あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    最古系

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    2025ねん 12がつ 17にち(すいよーび、晴れ)

    眠いぞよ!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑昔けっこうやったなぁ!( ・Д・)
    (「グランブルーファンタジー」のゲーム内画像より転載)




    今回の考古学・歴史ニュースは黄金の鉄槍って何?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    ……いや待って。最古の鉄槍ってだけでも強いのに、黄金の装飾つきって何それ。しかも舞台は北欧デンマーク。バイキング以前の、もっと古い“青銅器時代の終盤”で、鉄(しかもゴージャス仕様)がもう出てくるって、歴史が一段ズレるやつじゃん。


    そして今回いちばん痺れるのは、ただの「武器が出た」じゃないところ。出土地点が、聖なる泉(スプリング)=水に捧げる儀礼の場なんですよ。つまりこれは、戦いの道具である前に、「権力と信仰と交易ネットワークが束になった“社会の槍”」なのだ……!( ・Д・)



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    ↑現場の様子、遺物あげるための容器?が金属製なのが気になる!( ・Д・)




    🗡️ 発見はどこで?「黄金の宝庫」ボースルンデの地下で事件発生

    現場はデンマーク南西シェラン島(Zealand)のボースルンデ(Boeslunde)。ここ、近年ずっと“金が出る土地”として知られていて、狭い範囲から 金の誓いの指輪(oath rings)10個や、金のスパイラル約2200個みたいな、とんでもない量の金製品が見つかってきた場所です。で、2025年8月の調査で「なんで金がここに集中してるの?」を追ったら──金が置かれていた場所の直下で、「自然の泉(湧水)」が見つかった。そしてそのすぐそばから、今回の主役、金装飾の鉄槍(鉄製の槍先)2本が出土した、という流れ。




    👑 何がヤバい?「デンマーク最古の鉄」になった理由

    この槍、ただ古いだけじゃない。博物館側は、槍先に付着していた樺(カバノキ)のピッチ(樹脂)を、鞘や先端保護に使った痕跡とみてAMS年代測定を実施。結果は 紀元前900〜830年ごろ


    これが意味するのはシンプルで強烈:

    • デンマークで確認された“最古の鉄”になった

    • しかも時代は「青銅器時代区分V(Bronze Age Period V)」に入る

    「鉄器時代の前に、鉄がいる」みたいな、境界線がぐにゃっとする瞬間。最高( -д-)ノ




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    ↑出土し立ての状態!( ・Д・)




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    ↑バラバラですね!( ・Д・)



    🟡 金の装飾はどんな感じ?X線で“円形の金象嵌”が浮かび上がる

    保存状態がよい個体(X313とされるもの)は、現存長 47cm(本来は 60cmくらいあった推定)。
    X線撮影で、刃の部分に円形の金象嵌(ゴールドのディスク状インレイ)が複数入っているのが確認されています。これ、イメージとしては「最新テクノロジー(当時の鉄)」×「最高級素材(金)」の合体。

    つまり実用品というより、威信財(prestige weapon / goods)の匂いが濃い。




    💧 なぜ泉に槍を捧げる?“水への奉納”はヨーロッパの古典ムーブ

    この地点では、泉の周辺に調理穴(cooking pits)の密集も見つかっていて、繰り返し人が集まって、食事や儀礼的滞在が行われた可能性が示唆されています。さらに記事では、貴重品を水に捧げる儀礼はヨーロッパの先史時代に広く見られる、と位置づけられている。要するに、ここは「たまたま落とした」場所じゃなくて、“捧げるために行く場所”だった可能性が高いわけです。槍は、戦場で折れるためじゃなく、
    泉に沈むために作られたのかもしれない。槍先のようにロマンも尖っておる!( ・Д・)




    🌍 「北欧に前例なし」ってマジ?──交易ネットワークの匂いがする

    博物館の発表では、この時期に同様の金装飾をもつ鉄武器は北欧全体でも前例がない、というニュアンスで語られています。で、ここが重要なんですが、鉄って当時は“新技術”で、素材の入手も加工も簡単じゃない。そこに金まで乗せるというのは、単なる個人の趣味ではなく、遠距離の交換(distant networks)と、豪奢な環境が背後にあることを示す、とも説明されています。ボースルンデは「宗教と経済のハブだったのでは」という見立ても出ていて、金の集中、泉、儀礼の痕跡、そして今回の槍が、その像をさらに強化した形。





    おわりに

    今回の発見は「レアな発見系」にふさわしですね。「黄金に輝く2本の鉄の槍を発見」って最初、なんだろうなって思って、またアザラシみたいなやつかなと疑ってかかったら、今回素直に「金の鉄の槍」でしたね。まぁこれが普通か( -д-)ノ 

    今回の記事書いてて、青銅器時代に鉄器出ててデンマーク最古の記録更新で間違いないのだけれど、「青銅器時代」とか「鉄器時代」っていったい何だろうなって思いました。鉄製の装飾品とかじゃなくて武器だから利器扱いになると思うと鉄器時代分類だけど、威信財あるいは奢侈財としての価値が高くて、自前で生産できず、交易で入手可能としてもあまりに普及していない状態ならば青銅器時代かなって気もする。でも最古級の事例がいくつ増えればOKなんていう定義もないし、鉄器なんて脆いので依存状態だけじゃなく再加工の問題も含めて残りづらいから普及度なんて不明瞭だし、普及度だってどのくらいからがOKなんて決まりもないわけで、、、ならばやはり鉄器の登場という離散的変化を重視して鉄器時代にした方がいい気もする。難しいね!ってかめんどいね!



    何はともあれ・・・

    私なら鉄器時代にしちゃう!( ・Д・)






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    2025ねん 12がつ 3にち(すいよーび、くもり)

    睡眠不足だぁ!( ・Д・)

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    ↑遠洋に向かうイメージ!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは文明の定義を教えてくれ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    誰もが信じていた「海を渡る文明は、せいぜい数千年前から」の絵図。一撃で書き換えられようとしています――。2025年、フィリピンやインドネシア、ティモール=レステを含む東南アジア(ISEA)で発見された岩石道具群が、「約 4万年前」に、すでに高度な 船造りと航海技術 を持つ人々の存在を示していたのです。まるで時空をさかのぼるカギを見つけたかのような衝撃。この記事では、その発見の背景と意味を、「あるけまや」流にたっぷり、ロマンと考古学の交差点で描いてみます。



    🌿 なぜ今、「4万年前の海」が注目されるのか

    近年、東南アジアの考古学界を震撼させる研究が発表されました。フィリピン、インドネシア、ティモール=レステの島々で見つかった 約40,000年前の石器――これらはただの道具ではありませんでした。

    顕微鏡による分析で、これらの石器には「植物繊維を加工した痕跡」が認められました。つまり、人々は ロープやネット、綯(な)い綱を編み、木や葦、リードなどで船体を束ねていた可能性が高い


    さらに、ティラピアや浅海魚ではなく、マグロやサメといった“外洋性の大型魚”の骨も共同で出土。網も針も、しかるべき道具も揃っており――これは “沖合を漕ぎ出す” 本格的な航海の証拠です。


    これまで「東南アジアの島々に人が住み始めたのは新しい時代から」「古代人の海洋移動は偶発的・漂流の可能性が高い」とされてきた定説。だが、この発見はその常識を根底から覆す――“4万年前に、目的を持った海の旅人たちがいた” 可能性。それは、私たちの地球史のタイムラインに、新たなページを刻む出来事かもしれない。



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    ↑従来の漁業のイメージは近海だよね!( ・Д・)




