あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    食べ物の考古学

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    2025ねん 11がつ 27にち(もくよーび、晴れ)

    禁酒してデータ入力死ぬほどやる!( ・Д・)

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    ↑そのままぶどう食べたい!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは「私はレーズンきらいっ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    人類がワインを楽しみ始めてから何千年も。通常は「生のぶどう」を搾って醸造するものと思われてきたワイン。しかし、ひょっとしたら、古代人はもっとシンプルかつ知恵深い方法──“天日干しレーズン(干しぶどう)を水に浸すだけで発酵させる”──で、“即席ワイン”を作っていたかもしれない、という新しい実験結果が注目を集めています。陽にさらされた濃縮された甘みが、やがてアルコールと味わいを生んだ…そんなロマンを含むこの仮説に、さあ一緒に耳を傾けてみませんか?




    🔬 最新実験で再現された「水と干しぶどうでワイン」

    2025年11月、京都大学 の研究チームが発表した論文が話題を呼びました。彼らは生ぶどうを収穫後、28日間、天日干しでレーズン化し、そのレーズンを水に浸し、約2週間室温保存したところ、 すべてのサンプルで発酵が進み、エタノール生成と発酵酵母の増殖が確認されたのです。特に興味深いのは、温度管理した「インキュベーター干し」では発酵が不安定だったのに対し、自然の太陽光のみで干したレーズンでは安定して高いアルコール度を示したこと。つまり、古代人がぶどうを外で干しておけば、わざわざ圧搾すらしなくても「ワインもどき」は成立しえた──可能性がある、ということです。この実験は、「ぶどう=ワインの原料」という私たちの固定観念を揺さぶるものになりました。




    🍷 歴史に残る“干しぶどうワイン” — 古代の記録と伝統

    実は、ワインの歴史には「干しぶどうを使った酒」という記録も残っています。例えば、地中海世界では干しぶどうを原料にした甘い酒─Passum(パッスム)というワインが古くから造られており、北アフリカのカルタゴで起源をもち、古代ローマ時代に広まったとされます。


    また、現代でもイタリアやギリシャなどでは、ぶどうを風乾した “ストラッパート” や “パッシート/パッシタ” という技法で甘口ワインを造る伝統があります。これらは甘く芳醇な香りと味わいを持ち、水で薄めずそのまま楽しむスタイルが伝統とされてきました。


    つまり、「ぶどうを干してつくる酒」は決して新しいアイデアではなく、古今をつなぐワイン文化の一つの流れだった可能性があるのです。




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    ↑レーズンだぁ!( ・Д・)

    (「京都大学」の記事内画像より転載)




    🌍 なぜ干しぶどうワインが注目されるのか —気候・保存・醸造の合理性

    古代の人々にとって、ぶどうを収穫してすぐ潰し、発酵させる──となると、天候や設備、水質、保存の問題が常につきまとう困難がありました。一方で、干しぶどうは以下のような利点を持ちます:

    • ☀️ 天日で干すことで糖分が凝縮、保存性が高まる

    • 🛑 収穫後すぐに醸造せず、貯蔵 → 必要な時に “復活” させられる

    • 🍇 野生酵母がレーズンの表面で増殖しやすく、自然発酵が促される

    実験でも示されたように、単に水に漬けるだけで発酵し、アルコールが生成された。これなら、気候が乾燥して日差しの強い地域、あるいは収穫と飲酒のタイミングがずれる地域でも「ワインもどき」が可能だった。この方法は、ぶどう畑が遠く、輸送が難しかった古代の地中海世界や中東・中央アジア、さらには乾燥地帯でもワイン文化を広げる力を持っていたかもしれません。





    🕰️ 古代文明のワイン観が変わるか — 考古学・歴史への影響

    この「天日干しレーズン → ワイン」の実験結果が示すのは、ワインの起源と拡散に関する再考です。従来「ワイン=ぶどう果汁の発酵」が前提とされてきた歴史観に、もうひとつの可能性が浮上しました。

    例えば、乾燥気候のレバント地域や地中海沿岸、あるいは中央アジアの旅路において──

    • ぶどうの鮮果が得にくい時期/場所でもワイン様飲料を作れた

    • 貯蔵用の干しぶどう貯蔵庫があれば、宗教儀式用ワインの備蓄が可能

    • フィールド調査で「ぶどう痕跡がない」陶器片からでも、“干しぶどう酒”の可能性がある

    こうした点は、古代の食文化・交易路・ワイン消費の実態を見直す手がかりになるかもしれません。





    🧪 それでも “干しぶどうワイン” に残る問い — 本当に古代人はやっていたか?

