あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    最古系

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    2026ねん 5がつ7にち(もくよーび、晴れ)
    GW、たくさん休んでしまった!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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    ↑鉄製品良く残ったねぇ!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは国内最古かもしれない弥生時代ののこぎりが福井の林・藤島遺跡で見つかって、しかも玉づくりに使われた可能性があるらしい!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



    📰 はじめに


    のこぎりって、現代ではあまりにも当たり前の道具だから、考古学ニュースとして聞くと少し地味に見えるよね。

    でも今回の話は、たぶんそんなに地味ではない。
    というのも、福井市の林・藤島遺跡で見直された鉄製品1点に、保存処理の過程で鋸歯がはっきり確認され、弥生時代の鉄製鋸である可能性が出てきたからだ。もしこれが妥当なら、日本列島でこれまで最古とされてきた古墳時代前期の鋸より古く、鋸の導入時期が弥生時代後期までさかのぼることになる。しかもこの遺跡は、ただの集落ではなく、玉づくり工房をともなう大規模集落なんだよね。


    つまり今回の話は、
    「古いのこぎりが出ました」
    で終わらない。

    むしろ大事なのは、
    弥生時代の北陸で、玉づくりみたいな精密な手工業に鉄の工具がどう入り込んでいたのか、
    そこが急に具体的になってきたことなんだよね。


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    ↑遺跡の全景、フィルムで撮った?って思うくらい古い印象!( ・Д・)(「魚津知克らによる資料報告」の第1図より転載)


    🌏 まず、弥生時代ってどんな時代だったのか

    弥生時代は、水稲農耕の広がりとともに、中国大陸や朝鮮半島を経由して鉄器が入ってくる時代として知られている。だいたい紀元前300年ごろから300年ごろまでの時期とされ、北部九州に現れた新しい文化が東へ広がっていったと説明されている。つまりこの時代は、田んぼの時代であると同時に、外から入ってきた新しい技術が日本列島の各地でローカルに組み替えられていく時代でもあるんだね。


    しかも弥生時代後期になると、地域どうしのまとまりと交流がかなり強くなっていく。
    1・2世紀ごろには、中国大陸、朝鮮半島、日本列島各地の結びつきが濃くなり、外部との交渉を担うような特別な人びとも現れてくると整理されている。だからこの時代の工房や工具の話は、単なる職人仕事の話ではなく、広域交流の中で何が伝わり、どこで高度化したのかという話にもつながってくるんだよね。


    💎 その弥生時代に、玉づくりはかなり重要だった

    弥生の玉というと、ついアクセサリーくらいに見えがちなんだけど、実際にはかなり重要です。

    勾玉や管玉は、弥生時代になると有力者の墓に副葬されるようになり、青銅器などと並んで「力」の象徴としての意味を持つようになっていく。とくに貴重な石材で作られた玉を持つことは、遠隔地との交渉力や入手力を示すことでもあったらしい。さらに日本海側では、碧玉やヒスイなどをめぐる交流が強く、北陸の玉づくりはかなり広域のネットワークの中に置かれていたことが分かっている。


    だから玉づくりの工房って、単なる町工場ではないんだよね。
    そこには原石の確保、切断、穿孔、研磨、流通まで含めた高い技術とネットワークが必要になる。
    北陸の事例でも、2300年前には硬い碧玉を切断し、細い孔をあける高度な加工技術が成立していたことが語られている。つまり今回の福井の話は、弥生の工芸技術の中でも、かなり“精密機械寄り”の現場の話なんだ。



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    ↑明らかにのこぎりだね!( ・Д・)(「魚津知克らによる資料報告」の第2・3図より転載)


    🏺 林・藤島遺跡って、そもそもどんな遺跡なのか

    林・藤島遺跡は、福井市泉田町、九頭竜川中流域左岸の自然堤防上にある複合遺跡で、縄文時代晩期、弥生時代後期から古墳時代、さらに鎌倉時代の遺構を含んでいる。その中でも特に注目されてきたのが、弥生時代後期の玉づくり工房をともなう大規模集落だね。発掘では、竪穴住居や平地住居、掘立柱建物、土坑、溝などに加えて、玉の完成品・未成品・石材・砥石、そして大量の鉄製工具が出土している。こうした出土品の一部944点は、国の重要文化財にも指定されている。


    しかもこの遺跡、玉づくりの工程がかなり見える。
    細い錐は管玉に孔をあけるため、鏨は原石を割って角柱状に加工するために使われたと考えられていて、北陸の玉づくり工具が石製から鉄製へ移っていく様子をかなり具体的に示している。福井県側も、この遺跡を日本海側一帯の中でも高水準の生産技術を示す例として位置づけているんだよね。


    🔍 そして今回、その中から“のこぎりらしい鉄製品”が見えてきた

    今回おもしろいのは、この資料が最初から「のこぎり」として知られていたわけではないところだ。

    保存修理の過程でX線透過画像を撮ったところ、鉄製品1点に明瞭な鋸歯が見つかった。発掘報告書ではもともと「鋸歯が刃部すべてにある鎌」とされていたものだったけれど、X線やCTスキャンで細部を見直したことで、のこぎりとして再評価できる可能性が出てきたわけだ。こういうの、かなり好きなんだよなあ。昔の発掘品が、新しい観察技術で別の顔を見せるやつ。


    資料そのものは、保存修理後の現状で長さ4.1センチ、最大幅2.1センチ、厚さ1ミリほど。折れ曲がりを元に戻すと、少なくとも5.7センチ以上の、先端が尖る「くちばし形」に復元できるという。歯は下辺につき、1センチあたりおよそ5〜6枚、深さは1〜3ミリ程度。しかも歯には切れ込みや面取りまで確認されていて、かなりちゃんと加工された刃だと分かる。


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    ↑X線・CTスキャンで見るとしっかり歯が残ってるね!( ・Д・)(「魚津知克らによる資料報告」の第4・5図より転載)


    ⏳ どれくらい古いのか

    ここが今回の核心だね。

    この資料は、遺構に直接伴うものではなく、弥生時代後期の包含層から出土したものなので、研究チームも断定は避けている。
    ただ、直上が厚い弥生時代包含層で、上層からの混入は考えにくく、同じ層から刀子・鏨状・棒状の鉄製工具も出ていることから、弥生時代後期後半に属すると見るのが自然だとされている。だから現段階では、「国内最古の弥生時代鉄製鋸である可能性が高いが、確定ではない」という言い方がいちばん正確なんだね。


    それでもインパクトは大きい。
    これまで日本列島で最古の鋸類例とされていたのは、古墳時代前期の兵庫県権現山51号墳の副葬品だった。つまり今回の資料が妥当なら、鋸の導入時期は古墳時代から弥生時代へ一気にさかのぼることになる。研究チームは、鋸は日本列島で最も「鉄器化」が遅れた道具の一つと評価されてきたとしたうえで、この資料はその理解に一石を投じると述べている。


    🪵 しかもこれ、玉づくりに使われた可能性がある

    ここがタイトルのいちばん面白いところ。

    林・藤島遺跡では、鉄製工具の多くが鏨や錐のような打割具・穿孔具で、玉づくりの現場に重点的に投入されていたことが分かっている。未成品の観察からも、打割や穿孔で鉄器が使われていたことが復元できる。さらに、一部の未成品には「施溝分割」の痕跡があって、この工程に鉄製工具が使われた可能性が指摘されている。研究チームは、薄手の鑿だけでなく、この鋸も施溝分割に使われた可能性があると見ているんだね。


    要するに、今回ののこぎりは木工用の大ぶりな道具というより、石材や玉材を細かく加工するための精密工具として考えたほうがしっくりくる。
    弥生時代の工房で、石を割り、溝を入れ、孔をあけ、磨いていく。
    その流れの中に、のこぎりが入っていたかもしれない。
    これ、かなりいいよね。弥生時代の工房が、急に手元の細かい作業の世界として見えてくる。






    🌊 しかも北陸の技術って、かなり外とつながっていたかもしれない

    今回の報告では、この鋸には日本列島内に類例の少ない歯の形態があり、あるいは舶載品の可能性もあるとされている。研究チームは、石川県小松市の八日市地方遺跡で見つかった鉇の祖型とみられる鉄製品なども踏まえ、弥生時代後期の北陸には、中国大陸起源の鉄器文化の影響が日本海を通じて及んでいた可能性を考えている。もしそうなら、林・藤島ののこぎりは、単なる一工具ではなく、日本海側に入ってきた鉄器技術のかなり前衛的な痕跡になる。


    ここ、かなり大きいです。
    弥生時代の鉄器って、つい農具か武器の話になりがちなんだけど、実際には手工業の現場にどう入ったかも重要なんだよね。
    しかもその入口が、日本海側の工房だったかもしれない。
    こうなると今回の発見は、「のこぎり」そのもの以上に、「弥生時代の北陸って、思っていた以上に技術先進地だったのでは?」という話にもなってくる。


