あるけまや -考古学・歴史ニュース-

「考古学」を中心に考古学・歴史に関するニュースをお届け! 世界には様々な発見や不思議があるものです。ちょっとした身の回りのモノにも歴史があり、「らーめん」すらも考古学できるってことを、他の考古学・歴史ニュースと共にお伝えします!(。・ω・)ノ゙

    お金にならない考古学をお金にしよう╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ ! 考古学・歴史ニュースの決定版╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !

    黄金

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    2026ねん 5がつ20にち(すいよーび、晴れ)
    あと2年は日焼けする生活だな!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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    ↑金製品とてもみつけたい!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースは散歩中の男性が、1500年前のエリート戦士の黄金の剣の鞘を見つけたらしい! しかもこれ、ただの高級品じゃなくて、古代ノルウェーの権力と信仰の気配まで見せてくるかも?( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ




    📰 はじめに


    「散歩してたら金が見つかった」と聞くと、ちょっと出来すぎた話に見えるよね。
    でも今回の発見は、ほんとうにかなり強い。

    ノルウェー南西部サンネスのアウストロット地区で、散歩中の男性が、昔の嵐で倒れた木の根元を棒でつついたところ、土の中から金色に光るものが見つかった。調べてみると、それは約1500年前、6世紀ごろの黄金製の剣鞘金具だった。しかもかなり精巧な装飾を持ち、この地域を治めた首長級の人物に属していた可能性が高いとされている。ロガラン県では初めての例で、北欧全体でも同種資料はこれ以前に17例しか知られていないという。


    つまり今回の話は、
    「散歩中の幸運な発見」
    だけじゃない。

    むしろ大事なのは、
    この小さな黄金の剣鞘金具が、6世紀のノルウェーで誰が力を持ち、どうやってその力を見せ、そして最後にどう神へ返したのか、そこまで見せてくるところなんだよね。


    🌊 まず、時代はどんな世界だったのか

    この遺物が属するのは、ノルウェーでいう「民族移動時代」、だいたい4世紀後半から6世紀半ばごろの時期だ。
    ローマ帝国西方の崩れと広域的な戦乱の時代に重なり、北ヨーロッパでも政治的・軍事的なまとまりが強まりつつあったらしい。しかも6世紀半ばには、火山噴火にともなう寒冷化や不作、さらに疫病の影響まで重なった可能性があり、この時代はかなり不安定だったと考えられている。


    ここ、かなり大事なんだよね。
    こういう不安定な時代には、ただ強いだけでは足りない。
    支配者は、戦う力だけじゃなく、「自分こそこの土地を守れる」と示す必要がある。
    そして、そのために武器や黄金や儀礼がかなり大きな役割を持つようになる。今回の剣鞘金具は、まさにそういう時代の空気の中に置いたほうがよく見えるんだ。





    🏔️ 発見地の近くには、すでに“力の中心”があったらしい

    今回の金具が見つかったアウストロットの近くには、ホーヴェという古代の有力中心地がある。
    研究者たちは、この金具の持ち主を、6世紀前半にこの地域を治めた首長とみている。ホーヴェのまわりではこれまでも金製品や高級輸入品が見つかっていて、紀元200年から550年ごろにかけての地域権力の中心だった可能性が高いという。しかもこの一帯は、大きな墳丘墓、長大な建物、丘城、そして沿岸交通の要衝という条件までそろっている。


    要するに今回の発見は、
    どこか無名の山の中からぽつんと出た宝物、
    ではないんだよね。

    もともと強い人たちがいて、
    その権力を示す遺物も集まりやすい場所の近くで、
    またひとつ、かなり強い資料が増えた。
    そういう話なんだ。


    🗡️ そして今回の主役、黄金の剣鞘金具

    今回見つかった品は、剣そのものではなく、剣鞘につけられていた黄金の装飾金具だ。
    幅は約6センチ、高さは数センチ、厚さはごく薄く、重さは33グラムほど。ベルトから吊るされた鞘の一部を飾っていたとみられている。大きくはないけれど、素材が金で、しかもつくりはかなり繊細。いかにも「その辺の戦士の持ち物」ではない感じがある。


    しかも面白いのは、この金具がかなり使い込まれていたらしいところだ。
    こうした黄金の剣鞘金具は、見せるための品としてあまり使用痕がない場合も多いらしい。でも今回は、摩耗がかなりはっきりしていて、持ち主が実際に長く使っていた可能性が高いという。つまりこれは、ただの儀礼用の見せ物というより、地位そのものを日常的に帯びていた武装の一部だったかもしれないんだよね。




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    ↑紫色部分が二匹の動物で、ピンク色部分がリボンの装飾だって!( ・Д・)(「Live Science Plus」の記事内画像より転載;credit:Ellen Hagen/University of Stavanger Archaeological Museum)




    🐍 装飾は、ただの曲線じゃなかった

    一見すると、この金具の文様はくねくねした線に見える。
    でも詳しく見ると、向かい合う二匹の動物のような姿が読み取れるらしい。さらに、その中に人の顔のような要素が重なっている可能性まで指摘されていて、動物と人間が混ざるような意匠だったのかもしれない。こういう混成モチーフは、この時期のスカンディナヴィア美術でよく見られるものだという。

    しかも表面には、三本撚りの粒状金線を重ねたフィリグリー装飾の痕跡が残っている。

    つまり、ただ金板を切って貼ったのではなく、かなり腕のいい金工師が細い金線で輝きと線を強調していたわけだ。評価としては、この時代の最良級作品群に入るレベルだともされている。
    小さいけど、仕事はめちゃくちゃ細かい。
    ここがたまらないんだよね。


    🪨 しかもこれ、たぶん「失くした」のではなく「納めた」

    今回の金具は、ただ地面に落ちていたわけではない。
    岩の裂け目に埋められていたとみられていて、研究者たちはこれを宗教的な理由による奉納、つまり神々への供犠と考えている。しかも発見地の近くでは、過去にも金を飾った銀の首輪や、大型のローマ製青銅容器が湿地に納められていた例がある。要するにこの場所一帯では、「価値の高いものを地中や湿地へ返す」という行為が、以前から行われていた可能性があるんだね。


