にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ

あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:最古

2023ねん 4がつ 14にち(きんよーび、曇り)

みんな、私は元気だぜ!v( ̄∇ ̄)v

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは金箔で覆われたミイラより、なんか気になる写真見つけた!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はエジプト、サッカラです。

サッカラはよく聞く名前ですよね、インディジョーンズを始めとして冒険ものでエジプトのシーンがある時は大体サッカラが出てくる気がします。

気のせいかも知れませんが、まぁそんなサッカラは首都カイロの南郊にあります。




今回の記事はエジプト考古学庁が展示のために出し渋っているのか写真がないんですよね。

発見したお墓や出土品の写真はあるのに肝心のミイラの写真がない……

掲載されていた痕跡もあるけれどそれだけ非表示になっているので、止められたのかな~と思ったり。

記事の最後に「しかし、エジプト政府は観光客を増やすため、学術的な研究よりもメディア受けするような発見を優先しているとの批判もある」なんて書いてるしね。

まぁこれについては「おわりに」で触れます。




ということでなるべく写真を多用しようと頑張っている当サイトですが、ないものはないので今回はご了承ください。

最初に挙げた写真は関係ない写真だけれども、金箔で覆われたマスクなんですよね。




「金箔で覆われた」なんて書かれたら気になるけれど、よくよく考えたら、あれだけ黄金製品が出るエジプトでは対して目玉にならん気がするのだが気のせいだろうか……( -д-)ノ

ただ今回の発見があった墓は4300年前のもので、ファラオなど王族以外の墓としては最古かつ完璧な状態のものとしてレアな発見なのです。

未盗掘だったので保存状態が極めて良好だったようです。

盗掘されていたらミイラごと持っていかれてそうですもんね( -д-)ノ




さてさて、とりあえず私が一番気になった写真をどうぞ!





これって一般の人が見たらたぶん何の違和感も感じない写真だと思います。

ちなみにキャプションは「サッカラでの新発見発表後、発掘したものを修復する考古学者」です。





エジプト考古学のことは知らないけれど、、、

修復作業を現場でやるの!?(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

そんなことある?

なんで???

ラボが遠いの?





写真だと小さくてよく見えないけれど、黄色の箱やチューブみたいなものが瞬間接着剤的なものに見えるけれど、、、

砂埃とか大丈夫なんでしょうか。

ってか洗浄具が周りにないけれど、土に埋まっていたわけじゃないから埃を払う程度なのかも知れないけれど、、、本当にそれでいいの?

土に埋まってないから土圧などで歪んでないから接合も楽ちんなんだろうけれど、ラボに帰ってからやればいいのにと思ってしまいます。




そんな大々的に発表するほど重要な墓から出た副葬品でしょ?

きっちり落ち着いて修復した方が展示映えもするだろうに……そう思ってしまうのは専門地域が異なるせいなのでしょうかね( ・Д・)

誰か理由を知っている方がいたら是非教えてくださいね!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ




↓ガンガンに宣伝していくぜ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↑研究がんばるから支援よろしく!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


おわりに

メディア受けする調査を優先するのは世界各地でまぁ見られる現象です。

トレジャーハンターというか「許可書持ちの盗掘者」はどこにでもいます。

マヤ地域でもそういう考古学者がいますし、そういう日本人考古学者もいます。

彼らの見分け方は簡単!




論文書かない、報告書出さない、一般誌・一般書は書く、メディアに露出する。

こんなもんかな。




まぁ露出しててもしっかり研究者してる人も中にはいるようですけどね(*^・ェ・)ノ




確かに傍から見てると、そもそもエジプト考古学自体が、学術系そのものが発見至上主義に浸かってる気がしますけどね。

エジプトってあれだけ保存状態も質も良い考古遺物が大量に出て、たくさんの碑文資料もあって、周辺地域の文献史料もあってと、たぶん世界で一番データが豊富な地域だと思うんですよ。

でも世界の考古学を牽引している気がしない。




新たな考古学理論が誕生しても良さそうだけれど、何もないよね。

というかこれまでも一度もない。




私が知らないだけかな。

周りにエジプト考古学の人いないから、適当にエジプト考古学発の理論系論文を探してみるかな(*・ω・)ノ



もしかしたらデータがあり過ぎるせいで、文献史学的な世界に突入しているのかも知れませんね。

そういう可能性もある!





考古学にとって発掘調査が実験なわけで、かつ発掘調査は有限の一回性の実験なのだから、理論もなく掘りまくると間違いなく将来困りますよ。

証明も反証もできなくなる。


博物館のための、観光収入のための考古学。

どうやらエジプト考古学者は半世紀以上前の時代を生きているようですね( ・Д・)





まぁいいや、

何はともあれ、

私の研究が世界で一番!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2023ねん 4がつ 12にち(すいよーび、くもり、風強し)

クラファンはじめたよ!支援してね!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは「人類が新大陸に到達した時期が7000年も遡るかも!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はアメリカ、ニューメキシコ州、ホワイトサンズ国立公園です。


『人類がいつ所謂「新大陸」、つまりアメリカに到達したか?』というのは考古学者にとって人類史上の重大な関心事のひとつなのですが、、、

最近、この辺りの議論がアツイです!