    とはいえ、この仮説には慎重であるべき理由もあります。

    • 化学的証拠:現在のところ、古代の壺やアンフォラから「干しぶどう起源ワインです」という決定的な成分分析は少ない。

    • 発酵の安定性:実験は現代の衛生条件や温度管理がある中でのもの。古代で同じ結果が得られたかは未知。

    • 社会文化的条件:干しぶどうの大量生産・管理には、乾燥気候、保存技術、貯蔵文化などが必要。すべての古代文明がそれを満たしたとは限らない。

    だからこそ、今回の実験は「可能性の提示」であり、「決定証拠」ではない。今後、考古遺物の化学分析、古環境のデータ、文献史料の再検討などが必要になる。




    🌅 干しぶどうが紡ぐ、古代のワイン物語 — 新たな視点で葡萄を味わう

    もし──古代の人々が、ぶどうを干すことで“ワインのもと”を貯蔵し、必要なときに水で戻して発酵させていたとしたら。私たちが「ワイン」と聞いて思い描くイメージは、ずっと後の時代の“典型”だったのかもしれません。


    ワインは、王や神に捧げられる聖なる酒でありながら、同時に旅人の携行酒でもあった。ぶどう畑に恵まれない地、時に過酷な気候の地で、干しぶどうワインが育まれていたとしたら――それは「ワインの歴史=人類の知恵と営みの歴史」を、さらに深く、遠くへ押し広げることになるでしょう。





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    ↑ぶどう狩りしたいぜ!( ・Д・)

    (「エノテカ online」の記事内画像より転載)





    おわりに

    私が絶賛サボり中のYoutubeで動画を出しているように、私何でも食べてみたい人なんです。この前グアテマラに行った時はワニは食べそびれたけど、、、何食べたかな。アルマジロとかテペスクイントレ(小っちゃいカピバラかでっかいネズミか)とかかな。シカとかイノシシ、クマは特別感ないですよね、日本でも食べれるもんね。向こうのイノシシはペッカリーだけれど、うーん違いはよく分らんかた。向こうの方が硬い気もするけれど、調理法の違いがある気がする。あとメキシコではアリの卵とか、私の手の中指よりでかいイモムシの素揚げとか、あ、ちなみに私は「呪われたチビ手」なので女の子と同じくらいかたまに小さいくらいのサイズ感です。

    あれ、なんでこんな話を・・・あ、それでもレーズンきらい!って話ですね(笑) まぁもういい大人になったので好き嫌いせず何でも食べれるんですけども、レーズンも食べれます。ただ美味しいと思って食べていないだけです。レーズンって子供の頃、「ぶどうのミイラ」だと思ってました。生で食べりゃいいのになんでこんなぐちゅぐちゅしたものにするんだと思ってました。給食のレーズンパンが辛かった!( -д-)ノその後、初代プレイステーションでバイオハザードが出た辺りから、「レーズンはミイラってよりはゾンビだな」ってなったけれど、やぱ嫌いだったな。



    何はともあれ・・・

    やぱレーズン嫌い!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 14にち(きんよーび、晴れ)

    原稿2本、締め切りなまらやばい!( ・Д・)

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    ↑こんな感じだった?( ・Д・)
    (「Durham University」の画像より転載)




    今回の考古学・歴史ニュースはネアンデルタール人が分かっても私は芸術がよくわからん!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは、「あるけまや」風に、少し長めでワクワクする導入からお届けします。私たち人類の旧友であるネアンデルタール人。「原始的」「野性」「文化はなかった」――そう思われてきた彼らですが、最近の考古学的発見がそのイメージを大きく塗り替えつつあります。洞窟の壁に手形や幾何学模様を残し、骨に意図的な刻みを入れ、赤いオーカー(顔料)で線を描いた――そんな“創造活動”の痕跡が、実はネアンデルタール人自身の手によるものだった可能性が高まっています。


    「象徴」「芸術」「創造」という言葉は、長らくホモ・サピエンスだけの特権と思われてきました。しかし、もしネアンデルタール人も“芸術的存在”だったとしたら?それは、人間とは何か、文化とは何かを根底から問い直す出来事です。では、最新の研究と鮮やかな発見をもとに、ネアンデルタール人の“創造の世界”を一緒に探ってみましょう。





    🖼️ 洞窟壁画と手形:64,000年前の記号とあかし

    スペイン北部のラ・パシエガ洞窟(La Pasiega洞窟)やマルトラビエソ洞窟、アルダレス洞窟などでは、「赤い手形」「梯子状の模様」「指で引いた曲線」が約64,000年以上前の層で確認されており、科学的年代測定からそれが現代人到来前のもの、すなわちネアンデルタール人の活動圏に属する可能性が強く指摘されています。 


    特に、手形はただ押された跡ではなく、壁に沿ってきれいに配置され、顔料がその上に結晶化しており、意図的な記号行為だったことが示唆されています。このような“壁面を使った表現”は、「象徴的行為」「空間の意味化」「他者と共有するメッセージ」の可能性を含んでおり、ネアンデルタール人に「創造・芸術・共有」という人間的特徴があった可能性を浮かび上がらせます。



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    ↑これがオーカー!( ・Д・)
    (Straffon and Tennie 2025より転載)


