歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:考古学

2019ねん 2がつ 9にち(どよーび、晴れ)

忙殺されてブログ更新できませんでした(/TДT)/

連休だし、色々と頑張りま~す(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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今回の考古学・歴史ニュース(?)は「鳥居の構造と分類について」です!


御朱印集めのブームが到来してもうかれこれ5年くらいになるでしょうか、まだまだ人気は衰えることないようです。

御朱印に興味がなくとも、初詣に行かれる方も少なくないと思います。あるいはお祭りなどの行事で神社を訪れる方も多いのではないかと思います。

理由はどうあれ、神社に行ったときに目にするのが「鳥居」ですね!


私は趣味として御朱印集めを始めるに当たって、ついでにできることはないかなと思っていたところ、これまで主に初詣で何気なく目にしていた「鳥居」の起源がよく分かっていないということを知ったのです。

ということで、現存する鳥居について実際にデータを取ってみて「鳥居の起源とは?」について考えてみることにしました。


それではまずは、そもそも「鳥居とは何か?」から始めましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!



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↑鳥居の部位名称と様々な鳥居の形態(「心と体のなごみブログ」さんの記事内画像より転載)


①鳥居とは?
一言で言うと「門」です。つまり、くぐるためにあるのです。

地方差等のバリエーションはあれど、一般的な参拝の方法として鳥居や参道の真ん中は歩かないというものがあります。

これは真ん中の道を神様が通るので、その妨げにならないようにと説明されています。



これを拡大解釈したのか、鳥居をくぐらないで脇を通る人も見ますが、本来はくぐるべきでしょう。


神社の境内(敷地内)は神域であり、私たちの住む俗界とは異なる領域と考えられています。

この神域と俗界の境は結界として線引されていて、両者を繋ぐ役割が鳥居です。

つまり鳥居は神域への入り口(あるいは出口)ですので、くぐるべきと考えられます。



②鳥居はどこにあるのか?
一般的には鳥居は神社にあるイメージですね。

しかしながら、鳥居を持たない神社もあります。

また奈良時代(710-794年)から明治時代にかけて、日本には1000年に及ぶ神仏習合の長い歴史があります。

神仏判然令と言われる神仏分離令が出されたのは明治元年(1868年)であり、明治維新によるものでした。

そのため仏教寺院(いわゆるお寺さん)にも鳥居がある例が見られます。

鳥居=神社というわけではないのですね(。・ω・)ノ゙





③鳥居の起源について
奈良時代から神社建築の門の一種として記録されており、8世紀頃までには現在の形態になったようです。

しかしながら鳥居の起源についてはよく分かっていないそうです。


横着してwiki.より画像を引っ張ってきましたが、上の画像のように4種の説があるようです。


果たしてどれが起源なのでしょうか?

あるいは他に起源があるのでしょうか?



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↑鳥居の構造と鳥居の種類②(「コトバンク」の画像を転載)



④鳥居の部位名称、鳥居の形態による分類
鳥居に関する研究として、その名の通り1943年に根岸栄隆による『鳥居の研究』が発表されています。

上に挙げた図にあるように、大きく明神系、神明系に二分できるようです。私としては紛らわしい分類名だな~と思うんですけどね( -д-)ノ


実際には上部の笠木、島木、貫などの特徴から細分されています。

画像は粗いですが、分かり易い分類図を見つけたので提示しますね(。・ω・)ノ゙




⑤鳥居の起源を考えるならば……
今回のまとめとなりますが、記録に残る最古の鳥居は8世紀で、それ以前はよく分からないわけです。

そして神社の建物が出来る前にどうやら鳥居を立てる風習があったようなのです。


となるとですね、これまでに紹介した鳥居の形態による分類は、鳥居の起源を考える上ではほとんど役に立ちません。

何故かと言うと、「現存していないものが対象だから」です。



鳥居の起源を考える上で、最古の鳥居を検出あるいは同定しようと考えた場合、所謂「柱穴」が対象となるでしょう。

そうなると鳥居の上の部分、笠木等の装飾の部分による分類は意味がなくなります。

一方で下部の台石、亀腹(饅頭)、根巻、柱の角度、柱の形状に関する情報が重要になってきます。


本当は土の中でどのようになっているのかが問題なのです。

調べてみるといくつかは分かるのですが、全部掘って確かめるわけにもいきませんし、新しい鳥居だと建築技術や建材による違いが大きすぎる場合もあります。

そのため簡易な手法でありますが、「鳥居の起源」について考えようとした場合、地上から鳥居を観察した場合に分かる鳥居下部の特徴を選ぶべきだなと現時点では思っています。


