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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:縄文時代

2024ねん 9がつ 13にち(きんよーび、晴れ)

今日13日の金曜日だね~( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは石棒1000本以上は出過ぎ感あるよね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


今回の舞台は岐阜県、飛騨市の塩屋金清神社遺跡です。

石棒と言えば、前にも記事を書いたことがあるんですよね、、、



↓ふざけてる感あるなぁ( ・Д・)



↑でもそういう記事の方が人気なんだよなぁ( ・Д・)


さて、今回の元記事見てると、新たに一気に1000本もの石棒が見つかったのかなと思ったら違いました( -д-)ノ

塩屋金清神社遺跡でこれまでに1056本見つかってるよって記事です。



まぁ石棒は縄文時代の遺跡から稀に出土して、出ても数本(数個体)です。

大小のバリエーションも幅広いのでめちゃ小さいのものも含まれます。

そう考えると1000本Overは異常なんですよね。



以前の記事でも飛騨市の飛騨みやがわ考古民俗館が石棒のデジタルデータを公開することに関して書きましたし、、、

彼らは1日1石棒ってことでインスタ投稿もしてるようですが、、、




『なんとかして多量にある石棒を使って売り出したい!( ・Д・)』




っていう強い想いを感じるのですが、、、

何だか空回ってる気がしますヽ(TдT)ノ



もっと新しい時代であれば、これだけ出た場合には遺物の生産地として推定されるのでしょうが、縄文時代だと、、、

”異常に石棒大好きだった人々”って解釈になりますよね( ・Д・)


どうしたらいいんでしょうね???( -д-)ノ





おわりに

世の中って何事においても不平等ですが、考古学においてもそうですよ。

いつも私は「黄金いいなぁ」とか言ってるじゃないですか!( ・Д・)



そう、海外考古学で言えば古代エジプトやインカ文明はズルいですよね。

金製品は出るわ、遺物の残りはいいわ、観光地として目を見張る有名遺跡があるわで、何でも持ってやがる(ノ`Д´)ノ



日本考古学だと、やっぱり人気あるのは古墳時代ですよね。

古墳そのものや様々な埴輪がズルい!



縄文時代も人気ですが、現代社会と比べて「循環型社会だった~」とか「平和な社会だった~」といった”縄文時代の生活に戻れ的な怪しい運動”で人気なだけで、、、

頑張っても中期の火焔土器とか土偶が人気なくらいでしょうね(*・ω・)ノ



つまるところ、石棒だと”弱い”!( ・Д・)



なんとかしたい気持ちは痛いほどわかるのですが、1000人の地下アイドル抱えてても、1人の1000年に1度のアイドルに完敗する世界だから、、、

もうコアなファンを獲得するしかないと思うんですよね。

そのためにはやはり「石棒の歴史」を明らかにすること、

「石棒」をテーマにした新たな研究を展開すること、

これに尽きると思うんですよね。

関心を持ってもらうにはやはりドラマチックなストーリー性が必要です( -д-)ノ



私も人気度・認知度がイマイチな古代マヤ文明を盛り上げていくために研究と、成果のアニメーションとしての分かり易い社会還元とを頑張っていきたいと考えています。

飛騨市の活動も陰ながら応援しているので、共に頑張りたいと思う所存ですヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ



何はともあれ、

やぱ奴らずりぃよな!( ・Д・)



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2022ねん 8がつ 4にち(きんよーび、晴れ)

出張中も仕事とか偉い!って褒めて欲しいヽ(TдT)ノ

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ロゴ、サイズ半分_credit
↑これがロゴマーク(。・ω・)ノ゙(credit:あるけまや/ illust:あずさ)


今回の考古学・歴史ニュースは土器の美少女化始めたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


まぁ何でも擬人化、美少女化しちゃう日本だから、土器も美少女化しちゃおうかなって思いまして、、、

「ウマ娘」にあやかって「ドキ娘」でも良かったけど訴えられたら泣くので、被らんやつに変更しました。

今回はお披露目の先立っての簡単な紹介です!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


加曾利Eの子、顔_画像サイズ半分



さて、この土器の美少女化プロジェクトの目的は『土器型式を知ってもらおう!』ってことです。

当サイトをご覧の皆様がーたは、博物館とかに行く機会もあるかと思います。

博物館の考古学展示室では膨大な資料が並んでいることがしばしばで、よく見ると「~式土器」って書いてますよね?

関東だと、「勝坂」とか「加曾利」とか「安行」とか・・・

こういったものが『土器型式』です。


大木の双子twitter用



ざっくり言うと、日本をいくつかの小地域に分けていて、その中での新旧を示したものが土器型式です。

だから土器型式が分かると考古学で重要な「時間と空間」が分かるってことです。




例えば土器を見て、「あ~これは勝坂I式だな」って分かれば、、、

「時期は縄文中期で、5000年前くらいで、南関東に分布してるやつだな」とか分かっちゃいます。



博物館で見てると土器ってほんとに多様ですよね?

