あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    沖縄

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    2025ねん 11がつ 18にち(かよーび、晴れ)

    今日からまた頑張る!( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑焼けてる感がすごいね!( ・Д・)
    (「沖縄タイムスプラス」の画像より転載)




    今回の考古学・歴史ニュースは沖縄の空襲跡はこんな感じかぁ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    沖縄・那覇。現在の県庁や市役所が立つその場所には、かつて 陶器(やちむん)を焼く村 がありました。しかし、1944年10月10日の朝、米軍の猛烈な空襲がこの地を襲い、 湧田(わくた)村 は一夜にして焼け落ちたのです。近年、その痕跡が本格的な発掘調査で明らかになり、瓦や陶器の破片、焼け焦げた土の痕跡などが見つかりました。80年の時を越えて、戦争によって奪われた人々の日常、そして文化が、静かに語り始めています。


    あるけまや風に言えば──戦火に飲まれた窯の炎。その火とともに消えてしまった笑い声、釉薬をかける手のぬくもり、やちむんを囲んだ暮らし。今、地中から掘り起こされるのは、戦争という暴力だけでなく、そこにあった「文化」と「生活」の証拠です。




    🔍 湧田村とは何だったのか — 瓦と陶器の村の歴史

    • 湧田村は那覇市の現在の 県庁敷地や泉崎あたり にあった集落で、古くから瓦や陶器を生産する「湧田窯(やかまや)」が存在した。

    • 歴史を遡ると、1616年ごろにはもう陶器づくりが行われていたという記録があり、琉球王国時代から続く窯業の地だった。

    • 那覇の伝統的な陶器「やちむん/琉球焼(琉球やき)」も、この湧田村の窯から発展してきた可能性があります。




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    ↑めちゃ街中にあるね!( ・Д・)
    (「琉球新報」の画像より転載)