また鳥居の形態は寄進者の好みで決められることが多く、祭神と関連を持つことは少ないとされています。

その辺りも鳥居の建造時期とそれぞれの形態が成立した時期との関係の中で確認していきたいなと思っております( -д-)ノ


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おわりに

始めたばかりの御朱印集めですが、のんびり神社・仏閣を訪れた際に鳥居を観察し、データも取得していきたいなと思います。

実際に日本全国の鳥居を見て回るわけにはいきません。

なので、ある程度実見による経験知や基礎データを溜め込んだら、写真等の文明の利器を利用して分析・考察に入りたいなと思っています。


ゆっくりとしたものになりますが、過程も記事にしますのでどうぞお楽しみに!(*・ω・)ノ

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2019ねん 2がつ 6にち(すいよーび、やや雪)

史上最大級の寒波が来ているとのことで、とても寒い。

今週末は昼間でもマイナス10度になるとか。

一部の地域の最低気温はマイナス30度を下回るんだとか( ・Д・)

……凍ること、請け合いですヽ(TдT)ノ


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↑北海道神宮神宮の本殿、まばらに外国人観光客が見られた(「歩け、マヤ」管理人撮影)



さて、今回の考古学・歴史ニュース(?)は、『御朱印集め始めたよ!&鳥居の考古学やるよ!』ってことですね。


まぁ色々と手を出して、どれも停滞していますけど、、、データ集まるのに時間かかるからなのです(TДT)


今回やろうかなと思ってる『鳥居の考古学』は御朱印集めとセットなのでたぶん継続できるでしょう!


さて、まずは手に入れた御朱印帳、御朱印、その他の品のご紹介から( -д-)ノ


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↑左から、『しおり』、『御朱印帳』、『パンフレット』(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑北海道神宮神宮の御朱印(「歩け、マヤ」管理人撮影)


記念すべき初御朱印ということで、御朱印帳も買いました。

御朱印帳は蛇腹折りになっているのですね~!



気になる価格は御朱印帳が1000円、御朱印が500円でした。


参拝記念のしおりは、御朱印帳に付いてきたのか、御朱印に付いてきたのか分かりません( -д-)ノ

参拝記念だから、御朱印でしょうかね。


受付の方が『では、日付を入れますので少々お待ちください。』と言っていたので、御朱印帳を買うと日付以外の部分は最初のページに印字されているのかも?


と思って後で確認してみたら、やはり手書きでした。ぱっと瞬間的には印字と思えるくらい美しかったのですが、達筆に書かれていました。

何かと集めるの好きですからね、これから少しずつ集めていきたいなと思ってます(・∀・)つ


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↑境内にあった案内板(「歩け、マヤ」管理人撮影)


さて、タイトルに【御朱印集め①】って書いている通り、御朱印集めをしつつ、鳥居のデータを集めていきます。

ある程度溜まったら『鳥居の考古学』しようかなと。

まぁきっとしびれを切らして、写真データで簡易分析すると思いますけどね( -д-)ノ


『鳥居の考古学①』(構想について説明する前書きみたいなもの?)については別記事として書きますので、興味ある方は読んでみてください(現在書いてません!たぶん明日書きます!)。



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さて、上に挙げた写真にあるように、北海道神宮は大きいですね!


実は鳥居のデータを取ろうとコンベックスも持参したのですが、寒さに負けてやめました( ・Д・)

『最初から追記する気満々』な記事は初めてですが、今度暖かくなってから再挑戦するので許してください。


案内板によると、遠く離れた地点に「第一鳥居」があります。これは幹線道路を跨いで造られているもので、非常に大きな鳥居です。


「第二、第三鳥居」は境内にあり、その他に「公園口鳥居」があります。


北海道神宮の境内には「開拓神社」、「札幌鉱霊神社」、「穂多木神社」があり、それぞれ鳥居があります。


そのため北海道神宮には全部で7基の鳥居があることになります。



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↑北海道神宮の神門です(「歩け、マヤ」管理人撮影)


