずにさっさと食べていたと思いますけども、、、



火の使用は北京原人による50万年前が定説ですからね。

人口がある程度増えないと食料の保存も考えないでしょうし、、、



なんだか食べ物の歴史に面白さを感じ始めたよ!( ・Д・)


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