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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:水中考古学

2021ねん 4がつ 16にち(きんよーび、くもり)

無理して働くより、コツコツ確実にの方がいいね、今更気付いたよ( -д-)ノ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは沖縄、与那国島海底遺跡の真偽について考えてみたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は沖縄県、与那国島です。

「与那国島海底遺跡」って聞いたことありません?

私は昔、特命リサーチ200Xで見たのが最初だったような気がします。

というのもこの遺跡の発見はけっこう昔のことなのです。


簡単に概要を示すと、、、

この遺跡は1986年に地元のダイバーによって巨大な階段状構造が発見され、1995年に地元紙に大きく取り上げられて広く注目を集めるようになりました。

1992年以降に琉球大学理学部教授であった(現在は同大学名誉教授)木村政昭を中心として調査が実施されています。


ただ沖縄県文化局は人が関与した痕跡があると判断できないとの理由で、『遺跡として認定していない』そうです。


まぁ記事の関係上(私が面倒なので( -д-)ノ)、本記事では「与那国島海底遺跡」のことを、『この遺跡は・・・』みたいな感じで記述しますが、省略以外の意味はありません( ・Д・)



*当サイト「歩けマヤ」が大好きな人はもうご存知でしょうが、現役考古学者が運営していますので、宇宙人やUFO、UMA等々の専門外のオカルトには寛容がありますが、『超古代文明』系オカルトのような、私たち考古学者に喧嘩を売るエセ科学はボコボコにしますので、オカルト大好きな方はこの先読まないことをお勧めします( -д-)ノ





この与那国島海底遺跡については日本のメディアではもう下火になっています。

というのも「人工説、遺跡説、古代文明説」みたいなことを言ってる研究者って、先に挙げた木村政昭しかいないのです。

彼が現在、名誉教授になっているので年齢的に以前ほどの活発な調査研究を行っていないというのが、日本での話題性が下火になっている理由の一つでしょう。

一方で海外では最近特にとても人気が高いんですよね。

YouTube動画見てても、オカルト系番組はもちろんのこと、まっとうな海外の歴史系番組でもけっこう取り上げられています。

なんでだろう?

まぁ良くも悪くも、日本人はなんだかんだリアリストで、海外の人は夢見がちな傾向ありますからね( ・Д・)

(例:私「実は考古学者なんだ!」
   海外の女性「え~ロマンあるね!」
   日本の女性「え、それ稼げるの?」)


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さて、内容を見ていくと、木村政昭はこの与那国島海底遺跡に関して考古学や地質学の学会での研究発表業績がないそうです。

まぁ確かに考古学雑誌では少なくとも見たことない気がします。

本記事の趣旨とずれるので詳細は省きますが、地質学者からは自然地形説、浸食説が提示されていて、この巨大な「遺跡」は人工物ではないと結論付けられています。

まぁこれは専門外ですしとやかく言いませんけど、解釈も妥当かなと感じます。

他方で考古学者もまともに取り合ってる人はいないと思うのですが、理由は簡単!

考古学的な証拠が一つもないからです。

そもそも検討の余地すらない( -д-)ノ

でも遺跡・古代文明説や超古代文明説についてそれぞれ見ていこうかなと思います、私、優しいので( ・Д・)


arukemaya1479
↑デカすぎなのさ( ・Д・)(「蔵瀬抜刀」さんのTwitter画像より転載)


さて、上に挙げた図もそうですが、この遺跡はデカすぎなのですよ。

一般的にはデカいからインパクトあるし、一見良さそうに見えるけど、人工説・遺跡説を唱えるならばこれは良くないです( -д-)ノ


何故か?( ・Д・)




これが遺跡ならば、単に遺跡とは言えず、自動的に文明説になっちゃうからです

この遺跡が、都市遺構だろうが、神殿跡だろうが、サイズの問題で文明ありきを前提にしてしまうのです。

ところで、よくYouTube動画で「縄文時代は世界最古の古代文明」とかそれに近いことうたってる動画ありますけど、間違いです。

研究者の定義にもよりますが、私に言わせれば、『文明=国家段階』です。

(*簡易に記述しています。詳細を書くと長くなるので、気になる方は考古学や人類学辞典をご参照下さい( -д-)ノ)

