あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    青銅器時代

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    2025ねん 12がつ 25にち(もくよーび、くもり)

    昨晩飲み過ぎて胃腸にダメージ入ってるぜ!メリークリスマス!( ・Д・)

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    今回の考古学・歴史ニュースはスコットランドで、3300年前の集団火葬遺体を発見!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    ……いや、集団? しかも 火葬された遺体が、まとめて壺に入っている って、情報量が多すぎる。

    戦争?疫病?それとも事故?あるいは、私たちが想像もしていない “死の扱い方” が、そこにあったのか。今回の発見は、スコットランドの青銅器時代社会を一気に“ミステリー側”へ引きずり込むタイプのニュースです。しかも、遺体は少なくとも 8人分


    一人や二人じゃない。「まとめて」なんです。今日はこの、「静かに、しかし異様な死の風景」を、「あるけまや」視点でじっくり覗いてみましょう。



    🗺️ 発見されたのはどこ?舞台はスコットランド南部の青銅器時代遺跡

    発見現場は、**スコットランド**南部。
    道路建設やインフラ整備に先立つ調査の中で、考古学者たちが異変に気づきました。

    地中から現れたのは、複数の土器(埋葬用の壺)
    そしてその中には、焼かれた人骨が詰め込まれていた。

    年代はおよそ 3300年前(紀元前1300年ごろ)
    スコットランドがまだ文字を持たず、金属文化と共同体がゆっくりと成熟していく、青銅器時代の終盤です。



    🏺 壺の中に何が入っていた?──少なくとも8人分の火葬遺体

    調査の結果、壺の中から確認された人骨は、最低でも8人分
    しかも、

    • 年齢も

    • 性別も

    • 体格も

    完全には一致しない可能性がある。

    つまりこれは、「一族の墓」というより、
    “ある出来事”を共有した人びとの集まり だった可能性が高い。

    ポイントはここ👇

    • 同じ時期に死亡した可能性

    • 同じ場所で火葬された痕跡

    • 同じ壺(またはごく近接した壺)にまとめられている

    偶然とは思いにくい構造です。




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    ↑ごちゃごちゃ入ってるね!( ・Д・)(「Live Science Plus」の記事内画像より転載)


    🔥 なぜ“まとめて火葬”されたのか?考古学者たちの困惑

    火葬自体は、青銅器時代のスコットランドでは珍しくありません。
    でも問題は 「人数」と「扱い方」

    通常の火葬埋葬は、

    • 個人ごと

    • せいぜい家族単位

    • 壺も分ける

    のが一般的。ところが今回は、
    複数人が、ひとまとまりで、同じ容器に収められている。研究者たちが挙げている可能性は、だいたい次の3つ。

    • 🦠 疫病や中毒などの突発的災害

    • ⚔️ 集団的な暴力・争いの結果

    • 🌊 火事や事故など、避けられない悲劇

    ただし――
    どれも決定打がない。

    骨には明確な外傷が見つかっていない場合もあり、
    「戦争だ!」と即断できないのが、この発見の不気味なところ。




    🧠 重要なのは“死因”より“対応”:共同体はどう行動したか

    ここで視点を変えましょう。

    大事なのは、なぜ彼らが死んだか だけじゃない。
    死んだあと、周囲の人びとがどう行動したか です。

    • きちんと火葬されている

    • 骨が集められ、壺に納められている

    • 無造作に捨てられていない

    これは、混乱の中でも、儀礼を維持しようとした共同体の姿を示している。

    つまりこの集団火葬は、パニックの痕跡ではなく、秩序を守ろうとした結果 かもしれない。

    ここ、めちゃくちゃ人間くさい。




    🏞️ 青銅器時代のスコットランド社会が一気に立体化する瞬間

    3300年前のスコットランド。小規模な集落。血縁と地縁で結ばれた社会。

    そこで起きた「何か」。それが大きな出来事だったからこそ、
    “まとめて弔う”という、例外的な行為 が選ばれた。

    この発見は、

    • 青銅器時代社会の危機対応

    • 死者への倫理観

    • 共同体の結束

    を、静かに、しかし確実に語ってきます。派手な黄金も、王の墓もない。
    でもこれは、人類史の核心に触れる発見 です。



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    ↑遺構全景!( ・Д・)(「Live Science Plus」の記事内画像より転載)



    おわりに

    スコットランドって青銅器時代は火葬が一般的だたのね。知らんかた( -д-)ノ やっぱ火葬すると壺に詰めたくなるのは世界共通なのだろうか。海や宇宙とかに灰をばらまくパターンもあるけれど、まぁ基本は壺だよね。平安時代の武士が火葬されて壺に詰められた事例があるはず。現代日本の骨壺に通じるものがあるよね~。


    何はともあれ・・・・・・

    焼きっぱなしはないよね!( ・Д・)






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    2025ねん 10がつ 1にち(げつよーび、晴れ)

    8月9月大学休みだからって図書館閉館時間早くて死ぬ!( -д-)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースはやぱこの遺跡はレベチ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ




    中国の三星堆遺跡はこれまでも扱ってますね~。

    「古代の宇宙人」とかで大好きそうな見た目なのに使ってるの見たことないや~(*^・ェ・)ノ








    ってことで以下が今回の記事!(*・ω・)ノ




    ✨ 魅惑の序章:埋もれた文明が、今、目覚める

    地中から顔を出す巨大な青銅仮面。刻まれた幾何学模様と複雑な文様。かつて「失われた王国」と呼ばれた古蜀の遺産・三星堆(サンシンデイ)。その出土品は、その奇異さゆえに、世界中の考古学者と好奇心を掻き立てる人々を魅了してきた。

    しかし、近年の発掘と分析は、それらをただの“奇怪な美術品”と見るにはあまりに多くの手がかりを与えている。金・玉・絹・象牙・水路遺構……3000年前の宗教、技術、都市構造、外交関係。それらをひとつの文明として編み直そうとする試みが、今まさに進行中だ。

    この記事では、最近公開された国内外の記事を元に、三星堆遺跡の新たな発見と、それが投げかける新たな謎を「あるけまや」風に、じっくり、長めに、読み応えある語りでお伝えする。






    🏺 出土品の数と“保存形態”がもたらす意味

    まず驚くことに、2022年–2024年の新発掘では、6基の新たな「祭祀坑(さいしこう)」から、1万5,109点以上の文化財が発見され、そのうち4060点ほどがほぼ原型をとどめていたと報じられている。


    また、これまでの祭祀坑と併せて整理された出土品は、金、青銅器、玉石器、象牙、絹布など多岐にわたる。 特に注目すべきは、青銅製品が“完全な形”で出てくる例が増えてきたという点だ。


    これまでは、祭祀坑内に“破壊・焼却・意図的な破片化”された遺物が混在することが多く、「あえて壊して祭祀に使った」「再生できないかたちで捧げられた」とする仮説が唱えられてきた。


    しかし、原型を保つ出土品の増加は、「破壊だけが目的ではなかった」可能性を示している。たとえば、ある青銅仮面や神獣像が保存された状態で遺跡から出てきたことは、それらが“遺物としての役割”を超えて、ある種の恒常的な信仰対象や権威の象徴だったことを示唆するかもしれない。




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    ↑黄金はいいぜ~( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載;credit: China’s National Cultural Heritage Administration



