歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:考古学

2018ねん 10がつ 22にち(げつよーび、晴れ)

面倒くさがって使っていなかった加湿器を稼働させた。

効きそうな龍角散のど飴をなめてみた。

あとは長ネギとかニラとか風邪に効きそうな食材を食べてみようかな。

これ以上、体調を悪化させるわけにはいかないのだよ!( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースのテーマは、「世界最古の養殖」についてです!

これまで世界最古の魚の養殖は中国において、約4000年前に行われていたとする説があります。しかしながら具体的な証拠に乏しいことが問題でした。

そもそも養殖とは、生物を、その本体または副生成物を食品や工業製品などとして利用することを目的として、人工的に育てる産業です。 鑑賞や愛玩目的で育てる場合は含みません。

まぁ簡単に言えば、最終的に食べるために育てるってことですね。実際には例えば、サケの白子は主にDNAやプロタミンの抽出材料として利用され、核酸系調味料、強化剤、保存料、工業原料に利用される他、含まれるリン酸がレアアースの吸着を高めるため工業利用されています。

この場合食べてませんけど、利用してます。これも養殖に含まれます!ただ古代史においては気にしなくて良さそうなので、分かり易く、食べるために育てるのが養殖、アクアリウムみたいな観賞用は別!としましょう。

本来の養殖の定義としては生物全般が対象のようですが、一般的にはやはり魚介類や海藻などの水棲生物を想像しますよね。今回の場合は対象が魚ですので水産養殖の最古の事例になります。


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さて、3500年以上前のエジプトで水産養殖が行われていた可能性を指摘する研究成果が発表されました。現在のイスラエルにあたる地域の複数の遺跡から出土した魚の歯100個を調査し、それらがエジプト・シナイ半島の潟湖で養殖された魚であると推定したのです。

シナイ半島っていうのは紅海に突き出した半島ですね。最初に挙げた写真の通り、非常に美しい遠浅の海岸で、現在は一大リゾート地になっています。

シナイ半島の一帯ビザが不要で、リゾート地としてエジプト政府によって治安対策も十分になされているようで人気の観光スポットだそうです。

 


今回の分析対象となったのはタイの仲間でヨーロッパヘダイと呼ばれる魚です。ヨーロッパでは非常に一般的な白身魚で生食、蒸し焼き、オーブン焼きと様々な食べ方があるそうです。日本におけるタイのような高級魚とは扱い方が異なるようですね。

この魚の歯の標本は多量に集成されていて、新石器時代から初期イスラム時代に至るまでの約1万年に及ぶ組列が組まれているそうです。このタイムスケールを用いた結果、研究究対象となった標本の一部が約3500年前のものと同定できたとのことです。

気になる古代の水産養殖業の方法ですが、シナイ半島の潟湖で現在も用いられている手法と同じように、当時においても魚が入ってくる潟湖を見つけて、数か月間封鎖するという手法を用いていたと推測しているとのことです。


対象試料であるヨーロッパヘダイの歯に含まれる異なる種類の酸素同位体を調べた結果、これらの魚が閉鎖された潟湖の中で4か月間以上過ごしていた可能性が高いことが示されたそうです。

また古代エジプトでは約3500年前にすでに養殖した魚のサイズの規格化が行われており、エジプトから輸入された魚がすべて皿に合うサイズだったことを指摘し、現代の水産養殖で育てられた魚にみられることと全く同じであるとしています。

加えて、遺跡で見つかったヨーロッパヘダイの大半は、地元の漁ではなく、養殖によってもたらされたものだったことが推測されることから、当時のエジプトが水産養殖の大国だったことも考えられるとしているそうです。


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現在の日本のスーパーでも、魚や野菜のサイズって規格化されてますよね。特に野菜の場合は形が悪いものは売り物にならなかったり、特価で売ったりされる現状があります。

