あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    江戸時代

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    2024ねん 5がつ 24にち(きんよーび、晴れ)

    1日の自由時間2時間程度だけど色々頑張るや

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは「変わった鋳型が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台は長崎県、南島原市の原城跡です。

    この原城はあの有名な「島原の乱」の舞台となった場所です。

    日本史に疎い私としては天草四郎のイメージはサムライスピリッツなわけですが、大将にまつりあげられた天草四郎(益田時貞)の名前も有名かなと思います。




    1637年10月に起こった島原・天草の乱(島原・天草一揆)は1638年2月に一揆軍3万7000人の全滅により終了するという痛ましい事件です。

    幕府側のキリシタンに対する抑圧という性格もありますが、実際の一揆の原因となった過剰な徴税を行った2名は無残な最期を遂げています。

    松倉勝家は改易斬首、寺沢堅高は天草の領地を没収後、精神異常により自害し寺沢家断絶となっています。






    今回見つかったのは上に挙げた写真に見られる遺物です。

    今回の発見で何が面白いかというと、上段真ん中の鋳型です。




    これ、幕府軍によって城に撃ち込まれた銃弾を加工して装身具を作るための鋳型なんだそうです。

    凄いでしょ?




    arukemaya076
    ↑サムライスピリッツの天草四郎(おまけ)


    おわりに


    さて、今回は有名な歴史事象に関することなのでそういった面白さもありますが、

    籠城中に凄いことやるなぁって思います。

    敵の悪意すら信仰の力に変えるってことなんでしょうね、、、




    私なら、、、

    弾に再加工して撃ち返す!( ・Д・)



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    2020ねん 8がつ 15にち(どよーび、晴れ)

    北海道一周して河川巡りしたいなっ!だから休みくれっ!( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは「新技術がまた歴史を復元していくよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


    今回のお話の研究対象は「歯」なんですけど、より正確には「歯石」です!

    なんか歯石というとばっちい感じもしますが、なんせ相手は古代の歯石なので汚くないと思います、たぶん。


    前に記事にしたことあったはず・・・・・

    うんちの化石である「糞石」も研究対象ですから、「歯石」ももちろんありなのです(*^・ェ・)ノ


    ↓やっぱりあった!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    ↑我ながらすごいタイトル付けてる( -д-)ノ



    歯石からDNAを取り出し分析する新技術!Σ(・ω・ノ)ノ


    対象となったのは江戸時代の1603年から1867年の間に生きた13人の人骨です

    最初に挙げた写真のように歯石を削り取ってそこからDNAを取り出して分析しました。




    今回の研究は実験的なものです。

    対象が江戸時代ですから文献史料があります。

    なので、文献に記載されている食品を本当に食べていたのか?ということの確認にもなりますし、新しい分析方法の確かさのチェックもできるという具合になっています(*・ω・)ノ




    今回の研究は最初にお話した糞石の研究と関係しています。

    元々、生態学者ら糞石から得られるDNAに基づいて人間や動物の食生活を把握する技術である「メタバーコーディング」と呼ばれる遺伝学的手法を「歯石」に使ってみたのです。



    メタバーコーディングでは糞石や歯石などのサンプルから遺伝子コードの短い、識別可能DNAの断片を探し出します。

    そして見つかったものを既知のDNAバーコードデータベースと比較して、動植物の同定を行います。


    結果、歯石から得られたDNAからは、米や野菜の痕跡のほか、医薬品や衛生製品に使われていた植物の痕跡が含まれており、恐らく対象となった人骨は江戸時代の庶民のものであると推測されています。


    具体的には米の他、ニンジン、カボチャ、長ネギ、玉ねぎ、大根、シソが見つかったそうです。

    他にイチョウなどの薬用植物のほか、交易で手に入れたであろう熱帯地域に生育するフタバガキ科の植物の痕跡も検出できました。

    一方で今回の分析では肉食の痕跡が見当たらなかったそうです。

    またタバコの痕跡が発見され、当時は喫煙が一般的だったという説を傍証する結果となりました。





    おわりに




    新技術が考古学などの分野を助け、歴史の解明が進むのは素敵なことです。

    今回の技術で世界的に、例えばマヤ文明でも応用できるわけですし、今後に期待ですね!