    これ、かなりいいです。

    首長が日常的に使っていた剣の黄金金具を、最後には神々へ返す。
    それは単なる廃棄じゃない。
    むしろ、「これだけのものを捧げられる自分たちこそ正しい支配者だ」と示す行為でもあったのかもしれない。
    危機の時代だからこそ、儀礼は派手になる。
    そして派手な儀礼ほど、権力の宣言にもなる。
    今回の金具は、そういう二重の意味をかなり濃く持っていそうなんだよね。


    ❄️ 6世紀の危機と金の奉納

    この金具が埋められた背景として、6世紀半ばの危機が意識されているのも重要なところだ。
    当時の北欧では、火山噴火に由来する寒冷化、不作、社会不安が重なった可能性があり、その時期には貴重な金が神々へ捧げられた例が増えるとも考えられている。今回の発見も、その流れの中で理解されている。つまりこれは「豊かな首長の宝物」であると同時に、「危機に際して神へ差し出された政治的・宗教的メッセージ」だったかもしれないわけだ。


    ここ、あるけまや的にはかなり好きなんだよなあ。
    黄金って、富そのものの象徴だよね。
    でも危機の時代には、その富を持ち続けるより、あえて捧げることで支配の正統性を示すことがある。
    つまり金は、持っているだけで強いんじゃなく、どう使うかでも強い。
    今回の金具は、そこまで含めてかなり情報量が多いんだ。




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    ↑こう見ると思ったよりちっちゃいね!まぁこの女性が巨人の可能性もあるが!( ・Д・)(「sciencenorway.no」の記事内画像より転載;credit: Terje Tveit / Museum of Archaeology / University of Stavanger)


    🧠 あるけまや的に、ここがいちばん面白い

    あるけまや的に今回おもしろいのは、この発見が「エリート戦士の豪華な持ち物」だけで終わらないところなんだよね。

    見えてくるのは、
    地方首長がいて、
    その周囲に忠誠を誓う戦士団がいて、
    沿岸交通と交易を押さえる土地があって、
    しかも危機の時代には神への奉納でその力を再確認していた、
    そういう世界なんだ。


    要するにこの黄金の剣鞘金具は、
    武器の飾りじゃない。
    それは権力の見える化であり、
    宗教行為の媒体であり、
    しかもこの地域がただの辺境ではなく、かなり濃い「力の場」だったことを示す証拠なんだよね。


    ✍️ あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    ノルウェー南西部サンネスのアウストロットで、散歩中の男性が倒木の根元から見つけた金色の小片は、約1500年前、6世紀の黄金製剣鞘金具だった。幅約6センチ、重さ33グラムほどで、北欧でも既知例はごく少なく、ロガラン県では初例。文様は動物、あるいは人と動物の混成モチーフを含む可能性があり、細い金線による精巧な装飾まで備えていた。しかも使用痕が強く、持ち主は実際にこれを帯びていた首長級の人物らしい。さらに岩の裂け目に納められていたことから、危機の時代に神々へ捧げられた供犠だった可能性も高い。近くのホーヴェが200〜550年ごろの地域権力中心だったことを考えると、この発見はその支配層の実像をかなり生々しく見せてくるんだね。


    だから今回の発見は、

    「散歩中の男性が、1500年前のエリート戦士の黄金の剣の鞘を発見」
    だけじゃなく、

    「6世紀ノルウェーでは、武装した首長の権力と神への奉納が、同じ黄金の遺物の中で結びついていたかもしれない」

    というところまで見せてくる。


    小さい金具。
    でも、その中に入っているのは金だけじゃない。
    戦士団、首長権、危機、供犠、そして地方の王権の気配そのものなんだよね( ・Д・)




    なにはともあれ・・・・・・


    私日常的になまらたくさん歩くのに何も見つからんよ!( ・Д・)






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    2026ねん 5がつ11にち(げつよーび、晴れ)
    筋肉痛がつらい!( ・Д・)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_y639

    ↑やぱ黄金だぜ!( ・Д・)




    今回の考古学・歴史ニュースはギリシャのアイギナ島のコロナ遺跡で、青銅器時代中期の黄金の装身具がたくさん見つかったらしい! しかもこれ、同時代のエーゲ海世界の見え方までちょっと変えてくるかも?( ・Д・)」ってお話です(*・ω・)ノ




    📰 はじめに

    黄金の装身具って、それだけでニュースとしては強いよね。
    でも今回の発見のおもしろさは、単に「金が出た」では終わらないところにある。

    アイギナ島のコロナ遺跡では、2025年の発掘で、青銅器時代中期にさかのぼる黄金と半貴石の装身具群が見つかった。出土したのは、集落が拡張した時期の城壁に接する大きな石造建物の内部で、金の両面円盤形アミュレット8点、別型の円盤形アミュレット1点、金の双円錐形ビーズ7点、円筒形ビーズ1点、金箔の飾り板8点、カーネリアンの球形ビーズ7点などからなり、全体として一つの首飾りか垂飾りだった可能性が高いという。しかも保存状態はかなり良い。


    つまり今回の話は、
    「すごいアクセサリーが見つかりました」
    だけじゃない。

    むしろ大事なのは、
    この小さな島が、青銅器時代のエーゲ海でどれだけ豊かで、どれだけ広い交易の網に乗っていたのか、
    そこがまた一段くっきりしてきたことなんだよね。


    🌊 まず、アイギナ島ってそんなに大事な場所だったのか

    アイギナ島はサロニコス湾の中央に近く、本土ギリシャとクレタ、さらにキクラデス方面を結ぶ海上交通のかなりよい位置にある。コロナ遺跡の先史集落は北西海岸に築かれ、石で強く防御された拠点として発展した。2千年紀BCには、ここが経済的繁栄と文化的な盛期を迎え、代表的建物、豊かな墓、副葬品などがそろう、かなり複雑な社会だったと整理されている。


    しかもこの遺跡、ただの港町の前身みたいな場所ではない。
    中期青銅器時代の段階で、すでに強い要塞性を持ち、広域ネットワークに組み込まれた有力拠点だったらしい。中期青銅器時代の物質文化にはクレタ由来の影響もかなり目立ち、島の文化は「ローカルだけど孤立していない」どころか、むしろ外とのつながりの中で強くなっていたことが見えてくる。


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    ↑ここがアイギナ島!( ・Д・)(「Berger et al. 2024」のFigure 1より転載)