    ✍️ あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    福井市の林・藤島遺跡で出土していた鉄製品1点が、保存修理とX線・CT調査によって、弥生時代の鉄製鋸である可能性が高いと分かってきた。資料は弥生時代後期後半の包含層から出土していて、確定ではないものの、妥当なら国内最古の鋸になる。しかも林・藤島遺跡は玉づくり工房をともなう大規模集落で、鏨や錐など鉄製工具が大量に出土しており、今回の鋸も玉材の施溝分割などに使われた可能性がある。つまりこの発見は、弥生時代の北陸で、かなり高度な手工業生産に鉄器が入り込んでいたことを示すかもしれないんだね。


    だから今回の発見は、

    「古いのこぎりが見つかった」
    だけじゃなく、

    「弥生時代の工房では、石の玉をつくるために、思っていたより早い段階から鉄の精密工具が使われていたかもしれない」

    というところまで見せてくる。


    のこぎりって、日用品すぎて逆に見落としやすい。
    でも考古学だと、そういう当たり前の道具が、いちばん時代の輪郭を変えてくることがあるんだよね。

    こういう発見、かなり好きなんだよなあ( ・Д・)



    なにはともあれ・・・・・・

    私はのこぎりを上手く使えない!( ・Д・)







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    2026ねん 4がつ9にち(もくよーび、くもりで風強し)
    一昨日の分の記事だぜ!( ・Д・)
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    ↑古代のサイコロでチンチロもいいなぁ!( ・Д・)



    今回の考古学・歴史ニュースはアメリカ先住民が、1万2000年以上前から“サイコロ的な道具”を使っていたかもしれず、それが世界最古の賭博道具になるかも?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

    本研究を掲載した『American Antiquity』の論文では、北米先住民のダイス文化を先史時代までさかのぼって追跡し、最古の例を後期更新世フォルサム文化に置いています。海外報道もこれを「世界最古のダイス」「氷河期の確率ゲーム」として大きく取り上げています(。・ω・)ノ゙



    📰 はじめに

    サイコロって聞くと、どうしてもメソポタミアとか古代都市とか、そういう“文明っぽい場所”を想像しがちなんだよね。


    でも今回の話は、そこをかなりひっくり返してくる。
    新しい研究では、アメリカ西部の遺跡から出ていた骨や木の小さな二面体の道具を見直した結果、アメリカ先住民の狩猟採集民が1万2000年以上前、つまり氷河期の終わりごろには、すでにゲーム・オブ・チャンスに使うダイスを作っていた可能性が高いとされた。しかもこれは、これまで知られていた旧世界の初期ダイスより6000年以上古い可能性がある。


    これ、かなり強いです。

    なぜなら今回見つかったのは、
    金銀の賭博道具でも、王様の遊具でもなく、
    骨片みたいな小さな遺物だからだ。

    でもその小ささの中に、
    「人間はいつから“偶然”を道具として扱っていたのか」
    っていう、かなりでかい問いが入っているんだよね。 




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    ↑これが古代のダイス!( ・Д・)(Madden 2025; Figure 1より転載)



    🎲 見つかったのは、“六面サイコロ”ではない

    ここ、まず大事。

    今回の研究で扱われたのは、いま僕らが思い浮かべる立方体のサイコロではない。
    多くは骨や木でできた二面体で、片面に線や色がついていて、もう片面は無地に近い。研究ではこれを “binary lots” と呼んでいて、感覚としては「コイン投げに近いランダム道具」なんだ。複数個をまとめて投げれば、そこからもっと複雑な結果も作れる。


    つまりこれは、
    「カジノのサイコロがあった!」
    というよりは、

    「偶然を使って勝敗や結果を決めるための道具が、もう氷河期末にあったかもしれない」

    という話なんだよね。
    だから“賭博道具”という言い方は間違いではないんだけど、現代のギャンブルのイメージをそのまま当てると少しズレる。研究者自身も、これはランダムな結果を生み出すための二面体の道具だと説明している。



     

    🦴 なぜ骨片が「ダイス」だと分かったのか

    ここが今回の研究のいちばん面白いところ。

    考古学って、こういう小さい骨片が出ても、正直「飾りでは?」「別用途では?」ってなりやすい。
    実際、この論文もそこをかなり意識していて、20世紀初頭に記録された北米先住民の民族誌資料をもとに、「ダイスとみなすための4条件」を作っている。ざっくり言うと、

    二面体であること、
    穴が開いていないこと、
    面が線や色で区別されていること、
    手に持って投げられるサイズと形であること、


    このあたりだね。論文は、こうした客観基準が今まで曖昧だったため、先史時代のダイスの起源がはっきり追えなかったと説明している。

    その基準で調べた結果、著者は565点の「診断的なダイス」と、94点の「おそらくダイス」を抽出した。合計659点で、57遺跡・12州にまたがる。つまり今回の話は、たまたま1個だけ怪しい骨片が出た、という話じゃない。かなり広い時代・地域にわたるパターンとして見えてきたんだ。 



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    ↑これが民族誌資料のダイス!( ・Д・)(Madden 2025; Figure 2~4より転載)



    最古の例は、フォルサム文化の平原ハンターたち

    で、その中でも最古級なのが後期更新世のフォルサム文化に属する資料。
    論文では、ワイオミング州のアゲート・ベイスン遺跡、コロラド州のリンデンマイヤー遺跡、ニューメキシコ州のブラックウォーター・ドロー遺跡などから、フォルサム期のダイスが確認されたとしている。年代はおおよそ1万2800年前後で、論文ではこの文化を 12,845–12,255 BP としている。

    しかも、フォルサム期の例だけで20点あり、そのうち19点は骨製だった。
    片面に刻線が入っていたり、縁に刻みがあったり、赤い顔料らしき痕跡が残っているものまである。つまりこれは、ただ丸く削った骨ではなく、「面を見分ける」ことが前提になっている道具なんだよね。


    ここ、かなり好きなんだよなあ。

    氷河期末のグレートプレーンズって、バイソン追って槍持ってる世界のイメージが強いじゃん。
    でもその横で、人びとが手のひらサイズの骨片を投げて、運を決める遊びというか、勝負というか、そういうことをやっていたかもしれないわけだ。
    狩りだけじゃなく、偶然まで操作しようとしていた感じがして、急に人間くさくなる。 




    ⚖️ “賭博”というより、むしろ社会をつなぐ技術かもしれない

    今回の研究、ここも重要。

    研究者はこれらのダイスを、単なる娯楽道具としてではなく、「社会統合の技術」だった可能性があると見ている。
    Science News や Live Science が紹介しているように、こうしたゲームは、見知らぬ集団どうしが出会ったときの“中立的なルール空間”として働いたのではないか、と解釈されている。物や情報、さらには配偶関係まで含めた交換の場で、こういう偶然のルールが役立ったのではないか、というわけだ。


    つまり今回の骨片は、

    「誰かが賭けで熱くなっていた」

    ことを示すだけじゃなくて、

    「離れた集団どうしが、争わずに関係を結ぶためのルールを持っていた」

    可能性まで見せてくる。
    考古学って、道具の用途を生活か儀礼かで分けたくなりがちだけど、こういうゲーム道具って、その中間をするっと抜けてくるんだよね。遊びでもあり、交渉でもあり、交換でもあり、社会そのものでもある。




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     ↑これが最古段階ののダイスの広がり!( ・Д・)(Madden 2025; Figure 5より転載)



    👩 しかも、女性が中心だった可能性まである

    さらに面白いのがこの点。

    論文は、民族誌記録の分析として、参加者の性別が分かる131例のうち81%が女性限定、12%が男女混合、男性限定は7%だったという先行研究も引いている。もちろん、これをそのまま1万2000年前にまで延ばせるわけではない。けれど著者は、もしこの傾向が深い過去まで続いていたなら、ダイスやチャンスゲームに関わる社会的・知的な革新の前線に女性がいた可能性もある、としている。


    これ、地味にでかいよね。

    旧石器・先史の知的技術って、どうしても狩猟具とか石器とか、男性的に語られやすい。
    でももし、集団間関係をつなぐゲーム技術の担い手に女性が大きく関わっていたなら、先史時代の“社会を動かす知”の見え方そのものが変わってくる。 




    🧠 あるけまや的に、ここがいちばん面白い

    あるけまや的に今回おもしろいのは、これが「遊びの歴史」では終わらないところ。

    サイコロって、要するに
    偶然を、道具として扱う
    ってことなんだよね。

    出た目に意味を与える。
    運をルール化する。
    不確実さを、人と人のあいだで共有できる形にする。

    これって、かなり高度なことだと思うのさ。

    論文も、こうしたダイスの出現を、人類が chance・randomness・probability に実践的に関わった早い例として位置づけている。海外報道でも、「確率的思考の最古級の証拠」として読まれている。