    ……私も分析できるようになりたいな、なれるもんか???( ・Д・)




    さて、江戸時代の庶民はやはり質素な生活だったのでしょうか。

    メザシ一匹をおかずに、、、って時代劇とかで見るけども( -д-)ノ

    というか、肉食べなくともタバコ吸うのねって思ってしまいました。

    タバコにお金使ってしまうのは昔も今も変わらないものですね。


    「だって同じ人間だもの! だんご(管理人)」( ・Д・)


    *今回の記事は「M+」さんよりコメント欄にてご教示頂いたものを参考にしております。末筆ながら記して感謝申し上げる次第です。


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    2019ねん 7がつ 15にち(げつよーび、曇り)

    今週末は後れを取り戻すべく記事を一気に書いた。

    次は報告書だな( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    【目次】
    1. はじめに
    2. 発見された江戸時代の船着き場
    3. 江戸時代の船着き場のイメージ
    4. おわりに

    1.はじめに

    今回の考古学・歴史ニュースは「佐賀県の民家の下から江戸時代末期の船着き場が検出されたよ!」というお話です(*・ω・)ノ

    上に挙げた図は大阪府立中之島図書館に所蔵されている『浪花名所図会』の内の一つです。

    初代歌川広重によって描かれたもので「八軒家着船の図」という現在の大阪市の天満橋の当時の様子がモチーフとなっています。

    この船着き場は同じ江戸時代のものとは言え、今回紹介する船着き場より大きいです。

    しかしながら参考として江戸時代の船着き場のイメージはこんな感じなのです( -д-)ノ



    arukemaya499
    ↑手前の階段が発見された船着き場(「dmenuニュース」の記事内画像より転載)






    2.発見された江戸時代の船着き場

    さて、写真にて今回発見された船着き場を紹介しましたが、保存状態が良好ですよねΣ(・ω・ノ)ノ

    もしコーンとコーンバーが無ければ、「現在でも使われている古い階段かな?」とか思ってしまいそうです( -д-)ノ

    発見場所は佐賀県、佐賀市の柳町です。

    旧長崎街道沿いにある民家の下から見つかったそうです。

    何でも、家屋を取り壊していたら下から階段が見つかったそうで、連絡を受けた佐賀市教育委員会が発掘調査を実施したのです。

    報告によると幕末期に築かれたと考えられる近代的な石段の船着き場の遺構であり、雁木(がんぎ)と呼ばれる船荷の積み卸しをするための石段や石垣の護岸、側溝、建物の礎石が出土しました。

    石段は計12段あり、高さ約1.6m、幅約1.8mで、石段の最上部には扉を開け閉めしたような跡があり、蔵があった蓋然性が高いとのことです。

    また今回の発見は、船着き場が佐賀城下で見つかった初めての事例だそうです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    この船着き場の検出場所付近には紺屋川が流れていて、周囲には呉服屋などの商人の家が立ち並んでいたとする歴史記録が残っています。

    紺屋川を利用した水運によって様々な物資が商人宅に運ばれ、そして近くに位置する旧長崎街道を通して広く商品が伝わったのかも知れませんね(*・ω・)ノ

    今回の発見は幕末における佐賀城下町の街並みがわかる貴重な資料であるとともに、こうした船着き場が船荷の流通として活用された歴史を知る上で非常に重要な発見と言えるでしょう。




    arukemaya504


    3.江戸時代の船着き場のイメージ

    さて、最初に江戸時代の絵画でイメージを掴んでもらいましたが、やはりサイズ感が異なるので、他に適切なものがないかなと思っていたところ発見しました!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    これは千葉県香取市にある佐原の風景です

    “北総の小江戸”と呼ばれる水郷の町として有名な観光地なのだそうです。

    小江戸というだけあって、さすがに江戸時代の町並みの感じがします。

    また船着き場のサイズが、ちょうど今回佐賀県で発見された遺構のサイズ感とぴったりだと思います。

    下に別の写真で示したように佐原では「さっぱ舟」という観光遊覧船に乗れるそうです。

    ちなみに「さっぱ舟/サッパ舟」は陸中海岸の漁師がウニ漁やアワビ漁、その他、小規模な刺し網漁などに使用する小型の磯舟のことだそうですが、まぁここでは水運用ですので底が平たい小型の和船のことと理解しておきましょう(*・ω・)ノ