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↑北海道神宮神宮の神門の柱(「歩け、マヤ」管理人撮影)


鳥居ではないですが、近くに「模範的な柱」があったので撮影してきました。

これは本殿に向かう直前に位置する神門の柱です。


今後集めるデータを、仮にこの柱で説明するならば、


【北海道神宮 / 神門の柱】
①建立:1871年?
②素材:木製
③高さ:不明
④角度:垂直
⑤構造:台石の上に根巻(藁座)が見られる。


と、このような感じなります。

「何で鳥居の下部ばかり気にしてるのよ!?」と思われる方もいるでしょう……

どうぞ『鳥居の考古学』の方をお楽しみに!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓御朱印集めが趣味な方、かもーん!щ(゚Д゚щ)カモーン!↓

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2019ねん 2がつ 1にち(きんよーび、雪)

ちょっとしたことから『テンプル騎士団』について調べていたら、

めちゃくちゃ時間が過ぎていた( ・Д・)


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ブログだんご
↑急成長したいな~、無理だろうけど( -д-)ノ



みなさん、こんにちは。「歩け、マヤ」管理人のだんごです。

恒例の月初め報告です!


先月は頑張ったので数字に良い変化が生まれました!

色々と学んだこともありましたので、最後に『記事数とPV数の関係』について個人的見解を述べたいと思います!(*・ω・)ノ


ということで、のんびりな私が頑張った1月の結果がコレ!↓↓↓



表1. 2019年1月までの各数値の推移

2019年1月まで表



なんとPV数が2866PV!


ひとつの目標である3000PVに到達したかったのですが、、、


『いかめ神(烏賊飯乃神旨過尊)』について楽しく書いてたら思った以上に時間かかって、しかもPV数が伸びず終いでこのような結果となりましたヽ(TдT)ノ



まぁそれでも初の月間2000PV超えですからね、満足です(。・ω・)ノ゙



さて、変化を分かり易く個別のグラフで見ていきましょう。


2019年1月まで
図1. 2019年1月までの属性ごとの推移



PV数は先月より1000PVも増加してますから、グラフでもぐーんと上がってますねヾ(´ω`=´ω`)ノ


この一か月はずっとライブドアブログランキングの星2(☆☆)だったわけですが、順位としては1000位以下になることもあれば、5000位近くまで落ちることもありました。


そこから見えてきたのは、、、


100PV/日、つまり月間3000PVが『ブログ運営の上での脱ビギナー』のひとつの指標となるようですが、これはライブドアブログランキングでも星3(☆☆☆)に上がる条件な気がします。


ただ以前、星1~2ランクをうろちょろしてたこともあったように、コンスタントに超えていく必要がありますね。


ランク2内での順位の変化を見る限り、恐らく単にぎりぎり月間3000PVを達成してもランクアップしないだろうなという感触です( -д-)ノ



UU数も64.5と大きく成長しましたね。

これがPV数の増加を支えています。ありがたいことです(・∀・)つ




さて、一方で収益は337円と減少しました。

まぁそれでも11月以前と比べれば、順調に伸びてきています。


先月が異常だっただけで、これくらいのPV数だとこの程度で安定するのかも知れません。


記事数はぐんと上がりましたね。

よく頑張ったなと、自分を褒めてあげたいです( -д-)ノ



・・・なるべく先月のように更新頻度高めで頑張って行きたいと思いますのでよろしくお願いします!ヽ(TдT)ノ



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【記事数とPVは関係あるようで、ない?( ・Д・)】

さて、この一か月で感じたことを最後にまとめたいと思います。


ひとまずこの一か月にやったこと!

  1. 文章の書き方を変えた!
  2. 画像名を変えた!
  3. 記事検索・タグ検索・人気記事を表示した!
  4. SEOについて調べてみた!

ブログを始めておよそ一年が経ち、記事を書くことにも慣れてきたのかなと思います。

そのせいか、色々とブログ運営について勉強してちょこちょこと変えてみました。


1.については『文字が黒くならないようにする』というアドバイスを選択しまして、文字のサイズを全体的に大きくし、文章間にスペースを入れるようにしました。


当サイトではけっこう真面目な文章も書くので以前のようなキチキチな文章の方が説得力がある気もするのですが、結局は読みやすさを取ることにしました!(*・ω・)ノ


2.は『画像名が記事と関連している方が良い』とあったのですが、画像の管理が面倒になるのでせめて『arukemaya』の名前を関したファイル名に換えました!


