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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:理化学分析

2023ねん6がつ 3にち(きんよーび、台風!)

良く寝ると仕事がよく進む、今年も躍進の年かなヾ(´ω`=´ω`)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは「DNA研究で匈奴研究が進んだよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はロシア南部です。

下の地図で挙げたようにバイカル湖の南東部でモンゴルに近いですね。

赤のドットで囲んだところがバイカル湖で、オレンジ色の丸枠が今回の調査地点です。




今回の研究はDNAを中心として人骨に関するものなのですが、近年ノーベル賞を獲ったように、この方面の進展が目覚ましく、考古学に対する貢献も著しいものがあるように思えます。


扱った墓域は下に挙げた図の「TAK」と「SBB」の2か所で、合計18基の墓の人骨と副葬品を対象にしています。




今回の研究で面白いのは墓の副葬品として弓矢が入る年齢が分かったことかなと個人的には思っています。



騎馬民族ですから世界史で有名なパルティアン・ショットのような騎馬戦術のひとつとして弓術が大事だったのは当然ですので、弓矢の副葬は妥当だなと思います。

そんな大事なものなのに11歳以下の男子には弓矢が副葬されていないことが分かりました。




ということは風習として12歳で”成人”、ないし「一人前の男」だったのかも知れませんね。

個人的にはこういうことが分かるのは面白いなって思います(*^・ェ・)ノ




あとは金製品を含んで一番豪華な副葬品が出たのが女性の墓だったってことですかね。

サイヤ人のように戦闘民族っぽいのに女性の地位が高かったんだな~って驚きました。




馬上では長弓は扱わないから比較的筋力は要らないので、馬のコントロールと弓術に長ければ良いという点では男女差が少ない社会とも言えそうですね。

アマゾネスの事例でも女性の副葬品は豪華ですし、単純に女性が強い社会だったのかも知れませんけども( -д-)ノ







さて、以下に「匈奴帝国の遺伝的多様性:貴族と地域エリートの役割」に関して簡単に、まじめにまとめますね。


要約
最近の考古学的研究により、匈奴帝国が多民族国家であったことが明らかになりました。

しかし、匈奴帝国内の遺伝的多様性が地域コミュニティや社会政治的地位によってどのように構成されていたのかは不明でした。

この研究では、匈奴帝国の西側辺境にある貴族墓地と地域エリート墓地の調査結果を元に、遺伝的多様性のパターンについて報告しています。





導入
匈奴帝国は紀元前200年頃から紀元後100年頃まで、東ユーラシアの草原を支配し、最初の遊牧民の帝国を築きました。

最近の研究により、匈奴帝国は多民族国家であったことが明らかになり、その遺伝的多様性が注目されています。

しかし、遺伝的多様性が地域コミュニティや社会的地位によってどのように分布していたのかは不明でした。




方法
研究チームは、匈奴帝国の西側辺境に位置する貴族墓地と地域エリート墓地を調査しました。


そこで見つかった18人の遺体からゲノムワイドデータを収集し、遺伝的解析を行いました。


この分析により、コミュニティ内の遺伝的多様性のパターンを明らかにしました。




結果
研究結果は、匈奴帝国全体と同程度の遺伝的多様性が、貴族墓地と地域エリート墓地においても観察されたことを示しました。

さらに、拡大家族内でも高い遺伝的多様性が見られました。このことから、匈奴社会においては多様な出自を持つ人々が交配していたことが示唆されました。




また、遺伝的異質性は、社会的地位の低い人々の間で最も高くなり、多様な出自を反映していることがわかりました。

一方、高い社会的地位を持つ人々は、遺伝的多様性が低く、特定の部分集合にエリート地位と権力が集中していたことが示唆されました。




これは、匈奴帝国が多民族国家であり、社会的地位によって異なる遺伝的多様性が分布していたことを示唆しています。

今後の試料数の増加によって、さらなる匈奴帝国の社会構造や文化の解明につながるでしょう。




おわりに

途中でも書きましたけど、DNA研究の進展は著しいですね。

それだけではないのですが科学技術の発展が全体的に著しいので、理化学研究を通じた考古学の発展も凄まじいものがあります。




たぶん考古学革命がそろそろ起こりそう。

日本の手法はもちろん丁寧だけれども、世界的に従来通りの掘り方ではなくなっていきそうな気がします。



というかマヤ地域をはじめとして、未だに盗掘まがいの調査やってる考古学者を今こそ弾劾すべきだと思うな。


だって今回のような分析も何もできなくなるようなことやってるんだよ?