古代エジプトにおいてもそのように養殖魚の規格化があったとするなら凄いですよね……


恐らく追い込み漁か時期的な特性によってお魚がシナイ半島の浅瀬に寄ってきて、それを封鎖する。4か月後に漁労活動によって一気に取りまくる。すると自動的に毎年ほとんど同じサイズの魚が獲れる気もするのですけどね( -д-)ノ

もし養殖魚が年中捕れていたと判断できるのならば、小さな個体はリリースしていたでしょうからサイズの規格化が行われていたということになりますが、今後の研究の進展に期待します。対象試料の魚の歯は100点ですしね。


個人的には「皿に合うサイズ」というのが気になりますね。エジプト考古学では魚を載せる専用の皿が同定されていて、その皿が専業工人によってサイズ規格化の下、大量生産され、周辺遺跡においても同様の規格化が行われる、あるいは専用皿の搬出が行われていたのでしょうか……( -д-)ノ

少なくとも我が家では載せる魚のサイズや調理法に合わせて器を変えますけどね( ・Д・)

↓リゾート地でのんびりしたい人~?(。・ω・)ノ゙ホイホーイ!↓

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2018ねん 10がつ 21にち(にちよーび、晴れ)

最近、とにかくよく食べている気がする……

仕事が落ち着いたらちゃんとダイエットする。

筋トレもする!

バキバキになってやる~!( ・Д・)

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さて、今回の考古学・歴史ニュースの舞台はポルトガル!


ポルトガルの首都リスボン近海の海底でおよそ400年前にインドから香料などを積み込んできて沈没したと考えられる船体が発見されました。




発見された船体はおよそ水深12mの地点にあったそうですが、写真から分かるように海水の透明度が凄いですよね!


むしろ今までよく見つからなかったな~と思ってしまいます( -д-)ノ




発見された船内やその周辺からは、胡椒などのインド産スパイスや植民地時代に奴隷取引の際に使用された通貨の一種であるタカラガイ等が見つかったそうです。


このことから、考古学者チームはこの船がポルトガルとインドとの香料貿易が最盛期だった1575-1625年の間に沈没したものだろうと推測しているとのことです。 

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↑陶器片が確認できる……それにしても、もの凄い透明度だ!オオーw(*゚o゚*)w(「CNN.co.jp」の記事内画像より一部加工)



上の写真にも見られるように、中国製の陶磁器類が発見されています。陶磁器は明朝末期の皇帝、万暦帝の時代(第14代皇帝;在位1572年 - 1620年)に製作されたものと判定されているそうです。


スパイスが残るくらいに、船体自体も船内の積載物も保存状態が極めて良いそうで、下の写真に見られるようなポルトガルの紋章が入った青銅製の大砲も見つかっています。


またポルトガルの国旗が描かれている天球儀も見つかったそうです。



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↑船体を構成していた板材や大砲が残っている(「REUTERS」の記事内画像より一部加工)


遺物の保護の観点から、見つかった遺物類は全て取り上げられたそうです。そして今後この船に関してはさらにダイバーによる調査を続けるとともに当時の歴史史料を研究し、船の特定を目指すそうです。


専門家は長らく、今回の発見域である「タグス川河口周辺は沈没船の溜まり場」と考えていたとのことで、今回の発見によって続々と他の船が見つかることが期待できますね。




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今回の発見は、カスカイス市議会と海軍、ポルトガル政府、およびリスボン新大学の支援による10年来の考古学プロジェクトの一環だったそうです。


10年かかって、保存状態が極めて良好な船が一隻……海って広いな~って思いますね。そしてダイバー必要だから、調査にも膨大な費用がかかるでしょうしね( -д-)ノ




実際、当事者は「10年に一度の大発見」と述べているようですが……


そうすると「1000年に一度」って物凄いね!橋本環奈すごい!( ・Д・)


↓押してくれぃ!それ、押してくれぃ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓


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2018ねん 10がつ 20にち(どよーび、晴れ)

カラ咳が止まらない。

乾燥しているのだろうか。

もう秋というか……すでに寒い!