    🏺 刻まれた骨とオーカー:創造活動の“素材”痕跡

    創造=絵を描くことだけではありません。ネアンデルタール人による象徴的・装飾的行為として、次のような発見も報じられています。例えば、ドイツ・ハルツ山脈近くのEinhornhöhle洞窟では、約51,000年前とされる巨大鹿の骨に意図的な彫り込み模様が入っており、これがネアンデルタール人による芸術的表現と評価されています。 


    また最近発表された研究では、クリミアおよびウクライナの遺跡から、赤・黄のオーカー(顔料)を「クレヨン」的に使った可能性がある石片が出土しています。先端が研がれていた痕跡などから、「線を描く・記号を刻む」という創造行為と解釈されるのです。これらは、「ネアンデルタール人は工具と顔料を使っていた」「単に機能的ではなく意味を付与しうる行為をしていた」という側面を支える証拠です。




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    ↑これ骨!( ・Д・)
    (「Live Science Plus」の画像より転載; d'Errico et al., Sci. Adv. 11, eadx4722



    🧬 脳と創造力:ネアンデルタール人も“アートのための思考”を持っていた?

    創造的な行為には、技術・素材・思考・社会という複数の要素が絡み合います。研究によれば、ネアンデルタール人は次の要素を備えていた可能性があります。

    • 顔料・顔料加工・線描・記号化:上記のオーカー・手形・図形痕跡がその基盤です。

    • 構造的な社会・交流・模倣:たとえば、洞窟深部にまで赴いて壁面を使うという行動は、共同体・儀礼・知識伝達の要素を含みます。

    • 象徴を作る・象徴を共有する能力:刻まれた記号や図形は、それ自体が“意味”を持たされていたと解釈される研究があります。 

    これらを総合すると、ネアンデルタール人に「アートを創るための思考・意味づけ・共有」という人類的営みがあった可能性が出てきます。もちろん「われわれが描くような絵画・写実」というレベルではないかもしれませんが、「象徴する」「意味を与える」「技術を使う」という点で、非常に人間的な創造力があったことは明らかです。

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    ↑ネアンデルタール人の物質文化って色々あるもんだね。下の画像は貝に穴を開けたビーズ状のもの、ネックレスになるのかな!( ・Д・)
    (Straffon and Tennie 2025より転載)


    🌍 人間性再考:ホモ・サピエンスだけが“芸術する種”ではない

    この発見が持つ社会的・文化的インパクトは大きいです。

    • 「芸術・創造性=ホモ・サピエンスの特権」という図式が揺らぎます。ネアンデルタール人にも創造・表現・意味付けという能力があったというなら、人類が“唯一の創造者”ではなく、複数の人類系統が文化的営みをしてきたことになります。

    • 考古学・文化史・人類史において、「道具と狩猟だけ」のネアンデルタール像から、「創造・装飾・象徴」をも含む複雑な社会像へと変化します。

    • 現代の「創造」あるいは「芸術」をどう捉えるかにも影響します。創造性は写実性や複雑性だけではなく、“意味づくり”の深さと社会的共有の幅が鍵であるという再認識を促されます。

    このように、ネアンデルタール人の芸術・創造というテーマは、過去の発見を越えて、「人間とは何か」「文化とは何か」という根本に迫る旅でもあるのです。


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    ↑装飾品がけっこうあるものだ!( ・Д・)
    (Straffon and Tennie 2025より転載)




    おわりに

    私は今、人類史全体というか物質文化史全体を数理的に記述する研究やってますけども、元々の主要研究テーマは「国家形成」ですからね。国家形成やってて、文化進化・社会進化を考えてて、からの財の社会不均衡分布として物質文化史を統一的に記述・分析するっていう流れなんですよね。だからほんとに旧石器とか全然興味ない(笑) 元々のメイン遺物は土器だし、ほんと石に興味ない。あ、胎土内の鉱物組成分析もやってるから「鉱物」は割と好き!けど旧石器好きくない!( ・Д・)

    だからよく知らなかったし、どこかで見たことある気もするんだけれど、興味ないから積極的に記憶してなかった・・・ネアンデルタール人の残した物質文化を調べてみたら、上に挙げたように装飾品もたくさんあるし、なかなかすごいね!でもどうしても自分の興味に引き付けて考えちゃうから、、、財の種類はたくさんあるのに、財の社会分布がほぼ平等ってデータが取れれば最高なんだけどなぁって思っちゃう。いつかはやらんとならないね~( -д-)ノ



    何はともあれ、、、

    クレヨンで子供っぽく絵を描くのは好き!( ・Д・)







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    今日はやるべき仕事が進んで良き!( ・Д・)

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    ↑このアボカド、まだやや固そうだな……( ・Д・)
    (「Wikipedia」の画像より転載)




    今回の考古学・歴史ニュースはアボカド旨いよね、大好き!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは、「あるけまや」風に、ちょっと長めでキャッチーな導入から始めましょう。私たちが今、朝食にのせたりサラダに混ぜたりする “アボカド”。そのクリーミーな果肉と種の大きさ、そして健康ブームとともに人気が世界中で爆発しています。でも、そんなポップな現代の姿を想像する前に――なんと 約 7,500 年前 のメソアメリカ(現在のホンジュラス高地)で、すでに人びとがアボカドを「育て」、「選抜」していたという研究が発表されたのです。しかも、種(核)の大きさが時間とともに増え、皮が厚くなり、果肉部分がより多くなるという明快な“人による改変”の物理的証拠まで出ています。 