私がかつてアメリカ大陸史を勉強した時(20年くらい前?)は、ざっと1万7000年前に北米に人類が到達、1万3000年前にチリの最南端に到達、その後新大陸における人口の増加と拡散が生じて、7000年前にメキシコ、オアハカ谷にてトウモロコシ栽培の開始……

なんて学んだので、今でも基本的にその認識というか、とりあえずその数字は覚えているわけです。





他方、近年は人類の新大陸到達は定説より早かったとする発見が相次いでいます。

このブログでも「クローヴィス・ファースト仮説が崩れるかも?」として何度か紹介しています。




ちなみにクローヴィスって文化とか石器(尖頭器)の名前です。

クローヴィスという名前の土層が放射性炭素年代測定で約1万3000年前相当とされていて、そこから見つかった石器文化、尖頭器文化がクローヴィス文化、その石器/尖頭器がクローヴィス尖頭器です。

まぁつまるところ、従来の定説ではアメリカ大陸史最古の文化であり、人類の北米到達を示す最古の記録なのです。



↓これが過去記事





↑人類の「新太陸」到達に関連する記事



今回の発見の地であるホワイトサンズ国立公園にはトゥラロサ盆地という乾燥地帯があってそこでこれほどまでに古い貴重な足跡が残っていたわけです。

当サイトでも繰り返し述べているように、貴重な考古学資料の埋没過程上の保存にはめっちゃ水分あるか、めっちゃ乾燥してる場所が最適なのです。




下に挙げた写真が実際に見つかった足跡ですが、、、はっきりし過ぎてて逆におもちゃっぽく見えるのは私だけなのか……

まぁでも本物です!





先に述べたようにクローヴィス・ファースト仮説に基づけば、人類の新大陸到達は1万6000~7000年前くらいになります。

この足跡が見つかった層から検出された炭素を用いた分析によれば、足跡の時期は2万1000~2万3000年前となります。




なのでまたもやクローヴィス・ファースト”神話”を崩す証拠の発見がなされたことになるのです。

ひとつでも反証事例が見つかったら十分じゃないかと思う方もいるでしょう。




まぁ確かにそうなんですけど、アメリカは特に学閥の影響が強いですし、所謂大御所の意見には逆らえないんですよね。

(マヤ文明研究史でもその手の定番ネタがあります( ・Д・))

なので定説の交代はいつも遅れます。




そのような実態は科学としての考古学の発展の阻害になっている気もしますが、そもそも理化学系の実験に相当する考古学調査は時間のかかるのんびりとしたものです。

なので、大御所同士であーだこーだ言っている間に、若手研究者はせっせと調査を繰り返し、類似の反証事例を地道に積み上げていくのです。

考古学は「無いことに依存した理論は弱い」側面があるので、つまり今回のように定説を覆す発見(あることに依拠した理論)が強いので、まぁこうした慎重な姿勢も大事なのです( -д-)ノ




↓アメリカ大陸関連の人気記事





↑オカルトっぽいかもだけど、個人的には好き



おわりに

マヤ文明は亜熱帯ジャングルだから保存状態的によく残ったね的なレアな発見はないんですよね。

うん、あんまりない。




見目麗しい多彩色土器の内側に古代ココアの残滓が残ってた、くらいかな。

環境的に足跡残らないだろうし、残っても元気一杯の植物の根に全部壊されてるでしょうからね。





いや~今まで小さい建造物とか地道に掘って成果上げてきたけど、やっぱ一度は大きな発見してみたいよね( ・Д・)





何はともあれ、

ネコの足跡見つけたい!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2023ねん 4がつ 10にち(げつよーび、晴れ)

熱下がった!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは最古の石器作ったのはヒトじゃないかも!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はケニアのニャヤンガ遺跡です。

古い時期の化石人類系の発見はまぁ大体アフリカですよね。

人類発祥の地ですから。




そんなアフリカでも今回のお話は300万年前なのでけっこう古い話です。

最古の人類と言えば700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスが有名です。

ひと昔前までは400万年前のアウストラロピテクスが最古だなんて世界史の教科書にも載っていましたので、覚えている方も多いのかなと思います。





このアウストラロピテクスも当初は新発見として盛り上がりましたが、その後たくさん類例が見つかっていく中で細分され、華奢型がアウストラロピテクス、頑丈型がパラントロプスとなっています。

今回のお話はこのパラントロプスについてなので、皆さんご存じのアウストラロピテクス
と大体同じくらいの時期に存在したがっちりした猿人の話だと思って聞いてください。






ちなみに一番最初に挙げた写真がニャヤンガ遺跡の発掘風景です。

化石人類系の古いやつってどれも洞窟遺跡かと思ってましたけど、こんな開けたところでかつけっこう浅いところから出るのね~と個人的に驚きです。

まぁ浅さに関しては、マヤ遺跡も亜熱帯気候のせいで激浅ですので、暑いであろうこの地域でも同様なのは理解できます。

でも平地でこの遺跡見つけるの大変だったというか、踏査・試掘過程で奇跡的に見つかったんですかね?