なので縄文時代は国家段階ではないので文明って呼称はダメってことです。

この遺跡の場合は、あまりに巨大な構造物なので、これが人工物ならばそれが何であれ文明段階つまり国家段階、少なくとも国家形成期段階の遺構と言えるでしょう。


また少し話は逸れて、最近、量子力学等の物理分野で『時間は存在しない』ってのが流行ってますね。

他分野の理論や考え方が他でも活きる事例が近代以降多々確認されている科学界ですが、考古学では「時間はない」って感覚が遥か昔からあると思っています。

だってまさに我々にとって「時間=変化」ですから(*^・ェ・)ノ




さて、話を戻すと、仮に「与那国島海底遺跡」が人工物と仮定してみましょう。


①与那国島海底遺跡が人工物、つまり遺跡である(仮説)

②ならば、対象遺構は莫大な労働力が用いられた巨大な建造物なので、都市あるいは神殿といった機能・用途が不明であったとしても、少なくとも国家形成期あるいは初期国家段階の遺構と想定できる。

③ならば、初期国家段階の人口はおよそ1万人程度との伝統的な先行研究事例を基に考えると、近隣の島(与那国島、あるいは沖縄本島など)にそのレベルの人口を有した社会が存在したことになる。

④保存・依存状態や海流などの様々な事情により遺構周辺の海底から土器や石器などの関連遺物が発見できないにしても、周辺の島々には巨大建造物を建設・利用した人々の生活の痕跡が残るはずである。

⑤そうした生活の痕跡は、最初期のヒトの移住から始まり、巨大建造物を建造可能な技術を有する人口およそ1万人の社会に達するまでの全過程に関して考古学的に痕跡が残るはずである。


とまぁこんな感じに論理展開していくことになります(。・ω・)ノ゙


「時間=変化」の話と繋がってるのですが、分かりましでしょうか?

いきなりポンとモノは出来ないのです。

必ず過程があります。

モノが大きかったり、複雑であったりすればするほど、その分過程は長くなり、各過程における痕跡が残り、考古学的に認められる可能性が増大するのです。





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さて、では先述の論理展開を基に、遺跡・文明説と超古代文明説を見ていきましょう。

A:遺跡・文明説:最も新しい発表では2000~3000年前の遺跡と推定

B:超古代文明説:古代の海面上昇を根拠に1万年前の遺跡と推定


・・・Bの超古代文明説は簡単な説明でサクッと片付けます!( ・Д・)

去年あたりから縄文時代草創期の土器研究とか始めてみたのですが、対象の土器で1万3000~4000年前ですよ。

1万年前は縄文時代早期ですもの・・・そんな大きな社会は当然ないですよ( -д-)ノ

ちょうど今年度は沖縄で資料調査をする予定なので、しかもちょうど沖縄の最古の土器の爪形文土器を扱うのですが、これで縄文時代後期(ca.3500-4500年前)並行の判定(国分ら 1959: 49)ですよ?



【参考文献】

国分直一、川口貞徳、曾野寿彦、野口義麿、原口正山

1959 『奄美大島の先史時代』九学会連合奄美大島共同調査委員会編、日本学術振興会




一方でAの遺跡・文明説だと2000~3000年前という推定だから、おおよそ新しく見積もって弥生時代、古くとも縄文晩期相当になります。

ここで沖縄の土器の例として私が述べているのはあくまで上記参考文献中の奄美大島の爪形文土器についてですが、縄文後期に南九州で代表的な市来式土器の影響を受けて、奄美大島の爪形文土器が成立したとされています(国分ら 1959: 49-50)。

この爪形文土器は奄美大島だけではなく、沖縄本島や宮古島などの南琉球でも出土しており、時期に大きな違いはないようです。



ということはAの遺跡・文明説を取ると、南九州の縄文人の影響を受けて土器を作り始めた人々が資源の限られた小さな島にも関わらず、僅か1000年で一気に九州の縄文人・弥生人を追い抜いて国家段階に達し、与那国島海底遺跡を建造したということになります。

そんなスゴイ人たちはその後一体どうなったのでしょう?