    「アボカド=メキシコ起源・比較的最近の栽培植物」という常識がひっくり返され、そこには「木の果実を意図的に育てる技」が穀物より先に芽吹いていた可能性まで浮上してきました。今回は、この驚きの発見が示す「種が大きくなる過程」「農耕開始の転換点」「現代アボカド栽培とのつながり」を、じっくりと見ていきましょう。



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    ↑発掘現場の様子!( ・Д・)
    (「Smithonian Magazine」の画像より転載;credit:  Ken Hirth / UC Santa Barbara


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    ↑洞窟遺跡らしいけど岩陰遺跡のようにも見えるね!( ・Д・)

    (「UC Santa Barbara」の画像より転載;credit: Alejandro Figueroa)


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    ↑さすが洞窟遺跡は層序が細かいし、残りもいいぜ!( ・Д・)

    (「UC Santa Barbara」の画像より転載;credit: Tim Scheffler)




    🌱 起源を探る:ホンジュラス高地の “El Gigante” 遺跡

    メソアメリカのホンジュラス西部、高地の岩屋 “El Gigante Rockshelter” では、約1,700以上におよぶアボカドの炭化・乾燥遺存体が見つかりました。  このデータをもとに放射性炭素年代測定と形態測定が行われ、「およそ 7,500 年前から人びとがアボカドの栽培・選抜を行っていた」ことが明らかになったのです。


    具体的には、古い層では種(核)が比較的小さく、果実もワイルド系統の特徴を示していた一方、時代が下るにつれて種が大きくなり、皮や果肉の厚み/大きさが変化してきたという結果が出ています。 つまり、「人が選ぶことでより“使いやすく”“大きく”“運びやすく”」という方向へアボカドが変化していたわけです。



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    ↑アボカドの種がどんどんデカくなっている!( ・Д・)

    VanDerwarker et al. 2025


    🔍 種が巨大化・果実が変化:人による選抜の物証

    研究チームの観察によると、アボカドの種のサイズ・果皮の厚み・果肉量などが時間を経て明らかに変化しており、それは “人による操作” を示す典型的なパターンと言えます。たとえば「種の直径の増大」に関してデータが示されており、これがより大きな果実を得るための選抜だったという解釈が支持されています。 


    さらに、研究記事では「アボカドの栽培がトウモロコシより早く始まっていた可能性」が指摘されており、これは農耕史の通説に大きな問いを投げかけています。 このような形質変化が示すものは、「野生の果実をそのまま食べる」だけではなく、「より大きく/より厚く/より運びやすく」という人間のニーズを反映した、明らかな作物化の方向です。アボカドという果実が、数千年の間、われわれ人間によって“改良”されてきた軌跡がここにあるのです。




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    ↑トウモロコシについては知ってたけど、アボカドも場所によって形違うのね!( ・Д・)

    VanDerwarker et al. 2025




    🌳 なぜアボカドだったのか?木の果実としての優位性

    穀物(麦・米・トウモロコシ)に比べて、果樹=木の果実を栽培対象とすることにはいくつかのハードルがありますが、アボカドが早期に人びとによって扱われた理由もまた、そこにあります。研究者らは以下のようなポイントを挙げています。

    • アボカドは栄養密度が高く、脂肪・エネルギーを豊富に含むため、人類の食料基盤として魅力的だった。

    • 原野に自生していたアボカドの木を“手入れ”することで、果実収量が安定する可能性があった。

    • メガファウナ(巨大動物)が種子散布していた時代の終了後、人による種子散布・栽培管理が重要になった。

    • 果実が比較的大きく、種が一つ、収穫・運搬・貯蔵という点で利点があった。木の果実として“選抜”に適していたというわけです。

    このように、アボカドという果実が「木の果実として栽培対象となる理由」が既に古代に存在しており、人びとの知恵と手が早くから働いていた可能性が浮かび上がります。


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    ↑洞窟遺跡は残りがいいから、色々な食物が見つかってる!( ・Д・)

    VanDerwarker et al. 2025



    📉 現代へのつながり:遺伝多様性・気候変動・栽培危機

    この古代研究が現代に持つ意味も重大です。現在、世界的なアボカド産業はほぼ1品種(たとえば ハス・アボカド)に依存する傾向が強く、「遺伝的多様性の極度な低下」が懸念されています。 古代からのアボカド遺存種・野生系統の解析によって、「果実サイズ・皮厚・種子サイズ」の変化の記録が得られたことで、今後の耐病性・耐乾燥性を備えた品種開発のヒントになると研究者は言います。