ランドマークもなさそうなのに、そこだけ個人的に不思議で仕方ないです(*^・ェ・)ノ





さて、話を戻しますと、

これまで「最古の石器はヒト属の登場と共に生まれた」と考えられてきました。

時期で言うとざっと200万年前です。




道具を使う動物は数種のサルの他、ラッコなども使ってることが指摘されてかなりの時が流れ、道具がヒト属のメルクマールではなくなってきたというか、「道具使用=ヒトの特徴」という感覚がなくなってきた昨今、今回の発見に至りました。


さきほど出てきたパラントロプスは私たちヒト属とは異なる系統の化石人類ですが、ニャヤンガ遺跡にて彼らの歯と共におよそ300万年前相当の最古の石器が出土したのです。





物理学の世界でも3次元の他の異次元の存在が認められなかった過去がありますが、現在では量子レベルなどの私たちの感覚より小さなミクロな世界に異次元が隠れていることが常識となっています。

恐らくこういう事例はそれぞれの学問であるのでしょうが、学界内の常識あるいはコンセンサスというものはちょっと発見があったくらいじゃすぐに変更されず時間を要するものです。

考古学、あるいは古人類学においても、やはり「最古の石器はヒト属と共に誕生」という考え方は現在も根強く存在します。




今後、こうした事例がどんどん増えていく中で、最古の石器を作ったのはヒト属ではなく、パラントロプスということが常識になっていくのかも知れませんね。





おわりに サルが作った石器って区別付くの?


けっこう前の研究報告の話ですが、南アメリカだったかな、サルも石器を作るよって。

問題は過去にもサルが意図してか、あるいは偶然に石器を作っただろうと、

それならば、最古級の曖昧な技法の石器は本当にヒトが作ったものなのかどうかどうやって判定できるのか?という提言だったのです。




土器屋の私としては対岸の火事なので単に面白いなと思っていましたが、、、

上に挙げた写真がサルの作った石器だそうです。




この中に一つだけヒトの作った最古級の石器、オルドワン石器が含まれています。

オルドワン石器は今回の話でパラントロプスの作ったと思われる石器と同種のものです。

どれか分かります?

私は分からない!(笑)



・・・・・・・・・


・・・・・・


・・・


答えは「N」だそうです。


改めて見ても全然分からない。


まぁ私はおとなしく自分の領域の研究をやりますよ~だ( -д-)ノ



何はともあれ、

四国チャリで1周サンプリング調査のCF応援して!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2022ねん 1がつ 10にち(かよーび、晴れ)

明けましておめでとうございま~すヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは日本最古?沖縄のブタは中国から!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はもちろん沖縄なわけですが、、、

今回はブタさんのお話です。



その前にこれまでの復習をざっとしてしまいます(*^・ェ・)ノ

①北琉球で「爪形文土器」が見つかった。

②本土の爪形文土器(草創期)の空似と評価され、実際に縄文後期相当と分かった。

③次に中琉球で「爪形文土器」が見つかり、早期相当と分かった。

④更に南琉球で見つかった土器が1万年前の早期初頭相当と分かり、沖縄最古の土器はどんどん南下する傾向が見られた。

⑤更に南の台湾や中国南東部には同時期や草創期に土器がないけど、どこが発祥?って困った( ・Д・)



って感じです( -д-)ノ




さて、沖縄のブタさんと言えば、上に挙げたような「アグー」ですね。

このブタのルーツとしては14世紀の中国との進貢貿易において沖縄に伝わったものとされています。

当時の中国はめちゃくちゃブタを食べていたようで、中国から来た使節をもてなすためにも大量にブタを生産し消費していたそうです。



これは年代的にも新しい話なのですが、最近になって動物考古学の研究成果により、沖縄のブタの起源がとても古いことが分かりました。

発見があったのは、中琉球つまり沖縄本島の嘉手納町にある野国貝塚で、そこから大量のブタの骨が検出されました。

分析対象はブタの下顎骨(アゴ)で、107点も扱いました。

分析の結果、10才を超えるブタがいたことが分かり、これほどまで高齢でいられるということはヒトが飼育していた証拠であると結論付けています。



ちなみに年代測定の結果、ブタの骨の帰属時期は7200~7500年前で縄文時代早期後半となっています。

本土の方の最古の飼育ブタの痕跡は、佐賀県唐津市の菜畑遺跡で検出されたブタの骨で3000年前です。

だから今回の発見は最古の事例となり、日本におけるブタの飼育の歴史が一気に変わったと言えます!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