これも「時間=変化」の感覚です。

文化も社会も突然現れないだけではなく、突然消えませんから(´・ω・`)

ちなみに人口だけで言うと、現在の与那国島の人口は1625人( ・Д・)


↓実際の海(?)底遺跡と言えばこんなのがあります(*・ω・)ノ



↑スキューバのライセンス欲しい…って昔から思ってる( -д-)ノ


おわりに

エジプトのスフィンクスが1万年前に造られたっていう地質学研究者もいたけど(今度記事にしますね)、オカルトはさておき、超古代文明系で一応ちゃんと研究やってるのに明らかに間違った解釈を述べる研究者って、考古学との協調性がない点で共通していると思います。

いくら考古学が比較的新しい学問とは言え、これまでに地道に積み上げてきたものが一気にひっくり返ることは滅多にないですからね( -д-)ノ

アメリカ大統領のジェファーソンによる科学的な考古学調査の開始を始点にしたとしても、約250年の歴史があるわけですから!( ・Д・)


↓ジェファーソンについて紹介してます(*^・ェ・)ノ

↑チャンネル登録してね!今後は2週に1回くらいアップしたいな(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


まぁ予定通りに与那国島海底遺跡の人工物説・遺跡説を批判してきましたが、、、

もし本当に遺跡ならそれはスゴイことなのですが、どうやら違うので、間違った情報を流すのは良くないという想いから本記事を書きました。

現代社会では情報はあっという間に飛んでいきますから、仮に与那国島海底遺跡を「超古代文明の遺構だ!」って言って持ち上げて観光客を呼び込むことも可能ですが、すぐに世界中から日本の研究者は何をやっているのかと厳しいご指摘を頂くことになるでしょう...(#`皿´) ムキーーーー!(´・ω・`)ゴメン

そんな危ないことしなくても既に観光的には、与那国島海底遺跡は「遺跡ポイント」と呼ばれていて、人気のあるダイビング・スポットになっています。

これから先、たくさん訪れるダイバー達によって重要な何かが発見されることで新たな局面を迎えるかも知れないけれど、もう十分に与那国島海底遺跡は与那国島の貴重な観光資源となっていると思います(*・ω・)ノ


・・・大きな発見で目立つのはいいけど、叩かれるのはやだね!( ・Д・)



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2020ねん 10がつ 24にち(どよーび、曇り)

山超えた、と思ったら連峰だった( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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今回の考古学・歴史ニュースは「マヤ文明にも海底遺跡ならぬ湖底遺跡があったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はグアテマラ南部、ソロラ県にあるアティトラン湖です。



8万4千年前の火山の噴火によってできたカルデラ湖です。


上に挙げた写真にも一部見えていますが、周囲は3つの火山に囲まれています。




グアテマラも観光業に力を入れていて、『アティトラン湖は世界一美しい湖』と称しています。


誰か有名な人物のセリフかと思いきや、勝手に命名したようで、言ったもん勝ちですね( -д-)ノ



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↑外国人観光客はどこでも飛び込むのが好きだと思う( -д-)ノ(「Ready Set PTO」の記事内画像より転載;英文)



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↑のどかなとこですよ(・∀・)つ(「Bi」のホームページ画像より転載)



上に挙げた写真でも少し分かるように、けっこう透明度あって綺麗な湖です。


とは言ってもむちゃくちゃ透明度が高いわけではありません。



その代わり魚やエビなど多数の生物が生息していて、古代から現代に至るまで人々の生活を支えてきました。


この辺りは現在でも現代マヤ人が住んでいて、民芸品などのお土産が多数売られています(*・ω・)ノ



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↑グアテマラの新聞に掲載されたサマバフ(「puebloclick」の記事内画像より転載;スペイン語)



湖底遺跡サマバフはグアテマラシティに住む、ロベルト・サマヨア・アスマスが1996年に潜水した際に発見されました。


この発見者の苗字の半分である「サマ」とマヤ語で石を意味する「アバフ」を繋げて、サマバフ遺跡と命名されました。




上に挙げた写真のように、グアテマラの新聞では大発見として取り上げられ、ナショナルジオグラフィックにも取り上げられました。


しかしながら水中遺跡公園としてはまだ整備が進んでいません。




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↑湖底にしっかりとラインを引いて、グリッドを設定している。手前は土器の口縁部(「Pinterest」の画像より転載)



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↑サマバフの考古学調査で作成された測量図(Samoyoa 2000)



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↑分かりやすい沈降の図(「Guatemala.com」の記事内画像より転載)




ナショナルジオグラフィックが助成しただけあって、グアテマラの技術とは思えないほどしっかりと水中考古学調査が行われました。


上に挙げた写真に見られるような、きっちりとしたグリッド作成なんて本当にすごいことです。


ちなみに私の知っている現地考古学者は地上でもこんなにしっかりやりません( -д-)ノ


資金力は偉大なり( ・Д・)




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↑切り石の石列(「Prensa Libre」の記事内画像より転載;スペイン語)


