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あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:船

2021ねん 1がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

なんか最近心の声が外に漏れる( ・Д・)

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今回の考古学・歴史ニュースは海賊のお墓は陸(おか)にあるぜ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台はノルウェー、ハルデンです。

この地では道路の傍に丘があり、そこをレーダー探査したところ、墳丘であることが分かりました。

レーダー探査で船葬墓の存在が明らかになったのは2018年で、その時に記事を書いてます.

未読の方、あるいは忘れてしまった方は併せてご一読下さい(。・ω・)ノ゙


↓this is it !ヾ(´ω`=´ω`)ノ

↑こんな風に映るのね~ってレーダー画像が興味深いよ(*^・ェ・)ノ


さて、今回の記事は現在時点(2021年1月末)までに発掘調査が進んで、お墓として(?)埋められた船の全体像が分かったよ、というそれだけのニュースです。

「それだけ」のことですが、発見から3年が経過し、精緻な考古学調査がいかに時間のかかる、根気のいる作業なんだなと思って頂けると幸いです(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

前記事にも書きましたが、ノルウェーにおけるバイキング船(ロングシップ)の発見例はこらまでに3例のみなので、この発見は4例目としてとても重要なものになります。

それに加え、最後のロングシップの発見からなんと100年も経っており、世紀の発見と言っても良いくらいレアな発見なのですΣ(・ω・ノ)ノ




さて、上に挙げたのが発掘調査によって姿を現したバイキング船です。

全長は約20mで木造です。

全体的に腐食が進んでいるそうで、発掘作業自体困難な作業です。

更に、木製品などのレアな遺物は、そもそも土中で奇跡的な保存状態を保ってきたわけです。

なので埋没中がある種の理想的な環境だったわけで、外気に触れると一気に状態が悪くなります。

そのためここからは一気に掘り進めて様々な考古学情報を入手・記録して、遺物の取り上げが行われることでしょう。

なので早い段階で続報が聞けそうですね!(*・ω・)ノ




さて、これが紹介したい写真です!

もしこれが記録用の写真ならば、「遺物の左に見える植物を排除しろよ」と思ってしまいますが、スナップ写真だと植物の緑が映えて途端に素敵な写真になりますね.。゚+.(・∀・)゚+.゚

この遺物は船に使われた鉄製の鋲(びょう)です。

それ自体、別に何とも思わないのですが、、、( -д-)ノ

見て欲しいのは鋲の上方の地面に刺さっている海賊旗!

考古学調査において、小さな遺物などは行方不明になってしまうこともあります。

でも全体の遺物の出土位置の関係を図化したい等の目的のために、遺物の取り上げを保留することがあります。

この鋲も小さいですし、錆びていて土の色と紛らわしいので無くしてしまいそうでしょ?

なので竹串などを傍に刺して、「ここに遺物あるよ!」っていう目印にしておくのです。

その目印である竹串の代わりに、ここでは調査対象遺構がバイキングの船葬墓であることから、海賊旗が刺さっているのです。

この遊び心というか茶目っ気がいいですよねヾ(´ω`=´ω`)ノ

私のいた研究室が日本でも異常な方だとは思いますが、上下関係は絶対的だし、調査自体が軍隊の徴兵か強制労働みたいな環境でしたから、、、

こんなことやったら殺されますね、ほんとに( ・Д・)

そんな地獄経験を反面教師に、私の調査では明るく和気あいあいとした環境作りを徹底しております( -д-)ノ

遊び心大事!それすなわち心の余裕!( ・Д・)



↑エジプトでも船を副葬していたよ!( ・Д・)


おわりに

さて、船葬墓として今回の記事を紹介しています。

しかしながら一口に船葬墓と言っても、船自体が木棺の役割を果たしている場合もあれば、副葬品として埋められている場合もあるのです。

今回はまだ被葬者に関する情報や、副葬品に関する情報がありません。

これだけ船の全体像が分かっていて人骨や副葬品が出ていないのならば、後者の可能性が高いのかも知れませんね。

であれば、被葬者と船以外の副葬品が埋められたポイントは近くの別の地点なのでしょう。

何はともあれ、続報が気になりますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


・・・・・・さて、世界的に見て船葬墓はバイキングのものがほとんどです。

一方で、上に過去記事を挙げたように、古代エジプトでも類例が報告されています。

ちなみに日本でも船がお墓から出てきた事例があるようですね。

それはまたの機会に記事にするとして、、、

最後に一言、

遊び心を常に持って生きていきたいね!( ・Д・)