    佐賀県と千葉県では遠いんですけど、佐賀県で本物の江戸時代の船着き場を見た後に、佐原で実際にさっぱ舟に乗って江戸風の船着き場を利用したり、古民家が立ち並ぶ江戸情緒溢れる町を散策してみたりできると最高ですね(・∀・)つ


    arukemaya505
    ↑現代だからモーター付いてるけどね!(´・ω・`)(「Browse Instagram content with Picdeer」の画像より転載)


    4.おわりに


    今回の発見のポイントは、学術調査等ではなく、工事の際に普通の民家の下から見つかった!という点でしょうね。

    民家の敷地内における発見なのですが、貴重な発見故、なんとか保存・活用してもらいたいなと思いますね。

    全国の調査説明会にはおおよそ平均何人が来るのか知りませんが、今回の調査説明会には150人もの歴史ファンが駆け付けたということで、やっぱ「みんな幕末大好き(・∀・)つ」だなと感じました。

    (新聞記事には「説明会に何人が来た!」って書いてるから、毎度データ化したら平均数が分かりますね……やってみようかな( -д-)ノ)

    さて、まとめとしまして、『身近なところに歴史はある!』ということで、当サイトに来る人はみんな既に多かれ少なかれ「歴史好き」だと思いますが、身の回りの「身近な歴史」についてもアンテナを張ってみる良い機会かも知れません(*・ω・)ノ

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    2019ねん 1がつ 31にち(もくよーび、晴れ)

    以前、急にいか飯が食べたくなって、

    イカを買ってきて作ったことがある。

    なんか、たま~に食べたくなるんだよな~(´・ω・`)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya_0024
    ↑美味しそうな『いか飯』!ヾ(´ω`=´ω`)ノ(「北海道の道の駅」より画像を転載)



    【目次】
    1. はじめに
    2. いか飯といか飯土器の紹介
    3. 「いか飯土器」のモチーフがいか飯であるかどうかの検討
    4. おわりに ~「鐸形土製品」としての「イカ形土製品」に対する実際の評価~



    1.はじめに
    さて、今回の考古学・歴史ニュースは、「北海道南部、森町で出土したイカ飯土器を紹介するよ!」です。





    最近ですね、寝れない夜にYoutubeで色々観るのが趣味になっているのですが、所謂「オカルトもの」とか「疑似科学」ものがけっこう好きで観ているのです。


    歴史とか考古学の成果に対して「攻撃的」な内容でない限り、基本的にぼーっと観てるわけです。




    例えば、「宇宙人がピラミッドを造った!」は・・・ ⇒ そんなわけあるか!( ・Д・)

    ってなりますが、

    「ロズウェルにUFOが落ちて宇宙人が回収された!」なら・・・ ⇒ いいんじゃない?( ・Д・)(←同じ表情に見えるが心は仏のように穏やかである)


    って感じで観ているわけです(観てると更に寝れなくなるのでラジオ的に音を流している感じです)。


    (回し者じゃないですけど紹介しておきます。特に「History Channel」面白いですよ。古代の宇宙人シリーズ!時々、睡眠障害ぽいですが良く眠れます。)




    ・・・・・・まぁそれでふと思ったんですよね、この所謂トンデモ説を提唱する人たちは何故そういう風に物事を捉えるのかって。



    ①不思議な説を提唱することで有名になりたい(承認欲求を満たしている)。

    ②そのような行為によって得られる経済的報酬を期待している。

    ③フィクションと明記ないし明言していない点で違いはあるが、実際に当事者は虚構であることを本当は理解している上でエンターティナーに徹しており、歴史小説家のような役割を担っている。

    ④アホである( ・Д・)



    カップラーメンが出来上がるまでに思い付いた「彼らの行動の理由」はこれくらいですね。

    (まぁもちろん④はふざけてるだけですけど(m´・ω・`)m ゴメン…)






    前置きが長くなってしまいましたが、先に述べた③は面白い理由だと思うし、当サイトの記事は論文じゃなくて飽くまでもブログ記事だし、私も何か面白いこと言ってみようかと思い立ったわけですよ!