でもそんな一見バラバラに見える土器資料も共通の特徴を持ってたりするので「土器型式」としてグループ化することができるのです。

ちょっと難しいので、はっきり言って一般の人には「~式土器」って書いてあるネームタグ見ても何も感じないと思います。

そこをなんとか一歩踏み込んで、考古学の奥深い世界を楽しむきっかけになればと思っています(屮゚Д゚)屮 沼にカモーン!


里木、阿高_顔_画像サイズ半分



おわりに

ひとまず5人分のキャラは出来たのです。

今はモデルの土器資料のデフォルメイラストを作成中です(作成してるのはもちろん絵師さんで私ではない( ・Д・))。

どうなるかな、たぶん早ければ9月には公開になるかと思います(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



でもね、土器型式ってたくさんあるんですよ!

なのでクラファンやることになるかな~って思います。

私の財力だけだと破産するか、絶対に終わらんとです( -д-)ノ



また告知しますけども、、、

ここの読者は私の多忙っぷりとサボり癖をよく分かっているはず……


まぁ・・・焦らず気長に待ちたまえ!( ・Д・)



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2022ねん 2がつ 4にち(かよーび、曇り)

めんどいから暫くグアテマラ標準時で日記書く( -д-)ノ(書き始めの時間( ・Д・))

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


arukemaya1689

↑このうさぎ大好き( ・Д・)(「すべての最高のイラスト」「イラストAC」の記事内画像を加工・作成;credit: あるけまや)


今回の考古学・歴史ニュースは北海道で撲殺された縄文人の骨がたくさん見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は北海道伊達市、有珠モシリ遺跡です。

まずは位置から!









伊達市は北海道南部(?;南の方の意)にあるんですよ。

札幌人としはそんな感覚です(*^・ェ・)ノ



なんでかというと、伊達市は積雪量が少なくて住みやすいことで有名なのです。

だからリタイアした高齢の方々が本州の都会の喧騒から逃れて移住してくるケースが多いことでも知られています!

だから札幌人からすると、、、「南部」というか「あったかい!」ってイメージがあるんですよね( -д-)ノ

「南=あったかい」みたいな感じです。

まぁ函館もっと南なのにけっこう寒いけどね!( ・Д・)





実はスゴイ有珠モシリ遺跡!

そんな噴火湾(内浦湾)沿岸にある伊達市ですが、ここの有珠モシリ遺跡はスゴイんですよ。

上に挙げた写真のように1万㎢程度の「小島」なんですけども……



この島全体が貝塚なんですΣ(・ω・ノ)ノ



縄文晩期~続縄文時代に帰属する遺跡で、本州の感覚だと縄文の終わりから弥生時代の遺跡ってことになります。

日本は酸性土壌なので人骨や骨角器や動物骨などの動物依存体が残りにくい環境なのですが、貝塚は貝片などがたくさんあるので貝塚周辺はアルカリ性になる(ないし中性方向に傾く)のです。

なので、遺物の残存状態がすこぶる良い!

この有珠モシリ遺跡は巨大な貝塚遺跡ですから出るものがスゴイのですよ。

最後に一例を載せておきますね(*・ω・)ノ






人類はみんな暴力的!( ・Д・)


まぁよくある「縄文人はECOだった」とか、「縄文人は自然と共に生きた(共生の理想)」とか聞きますけど、まぁ大体が嘘ですね。

現代よりはマシってだけです。

科学が発達して知識があっても、敢えて無視する現代人よりマシなだけで、人類は常に周辺環境に大きな影響を与えながら存続してきたのです( -д-)ノ




さて、こうした一般に流布した説(商業的な意味合いがあるのでしょう……)の中には「縄文人(あるいは縄文時代)は平和だった」というものがあります。

これも明らかに現代人の理想を古代人に押し付けているに過ぎません。

まっとうな考古学者はこんなこと誰も思っていないでしょう。

考古学者に限らず一般的に「ふつうに」歴史を学んだ者であるならば「争いで満ちた人類史」をよく知っているはずです( ・Д・)




さてそんなこんなで今回この有珠モシリ遺跡から、脳内お花畑論者の「幻想を打ち砕く」発見がなされました!

それが上に挙げた写真にある、打撲によると思われる傷痕のある頭蓋骨が複数個体見つかったことなのです。

1人なら事故もあり得ると思いますが、複数ということは集団同士で頭蓋骨にダメージが到達するほどの争いがあったことを示します。



調査担当者は『本州側で弥生時代に移行し、ヒトの移動があった中で玉突き的に集団間の衝突が起きた可能性がある』と述べています。





……さすが大人な回答だなと思います。




はっきり言えばいいのに、、、縄文晩期、つまり縄文時代に争いがあったって!

平和じゃなかったって!( ・Д・)( ・Д・)( ・Д・)




この調査担当者の青野先生は「出来た人」ですからね。

私なら言っちゃう……

言わんか?