    💣 10・10空襲の惨禍 — 一夜にして村が焼け落ちた日

    • 1944年10月10日、米軍機による「10・10空襲(テン・テン空襲)」が那覇を襲撃。

    • 空襲は朝6時45分ごろ始まり、延々と爆撃が続き、那覇市街のおよそ 90%が焼失したという記録が残る。

    • 湧田村もその被害の中心のひとつで、発掘調査では 焼けた地面(黒焦げ・赤茶の土)、瓦や陶器の破片、溶けたガラス などが発見されている。



    🧱 発掘調査で見えてきた村の日常の断片

    • 那覇市の県庁敷地で行われている 県立埋蔵文化財センター の発掘調査で、湧田村の遺構が詳しく調べられている。

    • 調査で見つかった遺構の面積は 700~800平方メートル に及び、焼けた足跡(火災痕)が広く残っていた。

    • 下層からは 窯の床面や炉跡 とみられる構造も確認され、近世後半〜近代にかけての陶器製造拠点の実態が具体化してきている。

    • 金属加工用の炉やるつぼも出土しており、陶器だけでなく複合的な工業活動があった村であったことがうかがえる。



    🔥 炎が焼いた景色、そして壊れた暮らし

    • 発掘現場には 割れた陶器の色絵器 が散らばっており、当時の生活の豊かさ、そして喪失の深さを物語っている。

    • 屋根瓦が破損し、建物の穴や爆弾痕とみられる穴が複数あったとの報告もあり、 爆撃の激しさと建物の構造破壊 を示している。

    • 地中に残された焼土層は 高温の炎が地面を焼いたまま固まった証拠 で、空襲の火災が古い住宅地を文字どおり焼き尽くしたことが鮮明に残されていた。



    🕊️ 証言が伝える「戦争の日の記憶」

    • 当時を生き延びた住民の証言には、「あたり一面が焼け野原になった」「爆撃とともにナパーム(焼夷弾?)が降ってきた」といった、強烈な記憶が語られている。

    • 10・10空襲は沖縄戦の始まりを象徴する事件ともされ、市内にはその被害の記憶を伝える証言や資料が多数残されている。

    • 発掘調査の意義は、単に「壊れたものを見る」だけでなく、 生活を営んでいた人たちの断片を掘り起こすこと にあり、戦後世代への継承の一歩となっている。




    🌱 湧田村の遺産とこれから — 戦争と復興、文化の再生へ

    • 発掘調査は 2024年11月から始まり、令和7年度(2025年度)まで継続予定

    • 今後、出土遺物や遺構は報告書や展示を通じて 広く一般に公開される見込み がある。

    • かつて焼け落ちた窯の跡が、人々の記憶と結びついて 平和のメッセージを伝える場 になる可能性も指摘されている。


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    ↑やぱ焼失跡として生々しいな!( ・Д・)
    (「琉球新報」の画像より転載)





    おわりに

    東京都内掘ってても、墨田区やってると空襲の痕跡はたくさん出てきますね。高温で変形したガラスとか焼けた黒曜石っぽいやつが出てくる。あと不発弾とか焼夷弾とか出てくる。しかも稀に出てくるってよりは普通にけっこう出てくる。範囲の広い調査なら出会う確率は高い気がする。ちなみに焼夷弾は警察に伝えれば済むけど、不発弾出てくると自衛隊来て調査3か月とか止まるそう。私は不発弾に出会ったことはないが出会いたい!調査止まってもいいから!( ・Д・) 

    あ~そう言えば、府中市の方では旧陸軍のカルバート(分厚いコンクリートに覆われた地下トンネルみたいなやつ)が出てきたや。すごいなぁ思うた。重機で一部ぶっ壊したんだけど、もし私が責任者だったら内部探検して残留物探しちゃうなぁ、てか中てくてく歩いて探検したい!って思った!

    まぁ戦争の記憶は沖縄でも墨田区でも当事者にとっては今でも重大な関心事なのだけれど、痛みと失敗は忘れてはならないし、未来に活かしていければいいよね。まぁ最近私は戦争もデータに使ってるけど、戦争って難しい。「戦争反対」と叫ぶのは意味あるのかないのかわからん。残念ながら人類史を振り返ると、戦争はしたくなくても巻き込まれるんだよね!( ・Д・)




    何はともあれ、、、

    焼夷弾は危なくないらしいから一個欲しい!( ・Д・)







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    2024ねん 5がつ 17にち(きんよーび、晴れ)

    なんとかダブルワークで研究頑張ってる(*・ω・)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは「沖縄県で最古の人類の痕跡、火焚いてたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台は沖縄県、宜野湾市の普天満宮洞穴(ふてんまぐうどうけつ)遺跡です。

    琉球列島の歴史は日本とはやはり異なるのですが、少なくとも3万2000年前には人類が住んでいたことが分かっています。



    今回は3万1000年前の炉跡が発見されたということです。



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    炉というと一般的には江戸時代の囲炉裏のようなものをイメージするかも知れません。

    土器などを固定するための三石炉(さんせきろ)の発生は古く、そちらをイメージする方もいるかも知れません。

    単純に適当なサイズの石を三つ拾ってきて、組むだけの簡素なものです。

    3つなので自然と安定するのです。

    この三石炉は現在でも使用されていますし、サバイバルテクニックとして知られているかもしれません。




    しかしながら、考古学における、特に古代の炉というのは基本的に上の写真のようなものです。

    そうです、特に何もありません。

    あるのは焦土(しょうど)、つまり焼けた土なのです。

    今回の発見では同じ箇所を炉として長く使用していたようで、恐らくは周りにあったレキ(石のこと)も焼けてますし、たくさんの灰が固まっている様子が分かります。






    写真の上にある灰色コンテナに入っているものが、焦土や灰の塊です。

    下にあるものは左の4点が沖縄県の旧石器時代、約3万1000年前の石器で、右の2点が人間の頭蓋骨(とうがいこつ)の一部です。





    おわりに

    今回の発見は沖縄県、最古級の炉跡ということで、多量の灰が検出されています。

    この灰を分析することで、当時の人々がどのようなものを食べていたのかが分かる可能性があります。

    またヒトの頭蓋骨の分析により、すでに見つかっている他の旧石器時代の人骨との関係性が明らかになるかも知れません。

    今回は発見に関する速報ですから、続報に期待ですね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



    何はともあれ、

    何食べてたかは気になるね!( ・Д・)