3.は、、、今更なんですが、『記事検索・タグ検索・人気記事』の機能を追加しました!

むしろ今まで何故なかったのかということが問題ですね(TДT)

そりゃあPV数伸びないわけだよ!

過去の記事読みづらいもんね!ヽ(TдT)ノ


4.はそのままですが、SEO対策として当サイトが「考古学、歴史、ニュース」がキーワードになってるかチェックしてみました!


現在は、『考古学』で3ページ目、『歴史』で2ページ目、『ニュース』で・・・出てこない!


まぁそれでも開始時点よりはよくなっています。


サイトの使用年数も関係しているので、ぼちぼち続けていくしかないのでしょう!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・


とまぁブログ運営を始めて約一年で、記事を書くこと以外にも気を配ってPV数の増加を図ったわけです。

そして記事も25記事と頑張って書いたわけです!



その結果として、、、



記事数は少しずつPV数に関係あるけど、基本的に関係ない!( ・Д・)



たぶん芸能関係とか副業関係とか多くの人が検索しそうなテーマのブログで、時事ネタばかり取り扱っていれば、書けば書くほど、PV数も増える気がします。


でも考古学・歴史のような比較的マイナーなテーマは、恐らく一気にPV数が伸びることはないと思うという現段階での結論です。




ただ記事数が本当に無関係なわけではなくて、記事数が増えれば検索順位が良くなり、そうすると時事ネタであれば検索流入数も増えるでしょう。



Twitterから「いいね」とかリツイートもしてもらってますので、この調子でとりあえず一日100UUになるまでツイッターでフォロワーを増やすのが第一かなと思います。


その後は記事をひたすら書く!


そうして検索順位を上げつつ、のんびりリツイートによる拡散を待ち、読者が楽しんでくれる良い記事を量産して所謂ロングテールな資産を増やしていくことが肝要かと思います。



ブログ運営の方法に関するサイトはたくさんあります!

『簡単にPV数を増やす方法』なんていくらでもあるし、似たようなことしか書いてない!


そこで述べられているポイントの内、いくつかは的を得ている気もします。


けどやってみなきゃ分からんし、上手くいくとも限らないことは織り込み済みです。



私が思うに、『全てテーマによる!』( ・Д・)


ブログ運営で成功している人たちのブログを参考にするのは大事です。

でも一番大事なのは勉強する気持ちやその実践です。


自分のブログの育て方は、結局自分自身の実践の中で少しずつ分かってくるものなのだろうと思います。


・・・・・・まぁだから100人いれば100通りの『ブログやアフィリエイトで簡単に3か月~半年で月に20万円~100万円稼げるようになった方法!!!』ってのがあってもいいのかも知れませんね( -д-)ノ

↓Twitterのフォロワー数も少しずつ伸びております!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

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2019ねん 2がつ 1にち(きんよーび、雪)

寒い!

フロントガラス凍って、前見えなかった!( ・Д・)


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今回紹介する考古学・歴史ニュースは『PCやスマホ上で大英博物館の中を歩けるよ!』というものです。

実際には2015年末には一般公開されていたので『ニュース』ってほど新しくはないのですが、私は知らなかったもので紹介することにしました!


インターネットでの公開のために大英博物館における収蔵品の内、4,500点以上が写真撮影されたそうです。現在までに6894点の資料が撮影され、ネット上で見ることができます!

また館内の写真も多数撮られ、そのデータを基にしたヴァーチャル・ミュージアム内を歩き回って鑑賞することができるのです。






下に大英博物館の公開デジタルデータにアクセスできるページのリンクを貼っておきます。




さて、上に挙げた写真のように、様々な資料の写真データがあって、眺めているだけでも楽しいです。

歴史好きにとっては時系列で資料を並び替えて表示できるのもニクイ仕様となってます(*・ω・)ノ


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ちなみに私個人に関するものとしてはメソアメリカに関する歴史的な資料が多数データ化されています。

古代マヤ文明に関する研究初期の考古学者、アルフレッド・モーズリーを始めとして、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラスにおける古い資料群(計2700点程度)が見られます。