後々、もっとデータ集めて、自分の書籍とかで思いっきりぶちまけるかな。

新聞で言うと敵ばかり大量生産することになるからね~。


いや~、やっぱ大人だわ(*^・ェ・)ノ

私も大人になりたい( ・Д・)



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↑骨角器も残りがいいね!(「むしゃなび」の記事内画像より転載)



おわりに

この遺跡、私の大先輩が中心となって後輩らも参加して掘ってる遺跡なんです。

北海道大学の調査は私が学生の頃からずっと伊達市周辺で行っているので色々と思い出深いな~と思いつつ、元の記事を読んでいました。

唯一引っかかったのが「青野友哉准教授(骨考古学)」……

骨考古学??? (゚Д゚≡゚д゚)エッ!?


新聞の問題なのか、彼も新しい学問領域を打ち出しているのか……

形質人類と何が違うのかよくわかならないけども……



何はともあれ、私は大先輩相手でも変なものは変って言う!

骨考古学、謎!( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

無理せず適度に働いてよく寝ることはとっても大事ですね( -д-)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースは黒魔術リベンジ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



さて、今回の舞台は愛知県、三河湾です。

前回の記事でも紹介したように、足の骨や腕の骨といった長い骨を使って井桁状(四角形状)に組んだ中に頭蓋骨や肋骨などの他の骨を入れる埋葬形態がこの地域では見られます。

これは「盤状集積葬」と呼ばれるもので、この三河湾地域を特徴付ける縄文時代の一風変わった埋葬方法です。

では早速、おどろおどろしい黒魔術の儀式っぽい埋葬事例を見ていきましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



↓前回の記事(*^・ェ・)ノ




arukemaya1652



どうですか???( ・Д・)

一般的にお墓の中の人骨のイメージと言えば「伸展葬」と呼ばれる、『気を付け』した状態のものだと思います。

それがこのように意図的に配置を変えられるとちょっと違和感を覚えませんか?

この事例は綺麗に方形に並べられているので分かりやすい事例である一方で、頭蓋骨がよく分からない状態なので「怖さ」があまり感じられないですね(´・ω・`)

まぁしょうがない、他にも事例を見ていきましょう!





arukemaya1657


頭蓋骨や顎の骨が方形の四隅に配置されています。

でも四角形の枠組みも見えるでしょう?

右側の縦ラインだけ不明瞭ですけどね( ・Д・)



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↑ちょっと変形した事例(「水嶋ら 2004」の図1より転載)


上に挙げたのは保美貝塚における、今からおよそ3500年前~2500年前の縄文時代晩期の事例です。

こんな風に六角形に組む事例もあります。

まぁでもこれはレアなもので、基本的にはやはり四角形です。




さて、皆さんも目が慣れてきたでしょうから、ここからは写真の中のどこに盤状集積葬が認められるのか探してみてくださいねヾ(´ω`=´ω`)ノ


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↑保美貝塚の事例(「水嶋ら 2004」の図1を転載)










おわりに

調べてみると、思ったより事例がなかったなぁと、、、

古い調査の成果が大多数なのか写真が全然見つからなかったです(TДT)

結局、あんまり黒魔術の儀式っぽくなかったですかね?

リベンジ失敗かな?ヽ(TдT)ノ

でも前回の記事の直後、昨日の今日の話なんですけど、例のグーグルアドセンスの問題が突然解決して広告制限解除されたんですよ。


黒魔術が効いた!( ・Д・)



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2021ねん 10がつ 19にち(かよーび、ぷち雨)

考古学ネタがあり過ぎて困る!( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは「縄文時代に焼かれた人骨が意図的に並べられて埋められてたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は新潟県、阿賀野市、土橋遺跡です。

この土橋(つちはし)遺跡は今からおよそ4000年前の縄文時代後期の集落が見つかっている遺跡として知られています。

立地が良いのか、この遺跡からは弥生時代、古墳時代、中世の集落跡も見つかっています。




さて、この土橋遺跡から今回は「焼けた人骨が意図的に並び替えられた状態」で見つかりました。

この発見は「焼けた人骨」と「意図的に並び替えられた状態」という2点に分けて考えることが出来ます。


arukemaya1649


まず「焼けた人骨」と言うと、「火葬」を想像してしまいますが、今回のものはそれとは異なります。

火葬と思われる最初の痕跡は2世紀の弥生時代後半に見られ、高い蓋然性をもって火葬と推定できる事例は6世紀になります。

文字記録に残る最古の事例は700年で、元興寺の開祖である道昭が火葬されました。

その後日本では仏教の影響により度々火葬が用いられますが、現在のように火葬が一般化するのは明治期以降なのでとても新しい習俗です。




私たちの感覚だと埋葬行為は一度きりですが、かつては「再葬」という儀礼行為が行われていました。

文字通り、一度埋葬した遺体(人骨)を取り出して儀礼を行い、再び埋葬します。




再葬の定義は2回以上なので2度とはかぎらない点がポイントです。

但し基本的には2度でしょうし、以下に述べるような奇跡的・理想的な好条件でない限り考古学的には何回再葬されたか判別できません。

例えば石棺や墓穴といった明確な遺構に人骨の一部が残っていて、別の明確な遺構に再葬された人骨がやはり一部残っていて、更に別の明確な遺構に再葬された人骨が残っていて、それぞれ副葬品として時期の異なる土器などの遺物を伴っている場合です。