    🏛️ 同じころのエーゲ海世界は、どんな時代だったのか

    今回の装身具が属するのは、だいたい2千年紀前半の世界だね。
    このころのエーゲ海は、後のミケーネ文明が全面的に広がる少し前で、本土側でも島々でも、地域ごとの有力拠点が競い合いながら結びつき始めていた時代だった。クレタでは宮殿文化が強まり、本土側でも要塞的集落や豊かな墓が目立ち始め、海を通じた交流がかなり重要になる。コロナ遺跡に見える強いミノア的影響や豊かな副葬品は、まさにその「つながりながら階層化していく時代」の空気をよく示している。


    だから今回の金製品も、単に島の中だけで閉じた贅沢品とは見にくい。
    金そのものもそうだし、カーネリアンのような素材も、かなり広い交易圏を想像させる。要するにこれは、海の向こうとつながれる人たちの装身具だった可能性が高いんだよね。


    💍 そもそもコロナ遺跡は、前から“金の島”っぽかった

    ここが今回かなり面白いところ。

    アイギナ島には、19世紀に流出して現在は大英博物館にある、いわゆる「アイギナの財宝」という有名な金製装身具群がある。この財宝はおおむね紀元前1850〜1550年ごろに位置づけられ、出土地や製作地についてはなお議論があるけれど、アイギナ島と強く結びつけられてきた。大英博物館の資料でも、ある作品はクレタ製かアイギナ製か断定できず、クレタ人職人がアイギナで作った可能性まで示唆されている。つまりアイギナは昔から、「ここってかなりすごい金の文化があったのでは?」と言われてきた島なんだ。


    そして今回の発見では、金のアミュレット類がこの「アイギナの財宝」の一部と似ていることが指摘されている。さらに重要なのは、今回の品々にはきちんと発掘文脈があることだね。19世紀に流出した財宝は、どうしても出土状況が曖昧になる。でも今回は、少なくともコロナ遺跡という具体的な場所の、具体的な建物の中から出てきた。つまり「アイギナの財宝」がどんな世界から出てきたのかを考えるための、かなり貴重な手がかりが増えたわけだ。


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    ↑やぱドローン欲しくなるよね、買うか!( ・Д・)(「Berger et al. 2024」のFigure 2より転載)




    🧱 では今回、どこから出たのか

    今回の黄金装身具群は、コロナの丘の大きな石造構造物の内部から見つかっている。場所は、中期青銅器時代の集落拡張部を守っていた壁のすぐそば、いわゆる「内側の郊外」とされる区域の外縁に近いところだった。ここ、ただの偶然の落とし物っぽくないんだよね。建物もちゃんとしているし、位置もかなり意味ありげ。


    ただし、そこは少し慎重でもある。
    出土層の層序は乱れていて、それがいつ乱れたのかは分からない。だから「ここに完全な墓がありました」とまでは言えない。でも、品々のまとまり方から見ると、中期青銅器時代の埋葬に伴う副葬品だった可能性はかなり高いと考えられている。墓そのものは残っていなくても、墓に入っていたものだけがそこに残った、という感じだね。


    ✨ 何がそんなにすごいのか

    今回の発見の強さは、量よりむしろ“まとまり”にあると思うのさ。

    32点ほどの品が、ばらばらの雑多な遺物ではなく、一つの首飾りか垂飾りとして機能していた可能性がある。金の円盤形アミュレットが並び、金箔の薄板が加わり、カーネリアンの球形ビーズまで伴う。これはもう、「金属だけで豪華」ではなく、色・素材・象徴性を組み合わせた見せる装いなんだよね。しかも針またはピン、銅片も伴っていて、衣装や装着の仕方まで想像が広がる。


    こういうのって、青銅器時代の権力の見せ方そのものでもある。
    武器や城壁だけが権威の道具じゃない。
    身体にどう金をつけるか、何を護符として下げるか、そこでもうかなり序列が出る。しかも島の有力者がそれを身につけていたなら、その背後には交易ルート、職人技術、儀礼の世界まで全部くっついてくる。





    🐚 しかもコロナは、贅沢品を作る側の現場でもあった

    ここでさらに面白くなる。

    コロナ遺跡では近年、紫貝を使う高価な紫染料の製作現場も確認されている。研究では、後期青銅器時代の段階で、遺跡内に紫染料の生産工房があったことが示されていて、ここが単に物を受け取るだけの港ではなく、価値の高い品を加工・生産する場でもあったことが分かってきた。しかもその技術的背景は中期青銅器時代までさかのぼる可能性がある。


    つまりコロナは、
    海でつながる。
    富を集める。
    そして加工もする。
    そういうかなり強い場所だったわけだ。

    今回の黄金装身具も、その文脈に置くとよく見える。
    たまたま一回だけ金が入ってきた島ではなく、もともと贅沢品や高付加価値の工芸と相性のいい拠点だったからこそ、こういう品がここにあるのかもしれないんだよね。


    🧠 あるけまや的に、ここがいちばん面白い

    あるけまや的に今回おもしろいのは、「小さな島なのに、やたら濃い」ところなんだよね。

    アイギナ島って、地図で見るとそこまで巨大じゃない。
    でもコロナ遺跡を見ると、
    防御された集落があり、
    広域交易に乗っていて、
    金の装身具があり、
    しかも高級染料まで扱っている。
    要するに、海の結節点としての“濃さ”がすごいんだ。


    そして今回の黄金装身具は、その濃さをかなり分かりやすい形で見せてくる。
    ただの宝物じゃない。
    それは、この島が青銅器時代のエーゲ海でどんな顔をしていたかを示す、かなり良い証拠なんだよね。

    金って、きらびやかで強い。
    でも考古学でほんとうに強いのは、その金が「どこから」「どういうまとまりで」「どんな場所から」出たかなんだ。
    今回の発見は、そこがかなりおいしい。
    こういうの、かなり好きなんだよなあ( ・Д・)


    ✍️ あるけまや的まとめ

    今回の話を雑に言うと、

    ギリシャのアイギナ島コロナ遺跡で、2025年の発掘中に、中期青銅器時代前半に属する黄金と半貴石の装身具群が見つかった。内容は、金のアミュレットやビーズ、金箔板、カーネリアンのビーズなど計32点前後で、一つの首飾りか垂飾りだった可能性が高い。出土層は乱れていて確実な墓は残っていないものの、埋葬に伴う副葬品だった可能性が高く、しかもその意匠は、19世紀に流出した「アイギナの財宝」と似た部分を持つ。これによって、コロナ遺跡が中期青銅器時代エーゲ海の中で、かなり豊かで広域交易に深く関わる拠点だったことが、また一段はっきりしてきた。


