2018ねん 7がつ 25にち(すいよーび、晴れ)

昨日は元気いっぱいに働いた。

今日はそうでもない。

暑いのだ。

さて、陽も落ちてきてやや涼しくなってきたことだし、

頑張りますかーい!(。・ω・)ノ゙

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今回紹介するのは、16世紀に北米大陸で起こった集団失踪についてです。「ロアノーク島集団失踪事件」として有名なものです。一種の神話的な存在として現在まで400年もの間語り継がれ、現在でもロアノーク島では屋外劇場の演し物として多くの観光客を集めています。

劇のタイトルは『失われた植民地』、アメリカで2番目に長く続いている劇です。そしてこの一大ミステリーを、今世紀に入っても尚、多くの考古学者、歴史家、科学者らが解決しようと試みています。

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上に挙げた2枚の地図から分かるように、舞台は現在のアメリカ合衆国、ノースカロライナ州にあるロアノーク島です。ちっちゃい島です。近くにアリゲーターって名前の土地や、アリゲーター川とかあって、なんだか当時は恐ろしい川だったんだろうなぁって思います。

最初に挙げた古い地図を見てみると、ロアノーク島周辺の内海は静かな様子で漁業を営んでいる状況が表現されている一方で、外海は波が激しく、沈んだ船が複数描かれています。

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さて、英国人であるウォルター・ローリーは1584年にエリザベス1世より北米大陸に植民地を築く特許を与えられました。そして翌年1585年と1587年に彼は北米大陸で最初の人開拓地を設立しました。この内の一つであり、重要な拠点であったのがロアノーク植民地だったのです。

このロアノーク植民地の指揮官であるジョン・ホワイト総督は1585年から3年間、自ら率先して開拓に励んでいたものの、重大な食糧危機に遭います。そこでホワイト総督は一度英国に帰還し、物資の補給を行うことにしました。これが1587年です。

この時点で、男性90名、女性17名、子供9名の合計115名(先住民との争いにより1名死亡)が暮らしていました(なんだかバランスがひどく悪いですけどもΣ(・ω・ノ)ノ)。ホワイトは総督は必要物資を積み次第すぐに戻るつもりだったが、スペインとの戦争が勃発したため、帰還が遅れていました。

結局ホワイト総督がロアノーク島に帰ったのは3年後の1590年8月の夕方でした。英国船ホープウェル号から見えたのは、ロアノーク島から上る一筋の煙でした。船上にいたホワイト総督は入植地にまだ誰かいて、私たちの帰りを待っていてくれたと思ったそうです。

ところがホワイト総督らが上陸してみると誰もやってきませんでした。入植地内にも誰もおらず、代わりに木に刻まれた文字を見つけました。それは事前に決めていた約束事で、万が一「島を去るときには行き先を木か柱に刻んでいく」、さらに「緊急事態の場合には十字も彫っていく」というものでした。

 

「十字」など災難を意味するものは見つからなかったけれど、「CRO」刻まれた木と「CROATOAN」と刻まれた防御柵の一部の柱を見つけました。この防御柵はホワイトが発った3年前にはなかったものだったそうで、入植者たちが敵の襲来に備えていた可能性が指摘されています。


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↑樹に刻まれた「CROATOAN」の文字を発見した英国人たち(「NAVERまとめ」の記事内画像より転載)

ホワイト総督は物資と、植民地事業主であるウォルター・ローリーの意向によって、115名の入植者を捜索することができませんでした。そうして「失われた植民地」、「消えた115名」はひとつの歴史ミステリーとして400年もの間語り継がれてきたのです。


さて、クロアトアン(CROATOAN)とは、ロアノーク島の南にある細長い島と、そこに住む先住民の両方を指すとのことです。クロアトアン族はカロライナ・アルゴンキン語を話し、英国からの入植者と良好な関係を築いていたようです。


この「ロアノーク島の南にある細長い島(クロアトアン島)」というのが曲者で現在の地図上では確認できませんでした。地名が異なるんですよね。なので古地図を紹介している画像あったので紹介します。