これならば人骨の分析から同一個体であることが判明しますから、3度埋葬されたこと、つまり2度再葬されたと言えるでしょう。




再葬はおよそ5500年前の縄文時代中期頃に始まり、弥生時代にも続きます。

同時期に人骨を焼いて再葬する「焼人骨葬」が現れ、この風習も弥生時代に引き継がれます。

なので、今回の発見の一つである「焼けた人骨」というのは珍しい事例ではないのです( -д-)ノ





これまでに人骨集中遺構の写真を2枚挙げてきましたが、小型の遺構のため薬品で固めてズボっとそのまま回収しています。

先ほど「珍しい事例ではない」と書きつつも、実際にはレアな事例のため、こうした保存方法が選ばれたのだと思います。




さて、今回の発見の2点目が「意図的に人骨が並べられていること」なのですが、これがちょっと『黒魔術』っぽい方法が取られているのです( -д-)ノ

その方法とは、一度埋葬した骨をまず取り出して、大腿骨(足の骨)で井桁状に組み、その中に他の骨を入れます。

今回の事例では、上腕骨(腕の骨)と足の脛骨を用いて四角形に組み、その中に頭蓋骨や肋骨を入れています。

挙げた写真だと分かりにくいのですが、説明を聞くとなんだかおどろおどろしくありませんか?ヽ(TдT)ノ




このタイプの埋葬方法は『盤状集積葬』と呼ばれ、愛知県の三河湾域で多数見つかっているものです。

でも愛知県の三河湾周辺域に集中している上に、他の地域では見られません。

そして愛知県の事例では「骨は焼かない」のです。

つまり今回の土橋遺跡の事例がレアな理由は、、、

愛知県の中でも限定的な地域でしか見つからない埋葬方法が新潟県で見つかり、更にオリジナルの埋葬方法では見られない「焼人骨再葬」との組み合わせの方法が取られている点です。




現在の愛知県の三河湾周辺に居住した人が遥々新潟県に移り住み、それぞれの葬制が混じり合った結果なのでしょうかね?

今後の類例の発見に期待です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!





おわりに

今回は写真の問題で『黒魔術』っぽいおどろおどろしさが伝わらなかったと思います。

黒魔術をイメージしたサムネ画像に名前負けしたような感じがしますヽ(TдT)ノ

なので、次回、リベンジします。

「日本にもこんなのあるんだ~!?」って驚かせるのを目標にしたいなと思います( -д-)ノ




そう言えば、グーグルアドセンスに不正なトラフィックがあるって言われて、現在、広告制限受けてるんですよね。

自分でクリックとかしないし、全然身に覚えないのに・・・

グーグル稼いでるくせに・・・

黒魔術かけるぞっ!( ・Д・)



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2021ねん 6がつ 10にち(もくよーび、晴れ)

仕事が進む1週間であったが、記事を書かない1週間でもあった( -д-)ノ

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arukemaya1549

↑モザイクもっと強くかけなきゃ、ひっかかるかな?( ・Д・)(アダルトグッズ販売ページの画像よりテキトーに作成( -д-)ノ*アダルト系なんでリンク貼りません。あしからず。)


今回の考古学・歴史ニュースは密かにファンが多いらしいよ!?石棒のデータが公開されたよ! & 本当にあったらしい都市伝説的な考古学エロ論文を紹介するよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は岐阜県、飛騨市です。

飛騨市はたくさん石棒が見つかっており、「飛騨みやがわ考古民俗館」に多くが所蔵されています。

この飛騨みやがわ考古民俗館を拠点として「石棒クラブ」という団体が発足しており、関係人口の増加と小規模ミュージアムの在り方についての考察・実践を目的として活動しています。

石棒という飛騨市で特徴的な出土遺物を有効活用した「地方創生」チャレンジを行っています。


↓気になる方は是非!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↑綺麗な見やすいページです(*・ω・)ノ(*例によって回し者ではございません( -д-)ノ)


さて、この石棒クラブは考古資料の3Dモデル化、つまり『石棒』を3Dモデリングしています。

現在までに20点の資料をモデル化していて、オープンソースとして使えるそうです。

以下に一例を紹介しますね。

是非、石棒をぐりぐりしてみてください( -д-)ノ



arukemaya1552



なんでこんなことをしているのかというと、、、

私も最初は、飛騨市は石棒で有名な町だから、町おこしの一環とか、文化財活用の一環として注目を集めるためにやってるんだろうな~なんて思っていましたが、実態はより深刻なようです(´・ω・`)

