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歩け、マヤ -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:調査速報

2020ねん 2がつ 20にち(すいよーび、晴れ)

3月~5月もガチ乾季に向けて、もうすでに暑くなり始めたよ。

体力奪われる~( ・Д・)


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だんご大発見
↑ようやく見つかった!(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


今回の考古学・歴史ニュースは「ティカル遺跡の一般住居址でお墓を見つけたよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

王墓や貴族の墓じゃないので大したことないかも知れませんが、個人的に人生初の墓の検出なのでテンション上がりました!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

さて、色々とあった第2週目ですが、成果の報告をしますね!

これまでの経過とかよく分からんよって人は是非前回の記事をまず初めにご覧ください( -д-)ノ


↓これです(*^・ェ・)ノ

↑ティカルの位置とか、ティカルにおける発掘区の位置についても説明しています(*^・ェ・)ノ


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↑発掘前の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


前回掘っていたのは『L字状の建造物グループ』の西側の住居です。

今回掘ったのはより大きな北側の住居、『建造物4F-20』です。

上に挙げたように掘る前はこんな感じで何の変哲もありません( -д-)ノ


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↑表土層を剥いだ時の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


でもちょっと掘り始めただけで、長い切り石が出てきました。

しかし写真の手前側に続かず、なんでかなと思ってました。



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↑倒壊した壁が見えます(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


少し深く掘ってみると、倒壊した壁らしきものがどんどん出てきました。

最初に見えてた奥の長い切り石はやはり壁の一番下の基礎部分であることが分かりました。

でもはやり写真手前側に続かない。

倒壊した壁の一部達も写真の手前側(東側)には見当たらないので、植物といっても主に大樹の根の影響で破壊されてしまったのかなとひとまず考えていました。

最終居住面である床面もはっきりしませんからね( -д-)ノ


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↑床面の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


どんどん掘っていくと前回の住居同様に複数の床面が見えてきました。

上層の方の床面は保存状態が悪く、不明瞭でした。

特に東側は。

上の写真は2番目の床面です。

1番目の床面よりはマシですが、非常にボロボロとした薄い漆喰層です。



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↑表土層近くから出てきた動物骨たち(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


そんな折に、骨が出てきました。

古代マヤ人が食べた動物骨ですね。

しかし上の写真で1点だけ新しい綺麗な骨ありますよね?

これは牛の肋骨です。

ネズミ等の小動物が齧った痕跡があるので、けっこう深い部分まで攪乱(土が遺物ごと混ぜられてしまっている状態)が見られるのだなと思ってました。

だから、「あ~、この住居はヤラレ(攪乱のこと)がひどいから、層位資料は期待できないな~」とか思ってたら……



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↑指の骨!(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


もう何も出ることもなく、最下層面である母岩面に辿り着いちゃうなヽ(TдT)ノ

って時に、骨がぽろぽろと出てきました。

しかし上の写真のように焼けているんですよ。

大体の骨がしっかりと焼けていて、すっかり炭化しているものも少なくなかったのです。

古典期(CE250-1000)のマヤ地域では土葬が一般的であり、火葬は後古典期(CE1000-1500)に一般的になるのです。

古代都市ティカルは古典期の終わりに放棄されていて、ティカルを中心とするマヤ地域中部低地の人々も次々と都市国家を放棄して南北に大移動します。

つまり後古典期のマヤ文化は時代も地域も大きく異なるです。

当然、火葬の文化の時間的位置や分布域も異なるわけです(TДT)

だから、『焼けている骨=食べるために焼いた=動物骨』って図式が頭の中にあって、動物骨の集中かなって思ってたら、、、

上の写真の通り、人の指の骨があったのです!!!(TДT)

(指の上に載せてるやつです。ちなみに一番手前の骨は歯)


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↑お墓の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)
 

お墓かも知れない!!?ということになり、テンションアゲアゲで掘り進んでいったら、上の写真のような状態になりました。

上の方の茶色いのが『頭蓋骨』です(*^・ェ・)ノ

で、下の方にあるのが『捧げもの』ですヾ(´ω`=´ω`)ノ

いや~嬉しいものですね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

最大の疑問は、なぜ古典期後期(CE500-900)に帰属する一般層マヤ人の住居に埋葬された人骨が焼けていたのか?

続く調査でおおよそ、その状況が解明されていきます。

第2週目のお墓に関する発掘の詳しい様子については下記のYouTubeに上げた動画を見て下さい。

調査5日目からが、お墓(?)の出た「建造物4F-20」に関する動画です。

↓面白そうなのはこの辺り(7日目)かな?(。・ω・)ノ゙
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↑他にも色々あるので見てみてくださいな(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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まぁYouTubeに挙げてる動画はただの『動画による記録』なので、帰国したら編集して少しはマシな動画を作りたいな~と思っています。

カメラの能力で画質も良くないですし、回線速度の問題でアップも大変ですが、ひとまず今回はこんな感じで頑張って行きます。

調査はまだ続きますので、是非、応援よろしくお願いします!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ

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2020ねん 2がつ 13にち(もくよーび、晴れ)

日本時間で日記書いてると混乱してくるので、現地時間に変更したよ( -д-)ノ


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↑建造物4F-19、3層上面の様子(
柳田康雄氏提供
「歩け、マヤ」管理人、撮影)