ばちくそ許すまじ!( ・Д・)( ・Д・)( ・Д・)




何はともあれ、

やぱ金いいな!( ・Д・)



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2023ねん 5がつ 4にち(もくよーび、晴れ)

GWだね!全然関係ないけどみんな応援して!( ・Д・)

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四国一周メイン画像 (縮小版)

↑いや、実際チャリはキツイな( ・Д・)


今回の考古学・歴史ニュースは「国内研究費足りないから助けて!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は北海道です。

私はマヤ研究がメインですのでグアテマラで調査してますけども、日本国内でも調査研究しています。

国内では主に土器の胎土に含まれる砂粒鉱物を顕微鏡で観察して鉱物組成を明らかにし、河川湖沼に堆積する砂や粘土の鉱物組成と比較することで土器の生産地を推定するという研究を行っています。



砂ほり博士_190419_0026


砂ほり博士_190419_0025


まぁこんな感じでこれまで北海道と礼文島、沖縄本島、鹿児島の奄美大島でサンプリング調査を行ってきました。

ひたすら河川や湖沼を回ってサンプルを集め、処理後に顕微鏡観察を行っていきます。




これまでに日本国内では100点以上のサンプルを集めています。

それまでに何度、沼にはまったり、川に落ちたり、ぬかるみで滑って派手にコケて流血したことか、、、ほんと全身ドロドロになって悲しい気持ちになりましたよヽ(TдT)ノ





砂ほり博士_190419_0040
↑これは羊蹄山!きれいでしょ?ヾ(´ω`=´ω`)ノ



今回は北海道の話です。

北海道は大きいのでまだサンプリング調査を完了していませんが、まぁ車使って2週間くらいかければ終わるかな~という見込みでいます。

今年がある意味自由に研究活動できる最後の年かも知れないので、片付けてしまおうかなとも思っています(*^・ェ・)ノ

たぶん……




日本最古級の土器


北海道での資料調査は色々な場所で様々な時期の土器を対象にしているので、ネタはつきないのですが、今回紹介するのはわかりやすい2点です。


ひとつが上に挙げた地図にある、帯広市と遠軽町に関するお話です。




この2つの地点では日本最古級の土器である爪形文土器が出土しています。

縄文時代草創期相当で約1万3000~1万4000年前の土器です。




上の画像だと分かりにくいかもしれませんが、帯広市と遠軽町はかなり離れていますし、その間を高い山が二者を隔てるようにそびえ立っています。

北海道の真ん中には大雪山系の山々が連なっており、それを始点にたくさんの河川が発達しています。





雪解け水も豊富なので北海道はたくさんの綺麗な水に恵まれているわけです。

ちなみに、そのため日本の有名なお菓子屋さんの本店がたくさんあります。

北海道の田舎にデカい工場と共にあるわけなので、まぁ地代の関係もあるのかも知れませんね( -д-)ノ








さて、実はこの爪形文土器は非常に古いにも関わらず全国的に見られるものなのです。

つまり縄文草創期段階ですでに海さえ超えた長距離間のコミュニケーションがあった可能性があります。

それを実際に「モノの移動」で証明できたら面白いですよね?




まだまだ全国規模の研究には至っていませんが、とりあえず北海道の事例ではモノの移動がありそうです。


というのも土器の胎土(簡単に言うと焼成された粘土)を顕微鏡観察してみると、帯広市や遠軽町で出土した爪形文土器には上に挙げた写真にあるような金雲母を含むものと含まないものがあることがわかります。





そこで河川に堆積する砂粒鉱物サンプルを顕微鏡観察して鉱物組成を明らかにしたところ、帯広市側の河川は金雲母を含まないことがわかりました。

他方で山を隔てた北の遠軽町を流れる湧別川は多量の大粒の金雲母を含むことがわかりました。




まだ同地域におけるサンプリング調査が完了しているわけではありませんが、現在までのところ、1万4000年前頃の爪形文土器を作り使った人々は高い山を越えて交流があった、あるいは重い土器を運びつつ移動生活を行った可能性が示唆されるのです。




まぁ私が国内でやってる研究はこんな感じのものです。


少しわかってきました?