    🛠 玉石器工房の発見:技術と流通の地平を変える

    もっとも衝撃的な発見の一つが、「玉石器(ぎょくせっき)」の生産・加工を行った工房跡である。


    この発見は、出土品を「輸入品」「贈与品」などと片付けがちだった過去の見方を揺さぶる。なぜなら、これによって「玉器・石器は三星堆地域で生産されていた可能性」が具体的裏付けを持つからだ。


    この工房は祭祀坑が稼働する時期よりも古く、約3500~3400年前、商(殷)代中期に位置する可能性が示されている。 出土したのは、原料、未加工品、破片、完成品といった品々。これらを通じて、当時の技術構成・原料供給・流通経路・部門分業の実態が浮かび上がろうとしている。


    この「手工業チェーン」の発見は、これまで断片的にしか語られなかった三星堆文明の“ものづくり力”を、初めて系統立てて描くチャンスとなる。






    🌌 絹の発見と「天–地」信仰の復元

    2024年、考古学者たちは三星堆の祭祀坑遺構から、「絹(シルク)」の存在を直接示す証拠を発見したと発表した。これは、三星堆における初の絹の確証であり、約3000年前の儀礼において絹が用いられていた可能性を示すものだ。


    この発見が特に魅力的なのは、絹という「飛翔する素材」が、天と地をつなぐコミュニケーション手段として祭祀に用いられた可能性を示唆する点だ。当時の人々が、「見えない世界」と「具体的世界」を結びつけようとした儀礼文化を、物質面から裏付ける手がかりになりうる。


    過去には、絹の産地や流通経路が謎とされてきたが、三星堆での絹の実証は、その交流圏の拡大、交易ルート、技術伝播という大きなテーマを呼び起こす。




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    ↑ほんと黄金はいいぜ~( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載;credit: China’s National Cultural Heritage Administration



    🌊 都市構造と水路遺構:古代都市を再構築する手がかり

    三星堆遺跡の発掘は、もはや「出土品」を超え、古代都市の骨格を浮かび上がらせる段階にまで来ている。


    特に2024年初めの発表によれば、玉工房近傍から、6000平方メートルを超える三段階のテラス、木竹構造の基壇遺構、水路・堀・排水構造群が発見され、東南部では水路が町全体を貫く可能性が示されている。 これによって、三星堆が単なる礼拝空間ではなく、計画性をもった集落あるいは都市としての側面を備えていた可能性が高まった。


    また、水路遺構の解析では、自然水流と意図的な排水・堀構造を区別できるという報告もあり、都市インフラとしての水管理が行われていた可能性が浮上している。


    このような構造証拠は、三星堆を“宗教空間”以上に、生活と儀礼が混在する多機能な中核拠点として見直す方向を後押しする。






    🐘 象牙と隠蔽の戦略:象との関係、権力の象徴

    近年の出土報告では、青銅器などが「象牙の下に隠されていた」ケースが複数あり、意図的な埋蔵という視点が注目されている。 象牙は「高貴な副葬物」「交易品」「象徴性の高い素材」として認識されており、それを覆って器物を埋めるという行為は、戦略的・宗教的な意味合いが強いと考えられる。


    また、象牙そのものの出土は、当時の交易圏が遠方に及んでいた可能性を示唆する。アジアゾウのものと推定される大型の象牙が、三星堆首長圏に持ち込まれていた、という分析もある。


    このような重層的な“隠蔽戦略”と“物質の象徴性”を解きほぐすことは、三星堆の社会構造と宗教構成を理解するうえで避けて通れない編成要因となっている。





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    ↑これ自分の現場で出たら泣き叫ぶと思う……( ・Д・)(「Smithonian Magazine」の記事内画像より転載;credit: China’s National Cultural Heritage Administration



    ❓ 新たな謎:金の産地、青銅工房、統合文明

    ここまで見てきたように、三星堆研究は発展を続けながらも、多くの謎を抱えている。特に注目すべき未解決課題を、以下に整理しておこう。

    1. 金製品の供給源と量の謎
       修復が進んだ金製出土品の総重量はすでに1.5 kgを超え、未修復品を含めれば約2 kgに達すると報じられている。 この量は、同時期の他文化圏と比較して異例だとされ、金の採掘や流通ルートの所在が大きな謎になっている。

    2. 青銅工房の所在と体系性
       玉石器工房は発見されたが、青銅器(器具、仮面、神獣像など)の製作拠点がまだ確認されていない。出土品をただ輸入・交換の結果とみなす仮説も多いが、青銅器製作用の冶金・鋳造施設を発見できなければ、この仮説は揺らぎ続けるだろう。

    3. 多文明融合と固有性のバランス
       三星堆出土品には、中原(黄河域)との類似性を示す形制も見られるが、それらをどう位置づけるかは議論の余地がある。中原文明の影響なのか、同時代別文明の交流の結果なのか。三星堆文明を「中央王朝の一部」とみるか、「並存する独自文明」とみるか、その曲線上の位置をめぐる見解が揺れている。

    4. 象徴表現の意味論
       大きな目、奇怪な顔、神獣、動植物の混合モチーフ――これらの造形表現には、信仰儀礼、超自然への意志、政治的表象など複数の意図が重なっている可能性が高い。これを読み解く鍵は、類例文明(如く殷・周時代)との比較と、三星堆自身の文脈統御だが、まだ明確な一貫構造は見えていない。

    5. 都市統治・インフラ機能の実態
       水路・排水施設、テラス基壇、都市配置……これらは都市域の骨格を形作るものであり、三星堆が実際の都市機能を持っていたかどうかを問う重大な証拠になる。現段階では部分的な発見にとどまり、全体像再構成には至っていない。

    6. 時間軸の複層構造
       祭祀坑に埋蔵された時期と、工房稼働時期、都市構造整備期が必ずしも一致していない可能性がある。時代を重ねて機能が変化したのか、重層文明が折り重なっていたのか。時間軸をどう重ね合わせるかは、研究者たちの肝となる課題だ。





    🧭 終わりに向けて:まだ見ぬ声を聞くために

    この記事では、三星堆遺跡の最近の発見と、それが示す可能性・謎を可能な限り紡ぎ出してみた。だが、出土品が語りかけてくるその「声」は、まだ完全には解読されていない。

    研究の最前線では今日も修復、分析、比較、試論が繰り返されている。次の発表では、金の産地が特定されるかもしれない。青銅工房が見つかるかもしれない。形象表現の「意味論」が新たに書き換えられるかもしれない。

    三星堆の3000年前の出土品は、私たちにこう問いかける──「失われた声を、どう聞くか」。その答えは、これからの考古学と人文学の叡智に委ねられている。




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    おわりに

    遺物の出方がエグいのよね~。

    青銅器も金も他の遺物に比べて保存されやすいからってのもあるんだけれど、こんな組み合わせは例を見ないと思う。


    まぁ考古学者ってたくさん遺物を見てるせいか、遺物出ても嬉しくないのよね。

    感情死んでるw

    身の周り見ててもそういうパターンは多い。



    ま、たまには喜ぶけどね!ヾ(´ω`=´ω`)ノ



    私の場合は、自分で作ってる数式上、ここの建造物をこの堆積で掘ればこれこれの遺物がそれぞれこれくらい出るはずっていう予測が立ってるからそれに即して出てくれるとめちゃ嬉しい。