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    2022ねん 1がつ 10にち(かよーび、晴れ)

    明けましておめでとうございま~すヽ(TдT)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは日本最古?沖縄のブタは中国から!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はもちろん沖縄なわけですが、、、

    今回はブタさんのお話です。



    その前にこれまでの復習をざっとしてしまいます(*^・ェ・)ノ

    ①北琉球で「爪形文土器」が見つかった。

    ②本土の爪形文土器(草創期)の空似と評価され、実際に縄文後期相当と分かった。

    ③次に中琉球で「爪形文土器」が見つかり、早期相当と分かった。

    ④更に南琉球で見つかった土器が1万年前の早期初頭相当と分かり、沖縄最古の土器はどんどん南下する傾向が見られた。

    ⑤更に南の台湾や中国南東部には同時期や草創期に土器がないけど、どこが発祥?って困った( ・Д・)



    って感じです( -д-)ノ




    さて、沖縄のブタさんと言えば、上に挙げたような「アグー」ですね。

    このブタのルーツとしては14世紀の中国との進貢貿易において沖縄に伝わったものとされています。

    当時の中国はめちゃくちゃブタを食べていたようで、中国から来た使節をもてなすためにも大量にブタを生産し消費していたそうです。



    これは年代的にも新しい話なのですが、最近になって動物考古学の研究成果により、沖縄のブタの起源がとても古いことが分かりました。

    発見があったのは、中琉球つまり沖縄本島の嘉手納町にある野国貝塚で、そこから大量のブタの骨が検出されました。

    分析対象はブタの下顎骨(アゴ)で、107点も扱いました。

    分析の結果、10才を超えるブタがいたことが分かり、これほどまで高齢でいられるということはヒトが飼育していた証拠であると結論付けています。



    ちなみに年代測定の結果、ブタの骨の帰属時期は7200~7500年前で縄文時代早期後半となっています。

    本土の方の最古の飼育ブタの痕跡は、佐賀県唐津市の菜畑遺跡で検出されたブタの骨で3000年前です。

    だから今回の発見は最古の事例となり、日本におけるブタの飼育の歴史が一気に変わったと言えます!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    中東のギョベクリ・テペって何だか最近話題ですけども、約1万年前の先土器・新石器時代に定住前に宗教施設が造られたってことで・・・

    何度か記事で触れたと思いますが、日本の縄文時代だと1万年前は早期初頭相当だからすでに土器がある新石器時代で、

    新石器時代で狩猟採集社会なのに定住してて、

    今回の発見で牧畜までしてるんですよね。

    身近過ぎて分からないかもしれませんが、縄文ってスゴイものなのですよ?ヾ(´ω`=´ω`)ノ



    さてさて、話を戻しますと、この約7000年前の沖縄のブタは中国から伝わったと考えられています。

    中国では黄河流域で約8000年前に豚の飼育が始まったとされていることに起因します。

    まぁ時期的にはイイ感じです。



    私の日本における研究のひとつとして縄文草創期・早期を扱っていますが、草創期段階の爪形文土器が沖縄を除く日本全土に広がっていることから、

    日本ではめちゃくちゃ古い段階で海を越えて交易関係があったのかな~って考えています。

    今回の発見を基にすると、大陸との関係まで再考する必要があるようですね。

    何だか交易ばっかり意識すると「伝播論」的に感じるので、私個人としては日本における「自発性」も十分に意識していきたいと思います(*^・ェ・)ノ



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    ↑溶けるの早くてめっちゃ垂れたが美味しかった!(・∀・)つ(credit: あるけまや)