上に挙げた写真のように、ティカル遺跡に関する発見当時・調査初期における神殿の姿を映した写真や、当時の文書が見られます。


古い考古記録というのも、また別の『歴史』を感じさせるもので、見てていいなぁ~と思ってしまいました( -д-)ノ



・・・・・・ヴァーチャル・ツアーも試しにやってみましたが、大英博物館を訪れたことがないこともあり、土地勘がないというか・・・

めちゃくちゃ広いので、どこに何があるかもわからず、ひたすら練り歩いてました。


ちなみに意味なく、わけ分からんとこの博物館の壁を拡大して見つめるなんてこともできます( ・Д・)


時間に余裕がある時にじっくり散策するか、前もって大英博物館の別の公式ページ(日本語表示に変更可能)で館内見取り図を頭に入れておいた方が良いですね。


平面的に広いだけではなく、複数階層ありますから!(*・ω・)ノ



・・・・・・今はヴァーチャルで楽しむけど、いつか訪れて直接見てみたいものですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓ぽちっと押すか、拡散するか、さぁ選びなさい!( ・Д・)↓

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2019ねん 1がつ 31にち(もくよーび、晴れ)

以前、急にいか飯が食べたくなって、

イカを買ってきて作ったことがある。

なんか、たま~に食べたくなるんだよな~(´・ω・`)


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↑美味しそうな『いか飯』!ヾ(´ω`=´ω`)ノ(「北海道の道の駅」より画像を転載)



【目次】
  1. はじめに
  2. いか飯といか飯土器の紹介
  3. 「いか飯土器」のモチーフがいか飯であるかどうかの検討
  4. おわりに ~「鐸形土製品」としての「イカ形土製品」に対する実際の評価~



1.はじめに
さて、今回の考古学・歴史ニュースは、「北海道南部、森町で出土したイカ飯土器を紹介するよ!」です。





最近ですね、寝れない夜にYoutubeで色々観るのが趣味になっているのですが、所謂「オカルトもの」とか「疑似科学」ものがけっこう好きで観ているのです。


歴史とか考古学の成果に対して「攻撃的」な内容でない限り、基本的にぼーっと観てるわけです。




例えば、「宇宙人がピラミッドを造った!」は・・・ ⇒ そんなわけあるか!( ・Д・)

ってなりますが、

「ロズウェルにUFOが落ちて宇宙人が回収された!」なら・・・ ⇒ いいんじゃない?( ・Д・)(←同じ表情に見えるが心は仏のように穏やかである)


って感じで観ているわけです(観てると更に寝れなくなるのでラジオ的に音を流している感じです)。


(回し者じゃないですけど紹介しておきます。特に「History Channel」面白いですよ。古代の宇宙人シリーズ!時々、睡眠障害ぽいですが良く眠れます。)




・・・・・・まぁそれでふと思ったんですよね、この所謂トンデモ説を提唱する人たちは何故そういう風に物事を捉えるのかって。



①不思議な説を提唱することで有名になりたい(承認欲求を満たしている)。

②そのような行為によって得られる経済的報酬を期待している。

③フィクションと明記ないし明言していない点で違いはあるが、実際に当事者は虚構であることを本当は理解している上でエンターティナーに徹しており、歴史小説家のような役割を担っている。

④アホである( ・Д・)



カップラーメンが出来上がるまでに思い付いた「彼らの行動の理由」はこれくらいですね。

(まぁもちろん④はふざけてるだけですけど(m´・ω・`)m ゴメン…)






前置きが長くなってしまいましたが、先に述べた③は面白い理由だと思うし、当サイトの記事は論文じゃなくて飽くまでもブログ記事だし、私も何か面白いこと言ってみようかと思い立ったわけですよ!



