
2.イングランド少女による湖での剣の発見
有名なアーサー王伝説ですが、私たちがよく知っている最後のシーンでは騎士ベディヴィアがエクスカリバーを湖に投げ入れます。
これは『アーサー王の死』という書籍に書かれた内容が発端になっており、15世紀後半のものです。
13世紀初頭に書かれた『ランスロ=聖杯サイクル』では騎士グリフレットが湖に剣を投げ込みます。
「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙
古代マヤ文明の遺跡の調査を進める日本や米国、メキシコなどの研究チームが、メキシコ南部のアグアダ・フェニックス遺跡で、同文明で最大とみられる建造物を確認した。南北約1400メートル、東西約400メートルにわたっており、祭祀(さいし)用とみられる。社会的な階層がはっきりしていない紀元前1千~800年に築かれたとみられ、研究チームは「社会的な不平等が小さくても大規模な共同作業ができることが示され、従来の文明観を覆す発見だ」としている。4日、英科学誌ネイチャーに発表した。 米アリゾナ大の猪俣健教授や茨城大の青山和夫教授、岡山理科大の那須浩郎准教授らの研究チームは2017年から、グアテマラ国境近くのタバスコ州で航空レーザー測量や地上探査を実施。18年、森林や牧草地が広がる一帯の地下にアグアダ・フェニックス遺跡を発見した。調査を進めたところ、遺跡には南北約1400メートル、東西約400メートルにわたる大きな建造物があることが分かった。研究チームは建造物の体積を320万~430万立方メートルと推定する。マヤ文明で最大とされてきたエル・ミラドール遺跡の建造物より、40万立方メートル以上大きいという。建造物の上部には平面状の「基壇」が広がっている。発掘調査で未使用のヒスイの石斧(せきふ)が見つかったことなどから、建造物は共同祭祀に使われていたとみている。茨城大の青山教授は「人々が定住を始めて間もない時期に造られたものだ。神聖な山を築くことで、共同体のアイデンティティーを確立しようとしたのでは」とする。他の遺跡で見られる権力者を示す石彫などは見つかっておらず、アリゾナ大の猪俣教授は「人々が自発的な意思で集まって、建てたのかもしれない」と話している。紀元前1千年ごろから16世紀まで、ユカタン半島を中心にメキシコ、グアテマラ、ホンジュラスなどで栄えた文明。各地の遺跡からは、宗教的な儀式が行われたとみられるピラミッドや、複雑なマヤ文字が刻まれた碑文などが見つかっている。(朝日新聞より)
この岩絵の最大の特徴は、体の一部が人間、一部が動物の生き物たち(半人半獣?)が、槍と縄のようなものでイノシシ等の動物を狩猟しているシーンを描いていることです。
壁画は全長5メートルもあり、全体的に狩猟のシーンが描かれています。
そもそも狩りのシーンが描かれるということ自体が非常に珍しいことなのですが、この場合は半人半獣も描かれており、当時の人々の複雑な精神世界の一端が伺える意味で重要です(*・ω・)ノ
さらに驚くべきは今回の発見があったインドネシアのスラウェシ島にはこうした壁画が少なくとも242点も発見されているそうです。
年代はバラバラですが現在も毎年、新たなものが発見されているそうです。
例の7万年前の最古の絵は幾何学文様ですから、この4万4000年前のスラウェシ島の岩絵は動物が描かれたものとして最古のものである可能性があります。
同じくインドネシアのカリマンタン島では少なくとも4万年前に描かれたとみられる動物の絵が発見されているそうです。
最近、インドネシアでは古い人骨がどんどん見つかっていて、現生人類の拡散が従来の説よりかなり早かったことを示唆しています。
こうした発見は私たち現生人類の精神文化の発達も従来の説を大きく覆すほど古くから起きていたことを示唆しています。
何せ、ラスコーやアルタミラのざっと2倍の古さですからね!Σ(・ω・ノ)ノ
堆積物の厚さや河口からの距離などから、津波を起こしたのは、東海地方や紀伊半島東部の沖合で発生したマグニチュード8以上の南海トラフ地震と判断しました。
また堆積物に含まれた植物片由来の試料に対する放射性炭素年代測定結果から、最も古い堆積物の帰属年代は飛鳥時代の7世紀末と判明しています。
古代マヤ文明の地であるユカタン半島では、特に北部地域において石灰岩層が陥没して生じるセノーテ(上の写真)が集中して見られます。
この北部地域において主要なマヤ都市のひとつであるチチェン・イッツァは観光地としても非常に有名です。
特に春分・秋分の日に、エル・カスティーヨの階段側面に見られる「ククルカン(羽毛の生えた蛇)の降臨」のイベントで知られています。
↑階段の側面部に蛇のうねうねした影が映る仕組みになっている(「Queen Angel」さんの記事内画像より転載)
今回の発見の舞台はこのチチェン・イツァ遺跡の地下にある洞窟です。
チチェン・イツァ遺跡の地下には複数の洞窟が確認されており、その多くは連結していることが分かっています。
この洞窟群のひとつである「バラムク洞窟」にて150点以上の儀式用の遺物集中が発見されました。
バラムク洞窟は1966年に発見されて、内部に遺物があることも記録されていましたが、調査されないまま50年以上が経過していました。
鍾乳石が発達するような洞窟内のためか、落盤もなく、非常に良好な保存状態で多くの土器を中心とする遺物がそのまま眠っていました。
↑まるで時間が経過していないかのような大量の遺物集中が見られる(「NACIONALGEOGRAPHIC」における関連記事のギャラリー画像より一部加工;credit: KARLA ORTEGA)
私はナショナルジオグラフィックが好きですが、色々見ててやはりここの助成を受けた調査は華やかな発見が多いな~って思います。
これだけの良好な保存状態の遺物集中をもし見つけたら、私ならその場でお祭り騒ぎになりますね!