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↑恐らく四脚の付いた碗の底部が見えている(「Facebook」のAmigo Atitlanの画像より転載)

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↑完形の壺(「Pinterest」の画像より転載)



小さな島の上にあったサマバフは、450×350mの面積で、湖周辺に居住するマヤ人達にとっての巡礼センターだったと推定されています。


しかしサマバフはおよそ1,700年前に突如として湖底に沈んだと考えられています。


遺跡は現在水深30m付近で水没しており、湖がそこまで上昇した原因については現在までに3つの説があります。




第1の説では、アティトラン火山の溶岩流が湖に流れ込んだために水位が上がったとされています。


この場合、地質学的データによると2000年前に溶岩が流れ込んで、サマバフは沈んだことになります。




もう一つの可能性としては、アティトラン湖が8万年前に巨大な噴火を起こして出来た火山性カルデラであることから、1700年前頃に溶岩の影響で湖底が膨張したことで、湖の水位が上昇したと考えられます。



第3の説では、極端な雨で大洪水が発生し、周囲を火山と断崖に囲まれた地形のアティトラン湖の水位が上がってしまったことが示唆されています。




本格的な調査は2008年から開始され、祭壇やステラ(石碑)など18基の石彫が確認されました。


上に挙げた測量図にもあったように多くの住居の他、蒸し風呂(サウナの一種)も確認されました。

最近の調査では、島の周りに4つの石を積み上げて造った埠頭があり、船の乗り降りができる場所も整備されていたことが分かっています。


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↑切り石の石列②(「Prensa Libre」の記事内画像より転載;スペイン語)



おわりに

実は一度だけアティトラン湖に行ったことがあります。

普通に観光ですけど。

のんびりしていていいとこですよ。

個人所有の博物館があって、お金にモノ言わせてけっこういいものを集めてるな~と思った記憶があります。


私が行ったのはちょうど最初の4年間の調査が終わる2012年頃だったので、湖底遺跡発見の話は聞きましたが、

「どうせガイドの言うことだし、伝説かホラだろ」なんて思ってました( -д-)ノ

向こうのガイドは気を惹いてチップもらうために嘘を積み上げる傾向があるのでね( ・Д・)


……いくら考古学者と言えど、、、


数多の嘘の中から真実を発掘しろと!?( ・Д・)

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2020ねん 10がつ 23にち(きんよーび、晴れ)

10日サボった後、10日くらい毎日更新中、えらいっ(・∀・)つ


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今回の考古学・歴史ニュースは「イタリア南部、古代ローマの遺跡が沈むバイア海底遺跡がかっちょいいよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台はイタリア南部、カンパニア州の町、バイアにある海底遺跡です。

正式名称は「バイア海底考古学公園」となっています。

 


上に挙げた写真は1956年にバイア上空からイタリア軍のパイロットが撮影したもので、それを機に発見されたのだそうです。



海外からかなり近いですし、浅い部分にあることが分かります。




グーグルマップの解像度って場所によってはかなり高いので、もしかしたら見えるかも~

って探してみましたけどダメでした( -д-)ノ


さて、このバイア海底遺跡は、ポンペイのような悲劇の都市とは性格が異なります。

この辺りは、少なくとも古代ローマ期から現在に至るまで、地殻変動の影響により地盤が浮き沈みしている地域なのです。

この地盤の上下運動はとても緩やかなものなので、古代ローマ人は水没の危険を察知して海沿いの邸宅を意図的に放棄したそうです。

さて、では海底遺跡の様子を見ていきましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





深度は浅いのでスキューバダイビングとして難易度は高くないそうです。

また船底から海底を覗けるようになっている遊覧船もあるので、ライセンスなくても楽しめるようです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


上の写真には破損した壺が映っていましたが、少なくとも中心部における大体の遺物の引き上げは終わってるようです。

特に彫像は全て引き上げられ、博物館にてオリジナルを見ることができます。

海底に設置してあるのはダイバー用のレプリカなのです(・∀・)つ



↑おわりに、で使用している「ポンペイ前提」について触れてます(難易度:高)


おわりに

地上の発掘調査ですら大変なのに、

海の中だと調査も記録も本当に大変だろうなと思います( ・Д・)

知人が海で調査したことあるのですが、聞いたところ、潮の満ち引きの影響で時間の勝負の側面が大きく、せっかく掘って露出させたそばから砂を被って嫌になると言ってました( -д-)ノ