    🛶 道具から見える――古代の船造りと航海の技術

    なぜ「石器」で航海を論じられるのか。不思議に思う人も多いはず。でも考えてみてください。木や竹でできた船体や綱が、数万年の間そのまま残ることなどまずない――。だからこそ、石器に残された“わずかな繊維片”や“植物繊維を削り出した痕跡”という間接証拠が、とてつもなく貴重なのです。


    実際、分析チームはこう報告しています――「これらの道具は単なる狩猟具ではなく、ロープ・網・綱をつくるための“植物繊維加工具”として高度な技術を示すものだ」と。さらに、深海魚の骨に加えて、針や漁具、網の重しのような道具群も出土しており、「彼らは岸からちょこっと魚をとるだけ」では決してなかった。船で沖に出て漁をした――その“生活”と“技術”が、道具に刻まれていたのです。


    この発見は、単なる「古代の漁師」像ではありません。“波と風を読む”、木材と葦を選び、“綱を綯う”。それは、もはや “文明” の営みそのものです。




    🌍 世界の起点を塗り替える――古代海洋文明の新章

    今回の発見が意味するのは、東南アジア――しかも 4万年前 という、私たちが「まだ原始の世界だ」と思っていた時代の、人類の活動の広がりです。これは、次のような歴史観の再構築を迫るものです:

    • 人類の「島々への拡散」「海洋移動」は、氷期の海面低下や漂流ではなく、明確な技術と意図による移動だった可能性

    • 海を越える船造り技術や綱縄技術、航海技術は、ヨーロッパや中東の文明よりも、はるかに早く、東南アジアで成立していた――という逆転の歴史

    • そして、そこから始まった “海上の道と文化のネットワーク” が、のちの島嶼文化、ポリネシア、オーストロネシア世界へとつながっていたかもしれない

    もしこれが受け入れられれば――私たちが教科書で習ってきた「人類文明の起源」「航海文明の始まり」という物語は、大きく書き換えられるだろう。




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    ↑場所は東南アジア、これはちょい新しめだけれど色々な石器が出てるね!( ・Д・)

    (「ATENEO DE MANILA」の記事内画像より転載;credit: A. Pawlik; after Pawlik et al. 2025; Pawlik & Piper 2019; Neri et al., 2015)




    🔬 これからの挑戦 ― “消えやすい証拠” をどう扱うか

    もちろん、反対意見や慎重な声もある。なにせ、この時代の船は木や籐、葦など“劣化しやすい材料”でつくられていた可能性が高く、直接の“舟の遺構”はほぼ残らない

    だからこそ、今後の研究には次のような挑戦がある:

    • 同様の道具や漁具、魚骨の出土を、他地域でも見つけること

    • 昔の植物繊維のDNAや残留分、繊維構造を分子レベルで分析すること

    • 海洋気候、海流、魚の移動経路などを再現する“古海洋モデリング”と、考古学的証拠を統合すること

    古代の“柔らかく壊れやすい文明の痕跡”を掘り起こすのは難しい。でも、難しいからこそ、もしそれが成功すれば――私たちの原点に、新たな光を当てることになるかもしれない。この記事で読んでほしいのは、ただの「ロマン」ではありません。数万年前に、風と波を越え、島々をつなぐ人々がいた――その可能性を、もう一度、私たちの歴史の地図に描き直す勇気です。



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    ↑竹の加工工程のイメージ!( ・Д・)




    おわりに

    私は元々国家形成がテーマだからね、ひとまず古典的な「文明=国家」の定義でごりごり研究進めてるんですよね。今回の記事では他サイトが「高度な文明」って書いてたからまぁそのまま流用したけれど、思うところアリ!まぁいいんだけどね(*^・ェ・)ノ

    ところで私、1950~1970年に構築された古典的段階的発達史観(日本考古学ではまだ現役)をレジームシフト史観に置き換えるという論文を書いたのね。ちょっと他の論文と足並み揃えてから2026年1月末くらいに一気にプレプリントで発表予定なんだ。そしたら紹介するね。一応、考古学の「何が・いつ・どこに・どれだけあるか」という基本情報を全部織り込んだ統一的表現方法を用いてはいるんだけれど、やってることが文化進化論や社会進化論の中間的理論になってて、レジームシフト史観の枠組みでは国家形成って解釈段階の話で本筋から逸れるんだよね。

    生態学と経済学の数式や理論を応用していて社会学とも関係あるので、全人類史を統一的に記述出来て且つ現代社会や未来予測にまで役立つ理論構想なのだけれど……この世界で周り見渡すとなぁ、、、




    あれ・・・

    私はシン考古学者かな!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 17にち(げつよーび、晴れ)

    お腹の調子悪い、飲みすぎたな!( ・Д・)

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    ↑木ある方が出土した感あるけど、普通は切るよね!( ・Д・)
    (「ati」の画像より転載; credit: International Journal of Historical Archaeology




    今回の考古学・歴史ニュースはアメリカ最古の銃だってさ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    西部開拓のロマンとはまた別の、遥か昔の緊張と交戦の物語が、アリゾナ州南部の砂漠で静かに語り出しました。2024年、考古学者たちは 500年近く前 に使われた銅製の砲(いわゆる壁砲、ウォールガン)を発見。これは 大陸アメリカで確認された最古の火器 として注目を集める発見です。遠征を率いたのは、16世紀のスペイン人征服者 フランシスコ・バスケス・デ・コロナド。彼らが北米を探検した軌跡が、この小さな武器の一節から、再び浮かび上がってきました。

    この記事では、この歴史的発見の背景、技術的ディテール、そしてコロナド遠征が残した文化的・政治的意味を、「あるけまや」風の語りでじっくりと掘り下げていきます。



    ⚙️ 発掘されたのは何? 42インチ、40ポンドの銅製ウォールガン

    この銃は、アリゾナ南部・サンタクルーズ渓谷の San Geronimo III(スーヤ / サン・ジェロニモIII)遺跡 で発見されました。

    • 長さは 42インチ(約107cm)、重さは 約40ポンド(約18kg)

    • 内径(ボア径)は約 0.95インチ(24.7 mm)、いわゆる 5号ゲージ

    • 丸弾(ソリッドボール) だけでなく、小さな球状の弾(バックショット)も撃てる構造。

    この武器は「ウォールガン(壁や塁壁に据えて撃つ砲)」、あるいは ハックバット(hackbut) と呼ばれるタイプで、使用時には 大きな三脚(木製) が必要だったとみられています。鋳造は 砂型鋳造(サンドキャスト) で行われており、鋳型の痕跡(スプルーマーク)も残っている点が確認されています。



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    ↑状態いいね!( ・Д・)
    (「ati」の画像より転載; credit: International Journal of Historical Archaeology


    🕰️ 歴代最古の火器? その歴史的位置づけ

    この銃が特別なのは、 大陸アメリカ(コンチネンタルUSA)で最も古く確認された火器 であるという点。研究チームは 放射性炭素年代測定光励起ルミネッセンス(OSL) による土壌測定で、銃が配置されていた建物の年代をコロナド遠征時代、つまり 1541年ごろと結びつけています。同じ地層からは、 オリーブ壺の破片、ヨーロッパ製陶器、武器部品など も出土し、遠征隊との関連が強く示されているのも重要なポイントです。


    🔍 どこから来た? この銃の製造ルーツ

    この銃、意外にも 装飾がほとんどない非常に簡素な作り という特徴があります。そのことから、 スペイン本国ではなく、メキシコやカリブ海地域の鋳造所で作られた可能性 が指摘されています。さらに、歴史的文献を読むと、この種の小型砲(versillo, versos)を遠征隊が持ってきていた記録もあり、実際の運用方法としては 三脚/壁/馬の鞍/木の枝の叉などを利用 して据えていた可能性が高いとみられています。




    ⚔️ 戦闘と放棄 — なぜ使われなかった?

