やや寝不足だが研究が進んだ1日であったヾ(´ω`=´ω`)ノ
海外調査は金がかかる!( ・Д・)
「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙
海外調査は金がかかる!( ・Д・)
よく(?)「イナゴの襲来」って目に耳にするじゃないですか?
でもアフリカとか外国の話のイメージです。
農作物がやられて大変なことになるようです( -д-)ノ
これを「蝗害(こうがい)」と呼びます。
相変異という現象がカギになっており、主に昆虫において、さまざまな環境条件、特に個体群密度の変化によって、異なった姿と行動の個体を生じることを指します。
大規模な干ばつが起きると相変異によってトノサマバッタやイナゴが相変異により飛蝗(ひこう)という長距離を群飛する個体が多量に生じ、作物の豊富な生育地を求めて遠くまで移動するようになります。
↑相変異のバッタを載せるのもアレかと思い、日本人に親しみのあるバッタの群れを掲載(*・ω・)ノ(「ジオウ&ビルド製作委員会」の映画情報ページより転載)
この蝗害は、聖書の出エジプト記にも「十の災い」のひとつとして出てきます。
【十の災い】
これらは古代エジプトにおいて実際に起きた災害と考えられています。
エジプトはアフリカ大陸の北東端ですし、やはり蝗害ってアフリカや中東で起きているイメージがある気がします。
今回の記事はそんな蝗害が日本でも起きていたよ!ってお話ですヾ(´ω`=´ω`)ノ
↑札幌市、手稲区にあるバッタ塚(「SAPO☆CAN」の記事内画像より転載)
時代は明治時代、開拓期、場所は北海道です。
1880~85年にトノサマバッタが大発生し、十勝から道内各地に広がったとされています。
札幌でも大きな被害が出たため、駆除したバッタが産み付けた卵塊を集めて埋めた跡としてこのバッタ塚が建てられたそうです。
1967年に北海道大学の研究者が調べた結果、土中に卵の痕跡は見つからなかったが、複数の住民の証言があり、1978年に札幌市が指定する史跡となりました。
当時は、空を黒く埋め尽くすような大群が、農作物を食い荒らしたと言われ、手稲や発寒、琴似、円山などの各村で、麦やアワなどが10分の1ほどしか取れず、開拓に入ったばかりの農民たちの暮らしを直撃したそうです。
ちなみに空を埋め尽くすバッタの大群に大砲を打ち込んで駆除する方法も取られていたそうですΣ(・ω・ノ)ノ
このトノサマバッタの被害は札幌だけではなく、北の空知地方や道南の日本海側まで到達し、北海道の西半分が被害にあったといっても過言ではないでしょう。
この蝗害が本州にも上陸することを恐れた明治政府は、蝗害の発生地を特定しようと調査隊を派遣したところ、十勝川流域の広大な草原に至り。これが日本で三番目に広い十勝平野の「発見」となったそうです。
そしてこれを機に、十勝地方への入植が開始となりました。
その結果、発生地である十勝でもバッタの大規模な駆除が行われたため、こちらにはバッタ塚がいくつもあるそうです。
先ほどは北海道の西半分がやられたと書きましたが、当時はまだ十勝平野も知らない開拓期ですので、今であれば全道的な被害となっていたかも知れませんねヽ(TдT)ノ