    だから今回の発見は、

    「黄金のアクセサリーがたくさん出た!」
    だけじゃなく、

    「アイギナ島は、青銅器時代エーゲ海で、富と技術と海上交流が集中するかなり濃い場所だった」

    というところまで見せてくる。

    小さな島。
    でも金は重い。
    そして、その重さのぶんだけ、歴史も詰まっているんだよね( ・Д・)



    なにはともあれ・・・・・・


    やぱ金出る環境の考古学者の“勝ち組感”が半端ないぜ!( ・Д・)


    ↑私は頑張っても翡翠が限界!( ・Д・)







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    2024ねん 8がつ 12にち(げつよーび、晴れ)

    疲れ溜まってたのか11時間寝た( ・Д・)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは黄金がっぽり!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台はエジプト、ダミエッタにあるテル・エルディール遺跡です。



    テル・エルディール遺跡は「ネクロポリス(死者の都)」として知られています。

    考古学的に簡単に言えば ”墓域” です。

    一般的に簡単に言えば ”規模のでっかい墓地” です(*・ω・)ノ

    マヤ文明やこの前紹介したトルコのチャタル・ヒュユクのような『居住域=墓域』な文化の方が珍しく、この古代エジプトや現代日本のように住むところと居住域を分け隔てる方が一般的です。




    なので今回の発見では63基もの墓が見つかったとありますが、ネクロポリスであればそうだろうなという感想です( -д-)ノ

    墓地に肝試しに行って、墓石見つけた!って喜ばないでしょ?( ・Д・)

    上に挙げた写真のようにボコボコたくさんあるんですから、あって当然なのですから。






    今回見つかった63基の墓からは青銅製硬貨の詰まった壺や上に挙げた写真にあるような黄金製品が副葬されているケースが多かったため、テル・エルディール遺跡というネクロポリスそのものが比較的社会階層の高い人々のための埋葬エリアと推測されています。

    そうした中であっても同遺跡では墓に社会階層性が見て取れます。

    最も下位の墓は墓壙として穴を掘っただけのもので副葬品も僅かです。

    高位の墓ではアドベ(日干しレンガ)製の墓や石灰岩製の墓が見つかっています。




    やはり高位のしっかりした造りの墓にあればなるほど、墓の規模も大きくなります。

    現代日本社会でもお墓に行くと、金持ちの家かな?って思う黒い墓石で出来たデカいお墓ありますよね?

    大体専有面積もデカかったりします。

    あれと同じなのです(*・ω・)ノ




    今回の発見では63基のほとんどがアドベ製の墓で、ウシャブティやバステト、ホルスなどの様々な神を模した像が金箔で覆った製品として副葬されるケースが多数見つかっています。

    以前の調査ではビザンティン時代の金貨も出土していますから、やはり社会的地位として高位の人物は黄金製品を副葬する習慣があったのだということが分かります。



    ネクロポリスですから今後もどんどん新たな発見があるでしょう。

    時間的な変遷と墓の造りと副葬品の種別・多寡との相関が分かると面白いですね(*・ω・)ノ






    おわりに


    こういう記事書く度に「黄金製品いいな~」って思って素直にそう書いてますが、、、

    いやだって皆さんお好きでしょ???

    ハイボールや綺麗なお姉さんより好きじゃないの?ってくらい一般ウケはいいんですよね。




    ニュースでもそうですけど、博物館の特別展とかやると差は歴然としますよ、ほんと。

    人間って昔から変わらない生き物なんですよ( ・Д・)



    でもまぁそうした嫉妬心は抑えて冷静に考えると、、、

    黄金が出るってことは常に盗掘の被害を考えなければならないし、

    古代から現在までの盗掘によって情報が欠落していることも考慮に入れなければならないしで、

    考古学研究としては結構めんどくさい気がしますね。




    私、自分の理論研究の拡張で日本にも手を出していますが、古墳時代のデータ取ってたら実際面倒でしたもの。

    貴重品が入っていたり、墓自体が目立つとどうしても盗掘されちゃうんですよね。

    その点、マヤの場合は場所にもよるけれど、ティカルなどの場合は亜熱帯のジャングルに守られていますし、重層建築のおかげで物凄い労働力を投下しないと墓に当たらない上に、当たるとも限らないんですよね。

    墓を内包しないケースもあるので。。。



    そう考えるとなんだかんだ研究する上で、特に数理を扱うような詳細なデータが必要な研究の上では……

    やぱマヤ文明が一番!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    (自分の取り扱う文明や遺跡が一番だと考えるのは考古学者の性です( ・Д・))





    何はともあれ、

    やぱ黄金いいな!( ・Д・)



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    2023ねん 4がつ 14にち(きんよーび、曇り)

    みんな、私は元気だぜ!v( ̄∇ ̄)v

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは金箔で覆われたミイラより、なんか気になる写真見つけた!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台はエジプト、サッカラです。

    サッカラはよく聞く名前ですよね、インディジョーンズを始めとして冒険ものでエジプトのシーンがある時は大体サッカラが出てくる気がします。

    気のせいかも知れませんが、まぁそんなサッカラは首都カイロの南郊にあります。




    今回の記事はエジプト考古学庁が展示のために出し渋っているのか写真がないんですよね。

    発見したお墓や出土品の写真はあるのに肝心のミイラの写真がない……

    掲載されていた痕跡もあるけれどそれだけ非表示になっているので、止められたのかな~と思ったり。

    記事の最後に「しかし、エジプト政府は観光客を増やすため、学術的な研究よりもメディア受けするような発見を優先しているとの批判もある」なんて書いてるしね。

    まぁこれについては「おわりに」で触れます。




    ということでなるべく写真を多用しようと頑張っている当サイトですが、ないものはないので今回はご了承ください。

    最初に挙げた写真は関係ない写真だけれども、金箔で覆われたマスクなんですよね。




    「金箔で覆われた」なんて書かれたら気になるけれど、よくよく考えたら、あれだけ黄金製品が出るエジプトでは対して目玉にならん気がするのだが気のせいだろうか……( -д-)ノ

    ただ今回の発見があった墓は4300年前のもので、ファラオなど王族以外の墓としては最古かつ完璧な状態のものとしてレアな発見なのです。

    未盗掘だったので保存状態が極めて良好だったようです。

    盗掘されていたらミイラごと持っていかれてそうですもんね( -д-)ノ




    さてさて、とりあえず私が一番気になった写真をどうぞ!





