歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:最古

2019ねん 4がつ 14にち(にちよーび、晴れ)

今日は暖かだった。

自然乾燥させてるので砂が乾いて良い。

何故、砂を集めるのかと聞かれる。

土器製作に際して、粘土に砂などの混和材を混ぜることはあまり知られていないんだなと気付いた今日この頃( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『岡山県で最古級の横穴式石室が見つかったよ!』ってことです!(*・ω・)ノ

実はこれまでにあまり古墳の話は取り上げていないんですよね。

関係ある記事ないのかな~と思い、ふと思い出したのがコレ↓( -д-)ノ


↓考古学の怪談話ってあまりないな~

↑「呪い」の話は多少あるか……まだ墓を当ててないから大丈夫( -д-)ノ


怪談話をするには季節早めですけど、良かったらどうぞ!(。・ω・)ノ゙

あ、こんなのもあったか!


↑あわせてどうぞ!


ということで、今回の発見は岡山県です!

津山市高尾にある桑山2号墳で、県北最古級の横穴式石室が見つかったとのことです。

そもそも横穴式石室を造る風習は4~5世紀に朝鮮半島から九州に伝わったものです。

その後日本全国に広がるのが6世紀以降と考えられています。

今回発見された横穴式石室の帰属時期は6世紀半ばと推定されていますから、一早く外来様式を取り入れた古墳だったと考えられます。

桑山2号墳は津山市南西部に所在する佐良山古墳群の一つで、直径約13mの円墳です。

検出された横穴式石室のサイズは奥行き約2.3m、幅は最大で約1.9mだそうです。

上に挙げた写真からも分かるように天井部と側壁の大半は損壊していたものの、盗掘を受けた痕跡はないそうです。

正方形状を呈する床面には河原石が敷き詰められており、側壁には小型の礫が使用されていました。

こういった構造的特徴は、岡山県の北部において確認されている横穴式石室が造られる最初期のものと同様であることが分かりました。




横穴式石室内からは副葬品として柄頭に装飾が施された環頭大刀(かんとうたち)や馬具一式が出土しました。

上に挙げた写真は副葬品の環頭大刀であり、全長は約80cmだそうです。

全体が錆に覆われているため、今後レントゲン撮影等のスキャン分析によって装飾の有無などを確認するそうです。

今回の発掘は岡山県における国道53号、津山南道路の整備に伴う緊急発掘調査です。

桑山2号墳周辺には他に同1~4号墳があり、残る3基も発掘する予定だそうです。

距離的に恐らく他の古墳も盗掘にあってないでしょうから、豪華な副葬品が出土することを期待できそうです!(・∀・)つ

今回出土した馬具にも金細工が施されていたようですから、資料の公開が待ち遠しいですねヾ(´ω`=´ω`)

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2019ねん 3がつ 26にち(かよーび、曇り)

あ~、やること多い!

油断するとすぐに溜まる!

一個ずつ着実に終わらせていかねば( ・Д・)


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↑若杉山遺跡で見つかった最古の坑道の入り口(「KYODOニュース」の画像より転載)


今回の考古学・歴史ニュースは『徳島県で国内最古の辰砂の採掘坑道が見つかったよ&水銀朱が美しく残る土器片が重要文化財指定になったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

前回ですね、徳島県における「朱」の生産址について紹介しました。



どうも徳島県は日本の「朱」の歴史に関して重要な土地のようですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


さて、今回見つかった坑道は徳島県阿南市に所在する若杉山遺跡です。

上に挙げた写真で分かるように、かなり入り口が狭いです。


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↑坑道の内部もかなり狭い(「産経フォト」の記事内画像より転載)




坑道の内部もかなり狭いです。

坑道の高さが約70~90cmだそうです。

下底部に土砂の堆積が少しありますが、それをよけたとしてもかなり天井が低いです。

奥で3方向に分岐しつつ、それぞれ掘り進められ、奥行きは約13mです。

坑道の内部の岩壁には人為的に掘られた形跡が見られるそうです。

屈んだ姿勢で石材を用いて掘り進んでいったわけですから、かなりの労力だったことでしょう( -д-)ノ


これまでに日本最古とされた坑道は、8世紀頃の奈良時代に始まった山口県美祢市の長登銅山だったとのことです。

今回の若杉山遺跡の坑道内からは石杵や弥生土器片が出土しています。

この土器片が弥生時代の後半、CE1-300頃のものと同定されたため、日本における最古の坑道の事例として少なくとも500年遡ることになったわけです。

徳島県は縄文時代後期より、重要な赤色顔料である水銀朱の生産・交易に関わる土地であったと考えられています。

若杉山は「辰砂」を産出する地点であることから、古い時期にはこの周辺で採取された「辰砂」を、新しい時期には今回の坑道等から採掘された「辰砂」を原料として用いていたのだと思われます。