    驚くべきことに、この銃には 黒色火薬の残留物がほぼ確認されていない のです。つまり、 実戦で発射された形跡が見当たらない。これには研究者たちから以下のような仮説が出ています:

    • 遠征隊が構築した サン・ジェロニモ III(Suya) と呼ばれる拠点が、現地の先住民(Sobaipuri O’odham)による急襲を受けた。

    • 攻撃があまりにも突然で、発砲する時間もなく 銃を据えたまま立てこもっていた建物が倒壊

    • その結果、武器はその場に捨てられ、そのまま 480年余りにわたって土に埋もれて保存された とみられています。

    この「撃たずに放棄された」銃の背景には、植民と抵抗、そして文化的衝突の歴史が交錯しています。




    🌍 コロナド遠征とアメリカ南西部 — 歴史の再構築へ

    この発見が意味するものは、ただの武器の発掘以上に大きいです。

    • コロナド遠征(1539–1542年)は、「黄金の七都市(Cíbola)」を求めて始まったものですが、この銃はその最南拠点 San Geronimo III の物理的証拠として、歴史にリアルな肉付けをしています。

    • 現地の 先住民(Sobaipuri O’odham) による攻撃が実際にあったことを示す銃弾や矢じりなどの遺物と合わせ、 抵抗の歴史 が遺跡というかたちで痕を残していたとみられています。

    • また、銃の鋳造技術や流通経路(メキシコ or カリブ海説)を考えることで、16世紀のヨーロッパ植民勢力の軍事・物流ネットワークの実際像を新たに描く手がかりともなります。



    🧭 発掘の背後にある人物 — デニ・セイモア博士の30年の探求

    この発見の中心には 考古学者デニ・J・セイモア(Deni J. Seymour) がいます。彼女は 30年以上にわたってコロナド遠征の足跡を追った ベテラン研究者。彼女のウェブサイトによれば、今回発見された銃は 「versillo」「小さなverso」 と呼ばれるタイプで、当時の文書にもその名が記録されていたもの。 また、鋳造痕や摩耗の痕跡から、この銃が 長距離移動と運搬に耐えるよう設計された軽量型 だったことも示されています。



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    ↑実際のサイズ感はこんな感じ、この人が巨人だと意味ないけど!( ・Д・)



    おわりに

    コロナド遠征かぁ。大航海時代(最近は大交易時代)ってスタートが中世の終わり頃だからか騎士道物語が流行ってる時代なんですよね。今でいうと、異世界転生ファンタジーものが流行ってる感覚かな。何故か塔に閉じ込められたお姫様とかドラゴンとかいる感じ。だからお宝発見系の伝説もあって、この時期のアメリカ大陸は面白い逸話がけっこうあるんだよね。

    ディズニーシーのロストリバーデルタにあるクリスタルスカルの魔宮っていうインディジョーンズのアトラクションの中で「若さの泉」を探すシナリオが含まれるけどそれもこの時期のお話なんだよね。あ~、久々にディズニーシーに行きたい!( ・Д・)




    何はともあれ、、、

    てか、一緒に行ってくれる彼女欲しい!( ・Д・)







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    頑張って2日で論文書いてる!( ・Д・)

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    ↑たまたま原体踏んだまま焼いちゃったんだろうね( ・Д・)
    (「石岡市定例記者会見」用のPDFの画像より転載)




    今回の考古学・歴史ニュースはあ~原体の痕跡ね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    白久台(しらくだい)遺跡から、考古学界をざわめかせる発見がありました。縄文時代中期(およそ5,000年前)と推定される土器の破片、その底に残されたわずかな凹み──しかしその痕は、ただの傷ではありません。研究チームはそれを「縄文原体(じょうもんげんたい)」、つまり土器の文様をつけるために実際に使われた縄の形跡だと断定しました。


    これが何を意味するかというと、人類学・考古学ファンだけでなく、縄文文化のロマンを追うすべての人にとって大きな意味を持つのです。なぜなら、土器に縄目模様をつける技術は縄文文化を象徴する特徴のひとつですが、実際にどんな縄が使われていたかを示す物理的な証拠は非常に希少です。今回の発見は国内でわずか3例目であり、しかも加曽利貝塚(千葉市)より古い可能性が指摘されていて、「国内最古」の縄文原体の証跡となる可能性が高いのです。




    🧭 白久台遺跡とは?

    茨城県石岡市所在の白久台遺跡は、縄文時代の集落として報告されており、小さな土坑や縄文土器などが出土しています。2025年2月の定例記者会見で、市教育委員会などの共同調査グループが、土器片から縄の圧痕(痕跡)を確認したことを発表しました。




    🔍 “縄文原体” 圧痕の発見 — その中身

    • 圧痕は長さ約 50ミリ、幅 3ミリ

    • 推定年代は縄文中期、約 5,000年前

    • これが意味するのは、土器の底面に、縄を転がして文様を付ける際に使われた「縄」の物理的な痕跡。

    • 実際の縄(縄文原体)は発見されていないケースが多く、その圧痕だけを頼りに縄の形を復元するレプリカ調査が行われています。

    • 圧痕はこれまで国内で 3例目

    • 研究グループはこれを、加曽利貝塚(千葉)での同様の痕跡より古い可能性があるとみています。



    🧶 技術の復元とその意義

    この発見を受けて、考古・文化財研究の現場では再現実験が始まっています。記者会見資料や学会発表では、圧痕から型を取り、樹脂を使って縄を復元。また、将来的にはその縄文原体を使って、実際に縄で模様付けした土器を再現するプロジェクトも視野に入れられています。


    このアプローチは、単なる「痕跡」の確認を超えて、縄文時代の土器製作技術や生活空間、道具の使われ方をよりリアルに理解するための強力な手がかりになります。




    🌍 縄文の文様技法をめぐって — ほかの事例との比較

    • 同じ石岡市の東大橋原遺跡からは、土器底部に敷物や編組(あみくみ)の圧痕が見つかっており、地域特有の編み技術が推定されてきました。

    • 学際研究では、縄目・網代・編組といった装飾技術を通して、地域間の技術伝播や衣食住のスタイルの違いを探る動きもあるようです。

    • また、縄文文化全体を俯瞰すると、縄目模様の土器は日本列島ほぼ全域で見られ、縄文時代の土器文化を象徴する技法となっています。


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    ↑原体の復元もあるね~( ・Д・)
    (「茨城新聞クロスアイ」の記事内画像より転載)



    おわりに

    縄文原体って考古学の実習で作ったな~って想い出がありますね。記事の性質上、今回の発見も大事って書きましたけども、確かに大事には大事。でももう遥か昔の研究でたくさん実験的に作られて製作過程復元されてるから、そういう意味では大きな意義は内かなって思います。特にね、実際に原体作って縄文土器の実寸復元作ったこともありますが、あれって短いとけっこう大変なんだよね。

    かといって、長い原体作るのも大変なのさ。元々の紐がめちゃくちゃ長くないといけないからさ。まぁ折り返して作らないで紐を複数用意すればいいんだろうけども。でも長くつくると今度は回転させてる時に手で押せてない部分がぶんぶん暴れて器面に変な圧痕残したりするし困ったさんなんだよね。そう思うと原体って大体どれくらいの長さだったんだろうな~って個人的には思います。その意味で今回の発見は一部しか分からないから全体の長さは分からないよね。やっぱ完形で出てくれないとだめなのかな。


    何はともあれ、、、

    レプリカ法流行ってるね!( ・Д・)







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    今日データ取りまくった、えらい!( ・Д・)

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    ↑現地説明会のために片道30分の登山だってさ!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「みんな大好き、最古級!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは、「あるけまや」風にじっくりと長めにお届けします。今回は、鳥取県鳥取市・本高・古海(もとだか・ふるみ)古墳群で、約 1,700年前(古墳時代前期)に築造された「前方後方墳」とみられる墳丘が発見されたというニュースを取り上げます。かねてより当地は「方墳/方形墳」が主体とされてきたなかで、前方部・後方部を備えた墳丘形式の出現というだけでも注目を浴びています。「最古級」という言葉が示すのは、単なる年代の古さだけでなく、墳形・社会構造・地方政権の展開という、三重の新発見を内包しています。では、この発見が私たちに何を語り、何を問いかけているのか。発掘現場から、時代の地層を遡る旅へご案内しましょう。




    🏔️ 発見の舞台:本高・古海古墳群「古海36号墳」とは?