    これって一般の人が見たらたぶん何の違和感も感じない写真だと思います。

    ちなみにキャプションは「サッカラでの新発見発表後、発掘したものを修復する考古学者」です。





    エジプト考古学のことは知らないけれど、、、

    修復作業を現場でやるの!?(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

    そんなことある?

    なんで???

    ラボが遠いの?





    写真だと小さくてよく見えないけれど、黄色の箱やチューブみたいなものが瞬間接着剤的なものに見えるけれど、、、

    砂埃とか大丈夫なんでしょうか。

    ってか洗浄具が周りにないけれど、土に埋まっていたわけじゃないから埃を払う程度なのかも知れないけれど、、、本当にそれでいいの?

    土に埋まってないから土圧などで歪んでないから接合も楽ちんなんだろうけれど、ラボに帰ってからやればいいのにと思ってしまいます。




    そんな大々的に発表するほど重要な墓から出た副葬品でしょ?

    きっちり落ち着いて修復した方が展示映えもするだろうに……そう思ってしまうのは専門地域が異なるせいなのでしょうかね( ・Д・)

    誰か理由を知っている方がいたら是非教えてくださいね!ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ ナカマ




    ↓ガンガンに宣伝していくぜ!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

    ↑研究がんばるから支援よろしく!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


    おわりに

    メディア受けする調査を優先するのは世界各地でまぁ見られる現象です。

    トレジャーハンターというか「許可書持ちの盗掘者」はどこにでもいます。

    マヤ地域でもそういう考古学者がいますし、そういう日本人考古学者もいます。

    彼らの見分け方は簡単!




    論文書かない、報告書出さない、一般誌・一般書は書く、メディアに露出する。

    こんなもんかな。




    まぁ露出しててもしっかり研究者してる人も中にはいるようですけどね(*^・ェ・)ノ




    確かに傍から見てると、そもそもエジプト考古学自体が、学術系そのものが発見至上主義に浸かってる気がしますけどね。

    エジプトってあれだけ保存状態も質も良い考古遺物が大量に出て、たくさんの碑文資料もあって、周辺地域の文献史料もあってと、たぶん世界で一番データが豊富な地域だと思うんですよ。

    でも世界の考古学を牽引している気がしない。




    新たな考古学理論が誕生しても良さそうだけれど、何もないよね。

    というかこれまでも一度もない。




    私が知らないだけかな。

    周りにエジプト考古学の人いないから、適当にエジプト考古学発の理論系論文を探してみるかな(*・ω・)ノ



    もしかしたらデータがあり過ぎるせいで、文献史学的な世界に突入しているのかも知れませんね。

    そういう可能性もある!





    考古学にとって発掘調査が実験なわけで、かつ発掘調査は有限の一回性の実験なのだから、理論もなく掘りまくると間違いなく将来困りますよ。

    証明も反証もできなくなる。


    博物館のための、観光収入のための考古学。

    どうやらエジプト考古学者は半世紀以上前の時代を生きているようですね( ・Д・)





    まぁいいや、

    何はともあれ、

    私の研究が世界で一番!( ・Д・)



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    2021ねん 6がつ 1にち(かよーび、晴れ)

    やぱ新しく勉強したり研究するには、どうしても定時以降とか、休み使わないとダメだな( -д-)ノ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは中国でなんだかフィーバーしてるね!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台は中国、四川省、三星堆遺跡です。

    この遺跡で大きな発見がありまして、それは下に挙げたリンク先の記事で紹介しました。





    ここでもさくっと概要を書くと、三星堆遺跡は今から約3000年前に四川省にあった青銅器時代相当の遺跡です。

    青銅器時代ですから、青銅製品が多数出てくるのは当然なのですが、ポイントはその青銅製品の精巧さと金製品を伴うことです。

    この遺跡では1986年に2基の墓が発見されており、2020年に新たに6基の墓が見つかりました。

    1986年の調査時に青銅製の人物像と黄金仮面が出土したのですが、その他にも精巧な副葬品が多数出ています。

    新しく見つかった6基の墓(第3~8号墓)からも多量の遺物が出ていて、どれも精巧な奢侈品ばかりです。


    arukemaya1548

    arukemaya1543

    arukemaya1542



    青銅製品はどれも精巧な作りですし、「黄金の葉っぱ」も細工が美しいですねヾ(´ω`=´ω`)ノ

    まぁ個人的には最後に挙げた青銅製の小像の濃ゆい眉の感じが好きですし、ついそこに目が行っちゃいますけど、重要なのは色彩が残っている点ですね。


    arukemaya1540



    さて、上に挙げた1枚目の写真は「象牙製品」です。

    これも繊細な意匠が美しいです。

    この時代に象牙を貴重品として交易していたことに驚きです。

    どこのどの種の象さんの牙なのか知りたいですね。

    そして象牙を素材として入手してこの地で加工・製作したのか、あるいは製品として入手したのか、これも気になるところです(*^・ェ・)ノ


    2枚目の写真は「玉璋」です。

    「ぎょくしょう」と読みます。

    「玉」の字があることから分かるように玉製なんですが、斧とか刀とか実用の工具類を模したものです。

    上の写真の場合は、「小刀」でしょうか?

    上部が柄部で、下部が刃部に見えます。

    この「玉璋」は三星堆遺跡で見つかっている独特の型式で、他には見られないレアな事例なのです(*・ω・)ノ

    さて最後に、インディジョーンズ的なアドベンチャー映画のワンシーンかと思えるような画像を紹介しますね(*・ω・)ノ


    arukemaya1544

    arukemaya1545

    arukemaya1546





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    arukemaya1541a
    ↑にょろにょろとにょろにょろ型玉製品


    おわりに

    どうも玉璋の柄部と刃部の間の装飾が気になって、、、

    にょろにょろ(ムーミンに出てくるやつ)にしか見えなくて、、、

    ちょっと最後にふざけました( -д-)ノ


    ・・・さて、この感じだとまだ色々と出てきそうな感じがしますね。

    出土品が眩いので、そこばかりに着目してしまいますが、この地域の青銅器文化ってどのようなものだったのでしょう?