真ん中あたりに「人物」が描かれていて、その下に「クロアトン(Croaton Land)」って書いてますよね。あと左下に「クロアトアン(Croatoan)」と「クロアトアン村(Croatoan Villages)」って書いてますね。この後者の方が実際にロアノーク島の南に位置する細長い島なので、クロアトアン島なのでしょう。

しかしながら「CRO」の謎と、私が思うに似た地名の「クロアトン(Croaton Land)」が気になります。このクロアトンは現在の「アリゲーターリバー国立野生動物保護区」になっていて、半島状の地形の台地です(途中に挙げたグーグルマップを参照下さい)。

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このロアノーク島のミステリーは様々な人々によってその答えを、消えた彼らの行方を探求されてきたわけですが、2011年にノースカロライナ大学の経済学の教授が(彼はこのミステリーが幼少期から大好きだった)、ホワイトが描いた地図の復刻版を眺めていて2カ所に小さな紙片が原画の上から貼られていることに気付きました。

 

彼は大英博物館に要請し、原画に光を当ててみたところ、「砦を意味する星形」が1カ所の紙片の下から浮かび上がってきたのです!


意外だったのはその場所であり、ロアノーク島やクロアトアン島ではなく、80キロほど離れたアルベマール湾の西端に面する陸地でした。実際にホワイト総督の記述の中に、入植者たちがロアノーク島から西に約80キロ離れた本土に移転を計画していたというものがあり、これが地図の星の位置と一致するのです。


さらに紙片を詳しく調べると、尿をインク代わりにして描いたのか砦の輪郭がほとんど見えないほどの薄さで描かれていることが判明しました。つまり紙片は何らかの誤りを修正するというより、知られてはいけないことを隠す意図で貼られた可能性が指摘されています。


この砦の地点、「サイトX」の調査は近年開始されたとのことで、新しい発見に期待できそうです!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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↑ホワイトの古地図に貼られた紙片とその下部に隠された砦を意味する星形状マーク(「UBIQUE」の記事内画像より転載)


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↑現在の地図で見た各ポイントの位置関係(「Google マップ」の該当位置の画像を一部加工)

さて、どうでしょう。古地図の段階と現在の地図はかなり変わってますよね。方角を揃えたとしても、かなりの認識差があることが分かります。

右の赤ポイントがロアノーク島で、本当の「クロアトアン島」は南にありまして、この図には載っていません。ロアノーク島の左の紫丸部分が「クロアトン・ランド」と記載されていたもので、現在は太いアリゲーター川によって半島状に見えますけど、古地図の段階では本土として捉えられていたようですよね。

左のオレンジ丸部分が「砦」の位置になります。こう見てみると、木に刻まれた「CROATOAN」ってミスなんじゃないかなって思いますけどね。本土の「COROATON」に行くつもりで書いたけど、似過ぎててミスしたのかなって……あっちの人のスペルって母国語なのにめちゃくちゃだしあり得るかなって……入植者たちって裕福な家庭でもないですし、教養レベルは低いと思われますし( ・Д・)

ただ古地図段階での実際の地理に対して認識差がかなりあります。100人以上を乗せる船あるいはたくさんの船があったようにも思えないし、陸路だときっと道に迷う上に先住民の方々とのバトルもあるでしょう。果たして無事に辿り着き、砦を造ることができたのでしょうか。

できたなら、もっと早くにその痕跡が見つかっていてもいいようなものだと思いますけど、まぁ調査に期待しましょう!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

あ、ちなみに1998年に、「クロアトアン島(本当の方)」で発掘調査があって、当時の指輪や金貨が見つかったそうです。その内の指輪は検証の結果、入植者の一人、マスター・ケンドールの所有物だった可能性が高いと結論づけたのです。

この指輪の出土状況が不明なのが問題なんですけども、彼がそこで死んだのか、どこかで殺された何かで物品だけ持ち込まれたのか、よく分かりません。入植者1人が、先住民との争いで殺害されるという事件もあったそうですから、基本的に良好な関係を築いていたとは言え、本当に安全だったわけではないのでしょう。

さて、食糧難の中、115名という多くの人が遥か遠くまで砦を造りに行ったのでしょうか。ほんとにどこに行ってしまったのでしょうね~(´・ω・`) 久々に心からワクワクするストーリーで、今後の展開が本当に楽しみです(。・ω・)ノ゙

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