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2020ねん 8がつ 16にち(にちよーび、晴れ)

もし一か月間、毎日記事投稿チャレンジとかしたらいい感じになるかい!?( ・Д・)


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今回の考古学・歴史ニュースは「元寇船見つかってるけど、壊れるからとりあえずいかりを揚げてみたってさ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



ちょうどちょっと前に元寇の際に沈んだ船が見つかったって記事を書いたと思いますが、今回はその続きみたいなものです。

なので、元寇の説明は省きますね( -д-)ノ



せめてwiki情報貼っておきます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!(ほんの一部、管理人が加筆修正)

日本の鎌倉時代中期に、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国(元朝)およびその属国である高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。

1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。

別名、蒙古襲来とも言う。

特に2度目の弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、当時世界最大規模の艦隊であった。
(wikipediaより転載;一部、筆者加筆修正)



↓まぁここでも教科書程度のさっくりとした説明だけどね( ・Д・)


↑まぁ黙ってぽちっと押しときなよ(*^・ェ・)ノほれ、ぽちっとな(*^・ェ・)ノ



さて、元寇船の発見があったのは長崎県の鷹島(たかしま)です。



珍しいことにこの水中遺跡をそのまま遺跡登録したそうで「高島神崎遺跡(たかしまこうざきいせき)」と名付けられました。

水中にある遺跡で国指定史跡となったのはここが初めてだそうです.。゚+.(・∀・)゚+.゚




最初に挙げた写真が「鷹島2号沈没船」と名付けられた船の船首部分に当たるそうです。

2号というだけあって2011年と2014年に一隻ずつ発見され、現在も調査が続いているそうです。


arukemaya942
↑違う角度から見た船首(「産経WEST」の記事内画像より転載)







みなさん「ワンピース」見ます?

あの「海賊王に俺はなる」的なアレですよ。

まぁいずれ「考古学王に俺はなる」(大事なところなので無駄に強調しておきました( ・Д・))にせよ、ワンピースの中で『竜骨』出てくるんですが、、、

これ知ってると話は早いんですが、竜骨は「キール」とも呼ばれるもので船の底の中心線にあって、船首と船尾をつなぐ重要な木材の加工品です。




この竜骨が発見されてまして、その幅が50cm、長さ12mだそうです。

なので船全体の大きさは全長約25m程度あったのではないかと推測されているそうです。




さすがは当時最大規模の艦隊、船もデカいですわ!Σ(・ω・ノ)ノ




まぁその割に大した距離も移動せずに沈みましたけど。



(とか言ったら怒られるのかな?( ・Д・))


まぁゆうて、戦艦大和もさくっと沈みましたからね!


(自国ネタを自虐しておいて炎上回避の術、次は自国民を敵に回すのか( ・Д・)……ちなみに私は大和が好きだ!( -д-)ノ)。





……まぁあれですわ、、、

物理的に考えて、、、同じ素材でデカけりゃ重いし沈みやすい!普通ですわ!( ・Д・)





ところでこれみてください。

教科書とか資料集でよく見る蒙古襲来の絵巻ですけど、、、


(これも後世に加筆されているそうですね、

色濃い真ん中の闘うモンゴル兵(3人)。本当は意外に侍強くて、左側の元絵のようにモンゴル兵は逃げ腰だったのだとか……

勝った側が描いてるからそうなのか、実際そうであって艦隊本体が神風でやられてるから戦意喪失してたのか、、、どうなんでしょう(*^・ェ・)ノ)



……右上になんか爆発してるじゃないですか。

これ「てつはう」です。


習いましたよね?


私、覚えましたよ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ





で、これが本物のてつはう!