    一般の住居とかも発掘して研究して欲しいなって思っちゃいます。

    実はやられていて、ニュースにならないだけかもしれませんがね( -д-)ノ

    ともかく、、、

    また中国は観光で一儲けできるね!( ・Д・)



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    2021ねん 4がつ 9にち(きんよーび、晴れ)

    健康体になってきた(・∀・)つ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは「3000年前の黄金仮面が見つかったよ!( ・Д・)ってお話です(*・ω・)ノ


    さて、今回の舞台は中国、四川省、三星堆遺跡です。

    中国の古代文明と言えば、教科書でお馴染みの「黄河文明」です。

    これは広い中国の中でも黄河流域で栄えた文明なわけです。

    この黄河文明で最古の王朝は「殷(いん)」です。

    続く周王朝と同じく、所謂青銅器時代に属しています。

    殷が1700BCE-1046BCE、周が1046BCE-256BCEなので、今回の発見した遺物の時期である3000年前(1000BCE)はちょうど殷・周青銅器時代の真ん中辺りの頃ということになります(*^・ェ・)ノ




    今回のニュースのおよそ35年前に見つかったのが上に挙げた写真の黄金仮面になります。

    青銅器時代ですので、顔の造形というか人の造形は青銅を用いて作られていて、そこに金箔の仮面が装飾として不随している形になっています。

    三星堆遺跡は、この黄金仮面の他にも4mもの高さの青銅製の神樹や、世界最大の2.6mの青銅製人物立像が出土していたり、金の杖などの他の黄金製品も出土したり、象牙といった貴重な遺物も出たりと地元博物館にとっては願ったりの遺跡なのです。

    この黄金仮面を始め素晴らしい精巧な遺物を作った文明は、およそ3000年前に四川省一帯で栄えた「古蜀国」と考えられています。

    この一帯では5000年前(紀元前3000年前)頃から文化の興りが見られ、3000年前にはこのように青銅の扱いだけではなく、金箔を扱う技術を得るまでに発展していました。

    この文明に対する調査はまだまだ極一部であり、今後その性格が明らかになることが期待されていますヾ(´ω`=´ω`)ノ




    今回、新たに発見された黄金仮面も以前と同様にお墓の中の副葬品として出てきました。

    上に挙げた写真群が墓壙内の平面図的な写真と、出土状況を示した写真になります。

    ただでさえ、黄金製品はレアですし、いろんな意味で貴重ですし、柔らかいしで気を付けなければならないのですが、金箔だと猶更ですよね。

    最後に挙げた写真のように金箔だとぐちゃぐちゃになった状態で出てくるようで、これを頑張って復元するようですねΣ(・ω・ノ)ノ


    ↓遺物をガジッた(掘る時に傷付けた)と言えばこれ!ヽ(TдT)ノ

    ↑しかも黄金製品だし( ・Д・)




    そして上に挙げた写真が今回新たに見つかった黄金仮面で、向かって左半分が綺麗に残っています。

    右半分と上部はガジッたか、トバした(掘ってる最中にぶっ飛ばして無くなった)かしたのでしょうか?(´・ω・`)

    黄金製品としての質の高さ、美術的な美しさももちろん目を見張るのですが、、、

    やはり考古学的に気になるのは技術力の高さですね!(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!

    青銅器時代ですから冶金技術はあるとは言え、金箔を作って精巧に加工する技術を有していたという点がすごいです。

    こうした技術はどのように生まれたのか、あるいは伝わったのか、そして中国の他の文明との関係性はいかなるものだったのか、知りたいことで一杯ですヾ(´ω`=´ω`)ノ


    arukemaya1450


    おわりに

    恥ずかしながら、正直、古蜀国なんて全然知りませんでした( ・Д・)

    この春から所属が変わり、日本の弥生・古墳時代も少しかじっていこうと考えているので、中国や台湾、東南アジア辺りも勉強しなきゃなと思う今日この頃です( -д-)ノ

    でもやっぱりニュースになるような発見っていいよね・・・

    考古学はそんなトレジャーハンターみたいな仕事ではないと思いつつも、、、

    いつか言いたい!

    あれ、見つけたの俺!( ・Д・)



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    2020ねん 5がつ 23にち(きんよーび、曇りのち雨)

    報告書があと二日で終わる。てか終える。

    結局週末働かにゃ終わらんってことやな、、、

    どうなってる、私の「ひとり働き方改革」!?( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    arukemaya879


    今回の考古学・歴史ニュースは「発掘調査で多量の金銀財宝が出て、中国版の埋蔵金伝説が真実だったことが分かったよ!」ってお話です(*・ω・)ノ


    今回の舞台は中国・四川省にある彭山江口明末古戦場遺跡です。

    名前めちゃくちゃ長いですねΣ(・ω・ノ)ノ

    この遺跡は、彭山区の江口鎮に所在しているので「彭山江口」と付いています。

    次の「明末」は中国王朝のひとつである明王朝(1368-1644)の末期に帰属するという意味のようです。

    で、「古戦場跡」はそのままですが、以前の調査で銃や様々な種類の鉛弾が発見されたことで古戦場跡であると解釈されたことによるネーミングだそうです。

    ということで、長ったらしい名前ですが、遺跡の性格を端的に示している名称ということになります(*・ω・)ノ




    3シーズンに渡って長期的な調査が実施されていて、今回の調査では重要文化財指定の遺物だけで2000点、トータル1万点の文物が出たそうです。

    1万点の遺物ならば、マヤ文明の場合、土器片や石器片でいいなら簡単に出る量なのですが、時代が時代ですからね、きっといいもの(文物)ばかりで1万点のはずです(*^・ェ・)ノ

    あまりにも出土遺物の質も量も良いため、約76億円をかけて「江口沈銀博物館」を来年建設開始するそうです。

    この博物館の名前になっている「江口沈銀」というのが、中国版の埋蔵金伝説のひとつなのです。




    江口沈銀の伝説の証明

    「江口沈銀」の伝説とは1643年に大西王となった農民軍の首領・張献忠の軍船が岷江を南下する際に、明軍の攻撃を受けて沈没してしまい、積んでいた財宝が川底に沈んだというものです。

    先に挙げた金印が最も重要な発見で、金の含有量がなんと95%!