    だから今回更新されたのは、
    単なる賭博史ではない。

    人間がいつから、
    「どうなるか分からないこと」を
    ただ恐れるだけじゃなく、
    ゲームとして扱い始めたのか。

    そこが一気に古くなった。
    しかもその舞台が、都市国家でも神殿でもなく、アメリカ先住民の狩猟採集社会だったかもしれない。ここ、かなり熱い。 




    🤔 ただし、そこは少し慎重に見たほうがいい

    とはいえ、今回の話にはちゃんと“かもしれない”の部分もある。

    この研究は、遺物に「PLAYED HERE」って書いてあるわけではない以上、機能を直接観察したわけではない。
    だからこそ論文は、民族誌資料と形態基準を使って、かなり慎重に identification を積み上げている。言い換えると、今回強いのは「それっぽい」ではなく「かなり筋の通った基準で、ダイスと解釈できるものが大量にある」という点なんだよね。


    なので雑に言うと、

    「氷河期の人びとがラスベガスしてた」

    ではないです( ・Д・)

    でも、

    「氷河期末の北米で、偶然を使うルール化されたゲームがかなり発達していた可能性が高い」

    というのは、かなり本気で考えてよさそう。
    この差は大きい。 



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    ↑他の古代のダイスたち!( ・Д・)(Madden 2025; Figure 9,10より転載)



    ✍️ あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    アメリカ西部の先住民遺跡から出ていた骨片や木片を見直した研究で、二面体のダイス的道具が57遺跡から計659点確認され、そのうち最古級のものはフォルサム文化の遺跡にさかのぼった。年代は1万2000年以上前で、旧世界の最古級ダイスより6000年以上早い可能性がある。しかもそれは、ただの遊び道具ではなく、集団間の交流や交換を支える“社会技術”だったかもしれない。


    だから今回の発見は、

    「世界最古の賭博道具かもしれない」
    だけじゃなく、

    「人類はかなり早い段階から、偶然をルールとして扱い、他者との関係づくりに使っていたのかもしれない」

    というところまで見せてくる。

    骨片なのに、話がでかい。
    いや、骨片だからこそでかいのかもしれない。

    こういうの、かなり好きなんだよね( ・Д・)




    なにはともあれ・・・・・・私は”チンチロマスター”だが、


    1万2000年前の人たち、負けたときどんな顔してたんだろうね?( ・Д・)







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    2026ねん 4がつ9にち(もくよーび、くもりで風強し)
    なんか朝からお腹壊れておる!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y574
    ↑Youtubeのサムネっぽいのはそのまま流用できそうなんだけど時間なくて動画作成が無理なんだよな~( ・Д・)



    今回の考古学・歴史ニュースは5000年ぶん早くなった“最古の犬”の発見で、人と犬の関係のはじまりがかなり書き換わったかも?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰 はじめに

    犬って、いまではあまりにも人間社会に馴染みすぎていて、逆に「いつからいたの?」って感覚が薄いんだよね。


    でも今回の研究、かなり強いです。


    というのも、これまで確実な「遺伝学的に確認された最古の犬」は、ロシア北西部の約1万900年前の個体が基準だった。ところが今回、トルコのPınarbaşı遺跡の約1万5800年前の個体が、古代DNAでちゃんと「犬」だと確認された。しかもイギリスのGough’s Caveの約1万4300年前の個体なども含めて見ると、氷河期の終わりごろには、すでに犬が西ユーラシアにかなり広くいたことになってくる。つまり今回の話は、「古い犬が出ました」ではなくて、「人と犬の歴史の確実な起点が、一気に5000年ぶんさかのぼった」という話なんだ。


    🧬 「5000年早くなった」って、どういうこと?

    ここ、かなり大事。

    考古学の世界では、昔から「これは犬っぽい」「いやオオカミでは?」みたいな資料はあった。問題は、犬と初期のオオカミは骨の形がかなり似ていて、形だけでは決めきれないことが多かったんだよね。今回の研究が強いのは、そこを全ゲノムに近い古代DNAで押さえたこと。約1万5800年前のPınarbaşıの個体、約1万4300年前のGough’s Caveの個体について、「これは遺伝的に犬です」と言えるところまで行った。だから更新されたのは「犬らしい候補」の話ではなく、「遺伝学的に確認された最古の犬」の記録なんだ。 


    これ、地味に見えてかなりでかい。


    なぜなら今回の研究で見えてきたのは、犬の起源そのものを一発で断定したというより、「少なくともこの時代には、もう犬は犬としてかなりはっきり分かれていた」という点だからだ。自然史博物館の解説でも、犬はオオカミ集団から最終氷期のどこかで分岐したと考えられていて、その時期は2万〜4万年前くらいの範囲で見積もられている。つまり今回の発見は、家畜化の開始点をそのまま示すわけではないけれど、「その結果が、1万5800年前にはもう確実に存在していた」と示したわけだね。


    arukemaya_y576



    🦴 見つかったのはどこ? しかも一か所じゃない

    最古の個体が出たのは、現在のトルコ中部にあるPınarbaşı遺跡。ここでは約1万5800年前の犬が確認された。さらに、イギリス・サマセットのGough’s Caveでは約1万4300年前の犬が確認され、追加でドイツ、イタリア、スイスの資料も犬として拾い直された。研究チームは、これによって犬が少なくとも1万4000年前までにはヨーロッパとアナトリアに広く分布していたと見ている。 


    しかも面白いのは、遠く離れたPınarbaşıとGough’s Caveの犬が、遺伝的にはかなり近かったことなんだよね。Nature論文では、この二つの個体は西ユーラシアの旧石器時代犬の同じ系統に属し、その広がりは約1万8500年前から1万4000年前のあいだに西ユーラシアへ拡散した集団と解釈されている。ロンドン自然史博物館の解説でも、何千キロも離れているのに、これらの犬は驚くほど似ていたと強調されている。


    🍖 ただ“いた”だけじゃない。かなり人間に近い

    ここが今回のニュースのいちばん好きなところ。

    Pınarbaşıでは、犬の骨の同位体分析から、水辺の魚が食事に入っていた可能性が高いとされている。しかも遺跡の状況から、犬は意図的に埋葬されていたらしい。研究機関の発表では、人びとが自分たちと同じような食物を犬に与えていて、しかも丁寧に埋葬していたことから、人と犬のかなり近い関係が示唆されるとしている。 


    Gough’s Caveのほうも負けていない。こちらでは、犬の骨に人骨と似た死後処理の痕跡があり、UCLの解説では下顎骨に意図的な穿孔まで見られるという。つまり、犬は生きているあいだの相棒だっただけじゃなく、死後にも何らかの象徴的意味を持っていた可能性があるんだよね。単なる“便利な動物”より、もう少し深い位置にいた感じがある。


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    ↑確かにいろんなところで見つかっている!( ・Д・)(Marsh et al.2026; FIg.2より転載)


    🌍 農業より前に、犬はもう広がっていた

    今回の話が強いのは、これが農業社会の話じゃないところでもある。

    研究対象になった犬たちは、だいたい1万4000〜1万6000年前、つまりまだ人びとが狩猟採集民だった時代のものだ。Pınarbaşıの人びとは移動性の高い集団で、死者を埋葬し、そこに犬も埋めていたとされる。つまり犬との関係は、定住農耕が始まって家畜管理が本格化してから生まれたのではなく、その前の狩猟採集世界ですでにかなり出来上がっていたことになる。 


    そしてもう一つ重要なのは、犬が文化の違う人間集団のあいだにも広がっていたことだ。Nature論文では、これらの犬はマグダレニアン、エピグラヴェット文化、アナトリアの狩猟採集民といった、遺伝的にも文化的にも異なる人間集団に結びついていた。それでも犬の側はかなり似ていた。つまり犬は、人類集団の境界をまたいで動いていた可能性が高い。研究者たちも、こうした広がりは人の移動や相互作用、さらには犬そのものの交換と関わっていたのではないかと見ている。


    🏺 あるけまや的に、ここがいちばん面白い

    これ、犬の起源の話に見えて、じつは人間社会の話なんだよね。

    犬がこれだけ早い段階で、しかも広い範囲に広がっていたということは、人間たちが「ただ同じ場所で生きていた」だけではなく、かなり濃い交流をしていたことになる。道具や石材だけじゃなくて、生きた動物まで人間集団のあいだを動いていたかもしれない。しかもそれが、狩りの補助だったのか、警戒だったのか、仲間だったのか、儀礼的な意味を持っていたのか、全部少しずつ重なっていた可能性がある。今回の研究チームも、犬は初期人間社会にとって「ゲームチェンジャー」だった可能性があると述べている。


    つまり今回更新されたのは、「犬の年齢」だけじゃない。

    人類がどの段階で、他の動物とここまで深い関係を作り始めたのか。
    どの段階で、生活技術だけじゃなく“相棒”そのものを持ち歩くようになったのか。
    そこが一気に古くなった。

    これ、かなりロマンあるんだよね( ・Д・)