    新たに発掘調査が進められているのは、鳥取市・山陰道の鳥取西インター東側に位置する「本高・古海古墳群」です。令和7年10月時点では、同群内にある「古海36号墳」が全長約65メートル、墳形が「前方後方墳」と確認され、築造時期がおよそ1,700年前=古墳時代前期と推定されました。 


    「前方後方墳」という墳形は、言ってみれば前方部が四角ないし長方形、後方部が方形または四角形、というタイプ。一般に「前方後円墳」がよく言われる中で、この形式の出現は地方における墳墓形式の変化、そして中央政権との関係性・地域王権の形成過程を浮き彫りにします。しかも、墳丘の裾(すそ)から出土した土器によって古墳時代前期に位置付けられ、「鳥取平野でも最古級の墳墓の一つ」である可能性が高まっているという点も、研究者にとって胸躍る材料です。




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    ↑調査風景、当時の旧地表面まで浅いね!( ・Д・)



    🧱 墳形と年代が語る:地域王権と墳墓形式の転換

    何がこの発見を「特別」とさせているか。それは、墳形・規模・年代の三つが揃って「地方における王権成立期の証拠」として機能し得ること。


    通常、古墳時代初期・前期に地方でみられるのは「方墳」「方形墳」「前方後方墳」などが多く、「前方後円墳」は近畿を中心とする中央勢力の影響下で拡大した形式とされています。 鳥取において、この約1,700年前という時期に「前方後方墳」が築造されていたということは、地方王権あるいは有力者層が早期に墳墓形式を変化させ、ここに王権・儀礼・象徴の構図が生まれていた可能性を示唆しているのです。しかも全長65 mという墳規模も地方とはいえ有力な勢力を感じさせる数字です。


    更に墳頂部から出土したとされる「葬儀に使用された土器・埴輪」も確認されており、これらは被葬者の社会的地位・儀礼の内容・他地域との交流関係を探る上での重要な手掛かりとされています。




    🔍 出土物・調査手法・今後の焦点

    調査報告によれば、古海36号墳の裾部から古墳時代前期の土器が出土しており、その分析から築造時期の推定が成されています。 また、調査チームは墳丘の墳形・造営手法について今後詳細な地形測量・3Dモデリング・土層分析を行う予定とされており、この墳丘がそのまま「地方初期墳墓の変化を示すモニュメント」になる可能性があります。 特筆すべきは、今回の調査で「墳丘の地山削り出し/盛土の少ない築造方法」や「墳形が変形している可能性」について理解できる見込みであること。。これらは、古墳造営における技術・労働体制・地域資源の情報を読み解く上で重要です。




    🌏 日本列島と地方王権:鳥取における古墳文化の新地平

    この発見を日本列島の古墳文化という大きな枠で捉えると、以下のような視点が開けます。

    • 全国には古墳時代に約16万基以上の古墳が存在しており、その多くは3〜7世紀にかけて築造されたものです。

    • 墳形・規模・副葬品の違いが、「中央政権(大和朝廷)と地方有力者」「モノづくり・交易・儀礼の変化」を反映しています。

    • 鳥取県という山陰・地方において、「最古級」とされる前方後方墳の出現は、中央からの一方的な影響だけではなく、地方独自の王権・儀礼システムの存在を示すものと言えそうです。

    つまり、この古墳は「地方からの構図変化」「地域王者の出現」「墳墓形式の進化」という日本古代史の隠れたピースを提示しており、考古学・歴史・文化人類学にとって極めてエキサイティングな場となっています。



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    ↑現地説明会の様子、トレンチなまら狭い!( ・Д・)



    おわりに

    こんなところにビル建てるわけないし、行政の調査のようだけど学術調査みたいですね。頂上部かな、トレンチめちゃ狭くてサブトレクラスだな~って思うけれど、こういう調査の仕方もあるんですね。予算とか期間の問題のせいかな。日本考古学って長いトレンチ入れてバカ細かく分層しまくるの大好きなイメージなんだけど、、、トレンチ長いのはいいとして、幅やばくない?( -д-)ノ

    まぁ現地表面から目標の層まで浅いし、この山の中で後世の人口攪乱もなさ気だし、ってことは層序が単純なわけで、幅激狭くてもOKってことかな。まぁ予算は石室当てる時の本調査に集中して使いたいという思惑の現れかもね、、、てか、だろうね!( ・Д・)



    何はともあれ、、、

    早く副葬品たっぷりの墓当ててくれ!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 7にち(きんよーび、くもり)

    さすがにそろそろYoutubeやらんとマズイ!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑赤は古代から大事な色!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「さっき青について書いたと思えば今度は赤?!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは、「あるけまや」風に、少しゆったりと導入からお届けします。今回は、徳島県阿南市の山あいで発見された、古代の“辰砂(しんしゃ)=水銀朱”採掘遺跡、若杉山辰砂採掘遺跡。これ自体が日本有数の鉱山遺構として知られていますが、さらに最近、そこから出土した「木片」に注目が集まっています。鉱石採掘と顔料製造の現場から、木片という“意外な痕跡”が浮かび上がり、古代人の技術・作業環境・流通ネットワークがより立体的に浮かび上がろうとしています。では、「石と木と赤い顔料」が交錯するこの現場を、じっくりと深掘りしていきましょう。




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    ↑遺跡遠景、鉱山遺跡なだけあって山!( ・Д・)
    (「徳島県立博物館」のページ内画像より転載)



    🏔️ 遺跡の場所と歴史背景

    徳島県阿南市水井町、那賀川支流若杉谷川沿いの山腹、標高140〜170 m付近に広がる若杉山辰砂採掘遺跡。ここでは弥生時代後期〜古墳時代前期にかけて、朱の原料である辰砂が採掘・精製されていたことが確認されています。採掘場とズリ(廃石・破砕石の堆積)場からなるこの遺跡は、日本国内で辰砂採掘の実態が明らかな遺構として唯一という評価を受けています。 また、令和元年10月16日に「国史跡若杉山辰砂採掘遺跡」として指定されました。 


    このように、遺跡そのものが“鉱山・顔料生産の現場”であったことから、石材・工具・鉱石・製造工程・そして流通の痕跡など、多様な視点から研究されています。




    🧪 木片出土という新しい手掛かり:何を意味するのか?