    そこで『4000年前、縄文人が「いか飯」を食べていた説』を提唱することにしました!( ・´ー・`)ドヤ



    (同業者の方はですね、「あ~ストレスあるんだろうな~」くらいで優しい気持ちと生温かい眼で見守ってくださるよう宜しくお願い致します( -д-)ノ)


    まぁプライドもありますのであまりいい加減なこと言ってられませんから、最後に一般的な解釈もちゃんと紹介します(*・ω・)ノ




    arukemaya_0026




    2.いか飯といか飯土器の紹介
    ここまでに「いか飯」の写真を2枚挙げまして、上にイカ型土製品の写真を挙げました。


    お気付きの方もいると思いますがタイトルや見出しに「土器」と使っているのはその方が一般的に分かりやすいかな~(あるいは記事タイトルとして目を惹くかな)程度の理由しかありません


    が、本論では「いか飯土器」を使い続けることにします。

    また最後の部分で、敢えて「土器」として呼称を誤用し続けた本当の理由を述べますね(*・ω・)ノ)




    ということで、この「いか飯土器」本当は「土製品」です。


    内部は中空ですけども、「器」じゃないんですね。まぁ逆さまにしたらコップにはなるかな!

    置けないけどね( ・Д・)




    ところで・・・・・・どうでしょうか?


    見た目は完全にイカですよね!(私はイカれてませんよ( ・Д・))


    もうね、『縄文人は「いか飯」食べてたんですよ!』


    具体的に比較してみましょう!




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    ↑森町のいかめしと、いか飯土器を比べてみたの図(credit: 「歩け、マヤ」/ Project D.)


    もうそっくりですよ!


    「いか飯」の化石かと思うくらいですね!



    これは間違いなく、縄文人は4000年前に「いか飯」食べてましたよ!




    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    さて、この出土品について紹介しますと、


    出土地点は北海道茅部郡、森町にある鷲ノ木遺跡です。

    ストーンサークルでも有名な遺跡です。



    遺物の年代は、縄文時代後期前半で今から約4000年前のものです。

    またこのいか飯土器は森町でしか出土していません。







    ではそもそも「いか飯」とは何か?


    烏賊飯(いかめし)は、イカの中にを入れて炊き上げた日本の料理。北海道渡島地方の郷土料理。

    函館本線森駅の駅弁調製業者だった阿部弁当店(現在のいかめし阿部商店)が、第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)、戦時体制による食糧統制で米が不足していたため、当時豊漁だったスルメイカを用い、を節約しても満足感がある料理として考案した
    (wikiより転載)




    つまるところ、


    ①「いか飯」は20世紀に森町で作られたものなのです。

    ②でも4000年前に「いか飯土器」が森町で出土している。

    ③出土遺跡にはストーンサークルがある。



    ハイ、勘の良い方はもうおわかりでしょう。

    「いか飯土器」は『オーパーツ』なんですね!(繰り返します、私はイカれてません(゚∀゚)アヒャヒャ)



    つまり、「20世紀の森町に住んでいた、とある人物が極度の空腹状態で食べた『いか飯』のあまりの美味しさに超絶感動した結果、時空間に歪みが生じて4000年前の森町にタイムスリップしたのです。この時の痕跡が今、鷲ノ木遺跡のストーンサークルとして確認することができます。」


    「その人物はお腹を空かせた当時の縄文人を目の当たりにして、戦時下の極限の空腹時の自分と重ね合わせ、未来の食べ物である『いか飯』を伝授することにしたのです。」


    「『いか飯』は飢餓を救った偉大な存在として崇められ、唯一神として1個体だけ製作されました。この御神体が出土した「いか飯土器」です。その後、生活技術の発達に伴って食糧事情が改善され、「いか飯信仰」は忘れ去られてしまったのですヽ(TдT)ノ」




    ・・・・・・ちなみに当時の唯一神の名前は「イカメ神(いかめしん)」です。


    あるいは正式には「烏賊飯乃神旨過尊(いかめしのかみうまかと)」だということがチャネリングで分かっています。




    arukemaya_0031



    3.「イカ飯土器」のモチーフがイカ飯であるかどうかの検討
    さて、当然ある批判としてぱっと次の項目が考えられます。


    ①米がないから作れない。

    ②縄文人もイカを食べており、これはイカを模したものである。



    まず一点目ですが、記録として残っている北海道における米作りの始まりは1692年です。



    少し遡って1604年には松前藩が蝦夷地の支配を強めていく頃ですが、米がとれないので「加賀百万石」みたいな石高で藩の経済力を示すことができませんでした。


    そのため「無高の藩」と呼ばれていました。

    このことからもやはりお米は縄文時代にはなかったことがはっきりと分かりますね。



    しかしながらですね、縄文時代後期にはアワ・キビ・ヒエ・ソバといった雑穀類の栽培が始まっていたようですから、当時の古代イカ飯は雑穀類を詰めたものだったと考えられるのです!(*・ω・)ノ



    2点目にイカ漁の開始時期ですが、イカ漁は本州で開始されて江戸時代中期に北海道に伝わったと言われています。


    つまり縄文時代後期ではイカを獲っていない可能性が高いです。

    もしイカを獲っていたとすると、その技術は残るはずですから。


    つまりこれはタイムスリップした森町人が未来に与える影響が少ないよう独りでイカ漁を密かに行ったと考えられます。





    また偶然に獲れたイカを模している可能性もありますが、「イカ飯土器」は胴部が膨らんでいますよね? これは雑穀を中に詰めた様子を表現しているのです。


    説明しましょう!