じゃあ次は礼文島のお話です(*・ω・)ノ






海を隔てた交流

礼文島は北海道本島の北北西にあります。

最高級ウニの馬糞ウニで有名ですね。

あとはホッケのちゃんちゃん焼きかな。




前回調査行ったときにホッケのちゃんちゃん焼きを食べたけども美味しかったですよ。

札幌人としてはシャケのちゃんちゃん焼きが基本なので物珍しさもありました。




さて、そんな海鮮系の美味しいものでいっぱいの礼文島にもたくさんの歴史があります。



arukemaya005




上に挙げたように礼文島には有名な縄文遺跡が見つかっています。

島ですからやはり漁労が重要で、貝塚のようなアルカリ性の堆積物が豊富なため、通常は残らないようなレアな遺物が残っていたりすることで知られています。




さて、そんな礼文島にはメノウ浜という地点がありまして、メノウが流れ着くのです。




綺麗ですから、観光客がこぞって拾って行ってしまうそうで、そのため、、、

地元の人との約束で論文以外の公言は避けなければならないのですが、、、




メノウの産出地がおおよそ分かっていて、メノウが拾える地点がメノウ浜以外にもあることがわかっています。

それでもそうしたメノウを拾える地点は極限られています。







私がメノウ浜に堆積する海岸砂を採取して確認したところ、おそらくはメノウ由来と思われるキラキラと綺麗な石英や長石を多量に含んでいることがわかりました。

まだメノウのサンプルを砕いて観察していないのですが、それは今年これからやります。

あと礼文島での土器資料に対する顕微鏡観察も今年実施予定です。




もし礼文島出土の土器にメノウ由来と思われる石英や長石を多量に含む土器や含まない土器があることがわかれば、土器の産地を推定することができます。

また礼文島の遺跡で見つかっている土器型式は北海道本島にも分布しています。




今後の分析次第では礼文島で作られたメノウ由来胎土の土器が、最寄りの稚内市や遥か遠く札幌市まで運ばれていたことが明らかとなる日が来るかも知れません。


まぁそんなこんなで私が国内でやっている研究について少しでもわかってもらえたら幸いです。




やっぱりメインはマヤ文明、ティカルだし、今は考古学理論の構築が楽しくてしょうがないっていう時期なんですが、、、

この産地同定研究も本来マヤ研究で使用するために考案したもので、それを日本で練習しつつ、有効性を確認しているものです。

なので無関係ではないのです。




そして現在構築中の考古学理論は日本の古代社会~現代社会へと応用する予定ですのでそういう意味でも大いに関係してきます。

最近始めたばかりではありますが、

「がんばれ人文科学」という御旗の下、私たちの身の回りの現代社会問題と乖離しない研究、「役に立つ考古学」ないし歴史学を志すものなので、

もしマヤ文明研究やそういったSDGs的な社会科学研究に興味関心のある方のご支援もお待ちしております( -д-)ノ





↑ぜひ応援してね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



おわりに 良かったらご支援お願い致します!

ここ数年はコロナ禍の関係で海外調査用の予算を国内調査に利用できていたのですが、現在はそういうわけにもいかない状況です。

これまでは車で周れましたし、研究協力者の同行もお願いできていましたが、今回はお金がないので自転車で四国を周ってサンプリング調査を行いたいと思います。




正直言うと私、ほとんどチャリに乗ったことがなく、チャリ筋がないのですよね。

だから国周ったら全身筋肉痛で死にますね( -д-)ノ




四国のそれぞれの県では講演会もやる予定なので参加無料ですし、良かったらご参加ください。

内容はたぶん産地同定の話が少々で、ティカル調査や新しい考古学理論の話がメインになるかと思います。




何はともあれ、

研究がんばろ!( ・Д・)



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2020ねん 7がつ 4にち(どよーび、曇り)

二週間ぶりの休日を堪能した結果、仕事も何もしなかった( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「マヤ文明、水に含まれる毒で滅んだ説が浮上!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ


珍しくガチで専門領域の話題ですね。

この発掘調査はすっごい昔に行われたものなのです。

なのでようやく理化学分析にかけたか……って感じです。


とりあえず紹介していきますね!(*・ω・)ノ


arukemaya914
↑私も何度もお世話になってるティカルレポートの地図(「Gigazine」の記事内画像より転載;明らかに論文等が引用元でしょう)



マヤ文明が崩壊した理由や、大都市ティカルが放棄された理由には諸説あります。

干ばつによる飢饉とか、戦争の激化とか、異民族の侵入とか、森林を切りすぎて農業できなくなったとか、、、

現在のマヤ考古学では『複合的な理由で滅んだ』ってことになってます。



まぁ私は『一種の逃げ』だと思ってますけどね。

他の研究者と喧嘩したくないし、どれか一つに絞るのも難しい。

だからみんな認めちゃえ!みたいな感じです( ・Д・)



私の印象ではナラティブな研究者は自分の世界に引きこもって戦わないですからね( -д-)ノ

まぁさすがにそろそろ各要因の有機的関係について整理・分析をした論文がアメリカから出てくるかなと予想しています。


さて、今回の舞台であるグアテマラの世界複合遺産、ティカルの中心部には全部で13基の貯水池があります。

今回の論文で扱ったのは、中でも本当に中心部にある大きな貯水池4基で、それらを選んで発掘、サンプリング、分析を行っています。



yarereta
↑以前コロナウィルとして使ったけど、毒だと思って!



分析結果として、有毒なシアノバクテリアのDNAや水銀が検出されました。

なので貯水池の水は飲用には適さなかったと結論付けています。




まぁこの結果自体は、「あーそーですか( ・Д・)」って感じです。

原文にしっかり当たってから批判したいのですが、昔の貯水池の調査報告読んだ記憶の下、今ぱっと思いつくのは……

それらの毒が堆積したのはいつ?( -д-)ノ

ってことですね。



ティカルの貯水池はいずれも現在干上がっていて機能していません。

また発掘調査では貯水池の底に3~5mの堆積物があって、先古典期から古典期後期まで(BCE1000-CE1000)の土器資料が層になって出てきているようです。


あれ、層位発掘できるじゃん!とか思うのですが、彼らはやってませんね。

土器編年に関する報告はありません( ・Д・)


話はそれましたが、層になってるなら毒が検出された時期がどこのタイミングなのかが分かるはずです。

一方で、中米の強いスコールによって神殿を覆っていた水銀朱から水銀が流れて貯水池に溜まったことになってますけども、それって古くから溜まり続けてないですか?って思います。

まぁ許容量を超えたのが古典期後期と言うつもりなのかも知れませんが……


シアノバクテリアが繁茂する、つまり藻類が繁茂する水を普段は飲まないけど、干ばつ時に喉が渇いて飲んで滅びたってこと?

海で遭難して、喉乾いて、ダメだと知ってて海水飲んで死んだみたいな?