    近年の調査では、採掘場・精製場とみられる場所から「木片」が複数確認されており、これが鉱石の採掘・加工工程に関わる重要な証拠となってきています。たとえば、岩盤を焼いて割る技法が使われていたという報道もあり、山腹には“すす”付き岩盤が見つかっています。 

    木片が意味する可能性としては:

    • 岩盤加熱のための木材使用跡(薪・炭木材)

    • 採掘坑道支保材または足場材としての木材利用

    • 辰砂を精製するための道具・木容器などの破片
      などが考えられています。

    特に「採掘技法に火を使った可能性」の報道は、「木材+火+石器加工」という縄張りを越えた複合作業を想起させ、単に“石を割る場所”から“顔料をつくる工場”という側面を強めています。したがって、木片の出土は“鉱山・精製場=単なる採掘跡”という理解を超え、「木材を伴った工場的現場」であった可能性まで広がっているのです。


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    ↑石臼などの遺物の出土状況!( ・Д・)
    (「徳島県立博物館」のページ内画像より転載)



    🔧 採掘・精製の工程と出土石器の意義

    若杉山では、岩盤を打ち割って辰砂鉱石を露出・採取し、その後、石杵(いしきね)・石臼(いしうす)を用いて粉砕・選鉱する工程が確認されており、その出土品が重要文化財に指定される一部となっています。採掘場跡・ズリ場・精製用石器・土器破片などが揃っている点から、この現場は「原料採取から加工まで一体的に行われていた」と学界では評価されています。 

    木片の存在を加味すれば、火入れ・木材運搬・支保構造といった技術的・労働的側面も含めて、考古学的な“鉱山・工場”像がよりリアルに描けるようになってきました。たとえば、木材が採石坑内で燃料として使われたという“すす付き岩盤”の証拠も発表されています。こうした工程を通じて作られた辰砂=水銀朱は、弥生末〜古墳前期の埋葬施設・儀礼施設に広く用いられており、若杉山からの流通を通して、当時の社会が顔料・鉱物資源活用に長けていたことを物語っています。



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    ↑辰砂採掘・加工遺跡として色んなものが出るね!( ・Д・)
    (「徳島県立博物館」のページ内画像より転載)



    🌐 流通・社会的意味:朱の生産から広域交流へ

    朱=辰砂・水銀朱という顔料は、古代日本において極めて象徴的な役割を果たしてきました。土器・銅鐸・墳丘・石室内壁などに使用されたことが各地で確認されており、古墳時代前期の埋葬儀礼とも深く関わっています。 また若杉山遺跡は“地域唯一”という立場でありながら、香川県産の石材(ヒン岩)を使用している石杵など遠方材の搬入も確認されており、単なる地産地消ではない広域的なネットワークの存在を示唆しています。 


    これにより、「阿南・若杉山 → 他地域古墳群」という原料流通ルートの存在が想定され、当時の社会が鉱物資源や顔料を通じて“地域を超えた文化交流”を行っていた可能性が浮上してきています。よって、この遺跡は「ただの採掘場」ではなく、社会・技術・交流の交差点でもあったのです。





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    ↑レッドスカルの顔!( ・Д・)




    おわりに

    今回の記事は塗料が化粧として使われていたって話でもなければそもそも話材の中心が辰砂ではなく、木材の方なんですよね。まぁでも前回の記事との対比ってことで赤い顔の人のイメージを出しておきました( -д-)ノ 

    やはり赤色は血の色であって力の象徴ですから、世界的に古くから使われる色です。辰砂と水銀朱が主ですが、遺体に振りかけるのがよくある事例かな。古代マヤだと神殿全体も真っ赤に塗っていたようだけれど。私がティカルで行った調査では下層の人々の住居の壁も漆喰で覆われた後に赤い塗料で覆われていたみたいだと分かっています。

    みんな赤大好きだね!




    人気出すために、、、

    私も顔赤く塗ってレッドスカルみたいになるかな!( ・Д・)







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    2025ねん 10がつ 12にち(にちよーび、くもり)

    新生活、慣れるまでが大変だぜ!( -д-)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは「人類、昔からひつじと一緒!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    風にさらわれた砂埃のように、過去はいくつもの痕跡を残す。その中に小さな角の変形があったとしたら?


    紀元前3700年ごろ、エジプト・ヒエラコンポリス(Hierakonpolis)の墓地から、人工的に変形された羊の角 が発見され、考古学界はざわめいた。この発見は、「安全対策」や「共生の知恵」が人間と動物の関係において、思いのほか早く昇華されていた可能性を示している。

    この記事では、発見の詳細、技術と目的の仮説、そして「安全と共生」が古代から続くテーマであったという視点を、あるけまや風にじっくり読ませるように描いていきたい。






    🏺 発掘された角たち:ヒエラコンポリスでの角変形事例

    考古学者たちは、エジプト・上エジプトの古都ヒエラコンポリスにある墓地(墳墓 54など)から、少なくとも6頭のオス羊 の頭骨を回収した。


    そのうち複数は、自然に成長すれば横へ広がるはずのらせん状(コークスクリュー型)の角を、真っ直ぐ上に向けたり、または根元で完全に除去されたりしている形跡を示していた。これはこれまで羊では記録されたことのない、人工的な角変形の最古例とされている。


    角の根元部分には、骨に亀裂の痕や穴(穿孔)が確認され、結びつけた痕跡も観察されている。つまり、生来の角成長を曲げる、または位置を固定するような操作がなされていたと考えられている。これら羊は普通の「食用」用羊よりも年齢が高く、大きさも優れていた可能性が指摘されており、去勢(キャストレーション)された個体である可能性も高い。


    研究報告では、この一連の変形作業は「骨を折って角基部を操作し、縄で固定して治癒させる」ような技術であった可能性が高いとされている。なお、この技術は後世の牛などで見られる角変形技術と似ている点もあり、アフリカおよび中東地域の牧畜文化の連続性を示唆するものと見られている。




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    ↑立派な角だぜ!( ・Д・)(「Archaeology Magazine」の記事内画像より転載; credit: Bea De Cupere)

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    ↑この辺が変形痕らしい!( ・Д・)(「Independent」の記事内画像より転載;Wim Van Neer et al. 2024



    🛡️ なぜ角を変形させたのか?安全管理と象徴性

    羊の角を人工的に変形させる──その動機にはいくつもの仮説が立つ。以下、主なものを整理してみよう。

    🔒 互いの傷害防止と人–動物関係の安全性

    最も現実的な仮説は、羊同士、また人と羊との間で角がぶつかることによる怪我を防ぐという機能的な狙いである。角が横に広がっていると、激突や絡みが起きやすいため、それを縦方向・近接方向に変形させることで、損傷リスクを減らすという考えだ。実際、発掘報道でもこの点が指摘されており、変形は利便性・安全性をある程度伴った技術であった可能性が高いと報じられている。

    🎖 権威・ステータスの誇示

    羊を所有すること自体がステータスだった時代、このように手の込んだ変形操作を加えることで「特別な羊」「異彩を放つ羊」として目立たせる意図があった可能性も強い。特にこの発掘が“エリート墓”からなされたことは、所有者が象徴性を重視していたと考えられる要素である。角変形が一種の装飾・記号として機能した可能性だ。

    🌀 儀礼・宗教的な意味合い

    ある研究者らは、このような変形羊が、儀式や祭祀目的で飼育された可能性を指摘している。羊は古代エジプト文化で供犠・神聖動物としてしばしば扱われたため、角を操作することにより“神的”象徴性を付与する意図があったかもしれない。変形行為自体が神と人との媒介、または自然界を制御する人間の意志表現と見る向きもある。






    🔍 技術と保存の解読:変形の痕跡を読む

    この発見を「ただの奇妙な角」では終わらせず学術価値とするには、技術的・分析的な裏付けが鍵だ。以下は注目すべき点だ。

    • 骨構造の解析:角基部骨(角芯骨/角核部位)に見られる亀裂・穿孔・骨融解などの変形痕のパターンは、変形操作を行った時期や方法の手掛かりとなる。研究報告でもこれらが重要な証拠として挙げられている。