中東のギョベクリ・テペって何だか最近話題ですけども、約1万年前の先土器・新石器時代に定住前に宗教施設が造られたってことで・・・

何度か記事で触れたと思いますが、日本の縄文時代だと1万年前は早期初頭相当だからすでに土器がある新石器時代で、

新石器時代で狩猟採集社会なのに定住してて、

今回の発見で牧畜までしてるんですよね。

身近過ぎて分からないかもしれませんが、縄文ってスゴイものなのですよ?ヾ(´ω`=´ω`)ノ



さてさて、話を戻しますと、この約7000年前の沖縄のブタは中国から伝わったと考えられています。

中国では黄河流域で約8000年前に豚の飼育が始まったとされていることに起因します。

まぁ時期的にはイイ感じです。



私の日本における研究のひとつとして縄文草創期・早期を扱っていますが、草創期段階の爪形文土器が沖縄を除く日本全土に広がっていることから、

日本ではめちゃくちゃ古い段階で海を越えて交易関係があったのかな~って考えています。

今回の発見を基にすると、大陸との関係まで再考する必要があるようですね。

何だか交易ばっかり意識すると「伝播論」的に感じるので、私個人としては日本における「自発性」も十分に意識していきたいと思います(*^・ェ・)ノ



arukemaya1680
↑溶けるの早くてめっちゃ垂れたが美味しかった!(・∀・)つ(credit: あるけまや)



おわりに

沖縄のビーチで海岸砂の採取を行うために、駐車料金払ったのです。

サンプリングが目的ですぐ帰るとは伝えたのですが、、、

で、実際に僅か5分10分で車に戻ったところ、申し訳ないのでってアイスくれました。

嬉しかったですヾ(´ω`=´ω`)ノ



さて、コロナ禍を機に、国内でも様々な時期や地域を対象に研究を始めましたが、どこやっても面白いものですね(*・ω・)ノ

いやはや、、、ほんと考古学ってイイものですね~

では、さよなら、さよなら、

さよならっ!( ・Д・)


(古いけど金曜ロードショー、大好きでした(*^・ェ・)ノ)


↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2021ねん 11がつ 9にち(かよーび、ひどい雨)

筋肉注射はやはり腕痛くなる~ヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


arukemaya1663
↑雰囲気あったよ!( ・Д・)(筆者が今年調査に行った際に撮った写真、credit: あるけまや)



今回の考古学・歴史ニュースは「沖縄で縄文時代最古の人骨が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



さて、今回の舞台は沖縄県、うるま市の藪地洞窟遺跡です。

上に挙げたキャプションに書いたように、今年はコロナ禍ということもあって私は北海道と沖縄で調査していたのです。

で、沖縄における調査対象がまさにこの藪地洞窟遺跡だったのです!(・∀・)つ

ということで、せっかくなので本記事を含めて数回にわたり、沖縄の考古学について自分の興味ある(知ってる)範囲で、自己の研究成果も含めて紹介していこうかなと思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




まぁ私の国内調査は土器の産地同定に関する理化学的研究ですし、私の専門はあくまでもマヤ考古学で、特にティカル遺跡周辺域がフィールドですので、あんまり知識ないのは勘弁してください( ・Д・)

ちなみに調査や論文については日本考古学の方との共同研究体制にあるので何とかなってるのですよ( -д-)ノ←責任全ぶん投げ


arukemaya1664

arukemaya1665


ちょっと見づらい図の出し方になってしまいました。

画質はそこまで悪くないと思うので、スマホで読んでる方は必要に応じて拡大してみてください( -д-)ノ




うるま市は沖縄県の右側、南から3分の1くらいの位置にあります(上図の赤丸部)。

2枚目は藪地洞窟遺跡の位置を中心に、「うるま市」の表記が入るように調整した図です。

小さいですけど赤線が3本あって、左右の赤線部には「うるま市」の表記があります。

真ん中の赤線部が「藪地洞窟遺跡」です。




うるま市は南東方向に半島状に突き出した地形を有しており、半島の先端部の北側に沿う形で「藪地島」があります。

島の中は橋を渡ったすぐ先までしか舗装道路がありません。

土地はうるま市に住む人々が有しており、畑があったり、未舗装道路の維持のために樹々の伐採が行われていたりと少し人がいます。

しかし基本的には藪地島は無人島で誰も住んでいません。




伝承によれば、昔藪地島で大火があり、島の住民がうるま市本島側に逃げてきたそうで、そのまま帰ることはなかったそうです。

ちなみにその子孫と思われる人たちが藪地島の土地の法的所有権を有しています。

……なんか、、、「祟りじゃ~!」みたいなもう少し面白い話だった気がしますが、来年の調査時に再度聴いてメモってきますね( -д-)ノ



arukemaya1663
↑人骨が見つかった藪地洞窟遺跡(再掲)