この前、「雪虫」見たしね!

も~そろ冬なのですね( -д-)ノ

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↑エルサレムの建設現場にて出土した古代の石柱、下部に文字が刻まれているのが見える(「AFP BB NEWS」の動画より加工・転載)


【目次】
  1. エルサレムの表記の昔と今について ~碑文入り石柱の発見~
  2. 日本の古代都市の名前の変化 ~日本の都市は2文字が多い?~
  3. 古代マヤ文明の都市名の昔と今について
  4. おわりに

1.エルサレムの表記の昔と今について ~碑文入り石柱の発見~

さて、今回の考古学・歴史ニュースは「エルサレムという表記が遥か昔から同じ!」ということです。

エルサレムと言えば、内紛等のニュースで何だかおっかないところというイメージがありますが、他方で「イスラム教」、「キリスト教」、「ユダヤ教」という世界的な3つの宗教の聖地としても有名です。

そのため都市が有する歴史は非常に深く、多数の聖地巡礼者が訪れるだけではなく、観光地としても人気があります。……ちなみに「エルサレム症候群」ってご存知でしょうか?

 エルサレムを訪問することで引き起こされる、宗教を題材とする強迫的思考、妄想、その他の精神病的体験の発症を伴う一連の心理現象のこと(from wiki)。

世の中、本当に色々な物事があるなぁと感心します。まぁ私自身もとあるホラー映画をきっかけにしてその存在を知ったのですが( ・Д・)


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話を戻しますと、エルサレムの建設現場にて、現代ヘブライ語と同じつづりで「エルサレム」と刻まれた約2000年前の石柱が出土しました。それが上に挙げた写真になります。

この石柱は切り出してイスラエル博物館(Israel Museum)にて公開が開始されたそうです。石柱に刻まれた碑文にはヘブライ文字で書かれたアラム語で「エルサレムのドダロスの息子のハナニヤ(Hananiah son of Dodalos of Jerusalem)」と記されているとのことで、約2000年前にすでに現代と同じつづりが使われていたことを示しています。


西暦の1世紀に相当する第二神殿時代と呼ばれる時期に現代と同じ「Yerushalayim(イェルシャライム)」の発音で記されていることは珍しいそうです。


通常は宗教的または政治的な文脈で使われることが多いそうで、この碑文が重要なのはその内容が宗教的、救世主的またはプロパガンダ目的で使われているわけではなく、男性がこの都市の出身だと名乗っているだけの日常的なものであることだそうです。




この発見された石柱は元々、紀元前2世紀のエルサレム近郊の陶器村にあったそうです。村は現代のエルサレム市内にあり、2世紀初めごろにローマ軍第10軍団の作業場となり、陶器製の建材を作っていたとのこと。


碑文内に現れる「ハナニヤ」さんは芸術家または職人の名前で、石柱は作品の売り込みのために、公共建築の建材として寄付した可能性があるそうです。


また碑文内の「ドダロス」はおそらく、ギリシャ神話に登場する職人「ダイダロス(Daedalus)」の愛称だということで、この碑文だけでも色々なことが分かるものだなぁと感慨深く思いますね。


そのため今回出土した石柱の存在は、エルサレムが紀元前332年にアレキサンダー大王(Alexander the Great)によって征服された後、エルサレムに住むユダヤ人たちが数百年に渡り、建築の際にギリシャ様式を取り入れてきたことを示唆しているとのことです。



2.日本の古代都市の名前の変化 ~日本の都市は2文字が多い?~

さて、そもそも古代の都市名が昔と今が同じというのはそれほど珍しいことなのでしょうか?