考古学の基本理論である「ポンペイ前提」も使えなさそうだし、水中考古学は新しい分野ではありますが考古学界内でも課題が山積みな気がしますね。

海外ではもうけっこう盛んですが、日本ではまだまだ認められていない部分も少なくないと思うのです( -д-)ノ



このバイア海底遺跡周辺は現在でも地殻変動で浮き沈みしているようですから、私が死ぬまでにもし浮いてきていい感じに露出したら行きたいなと思います( -д-)ノ

そんなこと言ってないで、スキューバのライセンスを取るべきか……


マヤでも水中考古学やりたいね!( ・Д・)

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2020ねん 8がつ 16にち(にちよーび、晴れ)

もし一か月間、毎日記事投稿チャレンジとかしたらいい感じになるかい!?( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「元寇船見つかってるけど、壊れるからとりあえずいかりを揚げてみたってさ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



ちょうどちょっと前に元寇の際に沈んだ船が見つかったって記事を書いたと思いますが、今回はその続きみたいなものです。

なので、元寇の説明は省きますね( -д-)ノ



せめてwiki情報貼っておきます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!(ほんの一部、管理人が加筆修正)

日本の鎌倉時代中期に、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国(元朝)およびその属国である高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。

1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。

別名、蒙古襲来とも言う。

特に2度目の弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、当時世界最大規模の艦隊であった。
(wikipediaより転載;一部、筆者加筆修正)



↓まぁここでも教科書程度のさっくりとした説明だけどね( ・Д・)


↑まぁ黙ってぽちっと押しときなよ(*^・ェ・)ノほれ、ぽちっとな(*^・ェ・)ノ



さて、元寇船の発見があったのは長崎県の鷹島(たかしま)です。



珍しいことにこの水中遺跡をそのまま遺跡登録したそうで「高島神崎遺跡(たかしまこうざきいせき)」と名付けられました。

水中にある遺跡で国指定史跡となったのはここが初めてだそうです.。゚+.(・∀・)゚+.゚




最初に挙げた写真が「鷹島2号沈没船」と名付けられた船の船首部分に当たるそうです。

2号というだけあって2011年と2014年に一隻ずつ発見され、現在も調査が続いているそうです。


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↑違う角度から見た船首(「産経WEST」の記事内画像より転載)







みなさん「ワンピース」見ます?

あの「海賊王に俺はなる」的なアレですよ。

まぁいずれ「考古学王に俺はなる」(大事なところなので無駄に強調しておきました( ・Д・))にせよ、ワンピースの中で『竜骨』出てくるんですが、、、

これ知ってると話は早いんですが、竜骨は「キール」とも呼ばれるもので船の底の中心線にあって、船首と船尾をつなぐ重要な木材の加工品です。




この竜骨が発見されてまして、その幅が50cm、長さ12mだそうです。

なので船全体の大きさは全長約25m程度あったのではないかと推測されているそうです。




さすがは当時最大規模の艦隊、船もデカいですわ!Σ(・ω・ノ)ノ




まぁその割に大した距離も移動せずに沈みましたけど。



(とか言ったら怒られるのかな?( ・Д・))


まぁゆうて、戦艦大和もさくっと沈みましたからね!


(自国ネタを自虐しておいて炎上回避の術、次は自国民を敵に回すのか( ・Д・)……ちなみに私は大和が好きだ!( -д-)ノ)。





……まぁあれですわ、、、

物理的に考えて、、、同じ素材でデカけりゃ重いし沈みやすい!普通ですわ!( ・Д・)





ところでこれみてください。

教科書とか資料集でよく見る蒙古襲来の絵巻ですけど、、、


(これも後世に加筆されているそうですね、

色濃い真ん中の闘うモンゴル兵(3人)。本当は意外に侍強くて、左側の元絵のようにモンゴル兵は逃げ腰だったのだとか……

勝った側が描いてるからそうなのか、実際そうであって艦隊本体が神風でやられてるから戦意喪失してたのか、、、どうなんでしょう(*^・ェ・)ノ)



……右上になんか爆発してるじゃないですか。

これ「てつはう」です。


習いましたよね?


私、覚えましたよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ





で、これが本物のてつはう!