    ✍️ あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    トルコのPınarbaşı遺跡で見つかった約1万5800年前の個体が、古代DNAでちゃんと「犬」だと確認された。これで、これまで約1万900年前だった「遺伝学的に確認された最古の犬」の記録が、5000年ほど一気に古くなった。さらにイギリスのGough’s Caveやスイスなどの資料も合わせると、犬は氷河期の終わりごろにはすでに西ユーラシアに広く分布していて、人間とかなり近い関係にあったらしい。魚を食べ、埋葬され、ときには人間に近い死後処理まで受けていた可能性がある。


    だから今回の発見は、

    「最古の犬が見つかった」
    だけじゃなく、

    「人と犬の関係は、農業より前の狩猟採集世界で、すでにかなり深く始まっていた」

    というところまで見せてくる。

    犬って、かわいいだけじゃなくて、ほんと歴史をでかく動かしてる存在なのかもしれないね。



    なにはともあれ・・・・・・


    1万5000年前の犬、ちゃんと名前あったのかな?( ・Д・)







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    2026ねん 4がつ7にち(かよーび、少し雨)
    酒やめて筋トレとランニングしなきゃ!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya_y571
    ↑サンダル、グアテマラでしか履かないんだよなぁ( ・Д・)



    今回の考古学・歴史ニュースはスペインの洞窟で見つかった“草のサンダル”が、ヨーロッパ最古の靴だったかもしれない!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰 はじめに

    こういうニュースって、一見すると「古い靴が見つかりました」で終わりそうなんだけど、実はぜんぜんそんな単純な話じゃないんだよね。
    今回の発見は、靴そのものの古さもすごいんだけど、それ以上に「植物繊維の技術」が思っていたよりずっと高度で、しかもずっと古かったことを示している。つまりこれは、先史時代の人びとの“生活技術の見直し”に直結するタイプの発見なんだ。


    ❓ どんな発見だったの?

    舞台はスペイン南部グラナダ県アルブニョル近くの Cueva de los Murciélagos、いわゆる「コウモリの洞窟」。ここで見つかっていた植物繊維製の遺物を最新の放射性炭素年代測定で調べ直したところ、編まれたサンダル22点が約6200年前のものだと分かったんだ。これによって、これらはヨーロッパで見つかっている履物のなかで最古級、しかも草を編んだ履物としては決定的に古い資料になった。国内ではCNN Japan がこの点を分かりやすく伝えていて、海外でも EL PAÍS や Smithsonian などが大きく報じていた。


    さらに面白いのは、同じ洞窟から出ていた籠類の一部が、サンダルよりもっと古い約9500年前にさかのぼることだね。研究チームはこの資料群全体を、木・葦・エスパルト草などの有機質資料76点として検討し、その結果、中石器時代の狩猟採集民による籠細工と、新石器時代の農耕民に結びつくサンダル類とが、この一つの洞窟資料群の中に共存していることを示した。つまり今回のニュースは「古いサンダル発見」でもあるけれど、同時に「南ヨーロッパの植物繊維技術史の更新」でもあるわけさ。 


    arukemaya_y573
    ↑めちゃくちゃ残り良いな!( ・Д・)(「CNN News」の記事内画像より転載;credit: Martínez-Sevillaet al.,Sci. Adv


    🧺 草のサンダルって、そんなにすごいの?

    すごいです( ・Д・)


    考古学では、石や土器や金属は残りやすい。でも草や木や布は、普通は腐って消えてしまう。だから先史時代の技術を考えるとき、どうしても「残った硬いもの」中心で過去を見てしまいやすいんだよね。
    ところが今回の洞窟は非常に乾燥していて、湿度がきわめて低く、有機物が奇跡的によく残った。そのおかげで、草を撚る、編む、束ねる、形を整える、といった“本来は見えない技術”が、そのまま考古学資料として残った。研究チームも、この洞窟が南ヨーロッパで知られる植物繊維資料のなかでも最古級かつ最良の保存状態をもつ集合だと位置づけている。


    しかも、ただ雑に草を束ねただけではないんだ。材料にはエスパルト草が使われていて、これは現在でもスペインで籠やエスパドリーユに使われる丈夫な植物繊維として知られている。研究では、その加工のされ方や編み方の違いから、先史時代の人びとがかなり高いレベルで植物素材を扱っていたことが分かってきた。研究者が「先農耕社会に対する単純すぎる見方を見直させる」と語っているのも、この技術的複雑さゆえなんだね。


    🪦 しかもこれ、ただの落とし物じゃないかもしれない

    ここがまた興味深いところ。


    この洞窟は19世紀の採掘で知られるようになったんだけど、その過程で部分的にミイラ化した人骨や、籠、木製道具、サンダルなどを伴う先史時代の埋葬空間が見つかっていた。研究では、19世紀に現地を調査したマヌエル・デ・ゴンゴラの記述も参照しつつ、これらのサンダルが埋葬に伴っていた可能性が高いと考えている。実際、サンダルの中には使用痕のあるものと、ほとんど未使用に見えるものの両方があり、埋葬用に特別に用意された履物が含まれていた可能性まで示唆されている。


    つまりこれは「昔の靴」ではあるんだけど、同時に「死者に持たせたもの」かもしれないんだよね。
    そうなると話は一気に広がる。履物は生活道具であると同時に、死者の装いであり、送りの品でもあったかもしれない。単なる技術資料ではなく、当時の死生観や装身のあり方にまで接続する資料になってくるわけだ。 


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    ↑最近作ったものと言われても疑わないレベル!( ・Д・)(「CNN News」の記事内画像より転載;credit: Martínez-Sevillaet al.,Sci. Adv



    何がそんなに「更新」だったのか

    この洞窟の資料自体は19世紀から知られていたんだけど、1970年代の初期測定では、これらは今回より約1000年ほど新しいと考えられていた。ところが最新の分析で年代が引き上がり、籠細工は約9500年前、サンダルは約6200年前という見通しが出た。これで、ヨーロッパ先史時代の植物利用技術は、従来イメージされていたよりはるかに古く、しかも洗練されていたことになる。


    EL PAÍS は、このサンダルより前に知られていた先史時代の有名な履物として、アルメニアの約5500年前の靴や、アルプスのアイスマン・エッツィの約5300年前の履物を引きつつ、今回のスペイン資料がそれらより古いと紹介していた。要するに、「ヨーロッパ最古の靴」の話は、単なる地域ニュースではなく、ヨーロッパ全体の先史技術史の基準を書き換える話なんだ。


    🏺 あるけまや的には、ここがいちばん面白い

    あるけまや的にグッとくるのは、こういう発見が「文明」や「複雑さ」の見方を静かにずらしてくるところなんだよね。


    農耕が始まる前の人びとというと、つい「簡素」「原始的」みたいなイメージで見られがち。でも今回の籠やサンダルを見ると、そのイメージはかなり危うい。植物繊維を選び、加工し、編み、用途に応じて作り分けるには、知識も経験も手業も必要だ。しかもそれが日常生活だけでなく、埋葬や社会的実践にも関わっていた可能性がある。

    石器ばかり見ていると見えにくいけれど、実際の生活世界は、もっと“柔らかい技術”でできていたのかもしれない。今回の発見は、その失われやすい部分がたまたま奇跡的に残ったことで、先史社会の輪郭が一段立体的になった例だと思うのさ。


    📝 おわりに

    スペインの洞窟で見つかった草のサンダル。
    でもその意味は、「古い靴が残っていました」だけじゃない。

    それは、約6200年前の人びとがすでに植物繊維を高度に操り、履物を作り、場合によっては死者を装うためにも使っていたことを示す資料だった。しかも、その背後にはさらに古い約9500年前の籠細工まで控えている。

    つまり今回のニュースは、「ヨーロッパ最古の靴」という王道の見出しでありつつ、ほんとうの中身は「先史時代の技術観そのものを更新する発見」なんだね。


    こういうの、ほんと好きなんだよなあ。
    歴史を変えるのって、王や戦争や巨大建築だけじゃない。
    ときには、一足の草サンダルなんだよね( ・Д・)



    なにはともあれ・・・・・・

    わたしスリッパ嫌い!すぐ脱げて歩きにくい!( ・Д・)






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    2026ねん 4がつ3にち(きんよーび、晴れ)
    久々にCLANNAD見始めた!絶対また泣く!( ・Д・)
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    arukemaya_y563
    ↑手べたってやりたいよね!( ・Д・)



    今回の考古学・歴史ニュースは世界最古の手形の壁画、インドネシアで見つかったかも( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰 はじめに

    洞窟壁画っていうと、どうしても馬とか牛とか狩りの場面みたいな、
    “絵らしい絵” を思い浮かべるよね。

    でも今回の主役は、もっとシンプル。
    手形 だ。


    しかもただの手形じゃない。
    インドネシア南東スラウェシのムナ島にある リアン・メタンドゥノ洞窟 の手形が、少なくとも6万7800年前 にさかのぼると報告された。研究は Nature に掲載され、これまで世界最古級とされてきたスペインの手形よりもわずかに古い可能性がある。

