2021ねん 1がつ 30にち(どよーび、雪)
ボーカルレッスン、思いの外楽しかった!(・∀・)つ
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今回の考古学・歴史ニュースは「1万年前の最古級の勾玉が出たよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
さて、今回の舞台は鹿児島県、種子島の長迫遺跡と二石遺跡です。
そう、鉄砲の伝来として有名なあの種子島が舞台ですヾ(´ω`=´ω`)ノ
そして今回何故、2つも遺跡名があるかというと、今回のお話は『最古級の装身具が1点出た!』ってだけではなく、『最古級の石製品が複数出た!』ってお話なのです(*・ω・)ノ
実際この2つの遺跡は種子島の東海岸の海岸段丘上に隣接して立地する遺跡なのですが、この両遺跡にて調査した際に複数の最古級の石製品が出土したのです(*・ω・)ノ
まずは長迫遺跡の方から!
ちなみに読み方は「ながさこ」です。
ところで、この事例はさほどでもないと個人的に思いますが、考古学における遺跡名って難読なものが結構あるものです。
特に海外考古の私としては、報告書のタイトル(遺跡名)が読めなくて検索が面倒だなと思うことが多々あります( -д-)ノ
さて、上に挙げた写真が同遺跡から出土した石製品のひとつになります。
この遺物は縄文時代早期に帰属する吉田式土器と共に同じ層位から出土したため、今からおよそ1万年前の最古級の石製品として判定されました。
ちなみに1枚目の「じゃがいも」みたいな遺物は10cmほどのサイズの砂岩製の石偶です。
全面に敲打痕(こうだこん;叩いた痕跡)が確認できたため、意図的に加工したものと推定されています。
左手前が頸部の如く少しくびれている印象を受けるので、頭部を造形しようとしたのかも知れませんね。
動物なのか人なのか、何を模したかまでは分かりませんが( -д-)ノ
島だし、海獣かな?(*^・ェ・)ノ
……考古学にちょいと詳しい方は本当に石偶?って思うかもしれませんね。
考古学者としてはレキ(石ころのこと)などに何かをぶつけたような痕跡があった場合、それが加工痕なのか使用痕なのかが気になるところです。
なんかちょっと握りやすそうなグリップ感あって、特定の箇所だけに痕跡が集中していたら使用痕の可能性が高いなと判定します。
今回の場合は全体的に痕跡が見られたため、この敲打痕は遺物を成形・整形するための処理の痕跡である加工痕と判定しています。
もちろん何かしらの道具を作るために全面を敲打しつつ未使用ないし、ほぼ未使用の場合、
あるいは道具(ツール)に加工しようと全体を叩いて成形してみたけど、やっぱ途中でや~めたって場合は、遺物自体に加工痕だけが残るけど遺物は本来道具あるいはその未成品なわけです。
この遺物に対して「石偶」としつつも、「用途不明」にしているのは、儀礼行為と関連して用途不明という意味だけではなく、
道具(ツール)である可能性も残して慎重な立場を取ってるのかな~なんて思ったりしますね(*^・ェ・)ノ
さて、こちらも長迫遺跡から出土したものです。
先ほどの石偶と同様の状況下で出土したため、この遺物も約1万年前のものと判定されています(*・ω・)ノ
こちらも全面に敲打痕が確認できるとのことですが、ぱっと見明らかに加工されて成形・整形されてますよね。
長軸が8.5cmでこちらも用途不明な石製品です(*・ω・)ノ
さて、、、真ん中辺りの右側に「穿孔痕らしきもの」が見られるのですが、、、
なんだろう、これ?( ・Д・)
がじった?(調査中に堀具で壊した?の意)( ・Д・)
【そんな気がする理由】
①写真で不鮮明な敲打痕について記載があるのに、これほど分かりやすい痕跡を穿孔痕と表記していないのは怪すぃ(´・ω・`)
②穿孔痕らしき箇所の内面が新しい割れ面に見える(´・ω・`)
【断定しない理由】
①マヤ遺跡の発掘調査ではミニピッケル状の堀具を使用するため、このがじり痕跡はよく見られる。しかし日本だと何で堀ったの?ってなるから(´・ω・`)
②私の心が優すぃから(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
・・・・・・エンピでがつっといったのか、移植でぶっ刺したのか、、、なんだろう、変なとこが気になりますね~。
縄文時代早期の包含層なんて下層だろうし、文化層だと思って掘ってれば有り得ないような気もするけど、、、
きっと、、、まさか何か出ると思ってなかったのかな?
真実は闇の中ですね( ・Д・)
↑これが勾玉の一部(「南日本新聞社」の記事内画像より転載;credit: 南日本新聞社)
さて、最後の1点が日本最古級の装身具です!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!
この遺物は二石遺跡で出土しました。
読み方は「ふたついし」遺跡です。
大きさは長軸1.7cm、短軸1cmです。
最初に挙げた見出し画像がカラフルな勾玉でしたが、何故かというとこの遺物も勾玉だからなのです。
ぱっと見ではちょっと変わった形態に思えますが、右半分が欠損しています。
右側の鋼尺の目盛り、79cm(?)辺りの高さを見ると、遺物の右側に半円形の穿孔部が見て取れます。
これが勾玉の穴の部分なのですヾ(´ω`=´ω`)ノ
この「勾玉形装身具」は上部に3本の切り込みが見られます。
写真だと不明瞭ですが、1筋は見て取れますね(*^・ェ・)ノ
ちなみにこの勾玉は「滑石」で出来ています。
この滑石は種子島では産出しないものなので、よそから持ち込まれたものということになります。
1万年前にもヒトの移動やモノの交換活動が活発だったことが伺える発見です。
そして、1万年前の最古の勾玉、、、完形品だったら国宝級だったかもしれませんね!Σ(・ω・ノ)ノ
おわりに
今回は種子島なので鹿児島県のお話でしたが、南九州一帯はこれまでにも古い時期の石製品の発見が集中している地域なのです。
そんな南九州でもこれまでの石製品や装身具は縄文早期後葉に帰属するもので、今からおよそ8000年前のものでした。
今回の勾玉は石製装身具としてはこれまでの最古記録を2000年も遡るもので、しかも勾玉の形態ものは同時期では類例がないため大発見ですヾ(´ω`=´ω`)ノ
『真実は土の中!』かな?( ・Д・)
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