現在の埋蔵文化財法では出土した遺物はその市町村で管理するのが普通なのです。

詳しい事情は分かりませんが、恐らく飛騨市は飛騨市でも出土した遺跡が飛騨市宮川町に所在するのだと思います。

だから多量の石棒を所蔵しているのは飛騨市宮川町の博物館「飛騨みやがわ考古民俗館」であり、そしてこの博物館が飛騨市の市街地ではなく、宮川町の山の中にあるということが問題のようです。

アクセスが悪いので当然、集客が難しく、結果として常駐の学芸員等を雇用できず、年間30日しか開館できないそうですΣ(・ω・ノ)ノ

大学で学芸員資格取る時に博物館学を受けるとよく聞く話なのですが、日本って一時期にブーム的に多量に博物館を設置したのです。

でも現在、国から補助金がもらえるのはごく一部の博物館のみとなり、結果、博物館は維持が難しいレベルで経営困難なのです。

かつて何でも民営化した政権がありましたが、博物館も民営化されて久しく、現在でも様々な問題を抱えています。

この飛騨みやがわ考古民俗館の抱える諸問題の経緯は分かりませんが、飛騨市がしっかりと支えて上手に運営していけるといいですね(。・ω・)ノ゙

さて、上に挙げたのは石棒クラブで紹介しているオープンデータの使用例なのですが、石棒型のろうそくにフィギュア・・・

心の汚れた私には卑猥な使用法しか思いつきません( ・Д・)


arukemaya1554


そもそも石棒とは何か?

石棒は縄文時代に作られた石製の遺物です。

一般的には「男根」を模したものと考えられています。

磨製石器の一種に分類されるので、たくさん『こすって』作ります。

また石棒は被熱を受けたり、破損した状態で見つかることも多いのです。

なので、


石棒の祭祀では、「勃起→性行為→射精→その後の萎縮」という男性器の一連の状態が「摩擦→叩打→被熱→破壊」として疑似的に見立てていたとされる
(wikiより転載;山田 2019:204)

*参考文献
山田康弘 2019『縄文時代の歴史』講談社現代新書


なんて言われたりもします。

でもこれまでに紹介してきたように、祭祀に使う品って被熱を受けたり、破壊されたりすることは世界的にみてよくあることなのですよね(*・ω・)ノ


↓土偶はなんでバラバラの状態で見つかるの?ってお話(*^・ェ・)ノ






先に挙げた画像や上に挙げた画像をよく見てもらうと分かるように、石棒といっても色んな種類・形態があります。

広義には石刀や石剣も含むのです。

上に挙げた画像では仏具と形態が似ていることから名付けられた「独鈷石(どっこいし;写真右上)」も入っています。

これは木製の柄に装着されて使用されたと考えられる祭具です。

具体的にどのような儀礼行為であったのかは正直分かりませんが、世界的に見られる豊穣や子宝を祈願しての男根信仰はあったでしょうし、そのための石棒もあったと思います。

しかし縄文時代という長い期間、日本列島という広い地域において、石棒といっても様々な形態があって、様々な使用法や儀礼行為があったことも想像に難くないのです。

ま、古代の儀礼の話になると、やけにリアルなエロイこと書く論文が多いのも事実!( ・Д・)


≫ 次ページは「ほんとにあったどエロの考古学」( ・Д・) ≫



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先のページでは石棒の3Dデータが公開されたこと、そもそも石棒って何?ってことについて紹介しました。

ここでは本当にあったらしい都市伝説的な考古学エロ論文を紹介するよ!( ・Д・)ってお話をします(*・ω・)ノ

さて、これたぶん実話です。

私が学生の頃、飲み会の席で博士課程の先輩から聞いたお話です。

石棒というと一般的なのは男根を模したものです。

上に挙げた写真も立派なサイズ・形態ですが、パッと見て男根のように思えます。

前回は石棒と言っても色々あるよとお話しましたが、ここで述べる石棒は男根信仰と関わりがある明らかにソレの形のものを指しますのでご注意ください( -д-)ノ

さて、男根信仰は現在の日本でも残っていて、巨大な男根の石彫が観光スポットになっていたり、祭られている土地でお祭りがあったりします。

近年というかもう長いこと、晩婚化、少子化、人口減少が止まらない日本社会においては特にこうした子宝祈願が重要視されるのかも知れませんが、古代の石棒に対するファンもけっこういるのだそうです。

こうしたファンだけに留まりませんが、やはり気になるのは、「石棒がいかに使われたか?」です。

これを研究した考古学論文があるんだ!というお話なのですが、、、

ところで考古学には「実験考古学」という分野があります。

オーソドックスな例は石器の使用痕実験です。

方法論は単純です。


①実際に黒曜石など、対象資料と同じ素材で石器を作る。

②対象資料の予想される機能ごとに、実験的に作られたその石器を用いて、なめし革をなめす作業、肉を切る作業、木を切る作業などを行う。

③各工程において、10回、100回、1000回、3000回などと一定回数の使用行為を行った後に、刃部を顕微鏡観察することで、使用した際に付いた傷(使用痕)の様子を明らかにする。

④対象資料の刃部を観察し、比較することで、対象資料が何の作業にどれくらいの回数使われたものなのかを推定する。


これが一連の流れを簡単に説明したものです。

要は、レプリカを作って実際に使ってみて、どんな痕跡が残るかチェック&比較してみたよってお話です(*^・ェ・)ノ


arukemaya1557
↑ハガレン大好きヾ(´ω`=´ω`)ノ(*拾ってきて加工しました( -д-)ノ)


ここまで書くともう勘のいい読者の方はお気付きでしょう。

そう、『石棒のレプリカを作り、実際に使用してみたという論文が存在する』そうです(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?