    でも膨大に出る土器破片群を見て、「もういいよ( ・Д・)」ってなる。




    だって、洗浄とか注記はやってもらうけれど、基礎分類・計量・撮影とかの記録は独りでやるんだもん。

    期間短いから(限られた予算内で発掘の方に時間を当てたいから)、なまらつらい。

    最近はモノ出過ぎて実測図書く余裕もない。

    大事なことだからもう一度言う、なまらつらい!( ・Д・)




    何はともあれ、

    やぱ黄金だけでウラヤマなのに組み合わせとかずるいな!( ・Д・)



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    やりたいことたくさんある~!、、、が少しずつ研究借金減らしてるからいつか余裕できる!( -д-)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは「なんかちいさくてかわいいやつがたくさん出た!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ




    🏺新発見!トルコ西部遺跡で4500年前の「炉を囲む小偶像」列隊

    トルコ西部、クタヒヤ県タヴサンル高地、タブサンル・ヒュユク(Tavşanlı Höyük) 遺跡で、なんと 約4500年前 のヒト型偶像(人をかたどった小像)が炉(囲炉裏・炉床想定)を囲むように並べられて出土した。


    トルコ文化観光省によれば、出てきた偶像は 大理石、骨、粘土 の素材で、未完成品も混じるとのこと。
    特筆すべきは「7体が炉を取り囲むように配置されていた」点。これが意図的な儀礼配置だった可能性が高いと、発掘側は見ている。


    この発見は、従来の「偶像は単体で捧げられるもの」「屋外に置かれることが多い」という通念を揺さぶる手がかりになるかもしれない。炉という生活空間の中心に祈りの存在を据えたという解釈は、日常の中の儀礼・信仰を透かし見るようなロマンを含んでる。





    🔎発掘現場と文脈:Tavşanlı Höyükってどこ?

    • 遺跡名:Tavşanlı Höyük(タヴサンル・ヒュユク)

    • 所在:トルコ西部、クタヒヤ県近辺

    • 時代:青銅器時代初期あたり、約 4500 年前(紀元前約 2500年ごろ)に相当

    • 出土物:偶像(大理石・骨・粘土)、未成形・素焼きの粘土器、炉床構造の遺構など


    遺跡は暮らしと宗教空間が混在する複合用途地区と考えられており、発掘は限定的な範囲ながら宗教・経済・工房の手がかりを含む材料が混在しているとの発表もある。


    この配置の発表により、炉周囲という「炉=聖なる炉床」的な空間が、当時信仰儀礼における中心的舞台だった可能性が議論されている。




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    ↑こんな遺跡!丘陵みたいに残ってるのかな?( ・Д・)(「Finestresull'Arte」の記事内画像を転載)



    ⚖️偶像を囲む炉:どういう意図か?

    この「炉を囲む」配置には、少なくとも以下のような仮説・意味が考えられる:


    1. 祖霊・先祖崇拝
       炉は“家”の中心であり、生活と密接な場所。そこに先祖や守護霊を配し、生活と信仰を重ねる意義を持たせた可能性。

    2. 炉火(火神・火の儀礼性)との関係
       火は清浄・変化・再生を象徴する要素として、炉を中心に儀礼が行われたという構造。

    3. 小偶像群像+炉=象徴的物語の演出
       7体という数字も意図的で、各偶像が物語や象徴性を持っていた可能性。未完成像も混じる点から「制作と祈りが並行した場」であったとも考えられる。

    4. 住居兼儀礼空間
       この遺構は生活の場と宗教空間が重なったもので、この炉配置が“日常と儀礼の融合”を示している可能性もある。


    発掘側も「未完成品があることは、ここが偶像制作現場と信仰・祈祷の場が重なっていたことを示す証拠になりうる」とコメントをしている。






    🧩比較事例・先行類例:似たモチーフを探す旅

    こうした炉を中心にした偶像配置という類例は、他地域・他時代でほとんど知られていないからこそ、この発見が注目されてる。だが、関連するものを比べてみると、ヒントはある:


    • 近代以前の炉祭祀:ケルト圏やバルカン、ローマ期・中東でも炉祭祀(炉前での祈祷・供犠)は記録されており、炉近傍に聖なる像あるいは聖所標識を置く習俗が断片的に確認されることがある。

    • 小像群像・列像配置の信仰遺構:シュメール・メソポタミアやエジプト近東などでは、女神像や守護神像の「並べられた配置」が寺院内外で見られるが、生活炉との結びつきは希。

    • 炉床発見例 in 他遺跡:時に炉遺構が“祭祀炉”として解釈されるケースもあるが、そこに小像が組み込まれた形はあまり報告されていない。

    この新発見は、炉祭祀や信仰像配置のあり方に「もっと身近で生活と混ざった構造」を想定させる可能性を示す点で斬新だ。




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    ↑小さくて可愛すぎて私ならトバシちゃう!(気付かずに捨てちゃうこと)( ・Д・)(「Anatolian Archaeology」の記事内画像を転載)





    🧪発掘方法・解析視点:どこを見ているか

    発掘および研究で注目されている技術・観点を見ておこう:


    • 配置観察と空間解析
       偶像同士、および偶像と炉との距離関係・向き関係を精密に測定することで、意図的な配置かどうかを検証。

    • 材質・制作段階の分析
       大理石・骨・粘土での素材差、未完成像の存在、ツール痕・削り跡・研磨痕などから制作過程の断片を復元。

    • 層序・層位との関連
       偶像と炉を取り囲む堆積層(灰・炭・土砂など)の関係を上下層で分析し、儀式/通常使用の時間差を見極め。

    • 顕微鏡分析・残留物分析
       偶像表面や炉床・周辺地域に残された炭化物・顔料・有機残留物を化学分析して、燃焼物や供物成分を割り出す。

    • 比較地域同期性の調査
       周辺の遺跡・時代層で同様の偶像列像配置がないか、文献・発掘報告を照合。

    これらを統合することで、「この炉偶像列像配置が偶然なのか、信仰意図的なのか」を議論できるようになるし、信仰構造・住居構造の再構成へとつながる。






    🤔課題と慎重視点――証拠と解釈の間で

    もちろん、考古学には常に慎重さが必要で、この発見にも議論の余地は多い:


    • 偶像7体という数はところによって壊れたり消失した可能性があるから、もともはもっと多かったかもしれない。

    • 偶像の配置がたまたま炉近傍にあった可能性、あるいは後世の移動・撹乱も排除しきれない。

    • 未完成品の混在は「制作途中の放棄」など単純な理由かもしれず、それを即「祈祷場兼制作場」と結び付けるには慎重な補証が要る。

    • 炉と偶像の時間的重なり(炉使用と偶像配置の同期性)を示す層位・年代の精密測定が不可欠。

    こうした注意を前提に、今回の発見は確実に議論を刺激するタイプのものだ。






    おわりに


    想像してみて――

    夜、炉の火が静かに燃える。家人は小さな偶像を前に香を焚き、水や穀物を捧げる。偶像たちは静かに囲み、火と語らう。風が吹けば影が揺れ、偶像の輪が炎に揺らぐ。


    「今日は収穫を感謝しよう」「子らと家を守ってくれ」――そんな言葉が、何千年も前の火のまわりで交わされていたかもしれない。


    この炉と偶像は、ただの遺物じゃない。日常と信仰が入り混じる小宇宙。私たちが見ているのは、過去の祈りと生活の交錯点だ。





    ……ってことで、最近アナトリア考古学も面白いな~と思ってるんですけども、、、


    やぱ乾燥地域は残りもいいしね~(・∀・)つ


    まぁそんなこんなで今回のちいさくてかわいい遺物は青銅器時代のものなんですね~。


    ぱっと見、旧石器かな~なんて思いましたが。


    まぁでも可愛くていいですよね。




    マヤにも小さい偶像ありますけれど、造形がリアルなので、シルバニアファミリー感ありますね。


    それはそれでいいんですけど、


    今回のような抽象度のものも可愛いなって思うんですよね。




    あ、最後に言い訳程度に、、、わたしちいかわ大好きです。


    押しははちわれ!