とりあえず原文に当たりますけど、続報に期待ですね。

……ほんと、アメリカ人って一般受けする論文書くの得意だなって思います( ・Д・)





おわりに

さて、この手のニュースでありがちなのが、『マヤ文明滅亡の原因は……』ってやつですね。

当記事では『ティカルが放棄された理由』にしてあります。

まぁ主要都市とは言え、一都市におけるケーススタディが文明全体に適用できるわけないので、誇張が過ぎます。( ・Д・)



・・・・・・いやー、でもなんだか面白い気がしてきましたよ!

神殿造って、外壁を漆喰や朱で覆うのなんて昔からやってるわけで、貯水池には昔から流れ込んでて、それを飲んでた可能性もあるわけで……

なんでいきなり古典期後期末にダメになっちゃったの???Σ(・ω・ノ)ノ



少しだけの前進、ひとつ分かると、次の疑問がわいてくる・・・・・・


研究ってそんなもん!( ・Д・)

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2019ねん 5がつ 27にち(げつよーび、晴れ)

今晩は論文を書き始めるよ!

誓うよ!( ・Д・)

……ほんとだよ!ヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは「これまで最古のビールの再現って色々あったけど、今回は古代エジプトのイースト菌を実際に使ってみたのだよ!」というお話です!(*・ω・)ノ

どうやら「お酒の考古学」は人気なようなので、バックナンバーを表示しておきますね。


↓『お酒の考古学』のバックナンバーです(*・ω・)ノ
↑良かったらど~ぞヾ(´ω`=´ω`)ノ



さて、古代のビールを再現する研究はこれまでに世界各地で行われてきました。

考古学が明らかにする対象の一つとして「技術」がありますが、これまでの復元研究ではビールをどのような道具を用いてどのような工程で作っていたのかということが焦点でした。

そのため古代に使われていた道具や施設を再現して、古代と同じ材料を用意し、推定される製作工程に沿って作ってみるということを行ってきたわけです。

今回の研究の面白いところは、材料の部分に関して実際に古代に使われていたイースト菌を使ってみたという点にあります。

ではどうやって古代に用いられていたイースト菌を入手したのでしょうか?

近年の考古学研究では、多くの場合、土器を対象として内部に残る残滓(ざんし;うまいこと残った内容物)を対象とした理化学分析が行われています。

日本の事例では土器の内面に残る所謂「おこげ」の分析から、その土器を使って食べていた物が堅果類であったとか、魚介類であったといった研究がなされています。

マヤ文明の事例では同じく残滓の分析から、ココアを飲んでいたとか、コパルというお香を焚いていたとかいった研究がなされています。

また「内容物が~であった」という分析結果から、特定の土器の使い方、つまり「機能」について議論する研究もあります。




ということで今回の考古学・歴史ニュースでは、イスラエル考古学庁(IAA)と、バル・イラン大学(Bar-Ilan University)、エルサレム・ヘブライ大学(Hebrew University of Jerusalem)、テル・アビブ大学(Tel Aviv University)の研究者による共同研究チームが古代エジプトのビールを再現しました。

上に挙げた写真はイスラエル中部にあるペリシテ人の遺跡や古代エジプトと関係するネゲブ砂漠、テル・アビブ、エルサレムなどの複数の発掘現場から見つかった土器です。

これらの土器資料の内面に残る残滓を用いて、6年もの歳月をかけて古代のイースト菌の抽出に成功しました。

彼らは抽出したイースト菌のゲノムを解析し、液体培地で培養しました。

この培養したイースト菌を用いてビールや蜂蜜酒の醸造したのです(・∀・)つ




これまでの研究では古代の製法を使用しても原料は現代のものを使っていました。

上記のように抽出したイースト菌を培養して用いることで、今回の研究は古代のビールを造るために実際にその時代の原料を使用した点で初めての事例となります。

抽出した各種のイースト菌を分析したところ、現在のジンバブエの伝統的なビールやエチオピアの蜂蜜酒に使用されているものと類似の種も確認されたそうです。

抽出・培養されたイースト菌を用いて、研究では数種類のビールと蜂蜜酒が造られました。

用いられたのは約3000年前のイースト菌だそうですが、抽出できたイースト菌の中には約5000年前に遡るものもあるそうです。



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↑古代エジプトっぽいビールジョッキ?マグカップ?(「Amazon」商品紹介ページ内画像より転載;*現在品切れ中&当リンクは商品ページに飛びます、回し者じゃないよ!( ・Д・))



最後に、これはラムセス3世の墓の内部に描かれた壁画の一部です。

パン作りの様子が描かれています。

これまでの説では、パンを作って水に浸して、それを自然発酵させることでビールを作っていたと考えられています。

だから今回のビール作りもパン作りの酵母であるイースト菌を使っていたのですね!(*・ω・)ノ


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さて、どうやらこの研究チームは商品化も考えているそうです。

いいですね~!

「お金にならない考古学をお金にする!」が、「歩け、マヤ」の掲げるモットーですからね( ・Д・)


マヤ文明でもバルチェ酒を研究して販売したいわ!

日本でも似たような古代酒作って、「『考古学徒』はそれ以外飲んじゃダメ!」ってルールにすればどうでしょう!?

どうせ考古学者というかフィールドワーカーは大体みんな、お酒よく飲むでしょ?(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓た、頼むから、登録してくれぃ!!!( ・Д・)↓

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2019ねん 1がつ 31にち(もくよーび、晴れ)

最近よく眠れてる。

夢もさほど見ないというかすぐ忘れる!