    おわりに

    沖縄のビーチで海岸砂の採取を行うために、駐車料金払ったのです。

    サンプリングが目的ですぐ帰るとは伝えたのですが、、、

    で、実際に僅か5分10分で車に戻ったところ、申し訳ないのでってアイスくれました。

    嬉しかったですヾ(´ω`=´ω`)ノ



    さて、コロナ禍を機に、国内でも様々な時期や地域を対象に研究を始めましたが、どこやっても面白いものですね(*・ω・)ノ

    いやはや、、、ほんと考古学ってイイものですね~

    では、さよなら、さよなら、

    さよならっ!( ・Д・)


    (古いけど金曜ロードショー、大好きでした(*^・ェ・)ノ)


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    2021ねん 11がつ 29にち(げつよーび、晴れ)

    研究は著しく進んだが記事サボりまくったヽ(TдT)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは沖縄の土器の起源は南!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はもちろん沖縄なわけですが、、、

    前回の地図を再掲しておきますね。



    arukemaya1669




    前回までに北琉球と中琉球のお話をしてきました。

    簡単にまとめると、最初、沖縄で見つかった爪形文土器は本土の爪形文土器(草創期)とは似てるだけで違うんだって意見がありました。

    実際に北琉球の貝塚で見つかった爪形文を有する土器は、九州南部の縄文後期に典型的な爪形文を有する土器との関係が示されたのです。

    その後、藪地洞窟遺跡などの中琉球でより古い時期の爪形文土器(早期)が発見され、沖縄の土器の起源はどこぞ?ってなったってお話です(*・ω・)ノ






    さて今回のお話は宮古島で有名な南琉球です。

    先に述べたように北琉球は意外に新しくて、中琉球でもっと古いのが出て、、、

    という中で、南琉球の石垣島にある白保竿根田原洞穴遺跡でおよそ1万年前の土器(早期初頭)が見つかったのです。

    こうなると沖縄の土器は南にいくほど古くなる、、、つまり南が起源なのか?って話になります。





    北琉球や中琉球の爪形文土器が「他人の空似」とか言われていた段階では、特に古い中琉球の土器は中国南部や大陸の南東部との関係性が指摘されていました。

    でも今回のこの琉球大学(山極チーム)の研究成果では南方に起源があると言えそうです。




    一方で上図を見てみると草創期や早期初頭において台湾やフィリピンは無土器時代なのです。

    私も沖縄から地理的に近い台湾の土器を確認したことがありますが、爪形文はなく、貝殻条痕のある土器はあったものの、時期的に新しかったのです。

    こうなってくると、、、沖縄の土器の起源は南琉球で、つまり独自に発生したもので日本本土や大陸とは関係ないってことになるのでしょうか?




    ・・・相変わらず、沖縄の土器の起源はいずこ!?( ・Д・)


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    ↑貰い物で構成されたおつまみ、とても美味しかったよ(・∀・)つ(credit: あるけまや)



    おわりに

    マヤ研究がメインだけど、どこやっても土器なら楽しいなって気がします。

    まぁマヤが一番なんだけど!(大事なので何度でも言う( ・Д・))

    あるいは、どこのどの時期やっても私は研究進められるなって気もしてます(自慢( ・Д・))。



    話は逸れますが、、、いやー、物理学者が宇宙のすべてを理解したいように、私も人間社会の、人類史の全てを理解したいと思いますわ。

    実は最近「考古物理学」と称して数理モデルと統計学を利用しつつ、考古学・歴史学における法則定立的研究を目指しているのですが、、、

    学会発表や論文投稿後に記事やYouTubeで私の理論と実践についてお話しできたらな~って思っています。



    いやはや、、、何はともあれ、


    ・・・琉球大学に勤めたい!( ・Д・)



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    2021ねん 11がつ 11にち(もくよーび、晴れ)

    ワクチンのせいで頭痛いヽ(TдT)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは沖縄の土器の起源はどこ!?( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はもちろん沖縄なわけですが、、、