この歳でちょっと感動ですよ。

これ投げて、ぼかーん!ってなってたのね~って今再びリアルに思いますわ。



小学生くらいの時?、「てつはう」って何よ!??( ・Д・)

「てっぽう」の訛りじゃないんかいっ!( ・Д・)って思ってましたもの。




真面目な話に戻すと、X線の分析の結果、光と音による威嚇攻撃、つまり閃光弾のような役割ではなく、手りゅう弾の仲間だということが分かりました。

中に金属片とか陶器片が入っていてそれが炸裂して突き刺さるという殺傷能力があったようですΣ(・ω・ノ)ノ



それで、てつはうは金属製だから引き揚げて保存していますが、木材はそうはいきません。

外気に触れると腐りますから!

だから全部、海中の砂で埋め戻したそうです。



arukemaya944





ということで、せっかく発見した元寇船も引き揚げてしまうと腐ったり劣化してしまいます。


なので、上に挙げた写真に見られるような、船の「いかり」だけをとりあえず引き挙げて、展示してみて、いかにして保存・保管すれば良いのだろうということを実験することにしたそうなのです。



arukemaya947



おわりに

さて、そうして実験的に引き上げて、湿度や気温を調整して保存・展示しているのが、最後に挙げた写真のいかりになります。

さすがに大きいですね!ヾ(=^▽^=)ノ



考古屋さんとしてはどうしても「発見」が大好きなわけですが、

保存・活用のことを考えると保存科学の皆様のご協力、

また博物館の皆様のご支援が必要なことが多々あるなと再認識するようなニュースでした。




遺物を将来までしっかりと残すことが当然ながら人類の文化遺産の保護として必要でありますし、

我々研究者としても資料としてのオリジナルデータが損なわれることなく引き継がれることはとても大事なことですね(*・ω・)ノ




当記事執筆現在、このご時世(コロナ禍)ということもありますが、、、


皆さんもご助力の一環として是非、博物館に足を運んでみてください(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


……たまには真面目に終わるか!( ・Д・)

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2019ねん 4がつ 18にち(もくよーび、晴れ)

最近、一週間が早い。

片っ端から書類を書き上げないとあっという間に締切が来るヽ(TдT)ノ


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今回の考古学・歴史ニュースは『3800年前の古代エジプトでは船もお墓に埋葬したよ!』ってお話です(*・ω・)ノ

遺構の発見自体は1901年のことで、今から100年以上も前になります。

しかし発見当時の調査の際に、お墓の天井が崩れてしまったために発掘調査を中断したという経緯があります。

そして100年以上経った現在、高い技術と慎重な調査によって3800年前の船の墓が露わとなったわけです(・∀・)つ


↓船と言えば、こんな話題もありましたね(*・ω・)ノ
↑併せてどうぞ!(*^・ェ・)ノ


発見の場所はナイル川西岸に位置する古代エジプトの聖地アビドスです。

発見された「船の墓」は日干し煉瓦(アドベ)で造られていました。

この日干し煉瓦製の壁を白色塗料でコーティングし、その上から刻線によって、最初に挙げた写真に見られるような船の絵を描いています。

墓の規模は長軸20m、短軸4mと大きなものです。

その長大な壁面に描かれた船の数は120隻以上ということで、「大船団」を描いているようです。




発見された船の墓は古代エジプト第12王朝のセンウセレト3世(Senusret III)の王墓のすぐ隣に位置しています。


このセンウセレト3世は中王国の最盛期のファラオであり、船の墓は紀元前1840年頃に彼のために建造のものだと推測されています。


これまでにアドビス遺跡では5000年前に造られた14隻の木造船が発見されています。

どれも古王国時代、第1王朝時代の葬祭殿の外側に並んだ日干し煉瓦製の遺構で見つかっていることから、今回の発見は古代エジプトの最古の王朝まで遡る伝統であると考えられます。

 

「ギザの三大ピラミッド」で有名なピラミッドの建造はちょうどセンウセレト3世の頃までの風習で、その後は新王国時代のツタンカーメン王墓に代表されるような「王家の墓」にひっそりと隠されるように埋葬される習慣になります。 





ピラミッドも造り、自分の墓も造り、エジプトでは貴重な木材を多量に使って建造された船を殉葬させる辺りがセンウセレト3世の中王国の最盛期のファラオとしての権威の強さを象徴しています。

