にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ

あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

タグ:邪馬台国

2023ねん 6がつ 14にち(すいよーび、やや雨)

寝ようと思ったのに微積やったら興奮して覚醒した、謎( ・Д・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今回の考古学・歴史ニュースは残念だったが、そんなもん!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


さて、今回の舞台は佐賀県、吉野ヶ里遺跡です。

なんだか記事でもニュースとしてもむちゃくちゃに連日報道していましたよね。




まぁ私は冷たい感じで、きっと出ないだろうなぁと思っていたのですが、、、

一般の人はやはり「邪馬台国」とか「謎のエリア」とか「有力者の墓」とかのキーワードでドキドキするのだなぁと思ったし、

『何かの発見』が考古学と一般の人々を結ぶ上でいかに重要かを思い知らされた気がします。

普段だったら発見至上主義的な考古学は嫌いなんですけどね( -д-)ノ





さてさて私があまり期待していなかった理由はいくつかあるのですが、、、


とりあえず神社があった「謎のエリア」で長軸3.2m、短軸1.7mの墓坑が見つかったとの報道がありました。

神社があったからこれまで掘れなかっただけなのに、「謎のエリア」とはさすがテレビは上手いなぁと思いましたね(*^・ェ・)ノ


で、墓坑は大きくて、最初に挙げた写真で分かるように蓋石も立派なので少し期待できるかなとはこの段階では思ってました。




蓋石を外したあとの写真が上のものですが、箱式石棺墓であることが分かり、赤色塗料が側壁に付着していたことから有力者の墓の可能性が高いと言われるようになりました。

だけど石棺内部のサイズが長軸180cm、短軸36cmということが分かり、あぁこれはなんだか怪しいなぁと感じ始めましたね( ・Д・)




まぁ結局、人骨は消失していて、しかも副葬品がまさかのゼロ!

ちょっとはあると思ってたのに、それだけは予想外でしたね(*^・ェ・)ノ






邪馬台国論争と言えば、地元愛が強すぎるのか様々な候補地がありますよね。

まぁ考古学的には畿内説と九州説が有力で、特に畿内説が最有力だと思います。





テレビは何かとオーバーなので「邪馬台国発見か?」みたいな見出しも平気で付けますが、まぁそんなことはないだろうなと思っていました。

というのも考古学は珍しいものを発見する仕事ではありません。

膨大に出てくる土器などをデータとして扱う、そうした地道に集めた各種のデータの積み重ねで解釈がなされる世界です。




だから今回の発見の一発で歴史が変わるとか日本の考古学界に激震が走るなんてことはまず起こりません。

あるとしたら、「ここ邪馬台国!」とか「私、卑弥呼様!」とか直接的な文字情報が刻まれた遺物が出土したら一撃ですけど、、、

そんなのロゼッタストーンが驚き過ぎて自ら爆散するくらいの奇跡ですよ( ・Д・)



確かに残念ではあったけれども、これを機に、邪馬台国に関する議論が考古学者やアマチュア考古学者の中で再燃したり、一般の方々が古代世界にロマンを感じて考古学というものの存在を再認識してくれるとありがたいなぁなんて思いますね。




↓邪馬台国関連だよヾ(´ω`=´ω`)ノ



↑邪馬台国関連だよ(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


おわりに

ん~、マヤ文明、ティカルの調査データを用いて史上初の数的考古学理論を構築中な私ですが、古墳時代への応用を少しやり始めたのですよ。

でも複雑でなかなかうまくいかず、縄文とか弥生から始めるかな~って思ってた矢先のこのニュースだったんですよね。



邪馬台国と関連付けているからには弥生時代後期でしょう。

それなら有力者の墓なら当然立派な副葬品が出てくれないと私の理論上「困る」んですけど!ヽ(TдT)ノ



骨も残ってないからどうしようもないけれど、子供の墓ってことで例外的に処理する他ないかな・・・

日本は遺跡の状況がマヤと全然違うけど、やっぱどこも面白いね、難しいけど。

うん、マヤ文明の方が考古学的にイージーな気がする・・・がんばろーっと(*^・ェ・)ノ



何はともあれ、

卑弥呼様~!( ・Д・)



↓マヤ遺跡の調査速報等をアップしてます!↓
↓登録者数、目指せ1000人!↓
↓逃避行動で実験考古学キャンプとかゲーム実況もやってるよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

2019ねん 4がつ 29にち(げつよーび、晴れ)

ゴールデンウイークの間に太る予感。

ここ2か月で痩せたのに元に戻りそう( ・Д・)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

arukemaya245
↑カエル、かわいい!カワ(・∀・)イイ!!(「情報速報ドットコム」の記事内画像より転載)


今日の考古学・歴史ニュースは『纏向遺跡で祭祀・儀礼に用いられたカエルの骨が見つかったよ!』というお話です(*・ω・)ノ

さて、今回の舞台は奈良県、桜井市に所在する纏向(まきむく)遺跡です。

ここは邪馬台国論争、畿内説で有名な3~4世紀の大規模集落跡です。

つまるところ『卑弥呼』が収めた邪馬台国だった蓋然性の高い遺跡なのです。

この時期には古代中国で霊力のある果物とされていた「桃」の種が多く出土する遺跡が多数見つかっており、纏向遺跡でも以前に多量のモモの種が検出されました。

このモモの種などが多数出土した土坑内部の掘り上げ土を詳細に調べたところ、カエルの骨が100点以上含まれていることが確認されたのです。


↓関係する記事のバックナンバーですヾ(´ω`=´ω`)ノ
↑併せてどうぞ(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。

邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している。
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から多数のカエルの骨が見つかり、分析の結果、3種12匹程度のものと判明した。多くが、祭祀(さいし)に使われたとみられる大量のモモの種や魚の骨などと同じ層(3世紀中ごろ)から出土し、「神への供え物にカエルが使われた」との見方が浮上している
arukemaya246


arukemaya247



arukemaya244
↑検出された依存体の一部と該当部位(
藤原弘
藤原弘
藤原弘
「毎日新聞」の記事内画像より転載; credit: 藤原弘)



この土坑は3世紀前半の大型建造物の傍に位置していることから、3世紀中頃までに作られたものと考えられています。

検出されたカエルの骨は全部で117点あり、ツチガエル(94点)、ナゴヤダルマガエル(13点)、ニホンアオガエル(10点)などと計12個体分の骨を確認しました。

それぞれのカエルの推定体長は4~7cmで同定された3種のカエルは現在の遺跡周辺では生息していません。

しかし奈良県にある同時期のもう一つの有名遺跡である唐古・鍵遺跡ではこの3種のカエルの骨が出土していることから、当時の奈良盆地には生息していたと推定されています。

上に挙げた写真に添えてある図面から分かるように、カエルの骨の表面にはたくさんの小さな傷があります。

この傷は人為的に付けられた可能性があります。

またカエルの骨の8割以上が土坑内のモモの種やその他の動植物、土器、木製品と同じ土層で見つかったことから、当時の祭祀・儀礼行為の一環として用いられ、埋められたものと考えられるそうです。

現代の我々にはカエルと神事は結び付かないようにも思えますが、奈良県の無形民俗文化財で、舞や歌などを奉納する「国栖奏(くずそう)」という吉野町の伝統行事では現在でも神前にカエルが供えられるそうです。

古代中国ではカエルも強い霊力を有した動物とされていたことから、モモと共にカエルが儀礼に用いられて神に捧げられたのでしょうね(・∀・)つ


↓読者登録しておくれ!( ・Д・)↓

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