    また「木の果実を早期に栽培していた」という事実は、われわれの作物起源・農耕史の理解を広げるものであり、「穀物優先・草本作物起点」という常識を改める議論の一端ともなりえます。つまり、この発見は過去の考古学的好奇心で終わるものではなく、未来の農業・気候変動・食料安全保障とも深く結びついているのです。




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    ↑アボカド断面図、これは食べ頃な気がする!( ・Д・)




    おわりに

    アボカド好きなんですよね。グアテマラにいる間は毎日食べてると思う。安いからね!大体手作りセビーチェ作って食べてる。トマトとアボカドと、濃いMIXトマトジュースと、あと何入れるかな・・・あ、玉ねぎと生のエビと白身魚と、ハバネロとハラペーニョ、チリテペ(全部辛いやつ)かな。あとは塩と黒コショウで整えて、冷えたビール準備すればOK!

    あとね、グアテマラにいるとマグロ食べれないからね。アボカドにわさび醤油かけたらマグロの刺身っぽくなるってあれ、よくやる。安くて美味しいから死ぬほど食べれる。だけどね、問題はね、醤油とワサビが高い or 激マズの醤油かどうかすらよく分らん韓国の黒い液体と安かろう悪かろう粉ワサビしか買えないので、日本から持ってかなきゃならない。

    あとね、アボカドにわさび醬油かけてマグロの刺身な気がするのはうそだと思う。全然そうは思わない。ただ丸1年とか海外にいたら、めちゃくちゃ美味しくは感じる。だが全くマグロではない!わさび醬油の味がするアボカドだよ( -д-)ノ





    何はともあれ、、、

    日本でお金あるなら生ハムアボカド!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 12にち(すいよーび、晴れ)

    昨晩はまったりしてしまった、今日からメメントモリ!( ・Д・)

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    ↑ビール飲みたいな……( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは断酒したいのに酒の神かぁ……!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは!「あるけまや」風に、少し長めの導入から始めます。今回は、古代ローマの町ポンペイで、まるで時を止めたかのような驚きの発見がありました。紀元前40〜30年頃に描かれたと思われる、ワインの神 ディオニュソス(ローマ神話ではバッカス)の神秘的かつ華やかな儀式が壁画になって眠っていたのです。会食の場と酒の祝祭、狩猟と復活、女性たちの解放と神秘主義――そんな複層的なテーマが、一つの壁面に重ね描かれていたこの壁画は、「まだ知られていない古代世界の側面」を鮮やかに私たちの眼前に引き出しました。


    瓦礫の下にあった宴会室、その三面を覆う大きなフレスコ画。そしてそこに描かれたのは、女性たちが剣を構え、山羊を肩に担ぎ、笛を吹くサテュロスと共に踊り、ワインを捧げる…そんなシーン。これを見た瞬間、「古代の宴」が現代に語りかけてきたと感じた方も少なくないことでしょう。では、この発見がどこから来たのか、何を語っているのか、一緒に掘って行きましょう。




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    ↑遺構遠景、綺麗だね!( ・Д・)



    🎨 発見現場:インスーラ 10(Region IX)「ティアソス館」の宴会室

    今回発見されたのは、ポンペイ遺跡の一角、Region IX・Insula 10の「ティアソス館(Casa del Tiasus)」と名付けられた建物内。公式発表によれば、宴会室の三壁を覆う大規模な壁画(“メガログラフィア”)が掘り起こされました。この壁画は第一世紀BC、具体的には紀元前40〜30年ごろと日付が特定されています。つまり、79年のヴェスヴィオ火山の噴火で町が埋まる時点で、すでに100年近く経過していたということです。 


    壁画には、肉を手にした女性たち、笛を吹くサテュロス、ワインを捧げる儀式行為、そして中央に松明を持った“儀式参入を待つ女”の姿が描かれており、これは「ディオニュソス信仰・入会儀礼(Mysteries of Dionysus)」を示す貴重な場とされています。




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    ↑遺構近景、さすがよく残ってるね!( ・Д・)



    🥂 祭儀の意味:酒・狩猟・再生の象徴として

    この壁画が示すものは単なる装飾ではありません。そこには、酒の神ディオニュソスの祭儀、そしてその背後にある「死と再生」「束縛と解放」というテーマが横たわっていたようです。例えば、女性たちが山羊を担ぎ、剣を持ち、森を駆ける姿。これは「狩猟=破壊」「宴=恵み」「解放=再生」という象徴的な行為の重層性を描いていると研究者は指摘しています。


    また、中央に配置された松明を持つ女性は「儀式への参入者(イニシエイト)」と解され、「死と再生を司る神秘宗教」の構図を体現しているとされます。 つまりこの壁画は、古代ローマの“ワイン宴”を越えて、信仰・身体・自然・共同体が交錯する複雑な儀礼空間を私たちに見せてくれているのです。



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    ↑そのまま残ってる感がすごい!( ・Д・)