    これ、かなり大きい。


    なぜなら今回の発見は、
    「世界最古の絵画」そのものを決める話というより、
    人類が洞窟の壁に記号や存在を残し始めた時期 を考え直させる話だからなんだよね。
    APも、この発見を「これまで研究された中で最古の洞窟壁画かもしれない」としつつ、骨や石に刻まれたもっと古い抽象的な印は別にあると説明している。 




    🪨 見つかったのは、ほとんど消えかけた手形

    ここでちょっと面白いのは、
    今回の「最古候補」が、ものすごく派手な壁画ではないこと。

    Nature 論文によると、この手形は保存状態が悪く、

    14×10センチほどの色あせた顔料 が残っているだけで、見えているのは指の一部とその横の手のひら部分くらい。しかも、指先の一部が意図的に細く、尖って見えるように加工されている 可能性があり、このタイプの手形は今のところスラウェシでしか確認されていない。

    つまり今回のニュースは、
    「ド迫力の大壁画が出た!」
    ではない。

    むしろ、

    ほとんど消えかけた痕跡を、年代測定で“異常に古い”と突き止めた

    というタイプの発見なんだよね。




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    ↑肉眼ではまったく分からんね!( ・Д・)(「The Gurdian」の記事内画像より転載; credit: Nature)



    🔬 どうやって6万7800年前と分かったのか

    こういう話でいちばん大事なのは、やっぱり年代の出し方。

    研究チームは、手形の上にできた 方解石の薄い層 を、
    レーザー・アブレーションによるウラン系列年代測定(LA-U-series) で調べた。

    その結果、リアン・メタンドゥノ洞窟の手形を覆う鉱物層は 7万1600±3800年前 という値を示し、壁画そのものは少なくとも 6万7800年前 までさかのぼると判断された。


    ここでポイントなのは、
    この数字が「その年に描かれた」とピンポイントで断定するものではなく、
    その時点までには、もう描かれていた という “最低年代” だということ。 





    🗺️ 1枚だけじゃなく、広い地域で調べていた

    今回の発見が強いのは、
    単発の偶然っぽいニュースじゃないところでもある。


    研究チームは2019年以降、南東スラウェシで岩壁画の記録と年代測定を進めていて、
    44か所の遺跡 を記録し、8か所の11モチーフ を年代測定した。
    その中には 7点の手形 と、人物画や幾何学模様も含まれていた。

    つまり今回の手形は、
    ぽつんと孤立した天才作品というより、

    この地域には、かなり早い時期から壁に何かを残す文化が広がっていた

    という文脈の中で出てきているわけだ。



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    ↑こういう調査も面白そう!( ・Д・)(「The Gurdian」の記事内画像より転載; credit: Nature)



    🧠 これで「芸術の起源」はヨーロッパ中心ではなくなる

    このテーマでいちばん大きいのは、やっぱりここ。

    洞窟壁画の話って、長いあいだ
    ラスコーとかショーヴェとか、ヨーロッパ中心で語られがちだった。
    でもここ十数年で、インドネシアはその常識を何度も揺らしてきた。2019年にはスラウェシの狩猟場面、2024年には約5万1200年前の物語的洞窟壁画が報告されていて、今回の発見はそれをさらに古い時代へ押し広げる。


    しかも今回の手形は、
    これまで世界最古の洞窟壁画の一つとされたスペイン・マルトラビエソ洞窟の手形よりも、
    最低年代で約1100年古い 可能性がある。

    つまり、創作の歴史は
    「ヨーロッパで花開いた」という単純な話ではもう済まない。

    むしろ、

    人類はかなり早い段階で、アジアの島々でも壁に自分たちの痕跡を残していた

    と見た方が自然になってきている。





    これを描いたのは、本当に現生人類なのか

    ここは、ちょっと慎重にいきたいところ。

    論文では、ムナ島の最古の壁画を誰が描いたのか 直接には分からない と明記されている。
    スラウェシには現生人類以前に古い人類がいた可能性もあるからね。


    ただ著者たちは、意図的に細く加工された指の表現 や、この地域への現生人類の到来時期との整合性から、もっとも有力なのは ホモ・サピエンス だと考えている。

    だから正確には、

    • 「現生人類が描いた可能性が高い」
    • でも「100%断定」とまではまだ言わない

    このくらいの言い方がいちばん科学的だと思う。





    🖐️ 手形って、絵よりもむしろ“存在の宣言”っぽい

    あるけまや的に今回すごく好きなのは、
    主役が動物画じゃなくて 手形 だという点なんだよね。

    手形って、何かを写実的に描く絵とは少し違う。

    これはたぶん、

    • 私がここにいた
    • ここは私たちの場所だ
    • この洞窟に、何か意味がある

    みたいな、
    もっと直接的な痕跡なんじゃないかと思えてくる。

    もちろん、実際の意味は分からない。
    でも少なくとも、手を壁に当てて顔料を吹きつけるという行為は、
    単なる偶然の汚れじゃない。
    身体を使って壁に自己を転写する行為 なんだよね。 


    だから今回の発見は、
    「最古の絵」以上に、
    最古級の“私はここにいた”の記録 として見ると、かなりぐっとくる。



    arukemaya_y560a
    ↑めちゃはっきりわかるね!( ・Д・)(「AP News」の記事内画像より転載; credit: Ahdi Agus Oktaviana / Maximame Aubert via AP)



    🌏 オーストラリア到達の話ともつながる

    この発見、実は人類移動史ともつながっている。

    ナショナルジオグラフィックは、今回の結果が
    少なくとも6万5000年前にはオーストラリアに人類が到達していた という考古学的証拠と整合的だと紹介している。


    もしインドネシアの島々でこの時期に高度な壁画文化があったなら、
    オーストラリアへ向かった人々の認知や象徴行動を考えるうえでも重要な手がかりになる。

    つまりこれは、単なる「古い絵」のニュースではなく、
    アジア海域世界を移動していた初期人類の頭の中 に迫る話でもあるわけだ。




    ✍️ あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    インドネシア・ムナ島の洞窟で見つかった手形は、
    少なくとも 6万7800年前 にさかのぼる可能性があり、
    いまのところ 世界最古級、しかも最古候補の洞窟壁画 と見てよさそうだ。
    ただし、それは「人類最古の創作物すべて」を塗り替えたというより、
    洞窟の壁に残された創作の歴史 を大きく書き換える発見なんだよね。


    これ、好きなんだよなあ。

    だって主役が、王でも神でも動物でもなく、
    ただの手なんだもの。

    でもその手は、
    6万年以上も前の人間が
    「ここに触れた」
    「ここに残した」
    という事実そのものでもある。


    人類の創作史って、
    もしかすると名画から始まったんじゃなくて、
    まずは壁に残された ひとつの手の輪郭 から始まったのかもしれないのさ( ・Д・)

     


    なにはともあれ・・・・・・

    最初に何かを成した人はいずれも偉大だね!( ・Д・)






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    2026ねん 3がつ16 にち(げつよーび、くもり)

    今週が山場だぜ!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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    ↑これが最初期の楔形文字!!!( ・Д・)(Bentz 2026, Fig.2より転載)



    今回の考古学・歴史ニュースは4万年前の人類、ただ絵を描いてただけじゃなかったかも??( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    文字の起源って聞くと、多くの人はメソポタミアを思い浮かべるはずだ。
    実際、原楔形文字は世界最古級の文字体系としてよく知られている。

    でも今回の研究が面白いのは、その「文字のずっと手前」にあるはずの世界が、思ったよりずっと情報っぽかった、という点なんだよね。研究チームは、ドイツ南西部のシュバーベン・ジュラ地方の旧石器遺物260点に刻まれた3000以上の記号を計算的に分析し、それらがランダムな落書きではなく、原楔形文字に匹敵する情報密度と複雑さをもつ可能性を示した。 



    🪨 見つかったのは「絵」じゃなくて、反復する記号列

    今回分析されたのは、約3万4000年前から4万5000年前の遺物。
    素材は象牙、骨、角などで、マンモスの小像や板状遺物、道具などに、点、線、刻み目、十字、ジグザグ、格子っぽい模様が繰り返し刻まれていた。特に有名なのが、マンモス象牙製の小像や、点列と刻み目が並ぶ「アドラント」みたいな遺物だ。

    ここで大事なのは、研究者たちが「なんか模様があるね」で終わらなかったこと。
    記号の種類、並び方、反復のしかた、どんなモノにどんな記号が載るのかまで、統計的に見た。

    すると見えてきたのが、

    「これ、装飾だけでは説明しにくいぞ」

    という感じだった。 



    🧠 ポイントは「意味が読めた」ではなく「情報の入れ方が見えた」こと

    ここ、かなり重要。

    今回の研究は、
    「4万年前の文字を解読した!」
    って話ではない。

    むしろ逆で、

    「何て書いてあるかは分からない。
    でも、情報を記号列にして外部に載せるやり方が、かなり早い段階で存在していたらしい」

    という話なんだよね。研究チーム自身も、これらの記号は現代の文字体系のように話し言葉を直接表すものではなく、厳密な意味での“文字”とは違うと説明している。反復が多すぎて、現代の書記体系とは性格が違うからだ。

