2018ねん 5がつ 30にち(すいよーび、晴れ)

「忙しい」という言葉は使わないように心掛けている

「充実している」と言うようにしている。

「時間がない」というフレーズも使わないようにしている。

「時間は作るもの」であると思っているからだ。

……しかしながら物理的な限界は超えれないのであった( ・Д・)

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さて今回紹介するのは島根県根県出雲市の京田(きょうでん)遺跡で出土した土器破片についてです。写真を見て分かるように小さな破片なのですが、これが実は大きな発見なのです。

京田遺跡は出雲市の上西湖の南側に位置し、これまでに行われた発掘調査によって縄文時代後期中葉(約3500年前)の集落跡が確認されています。

この遺跡の周辺では他にもいくつかの縄文時代の遺跡が知られていますが、縄文時代の出雲平野における集落・人々の様相については明らかになっていませんでした。

最新の調査によって竪穴建造物址や多量の土器や石器が検出・出土されており、お守りのような土器や水銀朱をすり潰した「磨石(すりいし)」など特殊な出土品も多数見つかりました。どうやら同遺跡はたくさんの人々が居住した大きな集落であったようです。また出土した土器を分析したところ、関東地方(異形土器)や九州地方(西平式土器)といった他の地域から持ち込まれた外来系土器が出土していることが分かりました。

つまり縄文後期に出雲平野で暮らした人々は非常に遠く離れた地域と盛んに交流していた文化的に豊かな地域であったことが分かったのです(。・ω・)ノ゙

これらの外来系の土器の中でも最もユニークなのが写真に挙げた「異形台付土器」です。土器表面に施された曲線的な隆線文の装飾部分の一部が赤くなっているのは、水銀朱で塗られているためです。現在、出雲市の「出雲弥生の森博物館」で公開されています。

写真の土器破片の右側を見てみると、環状の窓のような部分があります。このような変わった形の土器は主に東日本で出土するタイプの特殊な土器とみられ、山陰地方で見つかったのはこれが初めての事例になります。西日本でも出土例はほとんど確認されていない本当に特殊な事例なのです!

さらに調査成果として、人為的に掘った穴に土器を壊して埋め、その上に石を置く「配石土坑」でこの特殊な土器が見つかったことから、祭祀の場で使われた「異形土器」の一種ではないかと推定しているそうです。このような「異形土器」は東日本の事例では中心的な役割を持つ集落から出土することがあるとのことです。


つまり京田遺跡は遠隔地と盛んに交流する、出雲平野における中心的な一大集落だったのかも知れませんね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

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