    ひとくちに沖縄と言ってもおおまかに3地域に分けられます。



    arukemaya1669




    上の2枚目の図として挙げたようにいくつかの分類方法があるようですが、ひとまず私は3地位区分を使用しようと思います。

    もし今後、考古学的に意味のある分類が見つかったら、それに従って地位区分できればいいなと考えています(*^・ェ・)ノ




    さて、前回の記事でも触れたように、沖縄では「爪形文土器」が見つかっています。

    一般に(本州では)「爪形文土器」は縄文時代草創期(1万6000~1万1000年前)に帰属する土器です。

    「爪形文土器」は草創期の中でも古いものになり、北海道、帯広市の大正3遺跡の事例では1万4000年前と推定されていますし、長崎県、福井洞窟遺跡の事例では1万2000~1万3000年前と推定されています。

    草創期の爪形文土器は日本最古級の土器でありながら、全国的に広がった土器でもある点で重要な土器だと、「私は」思っています。



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    ↑藪地洞窟遺跡の『北海道』土器( ・Д・)(cedit: あるけまや)



    そう考えると沖縄の爪形文土器も九州以北から伝わったものと考えれば良さそうなものですが、古い先行研究では沖縄の爪形文土器は『他人の空似』であるとし、むしろ中国南部やそれ以南の大陸側との関係性が指摘されていました。

    実際に北琉球に属する奄美大島の貝塚の事例では、見つかった爪形文土器は九州南部の縄文後期(4700~3400年前)の「爪形文を有する土器」との類似性が指摘され、同時期の旧南部に特徴的な土器との共伴事例が示されました。




    そうなるとやはり沖縄の爪形文土器は九州以北とは関係ない?となるのですが、、、

    そこで見つかったのが前回の藪地洞窟遺跡などの中琉球の沖縄本島における爪形文土器です。

    これらは縄文時代早期(1万1000~7200年前)に帰属するものと推定されているため、時期が一気に早まったわけです。

    それと共に、どうやら北琉球と中琉球では土器の発現や系統に違いがありそうなことが示唆されたわけです(*^・ェ・)ノ




    ・・・沖縄の土器の起源はいずこ!?


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    ↑ワニ、ダチョウ、カンガルーのお肉、美味しかったよ(・∀・)つ(credit: あるけまや)



    おわりに

    途中で挙げた『北海道』土器はジョークですからね!( -д-)ノ

    あれは藪地洞窟遺跡で出土した縄文早期の爪形文土器です。

    ただ形状が北海道っぽいな~って思っただけ!( ・Д・)




    最古級土器である爪形文土器の全国展開や、沖縄の土器の起源問題はテーマとしてけっこう面白いなぁって個人的には思っているんですよ。

    今回の連載を通して、皆さんにその面白さの一端でも伝えることができればなと思っています。

    ・・・沖縄また行きたい!( ・Д・)



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    2021ねん 11がつ 9にち(かよーび、ひどい雨)

    筋肉注射はやはり腕痛くなる~ヽ(TдT)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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    ↑雰囲気あったよ!( ・Д・)(筆者が今年調査に行った際に撮った写真、credit: あるけまや)



    今回の考古学・歴史ニュースは「沖縄で縄文時代最古の人骨が出たよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    さて、今回の舞台は沖縄県、うるま市の藪地洞窟遺跡です。

    上に挙げたキャプションに書いたように、今年はコロナ禍ということもあって私は北海道と沖縄で調査していたのです。

    で、沖縄における調査対象がまさにこの藪地洞窟遺跡だったのです!(・∀・)つ

    ということで、せっかくなので本記事を含めて数回にわたり、沖縄の考古学について自分の興味ある(知ってる)範囲で、自己の研究成果も含めて紹介していこうかなと思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    まぁ私の国内調査は土器の産地同定に関する理化学的研究ですし、私の専門はあくまでもマヤ考古学で、特にティカル遺跡周辺域がフィールドですので、あんまり知識ないのは勘弁してください( ・Д・)

