2021ねん 1がつ 15にち(きんよーび、晴れ)
早いもので1月ももう半ばだね!( -д-)ノ
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今回の考古学・歴史ニュースは「飛鳥時代の墓から土馬が見つかったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
さて、今回の舞台は兵庫県、姫路市の登リ田遺跡です。
この遺跡は古代から中世まで幅広い時期の遺構・遺物が見つかっています。
飛鳥時代には登リ田遺跡の位置には集落があったと考えられており、今回、同時期に帰属する土壙墓が検出されました。
この所謂「墓穴」の中から、2点の『土馬(どば)』が出土した!というのが今回のニュースになります。
土馬とは何か?古代の儀礼
最初に挙げた写真が土馬なのですが、土馬とは「土製の馬」です。
馬を模した土偶ですね。
土偶って字義的には「土製の偶像」ということなのですが、考古学用語としては通常、遮光器土偶とかハート形土偶に代表されるような「人型」のものを指します。
なので、正しくは「土馬とは馬を模した動物型土製品」となります。
まぁ要は、粘土で馬を作ったよってことです( -д-)ノ
さて、現代社会において子供たちが図工などで粘土を使ってロボットや怪獣を作ったりしますが、土馬は古代の人が遊びで作ったものではなく、儀礼的な意味があるものとして考えられています。
下に再掲しましたが、人型の土偶はバラバラな状態で出土することが多いのです。
↓これがそれ!(*^・ェ・)ノ
土馬も実はバラバラの状態で出土することが多いことが分かっています。
つまり土馬は破壊を伴う儀礼行為に関わっていたことが推測されます。
そんな土馬の利用方法には2説あります。
ひとつは、厄災をもたらす疫病神が移動のために乗るのが馬と考えられていたため、水に流すことで穢れを払う意味があったとする説です。
確かに土馬は道路脇の側溝や運河といった「水」に関わる出土状況が多いため、有力な仮説です。
疫病神の移動手段なわけですから、土馬の脚を折ることで疫病が広がらないように祈ったのでしょう。
もう一つは雨乞いの儀式に使われたという説です。
……雨も水関連と言われたらそれまでなのですがね!( ・Д・)
日本書紀によれば、古代において雨乞いの儀礼には馬や牛が捧げられていたことが分かっています。
一方で続日本紀では、「雨乞い儀礼の際に牛や馬を屠殺することを国が禁じたにも関わらず人々は止めなかったため、新たな罰則を加えることにした」と書かれています。
平安時代などではこうして雨乞い儀礼の際に、牛や馬を捧げる代わりに土馬を捧げたと考えられています。
そのため飛鳥時代などの古代においても類似の用途に用いられたのでは?と推測しているのです(*・ω・)ノ
さて、上に挙げた写真が登リ田遺跡のお墓から出土した土馬です。
土壙墓は飛鳥時代に帰属するもので、サイズは長軸2.9m、短軸0.7m、深さ0.25mでした。
内部から出土した土馬のサイズはそれぞれ、全長29cm(上)と24.4cm(下)で手綱や鞍などの馬具が表現された「飾り馬」です。
先ほども述べたように、土馬は側溝や運河といった水に関連して出土することが多いため、今回のように墓の中から共伴して見つかるケースはレアなのです。
墓から出たとは言え、やはり欠損していますから、単純な副葬品ではないようですね。
もしかしたら被葬者は病気で亡くなったため、その病気がまだ生きている「送る側の人々」にうつらないことを願って共に入れたのかも知れません(*・ω・)ノ
おわりに
世界的に、遥か昔から、我々人類は何か願う時に「生贄」を捧げてきました。
かつてはヒトを捧げ、やがて動物で代用するようになり、そして動物を象ったモノで代用するようになる。
このような生贄の変遷は人類史上の至る所で見られます。
本記事で書いたように、雨乞い儀礼で牛や馬を生贄にする風習が日本にありました。
日本では重要な祈祷に際し、馬を神社に奉納することが長く続けられており、今日では「絵馬」としてその名残が見受けられます。
「疫病退散」を願って、妖怪「アマビエ」が一気に人気となったように、私たちが容易く打ち勝つことはできない病気や自然災害等に対して、どうにか平穏を願う気持ちが現代人にも残っていると感じますね(。・ω・)ノ゙
さて私もコロナ禍の収束を願いつつ、、、
よし、馬の脚でも折るか!( ・Д・)
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