かなり昔の論文ですから、少なくとも今から20年前くらい?

その時聞いた話だともっと古いので、1960年代後半だったような・・・

所謂プロセス考古学が流行した時期で、日本考古学においてもこの時期を境に理化学的な分析の利用が活発化しました。

先の「実験考古学」という手法もそうした流れで登場したものなので、まぁ時期的には合っている・・・


でも、現在みたいに3Dプリンターとかないんですよ?

作るとしたら、本当に石材で石棒作るしかない。

ってか方法論的には石材で作るしかない・・・



誰に使ったの?( ・Д・)

風俗で謝金払って、100回~1000回と突っ込んだの?( ・Д・)

身体大丈夫なの?( ・Д・)

いくら払ったの?( ・Д・)

そのお金、科研費(科学研究費補助金)から出てるの?( ・Д・)


とまぁ疑問は次から次へと出て来るし、男所帯の飲み会の席だから先輩方も大いに盛り上がっていたのを記憶しています( -д-)ノ

「ひぼう」?

なんだっけな、雑誌名・・・

「豹」みたいな感じがつくような・・・

当時は雑誌名や著者名も覚えていて、修士の先輩と翌日に研究室でインターネット検索したりしたのです。

現在みたいにスマホありませんからね、その場で検索とはいきませんでした( -д-)ノ

その時調べた結果としては本当にその雑誌(学会誌などの論文集)が存在することまでは突き止めたのですが、問題の論文までたどり着けなかったのです。

当時の大学に所蔵されていませんでしたので( -д-)ノ



……ん~、恥を忍んで、あるいは昔を偲んで、先輩に聞いてみようかな。

来年の資料調査時に、一緒に検索した先輩に会うので、ちょこっと聞いてみようと思います。

できたらコロナ明けてて、お酒飲めたら尚訊きやすいのに( ・Д・)

何か分かりましたらまた記事にしますし、何か情報ある方はコメント欄にお願いしますね!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ




おわりに

今回は内容が無駄に長いのと、話が大きく変わってしまうので、ページ変えました。

こういうのは特例なので、またいつものようにライブドアブログの設定上の限界がきて(多くの場合写真の枚数?)勝手にページが切り替わるまでは1ページに書き続けます(*・ω・)ノ

・・・・・・まぁインパクトって大事ですよね。

論文でも、特に世界で戦うとなるとインパクトファクターがどうかは重要になるのですが、、、

石棒の3Dデータのオープンソース化か・・・( ・Д・)

私は心が汚れているので、絶対誰かふざけて「デ。〇ド」や「バ〇ブ」作ると思うんだよな~。

YouTubeで「作ってみた!」ってやったら私も一躍有名(炎上系?)になれるかな?( ・Д・)

冗談はさておき、、、普通なら土器などをオープンソース化しても大したことないニュースなのですが、それに比べると確かにインパクトのあるニュースだったと思います。

でも厳しいことを言うと、これが地元博物館の今後の運営にどれだけつながるでしょうか?

この熱が冷めない内に、石棒クラブの方々を中心として『精力的に』更なる発信をしてもらいたいものです。

・・・石棒だけに!( ・Д・)


*馬鹿にしてません、ふざけているだけです( -д-)ノ



≪ 前ページは「そもそも石棒って何?」(*^・ェ・)ノ ≪



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2021ねん 5がつ 31にち(げつよーび、晴れ)

切り詰めた生活を送ってた結果、最近、ご飯が美味しい.。゚+.(・∀・)゚+.゚

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今回の考古学・歴史ニュースは「約3000年前の縄文時代のクルミでいっぱいのかごが公開されてるよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は福島県、南相馬市の鷺内遺跡です。

「さぎうち」って読みます。

この鷺内遺跡で、上に挙げた写真に見られる依存体が発見されました。

なんだかテカテカしてて、ボコボコしてますけど、籠にみっちりとクルミが入っている状態です。

入っているのは3.5cm台のオニグルミで、約700個入っています。

上の写真で見るとなんだか大きく見えますが、竹や笹を割いて編み込んで作られた籠のサイズは長軸33cm、短軸20cmのサイズです。

時期は縄文時代晩期に属すると考えられ、約3000年前の資料ということになります。

見つかったのは2018年度の調査時で、最初に挙げた写真はその際に1日限りの一般公開をした際のものです。




これが防腐処理が完了した状態の資料です。

不思議なテカリが消えて、何だか生々しさが増加した気がしますね(*^・ェ・)ノ

この写真は教育委員会(考古学関係者の主な就職先です)提供とあるので、考古学関係者や学芸員などの博物館職員らが撮影したものでしょうから、展示用のケースを外した状態で撮影されていて、とても綺麗に撮れています。