    ちなみに調査や論文については日本考古学の方との共同研究体制にあるので何とかなってるのですよ( -д-)ノ←責任全ぶん投げ


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    arukemaya1665


    ちょっと見づらい図の出し方になってしまいました。

    画質はそこまで悪くないと思うので、スマホで読んでる方は必要に応じて拡大してみてください( -д-)ノ




    うるま市は沖縄県の右側、南から3分の1くらいの位置にあります(上図の赤丸部)。

    2枚目は藪地洞窟遺跡の位置を中心に、「うるま市」の表記が入るように調整した図です。

    小さいですけど赤線が3本あって、左右の赤線部には「うるま市」の表記があります。

    真ん中の赤線部が「藪地洞窟遺跡」です。




    うるま市は南東方向に半島状に突き出した地形を有しており、半島の先端部の北側に沿う形で「藪地島」があります。

    島の中は橋を渡ったすぐ先までしか舗装道路がありません。

    土地はうるま市に住む人々が有しており、畑があったり、未舗装道路の維持のために樹々の伐採が行われていたりと少し人がいます。

    しかし基本的には藪地島は無人島で誰も住んでいません。




    伝承によれば、昔藪地島で大火があり、島の住民がうるま市本島側に逃げてきたそうで、そのまま帰ることはなかったそうです。

    ちなみにその子孫と思われる人たちが藪地島の土地の法的所有権を有しています。

    ……なんか、、、「祟りじゃ~!」みたいなもう少し面白い話だった気がしますが、来年の調査時に再度聴いてメモってきますね( -д-)ノ



    arukemaya1663
    ↑人骨が見つかった藪地洞窟遺跡(再掲)




    上に挙げた写真が藪地洞窟遺跡で見つかった人骨です。

    見出しで縄文時代最古と書きましたが、これは沖縄県での話です。

    沖縄の貝塚時代(縄文時代早期~グスク時代;およそ11000年前から11~12世紀頃まで)において最古の事例なのです。




    日本の本州などにおける貝塚は縄文時代早期~中期(11000年前~4700年前)に見られるのでかなり違いがありますね。

    まぁ本土と比べれば周りを海に囲まれている上にサイズ的に小さいわけですから、より海産資源に頼った文化が続いたことは当然かも知れません。




    沖縄本島では早期(およそ11000~7200年年前)相当の土器が見つかっていて、この藪地洞窟遺跡では約9000年前の爪形文土器が出土しています。

    この人骨はその爪形文土器と共に見つかったことから、約1万年~9000年前のものと推定されています。

    これまでの貝塚時代相当の最古の事例は、名護市大堂原(うふどうばる)貝塚で発見された約7千年前の人骨であったので、新記録として2000~3000年も遡ることになった大発見なのです(*・ω・)ノ



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    ↑石灰岩の洞窟を利用して生活していた模様(credit: あるけまや)


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    ↑片っ端から色々試したけどやはりソーキそばが旨い気がする(・∀・)つ(credit: あるけまや)


    おわりに ~古い土器や骨がたくさん残るのは何故?~

    最後にご飯の写真も挙げましたが、その前にうるま市市役所の中で撮影した展示パネルを紹介したいと思います。

    これまでにも「最古シリーズ」とか「今でも食べれるよ?シリーズ」とかやってきましたけど、当記事を継続的に読んでいると『考古資料は特定の条件下で良好に保存される』ことが分かると思います。

    多くの場合、めっちゃ乾燥してるか、水辺で常に水分が供給されて空気が抜かれている状況かっていうケースです。

    一方で今回のような「洞窟」は比較的残りが良く、最古の土器の事例も世界的に見て「洞窟」での発見が非常に多いのです。




    更に藪地洞窟遺跡の洞窟は、単なる洞窟ではなく『石灰岩質』の洞窟です。

    日本は酸性土壌なので通常骨が溶けてしまいますが、雨をよく通す石灰岩が浸食されて土壌にアルカリ性をもたらすため、人骨などの残りがより良い環境なのです。



    ちなみにマヤ文明は巨大な石灰岩台地上に立地するけども、骨はあまり残りません。

    ……何故?


    微生物がめっちゃ張り切っちゃうから!( ・Д・)



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