日本の事例で見てみますと、現在の日本の地名は漢字2文字による表記である場合が非常に多いことが分かります。

例えば都道府県では、北海道、神奈川、和歌山、鹿児島以外はすべて漢字2文字による表記です。これはなぜなのか。



それは古代の日本の地名の文字数には規定がなかったが、西暦713(和銅6)年、律令政府は「好字二字化令」と呼ばれる決まりを広め、諸国の郡名、里名を漢字2文字に揃えたのです。

この時期の日本は大陸の大国である唐を手本にして政治を行っていたため、地名についても唐に倣った結果なのです。こうして10世紀初頭に成立した『和名類聚抄』によれば薩摩国の鹿児島郡を除いて全て2文字に揃えられているのです。

このような国の御触れのせい、という事例は少ないかも知れませんが、都市の名前と言うのは長い年月の中で変わっていくものなのですね。まぁより簡単な例を出せば、江戸から東京になったような感じです( -д-)ノ

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3.古代マヤ文明の都市名の昔と今について

長くなりましたが、最後に古代マヤ文明の事例を簡単に紹介しますね。

古代マヤ文明では古典期(西暦250-1000)に多くの都市国家が林立し、石碑に王の個人史や王朝史、国家間の戦争や儀礼に関する内容が刻まれました。

この時、都市あるいは支配領域の名前が表現されることが分かっています。それが「紋章文字」です。

ちなみにジョイス・マーカスの研究(Marcus 1976)ではマヤ都市は4つにランク分けされていて、紋章文字を中心として石碑から都市間の主従関係が分かると結論付けました。

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上に挙げた図のように、数多くの紋章文字が存在しているわけですが、聞きなれない音感の名前がありますよね?

アルトゥン・ハとかイツァンとか……こういう名前の都市はマヤ語由来の名称です。ただし多くが16世紀以降のスペイン征服期、あるいはそれより新しい時期に付けられた名称になりますので、古典期マヤにおける当時の名称とは異なる場合が多々見られます。

一方でアルタール・デ・ダクリフィシオスとかカラコル、エル・ペルーといったスペイン語の名称は明らかに新しく命名されたもので、当然、古典期における都市の名称とは異なります。

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古典期マヤ、特に中部低地域で最も有名かつ有力な都市であった「ティカル」について書かれた碑文が上の画像になります。

この中で紋章文字は右下の1文字になりまして、読み方は「ムタル(ムトゥル、ヤシュ・ムタル)」となります。


紋章文字の発見によって、現在の都市遺跡名と当時の名称が同じであったことが判明した事例もありますが、実際にはほとんどがやはり異なる名称が使われていたことが分かっています。

やはり古代の都市名が昔も今も一緒というのは珍しいことなのですね( -д-)ノ


4.おわりに

おまけも含めるとなんだか長い記事になってしまいました……が、いかがでしたでしょうか。

調査等々で様々なところに赴く機会がありますが、郷土史家の方あるいは郷土史研究会に入っているといった郷土史が大好きな方にお会いすることが多々あります。

お話を聞いていると、やはり村や町の名前の変遷についてよく聞くわけです。「ここは旧~村で……」のような感じですね。

旅行や帰省の際には是非、郷土資料館等に立ち寄ってみて、地名や市町村名の変化について気にしてみるといいかも知れませんね。それも一つの歴史ですから(*・ω・)ノ

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2018ねん 10がつ 20にち(どよーび、晴れ)

素敵ボディとは言わないものの

健康のためにも身体の管理はしたい。

ダイエットする⇒それなりに辛くてややストレス

仕事が忙しい⇒遅くまで起きてるし、ストレスで食べる⇒運動不足&太る

……うーん、世の中世知辛いぜ( -д-)ノ

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さて、今回のテーマはまたもやとても胡散臭いタイトルである如何にしてブログの収益を増やすか!?』の第2弾です!