    重量が8kgだそうですよ!



    ……これ、誤植じゃないのかな?( ・Д・)

    金印は1辺10センチメートル、厚さ3センチメートルの方形の印台って書いてますけどね。

    紐を通すための穴が開いた亀形の飾り持ち手が付いていて、そのサイズ情報はないけれど……



    印台の体積は10×10×3cm=300㎤になりますよね。

    金の比重は1㎤=19.32gだから、300㎤だと約5.8kgか。

    あ~、金ってとっても重いのね!!!

    全然持ったことないから!ヽ(TдT)ノ




    それにしても8キロの印鑑って使える???

    数字が事実ならば、実用品ではなくて権威を示すための象徴、威信材なのかも知れませんね( -д-)ノ

    ちなみに金印には「蜀世子宝」の4文字が鋳込まれており、蜀王の世継ぎである太子が歴代受け継いできたものと推定されています。

    王が使う金印は卑弥呼の金印でもおなじみですけど、太子が使う金印の事例としては中国国内でこれが最初の事例だそうです!ヾ(´ω`=´ω`)ノ


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    arukemaya876




    おわりに

    発掘調査自体も大規模なもので、相当な予算が組まれているはずです。

    というか、これ、大河川の一部をせき止めてまで行っている調査らしいので、お金の掛け方が違いますよね。

    そして約80億円も投じて博物館を造るわけですが、観光地として一躍有名になるでしょうし、元は取れそうですよね(*・ω・)ノ



    やはりメキシコ、エジプト、中国かな。

    こういった、国を挙げて考古学調査を支援して、しっかりと外貨獲得につなげようとしているのは。

    日本は予算出さずに、何かいいもの出たらとりあえずニュースにして博物館で展示して小銭を稼ぐといった『搾取型考古学(搾取されるがまま考古学)』ですからね。

    そう言えば、なんかTwitterで見ましたけど、埼玉の博物館で資料調査(写真撮影とか)に対してお金取るって決めたとこがあるらしいですね。

    どれだけ搾取する気なのか。

    そこまでされたら、、、



    出土品、博物館に収めずに闇ルートで売るぞ!と思っちゃいますね。

    (↑上手いこと炎上してお気楽に有名になりたいわ~なんて( ・Д・))



    話は変わって最近、日本の埋蔵金伝説は下火ですね。

    出ないかな~( -д-)ノ

    日本にも明るい話題が欲しいよ!!!( ・Д・)


    【謝辞】
    今回の記事は以前にコメントを頂いた「M+さん」より情報提供を頂きました。

    末筆ながら記して感謝申し上げる次第です。

    (*_ _)激しくペコリ

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    2020ねん 1がつ 10にち(きんよーび、晴れ)

    何だか暫くすごく考古学っぽいものから離れていた気がする。

    なのですごく考古学っぽい記事を書こうかと思い立ったわけである( -д-)ノ


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    今回の考古学・歴史ニュースは「黄金製の副葬品を伴うアマゾネスの墓が見つかったよ!」ってお話です(*・ω・)ノ

    アマゾネスとはギリシア神話に登場する女性だけで構成される狩猟部族です。

    アマゾネスの語源は不明瞭ですが、仮面ライダーアマゾンみたいに南米のアマゾンとは無関係です。


    そういった俗説もあるようですが、ギリシア神話に見られる記述の古さと新大陸『発見』の時期を考慮すれば無関係であることが分かるかなと思います( -д-)ノ

    神話上では、アマゾネスたちは子供を産むときは他部族の男性のもとに行き、男児が生まれた場合は殺すか、あるいは父親のもとに引き渡し、女児のみを後継者として育てたとされています。

    こうした「戦う女性部族」については、ギリシア神話の中でも有名な「ヘラクレスの冒険」や「トロイア戦争」にも登場しています。


    ↓トロイア戦争、シュリーマンに触れた記事です(*・ω・)ノ



    さて絵画として残る史料によれば、アマゾネスはスキタイ人風のレオタードのような民族衣装を着た異国人として描かれています。


    スキタイは紀元前9世紀〜紀元後4世紀にかけてイラン系の遊牧騎馬民族国家です。


    黒海の北側を主な領域としていて、現在のウクライナ、モルドバ、ルーマニアに相当する地域を支配していました。



    ↓スキタイの前のサルマタイの頃から古墳と黄金製品が特徴でした(*・ω・)ノ






    今回の発見はロシア南西部に位置するヴォロネジです。

    上に挙げた図のようにヴォロネジはウクライナや黒海に近く、スキタイの領域にとても近いことが分かります。

    この地域でおよそ2500年前のスキタイに属する女性戦士(アマゾネス)4人の埋葬遺構が発見されました。

    4人の内、年配の女性戦士はスキタイの上流階級に典型的な黄金の冠飾りを副葬品として身に着けていました。

    このことから当時のアマゾネスの社会的地位の高さが窺い知れます。




    これまでにスキタイに属するのアマゾネスの痕跡は既に発見されていました。

    しかしながら今回の発見では、様々な年齢のアマゾネス達が、まとめて埋葬されていた点が特徴的でした。

    4人のアマゾネスの年齢は約45〜50歳が1名、20〜35歳が2名、約12〜13歳の10代が1名でした。

    またこの埋葬遺構における副葬品は後世の盗掘被害に遭っておらず無傷だったことが非常に重要です。

    一番年配の女性は、上に挙げた写真の黄金の冠を被っており、上流階級を示す副葬品です。

    この黄金製のヘッドバンドは、破片として同地域で以前にも発見されていますが、今回発見されたそれは非常に保存状態が良好なのです。

    分析の結果、このヘッドバンドは70%の金を主要成分として、銅、銀、鉄を含む合金で作られていることが分かり、考古学的・美術的価値が非常に高いものとして重要視されています。