    以前、Xで考古学を広めるためのちいかわパクリ漫画描いてたレベルですからね!


    まぁ途切れましたけど、それもその内再開します!





    何はともあれ、

    やぱ小さくて可愛いものは正義!( ・Д・)



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    昨日食中り起こして死んでた!ヽ(TдT)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは散歩してたら短剣拾ったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    🪓 森の散歩で出会った 3500 年前の瞬間 — 「土の上に寝ていた短剣」


    🧭 発見の瞬間 — ふつうの散歩が“時の裂け目”になる日

    ある晴れた、と言っても雨直後の地面が洗われたあとだったようです。ドイツ、テューリンゲン州(Thuringia)のGud ersleben近郊の森を歩いていた親子が、地表に緑青色に光る小さな金属片を見つけ、「石か何か?」と思ったところ、よく見るとそれは刃先と柄の接合部まで残る青銅製の短剣でした。土の動きや浸食で古いものがぽろりと顔を出したに違いない──地形がカルスト系の不安定地盤であることも指摘されています。地元の考古担当に速やかに届けられ、保護・調査に回されています。



    🔎 どんな短剣か — 形と技術の観察メモ

    短剣は「plate-tanged(板状の柄頸をもつ)」タイプで、刃は幅広く、柄は有機質(木・骨・鹿角など)で作られていたと推測されます。現物には保存のための緊急処置が施され、修復専門チームのもとで顕微鏡観察や金属組成分析が進められています。こうした皿状(plate)や板状のタンガー(柄の金属部分)は、青銅時代ヨーロッパで比較的よく知られるタイプで、武器であり得るし、儀礼的な「奉納」品でもあり得ます。青銅は当時高価で、単純な道具以上の社会的意味を帯びることが多いのです。




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    ↑綺麗な残り方!( ・Д・)(「Arukeonews」の記事内画像より転載)



    🏺 層位と来歴のヒント — 露出の理由と地形の役割

    専門家たちは、最近の豪雨や地盤の微変動が土を洗い流し、埋もれていた遺物を表面へ押し出した可能性を指摘しています。発見地は、地下水・地滑り・沈下が起こりやすいカルスト的地形の一部で、こうした地形では古い遺物が突如姿を現すことがあります。つまり「人が掘った」わけではなく自然のプロセスで現れたケースで、その点で発見者がすぐに報告したことは非常に重要です(出土状況 / context=文脈を保存するため;日本考古学ではカタカナを用いて出土コンテクストと表記することが普通)。





    🧑‍🔬 誰が関わったか — 地方事務所と保存作業

    現地を管轄する州の保存考古局がまず受け取り、遺物は修復・保存処理のため適切な施設(州の修復ワークショップ等)に送られています。専門家はまず、表面の緑青や堆積物を慎重に除去しつつ、合金組成・鋳造痕・表面処理(装飾や鍛冶技術)を調べます。これにより短剣の年代(おおむね中期〜後期青銅器時代、今回のメディア報道では約3,500年前とされている)や、製造技術の由来(同地域の材料か、遠隔地からの交易品か)に関する初期仮説が立ちます






    🌍 考古学的な読み — 武器? 礼器? 日用品より「象徴」を考えよ

    こうした青銅短剣は、先にも述べたように戦闘道具であると同時に身分や儀礼性を示すアイテムであることが多いのですが、それは青銅の製造・入手には銅と錫(スズ)という資源の確保とそれを扱う技術が必要なためで、結果として個々の短剣はそのコミュニティ内での地位や贈与関係を示すことがあります。また、特定の様式は地域圏(文化圏)を指し示す手がかりとなり、近隣地域との交易や情報交流を可視化します。今回の発見が比較的完全な形だったことは、保存条件と幸運が重なった結果であり、分析によっては広域交流の手がかりが出てくる可能性があります。




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    ↑テューリンゲンの森は美しい!( ・Д・)(「Peapix」の画像より転載)





    🧭 市民発見の倫理 — 見つけたらどうするのが“正しい”か

    今回の発見は、発見者がすぐに専門機関に届けたことで評価が高まりました。多くの国で不法な金属探知や遺物の私的取得は厳しく規制されており、出土コンテクスト(出土位置や周囲の層位)を保存することが学術的価値を保つうえで不可欠です。森で見つけた古いものに手を加えたり移動させてしまうと、貴重な情報が失われてしまう。ニュースを追う限り、今回のケースは“住民の良識”がうまく機能した良い例と言えます。





    🔬 これからの研究で期待されること

    1. 合金分析(元素組成):銅とスズの比率、微量元素から銅鉱山の供給源可能性を探り、交易圏を推定する。

    2. 鋳造・仕上げの痕跡調査:鋳型痕や鋳湯口、打ち出し跡から職人技術の流儀が見える。

    3. 比較文化研究:周辺の既知出土品(近隣の墳墓・埋蔵品)と比較して、儀礼的埋納か喪失品かを議論する。

    4. GIS と地形学的解析:出土地点の地形変動や地下水流、浸食履歴を再現し、露出のメカニズムを科学的に裏付ける。



    これらが揃えば、単なる「ふと出た短剣」の話ではなく、その短剣が歩んできた社会的・経済的な物語を立体的に復元できるはずです。



    🗺 地域史への小さなピース — Gudersleben と古代の人びと

    中央ドイツのこの地域は、先史時代から人々が暮らし、移動し、交易してきた「古い景色」の一部です。小さな村の森が、3500 年前の誰かの所持品の最後の姿をしばらくの間守っていたと想像すると、胸に来るものがあります。発見は地域史を書き直すほどの大事件ではないかもしれませんが、日常としての交流や技術の広がりを示す一握りの証拠としてはとても大きいと思います。




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    おわりに

    日本でも雨の後の散歩は遺物を見つけやすいです。

    特に耕作地では降雨の後、めちゃ拾えます。

    私も大学生の時に踏査の学習として休みの日に先輩や同期と車で遠出した思い出がありますね。

    でも日本の場合は、耕作地が一番見つけやすいけれど、『人様の土地』ですからね、試しにやってみてもいいとは思いますがずんずん入っていくことはしないでくださいね、怒られますよ!( -д-)ノ



    基本として駐車スペースに気を遣う(郊外に出ると路駐になることが多いため)、会った人には元気に挨拶&余裕があったら考古系の話を振ってみる(さりげなく拾っていいか訊いてみる)、畑の中には入らず周りから探してみる・・・礼儀としてはこれくらいかな、たぶん。

    どの職業でもそうだけれど、考古学者もコミュニケーション能力大事!