そこで『4000年前、縄文人が「いか飯」を食べていた説』を提唱することにしました!( ・´ー・`)ドヤ



(同業者の方はですね、「あ~ストレスあるんだろうな~」くらいで優しい気持ちと生温かい眼で見守ってくださるよう宜しくお願い致します( -д-)ノ)


まぁプライドもありますのであまりいい加減なこと言ってられませんから、最後に一般的な解釈もちゃんと紹介します(*・ω・)ノ




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2.いか飯といか飯土器の紹介
ここまでに「いか飯」の写真を2枚挙げまして、上にイカ型土製品の写真を挙げました。


お気付きの方もいると思いますがタイトルや見出しに「土器」と使っているのはその方が一般的に分かりやすいかな~(あるいは記事タイトルとして目を惹くかな)程度の理由しかありません


が、本論では「いか飯土器」を使い続けることにします。

また最後の部分で、敢えて「土器」として呼称を誤用し続けた本当の理由を述べますね(*・ω・)ノ)




ということで、この「いか飯土器」本当は「土製品」です。


内部は中空ですけども、「器」じゃないんですね。まぁ逆さまにしたらコップにはなるかな!

置けないけどね( ・Д・)




ところで・・・・・・どうでしょうか?


見た目は完全にイカですよね!(私はイカれてませんよ( ・Д・))


もうね、『縄文人は「いか飯」食べてたんですよ!』


具体的に比較してみましょう!




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↑森町のいかめしと、いか飯土器を比べてみたの図(credit: 「歩け、マヤ」/ Project D.)


もうそっくりですよ!


「いか飯」の化石かと思うくらいですね!



これは間違いなく、縄文人は4000年前に「いか飯」食べてましたよ!




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さて、この出土品について紹介しますと、


出土地点は北海道茅部郡、森町にある鷲ノ木遺跡です。

ストーンサークルでも有名な遺跡です。



遺物の年代は、縄文時代後期前半で今から約4000年前のものです。

またこのいか飯土器は森町でしか出土していません。







ではそもそも「いか飯」とは何か?


烏賊飯(いかめし)は、イカの中にを入れて炊き上げた日本の料理。北海道渡島地方の郷土料理。

函館本線森駅の駅弁調製業者だった阿部弁当店(現在のいかめし阿部商店)が、第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)、戦時体制による食糧統制で米が不足していたため、当時豊漁だったスルメイカを用い、を節約しても満足感がある料理として考案した
(wikiより転載)




つまるところ、


①「いか飯」は20世紀に森町で作られたものなのです。

②でも4000年前に「いか飯土器」が森町で出土している。

③出土遺跡にはストーンサークルがある。



ハイ、勘の良い方はもうおわかりでしょう。

「いか飯土器」は『オーパーツ』なんですね!(繰り返します、私はイカれてません(゚∀゚)アヒャヒャ)



つまり、「20世紀の森町に住んでいた、とある人物が極度の空腹状態で食べた『いか飯』のあまりの美味しさに超絶感動した結果、時空間に歪みが生じて4000年前の森町にタイムスリップしたのです。この時の痕跡が今、鷲ノ木遺跡のストーンサークルとして確認することができます。」


「その人物はお腹を空かせた当時の縄文人を目の当たりにして、戦時下の極限の空腹時の自分と重ね合わせ、未来の食べ物である『いか飯』を伝授することにしたのです。」


「『いか飯』は飢餓を救った偉大な存在として崇められ、唯一神として1個体だけ製作されました。この御神体が出土した「いか飯土器」です。その後、生活技術の発達に伴って食糧事情が改善され、「いか飯信仰」は忘れ去られてしまったのですヽ(TдT)ノ」




・・・・・・ちなみに当時の唯一神の名前は「イカメ神(いかめしん)」です。


あるいは正式には「烏賊飯乃神旨過尊(いかめしのかみうまかと)」だということがチャネリングで分かっています。




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3.「イカ飯土器」のモチーフがイカ飯であるかどうかの検討
さて、当然ある批判としてぱっと次の項目が考えられます。


①米がないから作れない。

②縄文人もイカを食べており、これはイカを模したものである。



まず一点目ですが、記録として残っている北海道における米作りの始まりは1692年です。



少し遡って1604年には松前藩が蝦夷地の支配を強めていく頃ですが、米がとれないので「加賀百万石」みたいな石高で藩の経済力を示すことができませんでした。


そのため「無高の藩」と呼ばれていました。

このことからもやはりお米は縄文時代にはなかったことがはっきりと分かりますね。



しかしながらですね、縄文時代後期にはアワ・キビ・ヒエ・ソバといった雑穀類の栽培が始まっていたようですから、当時の古代イカ飯は雑穀類を詰めたものだったと考えられるのです!(*・ω・)ノ



2点目にイカ漁の開始時期ですが、イカ漁は本州で開始されて江戸時代中期に北海道に伝わったと言われています。


つまり縄文時代後期ではイカを獲っていない可能性が高いです。

もしイカを獲っていたとすると、その技術は残るはずですから。


つまりこれはタイムスリップした森町人が未来に与える影響が少ないよう独りでイカ漁を密かに行ったと考えられます。





また偶然に獲れたイカを模している可能性もありますが、「イカ飯土器」は胴部が膨らんでいますよね? これは雑穀を中に詰めた様子を表現しているのです。


説明しましょう!