また徳島県の矢野遺跡から出土した縄文時代後期初頭(約4千年前)のを中心とした土製仮面や土器資料(計160点)が重要文化財に指定されることになりました。

中国・四国地方で縄文時代の遺物が重要文化財指定を受けるのは初めてだそうです。

そして注目して欲しいのはやはり、鮮やかな赤色顔料が残る土器片(3点の土器片の写真の右上)です。

今後、徳島県で、あるいは「朱」の交易先で、見事な赤色に染まった完形土器資料が見つかるといいですね。

小破片でこの美しさ&重要文化財指定ならば、完形資料ならば国宝級でしょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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2019ねん 3がつ 24にち(にちよーび、晴れ)

法事やらなんやらで御朱印もらいに行けなかった。

せっかくの習慣を無くさぬよう、

近日中に時間を見つけて参拝します!(*・ω・)ノ


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↑遺跡の全景、広さが分かる(「読売新聞」の記事内画像より一部加工)


今回の考古学・歴史ニュースは『徳島県、加茂宮ノ前遺跡で約4000年前の水銀朱の一大生産拠点が見つかったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

場所は徳島県、阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡です。

徳島県では他にも「朱」をかけた遺物が多く出土する遺跡や、「辰砂」の採掘址と思われる遺構を有する遺跡が見つかっています。

「朱」というのは「朱色」という表現もあるように、簡単に言うと「赤色」の顔料のことです。

赤色顔料としての朱の原料は主に、辰砂とベンガラです。

辰砂は中国の辰州で多く生産されたことからその名が付けられており、硫化水銀から成る鉱物です。

辰砂からは水銀を精製することができるため、辰砂を原料とした朱を水銀朱(有害)と呼びます。

一方でベンガラは酸化第二鉄を主成分とする顔料(無害)で、色調は鉄の赤錆の色のイメージです。

赤色は「血液の色」であることから、「生命力を表す色」として、古くから世界各地で重宝されてきました。

加茂宮ノ前遺跡は約4000年前の縄文時代後期に帰属する遺跡で、朱の付着した石臼や石杵が300点以上出土し、水銀朱の原料である辰砂原石も大量に出土しました。

そのため古代の祭祀などに使われた赤色顔料である水銀朱を生産した一大拠点であったと考えられています。

日本における朱の生産地としては最古級、最大級であり、朱の関連遺物の出土量も最多の遺跡です。


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最初に挙げた写真で分かるように加茂宮ノ前遺跡はかなり広いです。

その調査面積は約1万平方mに及ぶそうですΣ(・ω・ノ)ノ

これまで当該遺跡では、弥生時代中期から鎌倉時代にかけての遺構が発見されていました。

今回の発見で縄文時代後期に相当する祭祀に使っていたとみられる石を円形に配置した遺構14基や竪穴住居跡2基が見つかりました。

このような縄文時代後期の居住域と祭祀の遺構がまとまって確認できたのは西日本で初めての事例とのことですヾ(´ω`=´ω`)ノ



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この加茂宮ノ前遺跡では水銀朱の製造に使われた石杵と石臼だけで300点以上が出土しました。

石臼の大きいものは直径約30cm、石杵では直径約10cmのサイズだそうです。

また原料である辰砂原石や、水銀朱が施された耳飾り、土器などの関連遺物が700点以上出土し、合計1000点以上の「朱」に関連する遺物が出土したことになります。

原料として使用された辰砂原石は遺跡から約5km離れた若杉山周辺から採取された可能性が高いと推定されています。

また出土した土器の模様には九州の土器に類似した特徴が見られることから、当時から地域交流をしていた可能性が指摘されています。

加茂宮ノ前遺跡における今回の発見は、西日本における縄文時代の集落構造の解明に繋がる重要な発見であり、また水銀朱の一大生産地として古くより遠方の他地域との交易を行っていた可能性を示す重要な発見でもあります。


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さて、最後に徳島新聞による現地説明会の様子を撮影した動画へのリンクを載せておきます。


いいですね、これ!


現地説明会に参加した気分になれます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



↑加茂宮ノ前遺跡での現地説明会の様子(「徳島新聞動画TPV」の動画)

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2019ねん 3がつ 16にち(どよーび、曇り)

もうすぐ新年度。

今年はやりたい研究が出来る最初で最後の年かも知れない。

なので、ちょっと本気出してみることにしたよ!( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは『奄美大島で色々見つかったよ!』です!(*・ω・)ノ


今回の発見は、鹿児島県の「奄美大島」における発見です。

色々と発見が多いのですが、一番の発見は1万3800年前の土器片が出土したことでしょう!