この歳でちょっと感動ですよ。

これ投げて、ぼかーん!ってなってたのね~って今再びリアルに思いますわ。



小学生くらいの時?、「てつはう」って何よ!??( ・Д・)

「てっぽう」の訛りじゃないんかいっ!( ・Д・)って思ってましたもの。




真面目な話に戻すと、X線の分析の結果、光と音による威嚇攻撃、つまり閃光弾のような役割ではなく、手りゅう弾の仲間だということが分かりました。

中に金属片とか陶器片が入っていてそれが炸裂して突き刺さるという殺傷能力があったようですΣ(・ω・ノ)ノ



それで、てつはうは金属製だから引き揚げて保存していますが、木材はそうはいきません。

外気に触れると腐りますから!

だから全部、海中の砂で埋め戻したそうです。



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ということで、せっかく発見した元寇船も引き揚げてしまうと腐ったり劣化してしまいます。


なので、上に挙げた写真に見られるような、船の「いかり」だけをとりあえず引き挙げて、展示してみて、いかにして保存・保管すれば良いのだろうということを実験することにしたそうなのです。



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おわりに

さて、そうして実験的に引き上げて、湿度や気温を調整して保存・展示しているのが、最後に挙げた写真のいかりになります。

さすがに大きいですね!ヾ(=^▽^=)ノ



考古屋さんとしてはどうしても「発見」が大好きなわけですが、

保存・活用のことを考えると保存科学の皆様のご協力、

また博物館の皆様のご支援が必要なことが多々あるなと再認識するようなニュースでした。




遺物を将来までしっかりと残すことが当然ながら人類の文化遺産の保護として必要でありますし、

我々研究者としても資料としてのオリジナルデータが損なわれることなく引き継がれることはとても大事なことですね(*・ω・)ノ




当記事執筆現在、このご時世(コロナ禍)ということもありますが、、、


皆さんもご助力の一環として是非、博物館に足を運んでみてください(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


……たまには真面目に終わるか!( ・Д・)

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2020ねん 7がつ 19にち(にちよーび、まぁまぁ晴れ)

効果あり!素数足し算、日課にする!( ・Д・)

あとはイライラ対策用の牛乳と、鬱対策用のカルピス飲めば元気ハツラツのはず(*^・ェ・)ノ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




今回の考古学・歴史ニュースは「有名な神風で沈んだ船が見つかったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



教科書で歴史上の人物の発音は変化している!

さてさて、日本の教科書っていつの頃からか、「現地の発音に合わせる」って仕様に変更になったのご存じですか?

なので、(歴史の教科書では特に)有名なフランシスコ・ザビエルは、今では「シャビエル」なんですよ。

私は昭和生まれですから当然「ザビエル」勢ですが、皆さんは如何ですか???ヾ(´ω`=´ω`)ノ



ザビエル勢にとって(こんな言葉は今作った言葉です( -д-)ノ)、元寇で日本に攻めてきたのは「フビライ・ハン」ですよね?

シャビエル世代にとっては「クビライ・ハン」だそうです。

モンゴル語のラテン語への転写だと『Qubilai Qa'an』、このように書くそうなので、確かにクビライですよね。

じゃあ「皇帝(称号)」の意味の発音も「カーン」で良くない?(*^・ェ・)ノ

とか思いますが、まぁ大人の事情でしょう、知らんけど( -д-)ノ




クビライ・ハンと元寇と神風とぼく


さて、日本史で習ったことを簡単におさらいしましょう。

表記は新世代に合わせます(*・ω・)ノ


クビライ・ハンは、チンギス・ハンの血族として1215年に生まれます。

長いことモンゴル王朝内でハーン(カーン)の名を競って争い、1260年に漢語風の名を始めて付けた王朝を創始します。

それが『元』です。

簡単に言うならば、元はクビライ・ハンの政策により中国王朝化したモンゴル王朝です。



この元が日本に攻めてきたのが『元寇』です。

『神風』という名の、言わば台風でクビライ・ハンの船団は大打撃を受けて、二度の日本侵略に失敗するというお話です。


arukemaya919
↑再掲


発見されたクビライ・ハンの軍船

Twitterの情報なので今のところ情報も少ないのですが、元寇で沈んだ船が発見されたそうです。

水中考古学では基本的に歴史書に残っているものを探します。

続報というか論文読まないと詳細は不明ですが、史実を裏付ける発見はこれが初めてのようです。



以前紹介した、バルト海などの静かな海では船の残りも良好ですが、さすがに大荒れの日本海だと残ってるだけで奇跡のように思えます。

上の写真で見ても、、、

「これが船ですか?( ・Д・)」

ってなります。



まぁ日本海のど真ん中にこれだけしっかりとした木材が沈んでいるのは不自然ですし、『13世紀の遺構』とか「これは1281年に沈んだ船」と書かれているので、何らかの遺物(たぶん陶器とか)によって年代が割り出されているのでしょう。


・・・・・・

・・・

というか一回目の元寇って1274年……


わずか7年の差を判定できる基準があるのか、、、

文字か、文字なのか???