福島県南相馬市鹿島区の鷺内(さぎうち)遺跡で出土した、縄文時代晩期(約3千年前)ごろのクルミ入り編みかごが16日、市内で一般公開された。全国でも出土例のないクルミでいっぱいの編みかごに、多くの考古学ファンからは「当時の食糧保存法が分かり、縄文人の暮らしがとても身近に感じられた」などの声が聞かれた。

 編みかごの公開は原町区にある文化財整理室であった。午前10時の開場とともに市内外からのファンらが室内に入り、竹やササ類を切り裂いて編み込んだ縦33センチ、横20センチの編みかごに興味深そうに見入った。

日本は山が多いだけではなく河川も多いので水に恵まれた土地柄だと思います。

なので水分の関係上、こうした珍しい植物依存体の検出事例はけっこう多い方だと思うのですが、さすがにこれだけ保存状態の良い事例は他にはありませんヾ(´ω`=´ω`)ノ

このクルミの詰まった籠は当時の地表面から穴を掘って埋めていたようで、その穴の中には水が湧いていて常に水分が供給される状態でした。

ですから保存状態がとても良かったのです。

保存のために食料を土器などに入れて埋める事例は世界各地で見られるので、クルミを籠ごと埋めたのは良いとして、、、昔から水が湧くようなところに埋めていたのでしょうか?

そういう保存方法だったのでしょうか?( ・Д・)




おわりに

今回は防腐処理などの保存処理が終わったということで1日限りの展示というわけではないのですが、それでも「特別展」として期間限定(2021.5.15-6.13)の展示だそうです。

近くにお住まいの方は是非、この機会に見に行くといいと思います。

神社仏閣の御開帳とは違って、考古資料の特別展って定期的なものではないので、次いつ見れるか分からないですからね(´・ω・`)


・・・古代の食べ物の研究も面白そうとは前々から思ってるんですけど、土器が専門だから土器からのアプローチしか考えてなくて・・・

保存方法に関する知識全然ないなぁって今回感じました。

とっても保存状態の良い事例ですから、この鷺内遺跡の報告書を読めば、この事例に関する当時のクルミの保存方法について書いてある気がしますね。

今度探してみます( -д-)ノ

何はともあれ、、、

オニグルミって食べれるの!?( ・Д・)



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2021ねん 4がつ 23にち(きんよーび、晴れ)

毎日TKG食べてる(*^・ェ・)ノ

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今回の考古学・歴史ニュースはどーきーを探せ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は埼玉県、北本市のデーノタメ遺跡です。

普段、記事とか考古学情報調べてたら、考古学の専門が撮っている記録用あるいはスナップ写真か、遺跡説明会時の写真ばかりなのです。

当たり前なのですが( ・Д・)

でも今回の記事を調べてたら、出土してから間もない写真を見つけたので「ドーキーを探せ!」を開催することにしました。

今後もそのような写真を見つけたらやります(*・ω・)ノ

あと調査時にそういう状況になったら意識的に撮影しますv( ̄∇ ̄)v

さて、問題は以下の2問!

ドーキー(土器)はどこか分かりますか?

答え合わせは「おわりに」で!


arukemaya1508

arukemaya1507



記録用の写真を撮る時には「クリーニング」といって、壁を垂直に立てたり(垂直になるように壁面を削るの意味)、落ち葉拾ったり、細かな根を切ったりします。

その際にレキ(石のこと)や土器などの遺物も分かりやすくきっちりとその形状が分かるようにします。

そうこうしてると、けっこう乾くんです。

乾き過ぎると困るので水を撒いたりします。

丁度良い状態でも、土器などの遺物と土は乾く速度が異なるので遺物はやはりはっきりと分かります。

でも問題として上に挙げた写真の土器はまだ十分に湿っていて、ちょっと分かりにくい状態です。

上の発掘現場の写真を見て分かるように、この現場はそもそも水分を多く含む土壌だからこそ、こういった問題になるような写真が撮れたのですね(*・ω・)ノ

考古学あるあるですが、発掘調査未経験だと土器や石器などの遺物が土から出ても分からないことが多く、経験を積むと簡単に判別できるようになります。

・・・「ドーキーを探せ」、流行ればいいのに( -д-)ノ



arukemaya1511



このデータノメ遺跡は関東最大の環状集落です。

でも、ここまでに調査現場の写真を2枚挙げましたが、”環状集落”感がないですよね( -д-)ノ

なので遺跡全体の模式図を表示しました。

この遺跡は縄文時代における3つの環状集落が残っている遺跡であることが分かります。

また上に挙げたように貴重な遺物も出ています。

そのため北本市はこのデータノメ遺跡を国指定史跡として保存・活用しようと尽力しているそうです。

どのような史跡になって、どのように活用していくのか、今後が楽しみな遺跡です(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