    ⏳ 保存・技法・新しい視点:100年を経ても色鮮やかに

    今回の壁画のもう一つの驚きは、その保存状態と技法です。深紅の背景、彫像のように立つ人物、動きを感じさせる衣装のひだ――こうした「実物大に近い描写(ライフサイズフレスコ)」が残っていたことが報告されています。 これらの特徴は、同じポンペイの「神秘の館(ヴィラ・デイ・ミステリ)(Villa of the Mysteries)」のそれと並ぶものであり、ポンペイにおける“ディオニュソス信仰の視覚表現”を改めて問い直しています。発見者らは、近年の「大ポンペイ再発掘プロジェクト(Great Pompeii Project)」のなかで、新たな建物群・壁画・装飾が次々と明らかにされており、この壁画もその一環です。遺跡全体の新たな価値が再評価されています。




    🌍 広がる意味:古代地中海・宗教変容・宴会文化の再考

    今回の発見が示すのは、「ポンペイ=災害で終わった町」という枠を越え、「生きた儀礼空間」であったという視点です。


    ワイン、宴、神秘宗教、女性・狩猟・飲酒・再生というキーワードが揃うこの壁画は、当時の地中海世界における“酒と宗教”“身体表現と象徴空間”を問い直す契機となります。また、近年の研究でポンペイの女性像・宴会像・宗教像が再評価されており、この壁画は女性たちのアクティブな参加・身体表現・神秘的役割という観点からも新たな視野を開いてくれます。さらに言えば、ワインという物質がただの飲料ではなく、儀礼・共同体・再生という構造のなかで機能していたことを、この壁面は示しているのです。


    そう考えると、この発見は「古代ローマの壁画が美術として語られる」だけでなく、「信仰・身体・酒・性・共同体」が交錯する生きた文化を我々に見せてくれていると言えます。



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    ↑ここ発掘したらもう他は掘れないよ!( ・Д・)



    おわりに

    さすがポンペイだなぁって感じですね。考古学の理論(?)で『ポンペイ前提』というのがあるけれど、確かに一瞬でパッキングされてそのまま最良好な状態で現代まで保存されているんだから、遺物や遺構の位置関係も動いてないよね。ポンペイの被害者には申し訳ないけれど、こうした良好な遺跡がもっとたくさんあったのならば考古学は大いに前に進む気がするんだけどなぁ( -д-)ノ

    ってか、マヤ文明掘ってて綺麗に彩色された土器が莫大に出てくる環境に慣れると、日本の縄文掘ってて何出てきてもゴミみたいとまではいかないものの何も感じない(笑) そう考えると、ポンペイで発掘している人たちってもう他のどの現場も行けないんじゃない? つまらなさすぎに感じる気がする。たぶんポンペイを基礎としている考古学者も普遍的な研究はできそうにないね( ・Д・) まぁそれくらいにポンペイはあまりに特別だよ!




    何はともあれ、、、

    今日からちゃんと断酒する!( ・Д・)







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    2025ねん 11がつ 11にち(かよーび、くもり)

    恢復してきたからまたダイエットしなきゃ!( ・Д・)

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    ↑ねぇ、これって座布団ってこと!? え、座布団?( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは久々の『まだ食べれるよ?系』、なまら嬉しい!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ



    📰はじめに

    こんにちは、みなさん。「あるけまや」風にじっくり、長めの導入でお届けします。トルコ中部、カルアマン(Karaman)県の遺跡 Topraktepe(古代名:Eirenopolis)で、なんと 約 1200年前(7〜8世紀) の炭化したパン5個が発見され――そのうち1個には驚くべきことに「農夫姿のキリスト」の姿が刻まれていたのです。しかもそのパンには「恵みのキリストに感謝を込めて(With our gratitude to Blessed Jesus)」というギリシャ語の銘が刻まれており、まさに「パンに込められた信仰」と「農耕生活」が交錯する発見となりました。


    この出土は、古代キリスト教の儀礼・農耕社会・食文化の三つを横断する物語を我々に投げかけています。焼かれ、時間を越えて残ったパンと刻印、それらが語るのは「信仰が日常に根ざしていた」証でもあり、「パン=命・儀礼」の象徴でもありました。では、この奇跡的な発見が何を語り、何を問いかけているのか――ともに旅を始めましょう。




    🕰️ 発見の舞台:Topraktepe遺跡と炭化した5個のパン

    トルコ・カルアマン県にある Topraktepe 遺跡では、最近の発掘により 炭化したパン5個が出土。これらは7〜8世紀(ビザンツ時代)のもので、恐らくは悲劇的とも言える火災などによる炭化保存という偶然が、今日発見を可能にしました。

    5つのうち1つにはギリシャ語の刻印「With our gratitude to Blessed Jesus」が確認され、さらにその表面にはキリストを農夫(穀物を蒔く者=sower/farmer)と描いた図像が刻まれていました。この遺物は「聖体パン(Eucharist bread)」「儀礼用パン」としての解釈が有力で、パンという“日常物”が“儀礼物”へと変換されていたことを示す稀少な物証です。




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    ↑遺跡全景、やぱ空撮って美しいね!( ・Д・)