    • 結束痕跡:角近傍に対するくさびや溝、縄による縛り痕などの痕跡や構造的締結痕を探ること。報道では角の縛り跡として“ノッチ(刻み)”の存在が指摘されている。

    • 動物比較と系統比較:同時代または近接地域で見られた牛やヤギの角変形技術と比較し、変形技術が羊独自なのか、ある伝統の変形文化の一環なのかを検討する。

    • 年齢・去勢の関係:変形羊が去勢されていた可能性や年齢が高かった点は報告されており、それが変形耐性や成長特性に影響した可能性を探ることが重要。去勢動物は骨格成長がずっとゆるやかになりうるからだ。

    • 保存環境の影響:骨質の劣化や風化が変形痕を消磨してしまう可能性も高いため、保存条件や土壌成分なども併せて慎重に評価すべきだ。



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    ↑全然わからん!( ・Д・)(「Independent」の記事内画像より転載;Wim Van Neer et al. 2024


    🐏 古代から今へ続く“安全と共生”のライン

    この発見は、ただ古代の“奇習”を語るだけではない。むしろ、人類が動物と共生する過程で、「安全性」「制御」「象徴化」の技術を古くから育んできたことを示唆する。以下は未来への視点だ。

    • 現代の畜産では、角を切除(ホーンカット)、角を包帯で巻く、ホーンブレイキングなどの方法が行われることがある。今回の発見は、こうした行為が何千年もの歴史を持つ可能性を示す。

    • 角という「武器性」を抑制しつつ利用する発想は、動物福祉と共生の知恵の原点かもしれない。

    • また、羊は日常生活に根差した動物であったが、その存在に調整と象徴を重ねてきた人間の創造性と制御意志の一端を、この角変形は語っている。

    • さらなる調査で、他地域の同時代動物変形例(牛・ヤギ・山羊など)との比較を進め、牧畜文化史のネクサスを紐解く鍵になるだろう。

    角を変えるという小さな操作には、人–動物–権威–儀礼という多層的な物語が込められている。古代にも、私たちのように「よりよく共に生きる工夫」があったのだろう。







    おわりに

    変形箇所を図示されてもよくわからんですね。

    きっと野生の羊の頭蓋骨と並べても素人にはたぶんよく分からない( -д-)ノ



    まぁでもエリートが象徴として羊を所有してたってのは面白いなって思う。

    エジプトだからラクダかと思った。



    でもサムネ画像やトップ画像で挙げたような可愛い羊じゃないんだよね。

    今なら可愛い子羊飼ってSNSで投稿したらある種のステータス?になるかもだけれど、

    当時の羊は権力や富の象徴だから(今でもそうか( ・Д・))、角なまらでかいよね。

    羊もでっかくて勇ましい感じのやつだと思う。

    トロフィーになりそうなやつ!




    何はともあれ、

    やぱ子ひつじ可愛いな!( ・Д・)



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    2025ねん 10がつ 11にち(きんよーび、晴れ)

    今日からやや無謀な挑戦をしようかと思う(*^・ェ・)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースはでかいぜ、らくださん🐫!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    砂漠に消えた文明の息吹を、私たちは本当に想像できるのだろうか?


    夜明け前の冷たい空気と、どこまでも続く地平線の中で、ふと目を凝らすと、岩肌の陰影が人の目に映る――いや、ラクダの姿だ。これはただの偶然の模様か、それとも遥か昔からのメッセージか。


    最近、サウジアラビア北部のヌフド砂漠近傍にある幾つかの岩地で、『高さ2メートルを超える生命大サイズのラクダ彫刻(岩絵)』が発見されたというニュースが、考古学界と世界中を駆け巡った。


    しかもその年代はなんと 約11,400年〜12,800年前 と推定され、人類がこの地を再び利用し始めた時期を 2,000年以上も遡らせる可能性を示している。


    この偉大な発見の意味を、あるけまや流の語りで、時間と空間を揺らしながら追ってみよう。






    🏜️ 発見の現場とその広がり

    今年発表された研究によれば、発見は Jebel Arnaan、Jebel Mleiha、Jebel Misma の三つの未踏岩場で行われ、60 を超える岩絵パネルに、合計 176 点近い彫刻が確認されたという。内 130 点ほどが、ラクダやイベックス(アイベックス)、ガゼル、野生ロバ、さらには絶滅種オウロクス(ウールド牛)まで含む「動物画」である。


    これらの彫刻は、11,400~12,800 年前(つまり後期更新世〜完新世転換期)に属すると分析されており、これまで「人が砂漠中央部に住み始めたのは約1万年前以降」という定説を揺るがす可能性を持つ。


    彫刻はくさび(wedge)型の石で刻まれており、アーティストは狭い足場で作業していた可能性がある。そうして描かれたラクダ、ガゼル、他の動物を含む生命大の岩絵が発見された。


    さらに、研究者らはこれら岩絵が 砂漠中の季節性水源を示す“道しるべ” 的な役割を果たした可能性を指摘しており、彫刻と沈殿分析から、彫刻周辺には湿期にしか現れないような淡水湖が存在していた形跡も確認されたという。




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    ↑思ったよりはっきりしてる!( ・Д・)(「SCI AM」の記事内画像より転載;credit: Sahout Rock Art and Archaeology Project)



    🎨 岩絵の表現と技巧:なぜこの彫刻群が特別か

    この岩絵群が従来のアラビア岩絵とは異なる点は、まずその 大きさと写実性。中にはラクダが 3m に近づくものもあり、岩面に深く掘られている彫刻も存在するという。


    また、あるパネルは 高さ 39 メートルにも達する崖面 に描かれており、アーティストは極端に狭い足場から刻んだ可能性がある。足場が不安定な場所で、後ろに下がって全体像を見ることもできない環境で、正確なプロポーションを保って刻む技術は、相当な熟練を要したはずだと報告されている。


    さらに、彫刻の重なり層(複数の時期に刻まれて重ねられているようなライン)が見られるパネルもあり、長期間にわたってこの岩場が「重要な場所」であり続けたことがうかがえる。


    彫刻手法については、くさび状の石を使って鋭い線を刻む「ペッキング(pecking)」技法が主に使われたとされるが、直接的な顔料や色彩の痕跡は確認されていない。時間の風化で失われた可能性もある。






    🧭 人びとの足跡:彫刻と共に見つかった遺物たち

    岩絵そのものだけでなく、それらの下層・隣接層からは、多数の石器、骨片、炉址、矢じり、貝殻ビーズなども出土している。特に注目すべきは、岩絵直下から発掘されたペッキング用の石器 で、これが彫刻年代推定の裏付け材料の一つとされている。


    これら遺物にはレバント地域でよく見られる El Khiam 型や Helwan 型の矢じり樣式も含まれており、当時の集団が長距離交流網を持っていた可能性を示唆しているという報告もある。


    また、淡水湖の痕跡を示す堆積物分析から、彫刻が刻まれた時期には季節的に水が湛えられた水たまり・湖沼が存在していた可能性が強く示されており、彫刻が「道しるべ」「水場の指標」「儀礼」が交錯した場所だった可能性が議論されている。




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    ↑らくださんたくさん!( ・Д・)(「SCI AM」の記事内画像より転載;credit: Sahout Rock Art and Archaeology Project)


    🌍 歴史観へのインパクト:人間、砂漠、文明の再構図

    この発見が学界にもたらす波は大きい。まず第1に、これにより「アラビア中央部における最初期の人間の定住・通過」が少なくとも 1~2千年ほど前倒し できる可能性が出てきた。従来は、砂漠縁辺部やオアシス周辺から中心部へ人が入り始めたと考えられていたが、この岩絵はより過酷な環境での人間活動の証左となるかもしれない。


    第2に、彫刻が示す「ラクダ」「野生動物」「繁殖期の表現」などの構図は、この地域での生態理解、気候変動、資源配分、狩猟・移動戦略などを再構成するツールとなる。特にラクダ表現が頻出する点については、ラクダが当時すでに砂漠適応動物として重要な意味を持っていた可能性が指摘されている。