    あとは白地図もっていくとか、地図や野帳に記録取るとか、チャック付きポリ袋に遺物入れて、袋にもマジックで情報(取得日時、場所、簡易分類名)記載する、周辺風景の撮影を行うとかかな。

    最近はスマホあるから簡単にGPSで記録取れるよね、場所や位置情報もグーグルアースの画面をスクリーンショットでいいと思うしね。

    でも紙媒体記録も同時に取るのは大事!

    帰ったら洗浄、乾燥、注記、、、余裕あれば撮影、実測かな(*スマホやカメラなどのデジタルデータは忘れない内に速攻整理すること!)。

    それだけできればもう考古学徒として十分な気がします(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    何はともあれ、

    最近記事数増やしたけどやぱあまり真面目ばかりは性に似合わんな!( ・Д・)



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    2024ねん 10がつ 8にち(かよーび、晴れ)

    引越しの荷造りなう、掃除めんどい( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは大量の武器と人骨が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台はドイツ東北部に位置するトレンゼ遺跡です。

    この遺跡は古戦場跡なのですが、世界最古の大規模戦闘の痕跡が見られる遺跡として超重要遺跡です。

    過去にも当サイトで取り上げていました。



    ↓結構頑張って取り上げていますねΣ(・ω・ノ)ノ


    ↑我ながら良く書けてるな~(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?




    「戦争の考古学」なんて、良識ある考古学者から見れば大それた名前を掲げてるなと思ってしまうものですが、そうした分野や書籍は存在します。

    当たり前ですけど、考古学って遺物・遺構を主要なデータとして取り扱うのですが、戦闘の痕跡って遺物・遺構として残りにくいんですよね。




    多くの事例において、戦闘終了後に目ぼしい武器や防具は回収されてしまいますし、

    運良く人骨や武具類が残ったとしても遺跡化の過程において後世の人類活動、農耕とか都市化とかで壊されて失われることも多々あるわけです。




    なので”バトルフィールド”の遺跡自体がそもそもほとんどないんです( ・Д・)

    ざっと2000年も期間があるようなマヤ文明だって一つもそうした遺跡はないような気がします。

    あっても都市が破壊された痕跡くらいでしょう。

    なので「戦争の考古学」はそもそもデータ量的に難しいのです( -д-)ノ




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    トレンゼ遺跡では紀元前1250年に起きた戦闘の痕跡がまざまざと残っています。

    約150体分の人骨として約1万2500本出てます。

    上に挙げた画像のように、頭蓋骨を青銅製の鏃が貫通しているような明らかな戦闘の痕跡が残るものも含まれます。

    青銅器時代なので、下に挙げた画像のような鏃が多数出ている他、剣やこん棒も出土しています。




    過去記事の方に挙げた写真で分かるように、遺跡のすぐ横を流れるトレンゼ川はうねうねと蛇行していて渓谷を形成しているのですが、

    河川の位置がコロコロ変わることで、常に水分が供給される状態になっていて、多数の人骨や木製品が残ったと予測できます。

    そして河川がもたらす土砂であっという間にパッキングされたために武器や装飾品が残ったのでしょう。

    さらにはトレンゼ川流域は一部が農地利用されているものの、大部分は未開発であることも大きな要因です。



    そうした様々な要因が重なって残った貴重な「最古のバトルフィールド」なわけです(*・ω・)ノ







    おわりに

    私も戦争・戦闘関係の研究を数的に行いたいとは思っているのですが、なかなかねぇ。

    古代マヤ文明における戦闘シミュレーションとかやりたいんだけど、、、




    お金も時間もないなぁヽ(TдT)ノ

    まぁ少しずつ取り組んでみます(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    何はともあれ、

    やぱお金かせがにゃ!( ・Д・)



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    2024ねん 9がつ 27にち(きんよーび、雨)

    結局睡眠時間削って研究時間確保してるけどヤバい眠い( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは「青銅器時代の盾と兜が素敵な保存状態で見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台はトルコ東部、ヴァン県のアヤニス城です。

    上に挙げた画像で分かるように山というかけっこうな高さの丘?の上に立地しています。



    ウラルトゥ王国が築いた城で、古代より前の先史時代に相当する遺跡です。

    時期的には900 BCE-585 BCEで、アジアの最西端の位置するアナトリア地域(アナトリア半島域)に栄えたのがウラルトゥ王国です。

    近くにヴァン湖があるためヴァン王国とも呼ばれていました。



    ウラルトゥの呼称もアッシリア人によるもので、ウラルトゥ語ではビアインリ王国という名前でした。

    このビアインリがヴァン湖のヴァンの語源になっていて、またウラルトゥの名は聖書の洪水伝説で有名なアララト山と関係があるそうです。

    知らないことで一杯です!( -д-)ノ



    arukemaya_z052


    最初に挙げた画像から近づいてみると、こんな感じです。

    柱なのか右側に方形の遺構が並んでいます。

    右側上方にはガラス張りみたいな新しい建造物がありますが、恐らくこの中に保護すべき特別な遺構があるのでしょう。

    レリーフとか壁画みたいなものでしょうか。




    さて、その新しい建物の更に上方と左側には何やら四角い窪みが見られますが、これらは全て発掘で開けたグリッドでしょうね。

    今回の遺物の発見場所は左下の赤丸を加えた箇所です。




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    arukemaya_z054



    で、発見した遺物がこちら!

    同じものを別の角度で撮影しています。

    大きな丸い円盤状のものが青銅製の盾で2点写ってます。

    盾は内側が上向きになっていて、中に置かれているものが青銅製の兜です。




    これで2700年前!

    凄い良い出土状態ですよねΣ(・ω・ノ)ノ




    でも落ち着いて考えてみると、、、



    青銅と言えば、日本だと銅鐸とかがパッと浮かびますが、やはり鉄器時代以前のものの方が遺物として残りは良いですね。

    新しい技術のものって使い勝手は良いけれど、遺物として残りにくいんですよね。

    現代社会のデジタル情報なんて最たるもののような気がします( -д-)ノ




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    おわりに

    私、RPG好きなんで、「青銅の盾」とか「青銅の兜」って聞くだけでうぉ~!ってテンション上がります。

    実は大学に入るまではヨーロッパの考古学をやりたかったので、、、

    なんでかマヤ文明やってますけどね(笑)



    ところでこの地域の兜ってとんがりコーンみたいな形なんですね。

    受け流すには良い形状なのかも知れませんが、それにしてはかなり薄い感じがします。

    防御力低そうですね・・・

    いや~、趣味で古代・中世の武器・武具のレプリカ作って、能力値のデータ化したいけど、、、お金も時間もないから無理だな~ヽ(TдT)ノ



    ほんと、一般ウケするような面白い研究するから、誰か超金持ちにスポンサーになってもらいたいよ!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    知り合いに富豪がいたら紹介&説得してね!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ





    何はともあれ、

    やぱヨーロッパ(?)史はどこ取っても不思議な風情があるね!( ・Д・)



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    2021ねん 6がつ 1にち(かよーび、晴れ)