おわりに ~情報と流行の伝播の仕方&解答~

ヒトに限らず動物にとって水は生きていく上で不可欠です。

なので人類が集落や都市を築く場所は水辺であることが多いのです。

時期にもよるのですが、上に挙げた地図のように河川沿いに集落がいくつも発達する傾向があります。

一方で海岸沿いにも集落が発達します。

漁業は生業として重要ですし、塩も得ることができますから。

なので、河川に沿って上流~下流・海岸間では古くから交流があったことが分かっています。

製塩するにも大量の燃料用の木材が必要ですから、上流の山間部に住む人々が運んだと考えられています。

だから、河川に沿って上下に集落間関係が構築されるのは分かるんだけど、「横方向」にはどうやって情報や流行が伝わるのだろう?って時折疑問に思います。

古代の情報や流行の伝播の方法について明らかにできれば面白そうですよね?(*・ω・)ノ



・・・さて、最後に解答です。

問1の答えは左にあるのが土器!

右にあるのは縄文のような文様にも見えるけども、クルミです!(*^・ェ・)ノ

問2はたくさんのクルミが出土している状況ですが、、、

ちょっと怪しいなって思う小破片が2点ほどありますが、まぁとりあえず下部の赤っぽいやつは土器の口縁部だと思います(*^・ェ・)ノ


分かりました?



ところで、ねぇ、、、

・・・縄文ってクルミの文様でない!?( ・Д・)


↑歩けマヤ管理人(2021.4.24)(・∀・)つ


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2021ねん 4がつ 15にち(もくよーび、くもり)

自分で研究環境を整えるのも楽しい気がしてきた(*・ω・)ノ

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arukemaya1474


今回の考古学・歴史ニュースは縄文時代のものなのに、炭化してない樹や葉っぱ、虫、鳥の羽が出てきたよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は神奈川、伊勢原市の西富岡・向畑遺跡です。

上に挙げた写真が見つかった樹のひとつなんですけどどうですか?

発掘したことある人あるいは土木工事関係者なら分かると思うのですが、現在まだ生きている樹の根とか土の中からこんな感じで出てきます。

掘る時に邪魔なのでサイズによって根切りやノコで切断するわけですが、、、

まさにそれと同じ!(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

時期判定では縄文時代後期、つまりおよそ3000~4000年前の樹ということになります。

そんなに古いのに炭化せずにこの保存状態というのは奇跡ですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

本当に生木にしか見えない(´・ω・`)


arukemaya1476


上に挙げた写真が今回の目玉の植物依存体です。

デカいです。

幹がほとんど残っていそうですねΣ(・ω・ノ)ノ

こうした炭化せずに残った古代の樹の出土事例としては本事例が国内初となります。

しかもこうした樹々が大小含めると100本ほど検出されています。

驚くべき大発見ですね( ・Д・)

上に挙げた写真の樹は大きいため、種の同定が容易でカエデであることが分かっています。

他の樹々の同定はこれからで、理化学的手法を用いたより正確な年代判定もこれからだそうです。

縄文時代の植生や環境など、新たなデータをたくさん与えてくれそうですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



arukemaya1473


樹々や葉っぱといった植物依存体の保存状態が極めて良い遺跡ですが、当然、動物依存体の保存状態も良好です。

上に挙げた写真のように虫や、鳥の羽も検出されています。

昆虫では色彩が綺麗に残っていますね。

下に挙げた記事の中の玉虫は別ですが、通常の昆虫の色彩は色素によるものなので死後に失われるはずなのですが、、、どうなってるのだろう?( ・Д・)

羽もスゴイですよね。

その辺歩いてて見かけるような自然な残り方していますΣ(・ω・ノ)ノ

どれを見ても、私には発掘中に現地表面近くから出てくるものにしか見えない!(; ̄Д ̄)



↓上2つは古代の昆虫のお話ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ





↑最後のは古代人の『脳みそ』が見つかってるよ!ってお話( ・Д・)



おわりに

私のやりたいこととは全く方向性が異なるのですが、こういう成果も羨ましいなぁと思います。

まぁ何が見つかるかは宝くじみたいなもんだからなぁ( ・Д・)

掘ってく上で予想できるものとできないものがあるのです。

私のマヤ文明、ティカル遺跡の調査現場だと偶然に出てくるもの(狙っていくけど出るとは限らない)として、墓を当てるのが3等賞、副葬品が出てくるのが2等賞、副葬品が豪華なのが1等賞かな( -д-)ノ

私は引きがイイ方なのですが、そんな「考古学ガチャ」では去年の3等賞がこれまでのベストです。

コロナ禍に邪魔されているけども、次回の調査が今から楽しみですわ。

うん、別に発見至上主義ではないけども、、、『上手に』研究を続けていく上で大事なことだと思う・・・

やぱスゴイの見つけてニュースになりたい、博物館に展示されたい!( ・Д・)



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