    つまりこれは、

    文字そのものの発見
    というより、
    文字の前史の発見

    に近い。



    arukemaya_y533
    ↑こっちが4万年前の文字らしきもの!!!( ・Д・)(Bentz 2026, Fig.1より転載)


    📊 なぜ「原楔形文字に匹敵」と言えるのか

    原楔形文字と似ていたのは、見た目じゃない。
    そこが面白い。

    似ていたのは、
    記号の出現頻度
    反復のパターン
    配列の予測可能性
    そして情報密度

    みたいな、いわば「統計的な指紋」だ。研究者たちは、この旧石器時代の記号列が、最古の原楔形文字タブレットと統計的に比べて同程度の複雑さを示すと報告している。しかも、象牙の小像のほうが道具より高い情報密度をもつ傾向まで見えたらしい。

    これ、かなり熱い。

    なぜなら、
    「情報を外に保存する」
    「記号の並びに慣習がある」
    「載せるモノによって情報量が違う」
    という話だから。

    もうだいぶ“書く”の入口なんだよね。




    🦣 しかも使っていたのは、ヨーロッパに来た初期ホモ・サピエンスたち

    今回の遺物群は、ヨーロッパに入ってきた初期のホモ・サピエンスと結びつくオーリニャック文化のものとされる。年代はおおむね4万年前前後で、ちょうど人類がヨーロッパに広がり、ネアンデルタール人と接触していた時期とも重なる。研究チームは、この頃の人々がすでにかなり現代的な認知能力をもち、芸術や装飾品だけでなく、記号体系の土台も備えていた可能性を示している。

    つまり、洞窟壁画を描けた、彫刻を作れた、笛も作れた、で終わらない。

    そこにさらに、

    「記号を並べて何かを保持していたかもしれない」

    が入ってくる。



    じゃあ何を書いていたのか

    もちろん、ここが一番気になる。

    でも残念ながら、意味はまだ読めない。
    というか、たぶんこの先も完全には読めない可能性が高い。

    研究者たちは、狩猟対象の周期、時間の管理、儀礼、分類、タブー、感謝や関係性の表現など、いくつかの可能性を示している。ただ、現段階では「こういう意味です」と断定できる段階ではない。たとえば、十字は人型像には現れず、点は道具には現れない、といった使い分けの傾向は見えるけれど、それが何を意味するかはまだ不明だ。

    でも、ここが逆に面白いところでもある。

    意味は読めない。
    なのに、規則性だけは見えてくる。

    考古学って、こういう
    「沈黙してるのに、構造だけは喋ってる」
    みたいな瞬間があるんだよね。



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    ↑分析すると相関性からただの刻み目じゃないことが分かる!( ・Д・)(Bentz 2026, Fig.3より転載)


    🧩 あるけまや的まとめ:


    今回の話を雑に言うと、

    4万年前の人たちは、
    ただ何となく飾っていたんじゃなく、
    記号をかなり意図的に並べていた可能性がある。

    しかもその並べ方は、
    ずっと後に出てくる原楔形文字と比べても、
    情報を載せる仕組みとしては意外と侮れない。

    ただし、これは
    「世界最古の文字が見つかった!」
    と叫ぶ話ではない。

    むしろ、

    文字のずっと前から、
    人類はすでに
    情報を“外に置く”練習をしていたのでは?

    という話だと思う。

    これ、めちゃくちゃ大きい。

    なぜなら文字って、
    ある日突然、天から降ってくる発明じゃないから。

    たぶんその前に、

    数える
    区別する
    繰り返す
    並べる
    覚えておく
    他人に伝える

    そういう小さな技術が、何万年もかけて積み上がっていたはずなんだよね。

    今回の記号たちは、
    その長い助走の化石なのかもしれない。





    なにはともあれ・・・・・・

    やぱみんな最古大好き( ・Д・)







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    2026ねん 3がつ にち(もくよーび、晴れ)

    間違えてずっと2025年になってたの今気づいた!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya_y532
    ↑熱っ!ってなりそう!!!( ・Д・)(「The Art Newspaper」の記事内画像より転載)



    今回の考古学・歴史ニュースは「40万年前、ネアンデルタール人、火を“借りてた”んじゃなくて“作ってた”説?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに


    人類史で「火」は特別な存在だ。

    暖を取る。
    肉を焼く。
    猛獣を遠ざける。
    夜に活動できる。

    つまり火は、文明のスイッチみたいなもの。

    ただ、長いあいだ研究者の間では
    ある疑問があった。

    古代人は火を「作れた」のか?
    それとも「自然の火を拾ってきただけ」なのか?

    今回、その議論を大きく揺らす研究が発表された。

    なんと 約40万年前のネアンデルタール人が、火おこしをしていた可能性 が出てきたのだ。



    🪨 火打石セットが見つかった

    今回注目されているのは、ヨーロッパの旧石器遺跡から見つかった石器。

    ぱっと見は普通の石器なんだけど、
    詳しく調べると少し様子がおかしい。

    石の表面に

    • 強い衝突痕

    • 金属との摩擦痕

    • 微細な欠け

    が集中していた。

    研究者たちはこれを分析し、

    火花を出すために打ち合わせた可能性

    を指摘した。

    つまり

    石+黄鉄鉱などの鉱物

    を打ち合わせて
    火花を出す装置 だった可能性がある。




    🔬 実験してみたら火花が出た

    ここで研究者たちは、
    同じ石を使って実験してみた。

    すると

    • 火花が飛ぶ

    • 火種ができる

    • 可燃物に火が移る

    という結果になった。

    しかも、石の摩耗パターンが
    遺跡の石器とかなり似ていた。

    つまり、

    偶然の傷ではなく
    意図的な打撃の痕跡

    と考えられる。




    時代は40万年前

    今回のポイントはここ。

    この石器が見つかった地層は
    約40万年前 と推定されている。

    これはかなり古い。

    というのも、
    これまで火おこしの確実な証拠は

    だいたい 20万年前以降

    と言われることが多かった。

    もし今回の解釈が正しければ、

    火おこし技術は
    想像よりずっと古い

    ことになる。





    🧠 ネアンデルタール人は“借り火”説だった

    ここで少し背景の話。

    ネアンデルタール人は長い間、

    • 火は使っていた

    • でも自分で作れたかは不明

    と言われていた。

    理由はシンプル。

    火を使った痕跡は多いけど、
    火を作った道具が見つからなかったから。

    だから研究者の中には、

    雷や自然火災から火を持ち帰ったのでは

    という説もあった。

    でも今回の研究は
    その前提を揺らす。





    火を作れる文明は、かなり違う

    火を拾う文明と、
    火を作れる文明。

    この差はかなり大きい。

    火を作れない場合、

    • 火が消えたら終わり

    • 常に火を維持する必要がある

    でも火を作れるなら

    • いつでも再生できる

    • 新しい場所で生活できる

    • 寒冷地に進出できる

    つまり、

    技術文明の自由度が一気に上がる

    ネアンデルタール人の生活像も
    かなり変わってくる。




    🧬 ネアンデルタール人の評価がまた変わる

    ここ20年くらいで、

    ネアンデルタール人の評価は
    かなり変わってきた。

    昔のイメージは

    • 粗野

    • 原始的

    • 知能が低い

    みたいな感じだった。

    でも最近は、

    • 装飾品を作る

    • 洞窟壁画を描く

    • 接着剤を作る

    • 複雑な石器を作る

    など、かなり高度な行動が知られている。

    そして今回の研究は、

    火おこし技術

    という新しい要素を追加するかもしれない。




    🌍 火は文明のコア技術

    考古学的に見ると、
    火は単なる道具じゃない。

    むしろ

    • 食文化

    • 社会構造

    • 夜の活動

    • 居住範囲

    全部に影響する。

    だから

    火の技術=文明の基盤

    と言ってもいい。

    もし40万年前に
    火おこしが可能だったなら、

    人類史の技術史は
    かなり書き換わる可能性がある。





    🧩 あるけまや的まとめ:ただし議論はまだ続く

    もちろん、この研究は
    まだ完全に決着したわけじゃない。

    考古学ではよくあることだけど、

    • 摩耗痕の解釈

    • 使用用途

    • 年代の解釈

    などは、研究者によって意見が分かれる。

    だから今回の研究は、

    有力な証拠の一つ

    という位置づけになる。

    ただ、

    ネアンデルタール人の能力を
    過小評価する時代は、

    もう終わりつつあるのかもしれない。





    なにはともあれ・・・・・・

    私の過小評価も終われよ( ・Д・)







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    2025ねん 12がつ 17にち(すいよーび、晴れ)

    眠いぞよ!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑昔けっこうやったなぁ!( ・Д・)
    (「グランブルーファンタジー」のゲーム内画像より転載)




    今回の考古学・歴史ニュースは黄金の鉄槍って何?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    ……いや待って。最古の鉄槍ってだけでも強いのに、黄金の装飾つきって何それ。しかも舞台は北欧デンマーク。バイキング以前の、もっと古い“青銅器時代の終盤”で、鉄(しかもゴージャス仕様)がもう出てくるって、歴史が一段ズレるやつじゃん。