上に挙げた写真が藪地洞窟遺跡で見つかった人骨です。

見出しで縄文時代最古と書きましたが、これは沖縄県での話です。

沖縄の貝塚時代(縄文時代早期~グスク時代;およそ11000年前から11~12世紀頃まで)において最古の事例なのです。




日本の本州などにおける貝塚は縄文時代早期~中期(11000年前~4700年前)に見られるのでかなり違いがありますね。

まぁ本土と比べれば周りを海に囲まれている上にサイズ的に小さいわけですから、より海産資源に頼った文化が続いたことは当然かも知れません。




沖縄本島では早期(およそ11000~7200年年前)相当の土器が見つかっていて、この藪地洞窟遺跡では約9000年前の爪形文土器が出土しています。

この人骨はその爪形文土器と共に見つかったことから、約1万年~9000年前のものと推定されています。

これまでの貝塚時代相当の最古の事例は、名護市大堂原(うふどうばる)貝塚で発見された約7千年前の人骨であったので、新記録として2000~3000年も遡ることになった大発見なのです(*・ω・)ノ



arukemaya1667
↑石灰岩の洞窟を利用して生活していた模様(credit: あるけまや)


arukemaya1666
↑片っ端から色々試したけどやはりソーキそばが旨い気がする(・∀・)つ(credit: あるけまや)


おわりに ~古い土器や骨がたくさん残るのは何故?~

最後にご飯の写真も挙げましたが、その前にうるま市市役所の中で撮影した展示パネルを紹介したいと思います。

これまでにも「最古シリーズ」とか「今でも食べれるよ?シリーズ」とかやってきましたけど、当記事を継続的に読んでいると『考古資料は特定の条件下で良好に保存される』ことが分かると思います。

多くの場合、めっちゃ乾燥してるか、水辺で常に水分が供給されて空気が抜かれている状況かっていうケースです。

一方で今回のような「洞窟」は比較的残りが良く、最古の土器の事例も世界的に見て「洞窟」での発見が非常に多いのです。




更に藪地洞窟遺跡の洞窟は、単なる洞窟ではなく『石灰岩質』の洞窟です。

日本は酸性土壌なので通常骨が溶けてしまいますが、雨をよく通す石灰岩が浸食されて土壌にアルカリ性をもたらすため、人骨などの残りがより良い環境なのです。



ちなみにマヤ文明は巨大な石灰岩台地上に立地するけども、骨はあまり残りません。

……何故?


微生物がめっちゃ張り切っちゃうから!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2021ねん 10がつ 3にち(にちよーび、晴れ)

午前は研究して午後は記事とか動画に使う生活にしようかと思った矢先、薬のせいか昼まで寝たヽ(TдT)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya1629
↑シカかな?文様に見られるやつだね!( ・Д・)(「Twitter」の記事内画像より転載;元の投稿は削除されている模様)


今回の考古学・歴史ニュースは最古の三種の神器はどこで見つかってるの!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


前回の記事で「三種の神器が見つかった!」ってだけでけっこう『おー!』ってなったという話をしました。

一方で「県内初」ってことで、『そんなに出るものなんだ!?』って驚いたって話もしました。

「三種の神器」と聞くと天皇家の伝世品だし、なんだかとても珍しい気がしてしまったのですが、よくよく考えると、考古学で所謂三種の神器と呼んでいるのは「鏡・勾玉・剣」のことですよね。

古墳時代になると皆さんもご存じの通り、弥生時代よりもずっと立派な埋葬形態、つまり古墳がたくさん造られるようになります。


↓弥生時代の埋葬方法の話にも触れてます(*^・ェ・)ノ

↑これが前回の記事(*・ω・)ノ


お墓が大きくなるに伴って副葬品も豪華になる傾向が見られるので、古墳時代、特に古墳前期には「鏡・勾玉・剣」の所謂三種の神器がセットで見つかる事例は多数確認されます。

確認されている古墳だけで全国で約16万基ありますから、その中でも有力な人物が埋葬された比較的規模の大きな古墳だけだとしても相当数あることが分かるかと思います。

前回紹介したのは弥生時代のお墓において三種の神器がセットになって出土した事例なのでレアな発見になります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




さて、最古の三種の神器の事例ということで、今回の舞台は福岡県、福岡市にある吉武高木遺跡です。

この遺跡は国指定史跡になっていて、最初に挙げた画像にあるように『やよいの風公園』として整備・公開されています。

発見があったのは1984~1985年の調査時で、弥生時代中期の初頭、今からおよそ2200年前の特定集団墓が見つかりました。

この墓群の内の一つが「3号木棺墓」で、上に挙げた写真のように鏡、勾玉、剣がセットで副葬されていました。

勾玉は所謂「獣型勾玉」ですね。

2枚目の写真に見られるように、三種の神器の他に銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)・管玉が出土しています。

前回紹介した三種の神器は弥生時代後期でしたが、こちらの吉武高木遺跡の事例は弥生時代中期に属し『最古の王墓』の異名を冠しています。





↓ぱっと検索しただけでたくさん...古墳関係の記事は意外に多かったΣ(・ω・ノ)ノ





↑タグ検索「古墳時代」でたぶん出ると思うけどこれでも一部です( -д-)ノ


おわりに

「最古の王墓」

カッコいい響きですよね。

福岡市は大きな都市ですし、上手く復元・展示してもっとアピールしてもらいたいものです。

直接訪れたことはありませんが、ホームページを見てる限り、あまり上手な運営にはなっていないように思えます。

発見自体が昭和期なので現在のような博物館・史跡運営、文化財活用とは異なるのは仕方ないとは思うのですが、やはりここは税金を投入してリニューアルしてしっかりと回収する方策を取って欲しいなと思います。