    やぱ新しく勉強したり研究するには、どうしても定時以降とか、休み使わないとダメだな( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは中国でなんだかフィーバーしてるね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台は中国、四川省、三星堆遺跡です。

    この遺跡で大きな発見がありまして、それは下に挙げたリンク先の記事で紹介しました。





    ここでもさくっと概要を書くと、三星堆遺跡は今から約3000年前に四川省にあった青銅器時代相当の遺跡です。

    青銅器時代ですから、青銅製品が多数出てくるのは当然なのですが、ポイントはその青銅製品の精巧さと金製品を伴うことです。

    この遺跡では1986年に2基の墓が発見されており、2020年に新たに6基の墓が見つかりました。

    1986年の調査時に青銅製の人物像と黄金仮面が出土したのですが、その他にも精巧な副葬品が多数出ています。

    新しく見つかった6基の墓(第3~8号墓)からも多量の遺物が出ていて、どれも精巧な奢侈品ばかりです。


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    青銅製品はどれも精巧な作りですし、「黄金の葉っぱ」も細工が美しいですねヾ(´ω`=´ω`)ノ

    まぁ個人的には最後に挙げた青銅製の小像の濃ゆい眉の感じが好きですし、ついそこに目が行っちゃいますけど、重要なのは色彩が残っている点ですね。


    arukemaya1540



    さて、上に挙げた1枚目の写真は「象牙製品」です。

    これも繊細な意匠が美しいです。

    この時代に象牙を貴重品として交易していたことに驚きです。

    どこのどの種の象さんの牙なのか知りたいですね。

    そして象牙を素材として入手してこの地で加工・製作したのか、あるいは製品として入手したのか、これも気になるところです(*^・ェ・)ノ


    2枚目の写真は「玉璋」です。

    「ぎょくしょう」と読みます。

    「玉」の字があることから分かるように玉製なんですが、斧とか刀とか実用の工具類を模したものです。

    上の写真の場合は、「小刀」でしょうか?

    上部が柄部で、下部が刃部に見えます。

    この「玉璋」は三星堆遺跡で見つかっている独特の型式で、他には見られないレアな事例なのです(*・ω・)ノ

    さて最後に、インディジョーンズ的なアドベンチャー映画のワンシーンかと思えるような画像を紹介しますね(*・ω・)ノ


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    arukemaya1541a
    ↑にょろにょろとにょろにょろ型玉製品


    おわりに

    どうも玉璋の柄部と刃部の間の装飾が気になって、、、

    にょろにょろ(ムーミンに出てくるやつ)にしか見えなくて、、、

    ちょっと最後にふざけました( -д-)ノ


    ・・・さて、この感じだとまだ色々と出てきそうな感じがしますね。

    出土品が眩いので、そこばかりに着目してしまいますが、この地域の青銅器文化ってどのようなものだったのでしょう?

    一般の住居とかも発掘して研究して欲しいなって思っちゃいます。

    実はやられていて、ニュースにならないだけかもしれませんがね( -д-)ノ

    ともかく、、、

    また中国は観光で一儲けできるね!( ・Д・)



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    2020ねん 6がつ 6にち(どよーび、晴れ)

    そろそろ国内の資料調査行っても許されるだろうか?( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




    今回の考古学・歴史ニュースは「美人考古学者を発見したよ!( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ



    前回から「広報・外部用の記事タイトル」と、「記事内タイトル」を大幅に変えてみましたが、、、

    さすがにこれは違い過ぎるか!( -д-)ノ

    まぁある程度のおふざけは管理人のストレス発散の一環として大目に見てくださいなヾ(´ω`=´ω`)ノ




    arukemaya894


    さて、今回の舞台はイタリアのベネチアです。

    上に挙げた写真のように「水の都」として有名ですね。

    このベネチアにある潟(ひがた;ラグーナ)に浮かぶサン・ラザロ島にある修道院で、中世の遺物として展示されていた金属の刀剣がありました。


    修道院の記録文書によると、この刀剣は1886年の8~9月にトルコのトラブゾンにある同じ宗派の聖職者組織から贈り物として届けられたものだそうです。



    で、問題の刀剣がこれです(*・ω・)ノ



    arukemaya892
    ↑実際に「中世」と記されていた刀剣(「CNN.co.jp」の記事内画像より転載)



    長さ約43cmの金属製の刀剣です。


    この「中世」との表記があった刀剣の展示を見た博士課程の学生がその年代に疑問を持ったそうです。


    とういうのもこの学生は青銅器時代が専門で、自分の調査研究で知っていた刀剣と形態が類似していることから、もっと古いものだと確信したそうです。


    青銅器時代であれば5000年前に遡る可能性があります。


    そこで、学生の所属するベネチア大学とパドバ大学が共同で刀剣の金属の化学組成を分析した結果、ヒ素を含む銅の合金で作られていることが分かりました。




    ・・・・・・


    申し訳ないことにここから先の記事の意味が理解できなかった(これまでの文章との前後関係が理解できなかった)ので、引用しておきます。



    この合金は主に紀元前4世紀の終わりから同3世紀初めにかけて使われていたもので、青銅の使用が定着する前の年代であることを意味する。


    同じ化学組成を持つ刀剣2本がトルコで見つかっているが、これらは形状も非常に似通ったものとなっている。


    当時はコーカサス地方やアナトリア地方、エーゲ海諸島及びギリシャ本土で新たな貴族階級が勃興していた。考古学者らはこうした刀剣について、武器であると同時に権威の象徴としての役割も果たしていたとみている。


    (CNN.co.jpより)


    ・・・・・・・・・



    どういうことなのか、さらっと読んだだけでは理解できないのです( -д-)ノ


    (勉強不足で申し訳ない)



    私なりの考えを以下に書いておきます。



    arukemaya892
    ↑再掲(緑色の部分見えますよね?剣の中ほどとか特に。)



    まず上に挙げた刀剣をよく見て欲しいのですが、「緑青」が見えますよね。


    「緑青」は銅が酸化した際の錆で、緑色になるのはご存じの方も多いかと思います。


    だから青銅製の剣だなんてパッと見で分かるやん!って思います。




    そしてヨーロッパにおける青銅器時代はBCE3000年に始まります。


    ヒッタイトの滅亡により鉄器の知識が広がるのがBCE1200年頃です。




    ということは、参考記事の「5000年前に遡る可能性がある!」なんて記述は、青銅器時代の始まりを指しているだけなんですよね( -д-)ノ




    実際の分析結果では、刀剣の素材は銅とヒ素の合金でした。


    こういった合金が使用されたのがBCE300-200頃だと書いてます。




    なら古く見積もっても2500年前じゃない?


    二倍も違うよ?( ・Д・)





    また「青銅の使用が定着する前」ってのも全く理解できないですね( -д-)ノ




    青銅器時代は利器として青銅が主に用いられた時期です。

    鉄器時代に入り、鉄器が普及しても青銅器はただちに消えたのではなく、祭具・儀礼品として製作が続いていました。

    なので、BCE5世紀以降に青銅製品があってもおかしくはないのです。




    (以降、混乱するかも知れませんので確認しておきます。CE・BCEは『共通起源』として当サイトで使用しています。

    CEが西暦・紀元後;ADに相当し、BCEが紀元前;BCに相当します。

    以下の記述はCEですから西暦・紀元後のお話です(*・ω・)ノ)




    一方で、ヨーロッパにおける中世という使用は幅広く、CE500-1500年まで全部中世です。

    中でも一番古い中世前期がCE500-1000です。

    明らかに鉄器時代ですから、もちろん「中世」という緑青付き刀剣への表記は間違っています。

    学生も研究成果も正しいです。


    でも、なんだろう、このとてつもない違和感は……( ・Д・)


    おわりに 記事の真実はいかに?