ちなみに世界最古の土器は(中国の例とか諸説ありますが……)日本の青森県、大平山元I遺跡の縄文土器(約1万6500年前)です。

今回の発見はもちろん奄美大島で最古となります。

そして国内どころか世界的にみて最古級の発見となります。

ところで、奄美大島ってどのような場所なのでしょうか……




ほんっとに綺麗ですよね~。

私もこういう場所をフィールドにして調査したいですね!( -д-)ノ


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ということで、今回の発見の舞台は奄美大島にある天城町西阿木名(にしあきな)地区内の下原(しもばる)洞穴遺跡です。

調査者は鹿児島女子短期大学と天城町教育委員会だそうで、2015~2016年に第1次調査が行われ、2019年3月から第2次調査が行われています。

この下原洞穴の中からは、先に述べました最古の土器(1万3800年前)の他に、石器製作工房や埋葬遺構も発見されています。


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人が火をおこした跡(炉跡)と考えられる炭化物集中の痕跡も見つかっており、時期は2万5000年前と推定されています。

その他の発見は比較的新しいものですが、6000年前にまで遡る生活・居住の痕跡、4000年前の石器、2500~3000年前の人骨や貝製品、土器などが出土しています。

このような様々な発見があった中で、奄美大島に関する考古学的側面からの評価が変わりました。

それは今回の奄美大島における最古の土器の発見により、奄美大島では日本列島と大差ない時期に土器文化が始まったと考えられるようになったことです。


日本列島においてこのような古い時期の人々は移動しつつ生活していましたが、奄美大島では環境的制約から定住に近い状態だったと思われます。

そのためこの洞窟内からは様々な時期に関する色々な遺物・遺構が集中的に見つかるわけです。

その点を高く評価し、今後も天城町教育委員会は下原洞穴遺跡での調査を継続的に行っていく模様です。

今後の更なる発見に期待ですね!(・∀・)つ


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2019ねん 2がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

今日はよく歩いた日であった。

珍しく元気に歩き回ったせいか靴ズレしてしまった( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「曹操の墓から世界最古の白磁が出土した!」です!



↓曹操の墓については以前、まとめで簡単に触れていますので宜しければことらもどうぞ!(*・ω・)ノ↓
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さて、曹操と言えば三国志に出てくる魏の英雄ですね。

ひと昔前だと漫画で三国志に関する知識を得ていたような気がします。

最近だと「三国無双」とか「恋姫無双」(美少女化してます( -д-)ノ)とか、ゲームの方から入る人が多いかも知れません。



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「最古の白磁」というのが今回の考古学ニュースにおける目玉なわけですが、、、

まず、最古とはいつなのでしょうか?



曹操は2~3世紀(CE155-220)に活躍した英雄です。

(CEはCommon Era;共通紀元です。今後この表記を使おうかなと(*・ω・)ノ)


最古と考えられる白磁は、曹操の墓から副葬品として出土しているわけですから、220年頃に製作された磁器と考えられます。


曹操は死後に眠りを妨げられないように、墓のダミーを多く建造させたと記録にあるそうで、そう考えると曹操の墓&ダミーの建造は生前から計画的に行われた可能性がありますね。

となると出土した白磁の帰属時期はおよそ200~220年となるかなと思います( -д-)ノ



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次に「白磁」ですが、これは簡単に言うと白色の磁器です。

白色の粘土と透明の釉(ゆう)を用いているので白色になります。



見つかった資料は磁器なので、縄文土器・弥生土器のような土器とは異なります。


「土器」は窯を使用せずに、野焼き(簡単に言うと地面で焼きます)で作ります。

焼成温度は比較的低く、700~900度で、釉薬(ゆうやく、うわぐすり)を使いません。



一方で「磁器」ですが、一般的には「陶磁器」という表現で知られているかも知れません。

窯を使って高温焼成(1100~1300度)します。

釉薬を使いますので、器面がテカテカとガラス質の光沢を持つようになります。

磁器は特に硬く、叩くと金属音がします。



ということで今回見つかった「世界最古の白磁」とは、3世紀初頭に作られた白色粘土と透明な釉薬を用いて作られた磁器(白磁)であり、曹操の墓にて副葬品として見つかったものということになります。


出土した白磁のサイズは器高13.4cm、口径8.7cmだそうです。


肩部に四つの耳(環)をつけた「罐(かん)」と呼ばれる特徴的な形式です。


また曹操のものと同定されるた墓の中央部の前室(棺を納めた主室の前にある部屋)から出土したことから、出土資料の時期判定の精度は高そうですね(。・ω・)ノ゙



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曹操の墓か……棺とか遺体とか、副葬品類とか諸々の写真が見たくなりますね!

この先公開されて、データが集まったら紹介しますね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓私もダミーの墓を作ろうかな……お寺が儲かるだけ!?( ・Д・)ア"-!↓

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