    第3に、彫刻の位置・規模・アクセス困難性を考えると、これら岩場が単なる日常描写の場ではなく、人びとの「ランドマーク」「儀礼空間」「記憶地」として組織的に使われていたことを示唆する。彫刻を作るためのエネルギーとリスクを考えれば、それは「意味を共有する共同体」の所在を仮定させる。


    最後に、この岩絵発見は、アラビア半島を「ただの砂漠地域」から、「古代人が挑み、記した記憶の舞台」へと再び位置づけ直す契機となるだろう。







    🎯 課題と今後への問い

    この岩絵群にはまだ未解明の謎も多い。いくつか重要な課題と問いを挙げておこう。

    • 直接的岩絵年代の確定:現在の年代は岩絵周辺堆積物や石器分析による間接推定であり、岩そのものに対する年代測定や他種年代測定法が適用できるかどうかが鍵となる。

    • 顔料や色彩痕の検出:時代経過で流失した可能性もあるが、かつて彩色があった痕跡の有無が確認できれば、むしろ『岩絵+彩色』という表現の複合様式を示せるかもしれない。

    • 彫刻制作者集団の文化的系譜:レバントとの矢じり・装飾品類の共通性は注目すべきだが、それら集団がどのように関わっていたのか、移動ルート・交流圏をどう設定すべきか。

    • 彫刻の機能論的理解:この巨大ラクダ岩絵が本当に「水源マーカー」だったのか、または境界標・儀礼的象徴なのか。多層的な役割を見出すには、景観分析、地形モデル、古気候データとの統合が必須。

    • 周辺岩絵・追加彫刻の探索:現在確認されていない未発見岩場の探索、ドローンやリモートセンシングを使った空間的拡張調査。


    砂漠の岩壁に浮かぶラクダの横顔は、まるで風に吹かれた記憶の残像だ。1万年を超えた時間を隔てても、それは何かを語ろうとしている。だが語るべき言葉は風景と言葉の重なりの中にしかない。私たちはその断片を拾い、読み解き、未来へ繋げる作業をやめてはならない。




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    ↑確かに色んな動物がいるね!( ・Д・)(「SCI AM」の記事内画像より転載;credit: Sahout Rock Art and Archaeology Project)




    おわりに

    むちゃくちゃ古い時期のモノって大体石材になっちゃうけれど、、、

    年代測定が難しいのよね~。



    まぁどんな時期でも難しいには難しいんだけれど、

    環境条件次第でほんと難しくなるんだけれど、

    (逆に簡単になる場合もある!)



    やぱ石材は難易度激高だよね~( ・Д・)

    これも石材種によるんだけれど、基本的に全て難しいと思っていい。



    今は間接的証拠を集める他ないけれど、

    超他力本願的には、誰か新しく優秀な年代測定法を開発してくれんかね?

    ノーベル賞で沸いてる日本よ、巨大な研究費くださいな!( ・Д・)




    何はともあれ、

    やぱ動物可愛いな!( ・Д・)



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    2025ねん 9がつ 29にち(げつよーび、くもり)

    激務な上にToDo借金ばかりで死ぬ!( -д-)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースはよくある最古系だけど、今回は130万年くらい更新したぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ




    🔍新発見の概要:スラウェシ島・カリオ遺跡の石器

    2025年、科学誌 Nature に発表された論文で、インドネシア・スラウェシ島南部の カリオ(Calio)遺跡 において、約 104 万年から最大 148 万年前 の剥片(はくへん)石器が確認されたという報告が注目を集めた。


    この石器群は、これまでスラウェシ島で確認されていた最古の石器記録(約 19 万年前)をはるかに凌ぐものであり、ホミニン(原人類)がこの島に極めて昔から存在していた可能性を強く示唆する。


    報道では「ホビット(Homo floresiensis)あるいはその近縁・未確認種が製作したかもしれない」といった可能性も語られており、研究者たちはこれまでの人類拡散モデルを揺さぶる発見と捉えている。






    🧩考古学的アプローチ:どうやって年代を出したか?

    この発見には、複数の現代的解析手法が使われており、信憑性を支える要素が幾つもある:

    • 古地磁気法(palaeomagnetic dating):堆積層の磁気記録を用いて、その地層がいつの時代に堆積したかを推定。石器が含まれる砂岩層の磁気特性を分析。

    • U系列/電子スピン共鳴(US-ESR)法:遺物近傍の化石歯(動物の歯)などの年代を測る技術で、間接的にその層の年代を裏づけ。

    • 層序と付帯化石:石器と同じ層あるいは上下層から見つかった動物歯骨・堆積物の年代を対比。報告では、石器より上層で見つかったブタの骨等の年代がこの層の年代を補強する証拠とされている。

    これらを複合した結果、「少なくとも 104 万年、最大 148 万年」というレンジが提示されたわけ。





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    ↑背景黒だとかっこいいよね!( ・Д・)(「BBC Science Focus」の記事内画像より転載)




    🧠「ホビット」可能性と種の謎:どのホミニンか?

    この発見報道では、「ホビット(Homo floresiensis)」という語がキャッチーに使われてるけど、実際には慎重な線引きが必要だ。以下、注目すべきポイント。

    • Homo floresiensis(フローレス原人) は、フローレス島で見つかった小柄なヒト族。既知の年代では約 100 万年以下、あるいはもっと後世の時期に存在していたという研究が主流。

    • カリオ石器発見は、スラウェシ島における 直接的化石ホミニン の発見を伴っていない。石器のみの出土で、ホミニン本体の骨はまだ見つかっていないという点が、慎重な議論を呼んでいる。

    • 研究者は「ホビットそのものか、それに近い未発見のホミニンか、あるいはホビット系統前段階の原人かもしれない」として、現段階では断定を避けている。

    • 興味深い点として、フローレス島での石器出土(約 102 万年前)との比較がある。フローレス原人の文化的・技術的起源とスラウェシの初期ホミニンの石器文化との関連性が議論されている。

    ゆえに「ホビットが作った可能性も」という報道文言は、ロマンとしては刺激的だけど、学問的には「可能な仮説の一つ」であり、他の代替仮説を排除する段階ではない。






    🌊“南太平洋の島”という表現の注意点:スラウェシは南太平洋か?

    報道タイトルで「南太平洋の島」と言われることがあるが、地理学的に誤解を招く要素がある。スラウェシ島はインドネシア・東南アジアに属し、厳密には 西太平洋/東南アジア島嶼域 に位置する。太平洋南部のポリネシア・大洋州諸島とは異なる地域。


    ただし、ヒトの海を越えた拡散や島嶼域移動を論じる際に、「海を渡る文化拡散・ホミニン拡散」という文脈で「太平洋島嶼類似性」を比喩的に使う報道がある点は注意すべき。






    🧭意義と波及:この発見が意味するもの

    この発見が抱えるインパクトと、今後の議論テーマを挙げてみる:

    • ホミニン拡散モデルの再考
       もし 148 万年前という年代が確実だとすれば、ホミニンの島嶼移動・海洋横断能力を従来考えられていたよりも早期に見直す必要がある。

    • ホビット起源仮説の支持要素
       スラウェシ → フローレス の連関仮説を支持する材料となる可能性。「ホビットはスラウェシから来たのでは?」という仮説を、石器文化の先行例として補強できるかもしれない。

    • 技術文化の連続性・断絶
       この石器文化と後世フローレス島や他島の技術文化との関連性を探ることで、文化の継承・拡散過程を可視化できる可能性。

    • 未発見化石への期待
       石器のみでは種の同定に限界があるため、この発見を契機として、本体化石・ホミニン骨格出土への期待が高まる。

    • 地質・海面変動との関連
       発見年代が古いということは、過去の海面低下や地質変動がどのように島をつなげたか、あるいは海を跨いだ移動ルートがどうあったかを再検討するきっかけになる。



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    おわりに

    今回は最大で130万年も最古記録を更新って話なんですけど、まぁちょっとズルい感じもします。

    これまでの最古が20万年前くらいというのは化石人骨の証拠なのに対して、今回の150万年前は石器ですから、遺物の残り易さに差がありますよね。

    これだけ古いとヒトが作った石器かどうかの議論も再燃するのかなって気がしてましたが、上の写真を見る感じでは石器製作工程が決まってそうなのでサルじゃないなって気がします。

    オルドヴァイよりもティアドロップの作られた時期のような整形感を感じるなってだけですけどね~。

    時期的にもちょうどその中間な感じもします!



