2020ねん 2がつ 17にち(げつよーび、晴れ)

YouTubeも少しずつ成長してるから楽しいけど、1000人は遠過ぎる……

てかこっちの回線速度、遅過ぎる。

もうすでに素敵なビデオカメラと編集ソフト欲しい( ・Д・)


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arukemaya727


今回の考古学・歴史ニュースは「アッシリアの神々と王の行進を描いた彫刻が見つかったよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

アッシリアと言えば、メソポタミア文明の内のひとつですね。

今回発見されたのはおよそ2700年前、つまり紀元前700年前の石彫です。

この時期は新アッシリア時代に相当します。

どうやら古代水道で見つかったこの石彫の推定時期は新アッシリア時代の中でもアッシリア帝国時代のものだそうです(*・ω・)ノ

アッシリア帝国は『歴史上最初の真の帝国』であったとされ、また『アッシリアの民は鉄器で武装した最初の軍隊を有し、高度な戦略を用いた最初の民族』であったとされています。

帝国を築くくらい軍隊も強かったわけですが、古アッシリア時代・中アッシリア時代に続き、圧政もひどかったため滅亡してしまいます。

王様はきっと歴史を学ぶべきでしたね( -д-)ノ

アッシリアの王は主神であるアッシュル神で、人間の君主はアッシュルの副王を名乗りました。

つまり「神権政治」ですね。

国の政(まつりごと)は直接的に神の指示なわけですから、権力が膨れ上がって圧政に至るのも想像に難くない気がしますヽ(TдT)ノ






石彫が見つかった場所は中東イラク北部、アッシリア帝国時代の水路網の壁面です。

王宮以外で見事なレリーフが見つかることはほとんどないため貴重な発見と言えます。

またレリーフに神々と共に描かれた王はサルゴン2世(紀元前722年 - 紀元前705年)であり、もっぱら戦争をしていて武勇で有名な彼が、公共事業にも貢献していたことを示す貴重な発見でもあります。

この水路は丘陵地を巡るように造られており、大麦、小麦などの作物を育てる大規模な灌漑に使われたと考えられています。

この大規模灌漑が機能していたからこそ、当時、世界最大級の都市であったニネベの10万人以上とも言われる住民に十分な食糧を供給できていたと推測されます。

サルゴン2世は即位後すぐに帝国南部のバビロニアに離反され、戦争が続く中で死亡してしまいますが、圧政の多いアッシリア帝国時代の王の中では民の事も考えた優れた王だったのかも知れませんね(。・ω・)ノ゙

 
arukemaya726


さて、このレリーフには、竜と角のあるライオンに乗った最高神アッシュールや、その配偶神でライオンが支える玉座に座ったムリッスといったアッシリアの神々の行進をサルゴン2世が見守る様子が描かれているそうです。

他にも愛と戦争の女神イシュタル、太陽神シャマシュ、知恵の神ナブなどが並んで行進している様子が描かれています。

こういった芸術作品が民衆のための水路にまで張りめぐらされていたことが分かったわけで、当時の帝国の力の強さを知る上でも本当に大きな発見と言えるでしょう。

またこの長大な古代水路にはそれを埋めている堆積物が多量にあるため、それを除去することで新たなレリーフが発見されることが十分に期待されます!

続報が楽しみですね!(*・ω・)ノ

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