何でも観光地化・収益化するのはいかがなものかというご意見も当然あるでしょうが、まぁ「稼げる大学」を目指すような政府ですから『お金』は大事なのです。

そう言えば、当サイトのスローガンは「お金にならない考古学をお金にする」だった・・・

思い出した。

心機一転、頑張らねば!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2021ねん 4がつ 29にち(すいよーび、晴れ)

最近、記事を夜寝る前に書くようになってる( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは「世界の井戸マスターにもなろう!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はチェコ、オストロフの町の近郊です。

3連続で井戸についてお伝えしておりますが、今回は『世界編』です(*・ω・)ノ

日本では弥生時代の井戸が最古でしたので、古くとも今からおよそ2500年程度前ということになります。

一方で世界で最も古い井戸は、アメリカのニューメキシコ州にあるクローヴィス文化期の遺跡で見つかっています。

時期はなんと今から1万3500年前です。Σ(・ω・ノ)ノ

クローヴィスはニューメキシコ州にある町の名前ですが、当サイトでもアメリカ大陸に関連する記事で良く出てくる、「クローヴィス尖頭器」や「クローヴィス・ファースト仮説」の名前の由来になっています。

古いだけあって、直径60cm、深さ1.4mのサイズの素掘りの井戸です。

これが世界最古の井戸の事例になります(・∀・)つ




今回メインで紹介するのはチェコの事例ですが、サムネイル画像や上に挙げた写真に映る黒っぽい四角い塊が問題の井戸です。

見て分かるようにこれは木製の井戸です。

保存状態が良いので、材木はオークの木であると判明しており、年輪も残ってることから、今から約7000年前に造られた井戸であると推測されています。

さっきの事例よりも新しいじゃないかと思うかもしれませんが、、、

これまでに見つかった「木製の構造物」として世界最古の事例になるのですヾ(´ω`=´ω`)ノ


arukemaya1527


高速道路の建設現場で見つかったのですが、重機で掘っててよく見つかるなぁと感心しますねΣ(・ω・ノ)ノ

ショベル使ってても遺物や遺構に当たる感覚があるそうです、本当にスゴイ( ・Д・)

見つかった井戸の近くに水が溜まっているように、この井戸は水分を多く含んだ土層に覆われていたために腐敗せずに残ったようです。

年輪が綺麗に残ってることから、正確には紀元前5256年頃に伐採された木であると分かっています。

ポールが立っている写真も含め、ここで挙げた写真は全てまだ井戸を全部出し切っている状態の写真ではないようです。

記録では井戸の高さは約140cmあるそうです。

写真だと125cmくらいしかないように見えますもんね(*^・ェ・)ノ

木製の枠は80cmの正方形で、こうした構造物としての形状と木材の表面に残る石器・骨角器の道具の痕跡から、加工や接合に先進的な技術が用いられていたと推測されています。



↓日本の巨大な井戸の検出事例(*^・ェ・)ノ


↑日本の最古の井戸のお話(*・ω・)ノ



おわりに

このチェコの事例は約7000年前ですから新石器時代初期に相当するのですが、ここ数年の間に他に2例も見つかっているそうです。

チェコすごいですね!

でもこうした高い技術力で作られ、保存状態も良好な物は今回紹介した事例のみになります。

・・・3連続で「井戸」ばかりだったけども、、、

これで世界の井戸マスターになれる!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2021ねん 4がつ 26にち(げつよーび、晴れ)

実は最近4コマ漫画を描くべく、絵の練習をしている(・∀・)つ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは井戸の歴史って古いのね!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は高知県、安芸市の瓜尻遺跡です。

遺跡のすぐ傍にある地元の中学校の新校舎を建設するために、2019年より試掘調査が行われてきました。

試掘段階で古墳時代から中世の文化層が広がっていることが確認されました。

そのため拡張して調査が実施された結果、これまでに古代寺院や律令制度期の役所、船着き場など貴重で重要な遺構が多数発見されました。

どうやらこの一帯は豪族の拠点だったようです(*・ω・)ノ






さて、今回紹介するのは『最大級の井戸』

ちなみに時期はおよそ1700年前です。

上に挙げた写真の内、下の2枚が井戸の写真です。

2枚目は検出段階と思いますが、何だか分かりにくいし、サイズも小さく見えます。

もしかしたら井戸が2基以上、複数確認されている可能性もありますが、スケールが置かれていないんでサイズ感が掴めません( -д-)ノ

3枚目はスケール代わりに遺構内に人が入っているのでその大きさが分かりますね!