やはり続報に期待です( -д-)ノ





おわりに

以前は特段理由もなく水中考古学を毛嫌いしていましたが、やはり発見があるのは面白いですね。

そして文献史料で示されている事柄を、考古学的にクロスチェックするという姿勢は好きです。



【追記:2020/07/19】
↓沈没船関係の記事へのリンクを載せておきます(*・ω・)ノ







いいなぁ……

潜りたいなぁ……

マヤ文明でも場所によっては水中考古学はできるけどさ

いや、ティカルでもできるもんね!


ティカルは緑の海の中だからねっ!( ・Д・)

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2019ねん 3がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

……あ、頭が痛い。

こ、これが知恵熱か!?( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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今回の考古学・歴史ニュースは『地中海、アレクサンドリア沖で過去2000年に及ぶ様々な錨(いかり)が見つかったよ!』ってことです(。・ω・)ノ゙

調査者はアレクサンドリア大学の海洋考古学センターのチームで、2015年からアレクサンドリア沖での調査を実施しています。

これまでの発見として、過去2000年間に及ぶ船のたくさんの錨(いかり)を発見してきました。

錨は時代や国、船舶の種類によって石製、鉛製、鉄製というように材質が異なるそうですが、どれも大きな塊ですから古くても良好に残存するようです。




発見された錨は様々な形や大きさがあることが分かっています。

これも時代や国、船舶の種類によって異なるわけですが、錨の形態とサイズとこれらの関係を明らかにすることが調査チームの目的です。

例えば、イメージしやすいのは縄文土器でしょうか。

ある土器群を分類して、それぞれの時期と地域を特徴づける一連の土器群を認定していく作業を編年を組むと言いますが、この事例ではそれを錨でやるということのようです。

時代が新しくなると船舶と錨の関係に関する歴史情報も増えていきますが、調査チームは錨の他に土器、陶器も海中で発見しています。






発見した土器、陶器群は北アフリカ、エジプト、ギリシャ、イタリア、スペイン、そしてパレスチナに帰属する資料であり、錨の時間性を特定する上で重要な情報源となります。

地中海は古代より海上交易の場として非常に重要でした。

今後の更なる調査と研究によって、錨と船舶の関係で見たタイムスケールが分かり易く図化されるといいですね!(・∀・)つ

↓ダイビングしたいな~、ライセンスないけどね!( -д-)ノ↓

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2018ねん 5がつ 26にち(どよーび、晴れ)

今日は眠い!

そのため今日は3回も、

「冷たい水でこじ開けて」みた!!!(・◇・)ゞ

カフェインに頼らないのは健康的かも知れない。

あぁ水が旨い.+.(・∀・)゚+.゚

・・・・・・・・・・・・
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【目次】
  1. この船、めちゃくちゃ保存状態がいいよ!
  2. 国際プロジェクトによる色々な発見のお話
  3. ”モノ”で発見するという重要性について
  4. おわりに

1.この船、めちゃくちゃ保存状態がいいよ!
今回紹介するのは黒海で発見された20隻もの古代・中世の船についてです。最も古いものは約2000年前で古代ローマの時代の船だそうです。

この発見の凄さは数もありますが、何といっても保存状態の良さ!上に挙げた画像(古代ローマ船)の
ように、マストはまだ立っていて、舵柄(かじづか;舵を操作するレバー)を備えたクォーター・ラダー(後甲板舵;後ろの方に付けられた”かじ”のこと)がまだ取り付けられたままになっています。

またヤード(帆桁;帆を張るための用材、マストに対して直角になってる長い木の棒!)は落ちて、デッキの上に未だ横たわっています。深海2000mにあるため特殊な無酸素状態下において、ロープすら保存され、船体のフレームにまだ残っています。

2000年経っているのに、この保存状態!すごいですよね。船の構造に全然詳しくない私ですら、上の画像から船の形が容易に想像できますもの.。゚+.(・∀・)゚+.゚

この発見は、国際黒海海洋考古学プロジェクト(Black Sea MAP)によるもので、昨年2017年に3回目となる最終的な調査の中での発見であり、プロジェクトの中で最も重要な発見となりました。