でも昼間眠い!( ・Д・)


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今回紹介する考古学・歴史ニュースは「フィンランド、バルト海で最古のビールの痕跡が見つかったよ!」というものです!


北欧フィンランドオーランド諸島沖合いで発見された沈没船から世界最古とされる1800年代のシャンパンが見つかったそうです。

それが上に挙げた写真ですね。


1800年代ということで、これまで紹介してきた紀元前の話からすると、すごく最近の話じゃないかと思われるかも知れません。


何が凄いかというと、写真をよく見てください。


栓がされたままです。


つまり中身が保存されているのです。


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↑~イラク編~にミスがあったので一部修正を行い、また別のデータを追記として加えました!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



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↑これが沈没船、私にはヘリコプターの残骸のように見える( -д-)ノ(「oceana」の記事内画像より転載;credit: AFP BB News)



そして更に調査を進めると同じ沈没船の別の箱から世界最古と見られるビールが発見されたそうです。

何故ビールと分かったかというと、引き揚げ中に水圧の変化で割れてしまったボトルからシャンパンとは異なる褐色の液体が出てきたことでビールと判明しました。


割れちゃったのですね。悲しい、もったいない(´・ω・`)


でも全部じゃないようです。生き残りがこれ↓↓↓



液体の状態で飲用可能と思われるそうで、そのようなビールとしては世界最古なのです。


バルト海の冷たい水の中で200年間キンキンに冷やされ続けてきたビール・・・ほんとに飲める?Σ(・ω・ノ)ノ




先に述べた世界最古のシャンパンはオークションで売られたそうです。


シャンパンは実際に飲める状態だったそうですよ!



arukemaya_0019
↑引き上げられたビールのボトル①(「ねとらぼ」の記事内画像より転載)




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↑引き上げられたビールのボトル②、気圧差で栓が抜けないように止めていると思われる(「IRORIO」の記事内画像より転載;credit: Augusto Mendes, Ålands Landskapsregering)


ちなみに最古のビールの方は内部を確認したところ、なんとバクテリアが生きていたそうです!

フィンランドの研究施設VTTが成分を分析して突き止めた原料からオリジナルレシピを作成して、地ビール醸造所スタルハーゲンと協力して200年前のビールの復刻版として販売しているそうです!


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培養したバクテリアを用いて発酵させたのかな?

買えるようだから、探して飲んでみたいですね!

フィンランドのビールということですが、探して見つけたら追記しますね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓楽しめる古代(?)のビール!いいね!(・∀・)↓

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2019ねん 1がつ 30にち(すいよーび、晴れ)

頑張って夜食の誘惑に打ち勝った!

2日目の徹夜の結果、体重が落ちた!

昼は好きなもの食べる!夜は炭水化物抜く!

これが私のダイエット方法である。

・・・・・・ビールはおやつに入りません( ・Д・)



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arukemaya_0012


今回紹介する考古学・歴史ニュースは「中国で最古のビールの痕跡が見つかったよ!」というものです!


個人的には中国のビールってよく知らないので、

……青島(チンタオ)ビールくらいかな?


なので、現在の中国のビール生産の歴史を概観してから、今回の考古学ニュースに入っていきたいと思います(*・ω・)ノ




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arukemaya_0013



中国のお酒は多数種類があますが、大きく分けると 黄酒、白酒、果酒の3種があります。これが基本となる3種のお酒です。

これに加えて、強精補と酒薬味酒があります。



強精補酒(チャンチンプーチュウ)は、 白酒・黄酒・果酒に動物や昆虫、人参などを浸漬した混成酒です。

薬味酒(ヤオウェイチュウ)は、白酒・黄酒・果酒に香味付けした混成酒です。



基本となるお酒の一つ、黄酒(ホワンチュウ)は穀物を麹(こうじ)で糖化して醸造する酒のことです。

黄酒に分類される有名なお酒には紹興酒(しょうこうしゅ)や老酒(ラオチュウ)があります。

日本でも紹興酒はひとつのお酒として飲み放題プランに含まれていたりしますが、本場では製法により紹興酒は4種に分類できるそうです。



白酒(パイチュウ)は穀物を原料とする蒸留酒です。

日本では聞いたことないですけど(私だけ?)茅台(マオタイ)や汾酒(フェンチュウ)がこの白酒の代表的お酒だそうで、宴席で行う乾杯に用いられるそうです。


最後の果酒( クアチュウ)はブドウ以外の果実から造る甘口のお酒です。

白葡萄酒に金木犀の花を浸して作った香りのよいお酒「桂花陳酒」は楊貴妃が自分のために作らせたという伝説があるそうです。




さて何故ここで中国のお酒の紹介をしたかというと、中国産の伝統的なお酒にビールが含まれていないということを言いたかったのです( -д-)ノ


ということでここからようやくビールの話になりますが、中国で最初のビール会社の製品は『ハルビンビール』です(一つ前の写真を参照)。


黒竜江省のハルビン市に造られた工場とその製品なのでハルビンビールです。

サッポロビールみたいなものでしょうか、由来は地名ということです(*・ω・)ノ



このハルビンビールの会社は1900年にロシア人が設立した中国最古のビール会社です。


1937年には大日本麦酒(現在のサッポロビール、アサヒビール、エビズビールの前身)も関係してビールの生産が行われていました。



一方で上に挙げた写真の青島(チンタオ)ビールは日本でも有名ですね。

現在中国で消費率1位なのだそうです。


山東省の青島市に造られたためにこれも地名から青島ビールと名付けられており、この会社は1903年にドイツ人の投資家によって設立されました。

名前は「ゲルマンビール会社 青島株式会社」!