……ま、冷静になれば、図面取るのが面倒くさいなと思い始めるでしょうが( -д-)ノ
この石彫の図像はラ・コロナを支配していたチャック・トック・イチャーク(Chak Took Ich'aak)王が杖を持って座り、その杖からラ・コロナの守護神2体が出てきている様子を表現しているとのこと。
また碑文には「544年5月12日」に相当するマヤ象形文字が刻まれており、チャック・トック・イチャーク王がその約20年後に近郊の都市エル・ペルー・ワカ(El Peru-Waka)も支配したことが読み取れるそうです。
さらに碑文は古典期マヤ低地の覇権をかけた争いについて言及しており、蛇の王国として知られるカーヌル王国(カン王国;カラクムル遺跡)がラ・コロナ遺跡で大々的な政治活動を行いったこと、
562年に最大の敵対国であったティカルを倒し、その後マヤ低地を2世紀にわたり支配下に置いたことを示しているとのことです。
↑ラ・コロナ遺跡の一部、石板の列が見える(↓下のYouTube動画①より加工)
↑ラ・コロナ遺跡の調査に関する動画①
↑ラ・コロナ遺跡の調査に関する動画②
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おまけとして、「ラ・コロナ遺跡ってどのような遺跡だろう?」って分かりそうな画像・動画を載せておきますね。
どうやらまだあまり調査が進んでいないようで、全体像が知れるような写真は見当たりませんでした。
それでもラ・コロナ遺跡が精巧な石彫を多く有する稀有な遺跡であることが分かると思います。
↑石板の長~い列(「Quantum Day」の記事内画像より転載)
↑さきほどの石板の列を拡大したもの、図像とマヤ文字がうっすらと見える(↑上のYouTube動画①より加工)
↑上の写真の左二つの石板を拡大し、分かり易く水をかけた状態(「Tulane News」の記事内画像より転載)
浅浮彫なのに、ほんとに保存状態が良いですよね。中小遺跡からもこういった新たな石碑が見つかることで、古代マヤ文明の様相は碑文学の立場からより詳細に具体的に明らかにされていきそうですね!(。・ω・)ノ゙
↓久々のマヤ文明関係のニュースだったね!(*・ω・)ノ↓
このため、INAHがレーダー探知機を用いてピラミッドの構造を調査したところ、外側に見えていた神殿基壇の内部に、トラロックの神殿の遺構が見つかったのです。マヤ文明の神殿もそうですがメソアメリカ地域の神殿は入れ子状の神殿構造になっているのです(マトリョーシカ人形みたいな感じです)。
今回神殿基壇内部で見つかった古い神殿は西暦1150年頃に建造されたものと推定されています。奥行き約6メートル、幅約4メートルのサイズということです。
どこをどの程度掘り進めたかはよく分かりませんが、トラウイカ文化期に相当する土器片や香炉も発見されたそうです。見つかった神殿がトラウイカが造ったと考えているようですから、神殿自体ないしその基壇を多少なりとも掘った結果だと思います。
地震の影響で歪んでいるようですから、ちょっと危ないですね。十分に補強しつつ掘り進めて、データ取って、次の地震に備える意味でもしっかりと遺跡・遺構の保全がなされることを期待します……メキシコという国は観光に力入れているので、遺跡保全にちゃんと資金出るんですよね。うらやましい!( ・Д・)
ちなみにウェールズは、ジブリの『天空の城ラピュタ』のモデルとなった地だそうです(私はラピュタが大好きです(。・ω・)ノ゙)。ウェールズの民は独自の民族文化を築いたようで、イングランドからの度重なる侵略に抵抗する公国がかつて存在したそうです。
そのため鉄器時代の集落跡やローマ時代の城塞や城壁など、多くの歴史的建造物の埋蔵地なのです。しかし通常は植物が生い茂っているため、遺構がどこにあるかはよく分からないとのこと。
ところが熱波によって干ばつが進み、多くの草木が枯死したために地表面が露わになり、結果として遺跡が上空からはっきりわかるようになったのだそうです。
さて、英国の農場では遺跡発見ラッシュが続いているようです。ロンドンの農場で納屋の配線工事中に偶然、1500年以上前にさかのぼる古代ローマ時代の邸宅の遺跡が出土しました。
邸宅は保存状態が極めて良好で、特徴的なモザイク模様が残っていました。この発見は地表面から僅か45センチほど掘ったところで起きたとのことで、よく近現代の攪乱を生き延びたと言えるでしょう。
この農場は古代ローマ時代の温泉地だった都市バースから約32キロ南東のブリクストン・デベリルにあり、古代ローマの邸宅としては同国最大級の遺跡であることが分かりました。
邸宅は紀元175~220年の間に建設され、4世紀半ばまでに改築されたものと推定されています。3階建てで縦横50メートル以上の大きさがあり、当時強い勢力を持っていた裕福な一家の所有だったようです。
↑実際の調査の様子(「CNNnews」の動画より画像を一部加工)
↑1500年前の巨大邸宅の復元予想図(「CNNnews」の動画より画像を一部加工)
付近からは浴室棟や井戸、陶器、硬貨などが見つかったほか、住人が食べていたと思われるカキの殻も出土した。この農家の台所付近にあってゼラニウムの栽培に使われていた石造りのプランターは、ローマ時代の子どもの棺だったことも分かったそうです(棺で何してんねん( ・Д・))。
古代ローマにおける最大規模の邸宅であるため、歴史的価値は非常に高く、今後の調査の進展が期待されます。完全に復元されて観光地になっちゃうかも知れませんね。
↑カキの殻!いいもの食べてるね~!(「CNNnews」の動画より画像を一部加工)