先日、開始したばかりの「歩けマヤ、中国語版」ですけども、思った以上に早くグーグルアドセンス審査を通過したのでその報告となります。



さて、半年くらい前に当サイトがグーグルアドセンス審査を通過した際に下記の記事を書きました。


グーグルアドセンスの審査内容や条件は非公開なので、自分の経験から必要条件を見出して紹介したわけです。ブログを新たに始めようと思っている方など、詳しくは上記記事をご参照ください。



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先に述べた記事(2018年5月段階)では以下のように、審査を通過するための条件を絞り込みました。
  1. グーグルアドセンスのプログラムポリシーに違反しない(禁止事項に触れない)。
  2. 記事数を30以上にする
  3. 記事のタイトル、内容、文字数に気を付ける



今回の「収益をさくっと上げる!」の場合は、既に審査が通っているサイトの「記事」を、内容的にはコピペしているので①と③に関しては問題ないわけです。経験から真っ先にプログラムポリシー(一般的にはサイトポリシー)について記事にしてますしね。

その結果ですね、なんとグーグルアドセンス審査の通過に要した時間は2日(体感で48時間程度)でした!

その時の記事数は8本になります。古い順から翻訳していたので、最初期の短文記事や内容の薄いものが半数だったと思います。

にも関わらず、グーグルアドセンス審査をパスしたわけです。ちょうど一か月前程度(2018年9月辺り?)にグーグルアドセンス審査が厳しくなったとの記事を見つけたことがあります。

その真偽は、今回のケースからは判定できませんが、恐らく大きく変わっていないのだと思います。

やはりプログラムポリシーを守ること、グーグルアドセンスが指定する禁止事項に抵触しないことが最重要なのでしょう。

また今回のケースはサブドメインとして中国語版サイトを作っているので審査が早かったのかも知れません。



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具体的には、

サブドメインの認証に1時間、

グーグルアドセンスが中国語版サイトを、本家サイトのグループとして認証されるのに1日(晩に申請を行い、翌日昼には認証された)、

グーグルアドセンス内で中国語版サイト用に作った広告ユニットが「新規」⇒「アクティブ」に変わるのに1日(晩に申請を行い、翌日昼には認証された)かかりました。




とまぁ、およそ2日間で全ての認証を終え、広告表示されるようになったわけです。

どうでしょうか、これだけでも「収益を比較的簡単に上げる方法」として上手く機能しているかなと思います。

記事を最初から作る必要もなく、コピペで画像や転載元のURLを記憶する必要もないので、かなり労力を削減できますし、これまでのノウハウからグーグルアドセンス審査も軽々パス!

前回述べたように、YouTuberのテクニックとして紹介されていたものですが、ブログでも活用できるように思えます。

実際、中国語版サイトにどれだけの人が来ているのか、どれだけの収益があるのか、日本語版におけるブログ成長率と比較した際にどう違うのか、その辺りはまた次の月初めに報告しますね(*・ω・)ノ



ま、とりあえずは……グーグルアドセンス審査の通過、おめでたいっ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

↓中国語版の審査パス記念にぽちっとな!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ!↓

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2018ねん 10がつ 19にち(きんよーび、雨)

週末更新のつもりがここ数日は頑張っている。

ライブドアブログランキングも一時的に☆2になった。

ありがたいことだ!

三日坊主にならないようにしよう。

うむ、一週間坊主になりたい( -д-)ノ

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今回紹介する考古学・歴史ニュースは、「カナダ考古学、アメリカ先住民スコ―ミッシュ族の儀礼用の石製碗がう〇こっぽい!」です( -д-)ノ

たまたまそう見えてしまった!というだけで、当該記事に関するカナダ考古学やアメリカ先住民、スコ―ミッシュ族等々に対して全く悪気はないのでご容赦下さいヽ(TдT)ノ

さて、カナダ考古学はもちろんですが、そもそもカナダの地理に疎いので地図を用意しました。

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さて、今回のテーマに関する発見は、カナダのブリティッシュコロンビア州に所在する「スコ―ミッシュ(Squamish)」が舞台です。