思いっきりドイツビールなんですね。


第一次世界大戦後には大日本麦酒が青島ビールの経営を行い、第二次世界大戦の日本の敗北によって中国経営になります。



まぁつまるところ、近現代史においては中国におけるビール生産はロシア・ドイツ・日本の影響下で始まり、成長したという歴史を有しています。


arukemaya_0017



arukemaya_0014


さて、そのようなお酒とビールの歴史を有する中国ですが、中国で最古のビールが醸造された証拠が発見されたそうです。


場所は陝西省西安市の米家崖(ミーチアヤー)遺跡にて5000年前にビールの醸造が行われていた痕跡として発表されています。

これは中国における最古の酒造りの証拠であり、古代中国人が5000年前よりビールを飲み始めた可能性があることを意味するそうです。




米家崖遺跡にある2つの貯蔵穴と思われる遺構から、酒造りに使われた器物(上に挙げた茶飲みみたいな土器;サイズ不明)が出土しました。


土器の帰属年代は紀元前3400-2900年で、内部の残留物の科学分析によりビール醸造に関する証拠としてキビやオオムギ、ハトムギ、塊茎(かいけい)植物を発酵させた成分が検出されたそうです。


今回検出されたオオムギは中国における最古のオオムギの痕跡であり、西洋由来のオオムギと中国由来のキビ、ハトムギ、塊茎作物を使ったビール製法は、中国と西洋の伝統的な要素が融合していると評価しています。


この研究成果により、これまでオオムギが中国に渡ったと思われる時期を1000年早める可能性があり、またオオムギは当初ビールの原料として利用された後に一般的な農作物になったと推測されるとのことです。


またこの米家崖遺跡からは上に挙げたようなビールの醸造に使われたと思われる『ろ過や保存用の道具』が見つかっていることからも、この時期・この地域においてビール作り(あるいはアルコール作り)が行われていた蓋然性が高いと評価しています。



arukemaya_0015


やはりこれまでに紹介した他の事例と同様に、最古のビールの再現が行わたようです。


分析結果からは、太古の中国人は主にキビ・アワや大麦などの穀物や、アジア原産のイネ科植物であるジュズダマ、ヤマモモやユリ根が含まれていることが判明しましたが、正確なレシピは不明です。



再現実験では、麦・アワ・大麦種子を材料として用いられました。

穀物類を水洗いすることで発芽させるという「麦芽製造」を行い、発芽した穀物と砕いた大麦種子を水に浸し、それをオーブンに入れて、65度で1時間加熱し「糖化」を促します。その後容器をラップで密封し、室温で1週間発酵させたそうです。


 
最古のビールの味は発酵した穀物の酸味と塊茎作物の甘みがあったと推測されていました。

実際に「再現された5000年前の中国最古のビール」も酸っぱい匂いが強いものの、味わいは現代の苦みの効いたビールよりも甘くてフルーティーだったそうです




・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さて、世の中には世界のビールを揃えたダイニングバーとありますよね。

世界中の各種の最古のビール(再現)とワイルドな食べ物(マンガ肉?)を揃えたダイニングバーなんてどうですか?

開いたら、来てくれますか!!?( ・Д・)


……あ、個人で作ったお酒を販売したら違法かヽ(TдT)ノ

どこかのビール会社とコラボせねば!(/TДT)/

↓ビールは美味しいよね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2019ねん 1がつ 29にち(かよーび、晴れ)

ダイエットと激務の両立は難しい!

見事にリバウンドした!( ・Д・)


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今回紹介する考古学・歴史ニュースは「エジプトで最古のビールの痕跡が見つかったよ!」というものです!


というか、色々見つかり過ぎてます!

さすがエジプト!(羨ましい( -д-)ノ)



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↓『お酒の考古学』のバックナンバーです(*・ω・)ノ
↑~イラク編~にミスがあったので一部修正を行い、また別のデータを追記として加えました!ヾ(´ω`=´ω`)ノ
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今回の発見はエジプト南部に位置するテル・エル・ファルカ(Tell el Farkha)が舞台となります。


この地域はエジプト南部で唯一のビール生産施設が発見された場所です。



見つかったのは、ビール醸造施設の基礎部分、ナイフ・土器・まな板といった各種の道具類、ヒトのミイラ、スルーギの骨、ビール作りの様子を表現した土製ミニチュアなどです。


一部の出土品や遺構の様子をさくっと紹介しますね!(*・ω・)ノ


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上に挙げた土製のミニチュアが凄い遺物ですね。

共伴して出土した赤い色の土器とは少々形態が異なりますが、左側で2人の人物が土器の中に手を入れて何やら混ぜ混ぜしてますね。

右側では栓のされたボトルが並んでいますが、ビールの瓶詰の作業を行っているのでしょうか(*^・ェ・)ノ



他の事例でも、こういった日常的な作業などの様子を表現したミニチュアはいくつか出土しているようです。

古代エジプトって本当に色々残ってて凄いな~って思います( -д-)ノ



さて、もうひとつ今回検出された特別な発見はスルーギの骨です!


