2018ねん 10がつ 15にち(げつよーび)

ラーメンを食べに行く時間もなかったので

自宅でラーメンを作ってみた。

鍋の残りにラーメンを入れた状態と同じ味になった……

やはり店の味とは違う(´・ω・`)

それはさておき、気付けばめっきり寒くなったものだ。

鍋が旨い季節である(=゚ω゚)人(゚ω゚=)ぃょぅ!


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さて今回紹介するのは、奈良県の天理市にある黒塚古墳から出土した三角縁神獣鏡の理化学分析結果についてです。この黒塚古墳は3世紀後半の古墳で、1997~1998年に行われた発掘調査によって33面の鏡が出土しました。これは一つの古墳からの出土数としては全国最多の事例なのです。



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新聞でも話題となり、記事では32面とありますが、最終的に33面の三角縁神獣鏡が発見されました。竪穴式石室は長軸8.2m、短軸1.2mで、遺体の周辺に鏡や刀剣等の武具といった副葬品が配置されていました。出土した三角縁神獣鏡はその文様や銘文から、33面の全てが中国から輸入された舶載鏡(はくさいきょう)と考えられてきました。

多量の三角縁神獣鏡の発見から20年という歳月を経て、今回、京都市の泉屋博古館(せんおくはっこかん)が大型放射光施設「スプリング8」にて蛍光X線分析を行い、鏡の素材に含まれる成分を調べました。

結果として鏡に含まれる錫(すず)、銀、アンチモンの3元素の組成数値を調べ、グラフ化したところ、紀元前1世紀~3世紀に相当する古代中国の前漢後期~三国時代に鋳造された鏡の組成数値と近似することがわかりました。

また黒塚古墳から出土した画文帯神獣鏡1面についても、その化学組成が上記の古代中国鏡とほぼ一致することが分かったのです。

そのため黒塚古墳で出土した三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡と、前漢後期~三国時代の古代中国鏡が、同じ原材料で作られている可能性が高まったのです。つまりやはり黒塚古墳出土の古代鏡は中国製だった可能性が高いのです。

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さて、元々、文様や銘文から鏡が中国産と考えられていたのに、成分分析を行ってやっぱり中国産でしたというのは、理化学的な手法によっても証明されましたという意味はあっても、それほど大事なことなの?と思われるかも知れません。

ではこういった研究が何故重要なのかを説明しますと……

三角縁神獣鏡は卑弥呼が中国から得た鏡であるとする説があるのです。日本史の教科書にも出てくる邪馬台国の女王、卑弥呼は魏に遣使していたとされており、中国の歴史書である「三国志」や「魏志倭人伝」には239年(景初3年)魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したとする記述があることから、三角縁神獣鏡がその鏡であるとする説があります。

この三角縁神獣鏡は日本各地の古墳から出土していることから、ヤマト王権が卑弥呼に下賜された古代鏡を各地の豪族に与えたとする古代政権成立過程が提唱されています。

以上の説では、三角縁神獣鏡=中国産になるわけですね。まぁ魏の皇帝が卑弥呼にあげた銅鏡が三角縁神獣鏡であれば、かつヤマト王権がその内の少なくとも数枚を引き継いでいたらですけども。

一方で、三角縁神獣鏡=日本産の説があるわけです。何故か?三角縁神獣鏡は中国で一枚も見つかっていないからです!

他にも根拠はいくつかありますので紹介しますと、


①日本国内では三角縁神獣鏡が540枚以上見つかっているため国内における大量生産が窺えること

②卑弥呼が得た鏡の総数である100枚を超えて存在すること

③卑弥呼の時代である邪馬台国時代に相当する3世紀の墳墓からは一枚も出土していないこと

④中国で既に改元され、存在しないはずの年号の事例が1例あること(島根県雲南市加茂町大字神原・神原神社古墳出土の鏡に景初3年の銘、しかし魏の皇帝は景初3年1月1日に崩御している)


とまぁ、三角縁神獣鏡は古代日本におけるミステリーの一つと言えるでしょうね。中国製説、日本製説、日本における中国系渡来人製説、日本における中国鏡の倣製鏡説と色々ありますが、みなさんはどこ産だと思いますか?

三角縁神獣鏡は博物館等の展示でも見られることも多い資料です(レプリカのことも多々あります)。次に博物館を訪れる際には是非、三角縁神獣鏡をまじまじと見て「メイド イン~」か思いをはせてみるのも良いかと思います(*・ω・)ノ
 
↓左を押したら「日本製」、右を押したら「中国製」の説に一票……( ・´ー・`)ドヤ!??↓