    🌾 パンに刻まれた「農夫キリスト」:信仰・農耕・象徴の交差点

    この発見のハイライトは、なんといっても「農夫姿のキリスト像」です。通常ビザンツ期のキリスト図像は「キリスト・パントクラトール(全能者)」が主流ですが、このパンに刻まれていたのは、耕す姿=農作業を行うキリストであり、農村社会に根ざした信仰表現が現れていると研究者は指摘しています。


    さらに、パン出土現場の周辺が農耕地帯であり、この地域のキリスト教共同体が「パン/麦/農耕」という物質と信仰を結びつけていた可能性も示唆されています。つまり、パンに記された姿は単なる装飾ではなく、「日々の労働」「豊穣」「神の恵み」が結びついた、農村キリスト教文化の“象徴”だったのかもしれません。




    🧪 技術と保存:炭化パンが語る保存環境と材料解析

    このパンたちが1,200年以上にもわたって形を留めていた理由として、研究者らは「突然の火災による炭化」「低酸素・安定した土中埋没環境」という二重の条件が整った可能性を挙げています。また、今後の研究課題として、「麦種・酵母・製パン技術」「刻印・図像の技法」「パンが作られた場所・配布・儀礼の場」などが挙げられており、考古学・食文化・宗教研究が交差するテーマとなっています。


    このように、パンという一点から見えてくるのは、単に“食べ物”ではなく、「象徴された食」=儀礼的パンとしての存在であり、それを保存した環境と技術の奇跡でもあります。




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    ↑ごめん、これ最古のパンだった!食べれなくもない!( ・Д・)





    📜 宗教・文化史の再考:農耕パンと儀礼文化

    この発見を宗教・文化史の枠で捉えると、いくつかの興味深い問いが浮かびます。

    • パンという「日常の必需品」が、儀礼パンとして宗教的意味を帯びていた。そこには「命を支える穀物」「神の恵みを象徴するパン」「教義と農作村の結びつき」が見えます。

    • 図像としての農夫キリストは、都市的エリート向けの教義ではなく、農村・労働基盤のキリスト教信仰を示す可能性がある。

    • 近年明らかになってきた「物質文化」と「信仰表現」の交錯――食・農・信仰が一体化していた地域社会の姿が、パンという物質から立ち上がります。

    こうして、発見された1200年前のパン5個とその図像は、過去を“味わう”だけでなく、信仰・生活・労働の世界を再考させる窓となっているのです。



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    ↑これ、今回のパン!私だったらパンって思わんわ!RPGに出てくるスモールシールドかなと思う!( ・Д・)




    おわりに

    今回のパンも驚くべき保存状態なんだけどさ、ほんと私が出したなら、パンって分らん!全然パンっぽくないんだもん。まぁ保存状態最高だから主旨的に食べれそうなんだけどさ・・・やぱパンって感じしない( ・Д・) 小麦色なら食べれる気がするんだろうけども、、、なんだろう、やぱこの”余計な”装飾が食欲を削いでるぜ!

    マヤ文明フィールドにしてる以上、食べ物出ることないもんね。少なくとも『まだ食べれるよ?シリーズ』で使えるようなものは出ない。そもそも現代グアテマラ人含めて、毎日同じものしか食べん文化だしね。あ、ドイツもそんな感じらしい、グアテマラがそうってことはスペインもそうだろうし、ってことはヨーロッパもそうだろうし、、、日本だけがグルメかな!( ・Д・)



    何はともあれ、、、

    たまにはパン食べたいよね、焼きそばパンかメロンパン!( ・Д・)







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    2025ねん 9がつ 24にち(すいよーび、晴れ)

    これ昨日の分!( -д-)ノ

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    今回の考古学・歴史ニュースは古代ローマ期の屋台って何売ってたんだろうね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ

    🧭はじめに

    想像してみて。


    石畳の路地、空腹な商人、あるいは塩漬けガルムの香りに誘われて串を頬張る市井の人々。安価で素早く腹を満たす――それが古代にもあった。


    現代のファストフードと同じく、ここには経済、流通、習慣、味覚の交差点がある。遺物は静かだけど、街の喧噪と人の胃袋の物語を語り続けているのだ。




    🕳️発見の舞台 — セスポット(廃棄穴)って何者?

    ローマ都市の地下にはごみや排水をためる「セスポット(cesspit)」があり、そこは古代の日常ゴミ箱そのもの。


    今回注目されたのは、スペイン・マヨルカ島(Pollentia)の都市遺構に接続された深いセスポットの発掘で、ここから多数の動物骨が出土しました。


    考古学者はこのセスポットが付随する建物を「タベルナ(taberna)」=飲食店/屋台に結びつけて解析しています。




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    ↑屋台は残らんので古代ローマの飲食店をば!( ・Д・)(「My Modern Met」の記事内画像より転載)


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    ↑凛々しいつぐみ!( ・Д・)(「暦生活」の画像より転載)


    🍗何が見つかったの?―― 小鳥(ツグミ類)が大量に

    このゴミ穴からは魚貝や豚・羊などの動物骨に混じって、特に“ツグミ類(thrush)”と見られる小型の鳥の骨が多く出てきました。


    年代は紀元前10年〜紀元30年頃と推定され、ローマ世界の一都市の日常食が映し出されています。


    かつて“高級食材”と考えられていた小さな野鳥が、実は街の屋台で手軽に食べられていたことを示す可能性が出てきました。






    🔥調理法と「ファストフード」像―― 揚げる、串に刺す、ガルムで味付け?