上に挙げたイカの種類ではケンサキイカとかカギイカが、元々でっぷりとした体形をしていますが、これらは北海道では捕れません。


現在北海道南部で捕っているのはスルメイカ、ヤリイカといった細長い形のイカなのです。


つまり偶然にイカが捕れても、形態が異なるのです。




それでも偶然に獲れたイカを一部強調した作ったんだと言う方もいるかも知れません。


先に挙げた同時代の土偶(ハート形土偶)では、人間はかなり各部を強調されて作られており、あまり写実的ではないことが分かります。


他にも遮光器土偶とか色々ありますけどどれもあまり写実的ではありません・








でも動物を模した場合はこのように写実的なのです。


つまり、偶然に獲れたイカを模して作ったとしたら、強調した形態にはならないのです。


よってやはり「いか飯土器」はイカの中に雑穀米を詰めた古代の「いか飯」である蓋然性が高いのです!ヾ(´ω`=´ω`)ノ




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4.おわりに ~「鐸形土製品」としての「イカ形土製品」に対する実際の評価~
無駄に長くなりましたが、最後に実際の考古学的評価のお話をして締めたいと思います。


上に挙げましたように、実際には「イカ形土製品」は「鐸形(たくがた)土製品」の内の一つになります。


この「鐸形土製品」は縄文時代後期前半に北海道南部から東北地方で造られた祭祀・儀礼の道具です。


イカ形土製品というのは鐸形土製品を特殊化したものであり、頭部が三角形で他の鐸形土製品よりも大きく際だっています。


写真を見ると、どれも丸みを帯びた卵型ですよね。これがイカの胴体部分になります。

左の2点を見ると上部にくびれを持った後に、方形ないし三角形状に展開しています。


まぁつまるところ、この「鐸形土製品」の上部が三角形に発達したバリエーションが、現代の私たちには「イカ」のように見えるってことなのですね( -д-)ノ




・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あとですね、前半に述べた「いか飯土器」と呼び続けた理由は、本来の「イカ形土製品」という言葉を使ってしまうことによる弊害を避けたのです。


万が一私の「唯一神イカメシン信仰論」がですね、何らかの理由で一部抜粋されて拡散された時に、「いか飯土器」と使っていれば、見る人が見れば分かるかなというのもありますし、


まぁ端的には、『私の中でのフィクションとノンフィクションの境を、使用する呼称によって明確に分離した』ということです(*・ω・)ノ


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↑やっぱりこれ、「いか飯」だな.。゚+.(・∀・)゚+.゚(credit: 「歩け、マヤ」/ Project D.)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・いや~、ほんとに楽しかったです!

書きながら、イカれてんな~(゚∀゚)アヒャヒャって、何度も笑いました。


読んで頂いた皆様もそれなりに楽しめたのではないかなと期待しております(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




さて、オカルトや疑似科学が何故根強く存在するのかを扱うのは社会学や心理学の領域でしょうか。


「急速に発達した科学に対する内在する不安・不信感が表出している」という説明や、

「誰にも受け入れられない不思議な自己体験を肯定してくれるカルト的存在」という説明も目にしたことがあります。



しかしながら実際にやってみると面白かったので、

考古学にも通じる「考えることの楽しさ」、あるいは「自身の考えを発表し受入れらる喜び」をより身近に体験できる分野なのかなと、私は感じましたね。


特に後者のような性質があるのであれば、歴史小説家と異なり「フィクション」であると明記・明言しない理由も分かります。

別段、オカルトや疑似科学をお勧めしているわけではありませんが、「考えることの楽しさ」を知るきっかけになればいいな~なんて思います(。・ω・)ノ゙

↓『いか飯』食べたくなった人はぽちっとな!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ↓

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