スルーギとは何かと言うと、「イヌ」だそうです。

モロッコ原産のサイトハウンド犬種であり、アラビアン・グレイハウンドとも呼ばれるそうです。


約2000~3000年前から存在していた犬種で、狩猟に使われていたのだとか。


原産地の特定は出来ているものの、その後の現在までの過程についてはよく分かっていないそうです。








さて、古代エジプト人はオシリス神が彼らにビールを作る知識を与えたと信じていたので、ビールは宗教に関連する飲料でした。

そのため古代エジプト人は神へビールを捧げる祭りを催しており、それは「酔いの祭り」と呼ばれていたそうです。



しかしビールは宗教儀礼にのみ関わる特別な飲み物ではなく、2歳程度の子供でさえも飲んでいるくらいビールは古代エジプト人にとって毎日の食事の一部でした。


恐らく一日を通して食事として飲まれたであろう古代エジプトビールは、現在の嗜好品としてのビールよりも低いアルコール含有量であったと推測されます。

古代エジプトビールは高い栄養価を持ち、非常に甘いものだったようです。







イラク編でも書きましたが、古代エジプトでもビールは労働の対価として用いられました。

碑文資料において古代エジプトにおける肉体労働者が毎日の給料の一部としてビールを飲んでいたという証拠があるそうです。


またビールは薬としても使われ、胃の病気、咳、便秘を治療する効果があると考えられていました。

時期は新しくなりますがドイツなどのヨーロッパでは退院時の強壮剤としてビールやアルコール飲料が用いられた事例があります。


病は気からとも言いますし、飲んで元気になれるのかも知れません……病み上がりに無理するなという意見もありそうですが( ・Д・)

古代エジプトの碑文からは原料としてビールを使う100以上の薬用レシピが発見されているそうです。



古代エジプトビールの製造プロセスの一部は何世紀にもわたって比較的同じままでいたようですが、レシピはいくらか変化していることが確認されています。


古代エジプトではホップを発見していなかったそうで、調理したパンを水に浸してから加熱して瓶に入れて発酵させることによってビールを製造していたと考えられています。




このような穀物を水中で発酵させるプロセスは非常に簡単なので、穀物を栽培し始めた世界中の異なる文化によって別々にその技術が発見された可能性があります。

そのためビールは多くの文化によって長い歴史を通して楽しまれてきたのです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



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古代エジプトのビールは度数が弱いと書きましたが、実際には様々な種類のビールがありました。

もちろんアルコール度数のより強いビールもありましたが、特別な機会に飲まれたようで、日常的なものではなかったようです。



他の古代エジプトビールのレシピには、加熱瓶で発酵させるために残った発酵小麦と大麦が含まれているものがありました。

古代エジプト人は、ビールに香りに甘さと深みを加えるためにハーブを加えたり、醸造期間を延ばしたりと工夫していたようです。



しかしながらビールが多種あれど、階層ごとに飲めるものが決まっていたようですヽ(TдT)ノ

当然ファラオなど王族には最高のビールが提供されていましたが、一般の人は自宅で作っていたようです。



古代エジプト社会がより大きくそしてより複雑になるにつれて、ビールの醸造は女性によって家庭で行われる日常的な活動から、男性によって行われるより大規模な専業的生産へと変化しました。


最初に書いたようにビールは古代エジプトにとって宗教に関わる儀礼品の性格をも有していましたから、裕福な人々のための埋葬品の一部として扱われていました。


例えば、あの有名なツタンカーメンの墓では『ミードに似た蜂蜜ビール』を含んだ水差しが副葬されていました。


・・・・・・蜂蜜ビール、、、さすがファラオ、美味しそうだね!!!( ・Д・)



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ちなみに先に述べたビールを神に捧げる「酔いの祭り」の際に提供されるビールの品質は日常的なビールよりも高かったそうです。


またその神聖な祭りが成功したかどうかは、「酔いの祭り」が終わった時にどれだけのビールが消費されたか、そして出席者がどれほど酔っていたかによって判断できたと言われています。



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私も個人的に古代のビールを再現して「酔いの祭り」したいな!


てか、日本のお祭りのビールは品質変わらんし、量少ないし、そこまで冷たくないし、何より高い!

古代エジプトを見習って欲しいものだよ!( ・Д・)

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2019ねん 1がつ 28にち(げつよーび、雪)

散歩するだけでもいい運動になるかも知れない。

というより、普段があまりに運動不足なのだ( ・Д・)

気分転換にもなるし、てくてく歩くことにする!(*・ω・)ノ


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今回紹介する考古学・歴史ニュースは「イラクで最古のビールの痕跡が見つかったよ!」というものです!