    上に挙げたイカの種類ではケンサキイカとかカギイカが、元々でっぷりとした体形をしていますが、これらは北海道では捕れません。


    現在北海道南部で捕っているのはスルメイカ、ヤリイカといった細長い形のイカなのです。


    つまり偶然にイカが捕れても、形態が異なるのです。




    それでも偶然に獲れたイカを一部強調した作ったんだと言う方もいるかも知れません。


    先に挙げた同時代の土偶(ハート形土偶)では、人間はかなり各部を強調されて作られており、あまり写実的ではないことが分かります。


    他にも遮光器土偶とか色々ありますけどどれもあまり写実的ではありません・








    でも動物を模した場合はこのように写実的なのです。


    つまり、偶然に獲れたイカを模して作ったとしたら、強調した形態にはならないのです。


    よってやはり「いか飯土器」はイカの中に雑穀米を詰めた古代の「いか飯」である蓋然性が高いのです!ヾ(´ω`=´ω`)ノ




    arukemaya_0030


    4.おわりに ~「鐸形土製品」としての「イカ形土製品」に対する実際の評価~
    無駄に長くなりましたが、最後に実際の考古学的評価のお話をして締めたいと思います。


    上に挙げましたように、実際には「イカ形土製品」は「鐸形(たくがた)土製品」の内の一つになります。


    この「鐸形土製品」は縄文時代後期前半に北海道南部から東北地方で造られた祭祀・儀礼の道具です。


    イカ形土製品というのは鐸形土製品を特殊化したものであり、頭部が三角形で他の鐸形土製品よりも大きく際だっています。


    写真を見ると、どれも丸みを帯びた卵型ですよね。これがイカの胴体部分になります。

    左の2点を見ると上部にくびれを持った後に、方形ないし三角形状に展開しています。


    まぁつまるところ、この「鐸形土製品」の上部が三角形に発達したバリエーションが、現代の私たちには「イカ」のように見えるってことなのですね( -д-)ノ




    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    あとですね、前半に述べた「いか飯土器」と呼び続けた理由は、本来の「イカ形土製品」という言葉を使ってしまうことによる弊害を避けたのです。


    万が一私の「唯一神イカメシン信仰論」がですね、何らかの理由で一部抜粋されて拡散された時に、「いか飯土器」と使っていれば、見る人が見れば分かるかなというのもありますし、


    まぁ端的には、『私の中でのフィクションとノンフィクションの境を、使用する呼称によって明確に分離した』ということです(*・ω・)ノ


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    ↑やっぱりこれ、「いか飯」だな.。゚+.(・∀・)゚+.゚(credit: 「歩け、マヤ」/ Project D.)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    ・・・・・・いや~、ほんとに楽しかったです!

    書きながら、イカれてんな~(゚∀゚)アヒャヒャって、何度も笑いました。


    読んで頂いた皆様もそれなりに楽しめたのではないかなと期待しております(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    さて、オカルトや疑似科学が何故根強く存在するのかを扱うのは社会学や心理学の領域でしょうか。


    「急速に発達した科学に対する内在する不安・不信感が表出している」という説明や、

    「誰にも受け入れられない不思議な自己体験を肯定してくれるカルト的存在」という説明も目にしたことがあります。



    しかしながら実際にやってみると面白かったので、

    考古学にも通じる「考えることの楽しさ」、あるいは「自身の考えを発表し受入れらる喜び」をより身近に体験できる分野なのかなと、私は感じましたね。


    特に後者のような性質があるのであれば、歴史小説家と異なり「フィクション」であると明記・明言しない理由も分かります。

    別段、オカルトや疑似科学をお勧めしているわけではありませんが、「考えることの楽しさ」を知るきっかけになればいいな~なんて思います(。・ω・)ノ゙

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