    上に挙げた写真(右)がベネチア大学の博士課程で考古学を研究するビットーリア・ダラルメリーナさんです。


    綺麗な考古学者もいるのですね。


    ちなみに「美人・考古学者」で検索すると日本語、英語、スペイン語ではほぼヒットせず、アニメや映画のデータが見つかります。


    だから「美人考古学者」は実在しないのだと思ってました( -д-)ノ



    結局、この記事、よく分からないのですが・・・

    原因の所在として考えられるのは、



    ①この記事を書いた人が歴史的なことを何もチェックしなかった

    ②5000年前という古さを強調して、注目されたかった

    ③美人だから忖度した( ・Д・)



    日本とヨーロッパ、あるいは他の地域でもそうですが、「中世」なんて用語は使い方や時期が異なりますので注意が必要です。



    ま、まとめると

    『展示されていた刀剣が実は古かった!』、

    『博士課程の院生が気付いた!』、

    『美人の考古学者が実在した!』、

    の3点が今回のニュースの骨子でしょうかね。



    結局、実際のところ、どうしてこうなったかは不明だけど、、、

    考古学でもで顔面偏差値は重要だぜっ!( ・Д・)


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    2019ねん 7がつ 17にち(すいよーび、晴れ)

    最近、数学ばかりやっている。

    どれだけ数学・統計学の世界を理解したら、考古学の各事例に用いるべき手法の正しい選択ができるのだろうか。

    まぁとりあえず資格あるらしいので取ろうかな( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya516
    ↑ヨーロッパにおけるギリシャとコザニの位置(「「Google Map」の画像を一部加工」)




    【目次】
    1. はじめに -基礎情報-
    2. コザニにおける発見
    3. 古代ギリシアにおける窯の構造
    4. おわりに

    1.はじめに -基礎情報-

    今回の考古学・歴史ニュースは「ギリシアでビザンツ帝国時代の陶磁器を焼成した大きな窯址が検出されたよ!&青銅器時代のお墓も出たよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

    上に地図を挙げましたが、今回の舞台であるギリシャは地中海に面しており、有名なイタリアのブーツ状の土地のヒールの先方向にありますね(分かりくいか( -д-)ノ)

    遺構が発見されたコザニは北ギリシアに位置し、西マケドニア及びコザニ県の都です。

    このコザニのアンソニーのグラットサニス(Gratsanis)地区で発見があったらしいのですが、詳しい場所が分かりませんでした。

    というのも記事自体が

    Δυο καλοδιατηρημένοι κλίβανοι της βυζαντινής περιόδου εντοπίστηκαν στην περιοχή Γρατσάνη του Ανθότοπου Κοζάνης, κατά τη διάρκεια εργασιών……(記事より一部抜粋)

    こんな感じなので、よく読み取れないし、こともあろうかグーグルマップもギリシア語表記が多かったので探せませんでした。

    学生時代に「古典ギリシア語」を履修していましたが、まぁ大体「なるほど!よく分からん!( ・Д・)」程度の能力だったのでご容赦願いたいヽ(TдT)ノ

    ギリシア語の記事に興味ある方は下に挙げる遺構の写真のリンクから、元の記事に飛べますのでどうぞ(*・ω・)ノ




    2.コザニにおける発見

    まず今回の発見の契機は、「Aeolian Park East and West Asia」という名称の公園を建設するための工事です。

    一つ目の発見は青銅器時代のお墓が見つかったことです。

    この発見に関して、当時、送電ケーブルの巻き取り作業を行うべく、30㎡の広さの発掘調査がなされました。

    この際にお墓が検出され、それが上に挙げた写真になります。

    見た感じ、現地表面にかなり近い深度に遺構が広がっている模様です。

    出土遺物から後期青銅器時代(BCE1600-1100年)と推定されています。

    墓の傍には同時期の建造物と思われる遺構が存在し、青銅製の鳩の装飾品が出土しました。

    人骨は確認されなかったようですが、副葬品から女性の墓であると推定されています。




    今回のもう一つの発見がこちらの穴ぼこ群です。

    変電所を建設しようと工事を行っていたところ、発見されたそうです。

    これはビザンティン帝国時代(東ローマ帝国時代;CE395-1453年)の陶磁器の焼成に用いられた窯の跡です。

    上に挙げた写真の右下隅に横穴が見えますが、この部分(及び、より手前部分;写真では切れている(TДT))で薪を燃やします。

    「もぐら叩きゾーン」にはよく乾燥させた未焼成の陶磁器類を並べます。

    このゾーンは10㎡の大きさがある大きなものです。

    「もぐら叩きゾーン」の周囲からは10本のアーチ状の支柱の痕跡が確認されており、かつてはこのゾーンが壁と屋根で覆われており、小部屋のようになっていたたわけです。

    このように上部構造は失われていますが、下部構造としては非常に保存状態のいい遺構です。

    今回の発見ではこの種の窯址が2基検出されたのです。

    この2基の窯址では薪をくべる部分の穴の入り口がタイルと石で慎重に閉じられていました。

    そのことから、当時の土器工人らは将来的に再びこの窯群を使用する見込みで、一次的に工房を封鎖したのだと推定しています。






    3.古代ギリシアにおける窯の構造

    古代ギリシアの土器焼成窯の構造について紹介します。

    この上に挙げた模式図と模型が非常に分かり易いかなと思います!(*・ω・)ノ

    下の模型では「もぐら叩きゾーン(焼成部屋)」もしっかりと示されていますね。

    上の模式図では燃料の燃焼場所が、焼成部屋の直下になっていますが、実際にはトンネル状の箇所で燃やします。

    ちょうど模型ではトンネルの断面において薪が積まれているのが見えますね。

    今回のような焼成部屋の一部である「もぐら叩きゾーン」を特徴とする土器焼成窯址はイタリア、エジプトでもいくつかの検出例がありますので、この下で紹介します。

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    ↑イタリア、セリヌンテにおける検出例①(「italy magagine」の記事内画像より転載;英文)


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    4.おわりに

    古代ギリシア文化に属する都市は現在のイタリア、シチリア島にも広がっていましたから、現在のギリシャの外であるイタリアでも多く検出されています。

    またこの「もぐら叩き式窯」は古代ローマ、ビザンツ帝国にも引き継がれていますので非常に広い年代幅でヨーロッパを中心に見られるのです。

    いくつか写真にて類例を挙げましたが、今回ギリシャで発見された土器焼成址は焼成部屋のグリル板の保存状態が本当によく、そして大型の施設である点で重要な発見だと思いますね(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    また最後に挙げた粘土板に描かれた当時の土器を焼成する工人の様子も興味深いなと思います。

    こういった一般層の人々の暮らしぶりが分かる資料は貴重ですね(*・ω・)ノ

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    ↓頻繁に更新するとは限らないけどね!( ・Д・)↓

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    2019ねん 7がつ 16にち(かよーび、曇り)