井戸の掘削のための足場を含めると直径9.5mのサイズの井戸なのですΣ(・ω・ノ)ノ

もちろん国内最大級の井戸の発見ということになります。

これだけ大きい井戸ですから、日常生活用という意味合いよりも儀礼的な意味合いが強かった可能性が指摘されています。

中学校は予定通り建設されるそうですが、これだけ重要な遺構が集まった遺跡なので、国指定史跡になる可能性があります。

もしかしたら学校の地下に素敵な博物館が建設されるような形で史跡化されるかも知れませんね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


↓この学校の下もこうなると素敵ヾ(´ω`=´ω`)ノ


↑頑張ってる自治体を紹介しがちだけど、一方で酷い市長もいるのだ( ・Д・)



おわりに ~日本最古の井戸?~

さて、おまけで日本最古の井戸を紹介します(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

鹿児島県、指宿(いぶすき)市にある玉乃井という井戸です。

神話によれば、山幸彦が水汲みにきた豊玉姫(龍神の娘)と出会うエピソードがあり、それがこの井戸だったということです。

なので「神代」からある井戸、つまり「日本最古の井戸」として観光スポットになっています。


・・・現存している井戸としてはスゴイけど、、、

実際にいつのものなのだろう?( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2021ねん 4がつ 14にち(すいよーび、雨)

当然なんだけど、無理しないで働いていると、論文も研究もその他業務もゆっくりと進んでいくね( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは最古の地図の記録が塗り替えられたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はフランス、西ブルターニュです。

上に挙げた写真が世界最古の地図が描かれた石板なのですが、思いの外、大きいのですΣ(・ω・ノ)ノ

まぁ紙にインクで描くのとは違って、石に刻むわけですから、当時の技術からしてどうしてもサイズが大きくなるのは仕方ないのかなと思います。

思い返せば、下に過去記事として挙げたペドリーナ図などの石に刻む系のモノはいずれもサイズが大きいですよね(*^・ェ・)ノ

これまでに紹介してきたように「世界地図」として最古なのはカルデア王国で造られたBCE6世紀、今からおよそ2500~2600年前のものです。

「地図」としては、これまでの最古の地図はペドリーナ図でBCE1500年、つまり今からおよそ3500年前のものでした。

今回の新たな発見はこの後者の方、つまり人類が遺した「地図」としての最古の記録が更新されたわけです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


↓まだの方は是非ヾ(´ω`=´ω`)ノ








記事タイトルに『再』発見と書きましたが、この石板は今からおよそ100年前の1900年頃に西ブルターニュの埋葬塚で発見されたものなのです。

恐らく墓の棺や石室の壁材として再利用された状況だったと考えられています。

その後、「サン・ベレクの石板」と呼ばれるこの石板はサン・ジェルマン・アン・レー城内の考古学博物館に移されて忘れ去られており、近年、地下室で再発見されたものなのです。

最初に挙げた写真で、背景が普通の博物館や収蔵庫とは異なる感じがすると思うのですが、これがお城の中の地下室だからです(*・ω・)ノ

サン・ベレクの石板は出土時点で一部破損しており、上に挙げた写真でも上部の方に表面が浮いたようなひび割れが見て取れると思います。

これは当時修復した時の接合部になります。

『慣れ』のせいか、図面の方が見やすいのですが、見当たらなかったのでこの白黒写真を載せてみました。


どうでしょうか?地図に見えます?( ・Д・)


円形っぽいラインや、角丸方形のラインの中にぽつっと「点」が打たれていて、とっても適当に描いた『細胞』みたいな図形がたくさん集合しているように見えます( -д-)ノ

これだけだと地図と言われれば、そんな気もするけれど、、、

って感じです( ・Д・)

でも地図ではなく、幾何学模様を組み合わせた文様として見ると、何だか違和感を覚えます(´・ω・`)

感覚的なものなのでしょうか、私には少なくとも文様には見えないんですよね。

まぁそこで『地図だ!』って発想が出てくるところが、「さすがこの地域の専門、スゴイぜ!」って思います(・∀・)つ



arukemaya1469


arukemaya1472
↑あ~ね、ってなる( ・Д・)(「北の国から猫と二人で想うこと」の記事内画像より転載)


さて、上に挙げた画像が論文で用いられた3Dスキャン画像と、石板の地図と実際の地図とを対比した図になります。

並べて比べてみると分かりやすいかと思います。

この研究の発表は2021年4月8日なので、本当にごく最近の話です。

カラー画像の方を見て分かるように、昔の写真とは異なって上部の中央から右側が欠損しています。

これだけ大きく重いものですし、城内博物館への移送や地下室に運んでる間などに欠損してしまったのでしょうか?( -д-)ノ

さて、地図の画像を見てみると、4枚組になっていて、左上がサン・ベレクの石板を図化したものです。

これを実際の地図に当ててみて、地図の縮尺を変えたものが残りの3枚になります。

こう見るとどうでしょう?