遥か以前、お酒について記事にしました。


↓メソアメリカ地域における古代~現代のお酒のお話


昔過ぎるので、読み返してみると、現在と記事の書き方が違うんですよね……

可能な範囲で加筆・修正しておきました( -д-)ノ


(今のスタイルは最近変えたばかりのものなので、直さなきゃならない記事が100記事くらいあるだろうな~ヽ(TдT)ノ)



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さて、『最古』って言葉が一般的にはとても重要で、これがあるかないかでニュースになるかどうかを左右すると思います。


だから『最古』にこだわる人(研究者すら)も出てくるわけですが、『ビール』も世界的にファンが多いようで、調べると『最古のビール』ってたくさん出てくるんですよ


(おかしい話ですが(TДT)……様々な基準で最古なのだと思います)


というわけで、「最古のビールシリーズ」として色々紹介していきたいなと思っております!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


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今回紹介するのは「イラク編」ということで、2500年前の古代メソポタミアやバビロニア帝国の時代に遡るイラクの遺跡でビールの痕跡が検出されました。

 
出土したのは土器3点で、上に挙げた状況で確認されました。


共伴する遺物として「発酵飲料」を示すと考えられる回転式スタンプが出土したため(共伴していませんでした。これは最古のビールに関する描写で紀元前4000年のものです( -д-)ノ)



「ガスクロマトグラフィ」という科学的手法を用いて出土土器の分析を行いました。


結果として、出土した土器の中から古代のビールに含まれていたと考えられる大麦の残留物と発酵の痕跡を検出することができたということです。



これまで同地域では4000年前のメソポタミアの醸造所の址といった、ビールの存在を示唆する間接的な証拠としての遺構・遺物が見つかっていました。



しかし今回の「発酵した大麦の化合物」は決定的な痕跡の発見であり、ビールの存在を示す「最古の直接証拠」として重要視されています。



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↑回転式のスタンプ。粘土板に押し付けると文様が分かる。壺からストローで何か飲んでる!(「COSMOS」の記事内画像より転載;英文; credit: Courtesy of the Oriental Institute of the University of Chicago)



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↑分析対象となった土器、それぞれ先の写真のどこにあるか分かりますか?(・∀・)つ(「Dayly Sabah History」の記事内画像より転載;英文)




中世ドイツではビールは「液体状のパン」とか「飲むパン」と呼ばれ、栄養価の高い特別な飲料物として重宝されていました。



古代より主食のパンは肉体を、赤ワインは血液を象徴する事例は多く見受けられます。マヤでも主食のトウモロコシから人間が作られていますからね。

  

つまり普遍的に主食となる作物は肉体を構成ないし維持する上で重要なものとして捉えられたのですね、例え液体になってもね!( -д-)ノ




・・・・・・まぁ昔からこの手の発見には『付き物』だと思いますが、研究者らは今回検出された残留物の分析結果に一致するビールの醸造を行おうとしています




厳密に古代のビールの味が本来どうであったかは不明なのでいくらでも調整利くし、味がどうあれみんな興味本位で買いますよね。

味がそれなりに良ければ地元の人たちには受け入れられそうだし、観光客にもウケるでしょう!



なんでもお金の話にするのは良くないけどね、いいな~、イラク!( -д-)ノ(←心の声がダダ洩れる)

マヤ文明にも古代のビールあれば、作って売れるのに!!!( ・Д・)





【追記;2019.1.29】
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上に述べたピンク文字部が修正箇所です。メソポタミアにおけるビールに関する最古の描写が6000年前(紀元前4000年)の回転式スタンプなのです( -д-)ノ

共伴してなかったですし、ごめんなさい(m´・ω・`)m ゴメン…

うかつに一般の記事の記述を信じてしまいましたが、帰属時期が全然違うということに気付きました( -д-)ノ



さて、上に挙げたのが楔形文字で古代のビールの配分(レシピ)を記録した粘土板です。

紀元前3100-3000年頃のものと推定されています。


シュメール人社会ではビールは中心的な役割を果たしており、ビールという言葉は宗教、医学、神話に関連した多くの文脈で見られることが分かっています。

というのもメソポタミアでは多数の粘土板が見つかっています。調査初期に粘土板の図書館が発見されてます。



その記述によればメソポタミアの労働者に対する賃金がビールで支払われることもあったとのことです。

ちなみに労働の対価をお酒で支払うという行為は古代エジプトや古代ギリシアでも行われていました。




さて、この粘土板は『醸造、繁殖および収穫の女神であるニンカシ(Ninkasi)』に捧げられた詩の一部であり、そこに古代ビールのレシピが書かれていたのです。


さて、先に紹介した古代ビールの他の事例として、このレシピを用いた完全な古代シュメールビール』の再現が行われたそうです。



この古代シュメールビールの再現は販売目的ではないため、非常に強いこだわりをもって作られました。

材料としてレシピにあるコリアンダー、カルダモン、イチジク、デーツ、ザクロなどの古代シュメール人が使用していた食材を使用するだけでなく、イラクで発掘された遺物を模した木のスプーンと粘土の容器のみを使用して同じプロセスに従うことを目指しました。



そのために現代ではあり得ませんが、醸造所の屋根の上で大麦を麦芽化することを試験的に行って成功し、また活性酵母としてレンガのような「ビールパン」を使用しました。


完成した古代シュメールビールは生きたバクテリアでいっぱいの暖かくてやや酸っぱいビールだったそうです( -д-)ノ




・・・・・・というか材料にイチジクとザクロ入ってるからフルーティなビールになりそうですよね!

そしてビールにコリアンダー(パクチー)使うのか!!!

シュメール人とは仲良くなれんかもね( ・Д・)

↓ビールは美味しいよね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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