    「精神と時の部屋」が欲しい。

    ネットが使えて、書籍も持ち込めて、ネット購入した本も届くのならば……

    「時間は作るもの!」

    まだ幼き自分が抱いたモットーはとても大事だのものだったと、老いた私は今更ながらに再確認したのであったヽ(TдT)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya513
    ↑オックスフォードシャーの位置(「Google Map」の画像を一部加工)


    【目次】
    1. はじめに -基礎情報-
    2. 見つかった生贄の遺体の謎
    3. ヒルフィギュア(地上絵)って何?
    4. おわりに

    1.はじめに -基礎情報-

    今回の考古学・歴史ニュースは「イギリスで約3000年前、青銅器時代の生贄がたくさん見つかったよ!」というお話です(*・ω・)ノ

    上に挙げた図にあるように、今回の発見の舞台はイングランド南東部のオックスフォードシャー州(Oxfordshire)です。

    前回、ちょうどハリーポッターの晩餐会のシーンでお馴染みのオックスフォード大学について触れましたが、そのオックスフォード大学が所在するのがこの地域です。


    ↓【まだ食べられるよ?( ・Д・)シリーズ】『最後の晩餐』in ポンペイ、「保存状態が良い」というレベルではない件について!Σ(・ω・ノ)ノ【考古学】
     
    ↑オックスフォード大学付属博物館でのイベントです(。・ω・)ノ゙


    今回の発見の契機は、後ほど紹介するヒルフィギュアと呼ばれる地上絵の比較的近くにて、水道管の敷設工事を行っていたところ、作業員が遺骨を発見した!ということです。

    連絡を受けた考古学者チームによって発掘調査が実施され、この埋葬遺構群からは馬の頭蓋骨を含む様々な動物や鉄器時代、古代ローマ時代の道具類が多数出土したのです。


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    ↑伸展葬の遺体(「Ancient Origins」の記事内画像より転載;英文;credit: Thames Water



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    ↑足を切断され、後ろ手に縛られている遺体Σ( ̄ロ ̄|||)(「Smithsonian.com」の記事内画像より転載;英文;credit: Thames Water



    2.見つかった生贄の遺体の謎


    さて、先に述べた動物骨や道具関係の遺物の他に、26体もの人骨が確認されました。


    一番上に挙げた写真の人物は普通の伸展葬(「気を付け」をしたような態勢での埋葬)です。


    二番目の写真は、何と頭部を切断された上に、その頭蓋骨をわざわざ足元に置いた状態で埋葬されています。


    呪術的な意味合いがあるのでしょうか?ヽ(TдT)ノ


    そして最もショッキングなのが三番目の写真の遺体です。


    分析結果からこの遺体は女性のもので、両手を頭の後ろで縛られ、両足首を切断され、開脚した状態で検出されました(/TДT)/


    発見された26体全てが生贄というわけではありませんが、恐らく儀礼的に殺害された遺体の状況には一貫性がないのが謎です。


    理論物理学でよく分からないことは「ダークなんちゃら(ex.ダークエネルギー)」なんて表現するように、考古学ではよく分からないことは「儀礼行為」としてしまいます( ・Д・)


    恐らく3000年前のこの地では流行り病、飢饉、地震等の自然災害の被害を受けた結果、神の許しや先見の明を求めたり、あるいは、豊かな収穫や戦争での勝利を保証するためにこのような犠牲が払われたのでしょう( -д-)ノ



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    ↑「アフィントンの白馬」(「芭蕉blog」の記事内画像より転載)


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    ↑「サーンアバスの巨人」(「ゲー脳ニュース速報」の記事内画像より転載)



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    ↑「ウィルミントンのロングマン」(「FIND OUT WONDER」の記事内画像より転載;credit: Google)



    3.ヒルフィギュア(地上絵)って何?


    ヒルフィギュア(hill figure)とはイギリスの石灰岩の丘陵地帯に描かれた地上絵のことです。


    その名の通り、丘(hill)の図形(figure)なわけですね(*・ω・)ノ


    丘陵の急斜面の草と土壌を削って溝を掘り、母岩である石灰岩を露出させることで描いた地上絵であることから、"chalk figure"、"chalk carving" などとも呼ばれています。


    学校の黒板で用いるチョークの語源になっているチョーク(chalk) は、未固結の石灰岩を指します。


    石灰岩を露出させて描いているから「チョーク・フィギュア」なのですね(*・ω・)ノ


    ヒルフィギュアの製作動機はよく分かっておらず、記念碑、宗教、政治、広告などが考えられています。


    上に挙げた3者は特に有名なヒルフィギュアでそれぞれ、「アフィントンの白馬」、「サーンアバスの巨人」、「ウィルミントンのロングマン」です。


    ヒルフィギュアの大部分がイングランドの南部の丘陵地帯に集中しており、その数は全部で101例も確認されています。


    実はヒルフィギュアは定期的な保守作業を続けないと、風化・埋没して消滅してしまいます。


    そのため「古いヒルフィギュア」は、地域のランドマークとして長年に渡って定期的な手入れをされ続けてきたものであることを意味します。


    かつては101例以上にもっともっとあったのかも知れませんね(*^・ェ・)ノ


    さて、写真から分かるように、緑と白のコントラストが鮮やかで遠方からでもはっきりと見ることができますが、ナスカの地上絵のように上空からではなく、向かいあった斜面や遠方など地上から見ることを意識して作られています。


    選ばれる題材は「馬」が最も一般的で、その他に人や動物、十字架や紋章などがあるそうです。

    数多あるヒルフィギュアですが、適切に管理しないと消滅してしまうという性質から、実際にはほとんどのものが18世紀以降の作品なのだそうです。

    例外として今回の発見にも関係する「アフィントンの白馬」は青銅器時代作とされています。

    白馬は当時のこの一帯の部族の象徴であり、太陽が馬の上や馬車の中で空を横切って運ばれたという神話の信念を反映しているとのことです。

    これは古代ヨーロッパでは「ソーラーホース」として知られるモチーフです。

    そのため今回発見された人々は日々の日の出を保証するために犠牲にされたのかも知れません。

    それにしてもこのお馬さん、3000年前から維持され続けているって凄いですよね!Σ(・ω・ノ)ノ

    でも管理する地元住民の間では少なくともここ数世紀の間、「馬」ではなく「ドラゴン」だと思っていたそうですよ!( ・Д・)



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    ↑ホーマー・シンプソンのいたずら書き(「excite blog」の記事内画像より転載)



    4.おわりに


    上に挙げたのは2007年に起きた「いたずら事件」です。


    「サーンアバスの巨人」の隣に白色の水性ペンキで「ホーマー・シンプソン」が描かれたのです。


    文化財には直接手を出していないし、「水性」という点が優しさかも知れませんが、地元住民は怒り心頭だったようです。


    というのも先に説明したように、現在でも地元住民らの信仰の対象ですし、彼らの先祖代々の努力で現存する文化遺産なのですから当然ですね!


    (それにしてもシンプソンの絵が上手すぎる( ・Д・))


    こういった地元住民らが先祖代々、努力して守り続けている文化遺産ってけっこう少ないんじゃないかなと思います。


    その連綿と続いてきた行為自体が「重要な無形文化遺産」だと思います(。・ω・)ノ゙


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