地図っぽく思えてきませんか?ヾ(´ω`=´ω`)ノ

人類最古の地図のような気がしてきましたね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



↓こちらは地球儀のお話(*^・ェ・)ノ




おわりに ~時期判定はいかに~

このサン・ベレクの石板は青銅器時代のもので、4000年前の遺物という時期判定がなされています。

ペドリーナ図より500年古いわけです。

土器と違って、石の時期判定なんて難しいですからね。

出土状況も、サン・ベレクの石板を石材として再利用しているわけですし、その墓より古いことは確実ですけども・・・

これが地図であることの論証は良いとして、どのようにして最古って言ってるんだろうと不思議に思います。

古ければ古いほど、500年なんて誤差の範疇になる気もするけれど( ・Д・)!?

埋蔵塚の墓の年代が初期青銅器時代の末期で、1900BCE-1640BCEとなっているので、一番古い年代である紀元前1900年より古いと考えて、4000年前ってことでしょうかね。

”正確に”サン・ベレクの石板がいつ作られたか分からないけれど、一番新しく見積もってもおよそ3600年前になるから、まぁどのみち最古にはなるのでしょう( -д-)ノ

それでも古い方に合わせて、4000年前にしたのは切りがいいからか?

世の中、インパクトだぜ!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2021ねん 4がつ 8にち(もくよーび、晴れ)

今日から所属変わる!頑張る!(・∀・)つ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースはおよそ1万年前なのに保存状態良すぎ!最古の編み籠が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はイスラエル、ナハル・ヘベルの第8洞窟です。

昨日の記事の続きみたいなものです。

「これ次回記事にしますね」って放っておくとすぐ忘れるので、連投みたいになりますがご容赦くださいヽ(TдT)ノ


↓これがそれ!( ・Д・)



さて、前回は紹介しませんでしたが、この「第8洞窟」と呼ばれる遺跡は別名『恐怖の洞窟』と呼ばれているそうです。

これは1960年代初頭の発掘調査で、この第8洞窟から大人と子どもを合わせて40体の遺体が発見されたことに由来しています。

これらの遺体はバル・コクバの乱(CE132〜135年)の際にローマ軍から逃れてきたユダヤ人犠牲者のものと考えられているそうですが、、、

上に挙げた写真で、作業員が命綱を付けた状態で洞窟入り口で篩作業をしていますが、洞窟の入り口が断崖絶壁にある感じしませんか?

実際にこの第8洞窟の入り口は崖の頂上から約75mも下に位置しているとのことで、古代の人々は縄ばしごを使って出入りしていたと推測されています。

75mの縄梯子ってスゴイですし、どうやって支えたのだろうとか、色々考えてしまいますね( ・Д・)

・・・・・・何が言いたいかというと、この40体の遺体はどうしてそこでお亡くなりになったのかな~と気になってしまって・・・・・・

さらっと探した感じでは当時の報告書にヒットしなかったので分かりませんが、洞窟に逃げ込んだはいいけど、追っ手に縄梯子を落とされるか何かして、洞窟に閉じ込められたのでしょうかね?( ・Д・)


arukemaya1443


何はともあれ、今回紹介するのは上に挙げた世界最古の編み籠です。

時期として約1万500年前だそうです。

有機物製でこれだけ網目もしっかり残っているなんて物凄い保存状態ですし、どのような方法・技術で編み込んだのかも調べられますね!Σ(・ω・ノ)ノ

実際にこれより古い有機物製の依存体やら遺物やらは存在しますし、編み籠も出土しています。

なので今回、『世界最古!』となっているのは「完形資料」としてです。

しかしもっと古くてこれを超える保存状態の完形品なんて、考えられないレベルですよね。

だって固そうだけど、まだ使えそうですもの( ・Д・)




そしてこれが出土状況を示したと思われる写真・・・?(゚∇゚ ;)エッ!?

私自身、そこまで洞窟調査したことないのですが、、、

前回の記事で、洞窟では落盤などによる定期的な堆積があるので細かな層序が見られることが多いと書きました。

もう一つ特徴があって、落盤が主な堆積要因であると「しまりがすごい」のです。

考古学用語ですが、土の粒がギュッと集まってとても硬くなっている状態と思って頂ければ良いです。

図面の注記に「しまり極強」とか書きます。

写真を見て分かるように、乾燥地帯特有の乾燥した細かな砂粒が固まってますね。

籠の左手前に掘り上げた土が残っていますが、乾燥度合いと塊度合いを感じることができます。

そんな土質なのに、こんな出土状況ってあり得るのかなと驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ

写真を見ると、なんかポンとここに置いたような印象で、ここから出た!って感じがしないのは私だけでしょうか?( ・Д・)





おわりに

最後に遺物の取り上げ時と思われる写真を載せました。

普段でも遺物の取り上げは一番緊張するところなのに、、、

ぱっと見は固そうでしっかりしてそうとは言え、この古さの完形の有機物製遺物で超貴重なのに、まさかのこのノリ!Σ(・ω・ノ)ノ

しかも左の男性なんて片手で持ってるし、、、

これだから海外の調査は面白いぜ!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