    そして今回いちばん痺れるのは、ただの「武器が出た」じゃないところ。出土地点が、聖なる泉(スプリング)=水に捧げる儀礼の場なんですよ。つまりこれは、戦いの道具である前に、「権力と信仰と交易ネットワークが束になった“社会の槍”」なのだ……!( ・Д・)



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    ↑現場の様子、遺物あげるための容器?が金属製なのが気になる!( ・Д・)




    🗡️ 発見はどこで?「黄金の宝庫」ボースルンデの地下で事件発生

    現場はデンマーク南西シェラン島(Zealand)のボースルンデ(Boeslunde)。ここ、近年ずっと“金が出る土地”として知られていて、狭い範囲から 金の誓いの指輪(oath rings)10個や、金のスパイラル約2200個みたいな、とんでもない量の金製品が見つかってきた場所です。で、2025年8月の調査で「なんで金がここに集中してるの?」を追ったら──金が置かれていた場所の直下で、「自然の泉(湧水)」が見つかった。そしてそのすぐそばから、今回の主役、金装飾の鉄槍(鉄製の槍先)2本が出土した、という流れ。




    👑 何がヤバい?「デンマーク最古の鉄」になった理由

    この槍、ただ古いだけじゃない。博物館側は、槍先に付着していた樺(カバノキ)のピッチ(樹脂)を、鞘や先端保護に使った痕跡とみてAMS年代測定を実施。結果は 紀元前900〜830年ごろ


    これが意味するのはシンプルで強烈:

    • デンマークで確認された“最古の鉄”になった

    • しかも時代は「青銅器時代区分V(Bronze Age Period V)」に入る

    「鉄器時代の前に、鉄がいる」みたいな、境界線がぐにゃっとする瞬間。最高( -д-)ノ




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    ↑出土し立ての状態!( ・Д・)




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    ↑バラバラですね!( ・Д・)



    🟡 金の装飾はどんな感じ?X線で“円形の金象嵌”が浮かび上がる

    保存状態がよい個体(X313とされるもの)は、現存長 47cm(本来は 60cmくらいあった推定)。
    X線撮影で、刃の部分に円形の金象嵌(ゴールドのディスク状インレイ)が複数入っているのが確認されています。これ、イメージとしては「最新テクノロジー(当時の鉄)」×「最高級素材(金)」の合体。

    つまり実用品というより、威信財(prestige weapon / goods)の匂いが濃い。




    💧 なぜ泉に槍を捧げる?“水への奉納”はヨーロッパの古典ムーブ

    この地点では、泉の周辺に調理穴(cooking pits)の密集も見つかっていて、繰り返し人が集まって、食事や儀礼的滞在が行われた可能性が示唆されています。さらに記事では、貴重品を水に捧げる儀礼はヨーロッパの先史時代に広く見られる、と位置づけられている。要するに、ここは「たまたま落とした」場所じゃなくて、“捧げるために行く場所”だった可能性が高いわけです。槍は、戦場で折れるためじゃなく、
    泉に沈むために作られたのかもしれない。槍先のようにロマンも尖っておる!( ・Д・)




    🌍 「北欧に前例なし」ってマジ?──交易ネットワークの匂いがする

    博物館の発表では、この時期に同様の金装飾をもつ鉄武器は北欧全体でも前例がない、というニュアンスで語られています。で、ここが重要なんですが、鉄って当時は“新技術”で、素材の入手も加工も簡単じゃない。そこに金まで乗せるというのは、単なる個人の趣味ではなく、遠距離の交換(distant networks)と、豪奢な環境が背後にあることを示す、とも説明されています。ボースルンデは「宗教と経済のハブだったのでは」という見立ても出ていて、金の集中、泉、儀礼の痕跡、そして今回の槍が、その像をさらに強化した形。





    おわりに

    今回の発見は「レアな発見系」にふさわしですね。「黄金に輝く2本の鉄の槍を発見」って最初、なんだろうなって思って、またアザラシみたいなやつかなと疑ってかかったら、今回素直に「金の鉄の槍」でしたね。まぁこれが普通か( -д-)ノ 

    今回の記事書いてて、青銅器時代に鉄器出ててデンマーク最古の記録更新で間違いないのだけれど、「青銅器時代」とか「鉄器時代」っていったい何だろうなって思いました。鉄製の装飾品とかじゃなくて武器だから利器扱いになると思うと鉄器時代分類だけど、威信財あるいは奢侈財としての価値が高くて、自前で生産できず、交易で入手可能としてもあまりに普及していない状態ならば青銅器時代かなって気もする。でも最古級の事例がいくつ増えればOKなんていう定義もないし、鉄器なんて脆いので依存状態だけじゃなく再加工の問題も含めて残りづらいから普及度なんて不明瞭だし、普及度だってどのくらいからがOKなんて決まりもないわけで、、、ならばやはり鉄器の登場という離散的変化を重視して鉄器時代にした方がいい気もする。難しいね!ってかめんどいね!



    何はともあれ・・・

    私なら鉄器時代にしちゃう!( ・Д・)






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    2025ねん 12がつ 3にち(すいよーび、くもり)

    睡眠不足だぁ!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



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    ↑遠洋に向かうイメージ!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは文明の定義を教えてくれ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    誰もが信じていた「海を渡る文明は、せいぜい数千年前から」の絵図。一撃で書き換えられようとしています――。2025年、フィリピンやインドネシア、ティモール=レステを含む東南アジア(ISEA)で発見された岩石道具群が、「約 4万年前」に、すでに高度な 船造りと航海技術 を持つ人々の存在を示していたのです。まるで時空をさかのぼるカギを見つけたかのような衝撃。この記事では、その発見の背景と意味を、「あるけまや」流にたっぷり、ロマンと考古学の交差点で描いてみます。



    🌿 なぜ今、「4万年前の海」が注目されるのか

    近年、東南アジアの考古学界を震撼させる研究が発表されました。フィリピン、インドネシア、ティモール=レステの島々で見つかった 約40,000年前の石器――これらはただの道具ではありませんでした。

    顕微鏡による分析で、これらの石器には「植物繊維を加工した痕跡」が認められました。つまり、人々は ロープやネット、綯(な)い綱を編み、木や葦、リードなどで船体を束ねていた可能性が高い


    さらに、ティラピアや浅海魚ではなく、マグロやサメといった“外洋性の大型魚”の骨も共同で出土。網も針も、しかるべき道具も揃っており――これは “沖合を漕ぎ出す” 本格的な航海の証拠です。


    これまで「東南アジアの島々に人が住み始めたのは新しい時代から」「古代人の海洋移動は偶発的・漂流の可能性が高い」とされてきた定説。だが、この発見はその常識を根底から覆す――“4万年前に、目的を持った海の旅人たちがいた” 可能性。それは、私たちの地球史のタイムラインに、新たなページを刻む出来事かもしれない。



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    ↑従来の漁業のイメージは近海だよね!( ・Д・)




    🛶 道具から見える――古代の船造りと航海の技術

    なぜ「石器」で航海を論じられるのか。不思議に思う人も多いはず。でも考えてみてください。木や竹でできた船体や綱が、数万年の間そのまま残ることなどまずない――。だからこそ、石器に残された“わずかな繊維片”や“植物繊維を削り出した痕跡”という間接証拠が、とてつもなく貴重なのです。


    実際、分析チームはこう報告しています――「これらの道具は単なる狩猟具ではなく、ロープ・網・綱をつくるための“植物繊維加工具”として高度な技術を示すものだ」と。さらに、深海魚の骨に加えて、針や漁具、網の重しのような道具群も出土しており、「彼らは岸からちょこっと魚をとるだけ」では決してなかった。船で沖に出て漁をした――その“生活”と“技術”が、道具に刻まれていたのです。


    この発見は、単なる「古代の漁師」像ではありません。“波と風を読む”、木材と葦を選び、“綱を綯う”。それは、もはや “文明” の営みそのものです。




    🌍 世界の起点を塗り替える――古代海洋文明の新章

    今回の発見が意味するのは、東南アジア――しかも 4万年前 という、私たちが「まだ原始の世界だ」と思っていた時代の、人類の活動の広がりです。これは、次のような歴史観の再構築を迫るものです:

    • 人類の「島々への拡散」「海洋移動」は、氷期の海面低下や漂流ではなく、明確な技術と意図による移動だった可能性

    • 海を越える船造り技術や綱縄技術、航海技術は、ヨーロッパや中東の文明よりも、はるかに早く、東南アジアで成立していた――という逆転の歴史

    • そして、そこから始まった “海上の道と文化のネットワーク” が、のちの島嶼文化、ポリネシア、オーストロネシア世界へとつながっていたかもしれない

    もしこれが受け入れられれば――私たちが教科書で習ってきた「人類文明の起源」「航海文明の始まり」という物語は、大きく書き換えられるだろう。




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    ↑場所は東南アジア、これはちょい新しめだけれど色々な石器が出てるね!( ・Д・)