    何はともあれ、

    やぱなんだかんだ最古っていいな!( ・Д・)



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    2025ねん 9がつ 21にち(にちよーび、晴れ)

    宣言通り昨日はYoutube動画つくったぜ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは💀🔥 火で乾かす『長生きの秘術』 — アジア発、世界最古級、煙乾燥ミイラ群の衝撃!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    *閲覧注意!:スモークドマミー(燻製ミイラ)の画像が下部にあるので、グロ系ダメなひとは見ないでください!




    📰 冒頭


    熱と煙の匂いが、1万年以上の時を越えて届いた――。


    南中国・東南アジアの複数遺跡を再解析した新研究が示したのは、“人為的に低温の煙で数日〜数週間かけて乾燥させる”ミイラ化行為が、紀元前1万年ごろ(あるいはそれより古く)に行われていた可能性だということ。


    これは「ミイラ=エジプト」の常識を揺るがし、葬送行為と祖先崇拝の起源に新たな光を投げかける。






    🔎 発見の要点:どこで何が確認されたのか

    🗺️ 国や地域:主に中国南部(広西、広東の遺跡)やベトナム、インドネシア、タイ、マレーシア、フィリピンの旧石器〜前新石器層の埋葬群が再検討され、合計で数十例(54体を中心に解析した報告)が対象に含まれた。


    🔥 何が見つかったか:屈曲(しゃがむ/胎児様)位で埋葬された遺骸、骨の表面に見られる熱変性や煤(すす)付着、頭蓋の焼け痕・切開痕など、単なる偶発的な火災や焼失とは異なる「持続的で低温の熱処理(煙乾燥)」を示す痕跡が検出された。


    (重要)この研究は、化学分析(X線回折や赤外分光等)や顕微鏡観察を用いて「熱による骨や軟組織の段階的変化」と「煤の付着」が埋葬過程に関わったことを示している。





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    ↑普通に屈葬の骨に見えるね!( ・Д・)(Hung et al. 2025, Fig.2, 5より転載)



    🧪 「煙で乾かす」って具体的にはどうやったの?

    想像してみてほしい。死者を丸めて抱え、火のそばに横たえ(もしくは骨格を組み直して)長時間にわたり熱を当てる。


    温度は高温焼成(焼却)に至らない範囲で、低く持続的な熱(燻し)と煙が壁や被覆、周辺材に作用して身体から水分を徐々に抜いていく。


    研究チームは、骨の色変化・微細割れ・煤の粒子の挙動などから、こうした“煙乾燥(smoke-drying)”工程が積極的に行われた可能性を示した。




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    ↑こんな風にやるらしいよ!( ・Д・)(Hung et al. 2025, Fig.9より転載)



    🌍 なぜ重要か — 世界史の教科書を書き直すのか?

    従来、最古の“人為的なミイラ”として注目されてきたのは、チリ北部のチンチョーロ文化(約7,000年前)や古代エジプト(約4,500年前)だった。


    今回の発見はこれらより古く、最古クラス(論文では「1万年以上前」〜最古で約12,000年前とする報告もあり得る)の人為的保存行為を示す可能性があるとされる。


    もし確定すれば、ミイラ化の発明が“砂漠や巨大墓の文明”ではなく、むしろ熱帯・亜熱帯の小型・移動性社会(狩猟採集民)の葬送実践から出現した、という視点を与える。







    🧭 文化的・進化的な意味:葬送はなぜ生まれたのか

    葬送の起源をめぐる議論では、「衛生的理由」「遺体の保存」「祖先崇拝や社会的記憶の保持」など複数説がある。


    煙乾燥は“保存”と“儀礼”の両面を兼ね得る手法で、遺体を可能な限り“見える形で”保ち、長期間にわたって遺族の記憶を触発することを可能にする。


    小規模な集団での祖先記憶の維持や社会的結びつきの強化に寄与した――そんな仮説が考えられる。


    研究者はまた、現在もパプアなどで続く民俗的な燻製・ミイラ保存技術との連続性にも言及している。




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    ↑やぱ普通に屈葬の骨に見えるね!( ・Д・)(Hung et al. 2025, Fig.3, 4より転載)



    🔬 論拠の強さと慎重論:疑問点はなにか?

    重要な点だよ。報告は力強く示唆しているものの、以下の点で慎重さが求められている:


    1. 年代の確定精度 — サイトごとに年代測定法や層位の質が異なるため、すべてが同時期の同一習俗を示すとは限らない。

    2. 行為の意図性 — 熱による変性=意図的保存とは断定できないケースもあり、自然発生的な乾燥や偶発的な火の影響と区別する必要がある。

    3. 地域性の幅 — いくつかの場所では明確な儀礼的証拠が薄く、局所慣行だったのか、広域的な風習だったのかは追加研究が要る。


    学術界には既に慎重論も出ており、さらなる化学的解析、DNA・たんぱく質保存の検査、微痕跡学的研究が求められている。




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    ↑これが現代のスモークドマミー!さすがに生々しい(?)ぜ!( ・Д・)(Hung et al. 2025, Fig.8より転載)



    おわりに

    上に挙げた現代の例ですけど、インドネシア、パプアで2019年に撮影されたものです。

    この状態ならミイラだな~てなるけれど、さすがに約1万年も普通の土の中に埋もれていたらそりゃあ骨だけになるよね。

    ほんとただの屈葬にしか見えないんだもん( ・Д・)




    そりゃあさすがに反論も出るわ。

    どこの考古学者も(一般の方々もだけど)最古とか最大とか大好きだけど、

    中国は特に最古大好きな感じがするからなぁ。

    まぁ今回は中国南部と東南アジアの例として挙げてるけど、中国は東南アジアは中国のモノっておもってそうだし(苦笑)



    そういう意味ではなんか漠然と不安!



    でも日本人研究者も混じってるし、

    分析自体は同年代の他地域の人骨との比較で統計的に差異を出せばいいから時間と労力かければ何とかなる問題だし、

    最古のミイラの時期に関しては多少オーバーに言う民族性があれど、エジプトや南米の事例に比べりゃ遥かに古いので問題ないかと思う。



    ・・・絶対最古なんだから控えめに安全圏で言おうとする姿勢は日本人特有か?

    まぁでもそれが日本では美徳でも世界的に見れば日本人の弱さでもある。

    ガンガンに押していかないからな。

    一長一短かヽ(TдT)ノ



    あ、今回の論文、共同執筆者が全部で22名・・・

    考古学でも学際的研究を推進した結果(無理に進めた結果?)こうした理系論文で見られるような『大所帯』論文が散見されるようになったね。

    まぁアメリカ発の「論文数至上主義」的な病気が蔓延してるからみんな名前ぶち込みたいもんね。

    ま、特に関係ないし、いいんだけど!(*^・ェ・)ノ




    何はともあれ、

    久々にスモークチーズとか食べたいな!(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?



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