上図に示したようにスコ―ミッシュは同州で最大の港湾都市バンクーバーの北方の山地に位置します。ちなみにバンクーバーの地名は18世紀後半、カナダ西海岸地域の測量を行ったイギリスの探検家、ジョージ・バンクーバーに由来するそうです。

この地域はスコ―ミッシュ-リロエット地域として知られ、南部のスコーミッシュ川周辺は伝統的にスコーミッシュ族の地域であり、北部はリロエット族の地域です。


写真からも分かるように、スコ―ミッシュは大自然を満喫できる観光スポットとして有名なのだそうです。ほんと綺麗ですよね~(まぁ私は高い所ダメなので行っても楽しめないかも知れないですが( -д-)ノ)

さて、スコ―ミッシュ族とはどのような人々かですが、

そもそもアメリカ大陸における先住民の総称であるアメリカンインディアンは非常に多くの部族に分かれています。カナダだけでも197部族が登録されています。

その中でスコ―ミッシュ族は北西海岸インディアンに分類されており、古くより独自の紋章を持たず、またトーテムポールも建造しないという特徴を有します。

一方で、独自の伝統的な彫刻技術によって写実的な木彫りの動物や人型のウェルカムポールを製作したことで有名です。

今回の記事のテーマに関する発見物は、彼らスコ―ミッシュ族が約1600年前に使用していた儀礼用の石製の碗なのです。

↓↓↓それがこれ!↓↓↓



この遺物、洗い立てなんですよね。しかも泥がまだ付着していて洗いが不十分です。恐らく出土して、すぐにその場でささっと洗って撮影したものなのでしょう。

なのでとても新鮮な「とぐろう〇こ」に見え……ました、ごめんなさい。まぁもしそうなら素手で掴んで写真撮ってる方は凄いですよね( ・Д・)

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このスコーミッシュ族が使用していたと考えられる古代の石鉢は火山岩を加工して製作されたものです。同形態の石鉢はカリフォルニア州とアメリカ南西部における初期の先住民文化において非常に類似したものが出土しています。こういった形態の石鉢は伝統的な儀礼行為と密接に結びついているようです。

その儀礼行為とは、スコーミッシュ川にサーモン(鮭)が遡上することを予知(経験的予測か?)して、その予言そのものや、鮭の遡上、そして豊漁に対して敬意を表する古代の儀式の一部であったとのことです。

この石製碗は単純な碗形態ではなく、動物を表象している場合があり、フクロウをデザインしていたようです。フクロウは空の生態系における頂点ですから、世界的に見ても「強者」、「知恵者」、「夜の支配者」などといった象徴的な意味合いを以て、様々な物質文化に現れます。

この石鉢の場合はかなりデフォルメ化されているようですが、正面には丸い顔、後ろには2つの羽と尾の羽があるように見えるそうです。 写実的に製作されているのではなく、フクロウ(あるいは他種の鳥類)の要素が表現されているようですね。

このような石製の碗は、スコ―ミッシュ川沿いの主要な漁場で出土するとのことで、およそ2000年前にはすでに何百人もの人口を有する集落がかつてこの川岸沿いに点在していただろうと推測されています。

スコ―ミッシュ族との関連を示唆する最古の考古学的文化は同地域にて少なくともおよそ9000年前に遡るだそうで、そのような痕跡の残る遺跡からは当時のゴミ捨て場(貝塚に類する遺構)において広範囲の哺乳類や魚の骨だけでなく、多くの狩猟・漁労用の矢頭や切削工具が出土しているとのことです。

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カナダの誇る大自然の中でキャンプしながらの発掘調査……あこがれるな~(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

……もし参加する場合は、周辺での「野〇」は禁止ですね。間違って掘り出して、嬉々として写真を撮ってしまいそうなのでヽ(TдT)ノ

↓「う〇こ」に見えた人は正直に言うように( -д-)ノ↓

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