まぁこのように、考古学調査って何故か、もう調査終わる、時間ない!って時に限って重大な何かが見つかるものです。考古学あるあるですね。幸運の女神様もいたずら好きなんですね~( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

さて、この古代船の一群は黒海の中でもブルガリアの海岸近く、水深2000mで発見されました。黒海の水は150メートル(500フィート)以下で無酸素で、木や肉などの有機物を餌とする生物の成長と発育を妨げるそうです。

なので、保存状態がすこぶる良いのですね。水中考古学にとっては最高ですね。水中考古学については別の記事を設けたいと思いますが、一般的にはどうしてもトレジャーハンター感があります。黒海の事例のようにそれほどまでに保存状態もよく、位置も変わってないなら、歴史的な研究だけではなく「本来の」考古学的な分析や理論面との連携について推し進めて欲しいなと私は期待しています。


2.国際プロジェクトによる色々な発見のお話
2015年9月に始まった黒海海洋考古​​学プロジェクト(Black Sea MAP)は、ブルガリア、スウェーデン、アメリカ、ギリシャなど多国籍の大学研究機関が参加した国際的な調査団です。

彼らの発見のひとつは黒海の塩水化の時期についてです。黒海ってそもそも淡水湖だったそうです。従来言われていたのは紀元前6000-5000年に「旧約聖書のノア箱舟の洪水」によって塩水に変わったという説でしたが、実際にはより古い約18,000-12,000年前の最終氷河期の終わりに変化したことが科学的に判明したそうです。

全3回のフィールドシーズンの間に非常に良好な状態で保存された計60隻の難破船を発表し、約2,500年間に渡る黒海における航海伝統の歴史を書けるほどの発見だそうです。

彼らはまた、現代の海底の水深2.5メートル地点において沈没した青銅器時代の居留地を発見し、発掘したとのこと。私としてはこっちの方が面白い!( ・Д・)論文・報告書探してみます。専門じゃないけども……まぁ船も好きなんですけどね。この発掘調査事例だと考古学と水中考古学の対比が素直にできて面白いだろうなと思っています。

また2017年度の調査では古代ローマ船、ビザンチン時代の商船、ヘレニズム時代、オスマン時代の船とかなり古い難破船が発見されています。これらの発見は、最新のロボットレーザースキャニング、音響および写真測量技術を使用してなされたとのことです。これらの一連の発見により、黒海における貿易と交換、戦争とコミュニケーションに関する具体的なパターンの解明が期待されますね。



3.”モノ”で発見するという重要性について
彼らによって発見された船の中には第1ブルガリア帝国(632 / 680-1018年)とブルガリア第2帝国(1185-1396 / 1422年)の時代の船が含まれます。しかし中世のブルガリア帝国のでは14世紀のひとつの事例を除いて、有形の軍艦または商業艦隊を実際に開発したことはなかったことが文字記録により分かっていました。

実際に見つかったブルガリア帝国の船からは、中国で作られたモンゴル(タタール)のモチーフを用いた14世紀のネフライト(魔除けバックル)が発見されたそうです。つまり船舶を購入していたのでしょうか、当該時期には自国で造船していなかったという史実の内容が”モノ”の発見によってより具体的に明らかとなったわけです。

3シーズンの調査によって全部で60種類に及ぶ古代・中世の難破船が発見され、これまで船舶については象徴的な描写や書かれた記述でしか知られていなかったことが多かった中で、これまで見たことのない構造的特徴や装備を有していることが分かったとのことです。

時代が新しければ、船の設計図等の正確な記述や模式図が残っている場合もあるでしょう。しかし記述には残りにくい、装飾や船内の備品といった実際に発見されなければ分からないこともたくさんあるのです。



4.おわりに
水中考古学いいな~!興味ある!近い内に調べて記事にすると約束します!(。・ω・)ノ゙

古代マヤのお話だと、グアテマラ北部ペテン県にあるペテン・イツァ湖に、スペイン人たちがもたらした馬を模倣した石造の馬が沈んでいるという伝説があります。これについても次回触れますかね。透明度あんまりない湖だし、ワニいるから危険だけど、この石の馬見つけたい!リタイアしたらまさに命かけて潜りまくるかな!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓彼らは黒海深くまで潜って、隠れた「歴史」に触れました↓
↓記事ページのこんなに深くまで潜ったなら、↓
↓ネットの海に深く埋もれた「このサイト」に光を…ヽ(TдT)ノ↓

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