    (「ATENEO DE MANILA」の記事内画像より転載;credit: A. Pawlik; after Pawlik et al. 2025; Pawlik & Piper 2019; Neri et al., 2015)




    🔬 これからの挑戦 ― “消えやすい証拠” をどう扱うか

    もちろん、反対意見や慎重な声もある。なにせ、この時代の船は木や籐、葦など“劣化しやすい材料”でつくられていた可能性が高く、直接の“舟の遺構”はほぼ残らない

    だからこそ、今後の研究には次のような挑戦がある:

    • 同様の道具や漁具、魚骨の出土を、他地域でも見つけること

    • 昔の植物繊維のDNAや残留分、繊維構造を分子レベルで分析すること

    • 海洋気候、海流、魚の移動経路などを再現する“古海洋モデリング”と、考古学的証拠を統合すること

    古代の“柔らかく壊れやすい文明の痕跡”を掘り起こすのは難しい。でも、難しいからこそ、もしそれが成功すれば――私たちの原点に、新たな光を当てることになるかもしれない。この記事で読んでほしいのは、ただの「ロマン」ではありません。数万年前に、風と波を越え、島々をつなぐ人々がいた――その可能性を、もう一度、私たちの歴史の地図に描き直す勇気です。



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    ↑竹の加工工程のイメージ!( ・Д・)




    おわりに

    私は元々国家形成がテーマだからね、ひとまず古典的な「文明=国家」の定義でごりごり研究進めてるんですよね。今回の記事では他サイトが「高度な文明」って書いてたからまぁそのまま流用したけれど、思うところアリ!まぁいいんだけどね(*^・ェ・)ノ

    ところで私、1950~1970年に構築された古典的段階的発達史観(日本考古学ではまだ現役)をレジームシフト史観に置き換えるという論文を書いたのね。ちょっと他の論文と足並み揃えてから2026年1月末くらいに一気にプレプリントで発表予定なんだ。そしたら紹介するね。一応、考古学の「何が・いつ・どこに・どれだけあるか」という基本情報を全部織り込んだ統一的表現方法を用いてはいるんだけれど、やってることが文化進化論や社会進化論の中間的理論になってて、レジームシフト史観の枠組みでは国家形成って解釈段階の話で本筋から逸れるんだよね。

    生態学と経済学の数式や理論を応用していて社会学とも関係あるので、全人類史を統一的に記述出来て且つ現代社会や未来予測にまで役立つ理論構想なのだけれど……この世界で周り見渡すとなぁ、、、




    あれ・・・

    私はシン考古学者かな!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 17にち(げつよーび、晴れ)

    お腹の調子悪い、飲みすぎたな!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑木ある方が出土した感あるけど、普通は切るよね!( ・Д・)
    (「ati」の画像より転載; credit: International Journal of Historical Archaeology




    今回の考古学・歴史ニュースはアメリカ最古の銃だってさ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    西部開拓のロマンとはまた別の、遥か昔の緊張と交戦の物語が、アリゾナ州南部の砂漠で静かに語り出しました。2024年、考古学者たちは 500年近く前 に使われた銅製の砲(いわゆる壁砲、ウォールガン)を発見。これは 大陸アメリカで確認された最古の火器 として注目を集める発見です。遠征を率いたのは、16世紀のスペイン人征服者 フランシスコ・バスケス・デ・コロナド。彼らが北米を探検した軌跡が、この小さな武器の一節から、再び浮かび上がってきました。

    この記事では、この歴史的発見の背景、技術的ディテール、そしてコロナド遠征が残した文化的・政治的意味を、「あるけまや」風の語りでじっくりと掘り下げていきます。



    ⚙️ 発掘されたのは何? 42インチ、40ポンドの銅製ウォールガン

    この銃は、アリゾナ南部・サンタクルーズ渓谷の San Geronimo III(スーヤ / サン・ジェロニモIII)遺跡 で発見されました。

    • 長さは 42インチ(約107cm)、重さは 約40ポンド(約18kg)

    • 内径(ボア径)は約 0.95インチ(24.7 mm)、いわゆる 5号ゲージ

    • 丸弾(ソリッドボール) だけでなく、小さな球状の弾(バックショット)も撃てる構造。

    この武器は「ウォールガン(壁や塁壁に据えて撃つ砲)」、あるいは ハックバット(hackbut) と呼ばれるタイプで、使用時には 大きな三脚(木製) が必要だったとみられています。鋳造は 砂型鋳造(サンドキャスト) で行われており、鋳型の痕跡(スプルーマーク)も残っている点が確認されています。



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    ↑状態いいね!( ・Д・)
    (「ati」の画像より転載; credit: International Journal of Historical Archaeology


    🕰️ 歴代最古の火器? その歴史的位置づけ

    この銃が特別なのは、 大陸アメリカ(コンチネンタルUSA)で最も古く確認された火器 であるという点。研究チームは 放射性炭素年代測定光励起ルミネッセンス(OSL) による土壌測定で、銃が配置されていた建物の年代をコロナド遠征時代、つまり 1541年ごろと結びつけています。同じ地層からは、 オリーブ壺の破片、ヨーロッパ製陶器、武器部品など も出土し、遠征隊との関連が強く示されているのも重要なポイントです。


    🔍 どこから来た? この銃の製造ルーツ

    この銃、意外にも 装飾がほとんどない非常に簡素な作り という特徴があります。そのことから、 スペイン本国ではなく、メキシコやカリブ海地域の鋳造所で作られた可能性 が指摘されています。さらに、歴史的文献を読むと、この種の小型砲(versillo, versos)を遠征隊が持ってきていた記録もあり、実際の運用方法としては 三脚/壁/馬の鞍/木の枝の叉などを利用 して据えていた可能性が高いとみられています。




    ⚔️ 戦闘と放棄 — なぜ使われなかった?

    驚くべきことに、この銃には 黒色火薬の残留物がほぼ確認されていない のです。つまり、 実戦で発射された形跡が見当たらない。これには研究者たちから以下のような仮説が出ています:

    • 遠征隊が構築した サン・ジェロニモ III(Suya) と呼ばれる拠点が、現地の先住民(Sobaipuri O’odham)による急襲を受けた。

    • 攻撃があまりにも突然で、発砲する時間もなく 銃を据えたまま立てこもっていた建物が倒壊

    • その結果、武器はその場に捨てられ、そのまま 480年余りにわたって土に埋もれて保存された とみられています。

    この「撃たずに放棄された」銃の背景には、植民と抵抗、そして文化的衝突の歴史が交錯しています。




    🌍 コロナド遠征とアメリカ南西部 — 歴史の再構築へ

    この発見が意味するものは、ただの武器の発掘以上に大きいです。

    • コロナド遠征(1539–1542年)は、「黄金の七都市(Cíbola)」を求めて始まったものですが、この銃はその最南拠点 San Geronimo III の物理的証拠として、歴史にリアルな肉付けをしています。

    • 現地の 先住民(Sobaipuri O’odham) による攻撃が実際にあったことを示す銃弾や矢じりなどの遺物と合わせ、 抵抗の歴史 が遺跡というかたちで痕を残していたとみられています。

    • また、銃の鋳造技術や流通経路(メキシコ or カリブ海説)を考えることで、16世紀のヨーロッパ植民勢力の軍事・物流ネットワークの実際像を新たに描く手がかりともなります。



    🧭 発掘の背後にある人物 — デニ・セイモア博士の30年の探求

    この発見の中心には 考古学者デニ・J・セイモア(Deni J. Seymour) がいます。彼女は 30年以上にわたってコロナド遠征の足跡を追った ベテラン研究者。彼女のウェブサイトによれば、今回発見された銃は 「versillo」「小さなverso」 と呼ばれるタイプで、当時の文書にもその名が記録されていたもの。 また、鋳造痕や摩耗の痕跡から、この銃が 長距離移動と運搬に耐えるよう設計された軽量型 だったことも示されています。



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    ↑実際のサイズ感はこんな感じ、この人が巨人だと意味ないけど!( ・Д・)



    おわりに

    コロナド遠征かぁ。大航海時代(最近は大交易時代)ってスタートが中世の終わり頃だからか騎士道物語が流行ってる時代なんですよね。今でいうと、異世界転生ファンタジーものが流行ってる感覚かな。何故か塔に閉じ込められたお姫様とかドラゴンとかいる感じ。だからお宝発見系の伝説もあって、この時期のアメリカ大陸は面白い逸話がけっこうあるんだよね。

    ディズニーシーのロストリバーデルタにあるクリスタルスカルの魔宮っていうインディジョーンズのアトラクションの中で「若さの泉」を探すシナリオが含まれるけどそれもこの時期のお話なんだよね。あ~、久々にディズニーシーに行きたい!( ・Д・)




    何はともあれ、、、

    てか、一緒に行ってくれる彼女欲しい!( ・Д・)







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