    それぞれのアマゾネスの遺体の近くには鉄製のナイフと矢尻がありました。

    また二人の少女のうちの一人の遺体は、「馬に乗る者」のポーズで埋葬されていました。

    当時の葬制として「馬に乗る者」が死んだ際には「足の腱を切って埋葬する必要がある」と考えられているそうです。

    彼女の隣には青銅鏡、槍、そして手にガラスのブレスレットがありました。

    彼女のように東ヨーロッパのペルシャ語族の遊牧民および半遊牧民の間では、スキタイ時代に女性の馬の乗り手が存在したと推定されています。

    これらの馬に乗るアマゾネスは、長期の軍事作戦で男性が不在の際に、おそらく牛、財産、家を守っていたと考えられています。

    今回発見された埋葬遺構周辺の遺跡全体としては、30点を超える鉄製の矢じり、鳥の形をしたフック、騎兵の道具の要素、手綱を吊るす鉄製のフック、鉄製のナイフ、古代ギリシャの花瓶が出土しています。

    この遺跡全体では他にも多数の墓が見つかっていますが、どれも埋葬後100年~200年の間に盗掘被害に遭っており、今回の4名のアマゾネスたちの墓だけが奇跡的に盗掘被害を避けて残った貴重な発見であることが分かっています。






    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    いや~やはり墓の発見とか、黄金製品の副葬品の発見とか、『花』があっていいですよね。

    本当に羨ましい!ヽ(TдT)ノ

    考古学と言えば、やっぱ墓か!?

    調査の目的と一切関係ないんだけど、大した副葬品なくても全然いいから、今回の発掘調査でお墓出たらいいな~なんて思ったり!( ・Д・)

    ↓やっぱお墓、発見したいな!!!( ・Д・)↓

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    2019ねん 4がつ 3にち(すいよーび、晴れ)

    「考古学者は女性にとって最良の夫である。

    妻が年を取れば取るほど妻に関心を持つようになるからだ。」

    by アガサ・クリスティ

    ……なんというプレッシャーだ!( ・Д・)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    arukemaya_0171
    ↑発見された遺跡周辺のチチカカ湖の様子と地元の方々(「The Guardian」の記事内画像より転載;credit: Teddy Seguin )


    今回の考古学・歴史ニュースは『南米のチチカカ湖の湖底から、1000年前の遠隔地産の黄金製品や宝石を伴う祭祀遺跡が見つかったよ!』ってことです(*・ω・)ノ

    今回の発見の地は南米のボリビアとペルーにまたがって存在するチチカカ湖です。

    今から1000年前、このチチカカ湖の一帯はティワナク文化の領域でした。

    ちなみにティワナク文化はヒストリー・チャンネルの「古代の宇宙人」シリーズでよく出てきます。

    中心地であるティワナク遺跡は、この動画でよく取り上げられる「太陽の門」や「半地下式方形広場」、精巧な石彫で有名な「プマ・プンク」で有名です。

    ティワナク文化はチチカカ湖流域においてBCE100~200年に始まり、その最盛期はCE800~1100年と推定されています。

    今回発見されたのは1000年前の遺物ですから、ティワナク文化の最盛期の頃のものですね


     
    (↑私が眠る時によくお世話になっている動画です。回し者ではございません( -д-)ノ)




    さて、今回はチチカカ湖の真ん中辺り、イスラ・デ・ソル(「太陽の島」)の北西方向にある岩礁から、儀式の供物として屠殺された動物の遺体や黄金製品を回収したことから、同地点が祭祀遺跡であると推測されています。

    古代アンデス文明においてこのような儀礼的遺物の水中からの発見は前例がないそうで、特別な遺跡であることが分かります。

    発見地点はチチカカ湖の「太陽の島」の北西端から約10kmの平面的位置における水面下5m以上の深さの場所です。

    発見の経緯として最初はアマチュアダイバーが岩礁の広がるこの地点でいくつかの古代の遺物を見つけました。

    その後、報告を受けた海洋考古学者はこの岩礁の一帯を探索し、ラピスラズリ製のピューマの置物やその他の動物を模した石製のミニチュア、土製品であるピューマの香炉、プーマとコンドルのシルエットのマークを有するL字型の造形物が見つかりました。

    これらの遺物は全て奢侈性の非常に高い品々であり、儀礼を執行したティワナク文化の人々は、古代アンデス帝国で入手できた中でも最も貴重なこれらの品々を儀礼行為として湖底に沈めたことになります。

    出土した黄金製品や磨かれた宝石の他に、およそ2,000km離れたエクアドルの海岸沖の暖かい海で獲れるとげのある貝殻が見つかりました。

    こういった長距離交易でのみ得られる希少品も彼らは儀礼に用いたわけです。


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    ↑海底から見つかった遺物群(「The Guardian」の記事内画像より転載;credit: Teddy Seguin )


    これらの貴重な品々と共に見つかったのは、焼けた魚とラマの骨の残骸です。

    焼けた魚の残骸は儀礼の際に食べられたものであると考えられています。

    遺跡に残る炭化物と骨片を基にした炭素年代測定の結果からは、CE8世紀~10世紀を通してこのような儀礼が行われていた可能性を示しています。

    一方でラマの骨は、儀礼に際して生贄に捧げられたものであると推定されています。


    arukemaya_0173
    ↑出土した黄金製品(「The Guardian」の記事内画像より転載;credit: C.Delaere/ULB )


    この発見地点の傍に位置する「太陽の島」では10基以上のティワナク文化に関する遺構が発見されています。

    その内の1つは、今回の発見地点である北西海岸近くに位置するもので、当該地域で最強の肉食動物であるピューマを象徴した儀式用複合施設です。

    ティワナク文化の人々にとって儀式と宗教は古代国家おけるで非常に重要な関心ごとであったと考えられます。

    恐らくはティワナク文化の貴族層の人物が、遠隔地の希少品や黄金製品、宝石で美しく飾られた若いラマをこの岩礁で儀礼的に屠殺するといった、国家の繁栄を願い続けた古代の儀礼行為の痕跡が今回発見された遺跡なのでしょう。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    条件にもよるようだけれども、水中でもこれほど動物骨や炭化物が保存されるとは……

    やはり保存状態のいい遺物がたくさん出るのは嬉しいことです。

    それにしても今回の発見は大発見です!

    今回の儀礼に関する多量の遺物だけでも、博物館の特別展を開けそうですね!(。・ω・)ノ゙

    ↓やぱスキューバのライセンスが欲しい!( ・Д・)↓

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