↑調査区と遺構配置図;薄青色部が環濠(「調査概要報告 2021」の画像より転載)
うむ、今後の調査に期待です!( ・Д・)
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うむ、今後の調査に期待です!( ・Д・)
さて、今回の発見の舞台は滋賀県、大津市の南滋賀遺跡です。
古墳時代後期(6世紀後半~7世紀前半)に帰属する木製独楽が1点が出土しました。
南滋賀遺跡では古墳時代後期の集落址が検出され、該当資料の出土地点は集落内にあった溝だそうです。
この溝に堆積した同じ層から土器が出土しており、この土器が独楽の時期判定に用いられました。
また同層位から木製の斎串(いぐし)や桃の種といった祭祀に使われる道具も出土しています。
先行研究事例でも独楽が祭祀道具と共に出土しており、当時の独楽は遊戯具ではなく、祭祀具としての側面が強い蓋然性が指摘されています。
また南滋賀遺跡では古墳のドーム形石室や大壁建物跡が検出されていることから、渡来系の人々も多く住んでいたと推察とされています。
よって当時、独楽は朝鮮半島からやって来た大陸文化・先進的文化の一つだったと推定されています(*^・ェ・)ノ
先に述べたように、これまで最古とされていた独楽は、7世紀後半に帰属する藤原宮跡(奈良県橿原市)や石神遺跡(奈良県明日香村)で出土した資料です。
修羅と呼ばれるようになったのは近世以降とされており、その語源は「運搬する大石をタイシャクと読み、それを帝釈天に引っ掛け、帝釈天を動かせるものは阿修羅すなわち修羅であるとの語呂合わせからきたものとされている(wikiより転載;一部筆者修正)」そうです。
上に挙げた画像から分かるように、今回見つかった修羅は長さ約140cmの破片であり、大きな修羅のほんの一部ということになります。
分析結果から使用された木材はムクノキであることが分かっています。
一部とはいえ、良く残ったなぁと思いますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
↑しっかりと原型を留めていますね(「文化遺産オンライン」の紹介ページより画像を転載)
↑下にミニのそりが見えるカワ(・∀・)イイ!!(「藤井寺市HP」の修羅紹介ページの画像より転載)
↑サイズが大きいのがよく分かりますね(「組積石工技能」の記事内画像より転載)
さて、上に挙げた画像は国内で最初に見つかった修羅のものです。
1978年(昭和53年)に大阪府の藤井寺市に所在する三ツ塚古墳で発見されました。
こちらも周濠の底から出土しています。
この事例では大小2つの修羅が同時に出土しており、大型の修羅は全長8.8mに及びます。
先ほど紹介した松面古墳の事例ではおよそ三分の一が残存している状態で140cmでしたから、本来の全長はおよそ4.5mくらいと推定できます。
三ツ塚古墳の修羅はその2倍程度の大きさということになりますね。
まぁ個人的には小さい修羅の方が好きですけどねカワ(・∀・)イイ!!