2024ねん 8がつ 8にち(もくよーび、晴れ)
毎日前進続けてはいるが、、、( ・Д・)
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今回の考古学・歴史ニュースは「鎌倉時代の”謎”の寺院が見つかったよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ
今回の舞台は神奈川県、鎌倉市です。
1180年(治承4年)、源頼朝が鎌倉の大倉に屋敷を構えます。
これが「大倉幕府」で1180~1225年の期間に用いられました。
所謂、鎌倉幕府は後に2回御所(政庁)の位置を少しずつ変えています。
それぞれが200~400m程度しか離れていないのでかなりの近距離ですが移動しています。
ちなみに「宇都宮辻子幕府(1225~1236年)」と「若宮大路幕府(1236~1333年)」です。
源頼朝の邸宅は鎌倉市雪ノ下に大倉御所跡としておおよその位置が分かっているのですが、そこから僅か300mの地点で”謎”の寺院跡が発見されました。
「謎」というのは文献史料に明確な記録がないという意味です。
文献にはないけれど、考古学的には確認できる寺院ということなのですが、、、
上に挙げた写真が「かわらけ」です。
平安時代から江戸時代まで使用された素焼きの土器で、通常は小皿のような小型の物ばかりです。
このかわらけは儀礼で多量に使い捨てられる酒器で、今回のケースでは200点以上がまとめて廃棄されている様子が確認されました。
土器などのその他の遺物や出土状況から鎌倉時代から室町時代にかけて存在していた寺院跡と推定されています。
アトランティスのような文献(?)には現れるけど考古学的には確認できない、、、
文献には現れないけれど考古学的には確認できる、、、
皆さんはどっちにより浪漫を感じますか?( ・Д・)
・・・私は運任せのトレジャーハンター的な調査はしたくないのでやっぱり後者かな( -д-)ノ
おわりに
上に挙げた写真は器高30cm程度の壺の底部破片で、「十綱」の墨書が残っている資料です。
当時の日宋貿易の拠点である博多に暮らした宋商人は「綱首」と呼ばれていたそうです。
なので「綱」というサインで、自分の積荷であることを示したそうです。
底部に書くだなんて、壺は横積みだったんでしょうかね?
こうしたサインは拠点である博多では多数確認されていますが、鎌倉で見つかったのは初めてのこと。
大陸の商品がはるばる鎌倉まで流通していたことを裏付ける発見となりました。
いやぁ色んな意味で面白い、レアな発見だな~って思いますね(*・ω・)ノ
何はともあれ、
やぱみんな”謎”の響きが好きだね!(多用しようかな)( ・Д・)
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