上に挙げた写真は新王国時代の王墓から出土した船の模型です。

センウセレト3世の王墓に伴う船のお墓には船の実物が埋葬されていましたが、盗掘にあって船が残っていないようです。

貴重な木材ですから盗掘に合うのも仕方ないのかも知れません。

だからひっそりと隠すように王墓を造るようになったのでしょうね。

安らかに眠っていたいですからねヽ(TдT)ノ


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古代の船って木製だし、普通はなかなか残らない遺物の部類に入ると思っています。

でもバイキングが船を棺にした話やら、水中考古学で発見された船の話やら、けっこう船に関係する話が世界的には見られるんだな~と最近分かってきました。

考古学の中には比較考古学という手法(研究法あるいは分野)もあります。

船に限った話ではありませんが、やはり色々な事例を知っておくことは調査や解釈などの際にいつか役に立つような気がしますね(*・ω・)ノ

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2019ねん 4がつ 16にち(かよーび、晴れ)

色々なものに手を出し過ぎているせいか、終わらん!

平成最後の気合いで頑張り抜きたい!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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arukemaya207


今回の考古学・歴史ニュースは『ノルウェーで、バイキング王の棺として船を地中に埋めちゃった墓が見つかったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

発見の舞台はノルウェーです。

首都であるオスロの近郊に走る「道路のすぐ近く」で見つかりました。

上に挙げた写真のように、調査グループは農作業に使うような小型トラクターの前方に地中探査レーダーを取り付けて走らせました。

トラクターの奥に見える小高い丘が墳丘であり、その周辺を探査したのです。




上の写真の黒っぽく見えている部分がレーダーで探査したエリアになります。

こう見ると本当に主要幹線道路のすぐ傍に位置しているのが分かります。

レーダー画像と航空写真(たぶんドローンの写真)を組み合わせた画像です。

右下の大きな赤丸部が、最初に挙げた写真にあった墳丘です。

中央部には他にも赤丸部がいくつかあってそれぞれがお墓です。

元々は塚状だったようですが、現在は現地表面が平らにされています。

一方で黄色の長方形部は建造物址です。

そしてちょうど中央付近にある赤丸部の中に緑色の木の葉形が見られる箇所が今回の重要な発見箇所です。
この赤丸部&木の葉状部分を拡大した地中レーダー画像がこちらです。

もうお気付きのように、木の葉状部分が埋められたバイキング船で全長は約20mです。

けっこう長い細長い船ですが、「ロングシップ」というそのままな感じの名称のバイキングの船だそうです。

船は現地表面から僅か61cm程度の位置に埋まっていることが分かりました。

農作業といった近現代の人間活動による攪乱で壊されずによく残ったなという印象ですね!(*・ω・)ノ

また地中探査レーダーのデータから、かなり保存状態が良さそうなことが分かっています。


発掘調査は破壊の側面もあります。


一度土から出してしまうと木製の遺物は一気に腐敗することもあります。


そのため船を取り出すような発掘調査はひとまず行わずに、レーダー等を用いた周辺の状況の記録を優先していくそうです。








さて、ノルウェーではこれまでに発見されている保存状態の良いバイキング船(ロングシップ)は3隻のみだそうです。

ですので、今回のはとてもレアな発見になります(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

見つかった船の帰属時期は不明ですが、その形態から恐らく1000年以上前のものと推定されています。

今後の調査で船を発掘調査し、船体に使われた材木を分析することでより正確な年代が判明するでしょうね。

今回発見された船はバイキングの王または女王の墓として使われたと考えられており、バイキング船を使った墓としては最大級だそうです。

20mもある船を海から引き揚げて、内陸部まで運んだわけですから、単純に豪華な棺を作るよりも大変だったかも知れません。

「海に生きる者として船と共に眠る」というのは、何だか現代の私達にとってもカッコイイな~と、往時のバイキング王の力強さを感じてしまいますねヾ(´ω`=´ω`)ノ

↓やっぱ一度は王墓を発掘してみたい!(*^・ェ・)ノ↓

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