今回の考古学・歴史ニュースは「2020年度ティカル遺跡発掘調査、第1週目の成果をまとめるよ」ってお話です(*・ω・)ノ

「歩け、マヤ」では既に何度か紹介したことがあると思いますが、マヤ文明で最も重要な遺跡の一つであるティカル遺跡で発掘調査を実施しています。

ティカル遺跡はグアテマラ共和国の北部、ペテン県フローレス市にあります。

ティカル遺跡は、ティカル国立公園として世界複合遺産に登録されており、世界中から大勢の観光客が訪れる著名な大遺跡の一つです(*・ω・)ノ




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↑ティカル遺跡中心部の図(Carr and Hazard 1961のTikal Mapを加工)


上の3番目の図に示したように、紫色の四角部分が2016年に調査したエリアになります。

今回の調査エリアは赤色の四角部分です。

これまでにい古代マヤの土器焼成址(窯)は発見されていないのですが、それと思しき遺構を2017年の資料調査の際に検出しました。

それが赤色四角部分のすぐ東になります。

この古代の窯と思しき遺構に最寄りの一般層住居を発掘し、窯と思しき遺構との関係性について明らかにし、当該エリアが土器工人集団の工房エリアと言えるかどうかをチェックすることが今回の調査の主要な目的となります(・∀・)つ

国内最古級となる弥生時代後期(1~2世紀ごろ)のすずりが福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で見つかり、市教育委員会が1日、発表した。この遺跡は中国の史書「魏志倭人伝」に登場する「伊都国」の都とされ、邪馬台国時代の倭(わ)国(日本)が文字を用いて外交した裏づけとなる。

 出土したすずりは石製で、長さ6・0センチ、幅4・3センチ、厚さ6ミリの破片。薄く裏面の粗い加工など中国・漢代の板石すずりと特徴が一致し、復元すると長さ10~17センチのほぼ長方形とみられる。弥生土器や朝鮮半島製の楽浪(らくろう)系土器が集積した「土器だまり」で見つかった。弥生時代のすずりは田和山遺跡松江市)に続き国内2例目。

 中国や朝鮮半島に近いこの一帯は日本列島と海外をつなぐ外交窓口だった。倭人伝は、伊都国には女王卑弥呼が派遣したともいわれる役人や海外からの使いがおり、文書類も点検したと記す。市教委は、すずりは倭人伝の記述を裏づけ贈答品の返礼書作成など外交文書のやりとりが行われていた、とみる。

 西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「文字文化や外交文書行政の始まりを知る資料だ。先進文化は外交拠点のここに入り、国内に広がったのではないか。すずりの時期は(紀元前の)弥生中期にさかのぼる可能性もある」と話す。



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↑今回の調査エリアの拡大図(Carr and Hazard 1961の図を加工)


調査エリアの名称は『4F』です。

上に挙げた図がエリア4Fの拡大図になります。

「Op.~(オペレーション・ナンバー)」は窯と思しき遺構群の位置で、特にOp.14が重要な遺構になります。

このOp.14に近い住居として、青色の網掛け部分を調査対象にしています。

今回の調査対象である建造物グループは2つの建造物から成り、西側が建造物4F-19、北側が建造物4F-20になります。

調査第1週目はこの内の、『建造物4F-19』を対象に発掘を実施しました(*^・ェ・)ノ



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↑調査開始前の様子(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


調査開始前はこんな感じです。

ティカル国立公園で最も高級なホテルの裏手の従業員宿舎の更に裏に位置しています。

ホテルの拡大は禁止なのですが、実際には拡張しちゃってるので、いずれこの住居も無くなりそうですね( -д-)ノ



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↑石の列が見えます(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


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↑横から撮ってみました(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


地表面の土をどかしていくとすぐに石の列が出てきました。

2枚目の横から撮った写真が分かり易いのですが、一番左の一列は綺麗に直線的に並んでますよね。

それが住居の壁の一番下の切り石に当たります。

それより右にあるのは全て元々壁として上に積んであったもので、右側に倒壊した状態になっています(*^・ェ・)ノ



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↑倒れた壁をどかした状態(「歩け、マヤ」管理人、撮影)


一番下の礎石だけを残して、倒壊した壁を取り除きました。

そうすると上の写真のように一面真っ白になりました。

これが『床面』です。

漆喰でコーティングされているので白いのです。

これが最終居住面になり、出土した遺物から古典期後期(ac.CE500-800)から終末期(ac.CE800-1000)頃に使用されたものと考えられます


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↑(「歩け、マヤ」管理人、撮影)

どんどん掘っていくと2番目の床、3番目の床が出てきました。

上の写真の左側、壁の礎石の下側に階段状に、帯状に残してあるのがそれぞれの床面です。

第1週目ではこの先も掘り進めて、母岩である石灰岩層まで到達しています。


【簡単なまとめ】

第1週目の成果は、

① 3回の床面の張替えを行っていることが分かった。

② 建造物4F-19における居住時期は全体的に古典期後期(CE500-800)だと分かった。

以上の2点です。

遺物の分析が進めば、土器焼成址(窯)との関係も分かるかも知れませんが、残念ながらこれまでのところ分かり易い明瞭な土器生産の証拠は見つかっていませんヽ(TдT)ノ


↓動画もアップして解説してますので、ぽちっとチャンネル登録と共に是非視聴してみて下さい。











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一番下の動画、「くるくるシリーズ」は現地の人には大好評だったのですが、、、

実は『リコーシータV』がエラー起こして使えなくなりました。

よくあること(!?)らしく、問い合わせたところ、交換しないとダメらしいんですよねヽ(TдT)ノ

悲しいけど仕方ないので、また次の調査で「くるくるシリーズ」やりたいなと思いますヾ(´ω`=´ω`)ノ

ネット環境があまり良くないのでアップも難しいのですが、何とか頑張ります。

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