    骨の配置や出土品(破片陶器など)から、研究者たちはこれらの鳥が揚げたり、串焼きにされたり、あるいは簡易な皿や串で提供された可能性を示唆しています。


    油でさっと揚げる・平たく潰して短時間で火を通すなど“即食”を想像させる調理法の痕跡が指摘されており、これはまさに現代でいうところの「ファストフード」の祖型と言えるでしょう。




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    ↑今でもそのまま使えるよね!( ・Д・)(「Archeo Travelers」の記事内画像より転載)


    🏺出土と文脈の力学―― なぜゴミ穴が優れた証拠なのか

    家庭ごみや食べ残しが集まるセスポットは、単なる「混ぜこぜ堆積」ではなく、日常の消費行動を写し取る生きたサンプルです。


    屋台やタベルナ周辺で出た食べ残しが集中することで、当時の街角で何が安価に出回っていたか、どの部位が使われていたか、食材の比率がどうだったかが分かる――つまり、エリートの食卓ではなく「路地の味」こそ、ここで甦ります。 


    Pollentia の例は、都市層の食習慣を直截に反映している点で貴重です。






    🥖他の現場と合わせて見る:ポンペイの“スナックバー(thermopolium)”

    同様に、ポンペイの“thermopolium”――壁画に彩られた古代の軽飲食店/屋台の遺構――もここ数年で注目の発掘が続き、調理器具、供食用の土器、さらには食品残滓から当時のメニューが鮮明に分かるようになっています。


    絵に描かれたメニュー、カウンター内部の土器口、さらには動物の骨や貝殻が、その場で温めて売られていた“屋台飯”の実像を補強します。


    Pollentia のセスポット発見は、こうした屋台文化を廃棄物という側面から補完する重要なピースです。




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    ↑綺麗なもんだ!( ・Д・)(「Archeo Travelers」の記事内画像より転載)



    🧾「贅沢品」だったはずの食材が庶民飯に?―― 社会経済の読み取り

    ツグミなど一部の鳥は、保存状態の良い古典資料からは「贅沢な一品」として語られることがありました。


    しかし、遺存データが示すのは異なる日常性。養殖か狩猟か、小鳥の流通経路や保存・加工法(塩漬け、ガルム味付け、油での処理など)を考えると、一定のコストで大量に供給され、庶民にも手が届いた可能性が浮上します。


    つまり「紙の上の高級」と「路地の現実」は違う――考古学はその落差を埋める役割を担います。






    🧪考古学的手法メモ(ちょっとだけ専門的)

    • 出土骨の種判定(鳥類種の同定)は形態学的比較と古DNA/同位体分析が補助します。

    • セスポット内の上下層序と器物配置から、廃棄がいつ・どのくらいの頻度で行われたかを推定します。

    • 調理痕(焼成・焦げ・切断面)と器片は調理法と提供形態の手がかりになります。


      これらの方法で複数のラインから日常消費を再構築するのが今回の研究の肝です。



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    ↑グアテマラの今のキッチンも場所によってはこんな感じ!( ・Д・)(「My Modern Met」の記事内画像より転載)

    🤔でも、どこまで断言できるの?

    考古学はしばしば断片から大きな物語を紡ぎますが、注意も必要です。

    たとえば、出土の集中は一時的なイベント(お祭り、商人の廃棄)に由来することもあり得ますし、食材の「大衆化」は地域差・時期差も大きいです。

    Pollentia の事例は強力な証拠ですが、ローマ帝国全域で即座に「ツグミが庶民のファストフードになっていた」と断言するには、さらに比較データが必要でしょう。






    おわりに

    面白そうな記事を貯め込んでいたけれど、やっぱりその時その時でデータ集めて、記事しないと駄目ですね~。

    というのも普通のニュースの記事だと、総情報量が膨大なせいか、記事がなくなっちゃうんですよね。

    今のネット公開用の論文や報告書でなければ、基本的には白黒の写真を用いるので、記事にしても映えないんですよね( -д-)ノ

    今後は頑張ります(*^・ェ・)ノ



    ……さて、今回の記事も私的には興味深い!

    文献資料データにおける財の価格や社会分布が、実際の価格や社会分布と異なる・・・

    まぁ新しい時代というか、文献が使える時期の研究は文献に頼ろうと思ってましたけれど、、、

    やっぱり現実社会は複雑で、社会現象の理解はイージーゲームではないですね。

    が、難しい方が面白い!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!




    何はともあれ、

    やぱまんまるのとり可愛いな!( ・Д・)



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